「キャンドル」の新社会づくりと南北関係

2017年 春号(通巻175号)

〔特集〕「ロウソク」革命、転換の始まり
「キャンドル」の新社会づくりと南北関係

白楽晴(ペク・ナクチョン)
文学評論家、ソウル大学名誉教授、『創作と批評』名誉編集人。最近の著書として、『白楽晴が大転換の道を問う』『2013年体制づくり』『文学が何か、再び問うこと』『どこが中道で、どうして変革なのか』などがある。paiknc @ snu.ac.kr

 

本稿は元来、韓(朝鮮)半島平和フォーラムの教育プログラムである韓平アカデミー第3期の最終講で、「新社会づくりと南北関係」というタイトルで講義した内容を修正、補完したものである。 1アカデミーの講義は主に南北関係の専門家が行ったが、昨年12月15日に私の番が近づいた頃には、受講生も南北関係に関する専門的な論議よりも、韓国社会で盛んに進行中のキャンドル・デモにより関心が集中している状態だった。当日レジュメのみを配布し、発言した内容を文章形式にすると同時に、その後の事態進展と私自身が練磨した部分を追加して反映させ、今回かなり大幅に手を加えた。一部で叙述の順序を変え、タイトルも多少修正したが、基本的な論旨は変えなかった。受講生を含む当日のすべての参加者に感謝したい。 2

タイトルとは異なり、本稿でも講義でも南北関係の現況は特に扱わなかった。市民が「新社会づくり」を主導する広場では、それは大きな懸案には浮上していない。だが、その時々の現象として現れる南北関係と、私たちの現実を構造的に規定する南北関係は別次元の問題である。後者に対する正しい認識なしには前者に対して一貫して賢く対応することができず、一見南北関係とは無縁のような新社会づくりの課題も円滑に修正できないというのが本稿の主張である。「南北関係」をあえてキーワードの1つに選んだのも、そのためである。

 

Ⅰ.「キャンドル」は革命なのか

現在の状況をみて多くの人が「市民革命」といい、「キャンドル革命」というのに、私も同意する立場である。昨年10月末にソウルで始まって全国へと広まった、キャンドルを掲げる市民のデモは直接的なエネルギーという点で「キャンドル」を強調するのは適切である。 3一方、どういう意味で「革命」とか「市民革命」というのか、多少の整理が必要なようだ。

革命といえば、政権の転覆にとどまらない社会全体の大々的な転換を意味するのが常識だが、国民の直接行動によって大統領の中途退陣が実現したとしても、それが自動的に革命と認められるわけではない。憲法裁判所が大統領の弾劾訴追を認めたとしても、その後の事態が本質的な変革に達しない「未完の革命」に終わる可能性がある上に、「キャンドル」が誇る平和的デモと憲政秩序に対する基本的な尊重は革命とはほど遠いのではないか、という問いも可能だからである。後者の問題から考察してみよう。

「キャンドル」は明らかに既存の革命概念とは異なる面が多い。だが、まさにこの点で、世界的にも新たな性格の革命をつくり出しているのかもしれない。市民の蜂起で政権を変え、社会的転換を実現した例として、韓国では1987年の6月抗争があったし、共産党独裁の終末というはるかに根本的な体制変化を達成しながらも、その極めて平和的な性格から「ベルベット革命」という名がついた1989年チェコスロバキア(当時)の市民革命もあった。だが、韓国の全斗煥政権やチェコの共産党政権下ではともに自由な選挙空間を奪われ、市民蜂起以外に道がなかったという共通点がある。その反面、87年体制が獲得した選挙空間は、たとえ2012年李明博政権の不法な選挙介入によってひどく汚染され、朴槿恵政権期の「漸進クーデター」の試みに脅かされていたにせよ、次の大統領選挙を放棄せねばならないほど閉ざされた状態ではなかった。その上、2016年4月の総選挙が「漸進クーデター」の試みに一撃を加え、政権交代の可能性は高まってもいた。それにもかかわらず、市民が大々的に出動し、任期が残った政権を退陣させるのは、独裁政権に対する蜂起とは異なる次元の事件である。ある意味では、独裁体制と闘う時よりも大衆の蜂起が難しい面があるからだ。私自身もそうした困難に注目していたので、早くから「2013年体制」の建設を主唱し、87年体制を克服する「大転換」を夢見てきたが、「キャンドル革命」と朴槿恵の中途退陣を予見できなかった。

まさにこのことを、韓国の「キャンドル革命」が成し遂げたのだ。大衆参加の規模も「ベルベット革命」と比較にならないだけでなく、チェコの「市民フォーラム」のような指導部がない状態で、秩序整然かつ徹底して平和的に、前例がないほど多様かつ粘り強く、創意的な大事件が実現した。こうしたあまりに「おとなしい」デモへの不満が一部の参加者や論者によって表明されもした。だが、「キャンドル」の平和デモは原理的な平和主義というより、現実的な成功のために「集団知性」が選択した卓越した戦略と見るのが正しいようだ。 4

もちろん、2016年のキャンドルは87年抗争の再演ではなく、全く異なるタイプの市民革命である。そして、それが可能になったのには客観的条件の変化も加勢した。その一つは、87年に一応達成された民主的な憲政秩序である。これがなかったなら平和的なデモは、三・一独立運動時(1919年)もそうだし、5・18光州抗争時(1980年)もそうで、87年6月抗争でも一部そうだったように、当局の無慈悲な弾圧に曝されただろう。87年体制下でも平和デモに対する強制鎮圧はもちろんあったが、朴槿恵―崔順実の国政蹂躙と不正腐敗により大多数の国民の憤怒が爆発した時、強権を振り回しうる体制ではなかったのだ。

キャンドル革命を可能にした他の客観的条件は、この間に発達したスマホなどの先端コミュニケーション機器とSNS(社会関係ネットサービス)の大々的な普及である。2008年キャンドル・デモ当時、ニュー・メディアが大きな役割を果たしたが、その後8年たって実現した技術発展と暮らしぶりの変化は当時とは次元を異にした。こうした様々な条件の土台の上に、三・一独立運動以来百年近く続いてきた平和的抵抗運動の伝統と学習がついに光を放ったのである。

余談だが、私は2013年体制づくりの失敗で大いに傷心していたが、今思えば、必ずしも不幸なだけではなかったと思われる。まず、当時野党候補が執権した場合、いくら準備と能力が不足したとしても、朴槿恵大統領よりもできなかったとは想像しがたいが、ただその事実がわかる人は珍しかっただろう。「朴槿恵が当選したら、これほどではなかったろうに…」という人が大多数だった可能性が高く、それで2016年総選挙にセヌリ党が勝利し、2017年大統領選に朴槿恵がまた出馬して圧勝した可能性が高い。さらに、朴槿恵氏は選挙運動期間や就任当時の華やかな公約に大部分背いたが、「100%国民統合」という約束だけは、逆説的に95%達成したと思われる。弾劾訴追による職務停止の直前、彼女に対する世論支持度は4~5%に過ぎず、応答者の90~95%が男女老少、地域や世代の違いを超えて否定的な評価によって「統合」されたのである。 5 のみならず、政権交代ではなく、それをはるかに超える「時代交代」をしようという公約も、50%程度は達成したわけである。時代の大々的な交代のために、広場のキャンドルが結集してつくり出し、未曾有の市民行動で社会と参加者の生活をかなり変えたからである。公約の巨大さに比べ、50%は十分な達成率といえよう。

 

Ⅱ.キャンドル革命の展望と課題

キャンドル革命が「未完の革命」に終わる可能性は、もちろん残っている。だが、私たちが失敗した革命と未完の革命、限界をもったままで一応成功した革命を、きちんと区別する省察を行なう必要がある。

キャンドルが国会の弾劾訴追決議を引き出しても、もし憲法裁判所で弾劾が棄却されれば(その後の事態がどういう形で進行するにせよ)、キャンドル革命としては一応失敗というべきであろう。こういう失敗は現在では想像しがたい。憲法裁判所の裁判官の法律家的な常識とプライドも無視できるものではなく、何よりも弾劾過程における市民行動がすでに「見せ場」を作った局面である。弾劾可決後の寒い天気にもかかわらず、全国で100万余人が街頭にくり出した12月10日の第7回集会は、232万人という歴史上最大規模のデモで国会の弾劾可決を強要した12月3日の第6回集会に劣らない意義をもつものだった。新年になり、憲法裁判所の迅速な審議の進行と猛烈な寒さの襲来によって参加者数は多少減ったが、朴槿恵退陣以外のいかなる結果も許さない、という勢いは旧正月後も確固たるものにみえる。

「未完の革命」は少し問題が異なる。代表的な前例に上げられるのが、1960年4月革命だが、市民が血を流して蜂起し、李承晩大統領を退陣させたという点で明らかに失敗した革命ではなかった。だが、デモの群衆が要求した再選挙の代わりに既存の国会による改憲が実現し、7月の選挙で民主党が執権したが、翌年朴正熙の5・16クーデターで軍事政権が成立した。最近よく使われる「トンビに油揚げ」という表現をかりれば、初めは比較的主人の言葉をよく聞いた温厚な犬が、結局は真に荒々しい犬になる結果をもたらしたのだ。

キャンドル革命が未完に終わるシナリオとは、弾劾後60日以内に行われる大統領選挙で、キャンドル市民が要求する新社会づくりを遂行できる意志とか、能力がない人物が当選する事態だろう。4・19の経験をふまえて留意すべき点は、改憲が実現するとか、政権交代が実現したとしても、「未完」の憂慮が消えるわけではないという事実である。改憲問題は後でまた言及するが、政権が交代してもキャンドルの民心に対する共感や認識が不足するとか、その課題を実行できる能力がない大統領であれば、混乱のみが増す憂慮がある。軍事クーデターが再発する時代ではないにしても、事実上軍部よりもっと強力な今日の既得権勢力がそのまま残って古い社会を別の方式で蘇らせ、ついには次の大統領選挙で大統領を取り戻す可能性が濃いのである。

6月抗争後の事態をみても、「未完の革命」とか「トンビに油揚げ」という論者が少なくない。だが、これは社会変革より政権の行方に執着する話だと言える。「両金(金泳三・金大中)」の分裂によって87年体制の最初の大統領を盧泰愚に渡したことは、6月抗争に参加した人々には地団駄を踏む出来事であり、実際に改革作業に多くの困難をもたらしたのは事実である。しかし87年12月の選挙は、以前の軍部独裁勢力が「護憲撤廃」という国民の要求を受け入れ、7~8月の労働者大闘争を通じて労働者の市民権獲得が始まり、かなり民主化された憲法を制定した後に行われた選挙だった。従って、盧泰愚政権も87年体制の大きな流れに逆らいきれず、金泳三、金大中、盧武鉉政権へと続いて民主化のさらなる進展があった。いわゆる「民主改革陣営」の人々は、李明博・朴槿恵政権が「民主政権10年」の成果を逆転させたと言いがちだが、紆余曲折の形ではあれ、初期の20年間に進められた民主化を、野党政権10年に限定するのも一種の陣営論理である。こうすると、李明博・朴槿恵が盧泰愚・金泳三の「保守政権」と区別してしかるべき「反動」と「逆走」の政権だった点があいまいになる。87年体制は、1953年の停戦協定体制と分断体制という過去の軍事独裁体制の基盤を共有した生来の限界をもっていたが、南の社会として一応大転換を実現した市民革命の成果という評価も、87年体制の初期10年の成果を認めることで説得力をもつ。 6だから、野党が政権獲得に失敗した選挙であった87年12月の大統領選挙は、今回の第19代大統領選挙に比べると決定的な転換点ではなかったと思われる。現在は新しい社会に対する広場の要求がある程度は議題化されてはいても、制度化はほとんどできていない状態で、その作業の大部分を――2月の国会で一部は実現したとしても――遂行する大統領を選ばねばならないヤマ場なのである。

キャンドル市民の要求が単なる政権交代を超えて、この間「ヘル・コリア」をつくり出した韓国社会のあらゆる積弊を清算し、新たな時代の幕を開けろという点は明白である。具体的な議題でも、特別検察捜査を通じた人的な清算、財閥改革、検察改革、選挙制度改革、教育改革、地方自治の強化など、多くの課題が提示されている。問題はこれらの大部分が広場の喊声だけではなく、熟議と立法の過程を要する作業であり、次期政権の性格に決定的に左右される作業でもある。従って、今は「終わりではなく始まり」であり、「朴槿恵以後の『誰』ではなく、朴槿恵以後の『何』を語るべきだ」 7という指摘は一応傾聴に値するが、早期の大統領選挙が確実視される現時点で再考する必要がある。 8「何」をやるかは結局人であり、「誰」を語ることを避ける市民社会の活動家や知識人の態度には、「お供えに目を凝らす」という非難と、特定候補を上げたり下げたりする印象を避けようとする慎重さが作用しているのは事実である。

ここで本格的な人物論を行なう考えはないが、キャンドル革命で「政権交代」というフレーム自体に重大な変化が起きたことを指摘したいと思う。政権交代が時代交代の必要条件の一つであるのは言うまでもないが、私は「2013年体制づくり」を掲げた時点で、ただ選挙勝利にのみ執着しては選挙勝利(=政権交代)さえも逃がしやすいという点を強調した。実際、大統領選挙に敗北して朴槿恵政権にひどく苦しみながら、政権交代に対する国民の熱望はより強くなっていたし、関心は一体誰が朴槿恵とセヌリ党の牙城を崩して選挙勝利を成し遂げうるかに集中された。大統領選挙の敗北後、文在寅民主党前代表に対して全羅道の民心が背を向けた最も大きな理由も、彼が政権交代をなしうる人物ではないという判断であり、それでも全国的に彼の支持率1位が維持されたのも、それなりに知られているし、前回選挙で48%の得票という前歴がある彼を除いては、適当な候補が見つからないという理由だったろう。

キャンドル革命で朴槿恵と親朴系が没落し、セヌリ党が分裂したことで状況は大きく変わった。実は、私は87年体制下で「国民統合」が論議されるたびに、これは分断国家・韓国の現実を軽視した理想論であり、現実としてはセヌリ党が政権を失った後でこそ、守旧勢力主導の守旧・保守同盟から合理的な保守主義者が離れていき、意味ある社会統合が可能だろうと主張してきた。 9しかし、早くて2018年に可能と思ったこの宿題を、キャンドル革命が一気に達成した。つまり、キャンドル革命でまだ完遂されたわけではないが、現政権と与党に壊滅的な打撃を加えたことで、市民は政権交代を半ば達成したわけである。

潘基文氏の不手際な行動と突然の出馬放棄で、その点はより明確になった。一方で、文在寅氏が与党候補の誰を相手にしても勝利するだろうという展望が高まり、いわゆる彼の大勢論が力を得ている反面、政権交代を史上目標とするフレームが弱まる気配も見られる。少なくとも、「反文在寅連帯の大テント」構想が致命傷を受け、大勢論が87年体制内の政権交代に向けた大勢なのか、新社会づくりをなしうる大勢なのか、を検討する余裕が生じた。「果たして文在寅が勝てるだろうか」を問う状態から「そうだ、勝てる確率が高い」という展望が高まって先頭走者の立場が強化された。その反面、「これなら、政権交代は誰が出てもほぼできるのではないか」という考えとともに、「それなら今こそ、誰がキャンドル後の大韓民国を率いるのに最も適わしいか」、「単に一票でも多くとって当選できるかではなく、誰がキャンドル共同政権の構成と運営に最も有能なのか」 10という点に関心が移る兆しもみえる。

特定候補に対する有利か不利かを離れ、これは望ましい進展である。問題は「誰」の適合性をどのように決定するかである。もちろん、各党にはそれなりの党憲と予備選の規則があり、連合候補のための政界の離合集散も可能である。だが、市民がキャンドル革命で社会を変えてきたのに、次期政権の行方は古い時代と大きく変わらない方式で、政党と政治家が思い通りに候補を決め、国民はそのうちの1人を選択しろというのは馬鹿げた話である。キャンドル市民が大統領候補の選定過程にも何らかの形で介入するのが道理であり、ただ大規模なキャンドル集会がその作業に適合した現場ではなく、集会を主管してきた「朴槿恵政権退陣非常国民行動」も性格上そうした作業を管掌しがたい。その一方、「民主、正義、平和、平等のキャンドル市民の名誉革命を完遂するために、『広場民主主義』の意志を結集しうる『改革主体』として、『国民運動体』を樹立」しようという「千人宣言」(2017年1月18日)が出されるとか、「退陣行動」に参加しているいくつかの個別団体の主催で重要な政治家を招いて市民討論を行なう方案も模索していると聞く。私自身は特別な妙案をもっておらず、昨年末に発表した「新年コラム」における、次のような原論的な主張を繰り返したい。

 

ある特定の方式が最善だとはじめから決めておく代わりに、今までのキャンドル革命がそうであったように、多様かつ開放的な態度で実験を重ねていくならば、市民自らも従来の固定観念を振り払う自己教育の過程になり、集団的な知性が再び輝くのです。キャンドル集会や「万民共同会」に主要候補を招いて話を聞いてみることもできるし、規模を少し縮小してより沈着な討論と評価をやってみる方法もあるでしょう。どんな場合でも、SNSなどを通じて討論の続きや検証も当然あるでしょう。時間は多くありませんが、いま始めれば民意がより忠実に反映される方法が生まれるでしょうし、直接民主主義と熟考する民主主義を同時に強化し、代議民主主義も改善する先例を生み出せるでしょう。 11

 

Ⅲ.「朴正熙モデル」の克服

ところで、「誰」に対する論議が必要なように、「誰」を点検する時に「何」を、どのようにやり遂げる人物なのか、が重要な基準になる。そうした点で、キャンドル革命の課題として重要と提起された、いわゆる朴正熙モデルの克服について考察してみたいと思う。

一部では、朴槿恵の弾劾とともに維新時代がついに幕を下ろしたと診断して、朴槿恵が没落してついに「朴正熙神話」も終わったと、時期尚早に喜ぶ声も聞かれる。「時期尚早」というのは、朴槿恵の当選後、政府によって人為的に拡げられた朴正熙神話が、その娘の想像をこえる国政失敗と、これに対する国民的な断罪でほぼ致命的な損傷を受けたのは事実だが、同時に「父親の四半分だけでも……」という思いが残る人も珍しくないからである。 12より重要なのは、「四半分もできなかった」というのは厳然たる事実であり、朴槿恵に対する断罪とは別に、朴正熙および朴正熙時代に関するより科学的な評価が伴わなければ、「神話」の復活もありうると思う。 13

維新時代がついに終わったとの主張も正確な表現ではない。維新政権の亡霊を蘇らそうとする朴槿恵の試みに死亡宣告が下されたのは確かだが、厳密に言えば、維新体制は1979年釜馬抗争と10・26事件で崩壊した。全斗煥政権が亜流の維新独裁を6月抗争時まで引き継いだとしても、87年体制の定着によって維新時代を蘇らそうとするのは不可能になった。くだらない復元の試みが混乱を極大化させただけである。

他方で、朴正熙式の経済成長モデルというなら、これは今も威力があって、きちんと克服できなければ、朴正熙神話の復活の助けになる可能性が高い。ただこの場合も、正確にいかなる経済モデルを指すのかを検討する必要がある。

経済成長の追求自体は資本主義の一般的属性なので、それと朴正熙モデルを同一視するのは、資本主義的成長の多様な経路を単純化するだけでなく、「朴正熙モデル」をむしろ簡単には克服できなくしてしまう。一部では「新自由主義」と朴正熙モデルを同一視しているが、世界的に新自由主義が資本主義の新たなパラダイムとして登場したのは1970年代であり、それは色々な面で朴正熙式の発展国家モデルとは相反する性格だった。朴正熙時代の経済成長はたとえ貧富の格差を拡大したにせよ、基本的に「国民経済」を単位としたのに比べて、新自由主義はグローバルな資本家階級の利益を絶対視し、個別の国民国家はそうした汎世界的な階級利益の極大化に従事する道具という性格を強めたものとみなければならない(もちろん、そうした機能の遂行に必要なほどの国民経済の備えは許されるが)。韓国に新自由主義が本格的に入ってきたのは、多くの論者が指摘するように、1997年の国際通貨基金(IMF)の救済金融が契機であり、いわゆる進歩的な論者があまり認めない点だが、その時の金大中、盧武鉉政権は対案を模索する努力もせずに一方的に導入したわけではない。李明博・朴槿恵政権になってこそ、それが一層勢いを増したが、それでも朴正熙式の開発独裁に対する政権担当者の未練と「封建的な」利権勢力の温存によって、新自由主義と前近代的な発展主義が入り混じる奇形的な経済が形成されたと判断される。

それゆえ、朴正熙モデルを国家主導の発展国家または「開発独裁」に限定して理解するのがより相応しく、生産的なようだ。それを通じて韓国は目を見張る高度成長を実現した代わりに、政経癒着と不正腐敗、格差の拡大と社会葛藤の深化など、今日の韓国経済の足を引っ張る問題点を抱えるに至った。その正確な様相は専門家の分析に任せるが、朴正熙モデルの成立条件として必ず指摘すべき――実は、専門家がかなりよく見逃す――事項がある。つまり、独裁政治と経済成長を結合した朴正熙式の開発は、朝鮮半島の分断と南北の対決状態、そしてグローバル次元の冷戦体制という現実の中で可能だった、という事実である。5・16革命公約の第一項は「反共を国是の第一義」とみなし、塗炭の貧困に苦しむ民生を救い出すクーデターの名分とは直接的な関連がないスローガンであり、実際に執権期間中、朴正熙は李承晩時代に劣らない大々的な「アカ狩り」を行なった。7・4共同声明など南北和解を志向するような措置を取ったが、すべて自らの権力保全と独裁強化に徹底的に利用した。

朴正熙モデルのこうした成立条件は、87年以後もきちんと清算されなかった。87年体制は1961年以来の軍事独裁を終息させたが、独裁に堅固な基盤を提供していた1953年以来の分断体制を克服できなかったことで、決定的な限界を抱えて出発したという診断も、そうした意味である。独裁の清算にかなりの成果が実現される中でも、経済と国民意識の多くの部分で朴正熙モデルが依然として威力を保ち、ついには「朴正熙ノスタルジア」に染まった勢力の大々的な反撃を許したのも、まさに「朴正熙モデルの成立条件」の本質的な持続性のためだった。それゆえ、キャンドルが要求する新社会に適合した経済・社会パラダイムをつくる作業は、87年体制のこうした限界を克服する作業でなければならない。実際、守旧・保守勢力は87年以後も厳存する分断の現実を徹底的に意識し、「従北狩り」や「安保危機」を造成して自らの既得権を強化してきた。それでも、対案的ビジョンを標榜する多くの知識人や活動家が今も、分断のない外国の「先進的」モデルを模倣しようとするか、とにかく南だけの完全な自由民主主義、社会民主主義、社会主義、または平和国家のような、各種の先進社会を建設しようと没頭するなら、「後天性分断認識欠乏症候群」と揶揄されるのは避けられないだろう。知識人の言説も、キャンドル革命の成果として従北言説がかなり弱まり、効果が落ち始めた今回の機会を十分に生かすべきであろう。

 

Ⅳ.改憲に関して:憲法と裏憲法

差し迫った大統領選挙の日程にてらし、その前に改憲するというのは常識的に納得しがたい。それでも早期改憲が主張され続けている。私が思うに、これは実際にできるか否かの改憲推進を環にして、「大テント」や「小テント」をつくろうとする政略的な下心か、たとえ政略を離れた本心だとしても、金南局教授の指摘通り、市民より国家を優先する国家主義的な発想である。 14いずれの場合もキャンドル市民の民心とはかけ離れたもので、今回のキャンドルは1987年のような改憲運動ではないばかりか、敢えて言えば、護憲運動に近い。憲法に明示された民主共和国の骨格を守ろうとする主権者が直接立ち上がったのであり、何よりも「憲法が守られなかった国を憲法が守られる国へと変えるという、より本質的な革命」 15が起きたのである。もちろん、キャンドル革命で社会が変わっているので、憲法もそれに合わせて改定するのは正しい。改憲論者が直そうとする条項が、キャンドル市民が守ろうとした憲法第一条でないのも事実である。ただ、どの条項をどのように直すのかに関する討論に、市民が十分な時間をかけて幅広く参加すべきである。従って、改憲論議自体を無条件で先延ばしにするのも適切ではない。むしろ、候補や政党ごとに自らの改憲構想と予想スケジュールを提示して選挙に臨むのが道理だろう。

憲法を論議する時に忘れてならない点は、大韓民国には公布された成文憲法以外に、一種の「裏憲法」が存在するという現実である。統合進歩党への解散判決の時、憲法裁判所自らが明らかにしたように、大韓民国の法秩序は「北韓という反国家団体と対峙している大韓民国の特殊な状況を考慮」して運営されるので、憲法第1条や第10条、第11条などが保障する国民のあらゆる権利も、「分断という特殊な状況」によって制約されてきた。その端的な表現が国家保安法だが、 16より広くは「アカと見なされた者には権利が認められない」という一種の慣習憲法が作動してきたのである。政界の改憲論者が主に狙う「帝王的大統領制」の本当の根も、実は、この慣習憲法、裏憲法にある。実際に87年憲法は、従来の第五共和国憲法や維新憲法に比べると、大統領の帝王的権限を画期的に制限し、その憲法がきちんと守られれば、かなりの程度は分権型の政府運営が可能であった。もちろん、もっと手を加える余地がないわけではない。特に、中央政府の権限を大統領と首相の間でどのように分担するかという話の前に、地方自治を強化して中央政府の権限を縮小する必要があり、国民の基本権を拡張して政府全体の権限を相対的に減らすべきだろう。しかし、87年市民革命でも完全になくせなかった裏憲法を残したまま成文憲法を直すだけなら、本質的には何も変わらないに等しい。

だから、私たちが最も急ぐべき改憲とは、この裏憲法の廃棄である。裏憲法は成文化されたものではないので、国会で改定する性質ではない。方法は主に二つあると思われる。第一に、南北関係の改善・発展を通じて北韓を「反国家団体」とか「主敵」としてよりも、交流・協力および究極的な再統合の対象とみなす国民意識の変化である。これは実際に、87年体制最初の20年間にかなりの進展をみせたが、李明博政権以来の逆走を重ねた結果、今回のキャンドル群衆の間でも「南北関係の改善」が至急の課題として浮上しないほどになった。この間、南北関係の悪化が分断体制のもう一方の軸である北韓の行動に起因した面を勘案しても、韓国内で裏憲法の作用が南北関係の改善を妨害し、ついには盧泰愚政権以来の成果を逆転させる結果をもたらしたのも否定できない事実である。第二に、国内で裏憲法を信じて様々な不正・腐敗と国政蹂躙を犯す輩を罰し、「文字にあった憲法第一条を今こそ全国民が歌い、身をもって書こうとしている時代」 17を切り開いて裏憲法を無力化する道である。完全な廃棄まではまだ道が遠いが、キャンドル革命によってその作業がどの時よりも大きく進展した。弾劾審判の大統領側弁護人がキャンドル群衆をすべて「親北左派」で括った発言も、裏憲法の戯画化・無力化を手助けするのに貢献したといえる。

 

Ⅴ.キャンドルと朝鮮半島、そして世界体制

1987年当時、「民主」とともに「自主」と「統一」が運動圏の主要スローガンだった。その時は今より「分断認識欠乏症候群」はもっと少なかった。ただ、分断を意識しているが、南北双方で支えあう分断体制に対する認識は乏しかったので、87年体制は民主化をきちんと遂行し、次の段階に躍進する過程につなげることができなかった。キャンドル群衆もまた分断体制に対する認識で武装しているとは言いがたく、南北関係に対する市民の問題意識も広場で間歇的に表現されるにとどまった。だが、前に指摘したように、裏憲法を廃棄して完全な民主共和国を実現するという作業には、国内での民主憲法の守護と南北関係の発展という二つの道があり、その二つが緊密にかみ合っているという認識こそが、「分断体制論」の核心である。この間、南北関係の悪化が裏憲法の受恵者の横暴を助けてきただけに、彼らに対する確固たる断罪は南北関係の改善に再び道を切り開くし、これはまた韓国社会の民主化と正義の実現に貴重な貢献となる。このようにかみ合って展開されるキャンドル後の新たな社会は、南の人々の生命と安全を守り、生活の質を高めるためにも、南北の緩やかな結合をまず図るもので、究極的には世界史になかった新たな形態の汎朝鮮半島的な共同体を建設する変革を成就しうるであろう。 18

最後に、キャンドルの世界史的な意義について、一言付け加えたい。2016~17年韓国のキャンドル革命でもう一つ特異な点は、世界的に民主主義が後退し、暴力が乱舞する時期に起きたという事実である。ソ連と東欧の独裁政権が崩壊した大勢に乗った「ベルベット革命」や6月抗争などの一連の変化とは対照的である。その時以後、資本主義の世界体制は気候変動をはじめとする生態系の危機が一層深化する一方で、グローバルな資本過剰、人工知能・ロボットなどの画期的な発展による働く場の縮小傾向、国際秩序を管理していた国家間体制の衰退による局地戦の増大と難民の大量発生など、諸問題に対処しうる能力をほぼ喪失した状態である。これによる大衆の不満は時おり「オキュパイ運動」のような民主的な改革運動を生みはしたが、大抵は米国トランプ大統領の当選やヨーロッパにおける極右政党の勢力拡張に見るような、ファシズムに近い形をとりがちである。まさに、そうした大勢に逆らう市民革命が韓国で起きたのである。これはキャンドル革命の今後がそれだけ険しく、難しくなりうるという意味でもある。国際関係や世界経済の現況がともに87年体制の枠内での政権交代では支えきれないレベルであるのはもちろん、南という枠を超えて朝鮮半島と東アジアで、世界史の隙間に活路を発見していかない限り、今後の見通しは立たなくなっている。このためにまず、大韓民国に実力を備えた民主政権を樹立すべきであり、南北関係の画期的な改善を通じて韓国経済の活路を求めると同時に、東アジア、さらにはユーラシアの地域協力で朝鮮半島が障害物になってきた現実を打破しなければならない。そうすれば、すでに始まった天下大乱期に不可避の混乱を他より少なくして生活基盤を確保できるし、世界が大乱期を越えて新たな文明建設へと進んでいく過程でも、創造的かつ比較的安全な拠点を提供しうるであろう。

翻訳: 青柳純一

Notes:

  1. 講義と質疑応答、討論はマロニエ放送(http://www.maroni.co)で録画し、ユーチューブに流れた。
  2. 合わせて、廉武雄教授の細橋研究所での年頭特講(2017年1月20日)「キャンドル、広場と密室、そして想像力」と会員の討論からも多くを学んだ点を明記したい。
  3. 徹底して平和的という点で「名誉革命」と呼ばれたりもする。これは、英国の立憲君主制を確立した1688年の革命を英国人が the Glorious Revolution(名誉な革命)と呼び、「名誉革命」と翻訳してきたことに借りた呼称だが、英国の当時の王朝交代自体は1640年代のピューリタン革命に比べて流血事態が少なかっただけで、完全な無血革命ではなかった。
  4. 2016年11月、広場の多様な声を載せた文集『11月:すべての権力は国民から生まれる』(サムチャン、2017年)でも平和主義に対する批判を時々目にする。例えば、「キャンドルは燃やし続けねばならない。だが、警察が定めたポリスライン内で、裁判所が指定してくる集会空間内で、保守マスコミが賞賛する平和フレーム内における歓呼と喊声だけでは物足りない。闘いに勝とうとすれば、あるいは相手を驚かしたければ、予測可能なシナリオで進むのは難しい」。(高東民「労働者、キャンドルと出会う」57頁)これは原論上、正しい言葉だ。だが、キャンドル・デモの平和的で、たぶんに祝祭的な性格こそ、最も「相手を驚か」した集団知性の成果ではないか。「朴槿恵後を悩む既得権勢力には、キャンドルの民心がいつ平和集会のフレームから脱するかが本当の恐怖なのだから」(同頁)という診断も半分は正しい。一方で、彼らが4・19のような激烈な大衆行動を気にもしようが、「暴力デモ鎮圧」という手慣れたフレームこそ、彼らが希望することでもある。
  5. マスコミ報道でよく言われる概略的な数字だが、大統領が職務遂行時に「間違った」という評価と、弾劾審判を前にした状態で弾劾に賛成するか否かは区別しなければならない。最近の世論調査では、大略15%内外が弾劾に反対すると伝えており、朴槿恵退陣後のキャンドル革命の完遂を妨げようとする勢力は、それ以上の可能性が高い。
  6. 例えば、拙稿 「大きな積功、大転換のために」、白楽晴他著『白楽晴が大転換の道を問う:大きな積功のための専門家7人のインタビュー』(チャンビ、2015年)、22~26頁を参照。
  7. 金錬鉄「まだ行くべき道は遠い」、ハンギョレ、2016年12月12日、27頁。
  8. 金錬鉄教授自身も、韓平アカデミーの講義後の討論で、「誰」を考え始める時だという点に同意した。
  9. 例えば、拙著『2013年体制づくり』(チャンビ、2012年:日本語版は『韓国民主化2.0』、岩波書店、2012年)、73~75頁。
  10. 「キャンドル共同政権」は、朴元淳ソウル市長が主張したスローガンだが、次期政権は誰が当選しても与小野大が不可避なので、改革課題の遂行のために与野党を超える幅広い「連政」が必要であるという、安熙正忠清南道知事の発言もそれと一脈通じる。「キャンドル共同政権」が確かに既存の野3党の共同政権に局限されるべき理由はないからである。だが、「大連政」は話が違う。通念上、大連政とは二つの巨大政党の連立政権を意味するが、安知事はセヌリ党が改革課題に賛同するのが前提だとしても、民主党がセヌリ党と大連政をするのは名分も薄弱で、現実味も乏しい。安定した国政運営のためならば、野3党の「小連政」だけでも国会の過半数が確保され、「正しい政党」まで参加する「中連政」ならば、セヌリ党による国会先進化法の悪用を防いで改憲さえも可能になる。「正しい政党」が参加するのに、選挙に負けて過ちを悔い改めた(?)セヌリ党が参加できないのはどうしてだという論理も可能だが、そういう調子で立法部内の反対派を根絶やしするのが健康な事態かは疑問である。
  11. 拙稿「新年も動きましょう」、『チャンビ週刊論評』(weekly.changbi.com)2016年12月28日、同日のハンギョレに同時掲載(日本語版は『世界』2017年4月号に掲載された白楽晴「今年も動きましょう」252~254頁)。
  12. 少なくとも、大邱地域では朴正熙神話が大きく揺らいでいないことを物語る現場報告として、ハンギョレ2017年1月12日、10頁の記事「朴槿恵が嫌でも左にはいかない……朴正熙の顔に唾するのがシャクにさわる」を参照。
  13. 10年前の文章で私は次のように主張したが、今も基本的に同じ考えである。「朴正熙に対するノスタルジアこそ、朴正熙時代の最悪の遺産に属する。基本的な諸般の権利に対する無関心、人間の苦痛と貧困に対する無感覚、対話と妥協を通じた問題解決に対する拒否感、そして『いい暮らしをしよう』という乞食の哲学以上のすべての個人的または共同体的な哲学に対する無知などを、そのまま内蔵しているのが『朴正熙ノスタルジア』である。こうした遺産は、朴正熙時代に対する適切な判断がなされ、朴正熙また彼の正当な役割が認められるまでは、その病的な作用をやめないであろう」。(拙著『朝鮮半島式の統一、現在進行形』、チャンビ、2006年、第14章「朴正熙時代をどのように考えるか」、275頁:青柳純一訳『朝鮮半島の平和と統一――分断体制の解体期にあたって』、岩波書店、2008年、137頁)
  14. 金南局「改憲、国家主義的な近道の誘惑」、ハンギョレ2017年1月16日、27頁。
  15. 前掲の拙稿「新年も動きましょう」。
  16. 拙著『2013年体制づくり』、「韓国民主主義と朝鮮半島の分断体制」144~147頁を参照。
  17. 韓寅燮「『主権者革命』の時代へ行進するために」、ハンギョレ2016年12月17日、14頁。
  18. 本稿では、別途の論議を自制したが、朝鮮半島体制の変革を志向する国内の改革的な統合路線を、私は「変革的中道主義」と呼んできた。これに対する人々の論議を集めた本として、鄭鉉坤編『変革的中道論』(チャンビ叢書5、チャンビ、2016年)、そして注6)にあげた拙稿「大きな積功、大転換のために」の第6節「何が変革で、どうして中道なのか」(56~63頁)を参照。
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〔対話〕 私たちはろうそくを手に取った: 垣根を崩した若者たち

2017年 春号(通巻175号)

〔特集〕「ロウソク」革命、転換の始まり
〔対話〕私たちはろうそくを手に取った
――垣根を崩した若者たち

禹知樹(ウ・ジス)梨花女子大総学生会長
李知垣(イ・ジウォン)フェミニズムアクショングループ「江南駅10番出口」活動家
千雄昭(チョン・ウンソ)「参与連帯」市民参加チーム長
李振赫(イ・ジンヒョク)創作と批評社・季刊誌出版部編集者

 

李振赫(司会) 2016年10月27日、いわゆる影の実力者と言われた、崔順実氏のものと推定されるタブレットPCの存在が報道されて以降、朴槿恵大統領の憲法違反の情況が次から次へと明らかになっています。報道の当日、2万人がろうそくを持って集まったのを契機に、毎週土曜日、光化門広場でろうそく集会が開かれ、わずか2か月の間で累積参加者数が1000万人を超えたという集計もありました。みなさんご存じのように、このような史上最大規模の汎国民的な抵抗によって、昨年末の12月9日、大統領が弾劾訴追され、憲法裁判所の判決によって早期の大統領選挙など、大きな政治的転換の局面を迎えることになった状況です。このように巨大なろうそくの波が、単にタブレットPCという物質証拠、ないし国政介入に対する怒りだけで、一日で爆発したわけではないと思います。「朴槿恵退陣」とともに噴出した「これが国か!」というスローガンでも、これまで朴槿恵政権下で山積した弊害に多くの人々が怒ったことを確認できました。あわせてセウォル号沈没事件にしても、真相究明の運動、江南駅10番出口殺人事件の追悼集会、星州のTHAAD(高高度ミサイル防御体系)反対集会、梨花女子大本館占拠、文化界ブラックリスト真相究明の活動など、各界で不正に抵抗してきた結果が、今回のろうそく集会として噴出しているのではないかと思います。今回の「対話」では、朴槿恵=崔順実ゲート以前から、各自の領域で活動し、ろうそくを持って広場に集まった若者たちと話を交わします。まず各自、簡単な自己紹介をお願いします。

李知垣 私は昨年、江南駅女性殺害事件を契機に作られたフェミニズムアクショングループ「江南駅10番出口」で活動しています。2016年5月17日に、地下鉄2号線・江南駅で、ある女性が殺害された時、多くのマスコミが「無差別殺人」と報道しました。そのようななか、あるネット活動家が投稿で「これは女性嫌悪殺人だ」と指摘し、この問題意識に共感した人々が全国的に3万5千枚余りのポストイットメッセージを集めるという、フェミニズム運動が起こりました。このことを通じて、「女性嫌悪」という用語が社会的なイシューになったことも、やはり1つの成果だと思います。以前まで、社会に蔓延した性差別を具体的に語る用語がこれといって別途にありませんでしたが、この運動を通じて「女性嫌悪」という用語=武器を得たわけです。もちろん同意しない人もいます。その時を起点に、2016年6月6日、「女性嫌悪に抵抗するみなの共同行動」という集まりを組織し、その後、ゲーム会社ネクソンの声優交代反対運動や堕胎罪廃止運動を行いました。今回のろうそく集会では「フェミゾーン」(Feminist Zone)活動や「フェミニスト時局宣言」「フェミニスト時局討論会」を行いました。江南駅女性殺害事件がろうそく集会の量的拡張に寄与したとは思いませんが、政治的主体として、広場の民主主義を拡張させたのではないかと思います。

禹知樹 私は明確に特定の領域で活動したわけではありませんが、大学に通って着実に学生会で仕事をしてきました。そうするうちに今年は学生会長に当選しました。学校に通う間、毎年、大きな社会的イシューがありました。2013年には国家情報院の大統領選挙介入問題がありましたし、2014年にはセウォル号沈没事件や鉄道民営化が、2015年には国定教科書問題がありました。このようなイシューがあるたびに力を得ましたし、朴槿恵=崔順実ゲートを契機に、ろうそく集会にも参加することになりました。昨年の梨花女子大本部占拠闘争は、今回のろうそく集会にも少なからぬ影響を及ぼしたと思います。梨花女子大の未来ライフ学部の新設をめぐる学校と学生たちとの間の葛藤は、去年の夏から始まっていました。学校の非民主的な行政に反対して集会を始めましたが、その過程でチョン・ユラの裏口入学が表面化し、崔順実という存在が世の中に知られるようになりました。

千雄昭 私は「参与連帯」市民参加チームで活動しています。今回のろうそく政局では、「朴槿恵政権退陣、非常国民の行動」(退陣の行動)に派遣され、執行・企画チームにいます。活動期間は9年ほどで、これまで何度もろうそくを持って広場に行きましたが、そのたびに成長しているという印象を受けています。

 

一千万のろうそくと新たな民主主義

 

李振赫 現場で参加した方々も、テレビを通じて見た方々も、みなさん感じられたでしょうが、今回、ろうそくを持って集まったものすごい人波は、本当に驚くべきものでした。そのうえ、類例のない多様な年齢や多様な階層が集会に参加しました。どうしてこのようなことが可能だったのでしょうか?

千雄昭 予想できないほど多くの人が集まった事実と同様に、驚くべきだったのは、彼らがが持続的にろうそくを手にしたということです。おっしゃった通り、多様な階層や年齢が、それぞれ異なる契機や経験をもとに、ろうそく集会に参加しましたが、集会が繰り返されながら、互いに影響を受けた側面があるのではないかと思います。最初は互いにギクシャクしました。これまで蔓延していた男性中心的な発言や、少数者が疎外される集会文化に対する批判ないし受容が肯定的なエネルギーとなり、ろうそく集会のもうひとつの動力になったようです。互いに対する信頼が強くなったとでもいいましょうか。いまや単に長年の弊害を清算するという次元を越えて、新たな社会を夢見るところにまで発展していきつつあると思います。

禹知樹 大学の休みの間に、梨花女子大の多くの学生たちが学校で集会を行ったのは、崔京姫前総長に対してこれまで積み重なった不満が一度に爆発したのだと思います。ろうそく集会も似ていますが、李明博政権、朴槿恵政権と続きながら、積み重なった怒りが集結したような感じです。また「ヘル朝鮮」や「土の匙」のような用語でもわかるように、若者たちの生活がますます苦しくなっている世の中です。若者世代にとってチョン・ユラ特別入学は、特に怒りを誘発するものだったようです。このように、なんとか毎日を耐えてきたのに、結局、いい暮らしをして何事もうまくいく人は、すでに決まっているのだというところから来る怒りです。

李知垣 486世代は1987年の6月抗争を経験して以降、自らの手で民主主義を達成したという感覚を共有していると思います。ですが、今回の朴槿恵=崔順実ゲートを通じて、韓国社会の民主主義が虚像だったということを確認しました。486世代のような場合、そのことに対する怒りが、ろうそく集会に参加するようになった要因ではないかと思います。その次の世代は、韓国社会が民主主義社会として、少なくとも機会の均等は保障されているという信頼をもって、若者の失業、長時間労働、低賃金の社会を文字通り「ノー力」といいながら耐え、そのような信頼がこわれたということに敏感に反応したと思います〔「ノー力」:韓国語の「努力」(ノリョク)と英語の「ノー」をかけた言葉。個人の自己責任や努力を強調する既得権層の新自由主義的な発想を揶揄する若者用語――訳注〕。おっしゃったチョン・ユラ特別入学とともに、李在鎔(イジェヨン)のサムスン三代世襲の問題も重要です。朴槿恵=崔順実ゲートを通じて、サムスンの三代世襲が賄賂を代価に得られた特典であることが明らかになりましたが、このようなことを見ながら、韓国社会に機会の平等が保障されていなかったということを、新たに確認することになったんです。

李振赫 「サムスン共和国」という言葉の存在が、無駄ではなかったようです。朴槿恵=崔順実=李在鎔の贈収賄罪の「共犯」疑惑は、憲法第1条第1項「大韓民国は民主共和国である」に正面から違反した違憲的犯罪行為ですが、実際にきちんと立証されるかは不透明です。李在鎔に対する逮捕令状の棄却の時に集会参加者が増えたのも、そのことに対する不安や怒りが表出されたものだと思います。この問題は今後も関心を持って見守るべきでしょう。

さきほどのお三方のお話しを総合すれば、平等でない社会に対する怒りがろうそく集会を触発したために、「誰も疎外されないデモ文化」はそれ自体としてろうそく集会の動力であったという見方が可能だと思います。これほど大規模な人波が集まって、ついには大統領弾劾訴追案の可決に決定的な力を加えたという点で、直接民主主義の可能性を開いたという見解もあります。みなさんが共通して言及した「平等」は民主主義の基本原則です。韓国社会で手順を踏んだ民主主義が進展しましたが、民主主義の問題はいわゆる「生活」の問題よりも後回しだったのは事実です。ですが、世論調査機関のリアルメーターが今年の1月、次期大統領選挙の時代精神はいかなるものかと問う世論調査をしたところ、「正義」「統合」「公平」「民主」の順で高かったといいます。つねに上位を占めてきた「安保」「経済」などのキーワードが上位でなくなったわけですが、このこともまた、今、国民が民主主義の基本原則を正すことを渇望している証拠ではないでしょうか? 今回の集会を通じて、新たな民主主義の可能性に対して考えられたかと思います。

千雄昭 今回のろうそく集会の過程では、実際に直接民主主義がかなり具現されました。スマートフォンやSNSで可能になった双方向の疎通が、新たな流れを作り出した面もあると思います。過去のように、特定団体が集会を主管して大衆を動員する形ではなく、最近は市民が、集会を準備する執行部に有形無形の圧力を加えています。演者の発言も過去にはほとんど執行部が決めたとすれば、今回のろうそく集会では、自由発言が相当数配置されました。反面、オンラインでは既成政党や政治がきちんと作動しないという問題意識において、ネット市民が直接代表を選ぶ「市民議会」が急速に進み、市民の共感を得ることができずに失敗した事例もあります。もちろんこれは初めて試みられたことですから、その性格や意味を、中途半端に判断することはできません。民主主義というものは失敗する自由もあり、また、失敗が意義ある経験になったりもするからです。ですが、あまり用心深くてもだめでしょう。

李知垣 ろうそく集会というのは永続的には存在し得ないものでしょう。ですから、広場で活発な直接民主主義が続くことは難しいでしょう。ですが、多くの人々が今の代議制民主主義をきわめて狭いものと考えているようです。4年に1度や5年に1度、代表を選べば、彼らが何をしようと、その中間には市民が介入する方法がほとんどありませんから、大統領の権力を分散しながら、その権力を、地域や周辺部に再分配する作業が必要です。大統領だけでなく両党体制に対しても懐疑的です。政治は交渉の過程であるべきですが、まずもって交渉が不可能な構造ですからね。今は意外と多党制になっている面もありますが、実状は、保守的な4つの党が議会で多数を占めています。次第に弱まっていく少数政党が、より多くの発言権を持つことができる選挙形態、たとえば、連動型比例代表制のようなものを導入する必要があると思います。選挙権や被選挙権の拡大も、やはり権力の再分配のための課題の1つだと思います。今のような平均年齢55歳の男性中心の国会は、自然と「非障害者・異性愛者・中年男性」の見解が中心にならざるを得ません。

禹知樹 今回のろうそく集会を契機に、民主主義に対する討論がさらに多く行なわれればいいと思います。これまで考えられなかった話も出てくればもっといいと思います。代議制民主主義の限界も、自らの考えの表現に注意する必要がなくなった状況で、気付くことになったわけですから。これまで自らの考えを直接表現するためには、数多くの人がろうそくを持って広場に出るしかなかったとすれば、いまは、ろうそくがなくても、そのような意見表現が可能になるべきだと思います。政治制度においては、比例代表が大きく拡大すべきだという立場で、その過程で、選挙権・被選挙権の範囲も広くなりうるだろうと思います。

 

私たちみなのセウォル号

 

李振赫 これまで代議制民主主義の限界を指摘し、新たな方式を提示するたびに実現されませんでした。その理由は、「非効率」「高費用」「非理性的判断」「従北(北朝鮮追従)」などが代表的なものでしたが、今回のろうそく集会は、新たな民主主義も「やってみたらできた」ということがわかる契機になったようです。それほど非効率的でも非理性的でもなかったんです。直接民主主義の発展のためには、地域単位でも政治参加が活発化されるべきだと思いました。そのことを提示する制度改革が、中央レベルで議論される政府の形態や選挙制度に劣らず重要だと思います。また、広場の中で行なわれたことについて少し話しましょう。私は今、光化門広場を考える時、最初にセウォル号のことが思い出されます。セウォル号沈没事件は、大統領の空白の7時間の問題以外にも、これまで3年間、韓国社会の最大の懸案でしたし、今回のろうそく集会の重要な契機となりました。集会の参加者のひとりが「2014年4月から、少しも自由になれませんでしたが、今回のろうそく集会を契機に、一歩踏み出した感じです」と所感を明らかにしたのも印象的でした。ろうそく集会で、セウォル号はどのような意味を持っていたのでしょうか?

禹知樹 多くの人々が2014年4月16日に自分が何をしたのか覚えていると思います。あの時、どのような感情を抱いたかも思い出せるでしょう。多くの人々が「自分が事故に遭っても、国家はあのような形で対処するだろう」と思って絶望しました。セウォル号事件は「誰もが災難に遭う」という不安が、国家システム自体に対する不信として拡がった契機であり、このシステムを変えるべきだということが、明らかにろうそく集会の起爆剤になったと思います。2014年に12万人規模で追悼集会があった時も、実際に本当に多くの人が集まりましたが、いまや120万人が集まる状況にまでなりました。彼らの大部分が、セウォル号に対しては基本的な共感があるだろうと推測します。

千雄昭 ろうそく集会を企画しながら、できるだけ自由発言の演者の重複を避けますが、それでも最も発言した方々がセウォル号の遺族です。市民も常にセウォル号の遺族には大きく呼応しました。私は、セウォル号事件が、自分たちが失った共感能力を拡張する契機になったと思います。1997年のIMF金融危機以降、韓国社会で、他人の苦痛と他人の生に対して共感する能力が落ちたと思います。このようになったのには、社会的な強要もありました。代表的には、KBS芸能番組でタレントのカン・ホドンが毎日叫んでいた言葉があります。

李知垣 「自分でさえなければいい」(笑)。

千雄昭 そうです。「自分でさえなければいい」が流行語になったのも、共感能力の喪失を端的に示す事例です。セウォル号事件が与えた衝撃があまりにも大きかったために、2014年当時、追悼集会には1、2万人ほどしか集まりませんでしたが、セウォル号自体に対しては全国民が悲しみを共有したと思います。その悲しみが今回のろうそく集会の根底で怒りに変わったと思います。私たちの先輩世代にとって、1980年の5・18光州事件が心の負債ならば、今、市民はセウォル号事件に対してそう考えているようです。

李知垣 セウォル号は人間を利潤に置き換える資本主義の素顔、それと結託した国家、そしてその後に目撃された国家暴力までを総体的に示した事件だと思います。2014年の「じっとしていなさい」〔沈没船の船長が呼びかけた船内放送のメッセージ―訳者〕というスローガンは、実際にこれ以上じっとしていられないという、反省的な叫びの性格が強かったでしょう。当時、韓国社会が集団的な鬱病を経験したと思いますが、今はその時の市民が憂鬱から抜け出して、このように世の中を変えようと広場に出てきたのだと思います。このことが可能だったのは、2014年4月16日以降、一時も休まずに戦ってきたセウォル号の遺族、そして彼らと行動をともにした人々がいたためでしょう。

李振赫 ルソー(J. J. Rousseau)は「憐憫の限界が社会の境界」だと言いました。それが正しいとすれば、韓国社会は、セウォル号事件の痛みをともに体験し、その境界がひろがったと思います。ある評論家は、社会が拡張する証拠を、今回のろうそく集会が守る非暴力の基調において見出します。12月3日にあったことですが、孝子洞治安センターの前でデモ隊1人が倒れたら、すぐに警察バスの上にいた警察が、低体温症を防ぐためにホットパックを投げたといいます。警察とデモ隊の間に暴力が行き来するのではなく、共感が形成されることを、いいこととして考える視角が絶対多数のようです。ですが、平和デモに対する問題提起もつねに伴いました。「「優しいデモ」は多くの人々の呼応を得ることは容易だが、それが影響を及ぼしうる範囲は制限的」(藤井たけし『ハンギョレ』2017年1月1日付)という分析もありました。みなさんは平和デモについてどう思いますか。

 

「平和」デモ、どう見るべきか

 

李知垣 様々な人々が言ったように、この「平和」がはたして誰の立場における「平和」なのか考えなければなりません。集会に参加する人々は、国家システムと国家政策に反対して集まったわけですから、集会の目的は当然そのシステムを一時停止させることになります。今回のろうそく集会が平和デモを標榜したのには、「公権力の立場で学習された平和」が大きく作用したと思います。2015年に亡くなった農民のペク・ナムギ氏が倒れた時、数多くの人々がこの驚くほどの「暴力性」に注目しました。ただ、各自が注目する暴力の主体が違いましたが、多くの人々がデモ隊の暴力を強調すると同時に、法秩序の維持のための正当な手続きであるという免罪符を、国家暴力に握らせました。その次に作られた野党の国会議員の人間バリケードも寸劇でした。それが本当にデモ隊を守るためではなかったということは、その後、途方もなく多くの人々が連行されて警察の取調べを受けたという事実が物語っています。2015年の記憶は、システムを一時停止させるために広場に集まった市民が、国家に反対する小さな行動をしただけで非国民に置き換えられるという、だからこそ国家から保護されないということを学習した過程だったと思います。このように内在化された規律が、今回のろうそく集会の広場の中にもあったと思います。私は市民が、バリケードを作った装甲車に花のステッカーを付けて、後で直接はがしている姿を見てずいぶん驚きました。国家に反対する小さな行動も極度に警戒する姿のように見えました。もちろんそれが完全に否定的というわけではありません。市民が自らの市民性を確保するための手段であると考える余地もあるからです。ですが、本質的に今回の非暴力基調は、「平和」が国家の立場で学習されたためだと思います。

千雄昭 実際に集会の基調というものは、執行部が決めるからといって、かならずしも人々が従うわけではありません。今回の集会に参加した市民には、平和に対する確固たる意志があったと思います。もちろんおっしゃられた学習効果はありましたが、それよりも保守マスコミや守旧勢力にいかなる口実も与えないという意志の方が大きかったと思います。朴槿恵=崔順実ゲートは、国家に当然備わっているべき制度が、自らの役割を果たせなかったために炸裂しましたが、逆説的に集会の現場では、最小限の制度が役割を果たしたので、数多くの人々が非暴力を続けていけたと思います。今はあまりにも自然に光化門広場を使っていますが、実際に広場が自らの役割を果たすことも容易ではありませんでした。警察は持続的にデモ隊の暴力を誘発するために、俗っぽい表現で「加減を加える」こともありましたし、集会の申請を許可制で運用しながら許可しませんでした。そのような状況で、裁判所が、市民団体の出した執行停止仮処分を認容するなど、劇的な契機があったために、広場はずっと開放された状態を続けることができました。その過程で、大統領府の100メートル手前まで無血入城が可能だったんです。ろうそく集会が長期化して、人々は疲れることもあったでしょうし、平和集会の基調に懐疑を感じることもあったと思います。ですが、ろうそくの力は、弾劾訴追案を圧倒的に可決させ、最初の憂慮とは異なり、特別検察チームが善戦しているのも、ろうそくの力のおかげです。このような好循環を見て、市民も、自分たちが平和基調を維持してもいいだろうと考えたと思います。

禹知樹 以前、集会に初めて出かけた時、とてもこわかったことを思い出します。警察も威嚇的でした。私は、非暴力というものが、市民には集会に参加するかどうかを決めるとても重要な要素でもあると感じました。実際に今回、非暴力の基調が、多くの人々が共に行動するいい契機になったと思います。ただ、根本的に、誰が平和を叫ぶのかという違いはあるかもしれません。国家はつねに非暴力を要求します。さらに時には記者会見場でスローガンを叫ぶことが、暴力として規定されるほどです。結局、集会および示威に関する法律にきちんと従えということですが、このようなものに順応することも、平和に向けた強力な意思表現と見ることができるかは疑問です。

千雄昭 この問題について書かれたコラムを見ると、非暴力について批判的に語った場合が多かったようです。私は今の非暴力が、誰かが規定して強要したものではないことは、自信をもって語ることができます。平和は、広場に集まった市民が自ら選択した「戦略」であり、その選択は依然として有効です。

李振赫 これまでの集会には、いつも装甲車で作られた壁があって、市民はその壁の向こう側の相手に向かって突進する形でした。反面、今回のろうそく集会に参加した市民には、彼らが足を踏みしめている広場自体が、壁の向こうのいかなる存在よりより大きな意味があったために、非暴力が可能だったとも考えられるでしょう。人々が多く集まれば、暴力的になる人たちもいるものです。今回もパトカーの上に上がったり、警察と物理的に衝突する人もいましたが、そのたびに出てきたスローガンは、「後に、後に」でした。千雄昭さんの話でいえば、この集会が「暴力的」に流れる時、さらによくない状況がくるだろうということを市民が知っていたし、それによって平和を「戦略的に選択」したのだとも考えられます。

千雄昭 平和集会が可能だったのは、裁判所の決定が一助したのは正しいですが、何よりも広場に集まった人々の数字が、これまできちんと作動しなかった制度を動かすのに最も大きく作用したようです。制度が力を発揮するのを見ながら、市民が自信を得て、だから、大変だけれども、この次もまた来ようと考えるようになりました。もちろん、弾劾案が否決されたとすれば、非暴力の基調は変わったかもしれないでしょう。ですから、この戦略的な選択は、これまで有効だったために選択されているもので、いつでも変わりうるでしょう。

禹知樹 お話しを聞いてみると、戦略的な選択でもあると同時に、そのような「戦略」も、ある種の運動論に限定されているのではないかと思います。「戦略」というものを、何かを達成するための手段や方法として見るならば、「非暴力戦略」は、不法と暴力という誤解を避けるために選んだことになるでしょう。ですが、不法と暴力という誤解をそっくり認めたという点が、むしろその運動論に限定されていることでもあるだろうと思いました。

李振赫 「平和集会」に対しては、多様な評価と意見があるだけに、今後もずっと考えるべき問題ではないかと思います。今回のろうそく集会が終わっても、この議論が続くように祈りたいと思います。非暴力の基調とともに、マスコミにしばしば登場したのが、多様なパロディに代表される風刺と諧謔でしたが、今回の集会で特に印象的だった場面として、どのようなものがあるでしょうか?

千雄昭 まず、既存の運動圏の秩序に抵抗する、数多くの旗がありました。「カブトムシ研究会」ようなものです。私は、この旗が今回、突然、登場したものではないと思います。2008年に、いわゆる「明博山城」というコンテナの壁が光化門に作られました。その時、明博山城の前にスチロールで階段を作って、これを飛び越えるかどうか、デモ隊の内部で何時間か大討論を行いました。あの時は運動圏が主導する集会に対する不満があり、それが大討論会でも如実にあらわれました。「旗を降ろせ」というスローガンまで出るほどでしたから。今回は旗を降ろせとは言わずに、むしろ「そうか? 私たちにも旗があるぞ」というように、誰でも旗を掲げ始めたという違いがあります。とりわけ、既存の団体のパロディ多かったのが印象的でした。民主労総(ノチョン)をパロディにした「民主墓塚(ミョチョン)」や、アムネスティをパロディにした「ハムネスティ」のようなものです。

李知垣 女性を卑下した歌詞で物議をかもしたDJ DOCの公演が、「一部女性団体の抗議でキャンセルになった」という新聞記事が出てから、韓国女性民友会で「一部女性団体」という旗を掲げたりもしました(笑)。ですが、風刺や諧謔も、どのような観点で見るかによって、ある人たちに対しては暴力になりうるのではないでしょうか? 今回のろうそく集会で、風刺と諧謔であるとして登場した「病身女」や「鶏女」のような言葉も暴力になったりします。

 

デモと女性・少数者の人権

 

李振赫 実際に「平和だった」「連行者がいなかった」「おもしろかった」のような称賛がすべてを言い表すわけではありませんでした。おっしゃった通り、大統領の生物学的な性別が女性という理由で、女性卑下があちこちで登場しましたし、身体の接触のような性暴行もありました。こうしたことはみな暴力の範疇に入るでしょうが、そのような面は強調されなかったようです。

千雄昭 誤った発言や女性・障害者への卑下が最初は多かったと思います。ですが、私は、そのことに対する問題提起を、市民がいち早く受け入れたと思います。退陣の行動でも、演壇に立つ発言者に、事前に社会的弱者に対する暴力や嫌悪発言をしないように案内していました。それでも発言の途中で、そのような言葉の暴力が実際に何度もあったわけですが、そこに問題提起があるたびにいち早く受け入れていました。発言者がすぐに謝ったり、司会者が誤った点を指摘したりもしました。その過程で私たちのデモ文化が一段階発展した面もあると思います。現場での手話通訳のような部分も、今回の集会で目立って変化した点でしょう。

禹知樹 おっしゃったようなことがあったにもかかわらず、私はこの地点だけは、韓国社会がどのような状況なのか直視できたと思います。江南駅での女性殺害事件以降、女性嫌悪に対する問題がかなり公論化されましたが、依然として解決にはほど遠いことを感じました。ただ一方で、そうであっても、私も今回のろうそく集会自体は、鼓舞的な側面がより大きかったと思っています。そのような問題提起があるということを、あるいはあり得るということを、100万人を超える人々が現場で直接体験したからです。私も新たにいろいろなことを実感しました。

李知垣 他の見方をすれば、当然の話ですが、ろうそくデモを単一のアイデンティティとして一緒にすることはできないと思います。その内部を横断する多様な立場や観点があるからです。広場内部のフェミニスト同士が集まって、集会に参加した「フェミゾーン」が形成されたのも、現時局をフェミニズム観点から批判したフェミニスト時局宣言をしたのも、そのようなアイデンティティを示そうとする試みでした。事実、100万人ぐらい集まれば、そのような形の暴力が発生するのは、あるいは自然なことでもあります。そのために自らの言葉や行動に対して、さらに多く省察するべきでしょう。ただ、嫌悪発言などに対する指摘や制裁はありましたが、それがどれほどの意味を持って受容されたかは疑問として残ります。DJ DOCの公演キャンセルが代表的な事例だと思いますが、他の見方をすれば、歌手がどんな歌を歌おうと、聞きたくないならば聞かなければいいんです。多くの人々がそうせずに、そこに問題提起したことは、ろうそく集会が民主主義の場であり、民主主義と女性嫌悪は共存できないからでしょう。そのような歌詞が広場で歌われることだけは阻むべきだということだったのですが、このことがかなり表現の自由問題と結び付けられて、むしろずいぶん攻撃されました。聞きたければ聞いてもよく、歌いたければ歌ってもかまいません。検閲もありませんでした。でも「親朴フェミ」(=親朴槿恵フェミニズム)という言葉も登場しましたし、「右派フェミニストの陰謀」というような、あきれた非難もありました。それでも私は、フェミニストが広場でフェミゾーンを設けることによって、みなが単一のアイデンティティであるという観点に亀裂を入れたことが意味ある試みであり、このような動きが民主主義を豊かにする過程だと思います。また、退陣の行動の側の人権ガイドラインや障害者への卑下発言に対する謝罪には感心しました。いち早く公演をキャンセルしたのは実際に驚きもしました。

千雄昭 公演1日前に決定されました。

李知垣 キャンセルしろと要求しながらも、内心「このように大規模の公演がまさかキャンセルされるだろうか?」と思っていましたが、実際にキャンセルされました。これがすぐに決定されたのも、運動陣営が肯定的に変わったことを示す事例だと思います。それが可能だったのは、運動陣営の中で、平等という価値に対して持続的に検討しながら、内部的に問題提起してきた方々のおかげだと思います。

千雄昭 私たちは大統領の退陣を主張しながら、前だけを見て進んでいるようですが、実際にはともに行動する人々の意見を傾聴することの方が重要です。多様な意見を聞いて問題意識を公論の場に出すようになったのも、今回のろうそく集会の成果だと思います。以前と同じだったら、「大義があるのに、そのようなことが重要か」と言ったでしょう。このような変化が可能だったのは、誰か特別な人が牽引する集会ではなかったからです。公演のキャンセルも意志決定は早かったですが、このようなことが1日でなされたわけではありません。集会が続く間、着実に女性嫌悪に対する問題提起がありましたし、公演のキャンセルもその延長線上で判断できたと思います。もちろんSNSの影響も大きかったでしょう。過去ならば、このような問題提起を受け入れて正す通路があまりありませんでしたからね。

 

労働運動が疎外された?

 

李振赫 かと思えば、今回のろうそく集会で、既存の労働勢力、あるいは労働活動家が疎外されるという不満もよく聞かれました。これまで大規模な集会の先頭に立った人々ですからね。今回のろうそく集会が、既存の労働運動の主題を吸収した面も明確にあるでしょうが、にもかかわらず、労働者の声は小さかったという意見に対してはどう思いますか?

千雄昭 今回のろうそく集会で、労働活動家も疎外されずに充分発言していたと思います。政治的な立場によって違うでしょうが、私はむしろどちらか一方が過剰に代表されることのないように留意すべきだと考えています。たとえば、演壇に出る発言者を誰にするか、ものすごい論争があります。労働運動の側では労組の代表者を立てようとしますが、市民社会の側では、できるだけどの組織にも属していない一般市民を演壇に上げよううとします。もちろん、これまで労働運動が歩んできた足跡は心から尊重し、労働活動家の思いも理解しますが、むしろ初めて来た市民に多く機会を与えて、「自分たちが作っていく」という感覚を与えるべきだと思います。実際に、集会をモニターしてみると、最も呼応のいい演者は青少年でした。青少年は聴衆に説明したり教えようとしません。自由発言者の選定時に、性別や年齢など多様な要素を考慮したので、そのような印象を受けたのかもしれません。

李知垣 労働者と市民は別個の存在ではないでしょう。また国家システムに対する問題提起には、必然的に資本と労働という領域が含まれるでしょうが、このことは労働活動家が着実に声を出してきた領域でしょう。マスコミや権力によって作られた、運動圏に対する深い不信や嫌悪の情緒が、今回のろうそく集会でもいつの間にか作動したのではないのかと思います。「平和集会」が学習の結果であるという側面があるだろうと申し上げましたが、この問題も同じではないか思います。

禹知樹 今回のろうそく集会は、多様な人が参加しただけに、各自の色をある程度抑えながら合わせていった面もあると思います。かならずしも労働運動の側が疎外される構造が作動したわけではありません。実際に民衆歌謡や「闘争」というスローガンよりは、今回の集会に出てきた大衆歌謡は、多くの人々がいっしょに歌うのに相応しかったとも思います。労働者も農民もフェミニストも、各自の声だけを出すのではなく、できれば多くの人にともに話を伝えようとする過程で、否応なく、すでに最も大きな役割をしてきた労働運動が疎外された印象を受けてしまったのではないでしょうか。

千雄昭 この問題に対しては、ろうそく集会が終わっても、考え続けるつもりです。一例として、蔚山(ウルサン)で今回、大きなろうそく集会がありませんでした。蔚山は労組組織率が高く、慶尚道地域なのに、いつも進歩政党の国会議員を当選させてきたところですが、今回見ると、他の地域に比べて集会規模がかなり小さかったようです。中途半端に理由をあげることはできませんが、今後、注意深く探求すべき問題だと思います。

 

「応戦」集会? 戒厳令を語る人たち

 

李振赫 ご存じのように、親・朴槿恵の団体も大規模な集会を行っています。日当を与えて人を動員している情況が伝えられ議論になっています。マスコミではこれを「応戦集会」「太極旗集会」などと表現します。太極旗がどちらか一方の象徴になったのも妙なことですが、実際に、11月には光化門広場の露店でろうそく類だけが売られていましたが、親朴集会が続いて、ろうそくとともに太極旗を売るところが増えたようです。それだけ太極旗を持って集まる親朴集会が大きくなっているのは事実ですが、これをどう見られたか気になります。

禹知樹 「応戦」という用語は、既得権が親朴集会を正当化するために作った用語ではないでしょうか。相手がろうそくをとったから、それに対抗して応戦する、というような形でです。そしてマスコミがそれに加勢して、あたかも同じ規模のように画面や紙面を構成しています。太極旗と星条旗が一緒にはためいている不思議な集会なので、その内容に対して真面目に語る必要はないと思うんです、問題は彼らの暴力性です。私は光化門広場でしばらく司会をしていましたが、その時「朴槿恵を思慕する集い」のグループが、スピーカー線を抜いたりして集会を妨害しました。大小の物理的衝突があったということも聞いています。

李知垣 戒厳令を宣言するべきだ、軍隊を動員してすべて撤収させるべきだといった主張は本当に衝撃的でした。「応戦集会」というよりは「太極旗集会」と呼ぶ方が適切だと思いますが、その太極旗が示す象徴性があります。太極旗集会に参加する人は、おおよそ50代以上で、強力な国家観がある人たちだと思います。韓国が貧しかった時期から自らの手で社会を作り、この国を作ったという自負がある人々でしょう。でも、ひょっとしたら、今、最も貧しい世代でもあります。運動家である私にとっては説得の対象でもあります。その人たちが社会に接する形は、まず最初が総合編成チャンネル〔李明博政権期に、地上波と同様にニュースから娯楽番組まで編成することを許されたケーブル放送局の総称。朝鮮日報、中央日報、東亜日報などの新聞社がその主体だが、内容はおおむね右派的で保守勢力の主張に近いとされる――訳者〕、その次に村や宗教などの共同体ですが、彼らが皮膚で感じられるほど、進歩陣営の中でも地域と世代に対する具体的な代案が必要だと思います。彼らをひたすら暴力的で無知であると片付けていてはいけません。ろうそくを持った人々も、彼らとともに語り合う接点を増やしていくことを考えるべきでしょう。

千雄昭 そのような集会に参加する人々に「保守」というレッテルを付けるのは難しいと思います。私は不正腐敗を保護する勢力だと考えています。親朴集会は結局、特定の運動論を形成するための試みだと思います。地域葛藤、理念葛藤、世代葛藤を煽ろうとする試みだと思いますが、最大限そこに巻き込まれてはならないと考えています。警察も、親朴集会の参加者の集計には甘く、ろうそく集会には厳しいですが、そのようなことにも気を使うべきではないと思います。

 

ろうそく集会が成し遂げたこと、成し遂げるべきこと

 

李振赫 今回のろうそく集会に対する呼称が多様です。「ろうそく集会」が一般的ですが、「ろうそく抗争」や「ろうそく革命」という場合もあります。そのうち、「ろうそく革命」という呼称には示唆することろが多くありそうです。このろうそくを、革命的な変化を作る契機にすべきだという思いが投影された呼称であり、あるいは、すでにろうそくがそのような変化をもたらしているという診断でもあります。「ろうそく革命」という表現に対してはどう思いますか。

千雄昭 私は「革命」と呼んでも過言ではないと思います。政治や制度がきちんと作動しない状況において、市民が広場に出て、それを機能させるべく導いている側面があるからです。しかし、今後の方が重要です。このろうそく集会をどう発展させるかによって、「革命」の前につく修飾語はかなり変わりそうです。「未完の革命」や「中途半端な革命」になることもあるからです。

李知垣 朴槿恵大統領に対する弾劾案が、国会で圧倒的に可決されるにあたって、ろうそく集会が及ぼした影響を考えれば、革命的な力が明確にありました。でも今回のろうそく集会を「革命」と呼ぶのは難しいと思います。弾劾決定は憲法裁判所にかかっていますが、憲法裁判所は国民を代表するものではありません。大統領の退陣に対する総体的な権限が、より広範な民主主義の領域から外に出て、司法体系の狭い部分に移行してしまった感があります。国民を代表する国会の聴聞会の権威を考えれば、このような思いがより強くなります。証人がきちんと出席もせず、簡単に偽証して……、今回のろうそく集会を「革命」というためには、ろうそくの力が直接的に朴槿恵大統領を引き下ろすべきでした。もちろん弾劾裁判もろうそく集会も進行中なので、いくらでも変わりうるのですが、これまでの状況をみたとき、「革命」と評価するには中途半端な面があるということです。朴槿恵政権の反逆者であった黄教安が大統領の職務代行をやっているのも、そのような部分を示していると思います。

禹知樹 100万のろうそくの力が、抵抗の根拠地だった光化門広場を、誰でも自らの望むスローガンを叫べる空間に開放したとき、「第2線に後退」とか「挙国中立内閣」などといって顔色をうかがっていた野党が、「即刻退陣」を叫ぶようになった時、弾劾訴追案が可決された時、このすべての過程がろうそく革命ではなかったかと思います。政界は、続々と押し寄せるろうそくの顔色をうかがわざるを得ない状況であり、それによって、逮捕されることなど予想できなかった金淇春(キムギチュン)のような人物まで逮捕されました〔金淇春――1970年代に在日韓国人留学生スパイ事件を操作し、文世光事件で被告の自白引き出しに貢献したとされる。その後、検察総長や法務部長官、国会議員などを歴任。議員時代には武鉉大統領弾劾審判の訴追委員などもつとめた。朴槿恵政権では第2代大統領秘書室長(2013.8-2015.2)。崔順実など国政介入事件の関連で2017年1月に逮捕・拘束された。――訳者〕。これほどであれば、一次的にはろうそく革命が達成されたと思います。ただ仕上げをどうするか、社会システムをどこまで変えられるかが、ろうそく革命を後に評価する重要な要素になるだろうと思います。大きなろうそく革命だったか、小さいろうそく革命だったか。ろうそくが変えた範囲によって、このような呼称がつくだろうと思います。

李振赫 李在鎔の逮捕状申請が棄却された時、多くの人々がろうそく集会の無力を感じたと思います。今、韓国社会は、大統領1人が問題ではなく、財閥の特権とそれにともなう弊害も並大抵ではありません。ろうそく集会が切り開いた改革の糸口がどこまで続くか見守ることも、そして声を出し続けることも重要ではないかと思います。ろうそく集会がいつまで続くかもこれと無関係ではないと思いますが、これがいつまで続き、何を成し遂げるべきとお考えでしょうか?

李知垣 いまや弾劾政局から一段階発展して、大統領選挙政局に進んでいると思います。今後さらにそうなるでしょう。ならばそれだけ、ろうそく集会が永続的ではあり得ないということを、より考えるべきだと思います。おっしゃったように、ろうそく集会の動力がなぜ財閥に及ばなかったかも、さらに確認すべき問題でしょう。ろうそく集会が国家システムに対する問題提起だとすれば、この問題提起は、大統領選挙の政局の下でも持続的に行なわれるべきです。

千雄昭 既存の制度に対する信頼が一部でも回復したことを確認して、はじめて市民が安心できるのではないでしょうか。現在、その起点は、憲法裁判所の弾劾認容でしょう。いまや退陣の行動も、ろうそく集会以降を準備するべきです。「広場の週末」と「日常の平日」の二分法を越えて、広場のろうそくをどのように日常のろうそくにできるか考えているところです。話を聞いてみると、多くの人々は、週末に広場に出てきて幸せですが、日常ではまったく幸せではないと言われます。広場では、社会がいますぐにでも変わりそうな革命前夜で、集まった人々もみな平等に見えますが、日常に戻ると、アルバイトの賃金まで搾取する社長がいるように、不平等と矛盾が今なお残っているからです。

李知垣 ある評論家は「広場の躁症と日常の鬱症」と表現しました(オム・ギホ『私は世の中をリセットとしたい』創作と批評社、2016)。その躁鬱が繰り返されて、心理的にも肉体的にも疲れた状態にあるようです。私もより多くの広場が作られるべきだということに同意します。フェミニスト時局討論会が、小さな広場の一種の形だったと思いますが、その広場はどこでも可能だと思います。互助会の集まりでも可能ですし、オンラインゲームチャットでも可能です。

禹知樹 日常において、このことをどう解決するかは、さらに検討すべきでしょう。私は学生であり、学生会の活動をしているので、そのような「日常のろうそく」や「小さな広場」を作るのが、今年の私の日常かもしれませんが、この公論の場をどのように社会全般に拡張するかは悩みどころです。まず、まもなく本格化するであろう大統領選挙の政局で、どのような方法の直接民主主義が発現できるかに関心を傾けるつもりですが、人々の意見が直接受け入れられて、互いに疎通する様相が見えれば、「日常のろうそく」の可能性もより大きくなるだろうと期待しています。

 

時代の転換を夢見て

 

李振赫 ろうそく集会が大統領弾劾だけに留まっていてはならず、韓国社会の根本的な変化を引き出すべきだという点に、3人の意見が集中したようです。ならば具体的にどのような変化が考えられるでしょうか。10年にも及ぶ李明博・朴槿恵政権の下で破壊されたものがかなり甚大なので、変化が必要な部分もそれだけ多様ではないかと思います。代表的な問題として南北朝鮮の関係があるでしょう。2016年に北朝鮮の第4次核実験の直後、朴槿恵大統領は開城工業団地を閉鎖しました。これにとどまらず、8・15光復節記念式典の祝辞や国軍の日の祝辞では、事実上、北朝鮮の住民の脱北を奨励しました。このために南北関係が一寸先もわからない局面に入り込んだ中で、ろうそく集会が始まって、この傾向がひとまず止みました。これもまた、ろうそく集会の主要な成果の1つだと思います。ですが、核問題をめぐる対立は続いていて、ここにアメリカによるThaad(高高度ミサイル防衛システム)配備の問題が、朝鮮半島や東北アジアに深刻な状況を招く可能性があります。最近では、崔順実が開城工業団地を閉鎖した後、本人の利益のために団地の企業をケニアに移転させようとしたという疑惑が報道されました。以前であれば、「まさか、そんなことが?」と思われたような、きわめて呆れた話すら大衆が聞き流さないのも、一個人や少数の国政介入勢力が、その関係を終了させてしまえるほど、南北間の信頼に亀裂が入ったからだと思います。このような状況を変化させなければ、韓国社会を改革する作業も順調ではないでしょう。また、韓国社会の既得権層の腐敗も、今回、克明に示されたと思います。サムスンに代表される財閥問題をとってみても、朴槿恵=崔順実ゲートが最初に話題になったとき、『創作と批評』誌の「対話」欄で取り上げたりもしましたが(「韓国の財閥、財閥の韓国?」、2016年冬号)、依然として解決の糸口さえ見つかりません。各自「最も重要な変化」を1つずつ示すとしたら何になるでしょう?

千雄昭 何よりも政治が変わるべきだと思います。政治が、私たちの生を変えることができる、最も容易で早い道だと信じるからですが、代議制民主主主義の限界が、昨年、最も克明に見られたと思います。今回のろうそく集会の最も重要なキーワードは「参加」だと思いますが、ろうそく集会の経験が、単なる政権交代を越えて、新たな参加を作り出すことを希望します。以前は投票所に行って投票することだけが参加だったとすれば、いまや私たちは、自らの声を候補の公約に反映させるなど、より広い参加を実現する動力を得たということです。

禹知樹 私も、政治の変化が、最も効果的に多くのことを変えると思いますが、政治を変えることによって、最初に成し遂げるべきは機会均等だと思います。今、若者の世代が「懸命に生きてもよくなることがない」という思いに陥っているといいますが、これはチョン・ユラ事件を見てもわかるように、まったく根拠のない敗北主義と片付けられるものではありません。「努力しただけ代価を得る世の中」を作るのに、政治が寄与する余地は大きいと信じます。とりわけ個人的には、生活の問題が政治と無関係ではないことを切実に悟りました。若者の世代がより活発に政治に参加して声を出すことが重要だと思います。

李知垣 何よりも韓国社会で長く続いてきた開発主義、成長主義、そして勝者独占の体制を変えることが重要だと思います。いまや、そのようなことを克服して、生態主義やフェミニズムのような多様な価値に対して考える時だと思います。家父長制の問題を指摘したいと思いますが、この時、家父長制は単に家庭内に限定されるものではありません。国家が家父長であり、国民がそれに従属した存在であることによって、疎外されてきた人権や労働のような様々な価値を見守るべきだということです。もちろん家父長制の下で必然的に存在してきた女性嫌悪も反省するべきでしょう。

李振赫 今後も続くろうそく集会にどのように参加するか、また、ろうそく集会以降、どのような活動を作るか、考えるべき課題が多いと思います。各自の苦悩や確信を分かち合いながら、今日の座談会を終えられたらいいと思います。

禹知樹 私は大学生なので、大学生の立場で申し上げます。朴槿恵政権の下で施行されてきた教育政策を1つ1つ点検してみるつもりです。大学を飼い慣らそうとする政府の露骨な試みが全面的に出てきたからです。また、大学生の政治参加が、最低賃金の問題から雇用問題まで、様々なイシューに影響を与えることができると思います。梨花女子大も含めた大学連合で共同要求案を想定し、大統領選候補に伝えて、直接討論する方式についても考えています。李明博大統領も朴槿恵大統領も、候補の時期に授業料半額化を掲げ、きちんと施行されることはありませんでしたが、当事者の立場で私たちの要求を集約してみるつもりです。

千雄昭 広場に集まった市民の参加が、公的領域に対する参加にどのようにつなげられるか考えています。そして何よりも、今回のろうそく集会が終われば、集会を含めた全体の過程を、きちんと注意深く点検するべきです。フィードバックもかなりあるでしょう。市民運動の陣営が市民と疎通する能力、また共感する能力を育てるために、このような作業が重要だと思います。全体的に大きく成長できる契機になるだろうと希望します。

李知垣 フェミニズムは多様性、平等、人権のような価値を語る学問であり運動です。運動はともに行なう時、より大きな意味になります。今回のろうそく集会の過程で新たに登場したフェミニストの主体、またすでにフェミニズム運動を続けてこられた方々とともに、フェミニズム政治がいかなるものであるべきかについて考えてみるつもりです。単に国会に女性議員が多くなることがフェミニズム政治ではありませんからね。大統領選挙の過程でも、大統領選挙以降も、議論が続いて、フェミニズム政治というものをともに作っていきたいと思います。

李振赫 長時間、お話し下さってありがとうございます。今日、確認したことを、新年にみな達成できればと思います。(2017年1月24日、創作と批評社・細橋ビル)

(訳=渡辺直紀)

 

[特別対談]資本の作動、世界/中国の行方

〔特集〕危機の資本主義、転換の諸契機
資本の作動、世界/中国の行方
―デヴィッド・ハーヴェイ/白楽晴(特別対談)

白楽晴(ペク・ナクチョン)文芸評論家、ソウル大名誉教授、『創作と批評』名誉編集者。近著に『白楽晴が大転換の道を問う』、『2013年体制の形成』、『文学とはなにか、ふたたび問うこと』、『どこが中道か、どうして変革か』、『白楽晴会話録』(全5冊)など。

デヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)ニューヨーク立大学大学院教授。地理学博士、マルクス主義研究の世界的な大家。著書に『ネオリベラリズムとは何か』、『パリ――モダニティの首都』、『ポストモダニティの条件』、『資本の限界』、『ニュー・インペリアリズム』、『〈資本論〉入門』など。

 

白楽晴 まず季刊『創作と批評』創刊50周年行事のため、遠く韓国までいらして下さったことに感謝申し上げます。これまでずいぶん忙しい日程を消化されました。今週、私たちは2016年「東アジア批判的雑誌会議」という、もうひとつの記念行事をおこないましたが、英語通訳がないのにわざわざいらして午後ずっと同席されました。一昨日は「価値実現の危機と日常生活の変貌」というタイトルで公開講演をされ 1、昨日は、限られたメンバーの専門家および活動家らと一緒に、先生のご著書『反乱する都市』を中心にワークショップを開催し、多様な分野にわたった討論がおこなわれました 2。参加された行事に対する感想を一言聞かせて下さいますか。

デヴィッド・ハーヴェイ(以下ハーヴェイ) 私が世界あちこちを巡りながら感じたことの1つは、出版社が組織する行事の方が、大学が組織する行事よりも興味深いという事実です。出版社は純粋に学術的な行事よりも、さらに多様な聴衆や参加者を動員するからです。今回も聴衆の構成がとても気に入りましたし、私が優先的に適用する基準によれば、寝ている人が目につきませんでした(笑)。講演後の質問や、翌日のワークショップでの質問や討論を見ると、少なくとも韓国社会の一部では、私が核心的であると考える諸問題に幅広く関心を持っていることが明らかでした。ですが、どれほど役に立ったかは、聴衆に聞いてみなければなりません。

 

実践と直結した『資本論』読解

白楽晴 先生の講演のタイトルと関連して、外国でもそうなのかもしれませんが、韓国でマルクス経済学に関心がある人たちは、価値の「実現」(realization)の問題はさほど論じないようです。「生産と実現の矛盾的統一性」がマルクス(K. Marx)の主要概念の1つであるにもかかわらず、実現の側面がよく軽視され、先生が指摘されるように、それが実践的な闘争に損失をもたらすことになります。先生はこのような現象の原因の1つとして、『資本論』第2巻が第1巻に比べて、面白さが半減している点をあげましたが、他の国のマルクス研究にも該当することでしょうか?

ハーヴェイ そうですね。マルクスを読む方法はいろいろありますが、私はマルクスが、資本を1つの進化する有機的体系として理論化するという考えに、少しずつ集中してきています。ですが、これは単純な有機体の比喩ではありません。何か一体のものというよりは、さまざまな部分が相互に関連した、1つのゆるくつながった生態系のようなものです。その全体は資本の流通や蓄積によって促進されます。流通の過程全般をみると、それは随所で中断され、あらゆる種類の障害に直面することがわかります。生産にだけ集中していては資本の体系全体を理解することはできません。もちろん、マルクスが『資本論』第1巻で主に扱うのは生産で、第1巻が経済に関するすぐれた学術書であるばかりか、文学的にもすぐれた傑作であることを誰もが認めます。ですが、第2巻になると、異なる視角で流通過程を分析しますが、これを文学的な傑作と主張する人はいません。

白楽晴 なので、マルクスが生産と流通に言及する第3巻まで行かない場合が多いでしょう。

ハーヴェイ 実は第2巻でもそのような総合を若干は試みます。私が少し苛立つのは、元老マルクス研究者たちでさえ、「第2巻を読んだがつまらなかった。その続きを読まなかった」といいます。個人的に私は、第2巻の多くの主題が重要だとつねに考えてきました。たとえば『ポストモダニティの条件』で「時空間の圧縮」(time-space compression)を語るとき、多くの部分を資本回転の時間と回転時間の短縮の重要性に対するマルクスの議論に依存していますが 3、これはまさに『資本論』第2部に出てくる話です。私は常に第2巻の内容から多くのことを学んできたので、それがもう少し魅力的かつ興味深い形式で提示されないのが本当に残念です。ですが、第1巻でもマルクスは、商品を市場で販売することによって、貨幣形態として実現されなければ、価値が存在しないと語ります。すなわち価値とは全面的にその実現如何にかかっているということですが、ただ第1巻では実現の諸条件を検討しないんです。この段階でマルクスは、すべての商品がその価値通りに交易されると前提しているんです。

白楽晴 出版界ではその問題が本当に実感できます。本を印刷したのに売れなければ、単に紙を所有しているよりはるかに及びませんからね(笑)。

ハーヴェイ 私の著書も『マルクス〈資本論〉講義・1』はよく売れますが、『マルクス〈資本論〉講義・2』はさほど売れません 4。第2巻の読解が重要だという私の信念にもかかわらず、それがうまく伝わっていないんです。

白楽晴 価値実現をめぐって、先生がおっしゃることの中で特に印象深かったのは、これらすべてのものが実践的闘争と直結するという指摘でした。単に資本がどう作動するかを分析する問題だけでなく、私たちが何をどうすべきかという問題に、実質的な影響を及ぼすということでしょう。

ハーヴェイ 最近、闘争が起きている大きな現場の1つは、住宅費用と家賃の問題、すなわち世界のさまざまな都市で適切な費用の住居を求める問題です。労働者らに生産参加の代価としてさらに多くの金額を支払っても、収入の大部分がそのまま高価な住居費用の形で、土地所有主や建設業者らによって回収される問題です。私が訪問する都市で、不動産価格はどのような状況かと聞くと、本当に深刻な問題だという返事が返ってきます。いわゆるジェントリフィケーション、開発業者らに関連する闘争、撤去民問題、つまり開発業者の高層建物建設のために、空間を整理する過程で生じる諸闘争が進んでいます。開発業者は超巨大建設プロジェクトをあまりにも好むために、多くの場合、国家も介入しています。彼らはまた高価格の高級マンションの建設を好みます。貧しい人々も居住できる住居の建設には関心がありません。なので、あらゆる都市で私たちは途方もない不平等を目撃し、それが大多数の住民の日常生活上の関心事になります。私にとっては、このような種類の諸過程を、資本の流通および市場における価値実現に対する理解と合わせて考えることがつねに重要でした。私はこのことを、マルクスの一般理論と整合的に考えたいと思いますが、そのためには資本の流れが形成する「進化する生態系としての資本」という有機的概念を認めなければなりません。

ですから、人々がこのような問題に悩むというのは当然です。また彼らを困らせているのは住居問題だけではありません。漸増する交通費用もあります。都市内での移動の可能性は重要な懸案になっています。ほとんどすべての都市問題が、財貨の消費を通じた価値の実現と、その財貨の価格に関することです。商品の価値がどのように貨幣に転換されるかは経済問題の核心です。

 

「一帯一路」、中国の動きをどう見るか

白楽晴 先生の講演とこれまでの著述活動でもう1つの重要なテーマは、現時点で、工場よりも都市を、剰余価値生産の主な現場と見て、それを解放運動の重要な現場として設定する作業です。それと関連して、先生は、今、中国で起きていること、ひいては中国がユーラシアやアフリカ、ラテンアメリカなどで行なっている事業のことを、先生がおっしゃる「空間的解決」(spatial fix)の最新事例であり、類例のない大規模事例として論じられました。ご存知でしょうが、東アジア批判的雑誌会議では、中国の「一帯一路」企画についての提案があり、中国大陸だけでなく、台湾や香港から来た参加者も、大枠では、これを新自由主義的な資本主義による最新・最大の「空間的解決」と規定された先生よりも、一層肯定的に評価する雰囲気でした。中国に行かれた時も、このような主張を聞かれましたか?

ハーヴェイ 私はそのような企画に対して相反する印象を持っています。中国内部の現実から見ようとすれば、約10年前には高速鉄道の連結網もありませんでしたが、今、中国はほとんど完全に統合されました。率直にいって、私は上海から北京に行く時、飛行機より高速鉄道で行くのが好きです。中国の交通網がきめ細かに組まれた結果、多くの人々が恩恵を受けていることは明らかです。したがって、これを否定的にのみ話すつもりはありません。ですが、高速鉄道に乗る人たちを見ると専門職や企業のエリートです。ですから、この巨大な投資の恩恵を受けるところに階級的差別があるのです。

他面を見ると、このような開発の多くの部分が負債で行われました。ですから、この巨大な投資計画の結果の1つは、中国のGDP(国内総生産)の対負債比率が世界で最も高い水準に肉迫することになったのです。結果的に、誰がこの負債を返すのかということが問題になります。典型的な資本主義的形態を見ると――中国がそうなると考えているわけではありませんが――後でその負債を抱え込むのは、たいてい最も不利で周辺化された住民です。中国の海外借款や投資の償還についても、同じ問いを投げかける必要があります。

エクアドルの場合を考えてみましょう。エクアドルに対する海外投資の半分以上が中国によるものです。中国が推進するプロジェクトの1つは、エクアドルのエネルギー需要の60%を充たす巨大な水力発電ダム建設です。もちろん中国のセメントと中国の鉄鋼を使います。ですから、建設工事を通じて中国の過剰生産能力を吸収するんです。ですが、中国はエクアドルに金を貸し、エクアドルはいつかそれを返さなければなりません。返す方法の1つとして、エクアドルは自国の南部の鉱物資源を自由に開発する権利を中国に与えます。その結果、その地域の住民と中国の鉱業社との間に葛藤が起きます。中国の企業が直接かかわっているわけではありませんが、主として地方自治体が名乗り出て中央政府が支援し、現地の住民を強力に弾圧した事例があります。このような結果は、私たちがこれはいい事業だ、再生可能なエネルギーを開発し、多くの住民の電気需要を充足させると語る時、よく見過ごされたりします。

したがって、あらゆる問題を一緒に考える必要があるんです。東アジア批判的雑誌会議の発言者が、中国だけでなく、ヨーロッパやアフリカの経済まで、世界的に統合する交通網の創出がいいことだというのは、間違ったことではありません。ただ私は、私たちが常に2つの問いを投げるべきだと思います。まず誰が恩恵を受け、誰がそれを返すのか、2つ目は環境にどのような影響を与えるのかということです。そのようなことを追加して考える時、私は、そのようなプロジェクトに拍手を送るということが一層難しくなり、深刻な疑問を抱く余地が大きくなるのです。

白楽晴 会議で、中国の地理学者・徐進玉が提起した主張はどう思われますか? つまり、「一帯一路」の企画が、地政学的観点から見れば、中国側の防御的行動であり、アメリカの覇権主義に対する健全な挑戦であるという主張です 5

ハーヴェイ その点は疑問の余地がありません。ですが、余剰資本と余剰労働を吸収する次元では、中国が別の選択をすることもできなかったと思います。中国は大量失業と多数の鉄鋼工場の閉鎖危機に直面しました。換言すれば、中国側に地政学的計画があろうとなかろうと、中国の過剰生産能力を吸収するために資本を輸出しないわけにいかず、強く推進する経済論理があったんです。もちろん私は、中国共産党がどのようなことを考えているのか、知るすべがありませんが、きっと2つの要因を勘案したでしょう。しかし、資本主義の空間的動力を解釈する私の理論では、2005~2008年の中国としては、経済成長を継続し、さらに経済の安定を維持するためにも、現在のようなことをせざるを得ない立場だと思います。

白楽晴 そうですね、私も、東アジアの同僚たちが、資本主義の論理や「空間的解決」の概念について、儀礼的に同意したまま、地政学的な側面にほとんど全面的に没頭することには賛同しません。先生が指摘されるように、それは、中国当局が資本の論理のために、何かこのようなことをせざるを得なかったという事実を軽視することです。ですが、昨日のワークショップで、先生は2つの権力論理、つまり領土主義的な論理(territorial logic)と資本主義的な論理(capitalist logic)についておっしゃいましたが 6、この概念を導入して中国の試みを単に新自由主義の1つの事例で見るのでなく、例の2つの論理を結合しようとする新しい試みとして見るとどうでしょうか? アダム・スミス(Adam Smith)こそが、このような結合を唱えたと先生自らが指摘されました。つまり、彼は市場に作用する「見えざる手」が「諸国民の富」、人民を含めた彼らの国の国富に寄与するものであると主張したんです。私はおおよそ1960年代までは、資本主義がさまざまな方式でそのような結合をある程度成就したかもしれないと考えますが、開発国家、または発展主義国家の理念も、言ってみればそのような目標を前面に掲げたんです。それに比べれば、新自由主義は、資本の論理に全面的に没入しようとする試みになります。もちろん、軍事力と警察力を含む国家権力に依存しながら、そのようにするわけですが。状況をこのような脈絡で見るならば、中国は資本主義的論理に専念しようとする新自由主義的な試みに、一定の修正を加えようとする努力をするかもしれません。成功の有無はもちろん別の問題ですが。

ハーヴェイ 私はジョヴァンニ・アリギ(Giovanni Arrighi)とこの問題でよく論争しました 7。ジョヴァンニの主張は、すなわち中国で市場の浸透、市場への転換、開発のさまざまな側面が見られるからといって、中国当局が自らの社会主義的な権力論理を全面的に放棄したと断定するべきでないということでした。彼が提起した問題は、現状分析にともなう何らかの予測をするよりは、中国人が選択できるさまざまな戦略について、鋭敏な意識を維持するべきだということでした。それに対して、私の反論はおおよそ次のようなものでした。社会主義論理が依然として1つの選択肢であるという主張は、1990年代末までは正しかったかもしれない、しかし、おおよそ2000年代から、中国の領土的論理は、過剰蓄積と空間的拡張という資本主義の論理に促されたと考える、彼らは資本主義の論理を解禁したし、資本主義の論理は彼らが全面的に統制できる性質ではないので、ますます統制が難しくなっている、というものでした。彼らは世界市場の条件に対応しなければならず、したがってアメリカの消費市場の破綻は、中国に途方もない衝撃を与えました。2007年と2008年当時、中国、特に中国南部の数多くの輸出産業が閉鎖されましたが、このようなことこそ資本主義の論理が席巻して実質的な統制力を行使する事例です。そうなると中国は対応せねばならず、その対応は自らの方式でなく、資本の方式に従わなければなりません。ひとまず虎を放てばその尻尾をつかまえていなければなりません。誇張しているかもしれませんが、中国政府が自らの領土論理で資本主義の論理をどれほど制御できるか疑わざるを得ません。私は、彼らの統制力は、たとえば1990年代よりはるかに減じており、その傾向はますます強まるだろうと思います。中国が自国経済を市場交換体制として認められる方向に行けば行くほど、彼らはWTO(世界貿易機構)の基準に順応せねばならず、資本主義の権力論理に一層統合されねばならず、さまざまな代案の間で選択の自由がますますなくなるでしょう。そのようなことがジョヴァンニに対する私の反論の核心でした。要するに、社会主義的な領土論理が統制する能力に対して、彼がかなり楽観的であるというものでした。資本主義体制はますます金融化され、世界金融に対する中国金融の統合度は急激に高まってきました。私が見るところ、私たちは、中国当局が資本主義の論理にあらゆる譲歩をしている現実を目撃しています。

 

新たな帝国主義と「略奪による蓄積」

白楽晴 虎を放ってその尻尾をつかまえるという比喩と関連して、その虎がどれくらい元気でいつまで生き残って力を行使するかによって、多くのことが変わってくると思います。しかし、この問題は、後で世界資本主義の全般的状況を論じる時にあらためて論じることにします。

先生の講演で、質疑のときに出たもう1つの問いは、「新たな帝国主義」とその特徴をなす「略奪による蓄積」(accumulation by dispossession)という概念でした。先生自らその概念をマルクスの「本原的蓄積」(primitive accumulation)と充分に区別できなかったとおっしゃいましたが、その解明をあらためてなさるとどうなるでしょうか?

ハーヴェイ マルクスにとって本原的蓄積は、資本蓄積の前提条件がどう作られるかに関する話でした。賃労働と貨幣化された商品交換体制と商品市場が、あらかじめなければならないという前提条件のことです。そのような諸要素がすでにあってこそ、資本家が登場し、自分はこの賃労働の一部を買って剰余価値を生産させ、市場で販売する商品を生産させる、よって資本主義的な循環過程が始まると言えるんです。

これを別に表現すれば、資本主義発達の初期段階には、賃労働と貨幣資本がきわめて不足しました。なので、資本が自らの存在条件を再生産する能力のない状況で、賃労働と貨幣資本を生産する道を探らなければなりませんでした。これを完遂したのが本原的蓄積の暴力です。人々を土地から追い出し、彼らが生きるために賃労働者になること以外に他の選択肢がないようにし、お金がどのような方法であれ集まるように、経済の十分な貨幣化がなされなければならず、お金を1か所に集める初歩的な銀行制度ができ、お金が資本として流通する必要がありました。

このすべての前提条件がきちんと備わるまで時間がかかりました。マルクスの原蓄理論の目標は、このような前提条件が、伝統社会に対する暴力的な介入や破壊、金(きん)の買い占め、その他の方法で達成されたことを示すことです。教会と国家を通じて、高利貸業者が封建貴族層を破産させ、ブルジョアのために貨幣を開放する役割を果たしました。これがマルクス原蓄論の要旨です。ですが、本原的蓄積の要素が常に存在するだろうという点をマルクスは否定しませんでしたが、彼は、資本主義が自らの再生産条件を産出する能力が卓越しているので、ひとまず資本主義が循環を始めれば、原蓄の要素が相対的にあまり重要でなくなると語ったのは事実です。換言すれば、資本が剰余価値を生産し、貨幣資本を創り出して、産業予備軍の生産を通じて賃労働者を作り出すんです。もちろん世界のある部分では、本原的蓄積が続く様相を私たちは見てきましたし、原蓄は現在も進行中です。インドで農民社会の破壊が進行中ですし、もちろん中国でもそうです。ですから、このようなことは現代世界で本原的蓄積が持続する現象として考えるのが正解です。

ですが、私が特に注目したのは、豊富な資本があって豊富な労働力があるのに、資産価値を強盗のような手法で、人口の一部分のポケットから他の部分のポケットに移しかえる過程です。私は、サブライム住宅ローン危機を例にあげましたが、アメリカで600万ないし800万の人々が家を失いました。2007年と2008年に、黒人は自らの資産価値の60パーセントないし70パーセントを失い、白人は自らの財産の3分の1ほどを失いました。このように人口のさまざまな部分で途方もない損失が発生しましたが、そのすべての資産価値はどこに行ったのでしょうか。ウォール街はおおよそこの損失に見合う金額を自分たちのボーナスとして支給しています。この過程を検討したあるアメリカの判事は、「これはアメリカの歴史上、一階級から他の階級への最大規模の富の移転だ」と言いましたが、それはもちろん、特権から疎外された人々から特権を持った人々への移動でした。このことが意味するのは、恐慌期にも金持ちはさらに金持ちになり、貧しい者ははるかに貧しくなるということです。

白楽晴 おそらくアンドリュー・メロン(Andrew Mellon)だったと思いますが、ご存知のように彼は「恐慌期には、資産がその本来の主人の手に戻ってくる」と言いました。

ハーヴェイ ぴったりの言葉です。ですから、私たちはサブライム住宅ローン危機とか、大企業が破産申請をするやり方とか、製薬会社が薬代を1粒5ドルから500ドルに引き上げるのにそれを阻む方法がないとか、このようなメカニズムを通じて、一階級から他の階級に付加転移する現実を論じる言語が必要です。これに対して、私は「略奪による蓄積」と呼んでいます。このような現実の1つの兆候は、土地の略奪や追放、撤去などが、世界随所で進んでいる一般的な過程であるということです。これは賃労働力を創り出す行為ではありません。そのまま一階級から他の階級に資産を移すことです。「略奪による蓄積」はそのようなもので、そのおかげでウォール街が危機の時代に繁盛できるのです。もう1つの表現は、金持ちはいい危機を決して浪費しないということでしょう。実際に多くの金持ちが2007年と2008年の危機を通じて大きな利益を得ました。これを正しく理解するために、私は、多くの場合に、価値実現の過程と直結する資産移転のメカニズム、すなわち価値実現の危機と略奪を通じた蓄積の間の関係を論じることが重要であると考えました。このような富の移転を本原的蓄積と呼ばないことが重要だと考えました。その2つはそれぞれ異なった脈絡で進む、相異なるメカニズムを持っています。

白楽晴 そうですね。十分に資本が蓄積されていない時期に行なわれる略奪による蓄積と、資本が過剰な状態で行なわれる略奪による蓄積を区別することが重要です。同時に、私は「略奪による蓄積」の概念を拡大して、原蓄期から始まって、略奪による蓄積があまり目立たない時期を経て、それがまた顕著になるすべての時期を網羅したらどうかと思います。なぜなら、いわゆる原蓄期という最初の段階は、厳密にいって「資本主義以前」というよりは、農業資本主義時代と実質的に重なっていて、このとき、国内だけでなく、アメリカ大陸やアフリカの富を大々的に略奪する作業がなされました。また、18世紀になっても、大西洋の奴隷貿易が最盛期だったのは18世紀末葉でしたし、あちこちで植民地事業が推し進められました。ですから、略奪による蓄積が重要でなかった時代はなかったんです。実際に先生は、新刊に収録されたある論文でこのように言っています 8。マルクスの優秀性は、彼が数多くの具体的・歴史的・社会的諸条件をひとまず捨象することによって、資本主義が最善の条件においても――換言すれば、公然たる略奪が介入しなかった状態でも――結局は自らの墓を掘る人材を生み出すということを立証した点でしょう。同時にもう1つの側面は、マルクスの追従者にとって、マルクスがきわめて特殊化された作業、多分に抽象化された作業を遂行していることを、しばしば忘却させ、したがって私たちが真に円満な現実分析をするならば、捨象された歴史的・社会的諸条件をあらためて考慮するべきだと言われました。その洞察を適用して、こう表現してみたらどうでしょう。マルクスが自らの経済学的分析の集中対象とした時期にも、略奪による蓄積は進んでいたし、他の見方をすれば、それが、労働者が生産した剰余価値の収奪に劣らず、歴史的資本主義の本質的一部だったということです。

ハーヴェイ その議論に反対するつもりはありません。ときおり私は、自分が何を話し、何を話そうと思ったのか忘れますが(笑)、私が言おうとしたのは、原蓄が資本主義の全歴史を通じて存在し、略奪による蓄積が新しい現象ではないということです。ただ1970年代以降、資本が投資されるとき、古典的なやり方ならば生産に投資して――マルクスが語るように――労働者から剰余価値を奪い取る作業だったでしょう。ですが、そのような投資をする機会がますます減ったんです。ですから、資本は略奪による蓄積の事業にますます投資するようになりました。略奪による蓄積が、1950年代や60年代に比べてますます重要になったのです。原蓄の過程は特にいわゆる第3世界で厳格に進行中でしたが、世界の資本主義としては、略奪による蓄積がその次の時期ほど重要ではなかったと思います。私たちが1960年代を検討するならば、私たちの周辺で略奪による蓄積と見えるものが、さほど顕著には見えないでしょう。

たとえば、製薬産業や薬価に関連して起きたこと、ヘッジファンドが製薬会社を接収して薬価を大幅に引き上げるようなことは見えないでしょう。興味深いのは、その薬価を個人が出すのでなく、保険会社が出しているという点です。そして後でみな医療費がずいぶん上がったと文句を言います。実は、これは多くの部分、ヘッジファンドが略奪による蓄積を遂行しているためです。問題は、年金の権利の喪失にも拡大できます。労働者が貯めた年金権に対して大々的な攻撃が進み、健康保険の権利の喪失、教育に対する公共支援の喪失など、このような種類の損失がかなりあります。私が見るところ、現代資本主義はすぐ目の前で、はるかに多くの略奪による蓄積を進めています。この現実をそのような名称で呼ぶことが重要と考えたもう1つの理由は、アメリカでアイオワ州の農民と話しながら、あなたは原蓄の犠牲者だと認識するかと聞いても、いったい何をふざけたことを言うのかというでしょう。ですが、略奪を通じた資本蓄積といえば、何のことか即座にわかります。このように、それは、人々が自分の周辺で起き続けていることを、目撃する過程を議論する時に理解できる用語であると思います。

 

産業現場の闘争を越え、都市の闘争へ

白楽晴 では都市の問題へ移りましょう。先生は、最近数十年間の民衆闘争のうち、大部分は都市での闘争であるという、明白な経験的事実を明確にしたことが、きわめて重要だったと思います。先生はまた、パリ・コミューンの例をあげながら、それが厳密な意味でのプロレタリア蜂起とみるよりは、都市の闘争であった点を指摘されました。問題は、このような経験的現実をどう解釈するかということです。先生は、大多数の左派ないし進歩的な思想家や活動家が、いまだ都市が剰余価値生産の起きる現場であり、闘争は――造成された都市環境を含めて――そのように生産された剰余価値をどう処分するかに関すること、その生産者と非生産者の間の闘争であることを認識できずにいると指摘されました。私はこのことが、私たちが看過してはならない重要な洞察だと思います。

ハーヴェイ 私もそう考えます。それは常に私にとって重要な問題でした。都市の闘争が階級闘争であるという点を、左派の人々に説得するのは非常に大変でした。ですが、このときの階級闘争はかなり異なった内容を持っており、かなり異なった形態を帯びています。一例をあげるなら、マニュエル・カステル(Manuel Castells Olivan、1942-)と私は、都市問題を探求する作業に積極的に関与してきましたが、彼も初期作では、このような問題を階級闘争の次元として好んで議論し、パリ・コミューンなどに関して、それらがマルクス理論の一部であると考えていました。ですが、『都市と草の根』で、彼は突然、これは剰余価値生産をめぐる闘争ではないので、マルクス理論とは関係ないとしました 9。都市の闘争は、労働現場での闘争と統合され得ないというのです。私はいったい彼がなぜそのような立場を取るのか理解できませんでした。もちろんその時から彼はマルクス主義陣営を離れて、彼独自の道を歩んでいきました。

私は、なぜ彼がそう言わなければならなかったのか、本当に理解できませんが、私が考えるところでは――同じ話の繰返しですが――価値実現に関する闘争が、生産をめぐる闘争に劣らず重要であるという点を看過する問題に帰着します。ですから、私が生産に関する闘争を軽視するという批判に接する時、私は、そうではない、中国の深圳やバングラデシュで起きている事態を見れば、工場プロレタリアートの闘争がきわめて重要だと言います。ですが、このような現実を私たちは、他の諸問題に対する理解と結びつけるべきです。ですから、たとえばマニュエルのパリ・コミューン解釈によれば、それはプロレタリアートの蜂起でなく都市反乱でした。私はその2つを別個のものと見ませんし、人々がどうして両者を別個のものと見るのか理解ができません。私はここで、マニュエルを一例として、都市の闘争が根本的に階級闘争であるという考えに適応できない、左派思想家の例として論じています。都市の闘争には「うちの裏庭ではダメだ」(Not in my backyard= NIMBY)という、いわゆるNIMBY政治にもとづいた闘争ももちろんあります。NIMBYは、ブルジョアが自分の権益を守ろうとする動きで、それゆえに彼らは閉鎖的な住宅団地を作り、反開発主義的であり、排他的な都市社会運動の形成に積極的になります。都市闘争の領域では、そのような種類の多くの争点と対面しなければなりません。労働者vs資本家という明瞭な対立構図が消え、すべてのことがかなり曖昧になります。同時に分析がはるかに現実的になります。私は現実主義の方を選択して、そうだ、いいぞ、私たちはこれらの闘争を見て、その階級的内容を点検し、そこに見られた階級的内容を労働者の闘争と結合して、批判的な政治企画を作り出そうという立場です。

私はクラムシ(A. Gramsci)がかねてから――1919年頃だったと思います――このような問題について書いていたという事実が、いつも印象深かったです。彼は、私たちが工場の労働者評議会を組織するのはいいが、近隣住民の組織を通じて評議会を後押しする必要があると主張しました。そして非常に意味深長な話をしました。労働階級を彼らが暮らす近所で考察すれば、工場で出会う労働階級の一部でない、全体の労働階級の欲求と希望と欲望がどのようなものか、はるかに正しく知ることができるということです。そして、街の清掃夫や銀行事務員、運輸業従事者など、普通の労働階級の一部として扱われない隣人たちの組織を作ることができるならば、住民組織自体が、社会主義のための闘争を支援するストライキを行うこともできます。クラムシはこのように、工場組織に併行する近隣住民組織の重要性を認識しました。不幸にも彼は、これを一般理論に発展させるところまでは行きませんでしたが、このような論評を通じて、私は、この問題を考えようとする方向を提示しました。歴史的にも労働現場の闘争は、地域共同体や隣人たちの支援があるときの方が、成功する事例がはるかに多いと思います。地域共同体の支援がなければ、工場を占拠中の労働者らに、誰がサンドイッチを持って行くでしょうか?

白楽晴 イギリスの炭鉱労働者のストライキ当時、ノーザンブリア地方がかなり持ちこたえた事実を指摘されたこともあります。

ハーヴェイ それはアメリカでの古典的な闘争でも見られた現象です。たとえば1930年代のミシガン州フリントの自動車産業ストライキの時も、近隣の住民たちがストライキ労働者に支持と支援を送り、ストライキの成功はその点が大きかったと思います。

白楽晴 講演で先生は、ニューヨークのある小さな食堂の主人の例をあげました。雇用人に非常に低い賃金を与えながらも、自らが誰よりもさらに熱心に仕事をし、社員の月給を到底引き上げられない現状だから、自らが労働者を搾取しているとは思えないんです。ですが、彼が貯めたお金がみなどこへ行くのか? 銀行利子として出て行き、建物主に家賃として出て行き、といった形です。ですから彼は、労働者階級による都市闘争の自然な味方になるということです。ですが、私はここで、1つの理論的問題を提起したいと思います。プロレタリアートとブルジョアを区別する古典的基準は生産手段の所有の如何です。食堂の主人は食堂の所有主なので、彼が生産手段を所有していると言うこともできます。ですが、もしかしたら私たちは、例の古典的基準を緩和したり、あるいは別に適用するべきかもしれません。なぜなら、現代世界において、生産に必要な手段の規模を考え、また小規模自営業者に対する金融機関の支配力を勘案する時、ニューヨークのその食堂の主人が、はたして自らの生産手段をどれほどきちんと所有していると言えるでしょうか。ある意味では、莫大な年俸を受ける大企業の経営者の方が――株主かどうかを離れても――生産手段の所有者にはるかに近いと思います。

ハーヴェイ その通りです。

白楽晴 ならば、食堂の主人は、単に都市闘争における味方でなく、潜在的な労働階級の成員と見ることができるでしょう。もちろん彼自身は、自らプロレタリアと絶対に考えませんし、私たちがその点をあえて説得しようとする必要もありません。ただ問題は、多くの左派思想家が、彼が破産して、いわゆる小市民階級から脱落する前に、彼がすでにプロレタリアートに近い存在だということを考慮していないという点です。

ハーヴェイ 私は、マルクスが彼の理論的著述で、つねに特定の個人でない役割を論じるという点に注目してきました。たとえば、多くの労働階級の構成員が、年金計画を通じて株式市場に投資しています。個人としては実際にさまざまに異なった役割を遂行できます。食堂の主人の場合、彼はもちろん、什器や他の生産手段を所有した状態ですが、生産手段の1つは土地または空間です。土地よりも空間と呼びましょう。食堂の主人が空間を所有していなければ、空間を借りなければなりません。ですから、生産手段としての空間を他人が所有しているわけですが、空間または土地こそ基本的な生産手段です。これはお金にも該当します。お金は生産手段であり、資本を創り出す手段です。『資本論』第3巻をみると、土地に対する地代(賃貸料)と、借りたお金に対する利子について検討しています。ですが、この場合にも『資本論』の解読に若干の失敗がありました。人々は生産手段の問題を一層複雑にする地代と利子に、十分な注意を注ぎませんでした。一定の物理的生産手段を所有しても、土地を統制できなければ、自らの生産手段のうち相当部分を他人が所有するのです。したがって、ニューヨークの食堂の主人の実質的な状況には、このような複合的な要素があります。もちろん彼らは労働階級と呼ばれることを望みませんが、基本的な生産手段である土地や貨幣を制御できないという点では労働階級です。ならば、私たちは、よく無視される幅広い領域の不満に注目できます。たとえば、ニューヨークでは、伝統的な家族経営の食堂が相次いで廃業し、都市生活の位相が大きく変わっています。家族経営の食堂があったところに銀行の支店やチェーン店が入っています。賃貸料の引き上げによって生活の質や都市生活の位相が破壊されています。実際に非常に興味ある抗議運動が繰り広げられたりもしました。ニューヨークのマディソンスクエアガーデンの近所に1930年代から存在し、人々が好んで訪ねる有名なカフェがあるのですが、賃貸料がかなり高騰し、閉店することになりました。これに対する公開的な抗議があり、都市生活の質を破壊する、このようなことが続いてはいけないという人々の主張が、『ニューヨークタイムズ』にも報道されました。都市一帯でこのような争点が提起され始めました。私は、何が階級であり、何が生産手段かについて、私たちがもう少し開放的に接近する必要があると思います。繰り返し言いますが、このようになれば問題は一層複雑になります。都市の状況では、労働者階級vs資本家階級という対立の鮮明性が薄れます。ですが、私たちの認識ははるかに現実的になって、日常生活の政治の実状にはるかに近接することになります。

 

水平性と位階秩序の問題

白楽晴 ソウルでも似たような現象や出来事が起こっていますが、先生は現場に通って人々に会いながら、その点を確認されたということがわかります。都市と都市に対する権利については話題も多く、途方もなく重要な主題と思いますが、他のテーマに移らなければなりません。先生の著述や、昨日のワークショップでも出てきた話ですが、私が特に興味深く思ったのは、闘争やオールタナティブ社会の組織原理と関連した「位階秩序」(hierarchy)の問題です。これまでこの問題を提起しながら、個人的な代価も払われたと聞いていますが、位階秩序を論じる瞬間、多くの生態主義者や無政府主義者から、スターリン主義者などという非難が返ってくるのが常です。ですが、先生が指摘されたように、たとえば気候変化のような大型の生態問題に対処しようとするならば、一定の中央の権威というか、ある種の位階的な組織が必須です。気候変化に反対して生態系を保護するという数多くの小集団が、単に相互の「水平的ネットワーク」だけを維持したまま、各自が仕事をやっているわけにはいきません。先生はまた「環境の性格」という論文で、一切の位階秩序を否定する生態主義、または無政府主義運動は、持続可能ではなく、さらに「生にとって危険」でもありうると言いました 10。韓国では伝統的に、社会的な位階秩序の概念が深く根付いているので、大多数の進歩的知識人がその用語自体をダブー視したりもします。私もときおりこの問題を提起しましたが、保守主義者ないし反動主義者と非難されたりもしました。

ハーヴェイ そうですね。そのうえ先生や私も、家父長的であると非難されるでしょう。そうですね。若干はそうなのかもしれません。位階秩序は非常に難しい問題です。私はすでに、世界の随所に現存する非公式のネットワークが、さまざまな種類の現実参与の活動を相互につなげることに対して、私の予想以上に進展した事実に深い印象を受けています。これは特に「文化生産者」と言える人々が顕著です。彼らは活動を支えるある種の調整の枠組みが必要ですが、互いにつながってネットワーキングして集結するために、ビエンナーレやその他の文化行事の拡散を利用する点が印象的です。したがって私は、ネットワーク形態、水平的形態を精一杯拡大しようという考えを支持し、おそらく私が考えたよりも、さらに遠くまで行くだろうと思います。これは、現存する新しい社会的メディア構造を、建設的かつ協同的に使う能力のためでもあります。したがって私は、多くの人々が自らの政治行動を水平的なネットワークの枠組みで組織しようとすることが、時間の浪費と考えるという印象を与えたくはありません。実際にそれは非常に進歩的なことで、私はそれを支持したいと思います。

白楽晴 ええ、もちろんです。

ハーヴェイ ただ、ある種の争点と関連して、そのようなやり方では対応できないという問題があります。気候変化や大規模なインフラ構築の場合がそうです。そのような大きなスケールで作業することが有益なことだと言うと、ある種の位階的統制や生産構造なくして、どのようにそのことをやり遂げられるでしょうか。問題は、どのような方法でも民主主義的な責任追及が可能な、やり方の位階秩序を見出すことです。私が見るところ、それこそが問題の核心です。ある種の階級構造は、ひとまず最上級に権限を集中させれば、草の根に対する自らの責任性を断絶する傾向があり、そうなると民主主義は消えてしまうからです。選挙と関連してみても、ある人が社会運動出身で非常に民主的なのに、ひとまず市長とかそのような座に座ると、突然、他の方向に進んでしまうことがあります。こうしたことは私たちの周辺でよく起きますが、そのような時、草の根側の典型的な反応は、政治権力が自分たちを裏切ったというものです。ですが、たまに背信行為はありますが、私はそれが公正な評価とは思いません。私が見るところ、これは組織をめぐる私たちの時代の重大な争点の1つです。

私は以前から、民主的連邦主義に関するマレイ・ブクチン(Murray Bookchin)の著述が好きなのはそのためです 11。彼は、村と地域単位で住民総会式の意志決定構造を持つものの、これらの構造を「諸総会の総会」として統合し、より大きな規模の生態地域的(bioregional)な問題を扱おうと構想しました。そして、たとえば1つの生態地域で水を合理的に使用する問題は、個人や小地域の決定に任せずに、該当する生態地域の持つ可能性や必要に符合した実践方式が、合意を通じて出るようにするということです。私が見るところ、ブクチンの体系は、私たちがこのような外部的次元に到達すれば、人々に対する管理でなく、事物に対する管理が主な目標であるといった、サン・シモン(H. de Saint-Simon)の原則に戻るのです。これはかなり興味深い考え方だと思います。実際に事物と人々を明確に区分できるかわかりませんが趣旨はわかります。すなわち、すべての次元で個人の自由を極大化しようとしますが、そのためには、人々に、その自由が意味あるものとして行使させる、ある種の物理的基盤を集団的に創り出すべきだということです。これは議論する必要性が切実な問題です。

いずれにせよ、私は、自分が、水平的な組織形態の物神崇拝と呼ぶ傾向を非常に嘆いているという点を、公開的に表明したことがあります。水平的組織形態が神聖不可侵になって、批判や評価をしてはいけないという雰囲気ですが、本来、このような組織を近くで見てみると、位階秩序の怪しい形態や、新たな権力構造が確立される隠密な形が、顕著だったりもします。

白楽晴 私たちが一層柔軟かつ現実的な組織原理を開発する必要があるということに全面的に同意します。ですが、どのような位階秩序がよくて役に立ち、どのような位階秩序がそうでなく、どのようにいい位階秩序を確保すべきかという問題に円満に対処するためには、平等の問題ももう少し深く探求し、どのようなものがよい平等であり、どのようなものはそうでないかを識別するべきです。マルクスも――私が間違っていたら指摘して下さい――平等自体について別に語らなかったと思います。彼は階級社会の撤廃を主張しましたが、生のオールタナティブなビジョンを論じる時は、主として個性の完全な発達や自由な生産者の自発的な連合などを語ります。私はこのようなものも平等の物神化から私たちを解放することに一助すると思います。

ハーヴェイ ええ、その通りです。私はさまざまな次元で、平等は支持しない方です。おそらく最も簡明に表現するならば、私は人生の機会の平等を支持しますが、結果の平等は決して支持しません。社会を魅力あふれるようにすることの1つは、差異の生産だと信じます。たとえば私は、地理的に不均等な発展が根絶されるのを見たくはありません。不均等な地理的発展は、実際にきわめて興味深くなると思います。私は、都市の相異なる諸空間、それぞれその印象が異なり、日常生活の位相が異なる諸空間を訪ねるのが好きで、ですから多様性というものをとても重視します。ですが、ある地点で、私たちはこれを緩和し、そのような差異が、都市の外郭に暮らす人々の人生の機会が、他の地域に暮らす人々に比べて、著しく縮小されてはならないという理念も受け入れるべきです。私たちは、たとえば期待寿命のような人生の機会が、すべての人に保障される環境を作るべきですが、趣味と存在の同質性が強要される環境を作ってはなりません。私がつねにアイロニーと考えるのは、マルクスに対する批判の1つが、彼がすべてのものを同じようにしたと考えている点です。そのうえ、このような批判が、随所で、すべてのものを同じようにすることに余念がない資本主義の側から出るのです。いったい誰があらゆるものを同じようにするのに忙しいというのでしょうか? 実際に文化的な汎左派勢力は、差異の保存、文化的差異や趣味、および生活様式の差異の保存に最も情熱的な社会集団です。平等を物神化してはならないという先生の主張に同意します。

 

自発性と知恵の発現には

白楽晴 そこからもう一歩出てみるとどうでしょう。平等な人生の機会が与えられた状況から、結果の不平等が可能にする多様性を重視するところから、もう一歩出て、成就した知恵や人生をきちんと生きる真の能力や、そのようなものにおける一種の不均等概念を確立したらと思うんです。私がある時期、外国で「hierarchy of wisdom」(知恵の位階秩序)という表現を使ったことがありますが、かなり不適切な選択だったようです。

ハーヴェイ ええ、そうすると、十字架に頼ることになります(笑)。

白楽晴 「位階秩序」もよくない単語ですが、英語で「wisdom」というと、人生を生きる実用的な知恵くらいのことを想定します。ですが、私が意味したのは、むしろ仏教的な意味の知恵、真の悟りから出る知恵のようなものでした。とにかく「知恵の位階秩序」はあまりよくない表現でしたし、いまだに適当な表現を探せていません。私の趣旨は、自発的な服従やリーダーシップの受け入れが必要な状況において、人々がそのような種類の自然な権威を積んだ人々を尊重するよう教育されるべきではないかということです。これは俗にいう能力主義(meritocracy)とは違います。いわゆる能力主義の主たる問題は、「能力」が既存体制の中で競争力中心に評価されるという点ですが、私のいう知恵は「悪い不平等」に該当する、あらゆる抑圧的な差別が除去された時、その真価が発揮されうる性質のものです。

ハーヴェイ 私はそのような形で表現しません。そのような道を選びたくありません。私が『希望の諸空間』の終わりの部分に挿入したユートピア的なスケッチでは、人々が権威のようなものを持つのでなく、彼らが成し遂げた素養に対する尊重心を持って、それでこれを尊重する人が、彼らから学ぼうと考える状況を描いてみました 12。その部分で私が提示したアイディアの1つは、誰でも安息年を得て、7年に1回ずつ仕事を休み、他所に行って他の仕事をしてみるということでした。たとえば、音楽に関心があって、訪ねてみたい立派な音楽家がいるという時、安息年にそれをやってみるんです。ですが、これは服従のようなものと全く異なり、一定の技量を習得しようとする欲望です。私自身はピアノを本当に習いたいです。幼い時ちょっと習ったことはありますが、きちんと続いていないのがいつも残念です。安息年が与えられるならば、どこかでふらっと出かけて、そうやってみることもできます。先生がおっしゃるのは、もしかしたら成就の一定の不均等として、多くの人々が従いたいと考える、そのようなものかもしれません。ですが、服従というよりは、真似をすることだと言いたいです。もちろん自らが好きで尊重することを真似するんです。当然、それは全面的に自発的な性格です。

白楽晴 自発的であることはもちろんですし、ある種の固定された権威に対する服従でもありません。ピアノの先生は自身の安息年が来た時、先生を訪ねてきて『資本論』読解を学ぶこともできます。要は単純な技芸や知識の次元でなく、人生が要求するある種の本質的な能力、たとえば仏教でいう「法力」や、東アジアで「道」と呼ぶ次元の能力を考えてみようということです。もちろん法(dharma)を人生のさまざまな具体的状況に応用する時、特定の法師が常に教える位置にいるわけではありません。もし、ある僧侶がそのような試みをするならば、むしろ彼の僧侶としての資格や知恵が疑わしくなります。

仏教や「道」を引用するのが、最も適切な意思伝達方法でないかもしれないことは認めます。むしろ、昨日のワークショップで提起されたE・P・トムソン(E. P. Thompson)の「欲望の教育」(education of desire)という概念の方がさらに有用かもしれません 13。「智者」とは、知性や実践力だけでなく、欲望次元でもさらに立派に教育された人といえます。とにかく私の趣旨は、私たちが社会や組織にかならずや必要な「いい位階秩序」を確保しようとするなら、平等と多様性を同時に追求すること以上の、ある種の教育や組織の原理を探求すべきではないかということです。かならず必要な現実的要求に応じる「いい」不平等、ないし不均等を認めて、そのような知恵を普及する教育をして、究極的にはそのような望ましい差異まで縮小することに寄与する教育です。

ハーヴェイ 私はそこまでは同意しにくいです。私なら、教育構図の反対の極から始めます。昨日、私はフレイレ(Paulo Freire)の『ペダゴジー』が好きだと言いましたが 14、彼の教育学は、民衆が一端の物神化された諸概念、クラムシが定義した「悪い常識」から解放される過程です。既存の偏見から民衆を解放することが大変重要だと思います。ひとまずその過程が始まれば、どのような結果が出るか予測できません。未知の世界に向かうドアをあけるようなことです。それこそ「百花斉放」なんです。私は、先生のお言葉の中に含まれた、ある種の成就の基準よりは、そのような形の考えを好みます。一定の成就基準を設定して、それによって、ある人が他の人よりも立派であるという風にいう責任を負いたくありません。それは違うと思います。

白楽晴 そうですね、私がまだぴったりした表現を探せていないことだけは明らかなようです(笑)。とにかく先生は「善無限」(good infinity)、すなわちいい無限大のことをおっしゃりながら、マルクスの「単純再生産」(simple reproduction)の概念に言及しましたが 15、単純再生産が文字通りゼロ成長である必要はありませんが、とにかく複率成長(compound growth)でない単純再生産が、主な目標になるためには、新たな社会制度だけでなく、全く別に教育を受けた市民が必要であろうという点は明らかです。

ハーヴェイ もちろんです。マルクス理論によれば、単純再生産が崩壊する理由は、利潤追求が資本の流通過程で目標になるからです。利潤追求はまさに拡張を意味し、これは私たちが直面する「悪無限」(bad infinity)を生みます。永遠の複合成長は不可能なことで、あらゆるストレス現象を生み始めます。したがって私たちは、人々が利潤動機なく社会生活の単純再生産を持続する、活動の諸要因を見つけなければなりません。ですが、これは単純再生産の重要性を認識する集団的意識を要求します。もちろん、過去の農民生活の単純再生産を考えれば、それはいくらでも実現可能なことです。人々が自分たちを再生産し、これは「善無限」、社会が代々、自己再生産できる、いい無限大です。資本主義はそれと決別し、今は無限の成長が大勢です。農民社会に存在したインセンティブは、もちろんおおよそ穀物を栽培し、農作業が終わった後にパンを確保するためには何をするべきかという循環周期に直結し、与えられた社会構造の内部で奨励される、いろいろなことと直結していました。今、私たちは、一層複雑な社会を、どのような方法ででも再生産できるインセンティブを見つけなければなりません。ですが、人々がみな個人主義的な成功を考える時代に、そのことをやり遂げるのは非常に大変です。したがって私たちは、個人主義を打倒し、利潤動機を清算して、人々が社会の再生産のために充分なだけ仕事ができるように誘導する、社会的方案を発見しなければなりません。

また、そのことが意識の一大変貌を要するという先生の考えはその通りです。人々はそのようなことが可能だろうかといいますが、私は、新自由主義の時代を生きてきましたし、これまで30-40年の間――先生もそうでしたが――人々の意識が変わるのを目撃したと答えます。意識の変化は不可能ではなく、単に長期間にわたる過程にすぎません。今、私たちはみな、1970年代には想像できなかった形で新自由主義的になりました。ですから変化は可能であり、劇的な変化も可能です。中国に行っておもしろかったことの1つは、中国では誰もが変化が可能であると信じている点でした。西側世界は、今、ものすごく悲観的です。中国で私たちが批判することが数多く起きていたとしても、変化は可能であり、急速な変化が可能であり、実際に急速に変化していることが人々に感知される雰囲気が存在します。よりよい方向への変化が可能であり、中国で起きたことは、大部分の中国人には実際に一層よくなる変化でした。

 

新自由主義の分析は依然として有効か

白楽晴 では資本の現状の問題に戻ってみましょう。先生は、資本家階級が現在、完全に混乱状態に陥り、経済危機にどう対処するかまったくわからず、政治は完全におかしくなっているとおっしゃいました。アメリカでのトランプ(D. Trump)現象や、イギリスのEU離脱の国民投票などを例にあげられました 16。今日の韓国の状況も、私は似ていると思います。もちろん、他の国々と違っている点の1つは、韓国が分断された朝鮮半島の一部であるという点です。私が分断体制と呼ぶのは、韓国の資本主義体制を支える1つの柱の役割をしており、北のいわゆる社会主義体制についても同じです。ですが、私が見るところ、分断体制自体もいまや重大な危機に直面しています。韓国の政治は、現在、ほとんど「おかしくなっている」水準ですが、ただ、韓国人と中国人の共通点の1つは、人々がよりよい方向への変化を含めて、多くの変化を見てきたし、よくなりうる自信をいまだ完全に失っていないという点です。その点が、韓国と日本で異なる点かもしれませんが、最近は、日本でも人々が目覚めて、かなり憤って動き始めているようです。ですが、アメリカやヨーロッパに戻って、先生は、資本家階級が統制力を喪失しているといいましたが、1973年の危機以降、彼らが産出した新自由主義の処方が効能を失ったということなのでしょうか?

ハーヴェイ 新自由主義の処方をどう解釈するかにかかっています。私は最初から、それが権力を寡頭体制に替えて集中するための階級的企画であると考えました。私が見るところ、その階級的プロジェクトは今でも健在です。1930年代を見ると、既存体制の代わりをするオールタナティブな体制を作り出せるかという思想や議論が、その時代に大量に生産されました。国家の役割が変わり、経済の運用が変わり、ケインズ(J. M. Keynes)の経済理論が突然、実現可能になりました。明らかに故障したはずの資本主義にどう対応するかに関する思考や概念の変貌を、危機が触発したんです。このとき現れた新しい考え方や新しい政治的実践が、資本主義の立場では1945年以降、大きな成功を収めました。そしてまた1970年代になると省察の時期があり、新しい理論が出てきてケインズが排斥され、供給者中心の経済学が胎頭して権力構造の移転が起き、制度が変わり、考え方が変わり始め……そして1970年代に依然として資本主義の立場で新しい答案が――私が嫌いな答案ですが――作られます。

2008年以降、注目される点は、そのような省察が全く見られないということです。政治権力がやっていることを見ると、以前に出したのと同じ処方をそのまま出しています。1、2か所、若干、手を入れただけです。唯一の例外は中国が主導する拡張で、これは厳密な意味でケインズ式ではありませんが、1945年以降、アメリカがやったことと非常に似ています。ですが、本当に新しい思考、新しい処方は出なくなっています。どこかで何かが進行中ですが、私にわかっていないこともあるでしょう。とにかく以前のような討論や論争の状態が私の目に入ってきません。IMFがもう1つの暗澹たる予測を出し、同じような構造調整政策を追求しているのが見えるだけです。最近、私が繰り返し批判することの1つに、みな、出来事がどう起きるのかについてのみ語り、なぜそのようなことが起こるのかには関心がないということがあります。ですからIMFは、今、アメリカ経済の難航が予想される、労働参与率が下降し、生産率が非常に低く、中産層が消えているなどの話をします。これは非常に悲観的な展望ですが、それでもなぜこのようなことが起きていて、何をしなければならないのか、どのように全体経済を再構成できるのかについては誰も語りません。中国経済が確実に、沈滞ではないもののその動力が低下している状況において、世界資本主義は大きな難関に直面していると思います。できることは通貨供給を増やし続けることだけです。各国の中央銀行は、あたかもそれが解決策でもあるかのように世界の通貨量に新たなケタを追加しています。このようなことが「悪無限」でなく何でしょう。ですから私は、徹底的に思考して経済体制を切り替えようとする戦闘的姿勢が、さらに多く見られないことが非常に驚きです。経済学における新自由主義的な定説は健在であり、いつの時代にも劣らず強力で、大学はますます新自由主義的な企業構造に支配されつつあります。新しい思考がどこから出てくるのでしょうか?

白楽晴 他方で新自由主義の理念は、2008年以降に色あせたとも考えられますが。

ハーヴェイ 正当性は喪失しましたが、その実行力は依然として健在だと思います。ですが、正当性の代わりに登場したのが、世の中を変えようとする一切の真の闘争に対する権威主義的で軍事化された統制です。新自由主義はその正当性を喪失したかもしれませんが、すべての反対勢力を軍事的対応が必要なテロリズムと規定する力を得ました。

白楽晴 韓国で私は、多くの進歩的同僚が新自由主義という用語を、あまりにも簡単に振り回している点を批判したことがあります。たとえば彼らは、朝鮮半島の分断体制が遂行する媒介の役割を完全に無視しています。地球次元の新自由主義が韓国にも適用できるのは間違いありませんが、こちらでは南北朝鮮の分断と対決を通じて、新自由主義の作用が悪化したり歪曲される場合が多いと思います。とにかく私は、新自由主義が資産価値移転のための企画として、今でも健在だという先生の診断に同意します。私自身は新自由主義を「人間の仮面を捨てた資本主義」と言ったことがあり 17、人間の顔を持った資本主義のことを一時かなり話しましたが、最近はあまりそのような話が聞こえてきません。

ハーヴェイ ええ、私もそのような話はほとんど消えたと思います。

白楽晴 私の趣旨は、資本主義のいわゆる「人間の顔」というものが、本来仮面であったということでしょう。もちろん多くの人々がそれが本当の顔だと信じていましたが。

ハーヴェイ 分かち合いの経済とか倫理的経済というように、仮面をまた作り出そうとする試みがあります。そのようなプログラムが一部にありますが、別に成功してはいません。

白楽晴 1970年代に資本家階級の指導者は仮面を捨てて、おそらく原始的ないし野蛮な資本主義に戻ることに決めたようです。

ハーヴェイ 『資本論』第1巻に記述された形に戻ることにしたんです。

白楽晴 本原的蓄積の章を含む『資本論』第1巻にです。

ハーヴェイ ええ、間違いありません。

白楽晴 ですが、同時に「新自由主義」というものが、もう1つの仮面でもありえます。「新」とか「自由主義」は、ともにある意味では肯定的な用語です。多くの人々が魅力を感じる面があります。ですが、新自由主義は実際に、資本主義が民主主義と一定程度結合するとか、さらに社会民主主義に進化する以前の段階に戻ろうということですから、本当に新しいとは言えません。そのうえ真の意味での自由主義でもありません。本来、自由主義は、諸個人と個人事業家の自由を意味したのであって、新自由主義の受恵者である法人や大企業の自由を唱えたものではありませんでした。ですから、私たちは新しい仮面に出会ったわけですが、先生も同意されたように、この仮面すら2008年以降はボロボロになりました。

ハーヴェイ 話が出たついでに付け加えるならば、私が反-新自由主義者でなく、反-資本主義者として自任する理由がまさにその点においてです。多くの人々が新自由主義に反対しながらも反資本主義ではありません。私は反資本主義者になることの方が、はるかに重要だと思います。

白楽晴 ですから、新自由主義にあまりにも集中する時の、もう1つの弊害は、資本主義の実状を隠すということですね。

ハーヴェイ その通りです。

 

領土の論理と資本の論理、岐路に立つ中国・インド

白楽晴 先生が、中国が資本主義の虎の尻尾をつかまえていると比喩した時、私は、その虎がどれくらい元気なのか、どれくらいさらに長く生きるかに多くのことがかかっていると申し上げました。アメリカやヨーロッパの中心部の資本家階級が実際にめちゃくちゃの状態で統制力を喪失したとすれば、領土の論理と資本主義の論理を自らのやり方で新しく結合しようとする中国側の努力が、一見したところより大きな潜在力を持ったのではないでしょうか? もちろん彼らのスローガンが語るように、「中国色の社会主義」という新しい道を提示したわけではありませんが。正反対に彼らは新自由主義的な世界秩序にひとまず加担しました。しかし同時に中国は、社民主義のような、社民主義とはいえませんが、とにかくちょっと違った種類の資本主義を維持し、ある面では自らの社会主義革命の遺産を保存しようとする、一種の護衛作戦をおこなっているように思えます。そのうえ中国はものすごく大きな国です。面積だけ考えれば、アメリカやカナダとは思ったより大きな差がなく、ロシアより小さいですが、巨大な人口と悠久の歴史を持っているので、先生が「異質場的」(heterotopic)とおっしゃる諸要素をかなり多く持っています。それで、例の虎がいよいよ倒れる時、結実を結ぶこととなる多くの潜在力を、一種の遅延作戦としても保存できるのではないかと思います。

東アジア雑誌会議で、中国社会科学院の孫歌という知識人が言ったことですが、人々はあたかも中国が完成された国民国家のように言うが、事実はそうではなく、実際に中国という国が一体どのようなものであり、将来、どのようなものになるのか、まだわからないということでした。私はその言葉に一理あると思います。もちろん、国際舞台で中国は強力な国民国家として振る舞っていますが、中国内部は昔の帝国や近代的国民国家、その他に確実に規定しにくいさまざまな諸要素の複合体であると思います。実際に中国が、完成された国民国家になるか否かによって、多くのことが変わるでしょうが、私は、東アジア地域の和合と均衡のために、また先生がさきほど、最近、中国が世界のあちこちで行っている巨大な投資活動をめぐって憂慮を表明された、地球的生態の問題の観点からも、中国の完全な国民国家化はきわめて不幸な結果をもたらすだろうと思います。とにかく私は、中国が虎に食われず、尻尾をつかまえて十分に長時間耐えるなら、今後、活用できる複雑な諸要因が中国内部にかなり多く存在すると思います。

ハーヴェイ それはアメリカの場合、少なくとも過去のアメリカの場合にも該当する話ではないでしょうか? アメリカの南部は、奴隷制度の遺産や人種関係の特殊な歴史によって相当な異質性を示しました。アメリカの西部も同様でした。アメリカ内の地域主義はきわめて重要な要因でした。そして最近、経済新聞が展望するのを見ると、中国の巨大なライバルはインドです。インドの賃労働力の規模は中国より急速に成長しています。中国は地政学的次元で人口問題に直面しており、それゆえに経済活動の相当部分をバングラデシュ、ベトナム、カンボジアなどに外注化しています。ですからインドが世界金融体制に編入されるのは、かなり緊張する瞬間です。

したがって、私が無限成長の未来に関して悲観的であるという時は、長期的にそうであるという意味であり、短期的には「虎の尻尾をつかまえて」生き残る地域があるということを否定するわけではありません。それとともに、彼らがつかんでいる虎に相当量のエネルギーを提供したりもしますが、2008年以降、中国が世界資本主義に対して行なったことはそのようなものであると思います。資本主義が世界的に没落するのを中国が実質的に救い出しました。それは中国の政府与党の意図では決してなかったと思いますが、結果的にそうなったと言えるでしょう。今後もずっとそうできるかは誰にもわからないことです。ですから私は、中国の領土論理と資本蓄積の論理の間の関係に注目することを強調し、彼らの領土論理が相当部分、資本蓄積の論理に従属していると考えます。彼らの領土論理を維持することは、資本主義の論理を自らの利益に合わせて管理するかに左右されますが、このことが資本主義全体に利益になるかは簡単に判断できない問題です。インドでも、今、同じことが行なわれています。インドは非常に急速に増加する巨大な人口を持った国です。インドでは明確に、今、非常に悪辣な本原的蓄積の過程が進んでいます。中国でもある程度見られた農民社会の破壊とか……、私たちは未来の資本蓄積が依存できる、これら2つの主な動力資源を保有した世界資本主義を相手にしています。ですが、その動力を勝ち取る過程で、彼ら自らの領土論理と折衝すべきでしょう。ですが、領土論理と資本主義論理の間で、このことがどのように展開するかは、もちろん私にはわかりません。私は2つの論理の展開を見守りながら、その進行において見られる関係の動力を分析し理解しようと思いますが、すでに申し上げたように、これを世界資本主義の観点から分析して理解しようと思います。

 

ともに進む変革への道

白楽晴 ですが、私は、アメリカの地域的な多様性を、中国の多様性と比較することはできないと思うんですが。

ハーヴェイ 今はそうではありませんが、1945年の時点で考えるならば……。

白楽晴 1945年にしても私は違うと思います。かなり簡単ながらも目を引く一例をあげるならば、中国では、さほど遠くない地域の人々の間でも、自らの方言を使えば互いに聞き取れない場合がよくあります。韓少功という非常に立派な中国の作家がいて、何年か前にソウルにきた時、会いました。彼は湖南省出身ですが――ご存知の通り、湖南省は毛沢東の故郷でもあります――文化大革命の時、田舎で下放にあい、同じ湖南省の他の地域に行ったそうです。ですが、そちらの人々の話がまったく聞き取れなかったといいます。そのような形の多様性はアメリカにはありません。アメリカの白人定着民には、そのような地域的・言語的多様性を形成する時間がありませんでした。その点ではインドがさらに検討しうる比較対象です。ですが、中国はとにかく社会主義革命の過程を経ているという点が両国の違いでしょう。真の社会主義社会を作り出したかは疑問ですが、集団的経験の特異な遺産を持ったのです。ですから中国がその遺産をどのように利用するかにも多くのことがかかっています。ロシアとは異なり、中国の指導部は革命の遺産を公式に否認したことはありません。もちろんロシアでもボルシェビキ革命の遺産が完全に消えたとは思いませんが。インドにはまたインドなりの反資本主義的な遺産が豊富にあります。地方政府次元での集団的経験もあります。なので、そのような遺産をどう活用するか見守ってみることです。

ですが、残念ながら、そろそろ私たちの議論を終わらせる時間が近付いてきました。先生のまとめのお話しを聞く前に、私は先生が歴史的・地理的唯物論(historical-geographical materialism)と言われることが、実はクラムシが定義した「良識」(good sense)のことであり 18、先生の訪韓を通じて、韓国社会でそのような良識の活性化に一助されたことに感謝申し上げたいと思います。韓国でそれをできるだけ広く「常識」にする仕事は、私たちの役割でしょう。

ハーヴェイ 私がよく歴史的・地理的唯物論の次元で語る理由の1つは、私たちを1つにつなげ、私たちみなが生きている全地球的な共有地について、少なくとも思考可能にする――マルクスの言語を使うならば――「矛盾的な諸統一性」を無視せず、先生が指摘された、言語的多様性を含む多様性や違いを勘案することが可能になるためです。誰かが私たちの保有した、2つの大きな全地球的な共有地は、土地と言語であると言ったことがありますが、今、私は、他の地に来て、他の言語で考えて仕事をする人々と会話しているのに、疎通が可能なのです。ですから、私はそのような境界を越えて対話する、このような特別な機会をご用意下さったことに感謝申し上げたいと思います。また、先生や創作と批評社、また季刊『創作と批評』誌が、これまで50年間になしとげた重要な業績と貢献に、賛辞を送りたいと思います。

白楽晴 どうもありがとうございます。これで締めくくりたいと思います。

 

(※)この対談は、2016年6月23日、創作と批評社・西橋ビルで行なわれ、『ハンギョレ』2016年7月1日付にその一部が掲載された。英語で進められたこの対話の録音収録は、リサ・キム・デービス(Lisa Kim Davis)が作成し、2人の対談者の確認を経た後、白楽晴名誉編集人が韓国語に翻訳した。©David Harvey・白楽晴/©韓国語版・創作と批評・2016。

(翻訳: 渡辺直紀)

Notes:

  1. デヴィッド・ハーヴェイ「実現の危機と日常生活の変貌」、『創作と批評』2016年秋号。以降、本対談の脚注はすべて初出誌の編集者によるもの。
  2. David Harvey, Rebel Cities, Verso 2013. 韓国語訳はデヴィッド・ハーヴェイ(ハン・サンヨン訳)『反乱の都市』、エイドス、2014。
  3. David Harvey, The Condition of Postmodernity, Blackwell 1989. 韓国語訳は、デヴィッド・ハーヴェイ(ク・ドンフェ・パク・ヨンミン訳)『ポストモダニティの条件』、ハンウル、1994。
  4. David Harvey, Companion to Marx’s Capital, Volume 1, Verso 2010; Companion to Marx’s Capital, Volume 2, Verso, 2013. 韓国語訳は、デヴィッド・ハーヴェイ(カン・シンジュ訳)『デヴィッド・ハーヴェイのマルクス『資本論』講義』、創批、1=2011、2=2016。
  5. 徐進玉「中国「一帯一路」の地政学的経済学」、『創作と批評』、2016年秋号。
  6. これは後に言及されるジョヴァンニ・アリギが提起した概念。G. Arrighi, The Long Twentieth Century: Money, Power, and the Origins of Our Time (1994, 2009), 韓国語訳は『長期20世紀』、グリーンビー、2008参照。
  7. ジョヴァンニ・アリギ(Giovanni Arrighi、1937-2009)イタリア出身の社会学者・経済学者。著書にThe Long Twentieth Century, Chaos and Governance in the Modern World System (with Beverly Silver, 1999), Adam Smith in Beijing (2007). 韓国語訳は『長期20世紀』(ペク・スンウク訳)、『体系論で見る世界史』(チェ・フンジュ訳、モチーフブック2008)、『北京のアダム・スミス』(カン・ジナ訳、キル、2009)などがあり、ジョーンズホプキンス大学教授としてかつてハーヴェイの同僚でもあった。ハーヴェイがインタビューした彼の自伝的回顧談「The Winding Paths of Capital」が、彼の死後、『New Left Review』2009年3-4月号に掲載された。
  8. “The ‘New’ Imperialism,” The Ways of the World, Oxford University Press 2016, p.259
  9. Manuel Castells, The City and the Grassroots, University of California Press, 1983.
  10. “The Nature of Environment,” The Ways of the World, p.206。
  11. マレイ・ブクチン(Murray Bookchin、1921-2006)アメリカの思想家。「社会的生態学」を提起し、個人主義的で非政治的な当代のアメリカの無政府主義者などに反発し、「社会的無政府主義」、「自由論的地方自治主主義」(libertarian municipalism)、および(大文字を使って他の地方自治主義と区別する) Communalismを唱えた。
  12. David Harvey, Spaces of Hope, University of California Press, 2000. 韓国語訳は、デヴィッド・ハーヴェイ(チェ・ビョンド訳)『希望の空間』、ハンウル、2001。
  13. E. P. Thompson, William Morris: Romantic to Revolutionary (Merlin Press, 1955), 改訂版(1976)、著者あとがき参照。韓国語訳は、E・P・トムスン(ユン・ヒョニョン他訳)『ウィリアム・モリス』(全2冊)、ハンギル社、2012。
  14. Paulo Freire, Pedagogy of the Oppressed [1968], tr. Myra Bergman Ramos (1970, 2000). 韓国語訳は、パウロ・フレイレ(ナム・ギョンテ訳)『ペダゴジー――30周年記念版』グリーンビー、2009。
  15. デヴィッド・ハーヴェイ「実現の危機と日常生活の変貌」、『創作と批評』2016年秋号、94頁。
  16. イギリスの国民投票は、この対談の翌日に施行され、イギリスのEU離脱を決めたが、ワークショップでハーヴェイは、このような国民投票をすることになったこと自体が、支配階級の無能を意味するものであり、結果に関係なく、支配階級が事態を統制する能力は大きく弱まるだろうと見通した。
  17. 白楽晴「ふたたび知恵の時代のために」、『韓半島式統一、現在進行形』、創作と批評社、2006、104頁。(日本語訳: 『朝鮮半島の平和と統一』(靑柳純一訳).岩波書店,2008, 150頁)。
  18. さきにハーヴェイが言及したように、クラムシは常識がみないいわけではなく、悪い常識もあるので、本当に必要なことは良識であると言ったことがある。

グローバル的資本主義に挑戦する教育改革の道

2016年 秋号(通卷173号)

特輯_危機の資本主義、転換の契機
グローバル的資本主義に挑戦する教育改革の道

金鍾曄(キム・ゾンヨップ) 韓神大学社会学科教授。著書に『笑いの解釈学』『連帯と熱狂』『時代遺憾』『エミール・デュルケームのために』『左衝右突』、編著に『87年体制論』等がある。

 

1
私たちは現在を生きるが、過去は経験を通じて、未来は期待を媒介にして現在に染み込んでくる。現在は経験と期待が交差する瞬間なのである。経験と期待は相互を条件付けるが、二つの間には間隙が存在する。もし経験が期待を完全に決めるというなら、未来は閉ざされたものになり、その場合、生活は倦怠の持続または出口のない地獄になるであろう 1。反対に未来があまりにも開放的で経験から何の期待も導きだすことができなければ、私たちは不安に陥るであろう。したがって、経験と期待が隙間なく結束された状態や何ら連携もなく分離された状態は良い生活の条件とはいえない。

経験と期待というセット(組)概念で韓国社会を眺めると、一時は経験と期待が発展主義プロジェクトを通じて適切に連携されたが、その潜在力はもう消尽された。ところが、経験と期待を連携する新しい集合的プロジェクトは形成されなかった。その結果、いま私たちは経験-期待関係の崩壊状況にいるという感じと、経験と期待が間隙なく縫い合わせられた状況を同時に体験している 2。例えば、専門職と直接関係のあるいくつかの学科を除けば、大学は就労に関して何も保障しない。いわゆる「名門」大学の学生は期待水準も高く、それが故に挫折可能性も高いが、いま彼らさえ感じる深刻な不安は高い期待水準のためだけではない 3。広く膾炙された「3放」または「5放」世代は、経験と期待の連携が弱くなった時代に期待縮小としての反応を見せる。このような経験-期待関係の崩壊はその逆の形態、すなわち経験と期待の隙間のない結合で体験されたりもする。5放世代論の次に登場した「匙(スプーン)階級論」がその例である。経験が期待を完全に決定し、家計の水準が個人の未来を決定するということである。一緒に登場した「ヘル(Hell)朝鮮」という言葉はこのような状況に対する憤怒の情緒を凝縮している。

事態がなぜこのように進められたかに対してさまざまな議論がある。ある人は「アルファ碁」のような革新的技術による人間労働の追放を論じ 4、ある人は出産力の低下や期待寿命の延長による人口の高齢化を取り上げる。そして、ある人は過去30余年間世界的に進められた新自由主義的反動を論じる。このような分析には一定の妥当性があるものの、韓国社会の現状には正確に当てはまらないようにみえる。機械による人間労働の対峙という資本主義体制の恒常的傾向が新たな水準に高度化される局面に近付いているものの、いまの状況を十分に説明してはいない。先進国全般の人口構造が高齢化しており、韓国の場合、その過程を他のどの国よりも圧縮的に経験しているのが事実である。ところが、それによる深刻な問題も差し迫ることではあるものの、現在の状況を解明するには十分ではない。3つ目の論議が比較的現在をよく説明するが、韓国の状況に当てはめると、より多くの要因を一緒に検討しなければ十分な説得力を持つことは難しい 5

本稿では、現在韓国社会が直面している問題を世界体制論の一環として発展された「世界都市」理論に基づいて分析したい(2節)。このようなアプローチ方法も先に指摘した立場と同様に、様々な限界がある。ところが、問題を他の角度から分析することができ、それによって新しい角度から解決方法を構想する余地がある。そのような構想においてとても重要な鎹が教育であるということが本稿の判断である。したがって、そのような判断に基づき、空間的な再編を念頭に置いた教育改革論を提起してみたい(3節)。続いて結論に代えて、議論された教育改革が作動するための条件、そしてそれが持つより幅広い意味を検討する(4節)。最後に、補論では本稿で提起した教育改革がどのような可能性を持っているかをデヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)の議論、とりわけ彼の「空間的解決(spacial fix)」概念に加えて議論したい。

 

2
安定的な資本蓄積のためには軍事的・政治的保護が必要である。したがって近代資本主義の歴史を、資本が支出した保護費用と結合された領土国家の展開過程と資本自体の蓄積過程とが複雑に絡み合ってきた過程としてとらえることができる 6。ところが、資本主義に対する歴史的理解はもちろん、最近資本主義の作動方式をきちんと検討するためにもアリギ(G. Arrighi)の「資本主義的権力論理と領土主義的権力論理」という二分法的区別を留意して受け入れなければならない。この二分法はやや空間範疇が領土国家とのみ関連しているという印象を与えられるからである。考えてみれば、資本の蓄積も空間と深い関連をもつ。工場という物理的建造環境を必要とする製造業はもちろん、コンピューターネットワークを通じて時空間的制約なしに1日に数兆ドル以上を取引する金融産業も空間的・物理的インフラが必要である。このようなインフラは領土国家より遥かに小さくて凝集力のある都市を通じてより効率的に充足されることができる。したがって、アリギが指摘した資本主義と領土主義の関係は空間的水準では「世界都市」(より正確には世界都市ネットワーク)と国民国家間の関係としてとらえることができる。

もしある都市が世界的規模の資本蓄積の中心地、すなわち世界都市の役割をすれば、どのような企業が集結するか推論することはそれほど難しくない。多国籍生産資本のヘッドクォーターが入り、生産資本を支援するだけではなく、多様な蓄積メカニズムを稼働する大型金融会社が集まるであろう。また、このすべてを支援する生産者サービス会社(大規模の会計法人、不動産会社、国際的法律事務所、デザインと広告専門会社、システムソリューションを提供する電算サービス会社等)が凝集するであろう。そして、そこに雇用された人口を支援する消費者サービス提供業者(居住用アパートと事務ビル管理会社、そしてクリーニング、駐車管理員、レストラン、宅配会社、バス会社、自営業タクシー等にいたるまで)が集まるであろう。もし大型金融と産業的ヘッドクォーターが高い利潤率を持つのであれば、それを運営し、所有したグローバル的ブルジョアと彼らを支援するテクノクラートのために、都市は高い水準の医療及び教育施設を具備し、その隣に大学と研究所はもちろん、劇場や博物館も入るだろう。そのような施設に研究者や学生、楽団や舞踊団が集まり、ストリート楽師や肖像画家も加わるであろう。ボヘミアン的生活様式を持つ芸術家居住地域も現れるであろう。そしてすべての集団の隙間には単純労務人材が入って活動するであろう。このような過程はブローデル(F. Braudel)が言った「展望の相互性」、すなわち相手が自身を必要とするだろうという期待の相互性によって自己組織的に行われる。それによって、やはりブローデルが言ったように、都市は一種の「変圧器」のように作動する 7。周辺から必要な資源を吸収し、内部を膨大なエネルギーで充電するのである。

このような世界都市と国家間の権力関係は変動し続けてきた。ヨーロッパ中世の自由都市は、封建領主と封建国家から自由を争奪するが、近代に入ってから都市は国民国家に服属された 8。ところが、今日のように資本の多国籍化と金融化が大きく進展したグローバリゼーションの状況においては、世界都市の権力が国民国家を圧倒していくということができる。

そうであれば、ソウルはこのような世界都市の中でどの程度の位相を持つのであろうか。もちろんソウルはニューヨークやロンドンのような最上位の世界都市になれないだけではなく、東アジアにおいても上海、東京、シンガポール、香港のような世界都市に及んでいない。会計法人や銀行業の分布を中心に世界都市を分析してきたピーター・テイラー(Peter J. Taylor)は、私たちの経験に符合するように、ソウルを「ベータ−世界都市(β-World City)」、すなわち中位世界都市に分類する 9。中位世界都市が所在する国の場合、産業的・金融的能力の限界のため、一つくらいの世界都市のみが形成可能な場合が多い。その場合も、その国家の政治的首都と結合することによってのみ、世界都市の水準にいたる場合が大半である。おそらくメキシコシティー、ブエノスアイレス、バンコクまたはイスタンブールがソウルと類似した場合であろう。

ところが、このような中位世界都市は首位の世界都市と違う特徴を持つ。中心部の国家では大都市順位と人口規模の間に逆比例関係が貫徹される。これらの国家では二番目に大きい大都市の人口が最も大きい大都市人口の半分になり、三番目に大きい都市の人口は3分の1になる 10。しかし、中位の世界都市は中心部の世界都市と違って、そこに属する国家の他の都市を完全に圧倒する。一般的に世界都市への成長は国家の財政能力を超過する社会的費用を発生させる方だが 11、中位の世界都市はそこからより進んで当該国家周辺部の資源を大量に吸収し、搾取し、その中で世界都市の地位を維持する場合が多い。世界都市研究の焦点はやはり首位の世界都市であるため、中位の世界都市が自身の属する国民国家に対してどれくらい搾取的であるか、またはどのような契機によってそのような傾向が強くなるのかを扱った国際的比較研究はあまりない。ところが、少なくとも韓国に対する調査は、ソウルと首都圏が残りの地域から1年間政府総予算の2倍をはるかに超える約854兆ウォンを吸い取っていることを明らかにしている。

 

<図4.5>域外所得の流出入の累積規模と空間的流れ(2000-14年) 12
(単位:2010年不変価額基準)

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資料:統計庁(http://kosis.kr)

(注)
1.8広域道は忠清南道・北道、全羅南道・北道、慶尚南道・北道、江原道、済州道。
4広域市は釜山、大邱、光州、大田。そして2広域市は蔚山と仁川をいう。
2.2014年の数値は暫定値である。
3.世宗市は忠清南道に含む。

金融危機(1997年)以後、韓国経済の新自由主義化による社会経済的二極化を言う人々が多い。張夏成が引用した世界上位所得データベース(WTID)によると、韓国の個人上位10%の所得集中度は1995年29.2%から2012年44.9%に上昇した 13。国税庁の相続税資料を通じて、富の蓄積において相続分が寄与した程度を測定した金洛年によると、その比重は1980〜90年代には27~29%であったが、2000年代になると42%に上昇する 14。このような経済的二極化は空間的にはソウルを核とする中心・周辺の分化が強力に行われることとして現れ 15、社会的には上層パワーエリート集団のネットワークがますます密接となり、閉鎖性を帯びるようになる。いわゆる「江南」という地域として簡潔に表象される上層パワーエリート集団の構成要素を、人と組織をかき混ぜてランダムに選ぶとしたら、特殊目的高校(自律型私立高校)、ソウル所在の「名門」大学と私学財団、財閥の大手企業、公共部門の高位従事者、金融エリート、高位公務員、裁判官・検事や弁護士、大型会計法人関係者、大型病院、ビル所有者、保守言論、大型教会等であろう。複雑に絡み合ったネットワークの効果によって、彼らは国民的利害関心から遠ざかり、ますます非常に狭小な階級利益を耽溺する方向へ進んでいる。

実際そのようなことは、世界都市としてのソウルを主導する上層階級の集団力学とハビトゥスと結び付いたものではあるが、世界都市と国民国家の間の利害衝突という構造的問題から始まる面も多い。例えば、財閥の大手企業が韓国の高等教育に対してどのような利害関心を持つか考えてみよう。2015年、500大大手企業の公開採用人数は約2万2千名であった。この程度の数はソウル所在の上位10大学の定員にも及ばない。それが意味するのは、財閥の大手企業が関心を持つのはいくつかの名門大学で教育を受けた人たちの職業的能力とイデオロギー的服従態勢だけであり、韓国高等教育全般の発展ではないということである。韓国社会の大資本は他の領域でもそうであるが、このように教育に対しても国民的利益と乖離した集団である。

そうだとしても資本は、民主的に選出された政府が国民的利害関心に基づいて施行する政策的制裁を簡単に避けることはできない。しかし、国際的であれ、国内的であれ、資本が国民国家を圧倒する権力を獲得していくことによって、そのような制裁は力を失ってきた。その理由の一部は過去数十年間進んできた新自由主義的グローバル化が強制した脱規制傾向にある。ところが、このように比較的グローバル的に脱規制が行われたという事実より、そのような脱規制が貫徹される内部脈絡とパターンに注目する必要がある。その中で非常に重要なことが、中央政府の高位公務員が退職後、財閥の大手企業や法律事務所の諮問ないし顧問のような職に就労し、彼らがあとで政府の選出職公務員になったりもする一種の回転ドア構造が形成されたことである 16。このような過程を経て、中央政府の官僚が国民国家的忠誠心を持たず、官僚的自己利益の追求という経路によって、上層支配ブロックと融合するようになれば、国民国家は「国民的国家」でなくなるのである 17。1980年代従属理論が輸入された際、グンダー・フランク(A. Gunder Frank)が『低開発の発展』で提示した「グローバル化したブルジョアとルンペンプロレタリアート」の対立構図は韓国の現実にまったく合わなかった。ところが、いま中位の世界都市であるソウルから見える社会的風景はそれにとても近付いている 18

このような過程は韓国社会で起るさまざまな病理現象にも光を当てる。例えば、大学生たちの差別意識を見てみよう。オ・チャンホは『私たちは差別に賛成します:怪物になった20代の自画像』(蓋馬高原、2013)において大学生たちの差別意識を猛烈に批判した。ところが、彼の著書が無意味になるくらい、差別意識はより酷くなった。代表的な例として、最近大学生の一部は自身の学校や学科名を大きく名入れをしたジャンパーを着るだけではなく、さらに進んで出身高校の名称までジャンパーに名入れをしている。このような差別意識は中心・周辺の分化が強まったから生じた現象である。中心・周辺の分化が深刻になると、中心内でも再び中心・周辺の分化が重なる。そうなると、中心にいる時も、そこが中心の周辺になるかもしれないという不安が生じる。このような不安は自身が中心に留まっていることを絶えず確認しようとする強迫を生み、周辺に追い出されず、より深い中心に入り込もうとする動因を強化する。このように中心・周辺の再分化が繰り返されると、中心・周辺がより深い中心から周辺の周辺に同心円的に繰り広げられ、それだけ位階的な構造と類似化していく。

強力な中心・周辺の分化は不動産投機や地代の追求も深刻な問題にさせる。低金利と関係があるからでもあり、すべてがそうである訳でもないが、家計負債1,100兆ウォンの相当の部分は中心・周辺の分化があまりにも強力すぎて生じた不動産バブルと関連のあるものである。あまりにも高騰したソウルと首都圏の不動産価額のために「賃貸事業者が夢である国」という言葉はもはや冷笑を超え、実際夢を表現する言葉になりつつある。おそらくそれをよく見せているのが、三成洞にある韓国電力の敷地をめぐって、サムスン電子と現代車グループとが競争し、結局現代車グループが鑑定価額の3倍を超える10兆5,500億ウォンで落札されたことである。それぞれ電子産業と自動車産業を主力とする財閥の大手企業さえ賃貸事業に対する欲望によって浮かれているが、このような欲望の土台は中位の世界都市としてのソウルであり、その欲望を実現するための土台は、ソウルがその地位を維持することなのである。

このような状況において私たちに必要なのは、国民国家が「国民的」であることを要求すること、すべての住民を同等に待遇し、彼らの福祉を均等に向上させようとする価値志向性を政府内に深く刻み込むことである。国民国家の抑圧性を解体するために努力してきた人々にとっては、国民国家が国民的であることを要求しようとする主張が当惑に感じられる可能性もある。このような企画よりはグローバル・ガバナンスをより好むのが左派文化である。とくに、ヨーロッパの左派がグローバル・ガバナンスを追求してきたが(これがジェラミー・コービン(Jeremy Corbyn)のような人が、ブレシット(Brexit)に当面して中途半端な立場を取った理由であろう)、それはともかく彼らにはより民主的なEU、「社会的EU」という目標が残っている。ところが、私たちが属した東アジアであればどうだろうか?ここでは地理的配置と政治軍事的構図自体がそのような方式のモデルを想定できなくする。連動する東アジアの域内平和のために下からの交流と市民的ガバナンスの追求が必要ではあるものの、依然として核心は国民国家の間の平和的関係である。したがって、国民国家を国民化しようとする試みが必要だと主張するのは、国民国家に先験的にある良い点があるから、もしくは一時存在していた良かった過去に対する回顧的志向のためではない。それが現実的に可能な経路であるため、国民国家を改革し、改造しなければならない 19。さらに、南北が分断され、国民国家自体に到達できなかった朝鮮半島の状況において南北がともに生きる「国民的」国家または政治共同体を形成しようとする努力自体が朝鮮半島住民の生活を改善し、東アジア域内の平和に寄与するといえる。

さらに、国民国家モデル自体に含まれている一定の肯定性も注目する必要がある。ヴェストファーレン条約(1648)を契機に西欧が創案した主権国家体制は国家間の同等性と同等待遇という規範を樹立したが、近代国民国家体制はその規範を継承している。実際現存する国民国家は決して対等な存在ではない。国民国家間の同等性とは、像と牛とネズミが哺乳類という点において同等だという話と何ら変わらない。ところが、国民国家体制において国家は相互がまるで同等な「もののように」行動する。この際、「まるでそうであるかのように」という仮想的態度は意外と重要である。日常的に私たちは人間が平等であるという。その際の平等は事実的判断ではない。平等は様々な差異や優劣を無視し、すべてを「まるで平等な存在であるかのように」待遇することにした決定であり、かつ決断の産物である。これは本質的に政治的決定・決断であり、主権的な国民国家の体制にも同一の類型の決定・決断から流れてくる規範的力が働いている。

国民国家は対内的にも市民権者を平等に待遇せよという規範的要求に対して開かれている。経験レベルにおいて国民国家内には多様な差別が現存する。ところが、差別を受けた少数者集団が社会的に平等を主張するだけではなく、国家に対して平等な措置を「要求」することができるのは、彼らが民主的憲政に基づいた国民国家の市民だからである。国民国家は深刻な正当性の弱化を甘受することでなければ、その要求に反応せざるを得ない。もちろん国民と同様に難民が一般的経験になる世界において、私たちは国民国家の限界を乗り越えるために、そして普遍的人権を保障する方向へ国民国家を導くために努力しなければならない。ところが、世界都市のグローバル化したブルジョアにハイジャックされた都市国家と、市民のすべてを同等に待遇し、彼らの民主主義から正当性を導きだす国民的国家の間でどちらを選択するかは自明であるといえる 20

 


社会的病理はバランスの悪さによって発生する場合が多い。ところが、バランスの状態は、社会行為者たちが個別には別に行動しがたい状態を意味するため、悪いといっても抜け出すのが難しい。中心・周辺の分化は中心を志向することを最適の行動につくるため、すべてそれに没頭し、それによって中心の権力が強化される分化が持続される。それが非常に強く行われて位階として固着されると、一段階下にいる者はまた他の誰かの一段階上にいる、すべてが位階の被害者であると同時に、加害者の状況になる。このような状況ではそこから抜け出そうとする個別の努力は失敗しかねない。それ故、悪いバランスに留まっている現在の社会状態を他の方向に導くためには、すでに存在する様々な要素または企画を新たに組み合わせて、それに凝集された力を与えると同時に、社会成員の自己組織的活動を接続させる戦略が必要である。

したがって、いま私たちが目標にしたように、中位世界都市のソウルの支配力が惹き起こした病理現象の治癒のためにも、ソウルと首都圏の中心性を弱化させようとしたこれまでの試みとその成果を検討する必要がある。まず検討すべきことは、参与政府が推進した地域均衡発展戦略、とりわけその企画の中心にあった首都移転計画といえよう。このプロジェクトは紆余曲折が多かったが、公共機関の地方移転、そして「行政首都」の世宗市を結果として残した。首都圏中心性の解体を目標として掲げてはいないものの、少なくともその相当な弱化を含み込んだ既存の試みとして「国立大学統合ネットワーク案(以下、国立大学統合案)」がある。この論議は参与政府と連携されたことではなかったが、参与政府時期に提起された。康俊晩の『ソウル大学の国』(蓋馬高原、1996)が出版されて以後、学閥主義と大学序列体制に対する批判が活性化され、進歩的な学者たちはソウル大学の解体と大学平準化を主張し、張会翼教授をはじめとするソウル大学教授20人は「ソウル大学学部課程の開放案」を打ち出したりもしたが、国立大学統合案はこのような雰囲気の中でまとめられたものである。この案は、制度的結果をつくることはできなかったものの、進歩政党らはもちろん、18代大統領選挙を控えて、統合民主党が教育改革方案として真摯に検討したりもしており、依然として韓国社会の進歩改革陣営が大学序列主義に挑戦しながら打ち出した案の中で最も具体性の高いものとして残っている 21

本稿で論じたいのは、相違の脈絡から提起され、別途に進められた参与政府の首都移転プロジェクトと国立大学統合案との結合である。筆者は、二つのプロジェクトが結合されれば、それは、中位の世界都市であるソウルが惹起した病理現象を克服する手がかりになれると思われる。ソウルと首都圏の権力を弱化させるためには単にそれが持つ政治経済的権力を弱化させること以上の企画、イデオロギー的で文化的な企画が必要である。ソウルと首都圏の力そのものが政治経済的中心のみならず、大衆も暗々裏に同意するあるイデオロギーに裏付けられているからである。韓国社会において大衆の服従体制を簡単に導き出す最も強力なイデオロギーの一つが能力主義(meritocracy)であり、その中心には大学序列体制がある。毎年の冬に数十万人の受験生が同じ日時に数年間の努力をすべて注ぎながら大学修学能力試験を受けるが、まさにその形式自体が能力主義イデオロギーを強化する巨大な「セレモニー」といっても過言ではない。

過去数十年間国民的アイデンティティーの中に固着した能力主義の威力は微塵も弱まらず、むしろより強まった。能力主義を裏付けるソウル中心の大学序列体制がより頑固で強固になり、「SKY西成漢中慶外市建東弘国崇世檀……」のような酷い序列化がはばかりなく公論の場で行われている状況である。そのようになった理由は、大学入試競争が激しくなり、韓国の若者の大半が犠牲されたと感じており、さらにその犠牲は精密に差分的に補償されなければならないという心理に陥っており、その補償体系を攪乱するすべてのことに対して恨み(resentiment)感情を感じるからである。ところが、まさにこのような心理がいわゆる「名門大学」出身で構成される中心部のエリート集団に対する社会的正当性を高めるものなのである。したがって、中心・周辺の分化を弱化させようとする戦略は、中心の正当性の重要な土台になる大学序列体制に挑戦する企画を含まなければならない。

参与政府の首都移転企画と国立大学統合案とを結合しなければならないと思うもう一つの理由は、二つの企画が現在当初の意図を実現する道を失い、漂流しているからである。参与政府が試みた新しい首都建設は当時野党のセヌリ党の反対、そして憲法裁判所の奇異な判決によって行政首都に格下げされており、李明博政権はそれすら「特別経済都市」に転換しようとした。ところが、当時朴槿惠議員の大統領選挙戦略のために行政都市案が維持され、9部2処2庁が移り、現在に至っている。このような世宗市がどのような位相と発展方向を持っているか、それが韓国社会全体においてどのような社会経済的、そして空間的位相を持つかは非常に不透明な状態にある。

世宗市がどのような発展経路を取ることができるかを推測するために、最近論難になった二種類の事実を検討しよう。一つは、今度の11月に早期開通を控えている水西発KTXとソウル〜世宗市間の高速道路建設計画の発表である。ソウルと世宗市間の交通連携を強化しようとする、このような試みの裏には首都の部分移転によって業務・居住・家族生活が不便になってしまった公務員がいる。しかし、もしもこのような方向に発展が強化されれば、世宗市はソウル・首都圏の都市回廊に吸収され、首都圏の拡張にのみ寄与するようになるであろう。

もう一つは、改憲を通じて首都を世宗市に完全移転しようと言った京畿道知事・南景弼の発言 22と、世宗市に国会の分院を設置しようと言った李海瓚の国会法改正案の発議 23である。彼らの発言は、世宗市が政治的な動機によって続けてより多くの政府機関や公共機関を誘致し、成長できるということを示している 24

この二つの事実を組み合わせてみると、世宗市はソウルの下位パートナーになることもでき、政治的・行政的レベルにおいてソウルに匹敵する権力を持つ中心地として成長する潜在力も持っているものの、いずれも空間的には首都圏回廊に編入された形態になる可能性が高くみえる。ソウルの中心性を弱化させるために始まったプロジェクトがいろいろな経路を経て、ソウルと首都圏の拡張に帰結される状況に置かれたのである。

国立大学統合案の場合も提案される時とは状況が大きく変わり、それの持つ意味が多く薄れた状態である。法学や薬学の専門大学院設置をはじめ、様々な変化があったが、その中でも最も核心的なのはソウル大学の法人化である。国立大学統合案はソウル大学廃止論や大学標準化論からインスピレーションを受けており、それゆえソウル大学を国立大学ネットワーク内に放り込んでソウル大学学部生の募集を廃止することを主張した。しかし、ソウル大学が2011年法人化され、国立大学の範疇から外れてしまったのである。ソウル大学を依然として国立大学統合ネットワーク内に入れられると主張する人々もいるが、ソウル大学が国立大学だった時もできなかったことを法人化されてから行うことは難しい。国立大学統合案も構想そのものを再点検しなければならない状況に置かれたのである。

このように当初の意図から離れ、漂流したり、変わった状況を前にして道を探せてない二つのプログラムを組み合わせれば、それが置かれた制約から抜け出せるだけではなく、ある面においては肯定的契機に転換することができる。この点を明らかにするために、国立大学統合案が置かれた制約を再び検討してみよう。国立大学統合案が初めて発表された時、それが幅広い反響を呼び起こした理由は、大学序列体制の頂点に立っているソウル大学の権力を弱化させることができる合理的方法を提示したからである。ところが、まさにそうであるがゆえに国立大学統合案はソウル大学廃止案として認識され、その分強い社会的抵抗にぶつかった 25。いまやソウル大学の法人化はそのような抵抗の土台をより強化するだけではなく、むしろ他の国立大学が法人化の圧迫を受ける状態になってしまった。

しかし、発想を転換すれば、このような状況は制約ではなく、機会になり得る。すなわち、ソウル大学が国立大学統合ネットワークから遠く逃げた状況を「喜び」ながら、ソウル大学を「外した」国立大学統合ネットワークを構想することである。すなわち、ソウル大学法人化を「国立大学体制の死滅を告知する弔鐘というより、国立大学統合ネットワークへ導くカーペット」 26にすることである。実際、ソウル大学を外してしまえば、国立大学統合ネットワークは大きな制度的障害や政治的障害なくスムーズに構成されることができる。

しかし、現在の状況ではそのようにして形成された統合ネットワークがどれくらい大学序列体制を緩和し、ソウルと首都圏の中心性を弱化させることができるかは疑問である。国立大学統合案が提出されてから首都圏大学に比べて地方大学の地位はより下がり、いわゆるソウル所在の名門大学に比べて拠点国立大学の地位はもっと落ちた。国立大学統合ネットワークをこれまで構想されたものより、いっそう統合力の強い水準に発展させることによって、質的により優れた教育機関になる道を探る必要がある。世宗市はそのための良い土台になり得る。

国立大学統合ネットワークの統合度が本当に高まって教授と学生たちが自由に交流し、それによっていっそう水準の高い教育と研究が行われる方向へ進むためには、空間的凝集力が必要である。世宗市はそのための良い立地条件を持っている。この点は、国立大学の全国的配置を見れば明らかである。中央政府は1996年大学設立準則主義に基づき、大学設立を放置する際も首都圏への人口集中を防ぐために首都圏における大学設立や定員の増加は抑制しており、首都圏での国立大学の増設も極めて制限的であった。その結果、世宗市より北側、とりわけ首都圏にある国立大学はその数が少ない。法人化されたソウル大学と仁川大学を除けば、ソウル科学技術大学と韓京大学、韓国芸術総合大学と韓国体育大学、そして教育大学2校程度である。したがって、世宗市を中心に首都圏外の国立大学約40校間の統合ネットワークをつくる場合 27、世宗市はソウル及び首都圏外の国民と緊密につながる教育的中心を形成することができる。

世宗市は、近くに大きな規模の大学をもつ3つの都市に囲まれている。東側には忠北大学が所在する清州市があり、西側には公州大学のある公州市、南側には忠南大学と韓国科学技術院(KAIST)のある大田広域市がある。世宗市はこの3つの都市をつなげるハブになり得る位置にある。そして清州市は春川、原州、江陵所在の大学をつなげ、公州市は全州と光州、そして木浦所在の大学を組織し、大田広域市は忠南地域と慶尚南・北道の大学を連携する3つの2次ハブになり得る。江原道方面のネットワークのためには東西鉄道網を補充すべきだが、世宗市が中心になるネットワークの空間的摩擦係数はそれほど高くなく、それゆえ実際的な人的交流が活性化できるのである。

世宗市に国立大学統合ネットワーク本部を設置し、そこを中心にネットワークを構成していくことは、世宗市の発展方向においても重要な意味を持つ。それによって、世宗市がソウルと首都圏ではなく、非首都圏と連携性を高める方向に発展することができるからである。例えば、新しい鉄道や高速道路の建設も今とは違う空間的便益を中心に置いて構想するようになるであろう。このような発展方向こそ、世宗市が当初の設立意図に近い機能を果たし、韓国社会において意味のある空間的地位を獲得する道ということができる。

このようなプロジェクトが意図するのは、ソウルを核とする中心・周辺の分化が惹き起こす多くの病理現象を、非首都圏を代弁するもう一つの中心を形成することによって緩和することなのである。このような意図に対して、もう一つの中心形成にすぎないと批判することはできる。しかし、一つの中心がすべての社会的資源を吸収する同心円的社会より2つの中心によって描かれる楕円の社会がよりいっそう力動的であろう。実際、高等教育の発展側面から見たとき、このような程度の空間的凝集力、そして行政首都によって支えられる社会的権力を持つ国立大学統合ネットワークでないと、ソウル所在の「名門」大学が緊張するほどの教育や研究力量を形成することはできない。その場合、私たちはソウル大学を廃止し、またはソウル所在の名門大学を弱化させるのではなく、彼らが序列体制に安住できないようにすることができるが、それは決してソウルと首都圏の弱化ではなく、様々なレベルで健康を回復する過程になるであろう 28。そして、そのようになった状態は高等教育の質的向上のみならず、大学入試に向けた競争も大きく緩和する効果を持つであろう。

 


チョン・ジンサンが国立大学統合ネットワークを提案しながら、非常に細々とした制度的模型を提示したことに対して、本稿はそうではない。ところが、社会改革プログラムの場合、あり得るすべての可能性に対応する準備が必ずしも成功を保証するのではない。むしろプログラムの意図しない結果を念頭に置く開放性、そして個別行為者の自己組織的活動を鼓舞する方法がより重要である。国立大学統合ネットワークが発展すれば、それがネットワークを超える統合性を持つこともあり得る。例えば、様々な国立大学に設置された同一学科や大学院が統合されたり、相違の学科が融合されることもあり得る。一つの分科学問が学生たちに十分な教育プログラムを提供し、大学院生との研究を進めるためには一定の規模が必要であるため、そのような作業が必要になる可能性がある。その場合、どのような統合や融合方法が望ましいかは学問別状況、ネットワークに属した国立大学それぞれの事情、物理的資産の分布や学生たちの選好分布、そして教授の意欲とシナージ効果等、非常に複雑でこだわりのある要素を考慮しなければ決めることはできないであろう 。これらを予め制度的に構想することはほぼ不可能である。むしろ長い進化の過程を設定することが必要である。そしてこのような国立大学ネットワークに私立大学をどのように繋げて連携するか、その場合私立大学の支配構造をより公営的な形態に導く方法は何かを構想することも大学の自己組織力量にもう少し任せる必要がある。

もちろんその際も政策レベルでは大きな方向を設定し、そのための補償体系をつくっていくことは必要である。そして必要であれば、資源を配分して管理し、調整し、支援する組織がつくられなければならない。そのためには(仮称)「国家高等研究・教育委員会」のようなものを考えてみることができる 29

しかし、ここで議論されたことの実現可能性は、それが公論場でどれくらい説得力をもって受け入れられるか、主要政党やその政党の大統領候補の公約とつながり得るか、そして大衆がどのような政治的選択をするかにかかっている問題である。国立大学統合ネットワーク、それも世宗市を核とするネットワークの形成は、大学の自発的組織化に任せては実現可能性がないからである。大学の自己組織化の力量は、一旦それに向けた政治的・法的経路が開かれてから発揮できる性質のものである 30

おそらく一角では、これまでの議論に対してより重要な「当面」問題、すなわち出産力の低下による学齢人口の急減という危機状況に対応するための大学構造調整問題を見落としていると批判することができる。しかし、16万人の大学定員割れが生じたことを受け、定員1千人の大学100校が閉校寸前だという言い方で助長された危機は、典型的な「ニセ事件(pseudo event)」である。学齢人口の減少がそれくらい深刻な問題であったならば、彼らが大学入学年齢になる前にすでに幼稚園や小・中等学校が焦土化されなければならなかった。しかし、そのようなことは起きなかったのである。その代わりに起きたことは、政府が膨大な財政を投入して教師採用を増やさなかったのにかかわらず、小・中等学校において教師対生徒の比率が急速に改善されたということだけである。例えば、2000年代初、韓国の小学校における教師対生徒の比率は約1対28だったが、2015年には1対15になることによって、OECDの平均水準になった。このようなことが大学でも可能であり、そのようになってはじめて教授1名当たりの学生数が28名を超える韓国大学の教育も改善されるであろう 31。そのような方向に進んでいくために必要なのは、政府の財政投入の意志であり、それを決定するのは社会成員の政治的選択である 32

制約を新たな経路の踏み台にしようとする態度を堅持すれば、ここで議論された空間戦略はより拡張された意味を獲得することもできる。これまでの議論は、中位世界都市のソウルを核とする中心・周辺の分化が国民国家の頽落をもたらすことを防ぎ、それによって地球資本主義が惹き起こす深刻な不平等が韓国社会に深く貫徹することを阻止するためでもある。同じ線上で韓国社会が解決しなければならない中心問題は、資本主義世界体制の地政学的分裂構図とつながる分断問題である。国民国家が国民的であることを要求する闘争は、韓国の場合、分断克服の努力につながざるを得ない。その制度的具現形態は、まずは国家連合の設立のようなものといえよう 33。その際、韓国はどのような朝鮮半島の空間戦略を持つことができるだろうか。おそらく平壌市と世宗市が南北連合の二元的な政治的中心地になる代わりに、ソウルは政治的負担を減らし、経済的・文化的世界都市としての役割を果たすモデルから、ソウルが首都になり、平壌市と世宗市はそれぞれ議会が定着し、総理が統治する南北それぞれの行政首都になることにいたるまで多様な構想が可能であろう。どちらと近い経路に接近していくかは南北連合の行路がどうであるかにかかっている。どの方向への進化が起きても、そのためにはすでに南北社会が2つの心性を通じてつくられた楕円型の力動性を備えていなければならない。それができない場合、たとえ南北が平和な統合に向けて進むとしても、より大きな規模の中心・周辺の分化がソウルを中心に起きることに帰結され、それによって空間的・社会経済的アンバランスが朝鮮半島全体に拡散されてしまう可能性もある。したがって、世宗市を中心とした国立大学統合ネットワークをつくっていく作業は、単純な教育改革を超える社会的ビジョンを内包しているといえる。

 

補論:空間的解決から教育的解決へ

これまで議論した高等教育改革論議が、資本主義的蓄積とそれが惹き起こす社会的不平等、そして生態的危機に対してどのような意味を持てるかについて少し検討したい。通常教育改革を議論する人々は、それ自体良いことのように話す。本稿で提起した教育改革も空間的戦略の部分を除けば、良い教育制度をつくることが社会や個人の発展に望ましいことであることを前提する。ところが、脱学校社会論者らのように教室で十数年勉強することを良い生き方として受け入れない人々も多い。必ずしも脱学校社会論者でなくても、教育が能力主義イデオロギーの回路の中に人々を追い込んだ結果を良いこととしては見がたい。教育が地位獲得競争の一環になると、人々は他人より一段階上の教育を受けようとし、その結果は教育膨張として表れる。このようになると、人々はまるで前の舞台を見るためにすべての人が立ち上がり、ついにはつま先立ちをするようになるが、誰も舞台をきちんと見ることができない場合に等しい状況に置かれるようになるのである。

このような視点から見れば、教育において起きる出来事をデヴィッド・ハーヴェイが言った「空間的解決」の機能的等価物としてとらえることができる。ハーヴェイは、剰余価値を追求する資本家が休まず生産した剰余生産物を吸収するために、資本主義が「空間的解決」を追求してきたという。このような空間的解決の代表的な事例として、彼は19世紀半ばオスマン(G. Haussmann)男爵のパリ大改造、20世紀半ばロバート・モーゼス(Robert Moses)のニューヨーク大都市圏再開発、そして莫大な生態的問題を内包している21世紀中国の大規模都市開発事業を提示する 34。おそらく韓国社会の経験で言えば、22兆ウォンを投じた4大江事業を思い浮かべるであろう。

教育が膨張する過程も剰余資本と労働を吸収する過程である。したがって空間的解決に当てつけて、このような過程を教育的解決(educational fix)と呼ぶことができる。教育的解決は教師と生徒の社会的相互作用をもとにするという点から一般的に言って社会的解決(social fix)の一種ということができる。この教育的解決は一見すると都市建設や土木事業のような空間的解決より小さい規模に見えるが、決してそうではない。平均教育年限が15年を超えるOECD国家が見せてくれるように、学校生活は全人口の生涯周期において重要な部分を占める。

しかし、綿密に検討してみると、二つの間には重要な差異がある。まず生態的な面において違う。教育も空間的解決のように物理的建造環境を必要とする。ところが、それが必要とする水準は都市空間の建造とは比べられない程度に低い。教育の核心は教師と生徒の相互作用であるため、より良い施設が役には立っても良い教育は保証しない。教育において最も大きい支出要因は教師の賃金である。このような点を考慮する際、教育的解決は生態学的な面においていっそう望ましいアプローチ法なのである。

資本蓄積に関連しても両者は違う。資本主義的な空間開発の最終目的は利潤と資本蓄積である。ところが、教育は営利的に運営される場合がなくはないが、基本的に非営利を前提とする。学校は、国公立はもちろんのこと、私立の場合も利潤を追求せず(できず)、発生した剰余金は積み立てたり、教育の規模や質を改善したり、構成員の福祉のために配分するだけである 35。ある意味、学校は公益法人によって運営される病院とともに資本主義社会内に存在する最も膨大な規模の非資本主義的な組織ということができる。

このような非資本主義的組織は、評価や補償において利潤原理に依拠しない場合が多い。実際資本主義体制内でもより多くの賃金よりは名誉や労働時間に対する自己統制の増大のようなことを補償として求める人々の数が決して少なくない。このようなことは些細なことのように見えるが、資本主義体制を克服するビジョンの用意に重要な意義を持つ。もちろんこのような組織は資本主義社会内で運営される限り、二重課題を負う。貨幣補償と市場動向に対する敏感性を維持しなければならず、何より効率的でなければならない。しかし、それは難しいものの、不可能なことではない。それに関連して、イマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)は次のように言う。「すべての経済構造が非営利的なことであり、非国家的統制が可能なだけではなく、広く使われたりもすると仮定してみよう。私たちはこのような体制をすでに数世紀間、いわゆる非営利病院を通じて目撃してきた。果たして彼らが私立や国営病院に比べて非能率的で、医学的にも能力が低いところとして悪名が高いだろうか?私の知る限りまったくそうでない。実際にはその反対でありがちである。なぜこのような状況が病院にのみ局限されなければならないのか」 36。当然学校をはじめ、多様な生活の領域においてそれが適用され得る。

再びデヴィッド・ハーヴェイの論議に戻ってみよう。ハーヴェイは、ヘーゲルの用語を借りて空間的解決に基づいた資本蓄積が一種の「悪無限(bad infinity)」の性格を帯びるという。資本の拡大再生産と複率成長は人間の生活全体を統制不能状態に追い込み、生態学的に災いを生じさせるということである。そう言いながら、「善無限(good infinity)」に基づいた単純再生産を追求しなければならないと述べる 37。ところが、このような単純再生産のためには生活のある過剰を取り出すが、それを剰余価値の蓄積に活用しない生活の様式がなければならない。ハーヴェイは、それがどのようなものなのか、またどのように可能なのかについて明瞭に語らなかった。ところが、教育的解決をはじめとした多様な社会的解決を模索することによって、私たちはハーヴェイの言い方の空間的解決とは違う道を模索することができる。ハーヴェイ自身も資本主導のジェントリフィケーションに挑む多様な活動家たちを支援しようとし、その趣旨から「都市に対する権利(right to the city)」を主張したが、それは空間的解決の水準においても「螺旋型的に成長する」資本蓄積とは異なる可能性を拓いていけることを意味する。したがって、そもそも空間的解決であれ、社会的解決であれ、そのすべてのアンビバレンス(両価性)または二重課題性に注目しなければならないのである。

現体制の習慣に慣れている人であれば、教育的解決が資本主義体制の克服のための二重課題の焦点になれるという論議に対して、次のように言うことができる。「もちろん教育は天国と近いところで行われ得る。それは、自然に対する知的好奇心の充足のためのことになることができ、教養や品格の高い人間になるためのことになることができ、例えば、唐詩を引用できる豊かな社交的対話のためのことになることができ、自身が生きる現代社会の複雑な条件に対してより洞察力のある知識を獲得する過程になることができる。そしてそのようなすべての活動と成果に対して、私たちは相互を尊重し、尊敬する形で反応し、喜ぶことができる。しかし、選抜や評価はその裏面の地獄である。複雑な現代の産業的状況において「古い」人文主義的発想によって教育問題を解決しようとする試みは素朴なことにすぎないのである。

そのような人々にとっては、教育と産業をつなげようとする試みを避ける必要はないが、両者をタイトに結び付けようとする(coupling)すべての試みは、むしろもっと大きな損失をもたらすということを想起させたい。結局産業が教育に対して求めることが、毎回新しく発生する問題に対して創造的な解決を提示することのできる能力というならば、そのような種類の能力は意図的に他の人間から生成したり、注入できない性質のものであることを理解してほしいと言いたい。もしある装置の投入と算出が毎回正確に同一であれば、その装置は創造力のあるものではない。体系理論であれば、そのような装置を「平凡な機械(trivial machine)」ということができる。それに比べて想像力のある装置は、投入と算出の間に何の一貫性もないわけではないが、常に意外性を算出することのできる装置であり、その意味で「平凡でない機械(non-trivial machine)」ということができる。産業と教育をタイトに結合しようとするすべての試みは、平凡でない機械の人間を平凡につくろうとすることにすぎない。その際、平凡でない機械は平凡になるのではなく、平凡な存在になったふりをすることを学習するのである(それさえも幸いである)。これに気づくのはそれほど難しくない。勉強しなさいという小言の結果は、勉強するふりができる子どもである。同じことが産業や教育をタイトに連携しようとする資本の小言を通じて起きる。もし産業と教育の連携を緩く維持した方が産業にもより良いということをより多くの人々が気づけば、評価や選抜の地獄はいっそう煉獄に近いことに変わり得るであろう。

(翻訳: 李正連)

 

Notes:

  1. ラインハルト・コゼレック『過ぎ去った未来』、ハン・チョル訳、文学ドンネ、1998、391頁。
  2. 拙稿「分断体制と87年体制の交差点で」『創作と批評』2013秋号、478-84頁参照。
  3. 「ソウル大学経済学部を卒業しても…現実は『3年目の就労準備生』」『韓国経済新聞』2016.1.16参照。
  4. ランドル・コリンズ「中間階級労働の終末:もう出口はない」イマニュエル・ウォーラーステイン『資本主義は未来があるか』ソン・ベギョン訳、創批、2014参照。
  5. 例えば、ヴォルフガング・シュトレークがそうである。彼は新自由主義的反動の重要な結果が「負債国家」と主張する。この主張はとても説得力があるが、いざ韓国の状況に適用しようとすると、それほど簡単ではない。例えば、韓国の財政赤字はOECD諸国に比べてまだ低い水準であり、韓国の場合、財政赤字より外貨準備高がもっと重要な問題である。ヴォルフガング・シュトレーク『時間稼ぎの資本主義:いつまで危機を先送りできるか』キム・ヒサン訳、トルペゲ、2015参照。
  6. そのような例としては、ジョヴァンニ・アリギ(Giovanni Arrighi)『長い20世紀――資本、権力、そして現代の系譜』ペク・スンウク訳、グリーンビ、2008参照。
  7. フェルナン・ブローデル 『物質文明・経済・資本主義 I-2』、チュ・ギョンチョル訳、カチ、2001、第8章都市を参照。
  8. ブローデル、前掲の章、そしてPeter J. Taylor, “World cities and territorial states: the rise and fall of their mutuality,” World cities in world-system, ed. by Paul L. Knox & Peter J. Taylor, Cambridge University Press 1995, 48~62頁参照。
  9. Peter J. Taylor, “World cities and territorial states under conditions of contemporary globalization,” Political Geography vol. 19, 2000, 5~32頁。
  10. ポール・クルーグマン『自己組織の経済学』パク・ジョンテ訳、ブキ、2002、第3章参照。
  11. John Friedman, “The world city hypothesis,” World cities in world-system, 326頁。
  12. チョン・ビョンユほか『韓国の不平等2016』ペーパーロード、2016、114頁。
  13. 張夏成『なぜ憤怒しなければならないのか』、ヘイブックス、2015、59頁。
  14. 金洛年「韓国における富と相続、1970~2013」『落星垈経済研究所ワーキングペーパー(2015-07)』2015.11参照。
  15. 2014年相続税と譲与税の申告現状をみると、ソウル・首都圏が占める額数はそれぞれ全体の74%と80%にいたる。
  16. そのようなモデルを韓国社会で創案し、先導したという点から法律事務所キムアンドチャンの事例は非常に重要である。イム・ゾンイン、チャン・ファシク『法律事務所 キムアンドチャン』フマニタス、2008参照。その他にも公務員「民間勤務休職制度」も注意する必要がある。「公務員が休職し、サムスン・LGで勤務することができる」『連合ニュース』2015.9.22参照。
  17. 最近ネクソン(NEXON)との不適切な株の取引で拘束されたチン・ギョンジュン前検事長の行動や前教育部政策企画官のナ・ヒャンウク氏の「民衆は犬・豚」云々する発言は逸脱的事例ではなく、構造的背景を持つものといえる。
  18. グローバルブルジョアと彼らを支援する金融サービスの風景を見せる例としては、キム・ゾンヨン『支配される支配者:アメリカ留学と韓国エリートの誕生』トルペゲ、2015, 223~24頁参照。
  19. これと類似した立場として、ダニ・ロドリック(Dani Rodrik)『グローバリゼーション・パラドクス――世界経済の未来を決める三つの道』 コ・ビッセム&ク・セヒ訳、21世紀ブックス、2011参照。とくに彼が提示した「世界経済の政治的トリレンマ」は注目する必要がある。
  20. 国民国家に国民的であることを要求する戦略はウォーラーステイン式で表現すれば、「自由主義者らが自由主義者らになるように強制すること」といえる。イマニュエル・ウォーラーステイン『アメリカ覇権の没落』ハン・ギウク、チョン・ボムジン訳、創批、2004、326頁。
  21. 詳しいことは、チョン・ジンサン『国立大学統合ネットワーク』チェクセサン、2004参照。
  22. 「南景弼『青瓦台•国会も世宗市に移そう』」ハンギョレ、2016.6.15。
  23. 「李海瓚『世宗市に国会分院』 国会法改正案の発議」ハンギョレ、2016.6.21。
  24. 世宗市の維持・発展は、現在韓国政治において最も重要な分派である、いわゆる「新盧」と「新朴」両方とも政派的利益とつながっており、大統領選挙に出馬しようとする政治家は誰もが忠清圏における得票を念頭に置いて世宗市の発展を公約できる状況なのである。
  25. 国立大学統合案の実行可能性と関連のあるいろいろな問題点に対しては、拙稿「学閥社会と大学序列を克服する制度の構想:チョン・ジンサン、『国立大学統合ネットワーク』」『経済と社会』2005年夏号、347~57頁参照。
  26. 拙稿「『国立大学統合ネットワーク』からソウル大学を外そう」『創批週刊論評』2012.7.4。
  27. 科学技術院5校は、法的には「特別法法人」が運営する大学である。ところが、彼らが国立大学統合ネットワーク内に入ってくるのに大きな無理があるとは思われない。
  28. 韓国社会には世界水準の大学を育てないとならないという話が横行する。そう言いながら、長男のみを大学に行かせ、次男は工場に行かせた60年代風の投資またはオリンピック選手村モデルを追う教育投資を繰り返している。しかし、世界水準の大学は、評判と力量において自身を脅かす他の大学と競争する中で到達するものであり、単に心の中にハーバード大学を競争相手として抱いているからといって到達できるものではない。
  29. すでに「国家教育委員会」(民教協)や「国家高等教育委員会」(私的教育のない世界)の構成を主張する人たちがいる。このような主張の裏面には、現在の教育が官僚的自己利益を耽溺しているという判断がある。筆者もそれに同意し、それゆえ教育部から高等教育政策の構想機能を剥奪して大統領直属の委員会に移管し、実行機能のみを残すことが望ましいと思われる。しかし、すでに初・中等教育が教育庁の管轄に移行され、教育自治制度が定着しつつある状況において、果たして「国家教育委員会」まで必要なのかは疑問である。そのような点から「国家高等教育委員会」がもう少し良さそうにみえるが、高等教育機関では教育だけではなく、研究も重要である。この点を考慮して「国家高等研究・教育委員会」を設置することを考慮してみることができる。
  30. 代表的な例が、参与政府時期にあった忠南大学と忠北大学の統合議論であった。世宗市に用意された大学敷地を一緒に活用する道を模索すると同時に、いっそう優れた大学として成長するために行われたこの統合議論は水泡に帰した。複雑な法的・制度的問題を、責任をもって解決するためには政府全体の意志が求められるが、教育部が受動的に関与する程度に止まっており、それによって統合議論を主導した教授らが消極的な内部成員を説得することも困難であった。
  31. 拙稿「廃棄されるべき大学構造改革法」ハンギョレ、2016.7.20。
  32. 政治的選択が鍵であることを見せてくれる事例として、朴槿恵政権の半額大学授業料の要求に対する対応と、造船産業の危機に対する対応を挙げることができる。朴槿恵政権は半額授業料に必要な6兆ウォンの代わりに所得連動型奨学金として3兆5千億ウォンを支出する決定を下したことに対し、造船産業の構造調整には12兆ウォンを投下する決定を下した。
  33. 白楽晴「『抱擁政策2.0』に向けて」『創作と批評』2012年春号参照。
  34. 本誌収録のデヴィッド・ハーヴェイ「実現の危機と日常生活の変貌」参照。
  35. ところが、韓国の私立学校では学校法人による非民主的な運営のため、多くの不正が行われてきており、その手法も進化してきた。拙稿「進化する私学不正」ハンギョレ、2015.4.22参照。
  36. イマニュエル・ウォーラーステイン『ユートピスティクス―21世紀の歴史的選択』ペク・ヨンギョン訳、創作と批評社、1999、108~109頁。
  37. ハーヴェイ、前掲書、94頁。

リアリティーの再装填―異なる民衆、新しい現実、そして「韓国文学」

2016年 夏号(通卷172号)

特集_韓国文学、「閉ざされた未来」と闘う
リアリティーの再装填―異なる民衆、新しい現実、そして「韓国文学」

 

姜敬錫(カン・ギョンソク) 文学評論家。最近の評論に「批評のロードスはどこか:「近代文学終焉論」から「長編小説論争」まで」などがある。netka@hanmail.net

だが、より立派な時代になるとしても、芸術の表現でもあり、また形式の基盤でもある苦痛を芸術が忘却するのなら、いっそ芸術が初めから無くなったほうが正しいだろう。
―T. W. アドルノ

 

「民衆的なるもの」の帰還

英語の「ピープル」(people)に当たる韓国語には人間、人のような日常語の外にも、人民や民衆が浮かび、場合によっては住民、市民、国民、大衆を選ぶこともできる。これらの言葉の間にはすでに古くから厚い和集合が形成されているが、含意と強調点、置かれている地平は少しずつ異なる。しかしそれぞれの来歴を持った数多くの「ピープル」らの中でも、今日韓国文学の実像と社会現実との連関を新たな水準で再構成しようとするならば、さらに漸増する社会的不安と政治的無力感に巻き込まれない文学的実践を図る場合ならば、「民衆」という用語または概念の相対的効用性と不可避性に改めて注目せざるを得ないだろう。

国民国家の主権者であり統治の対象としての国民は勿論のこと、権利と責任、資格の問題と結び付けられたりする市民は、多重(multitude)、下位者(subaltern)、少数者(minority)、そして難民(refugee)など、変わった現実を反映する新しい内包と区別されるという点で、使い方が限定的である。ここで没主体的な群衆や消費者としての大衆を論外とすると、まがりなりにも人民が残るが、その内部における人間中心的限界だけでなく分断以後、朝鮮半島の南側の言語生活では事実上捨象された用語だという点が障害である。

それに比べて70~80年代の反独裁抵抗運動によって活性化した「民衆」は、民主化と大衆消費社会の躍進でその勢いを失いはしたが、朝鮮半島の近現代史において内発的に成長した変革主体としての象徴性を相変わらず持つ概念である。ひいては最初から分析的概念ではなかったので、世界至る所で可視性を拡張していっている現実的存在、だから少数者と難民のような「市民性(citizenship)の他者」たちとも相対的に接続が容易である。民主主義社会の政治的主体である「民」と衆生という用例から見るように、生命を持ったすべての存在として「衆」の結合としても把握できる民衆は「その底に人間だけでなく動植物生態系全体と、いわゆるこれまで西洋人たちが「有機物」に対蹠的な「無機物」と呼んできた山脈・岩・空気・水・土・風までも一つとして見る視角」 1まで開くことができて、ピープルとピープルを超えて結ぶ関係を総体的に再現するに有利であるばかりでなく、芸術的想像力の根源に関連しても豊かな暗示を提供する。階級と性別、人種と国籍のどれ一つだけでは説明が不十分となる複数の社会・文化現象を統合的視野で捉える必要があるならば、民衆談論をリブート(reboot)する理由は充分であろう。

従って、ここでは民衆を特定の階級、または「国民、民族、市民の位相を獲得するに失敗した」 2人々に限定しない。「国民、民族、市民」も階級と同じく民衆が可視化する局面の一部だと見なすからである。この際の民衆は集合的な覚醒と決断を要請する様々な切っ掛けがない限り、たいてい非可視的な状態に留まるようになるが、そういう点で識別可能なアイデンティティを共有することで維持される、われわれが知っていた「共同体」とは別に存在する。言い換えると、民衆は居住地や階級、または性差などによってアイデンティティと利害関係を異にする単位共同体ではないし、だからといってその中のいくつかの連合で構成されるわけでもなかろう。それは却って共同体または共同体を統御していた規範や制度、コード、アイデンティティの動揺から可視化されると見なしたほうがより適切である。産業社会への再編で農村共同体が早く崩壊していった70年代に民衆概念が本格的に要請された事実や、生産資本主義体制が消費資本主義へと移っていく峠で87年の6月抗争と7・8月労働者大闘争の巨大なる水流が、民衆の名で噴出したことは決して偶然ではなかろう。

だから、よく思われるように当然享受すべき普遍的権利を剥奪された被害者が直ちに民衆ではない。アイデンティティの危機の中で現実の矛盾に傷付けられた者たちが、「他人の苦痛」に感応する能力を通じて、互いを見て取り、手を出して一緒に立ち上がる連帯の瞬間に可視化される存在が取りも直さず民衆なのである。民衆たちの間における連帯ではなくて、逆に連帯とネットワークとして出現する「民衆的なるもの」が今日の歴史的実感に符合する一種の2.0バージョンに当たる。 3 私事化した挫折と無力感から逃れようとする個人(集団)たちが社会的苦痛の「プラットホーム」に接続して孤立を克服することによって、集合的解放の可能性を開示し、拡張する運動、まさにその中でこそ始めて「第三者」であることを辞めて、各々「当事者」として参与する民衆は実体化するはずである。例えば、世越号惨事以後、街と広場を埋めた「じっとしていまい」という宣言が明白に見せてくれたように、このような民衆的大転換の動きはすでに現れ始めた。あらゆる社会的手段を掌握した守旧既得権勢力の組織的捏造と幇助、妨害にも関わらず、惨事を巡った真実は次第に顔をさらけ出しつつあり、 4 民主化の成果をことごとく無化させようとする緻密な巻き戻し(roll back)戦略 5に立ち向かって「有権者革命」に準ずる勝利を収めた去る総選挙の結果も、一定の限界の中でもそのような大転換の明らかな一部であろう。問題は差し当たりの速力や規模ではない転換の方向であり、それを左右する核心はまさに私たちの粘り強さと姿勢にある。

 

可視圏の外の安否 6

今日の文学について語ろうとする本稿において民衆概念の含意を再構成する先行手続きが必要であった訳は、先述した民衆的なるものが目の前から全く消え去ったように見える時でさえ、各々の固有な形式でそれを感知可能とたらしめるだけでなく、持続的現在として「生動」させることに文学特有の能力と役割があるからである。連帯と抵抗のエネルギーが噴出する時期は言うまでもなく、それが底流に沈潜したかのように見える困難な時期ほど、その潜在力を発掘し可視化する文学の役割はより大きくなるしかない。文学はこのような力を感応させることによって社会的連帯の資源を生産し、保全し、蓄積する。文学がどこでどういうやり方であれ、今ここの生を荒廃にする苦痛と桎梏に立ち向かって、よりよい「異なる世の中」を作る事業に参与できるならば、その可能性もまた文学が持ったそのような能力から来るだろう。よく言われる文学の政治性や社会性も民衆的なものの存在に対する信頼と、文学の力に対する信頼から離れては空虚な観念に落ちるだけである。最近、初めての詩集を出版した安姫燕(アン・ヒヨン)は文学に対するこのような信頼を次のように簡明に詩化したことがある。

 

しかしわれわれには歌う口があり
門が描ける手がある
恥ずかしさが作る道に沿って
互いを染め合いながら行くことができる

絶壁だといったら閉じ込められている
丘だといったので流れること

遠い後日、染色工は
われわれを思い浮かぶだろう
たまたま彼の頭の中の電球が点く瞬間

彼はゴミ箱を手探りして古くなった失敗を取り出すだろう
自ら滲んでいった図柄
光を含んだ歌を 7

 

だが、全地球的資本主義の時代が渡来し、民衆・民族文学運動が懐疑の対象となって以来、文学に対するこのような信頼は持続的に挑戦に直面してきた。韓国社会で連帯の感受性がかなり遺失されたことを守勢的に反映したり、逆らえぬ大勢として既定事実化するあらゆる「終焉論」とその変種が西欧の脱近代理論に接種して出現してきたことは周知の事実である。文学の無力さを訴える多くの言葉は、その主観的善意はどうであれ自分たちが問題とするまさにその危機を加速することに仕えるに決まっているし、実に「異なる世の中」に対する不信を加重させる資本主義論理の踏襲に過ぎない。

歴史の節目ごと噴出して自分の健在を知らせたあの民衆的なるものの存在が厳然であるならば、傍でその潜在力を保存し培養していた韓国文学の動きもまた、一時的後退と停滞はあっても全く中断されたことはなかった。言わば87年体制、分断体制、資本主義世界体制がもたらした「三重の危機」の深化の中で民衆的なるものの可視性が大きくなるほど、文学の場でも現実志向の自意識が増大されていることは至る所で引き続き感知される。守旧保守連合の再執権の時期に触発されて、龍山惨事(2009)以後、より活発に展開された「文学と政治」の論議や、密陽と江汀、雙龍自動車と韓進重工業事態の前で若い詩人・作家たちが見せてくれた直接的な現実参与のみを念頭に置いてする話ではない。変化はずっと内密な地点でも始まった。主に「現実から内面への移行」と評価された「90年代作家」たちが最近むしろそのような変化の流れをはっきりと実感させている点は注目に値する。主人公一家の平均的生を通じて韓国社会の圧縮的近代化過程を以前よりまして大きなスケールで鳥瞰した成碩濟(ソン・ソクゼ)の『透明人間』(創批、2014)や、少年のドンホの死を軸にして光州抗争の民衆的威厳を生々しい現在へと復元した韓江(ハン・ガン)の『少年が来る』(創批、2014)は、「90年代文学」の現実志向的転回を証す明白な成就である。このように韓国現代史の決定的節目を新たに照明して現在化し、その意味を問い直す作業は李起昊(イ・ギホ)の長編『次男たちの世界史』(民音社、2014)とも共鳴するが、「透明人間」、「少年」、「次男」などがすでに「民衆的なるもの」の秀でた象徴であろう。

それに加えて注目すべき現象が言わば往年の民衆文学運動を主導していた作家たちの現場復帰である。『噴火山』(世界、1990)の作家、李仁徽(イ・インフィ)が8年余の沈黙の末に中短編の作業で帰ってきた後、すぐ小説集『廃墟を見る』(実践文学社、2016)を発表したことも驚くべきだが、小説集『私たちの恋は野花のように』(プルビッ、1992)以後、消え去ったと思われていた「金気のように」(1987)の作家、ジョン・ファジンが去年、短編「きょろきょろ見回す」(『黄海文化』2015年秋号)で20余年を超えて文壇に復帰したことは、それ自体が時代転換の小さな兆候として遜色がない。去年、共に新しい詩集を出版して健在を証明したベク・ムサン(『廃墟を引き揚げる』、創批)とキム・ヘザ(『家に行こう』、サムチャン)は、昔も今も「民衆詩」系列の逞しい心張りであるが、 8彼らが遂行してきたこれまでの奮闘が寂しくなかったことを両作家の復帰が証明してくれたわけでもある。また、世越号惨事に感応した若い詩人・作家たちを主軸にして既存の文学生産制度の外で創作と現場朗読の新しいプラットホームとなった「304朗読会」は、文壇内外の持続的な呼応の中で早くも20回以上の活動を持続することで、文学運動と社会運動の両側面で新鮮な刺激となっている。 9 民衆的なものを非可視化する体制の圧力が強くなるほど、今の時代の「透明人間」たちに声と顔を返してあげようとする詩人・作家たちの絶え間ない戦いは、このように世代と出身、ジャンルと文学理念の違いを問わず多様に展開されている。文学の場でも大転換はすでに始まったのではなかろうか。

 

アリスたちの身元

だが、誰でも感じているようにこの戦いはいつにもまして複雑な様相を呈する。究極的には先述した「三重の危機」の複合性のためであろうが、それがもたらす社会的感受性、または共通感覚の動揺で今の時代の詩人・作家たちは二重、三重の苦闘に乗り出すしかないこととなった。戦いの困難さはそのままやりこなしながら「未来を図る」新しい実験を持続している韓国文学の現場は、よって解答の是非より問いの懇切さと真実さに一層集中する段階に来ているようだ。そのような作業を最も切実に遂行している作家の一人として黄貞殷(ファン・ジョンウン)を数えることにためらう理由はない。特に彼女の中編『野蛮なアリスさん』(文学ドンネ、2013)は成碩濟の『透明人間』に劣らず「民衆的なるもの」の新たな可視化に意識的な場合である。

『透明人間』が、あまりに多くて区別がつかず、目に付かなくなった平均的存在らに向かい合っているとしたら、『野蛮なアリスさん』は例外的だと言えるほど強烈で特殊な苦痛と不幸を提示することによって、例の可視性の地平を局所的次元で開いて見せている。前者が通時的眺望のもと繰り広げられる時間的形式ならば、後者は「内」、「外」、「再、外」という各章の小題目が暗示するように空間的形式を取っているが、それは作品の主要背景であるコモリを始め、空間や場所に対する叙述的配慮が特に際立つこととして現れる。このことは黄貞殷小説一般の特徴でもある。 10 平均性という先行観念の制約のために作意が実感に優先するところもなくはない「透明人間」に比べて、 11 例外的形象の「アリシア」が持つ長所は何より「透明人間」類が時たま落とす一種の「新しい現実」を捉えるということにある。

 

わが名はアリシア、女装浮浪者として交差点に立っている。
君はどこまで来たか。君を探して頭を傾げてみる。(・・・) アリシアの服装は完璧である。ジャケットと短いスカートで対の紺色の正装を着ており、ハトの胸のように色合いも感触もかわいらしいストッキングを履いた。君は(・・・)不意にアリシアの臭いを嗅ぐこととなるだろう。タバコに火をつけようとする瞬間、コインを探そうとポケットを手探りする途中、息を吸い込む途中、街に落ちた手袋を拾う瞬間、傘をさそうとする瞬間、冗談に笑いながら、ラテを飲みながら、宝くじの番号を照らし合わせながら、バスステーションで何気なく首を巡らしながら、アリシアの体臭を嗅ぐだろう。君は顔をしかめる。不快となるのである。アリシアはこの不快さがかわいらしい。(・・・)アリシアの体臭とアリシアの服装で誰にも奪われえないアリシアを追い求める。(・・・)君の面白さと安寧、平安さにアリシアは関心がない。引き続きそうする。(7~8頁)

 

『野蛮なアリスさん』の導入部である。何度も論じられたようにこの作品は疑問だらけである。1人称なのか3人称なのか混乱を来たすアリシアの存在が一先ずそうであるが、彼がタイトルのアリスさんと同一人物なのかどうかも定かでない。それに「君はどこまで来たか」の「君」は誰なのか。

しかし、考え直してみると、われわれが共有したり共有すると見なすある種の識別体系がこのような疑問を作り出すかも知れないという心証を持つことにもなる。内と外の区分で成された各章のタイトルが「再び、外(再、外)」という意外の区画概念に到達するところからも暗示されるように、アリシアの存在は既成の識別体系を喚起しながら亀裂を刺激する面がある。「女装浮浪者」という説明からそうである。身なりは女性であるが、実際女性ではない場合に付ける修飾が女装だとする際、アリシアが少なくとも通念上の女性ではないという点が明らかとなるが―本文の物語もこのことを裏付ける―女装を性的志向の表現として受け入れる場合は異なることを考える余地もなくはない。従って、彼のアイデンティティや志向はむやみに断定しにくいが、だからといってそのような識別自体の根源的不可能性を主張するようにも見えない。アリシアはおそらくそれ自身が既成の識別体系の産物であると同時に新しい識別体系を要請する存在であろう。

このことからいろんな疑問が解ける余地が生ずる。アリシアの登場は既成の識別体系がもたらしたいろんな現実的存在たちの苦痛をあまねく想起させる。コモリでの暴力のもとで成長したアリシアの生は苦痛という言葉だけをもっては説明が足りない境遇である。従って、既成の識別体系に包摂された共同体と、新たな識別体系を要請する存在との中でどちらが「野蛮」に当たるかは自明となる。断定しにくいが、タイトルの「野蛮なアリスさん」はアリシアと同一な存在ではなかろう。アリシアの立場に立つ時、「君」らは「不思議の国のアリス」のように不慣れで不可解であるだけでなく、野蛮なまでの存在たちという解釈も可能ではなかろうか。アリシアを通り過ぎる数多くの「君」らが停止画面に捉えられた事物のように乾燥に述べられたことからそのような感じは強化される。

そしたら、「君」とアリシアは永遠に互いを排除するしかない関係なのか。そのはずはない。むしろアリシアは君を待ってもいる。「面白さと安寧、平安さ」に包摂された君らの中には、ついに「これを記録するたった一人」となる君も含まれているからである。そして、ここでの「たった一人」が文字通りのたった一人だけではなく、「自分の自分になること」、だから個体性を唯一の識別体系として受け入れた存在を指すのであるならば、「たった一人」としての「君」こそ共同体を統御していた規範やアイデンティティの動揺から可視化する民衆的なるものの優れた形象化であり得る。ここでの記録が何を保存する記録なのかについては長い説明が必要でなかろうが、それにも関わらず疑問が解けない件は「アリシアはこの不快さがかわいらしい」という文の意味である。これを解明するためには一遍の詩を経由するしかなかろう。

「野蛮な」既成の識別体系の暴力性に対する真摯な探索であり、例の「新しい現実」の詩的形象化の事例としては、金炫(キム・ヒョン)の『グローリーホール』(文学と知性社、2014)が注目に値する。いろんな詩編の中でもあるゲイ青少年の失恋談を素材とした「老いたベビーホモ」は、愛に関する少数者的感受性の独特な深さを見せてくれる。それはもちろん既成の識別体系のもとでよく見えなかったりぼやけていた何かである。

 

赤紫色の雨が降る夏の空っぽの教室で初めて感情をしゃぶった。奥歯をかみしめてサッカーシューズをくしゃくしゃに履いた薄黒い感情であった。膝をついた窓外に時間の紙魚は白く起こりかけて。
一列横隊に濡れた運動場を行軍してくるヒキガエルの群れの号令に合わせて、やつは力いっぱい走った。私はやつの輝くドリブルを思い浮かべた。ゴールを入れるたびにファックを言い放ったやつの唇はかなり神秘的であった。唾だらけとなった感情は柔らかくてつるつるであり。
すぐだらだらと流れ落ちた。感情の睾丸を隠し、やつは荒涼としたかわいらしい足蹴で私を蹴飛ばした。ガラス窓の中で時間に蝕まれた私が老いた新婦のように私を私のように眺める時。やつは糞のついたパンツを履いて、いなくなり、美しく。私はベールのようにささやいたよ。さようなら。

そしてやつらを見た人はいないね。誰も。そう、誰も。

アンクルスバーガーのナプキンでホームタウンのケチャップを拭いていた私たちは、なぜ急いで老いたのか。ソーセージカールのかつらをつけて腐ったビールを飲む古い夜、私は知らず知らず歌うよ。カウンターダウンが終わりもしないうちに少年の軌道の外にロケットを打ち上げたやつらのために。さようなら、今もサッカーシューズをくしゃくしゃに履いて赤紫色の夏から逃げているはずのグローリーホールの黄色い出っ歯のホモたちの感情のために。そして乾杯。 12

 

散文的に書かれているようだが、同じような資質の語尾を繰り返したり、少しずつ順序を取り違えてリズムの単調さを避けながら、全体的に柔らかいものの生々しい現在性の呼吸を作り出している。この詩は一つの完結した後日談で成されているが、物語の内容は痛ましくてならない。ゲイアイデンティティに目覚めた少年の「私」がおり、私が愛する他の少年「やつ」がいる。「雨が降る夏の空っぽの教室で初めて」私は「やつ」の性器を口に咥える。私にとっては明白な愛の行為であったが、やつはなぜか「奥歯をかみしめて」いる。そこには思春期的アイデンティティの動揺と混乱があり、禁忌に対する恐怖と共に未知への息が切れる衝動が同居している。このはらはらする緊張と熱気の時間を次第に食い荒らしてくるように、ガラス窓はぼやけ、ようやくその刹那の末にやつの「荒涼としたかわいらしい足蹴」ですべては終る。

ところですでに「私はベールのようにささやいたよ。さようなら。」という文が語っているように、私は自分を結婚式場に一人で取り残された悲運の新婦のように想像しながらも、侮蔑に陥らず、「やつ」の美しさを再び肯定するところにまで及ぶが、それはもしかしたら私を捨てて去った「やつ」と共に惨めに捨てられた「私」自身にさえ「さようなら」を告げることで可能となったことであろう。それは『野蛮なアリスさん』のアリシアが自分の体臭を嗅いで不快となったあまり顔をしかめる「君」らに対して、「この不快さがかわいらしい」と語る脈絡とそれほど離れていないようだ。それはアリシアと「私」が「君」または「やつ」がずっと属していることを望む世界の「面白さと安寧、平安さ」に距離を置くしかない存在たちだからである。愛が既成の識別体系の支配から脱していると、愛の失敗が与える挫折や侮蔑感も全く異なる形を帯びるしかないのである。もう一度問わざるを得ない。「やつ」が逃げて入っていった世界と、「私」が老いた新婦のように待っている「赤紫色の夏」、両方の中でどちらが「野蛮」なのか。従って、理解と許しの「赤紫色の雨」 13に始まって「今もサッカーシューズをくしゃくしゃに履いて、赤紫色の夏から逃げているはずのグローリーホールの黄色い出っ歯のホモたちの感情のために」祝福の乾杯をしながら終るこの詩は、エロスと霊性を共に含んだ「新しい感受性」の発現であると共に、例の「民衆的なるもの」の生成に寄与するもう一つの事例として遜色がないだろう。

 

労働文学と労働文学以後

黄貞殷の小説と金炫の詩が語る愛は「新しい現実」を可視化し、牽引する力を内蔵しているが、「君はどこまで来たか」という問いを繰り返したり、「私は知らず知らず歌うよ」と告白するしかなかったように、当面した「古い現実」の重力は相変わらず手強い。もしかしたらこの重力に対する尊重を失わなかったという点が彼らの成就をより輝かせているかも知れない。ところでこのように「古い現実」から一歩外れたまま自らが質問となることによってそこに亀裂を生じさせる方式もあるが、「古い現実」の古さそのものとほとんど何の媒介なしに対決することもいくらでも可能であろう。そういう意味で労働文学の範疇に属する李仁徽の小説集『廃墟を見る』は耳目を集める。この小説集にはそれぞれ5編の短編が載せられているが、問題意識の現在性と成就度の側面で一先ず目に付く作品は「工場の光」と「廃墟を見る」である。前者については一回の解明を試みたことがあるので、 14 ここでは後者に集中したい。

「廃墟を見る」はIMF外国為替危機事態で触発された現代自動車労組のリストラ反対闘争(1998)を素材の基にして、その上に闘争の記憶を共有した虚構的人物たちの人生流伝を築き上げた一種の後日談小説である。作品はある農村地域の小規模冷凍食品工場に通う人物、ジョンヒが蔚山の巨大な自動車工場の煙突に上る場面から始まる。夫に死に別れ、一人で子どもを育てながら生きていく田舎村の非正規職労働者であるジョンヒは、なぜその煙突に上らざるを得なかったか。

ジョンヒの夫、イ・ヘミンは87年の労働者大闘争以来、民主労組の建設に献身してきた硬骨の労働運動家であったが、98年のリストラ反対闘争が会社側の構造調整案の一部を受容する委員長職権調印で事実上敗北に至ると、「自動車工場の労働運動は死んだと宣言するように」(308頁)そこを立ち去った人物である。過去、彼の信念に感心して民主労組運動に飛び込んだやくざ出身のチルソンが自ら死を選び、引き続きイ・ヘミンもまた、闘病の末に死を迎えることとなるが、事実ジョンヒの発心は夫の挫折や死を通じてではなく、その後冷凍食品工場で直接かち合った解雇の脅威による。ジョンヒはその時になってはじめてヘミンを襲った幻滅の正体と対面することとなったのである。

この作品が素材を取った現代自動車労組の98年闘争が、韓国の労働運動史における大きな分岐となったことは広く知られている。90年代に入ってすでに市民運動への分化が起こり、各種の少数者運動が頭角を現し始めたが、全体民衆運動を牽引していた労働運動の象徴性だけはすでに現れ始めた内実の危機にも関わらず、健在であったと見なせる。これを主導したのが大工場の組織労働であったことは勿論であり、98年の妥協以後、正規職、非正規職労働の急速な分化と共に全体労働運動の下降と孤立が本格化したのである。まさにこの瀬戸際に食い込んでいった労働文学がほとんど目に付かなかった事実こそ、一種のアイロニーであるが、労働文学の衰退が労働運動のそれよりずっと先立ったわけだ。もちろんその原因を解明する作業は本稿では成し得ない。だが、87年以後、消費資本主義の早い定着で労働者階層の「新中産層」化のような一種の階級分化現象が持続されたし、それによって階級感受性そのものにも大きな変化がもたらされたことは充分考慮すべきであろう。

それは現場の労働運動が合法化、制度化されること以上に根源的な水準の変化であるが、文学はまさにその根源に関わるからである。作品は結末に至って導入部の煙突場面に戻ってくる。もちろんそこでジョンヒが目撃することは「資本の世界で生まれて資本が教えた世の中だけを見て」(318頁)死ぬしかない、一つの巨大な廃墟である。

 

ちりのような希望でも掴みたくて煙突に上ったが、荒廃となってしまった人間の生が目に溢れた。ジョンヒは絶望で崩れ落ちる心をどうすることもできず後じさりした。そうすると、蜃気楼のように障壁は無くなり、広々とした草原が垣根の外に広く繰り広げられた。まばゆい日ざし、高く澄み切った空、木と森が生命の気運を上らせた。あらゆる生命体たちが自由に走り飛び交いながら平和であった。しかし垣根の中の人々は垣根の外に出ようとしなかった。彼らは自分の生が垣根の中にあると信じながら、力んで生存のために足掻いていた。(319頁)

 

引用から見るようにこの作品で工場は真正な生と生命の発現を遮る制約の象徴として登場するが、逆説的に生と生命の気運が最も生動感あふれて咲く所でもある。特にホットドッグとジャガイモ餅を作る共同作業の場面(273~74頁)が代表的であるが、ここには肉体労働の反復がもたらしてきた苦痛のみでなく、協業と分業を通じた同僚たちの間における連帯感や労働自体が与えてくれる生のリズムのようなものが滲んでいる。これは先述した古い現実に属していながらそうでもない要素である。それに比べて引用文に登場する「蜃気楼のように広々とした草原」はまだ漠然であるが、それは登場人物たちに与えられた苦痛の根源であった98年闘争の当時を単純に片付けたことから来る予告された欠陥であろう。生と労働自体が与える体験的活気を珍しい直接性で伝えているこの作品は、素材を選択する問題意識やそれをやりこなそうとする真正性の面ではっきりと輝くが、また一方では韓国社会の民衆的感受性に差し迫ってき始めたより大きな変化に無心である。なので冷凍食品工場のもう一つの同僚たちであろう移住労働者たちには顔と名がなく、女性登場人物たちは相変わらず男性中心的視角に捕らえられている。何が本当の現実なのか、どれがより「リアル」かという問いをここで向かい合うことは難しいだろうか。

 

リアリティー:世界を引揚げること

これまで「実感」や「現実」という言葉でやかましくて厄介なリアリティー(reality)概念を遠回しに述べてきた。「民衆的なるもの」の存在が永久に消えうせたかのように見える時でさえ、各々の固有な形式でそれを感知可能とたらしめるだけでなく、持続的現在として「生動」させることに文学の固有な役割と力があるとする際、感知可能性と生動性の源泉であるリアリティーはもしかしたら最も重要な概念である。事実、あるがままの生意外の他なる意味ではないはずのこの概念は、理論的なり哲学的に入り込むほど泥沼に陥れる側面がある。通常的な意味で卑近な感じを与える事実的に本物であるようなもの(the verisimilar)とリアリティーがどのように重なり、分かれるかからが複雑な問題でありうるからだ。一応は前者が細部の真実性やそれらしさ(蓋然性)とあまねく関わった概念であるならば、リアリティーは総体性たまは総体的真実性と連結された概念だと言えるが、総体的真実を具現することにおいても事実的に本物であるようなものの重要性は改めて強調する必要がないだけ、両者は初めから互いに組み、組まれる習合関係だといったほうがいいかも知れない。

だが、われわれが文学作品のリアリティーを弁えようとする際、優先的に考慮すべき事項が当面の現実に対する尊重の介在の可否であることだけは明白のようだ。もちろんその尊重とは無批判的受容とか投降ではなくて、先に黄貞殷、金炫の事例で見てみたような「愛」に近い何かであり、「資本の世界で生まれて資本が教えた世の中だけを見て死ぬ」生の外を夢見るある労働小説家のそれでもあろう。こうしてリアリティーは作品評価の主な基準であるだけでなく、さらには当面の目標でもあり得る。先述したように「民衆的なるものの帰還」がすでに始まったことならば、韓国文学がリアリティーの問題により意識的で積極的になるべき必要性はすでに充分である。

リアリティーと向かい合うということは苦痛と向かい合うという意味である。文学に与えられた使命は、いつも現実的苦痛の単純な解消にあるというよりは、その苦痛の局面を生々しい現在の体験として持続させることにあった。これまでとは異なる生、「異なる世の中」を開く力がまさにそこから出るのであるし、まさにそれが本稿で述べる「民衆的なるもの」の要諦でもある。「異なる世の中」に対する信頼は、その世の中が如何なる誤謬のない世の中だという盲信から来るのではなく、そのような誤謬までも現実の厳然たる一部として毅然としてやりこなせるし、また克服していけるという自信感から来るだろう。一切の無気力と諦念、そして冷笑と嫌悪は投降の事前手続きに過ぎない。見えない所へ沈みつつある、われわれが当然引揚げるべき世界が常にここにある。

 

翻訳: 辛承模

Notes:

  1. 金芝河、「生命の持ち主である民衆」(1984)、『生命』、ソル、1992、83頁。このような民衆概念は東学を始めとして韓国の近代宗教・思想史ではすでに見慣れたものである。
  2. キム・ジンホ、「激怒社会と「社会的霊性」」、『社会的霊性:世越号以後にも「生」は可能か』、玄岩社、2014、231頁。民衆神学は「マルコ伝福音書」の用例に従ってこのような存在を「オクロス」(ochlos)と呼んできた。
  3. 民衆概念のこのような転換は「民衆はある/ない」といったふうの形而上学的論議や概念定義一般が持つ規範化の拘束から逃れさせてくれる長所がある。
  4. バク・レグン、「隠そうとする者が犯人である:世越号特別調査委員会の2次聴聞会に注目する理由」、『創批週刊論評』2016.3.23.。
  5. 李南周、「守旧の「ロールバック戦略」と市民社会の「大転換」企画」、『創作と批評』2016年春号参照。
  6. 安姫燕の詩「白色空間」から引用した。詩集『君の悲しみが割り込む時』、創批、2015、10頁。
  7. 「ギターは銃、歌は銃弾」5~8聯、上掲書、141頁。宣言し予告する陳述文の連鎖が一見してメッセージの強要として受け入れられる危険がないわけではないが、この詩にはそれを適切に統御する理知的均斉力が共に働いている。宣言し、進んでいこうとする力と、(主観的過剰を警戒する)省察的に掴む力との間における張り切った緊張に負って、この詩の不安であるようで切実なリズムが作られるのである。特に「手がある」「行くことができる」などの宣言が、ある種の不安を通過して辛うじて下された確信の表現だという点に注目する必要がある。
  8. ベク・ムサン、キム・ヘザの最近の詩集については、黄圭官、「羽ばたきと鎖との間で:民衆詩の現在と未来」、『創作と批評』2016年春号を参照。
  9. これに対する比較的詳しい紹介としては「帰ってこれなかった名を一つ一つ呼んでみる」、『時事IN』、2016.4.16.を参照。本稿の主題と関連して一件を引用しておく。「現場の経験が作家の体を通過しながら、作品にも影響を及ぼした。「その日」以後、書き物の無力さを体感した文人たちが多い。安姫燕詩人もその中の一人である。朗読会に出席して、読み、書き、共有する過程を経験しながら再び書き物ができた。「声で発話され、聞き手がおり、書いた文章が共有されることを目撃しながら、感情的に多くの影響を受けた。私が思ったより書き物はそれほど無力ではないね。語り、聞くべきなのだという自意識が生じた。」」
  10. これについては、韓基煜、「野蛮な国の黄貞殷さん:その現在性の芸術について」、『創作と批評』2015年春号を参照。
  11. 例えば、主人公のキム・マンスが労働運動に巻き込まれる件や、最後になって交通事故で墜落死する場面などからそのような気味がうかがえる。でも、主人公のキム・マンスが一家族だけでなく都市化と産業化、民主化の旅程全体をやりこなした人物にも関わらず、彼の生涯を集合的に築造する多焦点化の方式を取ることによって、過負荷の感じはあまりしないというところにこの作品が与える驚きがある。
  12. この詩に付けられた三つの注釈を除いて本文全体を引用した。
  13. 思うに先日亡くなったアメリカの歌手、プリンスの名曲「Purple Rain」から来たモチーフであろう。「赤紫色の雨は我々皆を許し、浄化してくれる洗礼の水だ。」トゥーレ、「歌手のプリンスの「聖なる欲望」」、『中央日報』2016.5.4.参照。
  14. 姜敬錫、「モダニズムの残骸:ジョン・ジドンと李仁徽を重ねて読む」、『文学と社会』2015年秋号参照。

守旧(勢力)の「巻き返し戦略」と市民社会の「大転換」企画

2016年 春号(通卷171号)

〔特集〕大転換、どこから始めるべきか

李南周
聖公会大学・中語中国学科教授、政治学。著書として、『中国市民社会の形成と特徴』、『東アジアの地域秩序』(共著)など。編書として、『二重課題論』(チャンビ談論叢書1)などがある。

<訳者の読後感>
本質において選挙公約を「空約」(束)化させるような選挙を通じ、匍匐「漸進」する「(選挙)クーデター」政権。日韓両国政権の驚くほどの類似性、同質性が日韓市民社会双方における「大転換」への自覚と連携を促している。幸いにも、「漸進(選挙)クーデター」を「逆クーデター」で阻止した総選結果は、2~4年以内に安倍政権を直撃するだろう。近づきつつある「大転換」の時に向け、日本の市民社会は何を、どう準備したらいいのか、議論を深めていきたい。[青柳純一]

 

「じゃあ、ドイツではこれからどういうことが起こりそうですか」と尋ねた。「ナチのクーデター、あるいは共産主義革命が起きるんでしょうかね」。
ベルンハルトが笑った。「まだ情熱を失ってないんですね、本当に!私はただその質問があなたのように、私にも重大だと思えるように望むだけですよ……」
――クリストファー・イシャウッド『ベルリンよ、さらば』、272頁

クリストファー・イシャウッド(Christopher Isherwood)の『ベルリンよ、さらば――ベルリンの話2』(ソン・ウネ訳、チャンビ、2015年)は、同性愛者ながら外国人(イギリス人)である作家が「シャッターを開けたまま考えもせずに、受動的に記録するだけ」という態度で、ナチスが権力を掌握する直前のベルリンの風景を描写した作品である。上記の引用文は、作家(私)とナチから脅迫状を受け取っていたユダヤ人のデパート管理人(ベルンハルト)との対話である。このシーンで「私」は普段の注意深い態度をとらずに当時のベルリンの政治状況に憂慮を表明し、ベルンハルトの反応に「最近の様子からとても重大な問題だと思われるのに」と反駁する言葉を発する。ナチス運動に賛同した人々と一部の共産主義者を除いて、この小説の他のドイツ人登場人物は終始一貫して当時の状況を、文字通り、受動的に見物しているだけか、受け入れているという印象である。今日の観察者の視点という優位に立ち、他にどんな選択が彼らに可能だったかを問うのはあまり意味がないかもしれない。だが、現在の私たちに同じ質問が投げかけられたら、他の反応や選択をなしうる機会は存在している。

1.危機の深化と危機言説

朴槿恵政権3年にあたる時点で国家は深刻な危機局面へと進んでいる。経済的な突破口は全く見えない。この間、不公平な分配と低成長の悪循環は固定化した。今年になって世界経済の不確実性が再び高まっており、韓国経済の高い海外依存度を考えれば、これはパーフェクト・ストーム(perfect storm:二つ以上の台風が衝突し、その影響力が爆発的に高まる現象)へと突入することもあり得る。のみならず、北の4回目の核実験で南北関係と東北アジア秩序の土台も変化した。北の核能力がゲーム・チェンジャーになりうるレベルに向かって発展しているのに、政府は相変わらず制裁強化という古い放送ばかり繰り返して、韓半島の平和定着のために実行可能なプログラムを提示できないからである。いつ偶発的な軍事衝突が発生してもおかしくない状況である。いま国民の暮らしと生命が直接的な危険にさらされており、国家危機という現局面に対する診断に異論を提起する人を探すのも難しい。

だが、危機言説の広がりは民主改革勢力に有利にのみ作用していない。危機意識が政権によって効果的に活用されているからだ。危機言説は野党側や市民社会はもちろん、政府・与党によっても叫ばれている。朴槿恵大統領が「ゴールデンタイム」という表現を乱発してから長い時間が経ち、金武星セヌリ党代表も今年の年頭記者会見で「危険と不安の時代」というフレーズを持ち出してきた。政権審判論を政治審判(事実上の野党審判)論へと逆転させ、国家的な危機状況を政局主導の好材料にしようという常套手段である。新年になって野党審判論を総選挙の核心テーマとして浮上させようという意図がより露骨化しており、これは単なる総選挙用にとどまらず、今後より深まる可能性が高い国家危機の責任を野党と市民社会に向けようとする戦略の一環でもある。

民主改革勢力は朴槿恵政権が犯したこの間の様々な失政を批判し、反対する活動を真面目に行っているが、国民レベルの共感をあまり広げられなかった。各種の世論調査に現れた朴槿恵政権の支持率は依然40%前後と安定している。高い支持率ではないが、議会や野党の支持率より高いという理由で、政治的主導権を行使し続けうる水準である。その上、議席数で与党内の圧倒的多数を占めるだけでなく、与党の風向きを左右する嶺南(慶尚道)における支持度は全国レベルよりもはるかに高い。したがって、与党の侍女(従属)化を強要し、これを通じて議会と野党まで無力化させるメカニズムを作動させている。国家危機の深化の中でも、危機に第一の責任がある勢力の政治的支配力がむしろ高まるという逆説的な状況である。最も深刻な危機はここにある。なぜこうした状況が起きているのか、深い考察が必要である。これに対する解答を見つけ出せないまま進める実践が、良い成果を上げるのは難しい。

こうした状況が出現した主な原因中の一つは、朴槿恵政権に対する民主改革勢力の批判が現局面への科学的な分析に基づくよりは、「朴槿恵政権は根源的に“悪”だ」という前提から出発する場合が多い点である。独裁者の娘というイメージと、朴槿恵大統領自身の維新時代に対する郷愁、権力機関の選挙介入とそのおかげでの候補者の当選という正統性の問題などが、少なくない人々にこうした前提を自然な形で受け入れさせている。しかし、これは多数の国民と有権者にとって説得力のある批判ではなく、陣営の論理に縛られた「批判のための批判」と見られる場合が多い。歴史教科書の国定化の試みで現れたように、政府は根本的な原則に関わる問題ですら、政派的な見解の違いによる退屈な争いへと転落させるやり方で、自らへの批判を鈍らせてきた。こうした手法は御用メディアの支援を受けてかなりの成功をおさめた。さらに、これは危機の責任を野党と市民社会に向けさせうる原動力ともなった。

したがって、現在の国家危機の本質が何かを究明することは、朴槿恵政権を効果的に批判し、かつ危機克服の方策を作り出す出発点にしなければならない。この過程で主導的な役割を果たすべき野党はその時々の反射利益に寄りかかり、現状を維持するのに汲々としているとの批判を免れがたい。いや、大局的な現実認識と対案となるビジョンの欠如により、全般的な無気力症に陥っている政治家個人や系派(派閥)の利益以上の何かを考える余力を失っているようだ。今年1月、当時の文在寅新政治民主連合代表が年頭の記者会見で、朴槿恵政権3年は国家の「総体的危機」を招いたと一喝したが、状況の深刻さがどれほど伝わったのか疑わしい。これもまた、野党側のよくある批判と受けとめる人がより多いだろう。もし、野党側が危機の本質をもっと明確に認識し、これを克服するビジョンを持っていたなら、政界の分裂も今のようには広がらなかっただろうし、もし選挙を前にして分裂状態になったとしても、政治的中心は揺らがなかっただろう。これまでの状況を見ると、政界から今後も新しい変化の契機が生み出されるとは期待しがたい。私たちがこれに関する論議を急いで始めるべき理由がここにある。

2.守旧勢力の「巻き返し戦略」VS大転換

現在の危機局面は李明博政権の成立とともに始まった。その過程に韓国社会で民主的ガバナンス(governance)がどこまで進展しうるのか、あるいはどの程度まで容認されうるのかをめぐる対立が再び全面化した。わが国の憲法が主権在民を原則とし、国家の性格を民主共和国と規定している点で、民主的ガバナンスは原則的に論争の対象ではないと言える。1987年6月抗争を経験した後は一層そうである。だが、民主主義自体が極めて論争的な概念であり、これにガバナンスという概念が加わって事態はより複雑化した。特に、権力の構成と構成された権力による統治との間の関係に解決しがたい多くの問題が存在する。 1  民主的ガバナンスに内在した、一般的かつ概念的な問題に対する論議を再びしようというのではない。より注目すべき事実は、ある程度合意がなされたといえる、わが社会の民主的ガバナンスの内容と形式が、実は、これを否定する土台の上で作動してきたという点である。つまり、分断体制下で民主的ガバナンスを制約する制度的・イデオロギー的装置が裏門から政治体制に導入された。何度もの憲法改定にもかかわらず、思想と表現の自由を広範に制約する国家保安法が代表的な事例である。これは批判の自由を根源的に封鎖しうるものであり、法の作用が法の中断を通じて完成される「例外状態」の日常化が作動しているという最も重要な証である。 2  民主主義の守護という名の下に反民主的な統治行為が許容される逆説的な状況は、私たちにとって決して見慣れないものではない。韓国社会の守旧ヘゲモニーも、これを土台にして構築された。 3

韓国社会のこうした特徴を念頭に置けば、1987年以後韓国社会で民主主義の進展による成果と限界を一層客観的に評価しうる。1987年6月の民主化大抗争を経て民主主義は逆らえない国家運営の原則であり、目標としての位置を確保した。これは保守政権下でも否定しえなかったし、保守勢力内部での守旧ヘゲモニーも明らかに弱体化した。しかし、時間が流れるにつれて守旧勢力は民主的ガバナンスを不都合と感じ始めた。民主的ガバナンスの進展が「例外状態」の作動空間を侵食し、これが守旧勢力の基盤を脅かしたからである。彼らの不安は金大中政権期から南北和解の政策が本格的に推進されて最高潮に達した。

こうした危機意識により、保守勢力内部で守旧がヘゲモニーを再強化するための試みを始めた。その主な手段は分断体制の敵対的な相互依存メカニズムを積極的に動員するものだったし、「従北論」の広がりを突破口にした。これは自らへの批判者の発言権と政治的生存権を剥奪することを目標とする言説という点で、他の政治的な論争構図とは性格を異にした。李明博政権の成立とともに、1987年から進展した民主化の成果を無力化しようとする試みが執権層の主導によって始められた。つまり、守旧・保守連合政権の成立とともに守旧勢力が民主主義に対する一種の「ロールバック(roll back:巻き返し)戦略」を本格的に推進したのである。したがって、李明博政権を1987年以後の盧泰愚・金泳三政権と同じ性格の保守政権と分類するのは適切でない。南北関係に対する彼らの態度に根本的な違いがあるのも決して偶然ではない。南北対決/分断体制の強化こそ、自らの既得権を維持するのに最も効果的な方式という、守旧勢力の戦略が作用した結果である。

民主改革勢力は、李明博政権の成立後に登場し始めた後向きの現象を「逆走」と規定し、その延長線上でいわゆる三大危機論(民主主義・民生・南北関係の危機)を提起したこともあった。これを通じ、李明博政権以後の変化が「87年体制」の大きな流れを逆転させようとする試みの結果という事実を喚起させた。しかし、こうした説明は二つの点で限界があった。第一に、なぜこうした現象が現れたのかという構造的原因に対する説明へと発展できなかった。第二に、新政権の行動の特性の羅列であり、守旧勢力のヘゲモニー強化と民主的ガバナンス変更のための体系的な戦略とは把握しなかった。

李明博政権下で進められた守旧勢力の「巻き返し戦略」は、ロウソク・デモ抗争などの抵抗に直面し、思い通りには進展できなかった。2010年天安艦の沈没を契機にして「例外状態」を呼び出し、守旧ヘゲモニーを強化しようと試みたが、 4  その直後の地方選の敗北によって順調にはいかなかった。しかし、この時に発表された5・24措置は南北関係の進展に錠をかけ、従北論理と南北対決の意識を助長するのに強大な威力を発揮した。のみならず、御用メディアの許可や国家情報院の政治化など「巻き返し戦略」を推進できる政治・社会的装置を構築した。この時期、守旧・保守同盟内でも守旧的傾向と不調和を感じる流れがなくはなかったが、全体的には守旧ヘゲモニーが大した困難もなく復元されていった。これには他の対案に比べ、守旧ヘゲモニーが自らの既得権をより効果的に保護してくれうるという判断も作用しただろうが、守旧勢力に掌握された国家情報院、検察などの統治機構が保守勢力を極めて効果的に統制できたからでもある。そして、守旧・保守同盟が2012年総選挙と大統領選挙(以下、大選)で勝利を重ねると、「巻き返し戦略」を全面的に推進しうる政治的・社会的条件が整えられた。したがって、民主改革勢力としては勝利することができた、そして「巻き返し戦略」に決定的な打撃を与えることができた2012年の総選挙と大選での敗北は極めて手痛いのである。

こうした変化から、私たちは次の二つの事実に注目すべきである。第一に、韓国社会における民主主義の進展は「例外状態」の日常化を許容する法的・制度的・理念的な要因を解決せずして新しい局面へと進展しがたい。これは私たちの社会を規定する根源的な対立である。韓国社会がもう一歩前に進むために必要なのは、単なる行政府の交代ではない。「例外状態」の日常化を遮断しうる社会の「大転換」が伴わねばならない。 5  危機に陥った民主主義も「民主対独裁」の枠内で理解される民主主義ではない。民主改革勢力自らも民主主義の意味を「民主対独裁」の構図に矮小化する傾向がある。しかし、私たちが進展させようとする民主主義は極めて抜本的な転換の土台としての民主主義である。

第二に、こうした大転換を目標とする努力は、守旧勢力の深刻な挑戦に直面せざるを得ない。守旧勢力の極めて積極的な政治的動員は偶発的かつ情勢に応じた対応ではなく、切迫した危機意識から出発して韓国社会を自らの構想通りに再編しようとする試みである。そして、彼らのこうした試みを防ぐことは私たちの社会の最大課題中の一つである。他の社会で有効なある政治戦略も、こうした課題の遂行に助けにならなければ正しい方策とは言えない。

守旧勢力が「巻き返し戦略」を推進できる状況が展開しているのは不幸であるが、これを通じて私たちの社会を規定する根源的な対立が現れたという点で、一方で「歴史の奸智」による進展がなされると見ることもできる。しかし、「大転換」に至るまではより困難かつ大変な過程を経ねばならないのが現実であり、守旧勢力の巻き返しを許した原因に対する自己省察なしには「大転換」への道はほど遠い。さらに、私たちは「巻き返し戦略」が新たな局面、より深刻な局面へと進展する事態にまず直面している。

3.「巻き返し戦略」の新たな局面:漸進クーデターの特徴

2012年総選挙と大選で守旧・保守同盟が勝利した後、民主的ガバナンスに対する全面的な挑戦が始まった。この選挙で守旧・保守勢力が経済民主化や福祉のような時代的要求を積極的に受け入れる態度をとったことが勝利に決定的だった。しかし、朴槿恵政権は成立直後に主要な公約を廃棄し始めた。こうした手法ならば、それなりに有効な民主主義の形式として存在する選挙がいかなる意味をもちうるのか問い返さざるを得ない。大選当時の事件(ネット上での不正告発)とそれに対する処理過程で現れた問題まで考えれば、そうした疑問はより高まらざるを得ない。特にセウォル号事件の発生と、その収拾過程で見られた問題は「一体これが国なのか」という根本的な問題を提起するに至った。

これに対する国民的な抵抗がなくはないが、朴槿恵政権は政治的空間を委縮させて閉鎖する手口で対応してきた。統合進歩党の解散、集会およびデモに対する弾圧、韓尚均民主労総委員長に対する騒擾罪適応の試みなどが、その代表的な事例である。事態がここに至れば、朴槿恵政権の行動パターンを単に逆走が続いているという形で規定するのは、現状に対する正しい診断であるか疑わしくなる。この間の変化をめぐり、二つの相反する理解方式がある。一つは、現状況を民主主義の幅とレベルをめぐる葛藤局面と見なす立場である。こうした理解方式に従えば、現局面は他の国の政治で現れる保守と進歩の間への枠内で出現する変化と大した違いがない。韓国社会の退行的な現況も「いつか」選挙を通じて権力が交代すれば解決する問題である。野党側の支持層でもこのように考える人が相変わらず多数だと思われる。もう一つは、民主主義の基盤はすでに崩れた状態という主張である。こうした論理は、民主主義を救うために市民は総決起のようなより直接的な抵抗と行動に出るべきだという主張へとつながりうる。

だが、こうした二つの説明はともに状況の一側面のみ見るものである。第一の説明は、李明博政権成立後の守旧勢力の動きを民主的ガバナンスを前提にして進行する政治的競争という枠組で解釈するが、彼らが民主主義のガバナンス自体を否定しようとする、一貫した目標を追求しているという点を見過ごす。特に、「巻き返し戦略」が全面的かつ多面的に推進される状況に対する適切な診断にはなりがたい。第二の説明は、この間の市民社会の進展、そして民主主義的な効果などを見過ごす。守旧勢力のヘゲモニー強化と民主主義的メカニズムの無力化などを目標とする行為は大問題だが、これはこの間に達成された民主化の成果を一晩で否定することはできない。民主的ガバナンスを根本的に崩そうとする試みに抵抗する力は侮れないものがあり、このために活用できる制度的手段も依然少なくはない。

現在の状況は上記の二つの説明では捕えがたい特徴を有しており、こうした特徴を筆者は最近「新種クーデター」という概念で説明した。 6  だが、「新種」という修飾語ではその新しい種類の内容を示すには限界があり、今後は「漸進クーデター」(creeping coup d`état)という表現に統一して使用したいと思う。この表現はすぐに軍事クーデターを連想させ、それにより総決起のような積極的かつ直接的な抵抗が必要だという主張に聞こえる面もある。だが、漸進クーデターは軍事政変とは全く異なる事態の進展であり、その違いに注意して対応方案を考えねばならない。 7  漸進クーデターは背景、目標、方法と手段、内容と効果などにおいて、次のような特徴をもつ。

まず、ある社会で支配連合は内容的に民主的ガバナンスとの全面的な不調和を感じてはいるが、民主的ガバナンスの作動を電撃的には中断させえない場合、漸進クーデターのようなガバナンス変更の試みが出現する。深化する共同体の危機意識を民主主義に対する攻撃へと転化させうるなら、こうした試みが成功する可能性が高い。これに関連して、過去の進歩勢力内で進行された民主化と「民主政権10年」に対する批判的な論議を再評価する必要がある。私たちの社会の民主化の過程に限界がなかったわけではないが、それに対する批判が民主化の過程全体を否定するものであってはならない。そうした批判は主観的な意図とは関わりなく、民主主義一般に対する否定的な態度を助長し、民主的ガバナンスに対する守旧勢力の挑戦をより容易にしてしまうからである。

ここで、朴槿恵大統領の統治方式の問題と守旧勢力の企画を区別して考えなければならない。前者の問題が前面に浮上しやすいが、漸進クーデターは守旧勢力全体の企画として朴槿恵個人の権力延長ではなく、守旧勢力の永久的なヘゲモニー確保を追求する。つまり、漸進クーデターは1987年6月民主化運動を経て作り出された国家運営の基本原則に対する否定であり、分断体制下で形成された既得権を永続的に維持しようとする試みである。もちろん、87年体制も克服されねばならない。だが、これは87年体制が全的に否定的なフレイムだからではなく、前述したように、87年体制内部にこの体制が志向する価値の完全な実現を妨げる要素が内在するからである。87年体制は社会の根本的な転換を夢見る国民の熱望の相当部分を反映したが、既得権勢力との妥協を通じて作り出されたため、守旧的要素を完全に清算できなかった。その上、1997年金融危機を経て既存の発展国家モデルが解体された反面、新たな発展体制を作りだせないまま独占的な大企業の力が急激に増大した。経済的には自由化が民主化を圧倒し、保守的なヘゲモニーがより強化される結果を招いた。こうした側面から、87年体制は克服されるべきだという要求が増加した。 8  しかし、87年体制の基本精神である主権在民、経済民主化、平和的南北統一は、今後もわが社会が志向すべき主要原則である。87年体制の克服はこうした原則を完全に実現することを課題とすべきであり、これは分断体制の克服過程と関連する時に可能であることを、私たちはこれまでの経験を通じてより明確に意識すべきである。これとは反対に、漸進クーデターはこうした原則を無力化させるための試みである。

漸進クーデターは民主的ガバナンスの土台を弱体化させ続け、選挙手続きを通じてこれを正当化する方式で推進されている。選挙とクーデターは互いに矛盾する概念のように見えるが、ヒットラーや日本のファシズムの台頭もこうした過程を通じて進められた。漸進クーデターの帰結が必ずやドイツや日本のファシズム体制のようになるだろうという話ではない。 9  ただ、ガバナンスの性格の根本的な変化は、必ずしも電撃的かつ急進的な破壊を通じて実現されるのではないことは明らかである。

漸進クーデターを通じた民主的ガバナンスの急進的な否定は可能ではない。このためにはまた別の質的飛躍が必要である反面、こうした変化に対する国民の警戒心を弱めて受け入れやすくする場合、その漸進性はより効果的である。つまり、憲政の急進的な廃棄ではなく、自らの統治を脅かしうる政治・社会的勢力と制度を無力化して永久政権の土台を構築するのが一次的な目標である。民主的ガバナンスの法的形式を全面的に廃棄しなくても、その運営により自らのヘゲモニーを強化する方式によって目標を達成できるのだ。

こうしたガバナンスの質的転換が推進されているならば、その性格をどのように規定すべきかについて、もっと多くの論議が必要である。 10  ただし、いかなる場合にも現状況を日常的な変化、よく言われる「日常業務(business as usual)」と見てはならない。例えば、セヌリ党が総選挙で180議席以上、さらに200議席以上を確保すれば、どのような変化が発生するかを考えてみる必要がある。180議席までは行かなくても、与党側が安定的過半数を確保する場合にも状況は油断ならないだろう。つまり、今年は逆走が本格的に臨界点を超える転換点になりうる。

したがって、次の総選挙はもちろん、その後の変化についても事態の深刻さと課題の重大さを考慮した対応策づくりが急がれる。再度強調すれば、単なる独裁反対のフレイムを逸脱できない「民主主義の守護」のような防御的かつ守勢的なビジョンでは、漸進クーデターを阻止する動力を作り出すのは難しい。その上、セヌリ党の圧勝を防ぐことで漸進クーデターの阻止に一助となるという謙虚な姿勢ではなく、自分の党の勝利はそれ自体が韓国社会の大転換を意味するという調子でいるなら、有権者の顰蹙を買いかねない。

前でも強調したように、民主的ガバナンスの進展は韓国社会のより根本的な転換を実現する時にこそ可能である。大転換の糸口を、次の新たな3つの領域でつくらねばならない。最も重要な第一は、民主主義の進展と分断体制の克服過程の間に好循環を作り出すことである。こうした過程に進入する時、他の領域における質的転換が可能になる。第二に、経済民主化を中心にして経済社会の構造転換を積極的に推進すべきである。最後に、生活領域において民主主義を進展させることである。民主主義は制度的レベルだけでなく、職場を含めた暮らしの領域において作動すべきである。もちろん、こうした変化は制度的レベルでの民主主義の進展とかけ離れたものではないが、これに対する特別な関心と努力なしに達成できるものでもない。今や単なる「独裁反対、民主主義の守護」ではなく、わが社会の「大転換」のための大ビジョンを提起し、これを担いうる政治主体を形成していかなければならない。

4.市民社会の対応:連合政治と「市民政治」の再活性化

現局面で民主改革勢力の対応を難しくする最も大きな要因は、野党側の危機と分裂である。漸進クーデターのようなガバナンス転換の試みは、選挙を通じて事後的に自らの行為の正当性が承認される方式で進められるため、総選挙は単に政府の「独走を牽制」するのにとどまらず、漸進クーデターの動力を急速に弱めうる絶好の機会である。反対に、最近数回の補欠選挙で与党が勝利して以前の深刻な失政とスキャンダルを覆い隠しえた事実を見ても、野党側の分裂は逆走が臨界点をたやすく超えうる可能性を広げている。

したがって、野党側の危機に対する正確な診断が必要である。野党側の危機の根源は、2004年の総選挙で多数党になったヨルリン・ウリ(開かれた私たち)党体制の退化にある。現在の野党側の土台と性格は、基本的に2000年と2004年の総選挙を経て形成された。特に、2002年盧武鉉大統領の当選と2004年の総選挙を経て、支持基盤としては湖南(全羅道)と首都圏および他地域の改革的性向の有権者が結集し、政党運営において上向式の意思決定方式と参加が強調された。これは野党側の改革的性向を強化させ、野党側の支持勢力を政治的に活性化させたという点で、韓国政治に肯定的に寄与した。同時に、この体制がその後の主要な選挙で大方の期待に達しない成績を残したという事実も見過ごすことができない。

2006年地方選挙で敗北した後、ヨルリン・ウリ党の基盤は弱体化し不安定さも高まった。それでも李明博政権の成立後に展開された逆走に対する国民の憂慮が高まり、2010年地方選挙を契機にして野党の支持基盤は相当な部分が復元され、2012年総選挙を前にして過半数の議席確保を自負しうるほどに勢いを拡大させた。これは野党内部の力によるものではなく、市民政治と連合政治の活性化が大きいと思われる。結局、2012年総選挙と大選で光と影がともに現れた。一応、民主改革勢力が政略的な地域連合や保守の分裂に期待しないで、守旧・保守連合と事実上の優劣を分けがたい一対一の対決構図を作り出した点は成果である。だが、勝利が予想された選挙に負けて朴槿恵政権の誕生、そして現在のような漸進クーデター局面への進展を招いたという点で限界も明らかである。2012年の選挙敗北を経て、その原因が何であり、これを克服する方案は何なのかについて真面目な論議が進められなかった。これに対する評価は、依然重要な意味をもつ。

なぜこうした後退現象が出現したのか。まず韓国民主主義の土台が守旧勢力の反撃にいかに脆弱かに対する認識が不在であり、そこでこうした挑戦に対決するための政治主体の強化を主要な課題としなかったことが大きい。例えば、盧武鉉政権の大連立構想はいかにナイーブなものだったか。ナイーブなだけでなく、韓国社会に対する根本的に誤った認識がこうした発想を生み出した。守旧ヘゲモニーの強化と、それが招く民主的ガバナンスに対する脅威を見過ごしたまま民主主義の進展を楽観視した。それにより、守旧勢力および守旧ヘゲモニーから脱皮できない保守に手を差しのべ、守旧ヘゲモニーを克服するために協力すべき勢力とは葛藤を招いた。その結果は、支持基盤の急速な崩壊だった。李明博政権の成立後、韓国の民主主義はいかに脆弱な基盤にあるのか、そして守旧の影響力がどれほど強大かに対する認識が深まりはしたが、野党側の内部で韓国社会が直面する危機の性格と克服方案に対する共感がどれほど広く形成されたかについては依然として疑問が多い。

その上、野党側の党内では変化の要求と新たな社会的エネルギーの受け入れを妨げる既得権構造が強化された。そして、2011年から安哲秀現象として表出した有権者の要求とエネルギーをまともに消化できなかった。強調したい点は、野党側内の既得権といえば湖南という地域基盤に安住した政治家を思い浮かべやすいが、首都圏の現役議員や地域委員長の既得権も見過ごしてはならない事実である。彼らの構成と性格も2004年以後大きな変化がない。党員増大など党の組織的な基盤が広がらない状況では、上向式の政党運営さえ既得権の保護装置に転落しうる。新しい勢力が入って公正に競争できる環境が作られなかったのは、湖南でも首都圏でも同様である。小さな既得権に恋々としてより多くの人々と大きな連帯を作れなかったこれまでの過程こそ、果たして野党側は韓国社会が直面する危機を厳しく受けとめているのかという疑念を起こさせる主要な点である。

こうした状況で受権政党あるいは受権勢力としての信頼を得るのは難しい。受権勢力として信頼を回復するための具体的な対案を提示できなければ、統合論議の意味も半減せざるを得ない。もちろん、この問題を何も破壊的な方式で解決させる理由はなかった。最もたくさん持っている者が他人に背中を押されてではなく、自ら決断して最も多く差し出して内部の足りない点を補完していたなら、 11  これによって受権能力と大転換を担いうる能力を育てていったなら、現在の分裂事態には至らなかっただろうし、また一部の離脱が大きな衝撃にはならなかっただろう。問題は、この間の革新作業が内部的には受権政党としての再誕生、外部的には反動的な流れの阻止と韓国社会の大転換を明確な目標としなかった点にある。その渦中で進められた様々な革新作業が派閥争いの火種となり、むしろ分裂を促す結果を招いた。2014年3月、新政治民主連合の結党とともに試みられた革新作業は、地方選挙が続けて行われた関係で選挙対応の後に回され、7月補欠選挙の敗北によって党代表が辞退し、その方案が実行されうる機会を逸した。その後、文在寅代表体制で比較的十分な時間と意志を持って革新作業が進められたが、当初から公選規則にあまりに集中して覇権主義の疑念を払拭できなかったために系派間の葛藤が激化した。特に革新方案の最終発表の段階で、主要な指導部の出馬問題に対して革新委員会の立場を発表したのは、革新委員会が公選作業を特定系派に有利に進めようとするとの批判を自ら招いた面がある。結局、革新委員会の活動は党内分裂を煽る結果に至った。分党事態後の人材受け入れと、その後の非常対策委体制を通じて刷新を推進しているが、こうした作業が一時的な支持率上昇をもたらすとしても、わが社会の危機克服の方向をきちんと提示するとは考えがたい。

このような状況で市民社会が担うべき仕事は増えざるを得ない。自らの力を考えずに、あまりの大仕事を夢見るのも問題であるが、逆に自らの力をあまりに軽視する必要もない。また、私たちは国民と有権者がいつも予想できない方式で自らの要求を噴出してきた歴史的経験を持っている。漸進クーデターの試みに対する認識が高まるにつれ、有権者は自らの要求を表現する企画を積極的に模索するだろう。市民社会は「大転換」のビジョンを作り出し、潜在的エネルギーが表出されるようにする作業を進めなければならない。

短期的には、選挙に先立って野党側の競争を生産的な方向へ導いていく努力をすべきである。これは2010年当時の連合政治論とは異なる構想である。全国的に与野の「一対一」対決構図が当時よりさらに難しくなった現実を直視しながら、分裂した野党側が出血競争ではなく競争と連帯を調和させ、総選挙における圧倒的勝利という執権勢力の目標を挫折させ、漸進クーデターに亀裂を生むという発想である。これによって国民に希望を与え、2017年まで続く政局で主導権を回復する可能性を残そうというのである。このために市民社会は各野党に対し、2004年以後に累積した内部の問題をいかに克服して漸進クーデターを阻止するのか、説得力ある答えを要求すべきである。そして、誠意をもってそうした作業を進める政党が、結局は有権者の支持を得られるようにしなければならない。例えば、湖南地域はそうした競争に適した舞台になりうる。もちろん、これだけで野党側が総選挙に勝利するのは難しい。現行の選挙制度で全国的に「一与野他」構図が形成されれば、野党側は惨敗を免れがたい。

したがって、首都圏と忠清道、嶺南などの地域では、公開であれ暗黙であれ、全国的な範囲であれ地域的な範囲であれ、いかなる方式でも選挙連合が推進されなければならない。少なくとも、標的公選とか相手側の出血を狙った「無条件で出馬」のような争いは避けねばならない。このためにはまず、首都圏でより強い勢力を有する「共に民主党」の責任ある身の処し方が必要である。そして、他の野党の場合は首都圏と嶺南で知恵のある選択と集中戦略を駆使すべきだ。比例代表の得票率を高めるためには、可能な限り多くの地域区に候補を立てるのは不可避だという主張もあるが、過去の進歩政党を見れば、比例代表の得票率を高めた地域区の候補者の数と直結はしなかった。選択と集中を通じ、総選挙の勝利のための犠牲的かつ賢明な姿勢を示す場合、むしろ野党支持者に政党名簿制の投票では自分の政党を選んでほしいと、より積極的に訴えることもできる。そして首都圏、忠清道、嶺南で象徴性が高くて全国的な影響が大きい選挙区の場合、共同選挙運動まで含める連帯を実現すべきである。こうした連合のために、市民社会もなすべきことをやらねばならない。政界のみに任せていてはこうした結果を得難い現実において、市民社会の力量が選別的とはいえ、どのように、どれだけ効果的に介入するかによって総選挙の結果をめぐって国民が希望を堅持できるか否か左右されるだろう。その方法も「ダメもと(ダメでもともと)」式の選挙連合を叫んだり、候補に対する道徳性または政策評価などで自己満足する市民団体版の「日常業務」的な思考を越え、今日の状況に照らして新たに創案されるべきである。全国的な次元では連合の意味、必要性、そして具体的な実現方式に対する論議を組織すること、地域別では地域の事情に応じた連帯を実現するための作業に取り組むことから始めうる。

中期的に、市民社会は2017年の大選が大転換のための重要な契機になりうる条件をつくり始める必要がある。特に、今回の選挙を市民政治の力量を復元して強化する場にしなければならない。2012年総選挙まで活性化されていた市民政治が2012年の大選後は急速に委縮したことを忘れてはならない。

わが国の政党の落後性は歴史的かつ構造的な要因が作用した結果なのであり、政党政治が発展すべきだという当為論だけでは短期間に克服しがたい。このような条件で市民政治が新しいアイデアを政治社会に供給し、有権者と政党間の距離を狭めるのに大きな役割を果たしてきた。こうした市民政治は政党政治を対立するものではなく、政党政治の発展のためにも必要である。 12  だが、2012年の選挙敗北に対する失望感、政治は政党に任せるべきだという当為論が相乗作用しながら、政治社会に対する市民社会の関心が減少していった。市民社会は組織的な力量が地域的とはいえ、個別領域で着実に増大してきたが、わが社会の大転換のためのビジョンを生産する上では大きな成果を上げられずに、むしろ後退した面もある。実際、本稿で提示する漸進クーデター論や大転換論を含め、わが社会のビジョンに対する様々な発信があったが、市民社会内部にはこれに対して無関心な場合も多く、自分のことでも一生懸命やろうという態度が蔓延しているようだ。その結果、草の根組織の活性化が市民の政治的参加と影響力の増大に大きな助けになりえずにいる。こうした中で、漸進クーデターが順調に進展すれば、市民社会が最初に打撃を受けるだろう。

したがって、漸進クーデターを阻止してわが社会の大転換を実現する作業は市民社会が直面する最も大きな課題であり、このために市民社会を活性化すべきである。迫りくる総選挙はこの重要な契機である。その上、漸進クーデターを阻止して新たな政治的地平を開くことは1987年までの民主化運動以上の意味があるという使命意識も必要である。分断体制に内在した矛盾が前面に現れ出たことで、これの克服は大転換に値する変化を触発しうるからである。このためには、市民社会の活動家がまず大転換に対する認識を深化させ、大転換のために市民社会内部でどういう共同の努力が必要であるかに対し、持続的に模索すべきである。

長期的に、市民政治は草の根次元における力量の強化に基づいて発展すべきである。実際、最近の市民社会の発展が主にこの領域で達成されてきたが、これは今までの市民政治よりより直接的かつ効果的に政治に影響力を発揮しうる通路である。野党側は、何人かの市民社会出身者を迎え入れる方式で市民社会との関係を管理しようとする傾向があるが、政治と市民社会の真の協力のためには、草の根市民政治の活性化が鍵である。こうした土台が構築されてこそ、過去の民主政権10年が反動の時代へと続いた前轍を再び踏まないようになり、韓国さらには韓半島のアップ・グレイドを実現しうるだろう。

Notes:

  1. ジョルジョ・アガンベン「民主主義という概念に関する手引書」、ジョルジョ・アガンベン他『民主主義は死んだのか:新たな論争のために』金サンウン他訳、ナンジャン、2010年。
  2. ジョルジョ・アガンベン『例外状態』金ハン訳、新しい波、2009年、24~27頁、を参照。洪ミンは「分断―安保フレイム」によって例外状態が創出され、日常化されるメカニズムを分析したことがある。洪ミン「分断と例外状態の国家」、東国大学分断/脱分断研究センター編『分断の行為者:ネットワークと随行性』、ハンウル、2015年。
  3. わが社会で「守旧」とは、保守よりもさらに退行的かつ極端な理念的傾向を指す。特に、保守は近代民主主義の枠内で活動するが、守旧はこれを否定する傾向を意味する場合が多い。金ホギ「2000年以後の保守勢力:守旧的保守とニューライトの間で」、『記憶と展望』通巻12号(2005年)69頁。こうした区分は依然意味を有するが、より重要だと指摘せねばならない問題は、なぜ他の民主主義国家では周辺的な傾向にとどまっている極右などの守旧的勢力が圧倒的な影響力を行使しているのかである。これは分断体制の作用と切り離しては説明しがたい。
  4. 拙稿「李明博政権の統治危機:民主的ガバナンスとの不調和」、『創作と批評』2010年秋号、を参照。
  5. 白楽晴は、時代交代の熱望を集めてこそ、政権交代という第一次的な目標を達成することが可能だという考えから、2012年選挙を前にして単なる政権交代ではなく、「2013年体制の建設」という目標を提示したことがある。選挙敗北によってその企画は水泡に帰したが、こうした認識は新たに2017年大選が近づいている現時点で依然有効であり、最近は「大転換」という概念へとその問題意識を進展させている。これについては、白楽晴「大きな積功、大きな転換のために:2013年体制論以後」、『創作と批評』2014年冬号、および『白楽晴が大転換の道を問う』、チャンビ、2015年、を参照。
  6. 拙稿「歴史クーデターではなく、新種クーデター局面である」2015年冬号、および『チャンビ週刊論評』2015年11月25日。
  7. こうした点に対する強調は、白楽晴「新年コラム――新種クーデターが進行中というなら」、『チャンビ週刊論評』2015年12月30日。
  8. これについては、金鍾曄「分断体制と87年体制」、『創作と批評』2005年冬号、を参照。
  9. もちろん、朴槿恵政権の性格を「類似ファシズㇺ」と規定する主張も少な くない。ただ、漸進クーデターが成功裏に進むにせよ、過去の軍事独裁やファシズムとは異なる手法で守旧勢力の永久執権を実現させようとするだろう。
  10. 廉武雄はこうした時代認識を共有しながらも、クーデターが現局面を説明する適切な用語か否かについて疑問を提起している。廉武雄特別寄稿「“新種のクーデター論”について」、『ハンギョレ』2016年1月15日。
  11. 前掲、拙稿「歴史クーデターではなく、新種クーデター局面である」。
  12. これに関しては拙稿「市民政治の浮上と政党政治:危機か機会か」、『歴史批評』2012年春号、を参照。

文学の開かれた道–歪んだ世界と主体、そして文学

2016年 春号(通卷171号)

〔特集〕大転換、どこから始めるべきか

韓基煜(ハン・キウク)
文学評論家、仁済大学英文科教授。『創作と批評』の編集主幹。著書に評論集『文学の新しさはどこから来るのか』などがある。

1. 文学の道は開かれている

人生がそうであるように、文学も自明なものではない。重要な歴史的な局面を迎える度に「文学とは何か」と問いかけ、その問いに懸命に答えようとするのもそのためであろう。また、人生の正念場を迎える度に「人生らしい人生とは?」と自問するように、文学においても「文学らしい文学とは?」と問いかけるようになる。

過去50年間、季刊『創作と批判』は、あらゆる文学の危機に直面しながら、文学の場の内部で起きた二つの偏向と戦ってきた。一つは「純文学」又は「(純)文学主義」と呼ばれるもので、つまり時代の現実やイデオロギーに超然としたまま、純粋な美的価値を志向する文学的流れのことである。これは、文学の純粋性を前面に押し出すことで、民族もしくは民衆の立場から独裁と殖民主義を批判する文学を不純なイデオロギーと非難する。純文学は「純粋VS参与」論争を通して、自由主義というよりも、むしろ反共独裁順応主義といえる「純粋」自体のイデオロギーが暴露されたりもした。また、1980年代の民衆文学の拡散により評壇では自由主義の勢力が全般的に弱化された。しかし、ソ連・東欧圏が崩壊し、ポストモダン言説が流入した1990年代以降、現実順応的な自由主義が再び様々な形で影響力を拡大し始めたのである。

西欧の文学史における19世紀後半の芸術至上主義、20世紀初頭の英米学会の新批評、20世紀半ばから後半にかけての(後期)構造主義などもこのような流れを汲むものである。こういった文学傾向の問題点は、文学のテキストを自足的で自律的な一つの形式もしくは構造として見なすことによって生じてしまう。いわゆる「文学の自律性」を絶対化させ、文学固有のテキスト-空間を設定し、その形式と構造に没頭するのである。ここでの形式は完全なものでない。ブラジルの批評家であるロベルト・シュワルツ(Roberto Schwarz)は、新批評と構造主義が文学的な形式と社会的な形式の間の弁証法的な関連性を無視した結果、通念とは逆に形式の役割を過小評価したと見なしている。その一方で、資本に対する研究において形式と物質の弁証法を最後まで押し通したマルクスこそ構造主義的であり、形式主義的な思想家であると評価している。 1      つまり、純粋主義の文学路線は同時代の人々の生き方とはかけ離れた「閉ざされた道」であり、よりよい人生を想像し、思索に必須的な文学を形式美学の問題へと還元してしまう。

もう一つの偏向は、文学が何かの大儀のために存在し、その大儀を実現させるために、ある特定の方法によって実行すべきという目的論的、及び道具論的な傾向である。このような文学も進むべき道が既に決められているという意味で「開かれた道」とは言えない。このような傾向は、多くが革命期の文学で現われるが、社会主義リアリズムなどがその代表的な例である。我が国では日帝強占期(日本植民地時代)のカップ(KAPF:Korea Artista Proleta Federatio)や1970~80年代の反独裁民主化時代の急進的な文学論においてこのような傾向が現われた。この傾向の基本的な問題は、文学が社会科学的・哲学的な革命論に従属しており、本来の想像力と創造性が失われ、無視されているところだ。俗流マルクス主義や「主体文芸」などを含め、現実社会主義の公式的な文学観で現われるように、こういった傾向の文学は、既に科学的に把握されている人間と時代現実の真実を文学的な想像力で形象化させるような立ち遅れた、且つ補助的な性格を帯びている。1970、80年代の民衆文学や労働文学の中で、幾つかの作品は文学史上、記念碑的な作品として評価されているが、多くの作品が硬直的で図式的な叙事から抜け出せなかったのは、そのためであろう。以降、民衆文学はこのような限界を乗り越えるために努力し、その成果も少なからずあったが、目的論的な文学観の枠から完全には抜け出せないでいる。

文学は社会科学や哲学的な理論によって既に認識されていることを文学ならではの方法で再び提示したり、接近したりすることではない。シェークスピアの戯曲が青年だったマルクスに知的インスピレーションを与えた理由は、シェークスピアが資本主義の政治経済学を学び、それを見事に作品化したからではない。自らの生きた時代の人々の生き方を通して、資本主義の核心と原理、そして反人間的な性格を直観し、それを生々しい言葉で表現したからである。文学は作家が意識しようがしまいが、与えられた人生と現実に全身全霊で体当たりし、思索と感覚において未踏の世界を開くことであり、批評はその創造的な行為が切り開いた新たな認識と感性の意味を解き明かし、その創造的な核心を守ることである。それゆえに批評は、これを誤った方向へと導いたり乱したりするような邪見とは妥協せず戦わなければならないのだ。

文学の道は、純粋主義と目的論的な偏向をなくし、自らを含めた具体的な個人と共同体の人生へと開かれた道である。文学の開かれた道は存在の開放性を前提とし、文学がある特定の空間と特定の規則に縛られないことが含蓄されている。だからと言って、普遍的な真理の空間に存在するという意味ではない。むしろ文学は「普遍的な真理」と言われている形而上学を解体しながら、一個人がその時々の具体的な場所と時間に生きていることを表現することで具現されるからである。文学を論じる場で時代と主体の問題について論じ合うのもそのためである。批評は世界と時代と主体の問題について(社会科学と哲学と理論を包含する)人文学的な論議と向かい合い、対話し、論争する必要がある。この問題に関する限り、文学批評は学問としての人文学と相接する領域であり、お互いの思惟と想像力に寄り添い合うしかない。

2. 歪んだ世の中、甲乙関係、そして変革の主体

シェークスピアの悲劇『ハムレット』(Hamlet, 1601)は、近代的な個人の典型を示すと同時に時代の問題を提起している。王子であるハムレットは、自分の生きている「今の世の中は歪んでいる(世の中の関節は外れている)」(The time is out of joint, 第1幕第5場)ことを認知し、このような世の中を正すべき人物が自分であることに嘆く。ハムレットの時代に収集がつかないほど歪んでしまったのは、王権と父権を骨格とした封建秩序であった。400年余りが過ぎた現在も、何人かの世界的な学者は「歪んだ(out of joint)」という表現で資本主義の現在を診断する。

ウォルフガング・ ストリーク(Wolfgang Streeck)は、資本主義の終焉を予測する著書の最後の節「歪んだ世の中」(The World Out of Joint)で、現在の資本主義の悪性病弊を5つ挙げ、治療薬はないと断言している。 2  イマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)は、近代以降進行している歴史的な傾向が線形的な進歩か、両極化かを分野別に検討する書籍 ―この書籍の表題も「世の中は歪んでいる」(The World Is Out of Joint)である― で、現在の危機は新自由主義的な方法も社会民主主義的な福祉国家モデルも解決策にはなり得ないと判断している。 3  現在の世界体制は平衡状態には戻れないほど歪んでおり、下層階級は勿論、資本家にとっても得にはならない支点に到ったということだ。その他にも、先端技術が管理労働の代わりを果すため中間階級の居場所がなくなり、資本主義が崩壊するか、或いは、たとえ革新を通して資本主義を維持したとしても核や気候変化による生態的な危機が体制を崩壊させるかもしれないという意見もある。 4

勿論、資本主義の未来を楽観的に見通している見解も多い。しかし、楽観論が優勢である経済学会内でも資本主義が深刻な状態にあることを立証する研究が出ている。過去2世紀の間、全世界的に所得と富の不平等の推移を追跡したトマ・ピケティ(Thomas Piketty)は、両極化が深化する一方だという ―ウォーラーステインも指摘したように― 仮説が事実であることを確認させた。特に2008年の世界金融危機から2011年のウォール街占拠デモまで、大衆が肌で感じること、つまり資本主義がまともに機能していないという直観が事実であることを立証したのである。 5  ウォール街占拠デモでの「1% VS 99%」というスローガンは、もはや厳たる事実となった。 6  即ち、現在は資本主義が崩壊しつつあるにもかかわらず、後続の体制は全く出現していないという危機の時代であり、それゆえに大転換の切実な時代なのだ。

視線を韓国内に移してみても、2014年のセウォル号事件によって表面化した体制上の深刻な病弊は治癒されるどころか、むしろ悪化してしまったことが分かる。その上、中長期的な問題は放置されたままなので、いずれ崩壊してしまうのではないかと懸念の声が高まっている。例えば、最近ソウル大学の社会発展研究所の所長張德鎭(ジャン・ドクジン)は少子化・高齢化、正規職・非正規職の二重化、民主主義、統一、環境などの問題が非常に深刻であることを力説し、「宿題の時間は7~8年しか残っていません。それ以降は人々がパニック状態に陥るでしょう。パニック状態に陥ったら、如何なる政策も役には立ちません」 7  と警告している。このような危機を覆すような彼の解決法は政治を正すことであり、特に北欧のような「合議制民主主義」の強化である。取り上げている問題全てが緊迫した問題であり、その解決法が政治にあるという指摘には十分共感できる。しかし、韓国の「政治」を合理的で正常的な過程として想定しているという点で彼の診断と処方は現実的な解決方法ではないと思われる。朴槿恵(パク・クンヘ)政権はこれまで最低限の民主主義的な基盤さえも無視し、嘘と便法、そして不法を繰り返している。このような逆行中の政治的な流れを方向転換し、合議制民主主義を強化する方法があまりにも漠然としているだけでなく、朴大統領が崩そうとするものが「合議制民主主義」だという前提自体が87年以降の成果を過大評価し、分断体制を抜け出せない87年体制の限界を見過ごしてしまっていると思われるからだ。 8

いつからか、社会のあらゆる分野で甲乙関係(主従関係)現象が現れ始めた。資本家と労働者の関係だけでなく、大企業と中小(下請け)企業も甲乙関係にある。権力者の前で立場の弱い人々は乙となるしかないが、大統領と閣僚さえも国民に対して「甲の横暴(パワハラ)」を行い、官僚社会でも同様のことが起こっている。最近の韓国社会で目に付く特徴は甲乙関係が社会の全ての領域で拡大し、多くの人々が乙となっているということだ。そして、その乙の中でもさらに甲乙関係が生まれている。現在、韓国社会は「甲乙社会」と言われても仕方ない状態であり 、 9  それゆえに『持分のない人々としての乙』に注目し、乙を政治的な主体とする「乙の民主主義」という発想も生まれるのだろう。

「乙の民主主義」という表現は一つの概念というよりは一つの話題に近い。乙とは誰なのか、彼らが政治的主体、そして民主主義の主体となり得るのか、果たして彼らが従来の「歴史的な大韓民国」の共同体とは違う新たな共同体を構成できるのか、でなければ乙は時が経てば消えてしまう一時の流行語に過ぎなく、インタレグナム(interregnum)の時期を乗り越える新たな政治の主体は他に探すべきなのか、それは誰にも分からない。しかし、重要なのは、国民自らが自分を乙と感じており、社会が乙という平凡な言葉を深刻で重い言葉として、そして社会の深層的な現実を指す言葉として使用しているという点である。 10

意義のある提言だと思う。ただ、乙の民主主の基盤となる「乙の連帯」がどうすれば可能かについては多くの討論が必要であろう。個人的な意見としては、まず乙を構成する「持分のない人々」に、その言葉の意味に合った少数者、つまり障害者、移住者、性少数者、脱北者、難民などが含まれるべきだと思う。彼らの「持分のない」もしくは「乙」の状態は従来の「民衆」概念においても、脱殖民主義の「下位主体」(subaltern)論議においても殆んど注目されることはなかった。カテゴリー化されていない周辺的な存在に目を向けてこそ、「乙」が(「甲」とも呼ばれる)「乙」を生み出す悪循環を食い止めることができるだろう。さらに、韓国社会の中で依然として弱者の立場にある女性も含まれるべきであろう。

集団的・地域的な主体としての甲乙関係も重要な問題である。例えば、現在の首都圏と地方は少なくとも社会文化的なレベルでは甲乙関係と言えるが、実際、これは首都圏の特権層と(土豪を除く)地方住民との関係であろう。集団的・地域的な甲乙関係が長期化すると、植民化を伴うことになる。現在の韓国の地方が首都圏の植民地のように感じられるのは恐らくそのためであろう。そして、このようなレベルでの甲乙関係は韓国社会の内部にだけ存在するわけではない。例えば、国際社会での韓国と米国の関係こそ、典型的な甲乙関係ではないだろうか。李明博(イ・ミョンバク)政権以降、韓国政府は韓米間の甲乙関係を緩和しようとした前政府の努力までも不安に思い、返還予定であった戦時作戦指揮権を自ら返上してしまった。

興味深いのは、南北関係である。現在の南北関係は特に甲乙関係とは言えないかもしれないが、南北の力の非対称は明確であり、国際社会での待遇の違いにより韓国は ―特に南北間の敵対関係も辞さない政権が韓国側に誕生した時― 北朝鮮に甲のように振舞おうとする。北朝鮮は(米国を後ろ盾にした)韓国のこのような態度を「甲の横暴」と受け止め、核武器やミサイル・人工衛星の開発などで対応する。これに対抗して、韓国は開城(ケソン)公団の全面中断(事実上の閉鎖)という自虐的でありながら典型的な「甲の横暴」に値する強攻策を取った。世界体制の覇権国の立場からすれば、南北の分裂と敵対は韓半島(朝鮮半島)を統制するには非常に都合がいい。韓国からイデオロギー的な朝貢を受け取るだけでなく、サード(THAAD)のような対中国用に転換可能な武器を韓国内に配置できるのである。南北の既得権層にも南北間の敵対は都合がいい。自分達の居場所を脅かす改革勢力に「従北」「反動」というレッテルを貼り、締め出すことで特権を維持、管理できるからである。朴大統領が開城公団の閉鎖措置に踏み切った理由を正確に把握することはできないが、自分自身の権力基盤を守るために決して損はしない政略的な判断が作用したことは間違いないだろう。

分断体制を甲乙関係で説明するならば、南北とも世界的な覇権国家との関係では乙の立場に置かれている。しかし、両国の関係では南北の少数の特権層が甲であり、南北の大多数の住民が乙と言えよう。韓国社会において乙の民主主義を通して「従来の「歴史的大韓民国」の共同体とは違った新たな共同体を構成」するためには、分断体制という甲乙関係の撤廃、もしくは解消の過程が伴わなければならない。分断体制の甲乙関係こそ、韓国社会のあらゆる甲乙関係を統制し、調節する重要な機制だからだ。逆に言えば、甲乙関係としての分断体制の克服を念頭に置かず、韓国社会の内部の複雑な甲乙関係にだけ焦点を絞ってしまうと、甲乙関係の相対主義から抜け出すことはできないだろう。

乙の民主主義が正常の状態で進行するのではなく「インタレグナムの時期を乗り越える新たな政治」という設定にも注目すべきである。「インタレグナム」(interregnum、王座空位期間)の概念は元々グラムシ(A. Gramci)の「危機」発言から由来したものであるが、ジグムント・バウマン(Zigmund Bauman)と陳泰元(チン・テウォン)はそれぞれ違った意味付けをしている。バウマンがこの概念を通じて注目したのは、国民国家の時代から世界化の時代への転換期において生じた権力と政治のズレである。つまり、政治は依然として国民国家単位で作動しているが、権力(特に世界市場及び資本の権力)は国民国家と国民的主権の力よりも大きいがゆえに引き起こされる危機局面を意味する。一方、陳泰元はセウォル号事件によって表面化した「黒い空白としての国家」というところに注目し、そのような空白を通して表現された「主体性を喪失した国家」を「如何に主体化するかという問題」を考える。

バウマンと陳泰元の意味付けは示唆に富むものだが、この概念が由来したグラムシの発言、つまり「危機とは正確に言うと、古いものが消滅しつつあるにもかかわらず、新しいものが生まれない状態のことだ。このようなインタレグナムでは、極めて多様な病理的な症状が現れる」 11  という指摘を尊重しながら現在の危機(インタレグナム)について話すならば、大きく三つの層位の体制に分けて考える必要がある。一つは市民の力によって民主主義を勝ち取って築き上げた87体制の危機、二つ目は分断体制の危機、三つ目は前述した資本主義の世界体制の危機である。この三つの層位の危機はお互いに連動しており、古い三つの体制が崩壊した後、どのような「新たなもの」が誕生するかは未定である。

87年体制の危機から見てみたい。セウォル号事件を通して表面化したのは、国家自体の不在や空白というよりは、韓国を「乙のための国」にはしたくないという既得権-執権層カルテルの決然たる態度であろう。このような逆行的な動きが益々強化されながら、87年体制の根幹をなす民主主義的ガバナンスを覆す事態 ―李南周(イ・ナンジュ)の表現では「漸進クーデター」― が起きているのが現在の厳重な局面である。 12  現在の分断体制の危機は、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代に比較的円満な解体作業が行われていたのだが、それが李明博・朴槿恵政権に入って中断され、その後、分断体制を無理矢理復元しようとしているために発生したものだ。復元が不可能である理由は、何よりも分断体制の固着期とは違い、現在は東西冷戦の一つの軸であったソ連が崩壊したにもかかわらず、米国が覇権国家としての地位を失いつつあるためである。しかも、中国が韓国経済に決定的な影響力を与える国家として浮上している状態で、米国に「オールイン」し、南北対決を再び激化させるからといって分断体制が回復するわけではない。分断体制が一層危機に陥る可能性はあるが、だからといって無理に取り掛かると、一時しのぎで修理した建物のように一瞬の内に崩れてしまい、経済的な破綻や戦争のような大災難を引き起こす可能性が高くなる。 13

到来する新たな体制を牽引するような政治的主体、例えば、乙の民主主義の主体となる人々は誰だろうか。87年の民主抗争の主役であった「386世代」は、今や既得権勢力の典型として非難されている。彼らとしては、悔しい面もあろうが、それなりの理由はある。彼らは民主化の主役という勲章を手にすると共に自由化の恩恵を受け、大多数が社会の重要なポストを占めている。それとは逆に今の若者たちは彼らが受けた恩恵(恋愛、結婚、人間関係、マイホームなど)を諦めなければならない状態にあるのだ。しかし、既成世代も体制の危機を避けることはできないため、彼らもまもなく中産層の地位を失うことになろう。いずれにせよ、志のある少数の人々を除いては、既成世代が自発的に乙の民主主義の主体となる可能性は低い。若者世代はどうだろうか。ソン・アラムは若者世代の立場を代弁する「望国宣言文」の中で次のように述べている。

ここを地獄と決め付けないでください。未来に一層悪化する可能性のある場所は地獄とは言えません。世界の終わりを確信しないでください。我々の想像力は最悪を想像するまでには到っていません。過ぎ去っていく全ての瞬間を私たちは今よりは幸せだった時代として記憶するでしょう。だから、過去とは別れを告げ、未来を受け入れる用意をしてください。私たちは近いうちに今のこの瞬間を懐かしがるでしょう。 14

非常に共感できる内容である。もし、今よりも悪い体制が生まれてしまったら、我々の生きるこの国は我々が想像できないほど最悪の事態となるだろう。しかし、そうなる可能性が高いだけであって、そうなるとは限らない。この地獄のような世の中を変化させることに、若者が主体となるか、ならないかで状況は完全に変わってくる。しかし、「多くの青年はもはや夢を抱かず、不公平な生存よりは公平な破滅を願い始めました。私たちは国号を忘れてしまった百姓のようにこの国を「ヘル(hell)朝鮮」と呼んでいます」という宣言は、今の若者たちが如何に漠然とした不安を抱えているかを既成世代に伝えようとしているという意味では納得できるが、未来の主体としての発言としては納得できない。「不公平な生存」を変えようとはせず「公平な破滅」を願う存在ならば、世の中を変化させるどころか、自ら生み出した「心の地獄」さえも消し去ることはできないだろう。この地獄のような世の中で憤恨を乗り越えようとする志を抱くならば状況は完全に変わるだろう。例えば、今の行き詰まった現実を直視し、怒りを覚えながらも恨みや絶望や無気力に陥ってしまわずに生きている若者、世の中を変化させることに自分の力を添えようとする若者、そのような若者が大勢いる。若者だけではなく、あらゆる世代と階級で甲乙関係の変化を心から望んでいる人々が新たな政治的主体となるだろう。

3. 文学のアトポスと現在の韓国文学

歪んだ世の中で文学は何ができるだうか。文学の読者数が急激に減少したという報道が溢れ、文学は消滅したとまで言われている現在、このような問いかけは心苦しい限りである。しかし、このような問いかけと真正面に向かい合ってこそ、有意義な文学の論議ができるだろう。

昨今の文学危機論は人々が文学書を殆んど読まないという事実から出発している。以前は映画やテレビ、インターネットのような大衆文化メディアの影響が理由として挙げられた。それに加え、最近はスマートフォンの使用やSNSが日常化し、ウェブ小説やウェブ漫画という新たな大衆文化・文学のジャンルが活発になり、文学は益々居場所を失いつつあるという危機感が広がっている。けれども、情報技術とメディアの発達は文学の終焉を招く決定的な要因ではない。文学は元々文字言語に限られた言語芸術ではない。口承文学は別としても、シェークスピアの戯曲や我が国のパンソリなどもその台本が文字化され、書物として生まれ変わる以前から聴衆が享有する芸術であった。『未生(ミセン)』や『錐(ソンゴッ)』のような漫画も純粋な言語芸術ではないが、演劇や戯曲と同様に文学的享有と評価の対象となり得る。従って、紙に書かれた書物ではないオーディオブックや電子書籍、インターネットやSNS上の作品だからといって、文学の資格がないわけではない。問題は、このようなメディアの変化とは関係なく、文学が我々の人生にとって、依然として代替不可能で、掛け替えのないものであるかどうかということだ。

資本主義における商品化という問題も文学を脅かす要因だ。ご存知のように、近代の資本主義において、文学は市場に依存するようになり、資本主義が進展すればするほど、文学作品は芸術であると同時に商品という二重性を有するようになった。文学の読者も言語芸術の享有者であると同時に、商品の消費者でもある。芸術としての文学は資本主義の下での商品化に対して敵対的であるしかない。しかし、資本主義の文学的な支配方法は益々巧妙になり、文学が商品化の迷路へと入り込む可能性も否定できなくなった。全ての文学がそうではないが、一国の一地域の文学が文化商品のような娯楽品として扱われる可能性もある。実際、柄谷行人が「近代文学の終り」を宣言し、文学の場を去ったのは、日本文学が堕落してしまったという彼なりの判断からであった。

柄谷行人が韓国文学について詳しく知らないにもかかわらず、韓国文学も終焉を迎えたと性急な判断を下したのは、彼の目的論的な文学観のせいであろう。文学が国民国家の形成に主導的な役割を果したように、資本主義の世界体制の変革への寄与も期待したが、そのような文学を見つけることは容易ではなかったのだ。柄谷行人の終焉説が日本よりも韓国でより多大な影響力を発揮したという事実はアイロニーである。文学評論家の金鍾哲(キム・ジョンチョル)のような、1990年代以来、文学は社会変革の力を喪失したと判断する批評家にも、西欧のポストモダン言説の影響下で1970、80年代に民族文学の行きすぎた社会政治性を批判した若い批評家たちにも、終焉説は歓迎されたが、それぞれ理由は異なっていた。不思議なことに、文学主義の批評家たちは近代文学は終焉を迎えたと信じていながらも、柄谷行人や金鍾哲のように文学の場から去りはしなかった。その代わり、文学の場から立ち去った人々が、無意味であると批判した「近代文学以降の文学」(脱近代文学)を新たな時代の文学として提示する論理を導き出した。例えば、2000年代の文学の脱社会的・脱政治的性格を強調するイ・クァンホの「無重力空間の叙事」や、キム・ヨンチャンの「脱内面的叙事」「無気力な主体」などは、このような流れを代弁している。 15

2000年代の文学で頭角を現した金愛爛(キム・エラン)、朴珉奎(パク・ミンギュ)、黄貞恩(ファン・ジョンウン)の小説などは、1970、80年代の民衆文学とは異なるが、だからといって「無重力空間の叙事」や「無気力な主体」などの内容とも違う。彼らは脱社会的で脱政治的なものではなく、以前の小説とは違った方法と感覚で社会性と政治性を具現したのである。ランシエール(J. Rancire)の文学論を参考にした陳恩英(チン・ウニョン)の「感覚的なものの分配」(『創作と批評』、2008年冬号)が引き起こした「文学と政治」に対する論議は、未来派の詩以降の悩みを含みながらも、同時に新たな小説の政治性を解釈するためにも肝要であった。それ以来、白樂晴(ベク・ナクチョン)、李章旭(イ・ジャンウク)、シン・ヒョンチョルなどが参加し、一層活発になった「文学と政治」に対する論議は、柄谷行人の終焉説に対応する代案言説的な性格を持ち、それだけに韓国文学の批評的な活力を立証してみせた。

陳恩英が最近唱えた文学の「アトポス」(atopos)論は、「文学と政治」において表面化した悩みを深化させた概念である。彼女によると、文学のアトポスとは「正体の曖昧な空間、文学的と一度も規定されていなかった空間に流れ込み、その場を文学的空間へと変えてしまうこと、そうすることで文学の空間を変え、さらに文学に占有された、ある種の空間の社会的、感覚的空間を、また違った社会的、感覚的な人生の空間性へと変化させること」 16 である。 陳恩英のこの概念は文学が既に定められた特定の形式や空間、そして制度であると考える人々にとって新鮮な衝撃を与えた。しかし、白樂晴の指摘のように、このような作業は新たな文学的空間を創り出すこと(新たなトポス)であって、それ自体が「アトポス」(非場所)の具現ではないのだ。 17  さらに陳恩英の言う「このように彷徨っている空間性、ゆえに決して確定できない形で瞬間のトポスを生成し、破壊し、揮発させること」(同じ頁)も遊牧的で不確定的な方法ではあるが、「トポス」の生成、破壊、消滅であって「アトポス」の出現ではない。

むしろ、陳恩英がバディウ(A. Badiou)のマラルメに対する議論を論評しながら「マラルメが使用した踊りの類比に従って、我々は、詩を、詩的テクニックや詩を書く詩人の経験によって全的に還元されない、純粋な出現と考えることができる」(153~54頁)と語った時、そして「因果関係の鎖から抜け出した、純粋な発現の瞬間としての詩」(154頁)に注目した時、「アトポス」概念というものがより彷彿される。このような純粋な出現と発現の瞬間としての詩について、白樂晴は「現実の、ある「トポス」で起きる出来事であっても、そこから抜け出した「アトポス」を含蓄するといえる」と評価しながらも、「同時に、それが現実空間のあらゆる因果関係と筆記具の種々の特性を確保したまま「アトポス」を創り出すのか、或いは「純粋な出現」という、もう一つの観念で詩を単純化するのかは、より一層厳密な検討が必要だ」と条件を付け加えている(126頁)。白樂晴自身は、「作品が発現する時に生成するアトポスは、ただの「無」でもなく、「有」の領域 ―プラトンの「イデア」や、ある超越的な存在を含めて― でもないという思惟のあり方」(127頁)の重要性を強調し、これを東アジアの「道」という「アトポス」の次元から見つめ直している。

「文学と政治」に対する議論に引き続き、再び陳恩英と白樂晴の間で重要な対話が行われたのだが、ここで論じられている問題を詳論する代わりに、簡単な論評を付け加えたいと思う。陳恩英の「アトポス」論は、新たな文学的トポスを創り出したり、既存の文学的トポスを変化させたりする際に生じる生き生きしさ、活力、情動(affect)に注目する一方、 詩とは詩人のテクニックや経験だけによって還元されるものではない純粋な発現であり、特に「詩は書かれている通りに読まれるのではなく、詩を読む人との感応の中で出来事として発現するという点」(154頁)を強調している。このようなアバンギャルド的な態度のためか、一つの芸術「作品」として具体的な詩や小説の詳細には細かくこだわっていない。しかし、創作や読書、詩の朗読や聴取のような文学行為のトポスがどこかに関係なく、芸術言語としての作品が真実の輝きを放つ時、文学のアトポスが生成されると見ている。

このような意味で、英国の小説家D. H. ローレンスの「芸術言語が唯一の真実だ。芸術家は大抵がつまらない嘘つきであるが、彼の芸術はそれが芸術である限りはその日の真実を知らせてくれるだろう。永遠の真理など必要ない。真理はその日その日生きているのである」 18  という発言は文学のアトポスと関連付けても注目すべきであろう。芸術言語を通して明らかになるその日の真実を除いてしまったら、果たして文学のアトポスを論じることができるだろうか。実は、我々の心の居場所も「存在しているような、していないような」アトポスなのである。文学は究極的に心に働きかけるものであるが、文学がその日の真実を知らせてくれた時、心を揺さぶるような「出来事」が起こる。アトポスで起こる出来事がその日の世の中の様子を如実に物語り、よりよい世の中に変えてみようという気持ちを抱かせるのである。勿論、そのためには、心がお金の奴隷にならず、他の人々や世の中、全ての宇宙万物に心を開かなければならない。

最近の盗作騒ぎや文学権力騒ぎ以降、韓国文学は消滅したと断言されることが多いが、文学のアトポスを実感させるような作品は次々と誕生している。韓国文学は生きているのだ。多様多彩な作品の中で、前述の論議と関連して注目すべき最新作を幾つかご紹介したい。ベク・ムサンの詩集『廃墟を引き揚げる』(創批、2015)はタイトル通り「あの日の真実」を知らせることによって、文学のアトポスを実感させてくれる。 19  詩人は時代の現実と体制のような大きな問題を抱えて悩んでいるが、詩人自らが生の身体で体験したことを表現しているため、観念的な発想が割り込むような隙はないように思われる。特に『ハムレット』のように、時代の問題を主体の内部から引き出している点が頼もしい。ハムレットの独白が「時代」と同じように歪み、分裂してしまった彼の「内面」を、そして追い詰められた彼の「心」を吐き出しているように、ベク・ムサンの「パニック」の話し手は具体的な理由を言わずに自分の荒廃した心を吐き出している。.

ふいに真夜中の山道で
見上げた夜空
手に届きそうな空一杯の星がパニックのように
白く降り注ぐ宇宙

その風景が心に染み込むと
僕が明らかになる
僕が廃墟という事実が

死が干潟のように暗く訪れ
愛が燃えるように染み込み
全ての秩序を覆して災いの赤い血が染み込む時
僕はパニックに熱狂する
―「パニック」 16頁

「僕が廃墟という事実」が明らかになったと告白する時、我々はその時代に一体何が起こったゆえに彼が廃墟となったのか、という疑問を投げかける。真っ先に脳裏に思い浮かぶのは、檀園(タンウォン)高校の学生250人を含む乗客304人を水葬させてしまったセウォル号事件だろう。詩集のタイトルの中の「引き揚げる」、そして上に引用した詩の最後に書かれた「僕はその廃墟を元の姿のまま引き揚げなければならない」という主張が、真実と共に水葬されてしまったセウォル号の引き揚げへの責任を連想させる。けれども、この詩集のあちらこちらで出現する「廃墟」はセウォル号事件に限られた問題ではない。この詩集の「廃墟」は『ハムレット』の「歪み」と同様の意味、つまり、世の中の崩壊の兆しを呈する役割をしている。上で引用した詩の3連にも世の中の破局を迎えるような黙示録的な雰囲気が漂っている。

「廃墟」と共に「パニック(panic)」を使用しているのも、話し手である「僕」の特異な態度の形成に効果的である。もし、訳語の「恐慌」や「恐怖」という言葉を使用していたら、不自然だったであろう。しかし、代わりに「パニック」という言葉を使用したことでしっくりくる。「パニック」が今の時代の言葉だからという理由もあるが、この言葉が牧神であるパーン(Pan)から由来していることを考えると、単純な恐怖というよりは、驚異的な恐怖、そしてニーチェのディオニュソス的な狂乱を連想させるからではないだろうか。つまり、破局を迎える「僕」の態度は近代的合理性を超えた直観的な熱狂に近い。ゆえに「僕」は世の中の破局を恐れているのか、歓迎しているのか、曖昧なのである。この曖昧さは「僕」と世の中の関係にも現われている。1、2連で宇宙の風景に映った「僕が廃墟という事実」がパニックのように明らかになるが、3連では「僕」が廃墟であるため、この世の中が廃墟と化す光景に熱狂しているのではないかという不吉な疑いが込められている。実は、詩の最後に書かれている「僕はその廃墟を元の姿のまま引き揚げなければならない」での「廃墟」には世の中の破局を見守りながら、パニックに熱狂する病的な面までも含まれているのではないだろうか。

ベク・ムサンはここで、我々の生きている不道徳な世の中に対する倫理的で当為的な批判をしているのではなく、資本主義の世界で可能な破局の前に立って、自らを正直に投げ出している。このような点こそが、資本主義が崩壊することはないという仮定の下、その否定的な面を洗練された方法で皮肉ったり、世の中が滅びたと大きな声で嘆いたりする多くの批判的な知識人とは質的に違う点である。資本主義の変化に対する洞察として「何に向かって抵抗すべきかは分かっているが」にも注目すべきだろう。「自由への新たな感覚」の意味をアイロニカルに述べた次の一節を紹介したい。

正規職の奴隷になりたい 非正規職の奴隷を廃止しろ
不安的な奴隷を正規奴隷化しろと叫ぼう

人間に自由への新たな感覚が生まれたのだ

自由を売れば自由よりも大切なものを手に入れられると信じた
自由を返上すればより豊かな人生を手に入れられると信じた
野原での自由は敗者の慰めに過ぎないと信じた
新たに手に入れたものが自由なのかそうでないかなど重要ではない
鉄窓を取り除いても野原には行けない
―「何に向かって抵抗すべきかは分かっているが」 終結部

マルクスは、資本主義下での労働者にとっての自由とは中世の身分的な足かせからの開放を意味すると同時に、自分の労働力を売って生活を営むしかない状態、つまり賃金の奴隷と化していると指摘している。即ち、労働者にとって真の自由とは何よりも賃金の奴隷からの開放を意味するのである。ところが、この詩で自由とはどのような価値として表現されているだろうか。今の時代、我々にとって、自由は「より豊かな人生」を過ごすために自らを返上できるような小さな権利のようなものだ。このような社会では「非正規職の廃止と正規職への転換」というスローガンさえも「不安的な奴隷を正規奴隷化しろ」という賃金の奴隷たちによる利権闘争に過ぎないものになってしまう。

こうして見ると、「自由への新たな感覚」とは、資本が労働を極端に追い詰めたために、一時は労働者の理念的な武器であった「野原での自由」を「敗者の慰め」であると信じさせた結果、生まれたのである。資本主義が労働者の理念さえも崩してしまったのだから、資本主義の最終的な勝利と言えよう。しかし、これによって、危うい状態であった資本主義が安定したというよりは、何か本来の在るべき姿から離れ、何か他の物へと転化してしまったような気がする。例えば、従来の資本主義が労働と資本の対等な関係での対立を軸としているのに反し、この詩の中で表現されている体制は両者の対立関係が崩れてしまい、資本の支配が如何なる理念的な歯止めをかけられることなく、全一的になされている状態と言えよう。「自由への新たな感覚」は、もう既に我々の周りに存在している、より暗い未来を感じさせる。 20

今回のベク・ムサンの詩集には希望の伝言のようなものは見られない。だからと言って、悲観と絶望に陥っているわけでもない。希望も絶望もないまま、自分と世界を冷静に観察し、大切に守ってきた人生の原則が破壊されつつある事実を正直、且つ熾烈に語っているだけである。廃墟のような時代と自分自身に対する証言のような彼の詩は決して明るいとは言えないが、「草の闘争」や「完全燃焼の夢」でのような、人間の時間よりも長い時間、人間の領域よりも広い大地と自然に対する彼の幅広い思索と信頼が感じられるため、決して暗くは感じられない。労働者の観点からではあるが、偏狭な労働者主義から離れ、性少数者、動物との関係など、近代文明レベルの争点に対しても通念を覆すような省察を見せてくれている。

最近、文学に労働する主体が頻繁に登場しているのは、労働を人生の核心的な要素として再認識し始めたという意味でもあろう。特に、ベク・ムサンと共に、1980年代と90年代に労働文学の最前線で活動していたジャン・ファジンとイ・インフィが長い沈黙を破り、注目すべき作品を発表したことは歓迎すべきだ。ジャン・ファジンの「きょろきょろ見回す」(『黄海文化』、2015年秋号)とイ・インファの「工場の灯り」(『実践文学』、2015年春号)は、どちらも労働者が主人公の小説だが、性格はやや異なる。「工場の灯り」が労働現場に集中した典型的な労働小説である一方、「きょろきょろ見回す」は、労働の問題を重要な問題として扱いながら、男女の日常的な生活との関係が主軸をなしている。

「きょろきょろ見回す」の美徳は、日常で起こる些細な出来事を通して、資本に縛られない労働の本来あるべき姿を顧みさせるところにある。正規職と非正規職の差別を体験した男性と、大企業のインターンシップと失業(アルバイト生活)を繰り返してきた女性がお隣同士として出会い、壊れた便器を一緒に修理することで二人の関係が深まるという内容の小説だ。故障の原因である古いゴムパッキンをガムでくっつけて問題を解決するまでの過程が面白いながらも意味深長である。故障した便器を直すのも労働であるが、職場での労働とは違って楽しく心が温かく感じられるのは、資本主義の回路から離れた瞬間、労働は市場価格とは関係なく、楽しく有益な活動、多少の忍耐力と創意力を発揮すればある種の達成感を得ることのできるものだからである。主人公の男女の性格や彼らの関係が発展していく過程が自然に描かれてはいるが、何の葛藤もなく、あまりにも円満に描かれているため、理想化の跡が感じられるところが多少残念ではある。

「工場の灯り」は、色んな面で対照的な作品だ。ある合板工場の厳しい労働現場と非情な労使関係、労働者同士の葛藤と連帯感などが迫力のあるタッチで描かれていて、現代の「異郷」の一つであるように感じられる。合板が作り出されるまでの労働過程、社長が労働者をこき使う様子、その過程で首になったベテラン労働者の自殺、労働と宗教の繋がりなどを露骨に描くことによって、今日の労働現場が如何に劣悪であるかを鮮明に描写している。厳しい労働現場の雰囲気と力の論理を実感させるところがこの作品の美徳である。しかし、人物が多少類型化されており、小説の強烈な男性的な言葉が新たな世代の感覚を十分に表現できていない。両作品とも物足りないところは多少あるが、目的論的な文学観から脱し、これまでとは違った労働現実を直視しようと、それなりの手法で奮闘している点は評価したい。

金愛爛の『非幸運』(文学と知性社2012)以降、若者の文学においても人生の核心問題として労働問題が扱われている。その中でも非常に優れた作品として評価されているハン・ガンの「一片の雪が解ける間」(『創作と批評』2015年冬号)や、『センチメンタルも二日まで』(2014)を書いた金錦姬(キム・クムヒ)の最近発表された小説などが特に印象的だ。「猫はどうやって鍛えられるのか」(『文学村』2015年冬号)には大手キッチン家具会社の課長から「職能開発部」へと人事異動を命じられ、生産職の教育を担当することになった少し変わった人物が登場する。モ課長は同僚たちとの付き合いの悪い気難しい人物で、幾度もいざこざがあり、部下から「異常な人」と言われていた。彼が一般のサラリーマンと違っていたところは、工員出身で、そこから本社の管理職へと昇進したにもかかわらず、常に現場に出たがっていたという点だ。

皆、下請け会社を「虐めに」に行くと思っていたし、実際、そういう行動をしていたが、それが全部ではなかった。彼はただ単に肉体労働したくて出かけて行ったのだ。そうやって、たまに肉体労働をしたり、頭の中がガンガン響くほどの衝撃を与えたりしないと、一日中錆水のような何かが噴き上げてきた。生きるための活力のような、怒りのような、とにかく無気力であまりにも無気力でむしろある種のエネルギーになってしまったようでもあった。(207頁)

モ課長は「(肉体)労働中毒」なのだろうか。でなければただの「変人」なのだろうか。どちらかは分からないが、それ以外の可能性もある。それは元々労働とは「生きる活力」が具現される一つの方法であるという可能性だ。つまり、モ課長が「変人」だからではなく、今の資本主義社会が肉体労働を回避させるような雰囲気を作り出しているため、労働しなければ生きがいを感じないモ課長が気難しい変人に見えてしまっているのかもしれない。例えば、社長から「職能開発部」を任された時、つまり生産職の教育を名分に管理職を解雇する役割を任された時、モ課長は「私は肉体労働の方が合ってるんですけど」と言ったが、社長は「おいおい、モ課長、肉体労働が好きな人なんていないだろう」と軽くあしらわれた(226~27頁)。

モ課長の人生を構成するもう一つの特異な面は捨て猫の飼い主を探すという行動である。彼のそのような行動には事情があった。鬱病とアルコール中毒で自殺を決心した日、一匹の捨て猫が庭のゴム製のたらいに子猫を産んだからで、「死なずにもう少し生きて、最後は自分自身をそのまま猫に任せてしまった」(223頁)のである。だから、彼が猫の世話をしていたのではなく、「彼はこの家でただ猫の隣にいる「何か」であって、そんな生き方に満足していた」(222頁)。実は、彼は人間よりも猫に近い存在だったのかもしれない。あちらこちらの家を回りながら、その家の独特の臭いのせいで「家酔い」をしながらも、猫を見つけてほしいという依頼に応じたのは「12万ウォンの日給や依頼人の訴えのためではなく、ただ単に迷子になった猫たちの苦労を考えて」(210頁)であった。その上、彼は魚が好きで、特にサンマの缶詰が大好物であったが、食堂の女性がお皿にサンマをお代わりしてくれると「まるで、もう要らないといった振りをしながら、女性がテレビを見たり他のお客に視線を回したりすると、その隙に青光りする魚を素早くほじって食べたりした」(211頁)。このような行動まで猫にそっくりなのだ。もしかしたら、彼はドゥルーズ(G. Deleuze)式の「猫になる」ための修行をしているのかもしれない。このような意味で、「職能開発部」を任された時、彼が悩む場面も注目される。

ここから追い出された人たちはどうなるんだろう。家族が連れて行ってくれるのだろうか。彼にはいない家族が彼らを連れて行ったら、悪くはない暮らしができるのだろうか。多分彼らには猫はいないだろうが、猫は誰にでも必ずいないといけない存在ではないが、もしかしたら、追いかけられるのではないだろうか。彼が口を出すことではないが、それでも生きていられないのではないだろうか。(227頁)

彼は首になった会社の同僚たちがどうなるか心配しているが、その瞬間にも捨て猫との比較を通して同僚の追い詰められた状況を想像する。まるで、猫との関係を通して人間と接しているような感じを与えている。

この作品で提起された核心的な問いかけは労働問題だけでなく、動物との関係でモ課長が「異常」なのか、或いは、彼を気難しいと感じる他の人々が「異常」なのかだ。この問いかけにはっきりと答えることはそう容易ではない。どちらにも問題があると言えるかもしれない。モ課長は周りの人々と断絶しているだけでなく、他人との有意義な関係を持つことを諦めた人のように思える。一方、労働や猫への態度からも分かるように、彼は基本的にお金にこだわる人間ではなく、お金の価値を強要する資本主義的な生き方に「不適応者」であることが分かる。彼は半分は猫の立場から思索し、半分は資本主義の秩序の外での人生 ―「代案的な人生」というものとは少し違う感じがするが― を生きているのかもしれない。彼が「バートルビー」(Bartleby)のバートルビーを連想させるのは、存在的な断絶と閉鎖性を持ちながらも資本主義的な価値体系を拒否する態度のせいであろう。

金錦姬の「あまりにも真昼の恋愛」(『21世紀文学』、2015年秋号)は、主人公の男女の複雑で微妙な変化を詳細な描写で捉えている。この小説にもモ課長に劣らず変わったヤン・ヒラという人物が登場する。小説の中心にはピルヨンとヤンヒの恋愛関係、つまり恋愛が中心だが、その恋愛がすれ違い合うところに芸術(演劇)と労働が配置されている。恋愛、芸術、労働という三つの要素が繰り広げる複合的な展開は注目に値する。

小説は前述の作品と同様に、主人公ピルヨンが「責任を問われ、営業チーム長から施設管理職へと締め出される」(45頁)という事実上の辞職勧告を意味する左遷から始まる。ピルヨンは何とか耐えようと決心したが、ショックは大きく、職場の同僚たちの視線を避け、鍾路(チョンノ)のマクドナルドでお昼を食べていた。その時、偶然、向かいの建物に、16年前の大学時代の後輩ヤンヒが台本を書いた観客参加型の不条理演劇の垂れ幕を見て、「ピルヨンは自分が人生最大の危機の瞬間を迎えた時、なぜ鍾路にあるマクドナルドが思い浮かんだのかに気づいた。(…) ピルヨンが、よりによって今この時間、ここにいるのは、まさにヤンヒと出会うためであったのだ」(50頁)

実は、昔すれ違ってしまった二人の愛がピルヨンの左遷をきっかけに再び呼び起こされたのは決して偶然ではない。営業チームから施設管理職へと移動したピルヨンは徐々に表情が変わり始めた。「何よりも口元を引き締めさせていた緊張が消えた。その緊張は、誰かに対する尊称、笑い、咳払い、支持、推薦、回答などをするためのものであったが、当分の間必要なかった。10年近く顔の中にあった緊張が消えるとピルヨンの顔は透き通り、どことなく若くなったような印象さえ与えた」(53頁) こんなピルヨンの変化はそれまで催促されていた資本主義的な生き方に対する中毒性が明らかに消えつつあることを暗示している。

小説はピルヨンとヤンヒの過去と現在を行き来しながら、彼らのこのような存在的な変化を追う。16年前の彼らは、お互い性格が全く違った。その違いがよく分かるのが「ヤンヒの突然の告白」(55頁)と、その告白へのピルヨンの反応だ。同じ語学教室に通っていた時代、一緒に鍾路のマクドナルドでピルヨンのおしゃべりをじっと聞いていたヤンヒは、突然「先輩、私、先輩のこと好きなんだけど」と告白する。ヤンヒはその告白を「感情の動きがなく、まるで2、3千ウォンを渡しながらハンバーガーを注文するかのようなトーンで」したのである。慌てたピルヨンは笑いながらこう聞いた。

「好きだとどうなるんだ?」
「どうなるって?」
ヤンヒはどうしてそんなこと聞くのって表情で聞き返した
「だから、これからどうするかってこと」
「何でそんなこと考えるの?」(56頁)

別れを告げる時も突然だった。ある日、突然ハンバーガーを食べながら、ヤンヒはまるで言い忘れていたかのように「あ、先輩、私、もう感じない。愛を」だった。「感じない?」/「うん」/「何で?」/「なくなちゃった」/ ピルヨンは信じられなかった。昨日まで好きかって聞かれると、表情は変わらなかったが、頷いていたのに、あり得ないことだ /「感じないって?全然?」/「感じない」/「感じないんじゃなくて、前よりは感じないってことだろ?愛情ってそんなにすぐなくなるもんかよ」(64~65頁)。ピルヨンとヤンヒのこのようなやり取りは性格の違う人同士の会話というだけでなく、まるで違う世代、違う時代の人同士の会話とも感じられる。不思議なことに二人の会話は禅問答のように聞こえる。違う時代に生きている人同士の避けられないすれ違いからくる効果であるのだが、実は愛に対する二人の見方の違いは資本主義体制に対する考えと感覚の違いに合い通じる。

ピルヨンは今の時代を生きる平凡な人物であるが、ヤンヒに出会い、その体制の外部と出会ったのだ。そんなヤンヒは、以前自分が書いた不条理演劇を舞台に上げる芸術家になっていた。16年前は資本主義的な生き方を当然視していたピルヨンは左遷をきっかけに変わった。彼の中にもこの体制での生き方とは違う一面が奥深いところに潜んでいたのである。現在のピルヨンはヤンヒの演劇を繰り返し観覧しながら、結局はその舞台に参加する体験を通して、また違った方法での生き方や芸術や愛に気付くのである。

ヤンヒ、ヤンヒ。すごく素敵になったな。ヤンヒ、ヤンヒ。夢が叶ったな、という言葉を思い浮かべては消した。元気だったかという言葉も、恋はしているかという言葉も、助けてくれという言葉も思い浮かべては消した。そして、消してしまうとヤンヒの台本のように何も残らなかった。しかし、全くないわけでもなかった。時間が過ぎても、ある物は全くなくなるのではなく、ない状態のまま仕舞ってあるだけだという思いがした。でもそれは本当に実在する物だろうか。(75~76頁)

文学だけでなく、愛を含めて、人生の最も大切なものは「全くなくなるものではなく、ない状態のまま仕舞ってあるだけ」の一種のアトポスの状態で完成する。この小説は、このような人生の真実を繊細で明瞭に表現することにより、自らがアトポスの境地であることを証明する。

4. 終わりに

文学は三つの世の中と関連している。「今の世の中」と「次の世の中」、そして「違う世の中」だ。この三つの世の中は独自的でありながらも重なり合っているので、その複合的な関係を同時に思索する総合的な芸術がとても重要である。例えば、我々は資本主義の世の中に生きているが、既にその中に明るい未来と暗い未来の兆しが見えている。「今の世の中」の出来事と時代の真実を明らかにするためには、「違う世の中」を想像する作業を通して、既に「今の世の中」にある潜在的な「次の世の中」の性格を見極めなければならない。この作業は非常に繊細で知的な感受性を要する。そのような意味で、注目に値する新人作家たちは少なくない。特にキム・オンジ、キム・ジョンオク、チェ・ジョンファ、そして最近、国内で初の小説集を出した中国系韓国人のクム・ヒの小説などが期待される。

体制の転換期を迎え、長編小説に関する批評や理論も重要ではあるが、これらに対する論議は次の機会に譲り、ここでは簡単な論評を加えたいと思う。よく『創作と批評』の批評家は長編小説の「大望」論を主張してきたという前提で論争が行われているが、それは正確な把握ではない。筆者が絶えず主張してきたのは、長編小説はもう不可能であると決め付けずに、未来への可能性は開いておき、見守ろうということだ。長編小説の可能性に注目してから10年という歳月が流れたが、期待されたような成果は見られないという主張もある。しかし、これまで文芸誌やウェブマガジンの連載空間を通して、優れた長編小説が誕生していなかったら、果たして韓国文学がこれほどのパワーを持って持ちこたえられただろうか。そして、一時は注目すべき長編小説論を主張しながらも、デジタル人文学と進化論的文学論への転換により長編小説の不可能論の理論的根拠を提供したフランコ・モレッティ(Franco Moretti)にばかり偏らず、多様多彩な長編小説論に対する論議を拡大する必要もあろう。 21

今、我々は資本主義の世界体制が崩壊しつつありながらも、未だ未定である次の体制が形成される転換期にいる。それと連動している韓半島の分断体制もやはり、うまく乗り切るか、それとも最悪の破局に到るかの選択の岐路に立たされている。今の世の中はこれから数十年間、我々がどのような選択をするかによって未来が決定する。このような時期には、一人一人の小さな文学的・社会的実践がこの上ない重要な結果へと結びつくだろう。文学は自明なものではなく、未来は不透明である。このような不確実性の中で文学の開かれた道へ勇気を持って進んでこそ、今はどこかに潜んでいる、よりよい世の中を切り開くことができると信じている。もしかしたら、そのような勇気を持った人生自体がよりよい人生なのかもしれない。

[翻訳: 申銀児(シン・ウナ)]

Notes:

  1. M. E. Cevasco, “Roberto Schwarz’s ‘Two Girls’ and Other Essays,” Historical Materialism 22:1 (2014) 162頁参照。
  2. Wolfgang Streeck, “How Will Capitalism End?” New Left Review 87, May-June 2014, 62~64頁参照。彼の挙げた病弊とは「成長の衰退、寡頭制、公共領域の窮乏、腐敗、全世界的な無政府状態」である。
  3. I. Wallerstein, ed. The World Is Out of Joint: World-Historical Interpretations of Continuing Polarizations, Paradigm Publishers 2014, 168頁。
  4. イマニュエル・ウォーラーステイン他『資本主義に未来はあるのか』(ソン・ベクヨン訳、創批、2014)の2章のランドル・コリンズ(Randall Collins)の論議と5章のクレイグ・キャルホーン(Craig Calhoun)の論議を参照。
  5. ピケティは貧富の格差の解決策として世界的な富豪たちに累進課税を行う「グローバル的な資本税」を提案したが、この提案は実現の可能性がほぼなく、結局彼の研究は今後資本主義が一層深刻な作動不能の状態に陥るであろうということを知らせのである。『オブサーバー』誌のオンライン版に掲載されたアンドリュー・ハッシー(Andrew Hussey)のピケティインタビュー記事“Occupy was right: capitalism has failed the world”参照。(http://www.theguardian.com/books/2014/apr/13/occupy-right-capitalism-failed-world-french-economist-thomas-piketty)
  6. ある報道資料によると、国際協力団体であるオックスファム(Oxfam)が「昨年のダボス会議に先立って、まもなく世界人口の1%の富裕層の資産が残りの99%の人の資産の総額よりも上回ると予想したが、予想よりも早く、2015年に上回った」と明らかにしたそうだ。http://www.oxfam.or.kr/content/62 参照。
  7. 「残された時間は7~8年しかない、その後は如何なる政策も役に立たない」『ハフィントン・ポストコリア』2016.2.2(http://www.huffingtonpost.kr/zeitgeist-korea/story_b_9108486.html)
  8. 張德鎭は、朴槿恵大統領が「二重化の問題に対して放置してきたというよりは「不介入」の立場を宣言したとみるべきだろう」と主張したが、期間制法や派遣法などが含まれた「労働改革5つの法」を押し通そうとするのは労働市場に積極的に介入して「二重化」体制をより強化しようとする態度であると言えよう。世界化と脱産業時代に社会の内部者と外部者が区分される現象を称する「二重化」という用語も、韓国社会の中で著しく現われている正規職・非正規職の間の差別をただ単に世界的な現象の一つとして認識させるということも問題であろう。
  9. これと関連した論議としては、カン・ジュンマン『甲と乙の国』(人物と思想社2013)参照。
  10. ジン・テウォン「乙の民主主義」、高麗大学民族文化研究院ウェブマガジン『民研』、2015年5月号(http://rikszine.korea.ac.kr/front/article/discourseList.minyeon?selectArticle_id=587)
  11. 上掲の文章から再引用。
  12. これに関する詳細な論議は本号の李南周(イ・ナムジュ)の「守旧の「ロールバック戦略」と市民社会の「大転換」企画」」参照。
  13. 金善珠(キム・ソンジュ)は、TVドラマ「応答せよ1988」の発想を借りて「2044年、その時も分断体制だろうか。分断100年を迎えることになるのだろうか。北は核を、南はサードを装着し、6者会合や4者会合を巡って周辺の強大国の利害関係によって依然として我が国の運命が左右されるのだろうか。重くて怖い」と韓半島の果てしない暗い未来を想像する(金善珠のコラム「応答せよ2016」、ハンギョレ2016.2.3)。2044年も分断体制ならば「重くて怖い」状況であろうが、十中八九分断体制ではないだろう。分断体制を克服し、よりよい体制を作り出したか、或るは分断体制よりもより最悪の、その重さと恐怖を想像することすらできない状態になっているかのどちらかだろう。
  14. 「ソン・アラム作家の新年特別寄稿「望國宣言文」」、キョヒャン新聞、2016.1.1。
  15. 柄谷行人の近代文学終焉説についての詳細な論議はカン・キョンソクの「批評のロドスはどこなのか:「近代文学終焉説」から「長編小説論争」まで」『文学枠(ムンハットゥル)』、2015年夏号、及び拙稿「文学の新しさはどこから来るのか」の2章「「近代文学の終焉とそれ以降の文学」というフレーム」『創作と批評』、2008年秋号参照。
  16. 陳恩英『文学のアトポス』、グリンビー、2014、180頁。以後、この本の引用は本文に頁数だけを表記する。
  17. 白樂晴「近代の二重課題、そして文学の「道」と「徳」」の2章「二重課題論と文学の居場所」『創作と批評』、2015年冬号参照。以後、この論文は本文に頁数だけを表記する。
  18. D. H. Lawrence, Studies in Classic American Literature. Ed. E. Greenspan, L. Vasey and J. Worthen, Cambridge UP 2003, 14頁。
  19. ベク・ムサンの今回の詩集に対する論議としては白樂晴の上掲の論文、135~40頁参照。以前に筆者もフェイスブックでこの詩集について–「パニック」(2015年10月11日)、「花粉がそよ風に乗って飛んで行くように」(10月6日)—論じたことがある。
  20. 「もう既に存在している未来」という発想と関連した論議としては、ファン・ジョンア「「もう既に存在している未来」の小説的な主体」『創作と批評』、2012年冬号参照。
  21. ファン・ジョンア編『もう一度小説理論を読む』(創批2015)、及びロベルト・シュワルツの小説論を検討した拙稿「周辺で中心の形式を省察する」『内と外(アンクァパク)』、2015年後半期号参照。