〔対話〕韓国の財閥、財閥の韓国?

2016年 冬号(通卷174号)

〔対話〕韓国の「保守勢力」を診断する④
: 韓国の財閥、財閥の韓国?

李日栄(イ・イルヨン)韓神大教授、経済学。著書に『新たな進歩の代案、韓半島経済』『革新家経済学』など。
李源宰(イ・ウォンジェ)「與時齋」企画理事。「希望製作所」前所長、ハンギョレ経済研究所長歴任。著書に『おかしな国の経済学』『父の国、息子の国』など。
申鶴林(シン・ハンニム)ジャーナリスト。「メディアトゥデイ」代表理事。全国言論労働組合前委員長。
宋元根(ソン・ウォングン)慶南科学技術大経済学科教授。著書に『財閥改革の現実と代案探し』『韓国社会、サムスンを問う』(共著)『社会経済民主主義の経済学』(共著)など。

 

李日栄(司会)『創作と批評』誌は、今年1年間「韓国の「保守勢力」を診断する」という企画を続けています。宗教、軍隊、社会団体の問題に続いて、今号では「財閥」を中心に経済界の問題について話し合おうと思います。財閥自体に対する診断を含めて、それらがみずからの経済力をどのように他の分野に拡張し「力」を確保するのか、そのなかで韓国社会が、対抗力ないし代案的システムをどこに見出すのかなどについて、議論を続けようと思います。3名の方を迎えましたが、今日のテーマと関連して、それぞれ最近の関心事が少しずつ異なっているかもしれません。まず簡単な自己紹介をお願いします。

申鶴林 私は経済を深く勉強していませんが、関心事は財閥に関係しています。大韓民国の人口5千万のうち0.02%である1万名程度が、韓国社会のいわゆる実質的な支配勢力です。私は彼らの間の関係、特に血縁に対して調査しています。地縁や学閥は、高い地位にのぼればマスコミで報道されますが、血縁はそうではありません。公認であれどうであれ、分野がどのようなものであれ、彼らがどのように一族と一族としてつながり、大韓民国で金や権力や名誉を独占・寡占できるのか、この10年ほど追跡しています。もちろんこのなかには財閥がかなり含まれます。

宋元根 私は博士学位論文で財閥をテーマにして、それ以降もずっとこの問題を研究してきました。以前は「30大財閥」と言いましたが、2000年代初あたりを過ぎてから、そのなかで格差が大きくなって、「10大財閥」「5大財閥」のような呼称が出てきました。かと思ったら、いつの間にかサムスン1つだけを研究するのも大変になりました。今は、経済民主化を中心に、これまでの研究をさらに発展させようとしているところです。地域で住民たちを相手に関連の講義もしています。

李源宰 私は企業の社会的責任に関心を持ち始めて、社会的企業、社会的経済、共有経済、協同組合、ソーシャルベンチャーまで、順次、代案になる領域に入っていくことになりました。このようなものがうまくいくために、いかなる政策環境や生態が必要かに焦点を合わせています。それとは少し別に、民間シンクタンクをきちんと作れればと考えてきましたが、それとともにサムスン経済研究所、ハンギョレ経済研究所、希望製作所を経て、最近、新たにスタートした「與時齋(ヨシジェ)」(時代とともにある家)という民間シンクタンクにいます。


「朴槿恵・崔順実ゲート」と財閥

李日栄 『創作と批評』が最初にこの企画を続けることになった問題意識は、朴槿恵政権が「漸進クーデター」といえるほどの形を示す状況において、いわゆる「保守勢力」の中身を一度検討する必要があるということでした。厳密な概念でなく、俗に保守の問題ともいえるものについてです。そのように今回の対話を企画して、今日、私たちがこのように集まったわけですが、事実、最近、いわゆる「朴槿恵・崔順実ゲート」による衝撃が、他の何よりも大きいと思います。本誌の以前の号で保守社会団体を扱う時も、全経連(全国経済人連合会)の資金がこれらの団体に流れる問題がありましたが、「ミル財団」や「Kスポーツ財団」の設立にも全経連が決定的に介入しました。先日、経済学者や経営学者たちが「権力に寄生して、政経癒着と不条理な行為を繰り返す全経連は、自由市場経済の障害物にすぎない」として、全経連解体を促す声明書を出しました。ですが、時間が経過して、ミル財団や全経連は脇役でもなく、最初からエキストラだったように見えます。今後、どのような話がさらに出てくるかわかりませんが、朴槿恵大統領が、サムスン、現代自動車、LG、ロッテ、SKなどの財閥の総師や最高経営者の7人と単独で面談し、直接これらの財団設立に必要な募金を促したということです。このような話が国会で議論されると、それに続いて検察も関連資料を確保したといいます。サムスンの乗馬支援もいろいろな話があります。人気種目に対する支援を減らして、唯一、乗馬にだけ全面的な支援をしたわけですが、権力の陰の実力者の匂いを嗅ぎつけるサムスンの能力は、かなり卓越したものではないかと感嘆する(?)向きもいるようです。最近、このような時局と関連してみられる財閥や全経連の行為についてどのようにお考えか、少しお聞きしたいと思います。

李源宰 まず全経連は解体されるべきで、解体されるでしょう。全経連が会員社の利益すらきちんと代弁できていないという指摘が数多くあります。会員社の利益を代弁するというより、実際には大統領府の要求事項を企業に伝える窓口の役割、すなわち官冶経済の伝達体系に転落したということです。これとは別に、サムスンの乗馬支援は他の角度から考えるべきです。崔順実ゲートを第三者による賄賂供与という観点から見るならば、ミル財団や乗馬支援などを通して、最高権力者の関心事に資金を出した企業は、不正請託のために賄賂を供与したものと見るのが適当だと思います。

申鶴林 私も全経連は解体されるべきだと思います。何も仕事をしていません。仕事があるとしても、経済人総連や貿易協会でもできることです。裏口で政府系団体を支援する以外、事実これといった政策で自己主張することもありませんでした。会員社の間でも利害関係が分化しただけに、共通の利益を抽出することは難しいでしょう。1961年に設立されましたが、そのときの趣旨とはかなり変わりました。寿命を終えたと思います。

宋元根 様々な側面で今回の事態を見ることができるでしょうが、財閥の上納は、単に財閥が権力に寄生することを越えて、政治権力化していることを示すものでしょう。表面的に見られるところでは、政府が強要して企業が従ったようですが、影の実力者を利用して財閥が権力を行使したと見る方が正確ではないでしょうか? 全経連は10数年前に発展的解体の話が出ましたが、うやむやになったといいます。そのときの話では、保守陣営のシンクタンクとして残るということでしたが、きちんと仕事をしていれば、私はそのような団体が存在するのも悪いことではないと思います。


サムスンが滅びると韓国が滅びる?

李日栄 今、財閥経済の実状をどのように把握しておられるか、お聞きしたいと思います。最近、サムスン電子の「ギャラクシーノート7」の事態や、現代自動車のリコール問題などが話題になって、これを憂慮する人々が多いようです。韓国経済が大変なことになったということです。さきほど宋先生もおっしゃいましたが、今、財閥といえば、サムスン、現代・起亜自動車を主に取り上げるようです。みなの話題になる統計もそうです。見てみると、2008年から2012年まで、サムスングループと現代自動車グループが、韓国の国内総生産、すなわちGDPに占める割合が35%にもなっており、法人税税収で21%、証券市場の時価総額で37%、純利益でも35%も占めたという記事があります(『東亜日報』2014年1月14日付)。今回、企画財政部の次官が「サムスンと現代自動車の経済比率がGDP対比5%を超え、投資の14%、輸出の23%を占めている」と言及しました。これは数字的にもものすごいですが、これらの企業がネットワークを通じて発揮する力は、それよりはるかに大きいだろうと思います。最近、突然、陰の実力者が、これらの企業よりさらに上にいるのではないかという話が出ていますが、時間が過ぎれば、それはそれとして議論されるだろうと思います。指標に出てくるもの、出てこないものについて、見解をお聞きしたいと思います。

李源宰 私は、これらの企業の売上がGDPの何%であるという話は、マスコミが誇張した側面がかなりあると思います。数字というものは本来、欠陥が多いでしょう。売上額とGDPを比較してはいけません。営業利益や付加価値で語るべきです。私がおおよそ計算してみると、韓国の国内付加価値生産でサムスン電子の割合は1.7%と出ています。輸出額でサムスンが占める割合は昨年基準で20%程度です。今日、発表されたサムスン電子の営業利益を見ると、前年より第4四半期が30%減ったといいますが、単純計算をすれば、さきほど話した1.7%から約0.6%ポイントほど減るんです。GDP全体で0.6%ポイントならば大きい額で、影響もかなりのものだと見ることはあります。ですが、また、これらの企業が崩壊しても、たとえば経済の3分の1が消えるなどと言うべきではないと思います。

宋元根 サムスン電子の経済力な比重については錯視現象があります。そのために認識や対応がねじれることもあります。今回、エリオットマネジメント(Elliot Management)は、サムスンの持株会社体制を念頭に置いて、サムスン電子を分割し、自分たちに特別配当して、株主たちにより責任を負った経営をするよう提案しました。ですが、昨年、すでにエリオットが、第一毛織とサムスン物産の合併に反対した時、保守主義者たちは民族主義情緒を動員して合併に賛成しました。今になって考えてみると、かなり無知な行動でした。サムスンを含む財閥大企業が、株主の利益というものを正しく理解すべきだと思います。サムスンが滅びると韓国も滅びるといいますが、事実、朝鮮日報が2014年1月8日付の記事(企画「サムスン電子なき大韓民国」)に、すでにサムスン電子を分割すべきという記事を掲載しました。もちろんその記事の目的は、サムスン電子の危機論を助長して、むしろサムスンの支配構造やイ・ジェヨンの支配力をもう少し確実にするための脅しのようなものでしたが。問題は、一般人の認識では支配構造がどうであれ、とにかく経済が心配であるという点です。そのうえ、サムスンの成長が韓国経済の成長であるという等式を合理化しようとして、免罪符を簡単に与えてしまった政府官僚、政治家、ジャーナリストがみなこのような憂慮を拡大再生産して、そのような認識から抜け出られなくしています。

申鶴林 サムスンという企業と、サムスンを実質的に所有・支配しているイ・ジェヨン一家が絡んだ問題を、分けて考える必要があります。どのような企業でも永遠に持続するものはありませんが、サムスングループの主力企業であるサムスン電子はグローバル企業であって、かならずしも「韓国の企業」ではないと思います。そのような観点で、サムスンが墜落するという前提は、現在としては非現実的な仮定だと思います。たとえサムスン電子が滅びるとしても、韓国が滅びるだろうとは思いません。特定の企業がひとつ滅びたからといって、GDP世界11位の国家の経済全体が停滞するというのは話になりません。韓国の経済規模や国民の底力を過小評価してはいけません。そのような主張や質問自体は、サムスンを過度に神話化する言動だと思います。

李源宰 韓国の財閥は2つの段階のミッションを遂行してきました。60年代末、70年代初から、借款をはじめとして、どのような形であっても、国家が持ってきた金を、財閥が政経癒着を通じて、他の表現でいえば、国家の命令を受けて事業を推進し、その代価として国家の保護の中で独占事業権を受けて成長してきた段階が1つの段階で、それからIMF救済金融前後のいわゆる新自由主義という市場化が成立し、自らの競争力で生き残らなければならない世界へと投げ込まれました。サムスンについて象徴的な出来事を1つ思い出しますが、2006年に私がサムスン経済研究所にいた時のことです。サムスンが1998年のIMF金融危機の時、構造調整をかなりやった後に、完全に市場主義的に背を向けましたが、サムスン電子が特にそうでした。サムスン経済研究所の研究員が、サムスン電子にコンサルティングに行ってきて言っていました、あそこは専務が指示を出すと、係長が歯向かって、「専務の言うとおりにしていたら、お金にならない」と言うのだそうです。それまでの政経癒着と命令の論理を、利潤極大化の論理がひっくり返す瞬間が到来したのです。それが新自由主義であり、悪しき自体とも言えますが、財閥のそれまでの行動様式から考えれば、一段階、進化したものといえます。このような過程が、金大中・盧武鉉政権の時、さらに広げていえば、李明博政権の初期までのことで、皮肉にも保守政権になってまた退行したようです。特に最近のKスポーツ財団やミル財団の事態を見ると、命令の段階にまた戻ったのです。

整理すれば、韓国経済が、以前は独裁と官冶という状況で、その過程はいいものではありませんでしたが、結果的に企業を成長させてグローバル企業にまで育てたという、成長面で完結したような話をよくします。ですが、実はまだ完結していない状況で、退行を体験して没落しているという印象を私はずいぶんと受けます。一連の過程が2つの危機に圧縮されます。1つは「崔順実事態」が象徴するように、官冶と命令の構造がふたたび登場したということと、ギャラクシーノート7や現代自動車の問題にみられるように、曲がりなりにも堅実だったグローバル競争力が衰退しているということです。朴槿恵政権がさらに完全に市場主義的な状態で、財閥企業を独立的に作って任務を終わらせれば、韓国経済の一段階がとにかく整理され、その次の段階につながる基礎になり得たのですが、悲劇的に終わるようで残念です。

李日栄 いま、おっしゃったサムスン電子のエピソードが広がった頃、盧武鉉大統領が、権力が市場に移ったと言っていました。宋先生はどうお考えですか?

宋元根 市場が権力に移ったという話を、私は既存の政府の役割、ですから、李源宰さんの表現でいえば、官冶、財閥との癒着関係で政府の主導権が消えたという話として受け留めました。このような状況で、ならば政府がいかなる役割を果たすべきかという問題が、新たに提起されたのですが、李明博政権以降、企業親和、「ビジネスフレンドリー」を標榜して、規制緩和をして民営化するといったことは、政府が主導権を行使するよりは、企業活動を支援する程度の役割を果たそうとしたものだと思います。朴槿恵政権になって、以前のようにまた国家が何かを主導できるようになったかのように見えますが、実はそうではありません。政府が言う通りにやらなければ黙っておれないというから全経連が作られたように、韓国の保守というのは、実はつねに政府の影響によって動いていた勢力です。財閥の政治的な見解を、実際にきちんと代弁する政党がなかった面もあります。現在のセヌリ党を含む保守勢力は、反対勢力に北朝鮮追従であるというレッテルを貼るだけでも、政権を取ることができました。

政治権力は、また財閥の上位に立ったのか

李日栄 政府の主導権は弱くなりましたが、また政府の影響で資金を集めたとすれば、ミル財団、Kスポーツ財団のようなものは、政府が実際に市場から権力を回収して官冶したというよりは、単に路地裏で「巻き上げた」くらいに見るべきだというお話しのようです(笑)。

申鶴林 巻き上げるというには規模がかなり大きいと思います。また規模が、いずれにせよ、ただ金を巻き上げたのであれば、問題は単純でもありますが、今、これらは、国家経営システム全体を完全に食い物にしたわけで、問題ははるかに深刻です。国家、政府の役割の部分だけを見ても、役割を増やそうと減らそうと、市場に対する尊重がまったく存在しない状態です。政治権力と財閥権力の力学関係において、私は、その変曲点は、金泳三政権の時にあったと考えます。それ以前は、大統領に当選する瞬間は話題にしなくても、財閥が当選のご祝儀を、よくこう表現されていましたが、「トラック」で上納しました。政治資金法、選挙公営制のようなものが整備されていなかったために、財閥が、大統領を含めた政界に、天文学的な資金を巻き上げられました。政治権力が上位にあったわけです。ですが、金泳三大統領が就任すると、汚い金は一銭も受け取らないとして、任期初年度の8月にすぐ金融実名制を導入しました。そして関連法が整備される前に、すでに特有の政治力で公職者に財産を申告させました。政治もクリーンになるべきだとして、政治資金の頻繁なやりとりもやめさせました。財閥が政治権力者に常に莫大な資金を供与する必要がなくなったわけですが、それとともに、むしろ財閥が、政治家を小額で買収することが可能になりました。2002年に李会昌候補が出馬すると、すぐにまた「トラック上納」がありましたが。とにかく金泳三氏の主導で、政治家が目に見えない金の受け取りが困難になった制度や環境が整うと、財閥は、たとえばそれ以前は、1名に与える5000万ウォンを、今度は国会議員10人に500万ウォンずつ供与するわけです。そうすると、それらの議員は自分に500万ウォンをくれる企業がありがたいのです。それとともに財閥権力と政治権力の関係が逆転したというのが私の考えです。それをまた元に戻したのが朴槿恵大統領です。ただ、政治権力がふたたび優位に立ちはしましたが、経済的には何も生かすことができず、単に巻き上げるという最悪の状態になったんでしょう。「創造経済」をかかげながら、それとはもっとも遠い形を示したわけです。

宋元根 私はそのことをかならずしも逆転であるとは言いにくいと思います。独裁政権の時期にはある種の明らかな目標と指向がありました。もちろんそれを進めるやり方はかなり権威的で暴圧的でした。ですが、李明博・朴槿恵政権は、特別な政策的目標もなく、ただ自分の行政権や検察のようなものを前面に出して、本当に他の人々から巻き上げるようなものだったのです。大統領のことだけを語るのは限界がありますが、李明博が、市場のなかで自らの私益を徹底的に追求する大統領だとすれば、朴槿恵は、市場を、過去の父親の時期のような権威主義的統治で押さえ込もうとしたのだと思います。権力はすでに市場にあるわけですが。

申鶴林 私が申し上げたいのは、この政権が、国家利益と国民の福祉のために資する方向である種の政策を樹立し、それを財閥にも従えと言えるようになったのに、そうしなかったということです。李明博政権が法人税を安くしたために、国の財政がカラになったといいますが、私は、朴槿恵大統領が国民に示したイメージが、李明博と少し違っていたので、李明博がカラにした倉庫を、朴大統領が一杯にするのではないかという期待を、実際に少し持ちました。

宋元根 一杯にしたじゃないですか、タバコの値段を上げて(笑)。

申鶴林 タバコの値段もそうですし、交通違反の罰金も上げました。ですが、結局「李明(イミョン)博/朴(パク)槿恵(クネ)」政権とまとめて呼ばれたのは、経済政策の面でも変わっていないからです。ある経済学者は、李明博政権の5年間、200兆ウォンの倉庫がカラになったといいましたが、私はそこに100兆ウォンとか50兆ウォンを投入しただけでも、朴槿恵大統領の人気はぐっと上がっただろうと思います。

李源宰 私たちはよく、グローバル企業が最初は保護の中で成長し、ある瞬間からグローバル市場に進出して、競争力を持った市場主義者に変身すると考えますが、事実、その時点に、法人税の引下や規制緩和のような市場主義的な政策手段が新しく入るわけです。私は、韓国でもそれが試みられたと思います。前にも話しましたが、サムスン電子や現代自動車はそのような段階に移行している状態でした。私は、国家がより強いのか、財閥がより強いのか、という問題に分けて考えるよりは、50年間、韓国の主流の経済パラダイムが持っていた1つの系列が続いてきたという見方です。そのような意味で見れば、朴槿恵政権が市場主義的でない理由はありません。最近、明るみになった様々な事件を見ると、いまやそれさえも動揺しているのではないかと申し上げたんです。この状況で注視するのが、今日、サムスン電子の株主総会を通じて、イ・ジェヨンが登記役員になったことです(2016年10月27日)。これも象徴的な事件と言えます。過去の便法で、その多くの財産を作って株主の地位を獲得した人ですが、韓国社会がそれをみな忘れて、この人をグローバル企業の経営者として追認する形になったのです。ですから、さきほど申し上げた成長ストーリーが完成したともいえます。ただ、サムスン電子や現代自動車がすでに古い企業になっている時点でそうなったということが、このストーリーとしては不幸なことですが、私はとにかく、この空白を満たす代案がはやく出るべきですし、またこれまでとは完全に異なった方向から出るべきだと考えています。

李日栄 申代表が、金泳三政権の時が変曲点だったといいましたが、かなり共感できる部分があります。国内的に、国家による財閥からの大量略奪が中断されたという事実が、そのときあたりから対外的に形成されたグローバル化の中で、企業の競争条件が重要になると、国家も一定程度、性格の変化を図らざるを得なくなった現実とつながると思います。それとともに、私は、もう1つの変曲点として、2008年から2012年あたりに至るまで国際環境が変わったという点、つまり、グローバルプレーヤーになった韓国の企業が新しい標準を確立すべき状況になったわけですが、そのときに展望を見出せなかった状況について論じたいと思います。今、模索中であるとも考えられるでしょうが、これまで国家がかなり退行していることは明らかのように思えます。だからといって、朴槿恵政権が表面的に示したように、本当に70年代のやり方でできるかといえば、すでに外部的な環境がそのことを不可能にしています。結局、今、朴槿恵政権が直面している苦境は、戻ることができない道を無理に戻ろうとしたことから始まったのでないのかと思います。今になって考えるとちょっとあきれますが、朴大統領があまりにも強行的なスタイルで、それに野党が言いなりになっても、この政権が政局の主導力を失うことはありませんでした。このような状況がひっくり返されたのは、政権自らの内部から崩壊した側面があって、また他方ではマスコミの奮闘が大きな役割を果たしました。また、梨花女子大の学生たちの学内民主化のための闘争も重要だったと思います。従来の学生運動とは違うやり方で行くという自意識が見えました。数年前から感じていましたが、地域活動をする青年たちと会ってみると、自分たちのことを、いわゆる従来の進歩的な運動の先輩たちとは異なる存在であると考えているようです。まだ明確ではありませんが、既存の保守や進歩を一挙に古いものにして、また国家が過去のように作動していては、その力を発揮しにくい構造やシステムが作られているとも思います。

財閥にも「クラス」がある

申鶴林 システムのことををおっしゃいますが、私はこの政権を運用したり政策に影響を及ぼす人たちが、すべて既得権勢力、つまり大韓民国の金と権力と名誉をほとんど寡占・独占している人たちなので、朴槿恵政権がさらに何かをしようとしても、できなかった面があると解釈する方です。

宋元根 私はそれに加えて、朴槿恵政権が、規制でも容認でも、ある政策で財閥を誘導しにくかったのは、財閥間の格差の問題も大きく作用したと思います。30大財閥であれ10大財閥であれ、これらが共通性を持つ時は、互いに利害関係で1つになれましたし、そのようなことで政権との連合も可能でした。しかし、現在はまとまることが困難になりました。朴槿恵政権がどうして財閥規制をきちんとできなかったかを、このような面で少し譲歩していえば、サムスンを規制するために政策を展開する場合、他の財閥にはほとんど存廃の危機に直面するほどの強い規制になってしまいます。同じように、それより低い水準の規制では、サムスンのような最上位の財閥はすり抜けてしまいます。このような点にも注目する必要があります。

李日栄 財閥の中で格差がかなり生じ、様相が多様化したことも事実ですが、財閥というシステムは相変らず維持されています。そこにどのような要素が大きく作用しているとお考えですか。まず申鶴林代表が注目する血縁、姻戚関係などについて議論すると、どうなるでしょうか。

申鶴林 宋先生もおっしゃるように、現在、5位の財閥と30位の財閥では、その規模がほとんど天と地の差くらいあります。ですが、他の角度で見ることもできます。サムスン、新世界、CJ、ハンソルなどのグループは、他の見方をすれば、汎サムスングループとも言えるということです。サムスンは、創業者イ・ビョンチョル会長の三男のイ・ゴンヒ会長家族、ハンソルはイ・ビョンチョルの長女(イ・インヒ)家族、CJはイ・ビョンチョルの長男イ・メンヒ(長男がイ・ジェヒョン)家族、新世界はイ・ビョンチョルの五女イ・ミョンヒ(長男がチョン・ヨンジン)家族が、それぞれ所有・支配するグループです。このように分化しているんです。現代グループのチョン・ジュヨン会長の方もまたかなりの勢力になります。創業者チョン・ジュヨンの長男が早く他界したせいで、事実上、長男の役割をした次男チョン・モングの家族が現代・起亜自動車グループ、三男チョン・モングンの家族が現代百貨店グループ、四男チョン・モンウ(逝去)家族がB&Gスチール(旧・仁川製鉄)、五男チョン・モンホンの夫人ヒョン・ジョンウン会長の家族が現代グループ、六男チョン・モンジュンが現代重工業グループ、七男チョン・モンユン家族が現代海上火災、八男チョン・モンイル家族が現代企業金融を、それぞれ所有・支配しています。そのうえ、チョン・ジュヨン会長の兄弟家族が所有・支配しているグループが漢拏グループ(チョン・イニョン)、ソンウグループ(チョン・スンヨン)、韓国プレンジ工業(チョン・ジュヨンの妹婿キム・ヨンジュ家族)、現代産業開発(チョン・セヨン)、KCC(チョン・サンヨン)などです。このようにいくつかの「一族クラスター」が、大韓民国の経済で莫大な割合を占めます。ここで重要な点が、これらの企業集団は別個に経営されているものの、特殊関係者の範囲をどのように見るかによって、かなり異なる解釈が可能だということです。たとえば、今、斗山グループは、創業者の4世のパク・ジョンウォン氏が会長をしています。3世、4世が各系列会社、子会社を持っていて、そのうえ5世の10代、20代の親族が、また相当数の株式を保有しています。創業者の兄弟、孫をみな考えれば、すでに6親等、7親等にまで広がります。だとすれば、彼らを特殊関係者の範囲に入れることはできません。商法によって不当インサイダー取引を規制するべきですが、現在の法制度では阻止できないといいます。ですから、私は、資産規模が一定水準以上の企業集団群を、実質的に所有あるいは支配する場合には、特別法で特殊関係者の範囲を大幅に(8親等以上に)拡大すべきだと思います。そうしてはじめて不当インサイダー取引を基本的に遮断できます。

李日栄 普通、後発産業国の発展過程において企業を論じる時、最も重要な概念として家族企業集団のことを指摘します。先進国の場合、このような集団が分散して専門経営者体制へと移行しますが、韓国の場合、そのような過程がまったくふさがっているんです。ですから、グローバル体制が変動して、第四次産業革命の波が近づく今の現実において、かなり困難な状況に直面しそうです。この問題をどのように克服できるでしょうか。

支配構造の改善か業種規制か

宋元根 過去の財閥の核心戦略は、他の会社、他の系列会社から支援を受けて、タコ足式に拡張することでしたが、その後、収益極大化戦略に移ると、持っているものを活用して、倹約するように富を吸い取る構造の整備が重要になりました。そこで、各種の系列社取引やインサイダー取引のようなものがかなり活用されています。グローバル経営、株主価値経営をするといいながら、過去のように業績の悪い系列社を支援するといえば、株主がじっとしていません。ですが、財閥の2世、3世が、大株主の系列会社が系列社内だけの取引で利益を得れば、その会社の株主もいいことだと考えます。そこで一種の連合のようなのが形成されたりもします。申代表がおっしゃるように、より大きな枠組での集団を維持して、そのなかで既得権をきちんと保全することが、彼らの立場ではもちろん基本的には重要でしょう。ですが、同じ財閥のなかでも、兄弟間で財産や経営権をめぐって争う姿を、私たちはかなり多く見ていて、また、上位の財閥の間でも利害関係がかなり異なります。ですから、何かをしようといっても簡単に同意が成立しません。全経連のような場合も、いつからか会長職を互いに押し付けたり、様々な懸案で摩擦音が生じるようになった理由も、このようなことの傍証だと思います。ただ、今回のミル財団の事態は、他の財閥が資金を出したり、ワンショット法(企業活力向上のための特別法)のように、自らに有利な法を作ろうとする同一の利害関係があり、政府の「保険」に入るという計算もあったでしょう。とにかく、私が注目するのは、財閥が利害関係によって合従連衡するという事実です。イ・ジェヨンの支配力拡大のために、サムスンの防衛産業分野の系列会社をハンファが引き受けました。サムスンとロッテとの間の化学系列会社の売却がそうですし、サムスン物産が自社株をKCCに譲渡して第一物産と合併する過程で、KCCがサムスンの肩代わりをしたのもそうです。そのような形で利害関係によって動くということです。財閥間の関係が過去とはかなり変わったわけですが、問題は、個別集団でそのような総帥支配をどう解決するのかということです。この点で依然として政府が重要です。具体的に、私は、製造業だけでなく、金融系列会社を含めて、これらに対して系列分離命令が必要だと思います。その前に循環出資から禁止するべきです。そのようなことがあってはじめて、中小企業、下請企業との関係もそうですし、産業構造も変えられると思います。今は、イ・ジェヨンがいつでも市場の規則を変更できる位置にいます。政府は何も言えません。2014年に食品医薬品安全庁が、サムスンのギャラクシーギアを医療機器ではないといって規則を変えてしまったのが、きわめて象徴的な出来事だったと思います。心拍数を測定できる機器ですが、医療機器と指定されればいろいろ複雑になって、携帯電話の代理店で売ることも難しくなります。サムスンのロビーで市場規則が変わったという疑惑が濃厚ですが、とにかくこれを利用して、サムスンは、過去に成功的ではなかったイ・ジェヨンの経営能力を検証しようとしたんでしょう。結局、政府が確固たる意志を持ってはじめて、行政官僚の間でもこのようなことを阻止できる端緒ができるのではないかと思います。

李日栄 依然として政府が重要だというお話しです。政府が望ましい規則を制定できる方向で作動するように、社会が後押しすべきですが、さきほど申代表は、90年代以降、財閥の力が、異なる勢力を、それぞれ別個に撃破できるようになった状況だとおっしゃいました。

申鶴林 ええ、抱き込むんです。政治家もそうですが、法曹界もそうなんです。これは検察側から聞いた話ですが、検事は各自、ある時点で進学班、就職班に分かれるそうです。進学班は昇進する人たちで、就職班は法律事務所や大企業の専属弁護士になる人たちです。このような状況で、特定の財閥がかかわった事件が入ってくれば、就職を考える検事たちは計算するでしょう。関連する金額が莫大なこのような事件を大目に見れば、財閥の会長にそのことが報告されます。うまく収拾すれば、後で実際に就職できます。このような雰囲気が、検察だけでなく、韓国の政策を左右する高位官僚の間にかなり広まっています。

李日栄 盧武鉉政権のときに出た話ですが、様々な制度を変える時、サムスンのための条項は誰かが教えなければ見つからないように、どこか遠くに埋めてくるといいます。キム・ヨンチョル弁護士の暴露によると、あれこれやりとりされる取引が、1件あたり1億ウォンだという話もあります。

申鶴林 特にサムスンの場合、政界、政治家、経済部署をはじめとする政府高位職、金融監督院、検察、警察、国税庁などをすべていつも管理しているといいます。だとすれば、このような管理はサムスンだけの問題でしょうか? そのようなシステムが事実上、国家や政府政策の立案から施行まで、様々な段階で作動する、それが危険な水準であると私は考えます。

李源宰 さきほど宋先生がおっしゃったように、財閥の間にも差が大きいので、サムスンの支配構造の問題解決のように、ある特定の財閥改革の政策を進めるのは、効果が曖昧な面もあります。ですから、私は逆説的に、いまや支配構造を中心に財閥問題を論じることは、もしかしたら時効になった面があるのではないかと思います。ならば、どこに集中するべきかというと、私は業種規制がきわめて重要になったと思います。たとえば、半導体を作る大企業が、半導体を売って利潤を多く残すこと自体には、ひとまず問題がありません。そこでトリクルダウン効果(利益波及)が見られないとしてもです。この企業で労働問題が大きくなれば、それは労働政策として解決するものであり、この企業が成長しても雇用がおろそかならば、それもやはり福祉次元で接近することであって、財閥対策で解決することではありません。今の構造でさらに大きな問題は、半導体を売って稼いだ分の一部で、たとえばパン屋を開いて、既にパン屋をしていた人々の商売がうまくいかなくなる状況です。このようなことは、財閥が支配構造を守るために官僚を買収したりする問題とは異なるレベルだと思います。そのような面で、業種規制、たとえばグローバル企業と内需ローカル企業の間に、どのような壁を作って産業を配分するのか、ということなどが重要です。また、金融関連の対策も必要です。金融圏でグローバル大企業への資金提供に使われる資本を、どのようにすれば新たに創業した企業や自営業者に支援できるかを考えるべきです。この2つが、今、最も重要な政策だと思います。

申鶴林 重要な指摘です。業種規制、別の表現をすれば、業種専門化はすでにやっていなければならないことで、さらに遅れれば内需にもかなり悪影響を与えるでしょう。韓国に今、路地商業圏というものがありません。コンビニを例にあげれば、CJのCU、ロッテのセブンイレブンとBuy the way、GSのGS25、このように3つの財閥が持っている4つのチェーンが、全体のコンビニ店舗の80%を占めます。実はすでにCUはホン・ソッキョン兄弟の所有です。こちらも他の見方をすれば、汎サムスン家族ですが、さきほど申し上げたことと関連づけるなら、ホン・ソッキョン兄弟が所有・支配している中央日報社と普光グループも、はじめから総資産が2兆ウォンを超える企業集団群に属していました。そうするうちに、企業集団群に対する総資産基準を高める風潮に陥ったのでしょう。依然として事実上の企業集団群、つまり財閥と変わりありません。系列会社が100を超えます。そのうえ、新世界百貨店のemartがWith♥Meでコンビニ市場に参入してきました。このような形で、財閥が路地商業圏に何の制限もなく参入することを放置したまま、どうして内需を語ることができるでしょうか。

宋元根 私もお話しに同感ですが、財閥の支配構造の改善は、依然として第一の課題です。財閥3世、4世にすでに富が分配されています。統計を見ると、彼らのうち役員として登記されている比率は6%余りにしかなりません。登記せずに責任を取らず、収益は極大化しようというわけですから、パン屋のように簡単に開業できる分野に行こうとするわけです。R&D(研究開発)に努力してリスクを引き受けながら進出するやり方ではありません。以前は、たとえばイ・ビョンチョル会長が家族に分けた系列会社の業種が似ていれば、総帥として調整したりもしましたが、最近はサムスンだけでなく、すべてのグループで3世、4世が、受け継いだ系列会社の事業も調整できなくなっているという話です。ならばどう直接規制するかが重要な課題です。一次的には責任経営のように市場を通じて規律することが必要で、その次に、過ちを犯せば政府が罰を与える役割を果たすべきです。このような役割まで放棄して今日に至っているわけですが、今となっては最初から誰も規制できないのではないかと考えているのが実情でしょう。地域を見ると、すでに財閥企業が商業圏をみな掌握しています。このような構造を変えるべきです。支配構造を透明にするというレベルで導入された持株会社制度が、むしろ総帥の合法的な支配を保障し黙認する機能を果たしています。あらためて強調しますが、総帥の支配力を牽制しようとするならば、循環出資禁止を強化して、系列分離命令制や企業分割命令制を導入する手段を使うべきだと思います。

彼らは「都合のいい存在」ではない

李日栄 李源宰さんは競争にも区画を作るべきだ、だから路地に大企業は参入できないようにする政策が必要なことを強調され、申代表も似たような立場です。反面、宋先生は少ない持分で領域を拡大していくメカニズムについて問題を提起し、それに対応する政策を強調されました。強調する点は少し違いますが、共通して財閥牽制に対する政府の役割について指摘され、これまで保守政権の下で、政策が過度に財閥フレンドリーに偏ったという話が多かったようです。李明博政権の法人税引下措置が代表的に議論される措置のようです。崔順実の事態を見ると、財閥も陰の実力者(政治権力)の前に「都合のいい存在」だったという雰囲気がありますが、かならずしも「都合のいい存在」の立場だけでなく、そのような上納を通じて、相当な恩恵を受けた面もあるだろうと思います。今回、公開されたKスポーツ財団の会議録では、寄付金と税金を交換するような話も出てきます。税金は国家が握る権力であり政策手段ですが、このようなことをどうお考えですか。

申鶴林 世の中にはタダの昼食はありません。今回、崔順実の家族に便宜を供与した財閥には、反対給付があったり、あるいは財閥が今回提供した金よりも何十倍以上の利益が戻ってきただろうと思います。かなりの情況が見られます。

李源宰 企業は徹底して利益を追求して動きます。権力が威嚇しても、利益にならなければ動かなかったでしょう。むしろ権力から要求を受けるたびに、その要求を受け入れることによって、その後に得られるであろう利益を積極的に計算し判断して、意志決定をおこなった可能性が高いと思います。事実、これは過去の開発時代にも同様でした。当時の初期の財閥は、工場の建設位置を指示されるほど、政府に従属しているように見えましたが、結果的により大きな利益を得られるだろうと判断したので、そのような従属的地位を積極的に受け入れて活用したんです。これが政経癒着の本質です。サムスンを見ても、国民年金の買収・合併関連の投票、労働改革の議題など、企業の支配構造を直接揺るがし得る政策イシューに直面していました。ロッテのように捜査を受けた財閥は言うまでもないでしょう。

宋元根 租税政策は政府の重要な役割です。どのようにきちんと運営するかによってかなり変化があると思います。たとえば、法人税を引き上げるべきといいますが、単純に接近せずに、細かく差別化された政策をおこなうべきです。今、法人税率は地方税を含めて24.2%程度ですが、サムスン電子や現代自動車のような大企業の実効法人税率は16~17%くらいにしかなりません。李明博政権の時はこれよりさらに低かったんです。あちこちで免税にして税率を上げても特に効果はないんです。系列社取引で収益を多く出した法人にはさらに高い法人税率を適用したり、ロバート・ライシュ(Robert Reich)が『資本主義を救え』(韓国語版はキムヨンサ、2016)で提示したように、CEOと一般労働者の間で給与差が大きな企業、下請企業や非正規職労働者を多く雇用する企業に対して、高い税率を適用する方案など、参考にするだけのことはあります。こういうことは政府が大きく決意することなく実施できる政策ではないかと思います。

李日栄 そのように、政府が財閥に対してきちんと役割を果たそうとするなら、政府を取り囲む勢力が、環境を作って圧力を加えるべきです。権力と財閥、法曹界と財閥の癒着に対する議論が多いようですが、マスコミ側はどうなのでしょうか?

申鶴林 この問題に関する限り、マスコミが作動しないということは断固として申し上げられます。SNSの領域の可能性がありますが、伝統的な概念のマスコミは完全に死にました。ハンギョレ、京郷新聞のことをあげる人がいるかもしれません。しかし、ここも広告主サムスンからすべて自由ではありません。ひとまず新聞企業の場合、韓国では新聞をあまり読みません。新聞発行部数が20年前と比べて3分の1に減りました。それとともにすべての新聞社にとって生存が至上課題になりました。ですから、広告に一層依存するしかありません。日本の朝日新聞の場合、購読料収入と広告収入が50対50です。韓国は5対95です。どの新聞社も例外はありません。そして広告自体だけを見ても、以前は「フリーマーケット」や「尋ね人」のような小さな広告の比重がかなりでしたが、今は最大広告主がいくつか残っているだけといっても過言ではありません。電子・IT、自動車、アパート・商店分譲、これに教育市場の広告が若干です。結局、これらの業種の財閥が実質的に韓国の新聞社の経営を握っているんです。ですから、記者がみずから自己検閲するんです。放送の場合もさほど大差はありません。国が権限を持つ地上波は論外としても、ケーブルテレビから綜合編成チャンネルまで、数百もチャンネルがありますから。

李日栄 ですから、確実に財閥が抱え込んでいるというよりは、マスコミ産業の基盤崩壊が決定的だと思います。「メディアトゥデイ」の予算は充分かどうかわかりません(笑)。

財閥を越える対抗力、どこに見出すべきか

 

李日栄 お話しを聞いていると、結局、政治の問題を考えることになります。海外の場合を見てみると、クルッグマン(P. Krugman)のような人も、とにかく問題は政治であるといいます。ライシュは「対抗力」と表現しましたが、アメリカで企業の支配構造が分散して、専門的な形態で企業が発展する方向に基本制度が形成されたのも、そのような対抗力を持った反独占勢力が政治的に存在したことが大きな基盤になりました。セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の時代もそうですし、その後のニューディール政策もそうで、アメリカで進歩の時代を切り開いたのが、そのような力でした。最近の主流に対する怒りや、いわゆるトランプ(D. Trump)現象のようなものは、それが崩壊した結果ですけれど。アメリカだけでなくドイツの場合には労働勢力がいて、経営参加、労使共同決定制度のようなものを作り出しました。日本は、自主的な力ではありませんでしたが、米軍政が戦後の占領期に財閥を解体させました。結局、ならば私たちも、何か対抗力を整えてはじめて新たな流れを作っていけるだろうということです。まとめの発言を兼ねて、そのようなものをどこに見出すべきか、重要と考えられている点をついてご指摘頂ければと思います。

李源宰 3つのことを申し上げたいと思います。第一に、個人の権利を取り戻すやり方が重要です。私たちが財閥大企業に対する対策を論じる時、普通、労働組合が重要であったり、経営陣への牽制を強化したりというやり方にかなり言及しますが、今の状況では、情報に対して接近する権利を、消費者や投資家個人の方に強力に与える方案がぜひとも必要です。たとえばオクシー事件(加湿器殺菌剤事件)のようなものが広がると、消費者が企業に情報を要請し、それを受け取れるようにすべきです。もちろん、それで終わってはならず、個人が民事的に対応できる力が足りないので、一緒にできるように集団訴訟制を導入するべきです。このような形で個人の権利を強化する方案を、財閥大企業に対する対抗力として深刻に考慮する必要があります。青年や非正規職のように集団的に何かをすることが難しい人たちには、なおさらこのような方式が大きな力になり得るでしょう。個人主義的な情緒にもよく合います。第二に、すでにプレーヤーとしての地位を占めた大企業に比べて、はるかに脆弱な状態にある経済行為者たちがいるでしょう。協同組合とか、また創業したばかりのベンチャー企業、社会的企業のようにです。このようなところは支援が必要ですが、私はそれを、投資で行なうのがいいと考えます。過去に中小企業銀行や産業銀行があったように、社会投資をする国策銀行を作る形で、大々的に投資ができるシステムを作ろうということです。ソウル市では「社会投資基金」という名で試みたりしていますけれど。銀行が、社会的に意味ある成果を出すことに対して、投資も貸出もするムードが今はほとんどありません。金融監督の基準を別におこなう制度で投資を引き出す必要もあります。最後に福祉の面ですが、青年手当や基本所得のように所得を作ってやる福祉もあり得ますし、無償医療や無償教育のように費用を減らす福祉もあります。投資が積極的な意味ならば、福祉はどちらかというと消極的な意味ではありますが、個人が既存の構造に抱え込まれずに、対抗する力を与えることができます。

申鶴林 私はまず地方自治を重要だと考えます。李明博・朴槿恵政権が福祉予算をかなり削減しました。さらに老人ホームの暖房費の支援予算まで削りました。反面、進歩的な地方自治体の首長は、青年手当制度のように中央政府とは異なった政策を導入しています。人々の生活が窮乏するので、地域で小さな共同体もでき、村落企業もできていますが、このような動きは度外視したまま、地方自治体が何かやろうとすると中央で牽制するといった具合でしょう。実は政府がやっていることのなかで、各種の許認可事項から福祉やサービスなどに至るまで、約80%は地方自治体が提供しており、中央政府は20%しかしていませんが、予算は中央政府が80%を握っていて、地方自治体は20%程度しか使えません。それも中央政府が地方自治体に支援する地方交付税でもてあそび、地方自治体を事実上隷属させている実情です。ですから、大部分の地方自治体が、中央政府が指示する通りやるしかありません。内需市場をはじめとして、大韓民国が経済的に突破口を準備しようとするならば、いまや地方自治制度を名実相伴うようにするべきだと考えます。もう一つ重要なのは人の問題です。まず韓国の官僚の腐敗は非常に深刻な状況です。高位公職者が権力を私有化しています。私はこれが韓国社会で最も危険な部分だと思います。そして私も「メディアトゥディ」代表理事ですが、大韓民国でこれまで労働と労働者という要素が、本来の位置、適正価格を認められたことがないと思います。韓国社会が支払うべき機会費用の多くの部分、今、続いている鉄道ストライキもそうですが、このような事態の相当部分が、労働を本来の位置で考えず、誤った政策で引き起こされています。経済が跳躍するためにも、労働と労働者がきちんと待遇を受けるべきという点を強調したいと思います。このような最も基本的な事柄から、韓国社会が点検するべきだということです。財閥が投資や生産性向上よりは、雇用柔軟性や非正規職転換、下請企業化などで人件費を減らし、労働者が犠牲にすることを前提に利潤を極大化する方向で、政治経済のシステムが作動してきたわけです。

宋元根 財閥を越えた対抗力を語る前に、まず前提にすべきものとして、「公的」という概念に対する認識がさらに明らかに確立され、拡大するべきという点をあげたいと思います。株式会社はきわめて公的な存在です。公的というのは、責任をともに負うという意味です。現在の財閥企業が形成されたのは、財閥の総師とその一家の専横や無責任を、私たちが黙認した結果です。私も李源宰さんのおっしゃる個人の権利をさらに育てようという主張に同意しますが、個人が力を持てば、すぐに公的権力が生じるわけではないと思います。アメリカを見ると、消費者の権力が大きくなると、他方ではウォルマートのような流通権力も肥大化しました。消費者主権が成立したからといって、市民権が生き返るわけではないということでしょう。個人の権利から一歩進んで市民権の概念が確立されるには、もうひとつの公論の場が必要です。基本所得や青年配当のようなものを議論し施行することも意味ある試みだと思います。このような公論の試みを政界で受け入れるべきですが、既成政党でそれができなくなっています。アメリカでも、民主党も共和党も、ともにそのような要求を受け入れられないので、大統領選挙を行うべきアメリカの有権者が、現在、相当に「どうすべきかわからない」状態にあると私は思います。私たちも似ています。このような側面で、いろいろと問題がありますが、組織された労働の役割が重要だと思います。特に財閥集団に対する対抗力として、グループ共同決定制度や、中小企業間の談合をある程度認める制度などが必要です。最後に、対抗力を形成するには、財閥が支配しているともいえる金融権力をどのように統制するかも重要だと思います。以前は、個人が出した顧客資産を、なぜ財閥が系列会社の拡張に使うのかという点が主として問題でしたが、今は、金融産業自体が途方もなく発展し、対抗勢力の経済力の形成がますます難しくなるというのが、さらに問題点として台頭していると思います。金融業全体を、事実、財閥の系列会社のいくつかが掌握しているので、対応がさらに難しくなる構造に向かっています。特に、サムスン生命の資産だけをみても、全体の保険資産の4分の1程度になっており、サムスンの系列会社から受けた、系列者内取引で集めた退職年金の規模もかなり大きいようです。さきほど、金融資本と産業資本の分離の話が出なかったので、ここで強調したいと思います。また、社会的な経済領域の活性化のための金融支援も重要であると思います。ソウル市や城南市のようなところで、税金を節約して財源を用意するといいますが、そのためにはさきほど李源宰さんがおっしゃった、社会投資が可能な銀行があったらいいと思います。アメリカ・ノースダコタ州のパブリックバンクのようなものを検討すべきだということですが、政府が持分をすべて持っていて、地域に投資し、雇用も増やす、というような銀行の事例が韓国でも報道されました。そのようなことをするためには、金融産業が独占化されている今の構造を打破すべきだということです。

李日栄 共通する点はありますが、強調する点が微妙に異なる部分もあります。3名の方のお話しのうち、私の耳に入ってくる対抗力のキーワードは「個人」「地方」「公共」です。このキーワードは互いに対立するものではないと思います。私なりに整理すれば、現在は略奪のシステムが作動していますが、これを均衡的なシステムに切り替えるべき課題があるといえるでしょう。略奪のシステムは甲乙関係を作り、地代と利権を受け取りますが、ここで財閥が大きな役割を果たします。甲乙関係、地代受取の関係、略奪関係から自由になるためには、均衡を合わせようとする対抗力が必要ですが、その対抗力を持つことができる領域が、先生たちがおっしゃられた、個人、地方、政府や政党などになるでしょう。ですが、このような対抗力がきちんと力を行使するためには支援が必要でしょう。私はそれが公的資産であると考えます。これを、どのように、どれくらい確保できるかが重要です。中小企業であれ零細企業であれ、中央政府であれ地方自治体であれ、福祉であれ基本所得であれ、公的資産があってはじめてバランスのとれた投資が可能です。この公的資産には、物的財源はもちろん、倫理や道徳的資産も含まれると思います。今日は、3名の先生と対話しながら、様々なアイデアを整理する契機になりました。長時間ありがとうございました。(2016年10月27日/創批・西橋ビル)

(翻訳: 渡辺直紀)

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〔対話〕保守的社会団体、どう動くか

2016年 秋号(通卷173号)

〔対話〕韓国の「保守勢力」を診断する(3)
保守的社会団体、どう動くか

李娜美(イ・ナミ)韓瑞大東洋古典研究所研究委員、漢陽大第3セクター研究所研究教授。著書に『韓国自由主義の起源』『韓国の保守と守旧』『理念と虐殺』など。
鄭鉉坤(チョン・ヒョンゴン)細橋研究所専任研究員、市民社会団体連帯会議政策委員長。共著に『天安艦を問う』。
鄭桓奉(チョン・ファンボン)『ハンギョレ21』記者。2013年「国家情報院大統領選挙世論操作および政治工作事件連続報道」で韓国記者賞大賞受賞.
藤井たけし歴史問題研究所研究員。著書に『ファシズムと第三世界主義のあいだで』、訳書に『翻訳と主体』(酒井直樹)など。

鄭鉉坤(司会) 『創作と批評』50周年記念の連続企画「韓国の保守勢力を診断する」の3回目のテーマは「保守市民運動と政府系団体」です。1987年の市民抗争の結果として民主体制が開かれて30年になりますが、社会が退行しているという不安感が依然として大きいと思います。特に2008年の李明博政権スタート以降、それは顕著に目立っているようです。格差拡大がますます激しくなる状況の中で、民主的ガバナンスを弱める抑圧的な地形が形成されました。韓国の保守がこのような抑圧体制の強化に一役買いました。近来になって一角で守旧勢力の「漸進クーデター」を警告したほどです(イ・ナムジュ「歴史クーデターでなく新種のクーデターの局面だ」『創作と批評』2015年冬号「巻頭言」)。4・13総選挙以降、徐々に社会の退行を推し進めるこの構造について、振り返って考える余裕が少しできたと思います。よって今号の「対話」では、韓国社会の保守運動の歴史と現在について研究・取材活動をしてこられた、3人の方を迎えて話し合ってみようと思います。まず、今年大きく話題になった「親(オボイ)連合」 1の問題を振り返ることから始めようかと思います。簡単な自己紹介とともにお話しをお聞かせ下さい。

李娜美 私は現在、韓瑞大東洋古典研究所で共和主義の韓国的起源について研究していて、また漢陽大第3セクター研究所が進める「韓国市民社会史」叢書の発刊作業に参加していますが、そのうち解放後から1960年までの韓国の市民社会について、研究と執筆を担当しています。おっしゃられた「漸進クーデター」は本当に格好の表現です。今、韓国社会は正常な状態ではありませんから。ですが、過去に政府系団体など保守団体が猛威をふるったのは、たいてい李承晩、朴正煕など独裁政権の時で、正当性の面で脆弱な政権の時でした。これは政権が国民の支持を失って正常な国政運営が難しい時、右翼団体や政府系団体を作ってそこに依存したことを意味します。最近、国家情報院が「親連合」を支援したという情況が出てきて話題になりましたが、やはり政権が正当性を失って、自らの力だけでは政治をうまくやっていけないということを示した出来事だと思います。

藤井たけし(以下「藤井」) 私は韓国現代史を勉強していて主にファシストを研究しました。李範奭を中心にした「族青系」 2を研究しながら、私が知ることになったのは、50年代中盤にファシズムの歴史的な流れが切れるということでした。よく朴正熙体制をファシズムと規定しますが、私は60年代以降の政府系団体は、ファシズムの流れとは異なると思います。ファシズムは保守主義とは明確に違っていて、ある意味で革命的な性格もあるからです。そうした点で既存の政府系団体の性格と異なる「親連合」の登場は、新しい事態だと思います。60~70年代、政府系団体が利権を媒介に上から組織された、いわば公式の政府系団体だったとすれば、「親連合」は下から生じた非公式の政府系団体です。最近の状況も、私は漸進クーデターの局面とは考えません。保守勢力や既得権層が社会を掌握しているとは思いません。誰かが勝っているのではなく、韓国社会全体が壊れているのです。もしかしたら朴槿恵という人物の象徴的効果で、かろうじて縫合されているのであって、この政権が終われば彼らもどうなるか……セヌリ党にも未来の展望のようなものがないでしょう。そのように社会が壊れていく兆候の1つが「親連合」の出現ではないかと思います。

鄭桓奉 私は国家情報院コメント事件 3を中心に取材してきて、最近も「親連合」関連の取材をしました。保守・政府系団体の歴史性よりは、最近の状況について主に申し上げるのが自分の役割かと思います。2000年代中盤以降、抵抗すべき目標を失った既存の保守集団が市民団体を作り始め、その後、似たような団体が数多く出てきました。「親連合」も2006年に設立されました。私は「親連合」が経た一連の過程が、権力と密接に関連した保守団体の明滅の過程をそのまま示していると思います。以降、どのように保守運動を切り開くかによって、保守団体の未来も変わりそうです。事実、力が強力な時は恥部があまり出てきません。「親連合」が今このように社会問題化したのも「うまくいっている時」にはあり得なかったことが重なった結果です。彼らの権力を維持した政権や国家権力がきちんと作動していないという傍証です。

鄭鉉坤 「親連合」の事態が新しい流れとして形成され、限界に直面した保守運動の循環周期を示すという鄭桓奉さんの指摘は興味深いです。彼らは何の名分なくとも、あのように騒然と無法状態だった時期が長かったという点を想起するならば、これまで政治権力だけでなく、さまざまな社会的権力が関連する一種の漸進的なクーデターの試みが進んだという指摘が出てくるでしょう。保守のロールバック(roll back)ともいえる彼らの動きについて、もう少し具体的に見てみようかと思います。

 

保守の政府系団体が街頭に出た背景

鄭桓奉 政府系団体は、あえて戦う理由も、自ら積極的に出てくる必要もない組織でした。軍部独裁の時期を見ても、政府が主張する反共・発展イデオロギーを民間次元で伝える役割を果たしてきました。ある意味で政権の下位パートナーだったんです。特に攻撃対象があったわけではなく、単に北朝鮮が悪いという主張を繰り返すだけで充分でした。そのような状況が、政権が変わり金大中の「国民政府」となって、韓国自由総連盟(以下「自由総連盟」)のようなところでも、自らのしたい話を充分にできない状況になったんです。2001年に「国民行動本部」という団体が設立され、2003年にはキリスト教組織が加勢した「反核反金国民協議会」(反金=反・金正日)が組織されました。その後、自由主義連帯やさまざまなニューライト組織も登場しました。反共・発展イデオロギーを説いてきた旧保守団体と、新自由主義イデオロギーを牽引してきたニューライト、この2種の団体が権力の空白期に独自に活動するために陣営を形成したのです。政府系団体やその他の保守勢力が市民社会に流れてきたと見ることもできます。いずれにせよ、国家の支援でなく、会費や後援金で運営される組織ができたということが、形式的にも質的にもかなりの違いだと思います。「アスファルト右派」という言葉が出始めたのもこのころです。煽動家たちが出てきて、李明博政権になってからはそのうちの一部が政界に進出したりもしました。国家情報院が保守団体に一定の役割をしはじめたのは、この時期からだというのが私の考えです。取材過程で知った事実ですが、自由主義進歩連合というニューライト保守団体が出す新聞広告の文案は、国家情報院の職員が作りました。無償給食に反対する内容などでしたが、このようなことが多かったと思います。そのように保守団体が力を得てきて、最近はかなり非難を受け、大統領選挙の世論操作事件などが明るみになって、支援も相当部分打ち切られたようです。それとともに大小の葛藤が保守団体の内部で爆発しています。金大中・盧武鉉政権の時に胎動した団体の没落を示す事例ではないかと思います。

鄭鉉坤 お話しを聞くと、権力に対する「従属性」という話題が提起できそうです。既存の政府系団体は権力に従属していますので、何かを企画したり、自らの目的によって動く必要がありませんでしたが、民主政権になって変わった社会の雰囲気のなかで、自らを1つの社会運動として再確立する過程を経ました。しかしその後、権力と新たに結合しながら、また従属性が強化されました。それとともに、いまや市民社会のなかで自らのアイデンティティさえ喪失する過程を経ているということでしょう。

李娜美 以前に比べて、政府系団体に自発性という要素が生じたようです。一方で忠誠競争をする感じもあります。生計型の保守運動もあると思います。充分な資金のない状態であらゆる保守団体が乱立しているからです。最近の保守団体には過去と異なる面がいくつかあります。まず市民団体を模倣しているという点です。自発性が高まったという意味ですが、集まってスローガンを叫んだりピケを張ったりします。もう1つは年齢層が高いという点です。過去の極右集団を見ると、李承晩政権の時には西北青年会や大韓青年団が代表的でしたし、朴正熙政権の時のセマウル運動(農村改良運動)などにも、主に青年たちが出ていました。今はそれに比べて構成員の年齢がかなり上です。また団体名称が「親連合」や「母親部隊」など、生活密着型に変わりました。外部の人でもなく、おかしな人でもない、普通の人だということを強調したいようです。国家との関連性があまりなさそうに見える名称です。

藤井 民主化以降にそのような現象が見られるということが重要です。新しい保守運動団体が主に出現したのは盧武鉉政権の時ですが、私は当時、ニューライトに関心がかなりあり、そちらの集いに出たりもしました。行くと彼らの危機意識にはすごいものがありました。在野勢力になってしまったという部分で受ける喪失感が大きく、それゆえにそれなりの反省をしたんでしょう。ですが、ニューライトは基本的にエリート集団だったという点で、「親連合」のような団体とは明確に区別するべきです。ここで新自由主義に注目する必要があって、ニューライトが新自由主義を信奉する集団なのに対して、「親連合」に入って活動する貧困層の老人たちは新自由主義の犠牲者です。実際にニューライトの登場と「親連合」の登場の間には時差があって、ある意味で新自由主義が保守勢力のなかでも格差拡大を促進したわけです。いまや「保守」という言葉で彼らをまとめて呼ぶこと自体が現実に合っていません。事実、日本にも似た現象が出現しました。2007年に発足した「在特会」(在日特権を許さない市民の会)ですが、過去に日本の右翼は「天皇万歳」を叫んで軍歌をかけて街宣するだけでしたが、在特会は市民運動のように出てきました。彼らは「親連合」がそうしたように、道端で喧嘩をしながら影響力を拡大しました。過去とは大きく異なる様相の保守運動が下から登場したわけですが、日本と韓国で同様に登場したこれらの運動の背景には新自由主義という共通点があります。崩壊した社会で捨てられた人々が「本来、自分より下にいるべき人々」、あるいは「社会から排除されるべきだった勢力」を攻撃するのです。それが日本では在日外国人(と見なされた人たち)に対する攻撃で、韓国では左派や「アカ」(というレッテルをつけられた人々)に対する攻撃として出てきたんでしょう。

鄭鉉坤 すでに国家の保護を受けていた政府系団体が捨てられて、一種の生存戦略の次元で運動を展開しているという話にも聞こえてきます。

藤井 そのように見ることもできるでしょうが、政府系団体の活動で生活している人々が看板だけを変えて運動しているようなことはありません。もう少し具体的に調べるべきでしょう。また李娜美先生が、年齢層が高いと指摘されたこととも関連がありますが、世代の問題も重要だと思います。60~70年代の文化の中で生きてきた人々の疎外感が、「親連合」のような形で出てきたとも考えられるということでしょう。軍事独裁の時期に正しいと学んだ通りに生きてきたのに、民主化したからといって、それまで学んだ習慣をすぐに変えられるでしょうか。彼らは民主的な待遇を受けたことがないので、非民主的な形態を示しているのですが、そのような人々にとって「民主化」とは何なのか、いま一度考えてみる必要もあると思います。

鄭鉉坤 保守運動が最も劇的に増えたのが2003~2004年です。2003年の三・一独立運動記念日に安保団体が「反核反金自由統一国民大会」に結集しました。保守キリスト教系も1月から禁食祈禱会のような行事を行いながら集結し始めました。そうするうちにその年の朝鮮戦争の記念行事のとき、双方が「韓米同盟強化」というスローガンで出会いました。当時、集会規模が10万人を超えました。2004年には国家保安法がイシューになり、やはり10万人規模の集会が開かれました。ニューライト運動も2004年11月に自由主義連帯を皮切りに公開運動に切り替わりました。このように、この時期にこのような動きが爆発的に増えた理由は何でしょうか?

李娜美 そのときは金大中政権から盧武鉉大統領にバトンが渡された時点でしょう。歴史的に保守言説が登場したのは1987年の民主化抗争以降です。金泳三政権の時から危機意識を感じた一部の保守的知識人が保守言説を作り、金大中政権の末期になって活動として出てくることになります。南北関係の変化、特に南北首脳会談が契機でした。韓国社会の主流の立場では、統一してしまえば体制変化が起きますし、そうなると自分たちが享受してきた特権を引き続き享受できるか不安だったんでしょう。予想とは異なって、朝鮮戦争を経験した世代は、北朝鮮に対して「虐殺」や「戦争」イメージよりは、本能的に「平等分配」や「所有権なし」の方を想起します。ですから、彼らにとって南北首脳会談は危機でしたが、そのような状況で政権が変わらずに盧武鉉政権になって、より一層絶望したんでしょう。盧武鉉政権になった2003年の3月、6月、8月はものすごいものがありました。教会から人を動員して企業から金を出すような感じでした。サムスンが1億ウォン、全経連(全国経済人連合会)が4千万ウォン、大韓商工会議所が3千万ウォン……公式・非公式組織がみな動員されて大規模な保守集会を支援したわけです。

藤井 盧武鉉政権の誕生が彼らにとってかなり大きな衝撃であったことは確かなようです。保守の立場で金大中政権までは認めることもできました。「3金」(金大中・金泳三・金鍾泌)という言葉もあるように金大中は大物だったからです。ですが、盧武鉉は彼らが見ても「見たことも聞いたこともない、どこかの馬の骨」です。既得権の立場では屈辱的だったでしょう。

鄭鉉坤 盧武鉉政権になった2003年に、保守勢力が持った社会主流としての危機意識、既得権としての危機意識は理解できます。ですが、留意すべき点は、当時、彼らが「反核反金」や韓米同盟を重要な名分として掲げたということです。これは2002年10月にアメリカが提起した北朝鮮のウラニウム核開発問題が契機になったのではないかと思います。このように見ると、保守の根元はやはり安保問題でないかと指摘できるでしょう。ですが、この時期をたどりながら、新たに登場したニューライトの動機や動力も、これと似ていると考えられるでしょうか。

藤井 実際にニューライト集結の最も大きな理由は、韓米同盟が崩壊するかもしれないという危機意識でした。2002年に米軍の装甲車による女子中学生轢殺事件が起きて、反米意識がものすごく高まりました。当時の世論調査で青少年の70%が、韓国の安保を最も脅かす国家としてアメリカをあげるほどでしたから。新しい教科書を作るべきだという話もそこから出てきました。2004年からは歴史教科書に対する攻撃が始まりましたし、そこで「教科書フォーラム」ができました。ニューライトが「旧保守」と完全に異なる点がここで明らかになりますが、それはつまり民族主義を否定するということです。過去の政府系団体は民族主義を重要に考えましたが、ニューライトは民族主義のために自分たちが滅びると強弁しました。重要なのは自由市場経済と自由民主主義であって、民族主義ではないということです。民族主義が反米とつながるので、ニューライトの立場ではこれを阻みたかったわけです。ある人は反日民族主義も問題視するべきだとまで言っています。反日を掲げたら、結局、反米にも対応できなくなるということでしょう。

李娜美 2003年度に、そのように荒々しく保守運動が起きましたが、実際にはたいして成果がありませんでした。国民的共感を得られなかったんでしょう。新たな対策の必要から登場したのがニューライトです。反共と安保という論理が陳腐だったために、彼らは自由主義という用語を持ち出します。ニューライトが2004年に作った団体が、先にも言及された自由主義連帯であり、また、その後に自由主義の関連書がかなり出ます。興味深いのは、これらが新自由主義でなく、自由主義を掲げているということですが、自由主義には王政に反対したという解放のイメージがあります。社会が個人を抑圧することに反対するという面も同じです。自由民主主義でなく自由主義を強調するのも注目するべきです。このときから民主主義をポピュリズムと同じだといって批判するんです。

鄭桓奉 「旧保守」と「新保守」は、中身も違っていて分かれていますが、まったく異なる性格ではないと思います。違いに集中するよりも共通点を探すならば、代表的なものとして、大衆に対する恐怖をあげられると思います。このときの大衆は、まず、これ以上北朝鮮を恐れない市民です。反共イデオロギーに抱き込まれない人々が出てきたんです。また、2000年代初期から非正規職の問題が深刻化して、抵抗する労働者が出てきたことも、やはり注目する点ではないかと思います。非正規職闘争は過去のように組織化された形で出てきたわけではありませんが、それは逆に、市場で管理できない労働者の怒りが登場しはじめたということでしょう。特に盧武鉉大統領の当選で、大衆が予想できない結果をもたらしうる、力を持った存在であるということを新たに悟ることで、既得権を保護しなければならないという考えが大きくなったと思います。以前ならば国家権力に寄り添ったでしょうが、そのようにしにくい状況になって孤立感を感じました。

藤井 そしてその時点で既得権層の使用語彙自体がかなり変わります。大衆に対する恐怖があるので「ポピュリズム」がたびたび言及されます。労組に対しては「集団利己主義」という風に攻撃を始めましたが、それ以前まで、集団で動くこと自体をさほど悪いと考えなかったことと対照的です。

 

「従北」攻勢、どこでなぜ始まったか

鄭鉉坤 保守勢力の集結が非常に複合的です。伝統的な問題意識だった安保の脅威を含めて、民主主義の進展にともなう大衆の進出に対する恐怖にまで結びついていますが、結局は社会的転換の受入困難からくる、混乱のように見えたりもします。私なりに表現すれば、南北分断体制が動揺して生じた変化に対する受容の問題だと思います。私は「混乱」という表現を使いましたが、「親連合」の事態がそのような現象を示す端的な事例になるだろうと思います。青瓦台(大統領府)が反対集会を要請したとか、全経連の資金が流入したとかいうことですが、どのような脈絡があるのでしょうか。

鄭桓奉 保守団体が市民団体のように装うことで向き合った運命のようなものだと思います。市民団体にとって最も重要なことは独立性と自律性です。事実、2003~2004年頃、これらは市民団体として活動可能でした。そのときは権力に抵抗していた時期です。ですが、その後に保守が続けて政権を運営することとなり、抵抗すべき権力が消えてしまいました。「これはみな盧武鉉のせいだ」といいながら動きましたが、これがこうだというようなことがなくなったんです。それとともに権力批判でなく憎悪で力を糾合するようになります。北朝鮮に対する憎悪や、労組に対する憎悪のように、役割が曖昧になった保守運動が、あらためて延命する契機もあったんですが、逆説的だったのは2008年の狂牛病牛肉ろうそく集会です。このとき集まったデモの人波に李明博政権も驚きましたし、保守団体も驚きました。政府は、それを可能にした背景に市民団体があると考えたでしょう。一種の背後勢力論ないし外部勢力論でしょう。政府も国家情報院もそれに対抗する何かが必要だと考えるようになったわけですが、それとともに脆弱化していた保守運動勢力に新しい仕事ができたんです。2009年に国家情報院で意味深長な話が登場します。当時の元世勳(ウォン・セフン)国家情報院長が局長や室長を集めて会議する場で、「若い層の友軍化・心理戦強化方案」という、心理戦団の作った文書を絶賛しました。文書自体が公開されたことはありませんが、どのような内容なのかは充分に推察できます。若い層を味方に引き込むための方案に悩み始めたのです。ですが、朴槿恵政権になって国家情報院の介入がますます出てきて、保守団体に対する直接の支援が減ることで、保守団体内部の葛藤が爆発することになります。このころ保守団体が過激になりました。行って喧嘩して特定人を攻撃すれば、暴行罪などで起訴されたりもしますが、支援を受けられないので罰金すら払えません。お金の問題がからまって、LH(韓国土地住宅公社)から1億ウォンの支援を受けた保守団体が資金を流用したなどと、暴露戦が展開されたりもしました。2000年代中盤には、持っていた自活力を保守政権下で喪失したので、こうしたことが起きるのです。本当に悲憤慷慨で集まるというよりも利害関係で集まる人々が増えましたし、それに反して政界進出や財政的な支援など、利益の機会はけっして充分でない状況が到来したのです。さらに李明博政権の時は、国家情報院が広告文句を作ったほどだと申し上げましたが、事実上、市民団体の政策を国家情報院が作ったわけです。大統領選挙の世論操作事件以降は、このようなことさえも容易でなくなったと思います。自活力が落ちるしかない状況です。

鄭鉉坤 お話しを聞いていると、今後、保守団体がどのように進むことになるか気がかりです。特に活動の持続可能性を探知する言説の問題が重要です。

鄭桓奉 弱者に対する嫌悪はもっと増えると思います。保守的言説の場合、「イルベ」 4や保守団体、保守言論などを、互いに横切りながら流通しています。保守団体がセウォル号沈没事故 5の真相究明をやめろという集会をすれば、保守マスコミが記事を書いて、この記事がイルベで共有されて過激な嫌悪が加わるという形です。こうしたことが繰り返されながら、いわゆる「ネット右翼」が自活力を持つようになったと思います。自活力を持った人が街頭に出て暴力を行使する可能性はいつもあります。セウォル号特別法と関連して遺族などの断食が続けている時、そばで「暴食闘争」をした事例がすでにありました。特定の保守団体がうまくいくかどうかということよりも、さらに重要だと思われる問題が、まさにこのように憎悪や敵対感を拡大再生産して、その過程で暴力が伴う可能性が増えたという点です。

鄭鉉坤 嫌悪のある対象でもあるでしょうが、「従北」 6の問題を保守言説の領域で扱うべきではないかと思います。これはかなり基盤があるように思えます。2014年12月の憲法裁判所の統合進歩党解散判決が、その基盤を示す1つの例になると思います。当時、政党解散の直接的な理由になった地下革命組織(RO)の実体と内乱陰謀の場合、大法院の判決が下される前に憲法裁判所が先に判断をしました。後で大法院がその部分については無罪を宣告しました。社会的に広がった従北嫌悪の情緒を憲法裁判所が利用したと思われます。今でも原状回復になっていません。

李娜美 保守勢力は一貫して北朝鮮問題を持ち出します。老人も青年も関係なくです。朝鮮戦争を経験しなかった若者たちも、北朝鮮に対しては批判的な場合が多いです。保守を標榜するという時、韓国の状況で特殊に最後に期待できる論理的なとりでが北朝鮮問題だからだと思います。「従北」という言葉が出てくるまで、微妙な変化があったという点は興味深いです。本来は「アカ」が主として使われました。魔女狩りの対象でした。それからに「親北」(親北朝鮮)や「容共」が登場して、特に「主思派」(主体思想派)という用語がよく使われました。ですが、広く使われたこの単語が消えた契機が興味深いです。1994年、安相云(アン・サンウン)弁護士が、西江大の朴弘(パク・ホン)総長の主思派発言を名誉毀損で問題視したのをはじめ、『韓国論壇』の主思派誹謗報道の法廷での争い、朴弘総長を相手にした韓国通信労組の勝訴などが続きましたし、以降、安弁護士主導で言論人権センターがスタートして(2003)、「主思派」という用語が消え始めます。主思派は具体的な用語なので、法律的に立証されるには物証がなければなりませんでした。主体思想の関連書を持っていたりという風にです。でなければむしろ名誉毀損で訴えられるので、もう少し曖昧な表現の「従北」という言葉になったと思います。「親北」は北朝鮮とうまくやろうという肯定的メッセージも含んでいるのであまり使いません。反面、「従北」は北朝鮮に「追従」するという面で「つまらない」感じを与えます。最近は美学的なものが重要ですが、「従北」という言葉がかなり古臭く見える点を狙ったんでしょう。ですが、問題は「従北」と指摘される彼らの大半は、本当に従北主義者というよりは、さまざまな面で社会的弱者、ないし彼らの味方になる勢力だということです。たとえばセウォル号沈没事故の遺族とその支持者です。脈絡が少し異なりますが、韓国の歴史で思い浮かぶ場面があるのですが、前近代の被差別階級「白丁」(ペクチョン)の平等運動「衡平社運動」に、最も激しく反対した階層の1つが、驚くべきことに似たような下層階級である妓生(キーセン)でした。妓生の立場では自分の下に白丁がありましたが、彼らの身分が上昇するのが嫌だったんでしょう。現在の保守集団も、社会の主流でない、一定程度疎外された人が主をなしていますが、彼らは貧しい人、女性、セクシャルマイノリティなどと自らを区別することで自尊心を守るので、彼らをさらに攻撃しようとするのだと思います。西欧でも原理主義的な極右は主として社会の周縁で生きる人々です。韓国社会の周縁人のなかにも「私は彼らとは違う」という気持ちで、実際の従北主義者だけでなく、自分たちの目に社会のあらゆる「輩」と見える人々を「従北」であると攻撃する場合が出てきたので、既得権層はその心理を利用するんです。

藤井 「従北」云々は、彼らが掲げる言葉がないために出てきた現象だと思います。誰かを敵として規定してしまえばそれで終わりで、さらに積極的に何かを提示する必要がありませんから。国家情報院が意図したのは、過去に保守と呼ばれた人たちを「大韓民国を支持する勢力」、進歩と呼ばれた人たちを「大韓民国に反対する勢力」にすることです。進歩―保守で行けば負けるだろうと彼らも考えたと思います。民族主義も大韓民国主義に取り替えて、スポーツ愛国主義もいくらでも活用します。大韓民国歴史博物館に行ってみれば、最後に出てくるのがスポーツ部門です。サッカー代表チームやキム・ヨナを支持し愛する人が、本当に大韓民国の人間であるという風にです。政治的なものではなく情緒的な一体感のようなものを強調しますが、その踏み台として「従北」という言葉を使うのです。何の内容もないのですが、むしろだからこそ誰でも「従北」になることがあります。結局、彼らが積極的に掲げるものがないという反証です。

鄭桓奉 2000年代の中盤になって、北朝鮮はこれ以上脅威とみなされなくなります。北朝鮮が何をしても株価が落ちません。株式市場は恐怖を測る尺度と見ることもできますが、いまや人々は、北朝鮮のせいで問題が生じるだろうとあまり考えないんです。そのために敵を内部に見出します。自分の利益や共同体の利益に反する人を、北朝鮮に利益になることをする人間であると攻撃します。北朝鮮は脅威になりませんが、従北勢力は脅威になるからです。「韓米同盟はいいことだが、従北は北朝鮮の利益だから反対する」というような、簡単に説明できる論理ができるんです。過去にはあえて内部の敵を作る必要がありませんでした。北朝鮮やスパイが問題だったのであって、内部を広範囲に区別する必要まではなかったんです。むしろ北朝鮮に対抗して団結しようと主張さえすればよかったんです。国家という強力な権力があったからです。ですが、いまや内部の敵を作る形で組織化されているようです。伝統的な保守という人々も、いまや北朝鮮の政権をののしるよりも、韓国内の従北勢力の方をさらに強く糾弾します。政府を批判する人間を従北勢力という範疇に入れます。まさに私たちの周辺に内部の敵が多いのだという恐怖感を与えることで、誰かを簡単に敵対させてしまうことに成功したようです。

藤井 そうした点で、「従北」は嫌悪言説の一種と考えるべきでしょう。嫌悪の流れのなかにあるんです。

鄭鉉坤 「従北」の効果が国内的な統治機制になるという指摘は重要に思えます。だから、その統治機制をもう少し検討する必要がありそうです。私が注目する点は、消えるべき言語が「アカ」から「主思派」に、そしてまた「従北」へと続いてきた過程です。本質的には、同じ目的を持つ言語が他の名前で再生産されれば、その根拠があると思います。これはすなわち、強固に維持されてきたある種の体制を維持しようという試みであって、それは北朝鮮と敵対関係にあります。これによる脅威はファクトです。「従北」という言葉は、この脅威を虚構化して軽蔑させます。南北対話のように脅威を平和的に除去しようとする努力は真剣にせずに、国家安保だけを前面に出す勢力がこれを活用します。和解・協力の政策を敵対視して、そのような主張をする勢力を抑圧することになるということです。とにかくこのような効果を持った従北言説で、執権勢力はこれまで甘い汁をすすりましたが、今回の4・13総選挙ではイシューになりませんでした。

 

政府系団体の長い歴史

鄭鉉坤 これまで民主化以降に登場した保守の流れについて見てきました。ですが、さらに遡れば、セマウル運動中央協議会、正しく暮らす運動中央協議会、自由総連盟、大韓民国在郷軍人会などが主要な政府系団体だろうと思います。これらの団体の歴史、また現在の状況についても検討する必要があるでしょう。

藤井 私が見るところ、これらの団体は、今、さほど強力な力を持ってはいません。在郷軍人会は事業に失敗して深刻な資金難に直面しており、自由総連盟も実際にできることはほとんどありません。

李娜美 いくつかの主な団体に対して申し上げれば、在郷軍人会の前身は日帝強占期に作られた日本人のネットワークです。換言すれば、朝鮮内の日本人たちの関係網が在郷軍人会でした。朝鮮人を監視・弾圧する役割を果たしました。関東大震災の時は朝鮮人虐殺にも参加しました。国家の必要によって上から作られたのは、このときも異なるところはありませんでした。以降、1951年6月末、北朝鮮の休戦提案に李承晩大統領が反対し、当時のUPI(国際合同通信)記者とのインタビューで、韓国が25万の兵力をさらに創設できると言ったために、国防部が予備役将兵、徴集対象者、国民兵役および補充兵役対象者などで構成された在郷軍人会を組織します。一般的に外国では在郷軍人会が自発的に組織され、その目的も相互扶助、会員間の親睦、軍人と遺族の福祉追求などです。反面、韓国は国家が戦時に不足した軍人数を埋めようとして作っています。東亜日報の1952年3月12日付の記事を見ると、大韓民国在郷軍人会を「兵役法第8条とそれ以外の諸規則によって現役を除くすべての兵役義務者を組織し、予備役、後備役、補充兵役、国民兵役、退役将校までを含めて組織」し、「在郷軍人会の組織が完成すれば、機会があり次第、精神訓練や軍事訓練を実施し、つねに国土防衛義務を自覚」させると書いてあります。実際には主として反共集会に参加するなど、政府系団体の活動をしていましたし、それによる批判世論が強く、1961年の朴正煕陸軍少将(のち大統領)の5・16クーデター以降解体されます。その年に再建され、以降、金泳三大統領の文民政府(1993-1998)の時までは別に活動をしませんが、1990年に、当時、野党党首だった金大中前大統領が在郷軍人会の行事に参加してから地位が高くなりました。数百億ウォンの予算を支援されたこともあり、会員が増えたりもしました。今は自制しているようですが、依然として政府従属性がとても強いです。自由総連盟の場合は、1954年に李承晩と蒋介石が作った「アジア民族反共連盟」がその前身で、以降、1960年の4・19学生革命の時に危機を迎えましたが、1960年代の朴正熙政権以降、政府の全面的な支援を受けて全国組織に発展しました。興味深いのは、彼らが盧武鉉政権期に対北朝鮮支援事業に参加したということです。ですが、そのときアイデンティティの混乱をきたして会員の半分が脱退したといいます。今でもやはり政府系団体の役割をしているようです。セマウル運動中央協議会は朴正熙政権の時に育成された団体です。セマウル運動は農村で伝統的な指導勢力を追い出し、青年たちに力を与えたものですが、農村共同体間の絆を断ち切って互いに競争させることで、農民が国だけを見て忠誠を尽くさせるのがこの運動の本質です。彼らはセマウル金庫まであるので、組織や財政の面でとても強いです。ですが、この団体も金大中政権期には統一事業に参加し、盧武鉉政権時には戸主制廃止運動に参加します。これらの政府系団体はどのような政権になるかによって立場が異なります。これが政府の支援を受ける政府系団体の属性でしょう。

鄭鉉坤 政府系団体の組織化が、主として朴正熙政権の時なら、どのような契機があったのでしょうか?

藤井 50年代には除隊軍人や傷痍軍人が問題を起こす場合が多かったと思います。マフィアのように乱暴を働いたりもしました。1950年代までは非公式暴力というのが重要だった時期です。政治マフィアの時代でした。5・16軍事クーデター以降、彼らを抱き込もうとする努力を通じて、国家の公式暴力として統合されたと思われます。そのために政府系団体という形で組織化したんでしょう。組織自体は他の国にもないわけではありません。おっしゃったように在郷軍人会もさまざまな国にあります。ですが、彼らが実際にそのように大きな機能を果たしたのかは疑問です。在郷軍人会のような場合も、ひとまず軍人を管理するという目的が最も大きかったと思います。5・16直後といえる1961年8月に軍事援護庁が設置され、傷痍軍人をはじめ彼らに対する就職斡旋や年金支給などの役割を担当しましたが、それはあくまでも問題を起こさないようにすることが目的でしたし、そうした点では、結局、暴力を行使できる存在を自己の管理下に置こうというのが基本的な問題意識だったようです。

李娜美 政府が正当性を欠いて腐敗し、官僚体系がきちんと作動できない時、官営保守団体に一層依存すると思います。李承晩政権の腐敗は言うまでもなく、最近の「親連合」などが猛威をふるっていますが、朴槿恵政権下でも側近や官僚の不正がずっと出ています。政府系団体は、事実、李承晩政権の時からかなり過激だったと思います。李承晩政権の時、警察力が急成長しますが、それでも抵抗する勢力が大きくなるので、警察兵力を助ける官営・右翼団体が必要だったのでしょう。民族反共連盟や自由総連盟は、名前だけが変わったのであって、構成員の性格は同じで、また西北青年会などのさまざまな青年団体が統合して大韓青年団が作られます。先日、ある保守団体が西北青年団という名を使ったのも、当時の極右集団を継承するということですが、きわめて危険な発想でしょう。

 

活動状況の変化、嫌悪情緒の拡大

鄭鉉坤 ならば、87年の民主化以降、これらの政府系団体の流れがどのように変わったのでしょうか。新たに組織された団体も含めてです。

鄭桓奉 韓国社会で、権力を取得する経路がかなり変わったということが、重要な点だと思います。政府系団体にとって重要なのが地域組織です。地域で討論や教育や説得を通じて保守イデオロギーを共有する活動が、保守が選挙で票を獲得するのに大きな役割を果たしてきたからです。ですが2000年代以降、状況が変わります。メディアの影響力が大きくなったためでしょう。盧武鉉大統領の当選がこれをよく示しています。言い替えれば、そのように大きな組織を運営しなくても、権力獲得が可能になったということです。「親連合」のような小規模組織も、メディアにしばしば出て、ある種の傾向を作り出すことができたからです。ただ、資本と人員の問題があるので、インキュベイティングが必要です。彼らを育てるインキュベーターの役割を、いわゆる政府系団体がやるんです。予算や場所などを支援します。実際に政府系団体で、ある在郷警友会が「親連合」に資金を支援した事実が明るみになったことがあります。直接的な活動は、機動性のある小規模な保守団体がやればいいんです。たとえばセウォル号沈没事故で遺族の方を非難したり、真相究明の組織を作るのは不要だという保守団体の声が、「このような意見もある」という形でメディアに登場しました。実際には少数なのに、比重ある意見のようにメディアを通じて映るわけです。あえて資金と資源を投入して、地域組織を広範囲に動かさなくても世論を動かせるので、既存の政府系団体の位置づけがかなり低下したようです。

藤井 その点が核心だと思います。大統領を体育館で選んでいた時は、政府系団体の影響力にものすごいものがありましたが、地域代表に意味がなくなった状況では既存の政府系団体ができる役割があまりありません。

鄭桓奉 直接行動よりは、在郷警友会の事例のように、財政などを支援しながら小規模の保守団体の支柱的な役割をしていると思われます。ですが、このような役割だけを果たすには、既存の政府系団体はすでにかなり肥大化した組織です。なので、最近は経済的利益をかなり追求します。特定会社に投資して持分を取得し、さまざまなサービス事業などに参加します。組織を維持するだけでも多くの費用がかかる状況ですから。新たな集団に保守的イデオロギーを形成させた後、実際に行動する役割を譲り渡して、今、このようなことをしているようです。

鄭鉉坤 巨大だった組織ならば、権力の交代によって自主的な生存戦略を追求したとも思うのですが。

李娜美 政府系団体の生存戦略は「静かに実を取ること」に変わったようです。メディアに出るほど調査されることも増えますから。変化の兆候は、やはり2003年あたりから見られます。このとき自由総連盟が三・一節(独立運動記念日)と6・25(朝鮮戦争勃発記念日)には保守集会に参加して声明も発表しましたが、8・15(光復節=解放記念日)からは静かでした。大規模集会に出て行ってメディアに出たら、その間に非難をかなり受けました。特に2004年の盧武鉉大統領に対する弾劾訴追案が憲法裁判所で棄却されて、かなり気勢をそがれました。その後はできるだけ露出を避けて、静かに利益事業をしながら、周辺に資金を出す形に変わったように思えます。李明博・朴槿恵政権の時に特にそうした点が目立ちます。

鄭鉉坤 お話しを整理してみると、政府系団体が民主化という時代の変化によって、その意味がかなり弱くなったという点を確認できます。私たちが先に新たに登場したという保守市民運動の場合も、循環周期を経て、現在としては非常に弱くなったという診断をしたわけですが、全体的に保守市民運動と政府系団体に対して、診断と展望をしてみる必要があるかもしれません。

李娜美 私が守旧と保守を分けるのもそのような理由からです。保守はずっと変化して利益を取りまとめる方向に行き、守旧は過去の思考とやり方を守って消えていくと思います。過激派もやはり同じです。保守は彼らをしばらく活用するんです。保守は守旧とは違っていて、大勢に便乗しながら、長期的に自らの利益を確保できる装置を準備します。持続的なメディア監視と統制、自由市場を強調するイデオロギー流布、植民地の歴史と親日派を美化する教科書編纂など、自らの特権をずっと維持できる構造を再生産しようとします。したがってこれは「漸進的なクーデター」だと言えます。

藤井 民主化以降、盧武鉉政権の時が、既得権層が最も不安だった時期です。新たな代案を作るといってニューライトが登場しましたが、確実な代案になりませんでした。ですから、過去の亡霊を呼び出すしかありませんでした。2012年の大統領選挙で朴槿恵に入れた人たちの相当数が、事実は朴槿恵に入れたというより朴正熙に入れたわけですから。そのような面で、いまや保守には何らのビジョンもないということが明白だと思います。先に話されたように、さらに掲げるものがないので、ずっと「従北」のレッテルを周囲につけてばかりいるんです。

鄭桓奉 ですが、これまでの流れが止まったとしても、それらが生み出した効果は残っています。いつからか保守団体が憎悪心を強調しながら出てきましたが、これが弱者に対する憎悪として派生したり、内部の敵を作る形に変わっています。つまり、憎悪が新しい形の運動として出てくることもあると思います。社会的弱者や労働者に対する憎悪を基盤とした組織が結成されて、力を得る可能性が依然として充分にあります。社会が安定しなければ暴力は私有化されやすいんです。そのように私有化された保守勢力の暴力が連合する可能性もあります。北朝鮮問題のような場合も影響を及ぼしかねないでしょうが、事案によって異なると思います。韓国にミサイルを撃ったりすれば、当然、途方もない反対があるでしょうが、今のような挑発では持続的な動きができそうにありません。もちろん保守は街頭に出てきた経験があって、組織を運営した経験もあるのですから、そのようなノウハウをもとに特定の争点に対して集結する可能性はつねにあるでしょう。ただ団体中心の形態ではないと思います。

李娜美 西欧では移民者に対する恐怖が大きいので、それをもとに極右政党が勢力を伸ばしています。韓国にも進歩―保守を越えて、朝鮮族や外国人労働者が増えて、働き口を奪われるなど、社会のなかに見えない恐怖と嫌悪の情緒があるようです。さらに極右的な政党が出てきてイシューを提起すれば、人々がそちらの方で1つになる可能性が韓国社会にもあると思います。北朝鮮イシューよりは失業者、あるいは挫折に陥った若者たちを中心に形成された反外国人情緒の潜在力の方が大きいと思います。

 

合理的「保守」運動は可能か

鄭鉉坤 保守と通称しながら、保守と極右を一緒にして見るのは避けられないように思えます。今日、お話ししたことを念頭に考えるならば、私たちが見てきた保守は極右的な感じが強いです。ですが、それは理念体系ではなく、実は既得権だけを守るための戦線企画としてイニシアチブを握るようです。いわば守旧ということです。虚構的な「従北」言説が保守全般に通じたと認めるならば、これは守旧のイニシアチブがあったと思います。私はこのような現象を南北分断体制の特性と理解しています。ですが、保守というならば、基本的に何かを守るという意味であって、そこには価値の問題が含まれるはずですが、いわば自由主義や反腐敗、遵法、ひいては公私の区分、犠牲精神のようなものです。だとすれば、韓国社会でこのような本来の意味の保守運動自体がなかったということでしょうか?

藤井 歴史的に韓国の保守層という人たちが、理念的に1つになったことはありませんでした。政府系団体もやはり基本的に利権団体でした。ですので、まず「保守」という範疇自体を歴史的に見る必要はないと思います。理念型として設定される「保守」について議論することが、どれほど意味があるのかよく分かりません。

李娜美 おっしゃったような肯定的意味としての保守理念を主として主張する人々は「保守」を掲げないようです。保守の良い価値、慎重さや均衡感を、韓国社会では普通「中道」といいませんか? 韓国社会があまりにも右傾化しているので、健全な保守は中道を標榜すると思います。

藤井 過去の自由党や民主共和党が、伝統的な意味での保守でなかったという点が重要です。むしろ正統保守は、今の民主党まで続く流れです。ある意味で前衛党のように社会を変革するといって出てきたのが自由党と共和党の初期の姿でした。もちろん初期だけそうだったのであって、政府与党として保守化しましたが、それでもそのような与党も自らを「保守」として表現した場合は多くありませんでした。私たちは最近数十年の経験だけで、「保守」や「進歩」を自明のことのように語っているのかもしれません。

鄭鉉坤 興味深いお話しです。ですが、保守を否定的な意味だけが含蓄されていると考えて、それを中道と明確に区分できるかどうかはわかりません。「合理的保守」という言葉がまた通用したりもします。「汎市民社会団体連合」という団体があります。300あまりの団体の連合体で2012年1月にスタートしましたが、「古い法秩序に基づいた自由民主主義」「合理的進歩と改革的保守の統合」を旗印にしました。「市民運動は政治的に中立を守るべき」という価値を主張してきた「公明選挙実践市民運動協議会」グループの主流と安保保守団体が一緒に作りました。彼ら自らは、いわゆるアスファルト保守と差別化する必要を感じたものと理解しています。前回の総選挙の時をみると、「いい候補」を選んで発表するなど、政治に対する介入も強化しましたが、いわゆる進歩団体の活動体だった「総選挙ネット」(2016総選挙市民ネットワーク)と競争するという印象を与えました。彼らは自らを保守と呼ぶことに躊躇しませんでした。保守の未来をどのように診断しますか?

鄭桓奉 保守言説も、保守イデオロギーも、保守的な人々も、当然ずっと存在するでしょう。ですが、彼ら全てが「保守」団体としてずっと形態を維持できるかは疑問です。私の考えでは、政府系団体は消え、利益団体として残りそうです。アメリカを見ると、銃器関連団体をはじめとして、保守指向の多様な利益団体が活発に活動しています。またおっしゃった通り、政策提案者やシンクタンクの役割をする集団が形成されることもあるでしょう。要するに、既存のように「反核」「反北朝鮮」「自由民主主義守護」「憲法精神守護」のような形でまとめていては、動力を見出すことがますます難しくなるでしょう。もちろんオンラインなど、外郭にはイデオロギーを中心にした保守集団がずっと存在するでしょうが、今のように明確な団体中心の活動スタイルが持続するかは疑問です。

李娜美 私は、利権をまとめながら本人を出さない方向に隠れる方向と、むしろ過激になる2つの方向を考えます。保守の長所は、韓国社会の欲望をよく読んでいるという点です。また、変化の方向として、どのように生き残るのかを本能的によく知っています。他方では、むしろさらに過激になる集団と個人が出てくる可能性もあります。まるでIS(イスラム国家)のようにです。江南駅殺人事件 7のように破片化された形で暴力が蔓延することもあるんです。イルベなどの極右インターネットコミュニティは、中央で会員を統制するのが難しいという点と、会員の匿名性が特徴ですが、そのことで過激さを自制させにくい面があります。しかも、無差別殺人、女性嫌悪、漠然とした憎悪など、社会の危険な兆候が見え始めています。また、保守―進歩の境界線にあったり、そのようなものと関係がない多様な集団も出てくるだろうと思います。たとえば最近、梨花女子大で生涯学習単科大設立反対を主導した「梨花人」(イファイアン)も、進歩―保守で区分できる集団ではありません。もちろん自発的・民主的に運営される集団です。

藤井 保守運動と呼べるほどの組織化が続きそうではありません。何か匿名形態になるのではないでしょうか。日本の在特会も同じです。会員でないのにデモに参加したりもして、大規模行動をしますが、実際に誰が会員なのかは不明です。そうした点で「団体なき運動」が韓国でも出てきそうです。

鄭鉉坤 今日、私たちは、韓国の歴史の歪曲された理念地形と関連した、保守や政府系団体の様相を追跡してみましたが、結局、このような歪曲は、市民社会内に健全な公論の場の形成が遮断されているために起きているんです。もう少しいい保守、合理的保守の形成のためには、市民社会の公論の場が活性化する必要があると思います。そのためには何が決定的に必要でしょうか?

鄭桓奉 政府が透明になることが最も重要だと思います。保守ないし政府系団体がこれまで見えないところで支援されてきましたが、このようなことが韓国社会の議論の地点を歪曲させたと思います。たとえばTHAAD 8の配置がどれくらい危険なのか、交渉がどのように進められたのか、きちんと知らせない状況では、公論の場の形成自体が不可能です。情報がないので合意も不可能です。これを解決するには、争点になる情報に自由に接近できるようにすることが重要です。

李娜美 今は国家が率先して情報を歪曲し、人々の間の分裂を起こしている状況です。なので、まず国家とメディアが公正になって、正確な情報を一般人に提供すべきです。進歩でも保守でも、平和にいい暮らしをしたいという目標は同じなので、彼らの討論の場を公開的に準備して、共同の目標を確認させることが重要だと思います。

藤井 情報公開はもちろん重要ですが、討論だけが代案かは疑問です。討論は結局、話し上手な人、多くを学んだ人が勝つことになります。アスファルト右派を見ると、学歴のない人が多いですが、そこには学歴のある奴が嫌いだという、もしかしたら当然の反感があり得ます。このような反応を、反知性主義というレッテルを付けて批判するのは容易ですが、そうすることで維持されるのは、エリート中心的な、つまり非民主的な階級構造です。このような部分に対しても考えなければ、討論自体が危険な発想になる可能性があります。

李娜美 審議民主主義に対する重要な反論です。特に難しい問題で、礼儀正しい討論で私たちが有益な結果だけを期待することはできないでしょう。ですから、難しく抽象的な公論の場でなく、生活に密着した公論の場から始まって、下からの欲求や意見を充分に取り入れるべきだと思います。たとえば、ある地域にゴミ回収場を建設する問題に対する討論が、はじめは住宅価格の下落の問題から始まっても、その後、環境問題に進展したりもします。NIMBY(Not in my backyard=公共施設建設に反対する集団利己主義)から始まっても公益に変化しうるということです。現在の政府がTHAADを星州(ソンジュ)への配置についての討論も同じだと思います。

鄭鉉坤 最近、市民社会で注目する重要な現象は、地域共同体単位で形成される疎通の可能性です。地域社会は政府系団体の活動舞台で、彼らのイニシアチブが貫徹される空間です。地方自治が活性化して形成されたオールタナティブな村の運動が、これら政府系団体と互いに競争の構図にあります。今年、行政自治部が「村基本法」を制定しようとしていますが、地域社会の共同体の単位が財団を作り、この財団を地方自治体と地方企業が支援しながら、地域共同体を活性化するという構図です。政府系団体の再組織という政治的意図が疑われる部分ではあります。なので、初期に村基本法が提案された時は疑惑がありましたが、対話を重ねながら、地域共同体の成長という点で次第に理解され、一致する領域を見出していったようです。最近聞いてみると、政府側と村運動側が互いにかなり了解したようです。私はこのようなつながりを達成する能力が「中道」であると考えています。保守を引っ張りだします。このことが示唆する点は多々あります。私たちが今日、議論したように、韓国の保守市民運動が、独裁権力への従属性の中で市民社会の健全な成長を阻害し、暴力や嫌悪などを拡散してきた点は明らかだと思います。特に民主政権の樹立、また南北朝鮮の関係の転換とあいまって、一種の反対勢力として政治的に動員された点は、何度考えても残念な部分に違いありません。明らかに1987年の民主体制の退行性を示した現象ですから。そうした点で、合理的保守の自己基盤のための努力が今後もかなり必要なのではないかと思います。今日は、保守の市民運動や政府系団体の現象を、全体的に見渡すことができ、とても勉強になりました。長時間の討論、お疲れさまでした。ありがとうございました。(2016年8月2日/創批細橋ビル)

(翻訳: 渡辺直紀)

Notes:

  1. 「親(オボイ)連合」――大韓民国親連合(Korea Parent Federation)2006年5月設立。極右反共主義的な性格を持ち、集会等を通じた政治活動に活発に参加。枯れ葉剤戦友会などとともに韓国の代表的な右翼団体。
  2. 「族青」――朝鮮民族青年団。李範奭を中心に1946年10月に「国家至上」「民族至上」というスローガンを掲げて設立されたファシズム・反共主義的極右翼団体。
  3. 「国家情報院コメント事件」――国家情報院による世論操作事件。2012年の大統領選挙期間中、国家情報院所属の心理情報局の所属要員らが国家情報院の指示でインターネットに掲示文を残すことで、国家情報院が大統領選挙に介入した事件。当時野党だった民主統合党が2012年12月に問題性を提起した。
  4. 「イルベ」――「日刊ベスト保存所」の略称で韓国のインターネットコミュニティ。主に政治、ユーモアなどを扱い2010年頃から活動が活発化した。全体的に政治指向は極右と評価され、各種の事件・事故によって議論を呼び起こしている。
  5. 「セウォル号沈没事故」――2014年4月16日に全羅南道珍道郡近海で沿岸旅客船が沈没した事故。乗客・乗員476人のうち295人が死亡、9人が失踪。特に修学旅行中の高校2年生324人が含まれていて若い生徒の犠牲が多かった。
  6. 「従北」――北朝鮮に追従する勢力の意。韓国の国内世論で、政治的なダメージを与えるために、進歩派をこのように呼ぶ現象が2010年代以降、見られるようになった。
  7. 「江南駅殺人事件」――2016年5月17日未明にソウルの地下鉄・江南駅近くにあるカラオケのトイレで30代の男が不特定の女性を殺害した事件。
  8. 「THAAD」――THAADミサイル(終末高高度防衛ミサイル、Terminal High Altitude Area Defense missile)。アメリカ陸軍が開発した弾道弾迎撃ミサイル・システム。駐韓米軍司令官は2014年6月に韓国にTHAAD配備のため韓国政府と協議を進めると明らかにした。主として北朝鮮のミサイル発射に対する対抗措置だが、中国やロシアはこれに反対しており、韓国内でも世論が大きく分かれ反対運動も広がっている。

〔対話〕韓国軍――民主的コントロールの圏外としての

2016年 夏号(通卷172号)

〔対話〕韓国の「保守勢力」を診断する(2)
韓国軍――民主的コントロールの圏外としての

金鍾大(キム・ジョンデ)正義党第20代国会議員、前『ディフェンス21プラス』編集長。主著に『安保戦争』『シークレットファイル―危機の将軍』など。

余奭周(ヨ・ソクチュ)ウェルスグローバル(株)代表取締役。前・国政状況室情勢分析担当、駐米大使館武官。

李泰鎬(イ・テホ)参加連帯政策委員長、市民平和フォーラム共同運営委員長。共著に『封印された天安艦の真実』など。

 

李泰鎬(司会) 『創作と批評』は創刊50周年を迎えて、今年1年間、韓国の「保守勢力」を診断する連続企画を続けています。以前、「韓国宗教の保守性をどう見るべきか」という主題を扱ったのに続き、今号は韓国軍について語ってみようと思います。私は市民団体で多少関連した活動をしたためか、今日、司会者の役割を兼ねて出席することになりました。金鍾大議員は軍事専門家としてさまざまな活動をされましたし、まもなく国会に登院されることになり、より多くの活躍が期待されます。余奭周代表は軍にながらく身を置かれた方として、今日、特にお迎えしました。いいお話しをたくさん聞かせて頂ければと思います。

余奭周 創刊50周年、お祝い申し上げます。文芸誌『創作と批評』と軍は、遠くかけ離れた別個の空間にあると考えやすいですが、韓国男性の大部分が人生の絶頂期である20代に、数年間、身を置く軍服務時期をめぐって、韓国の文化を論じるならば、少なからぬ空白を避けることは困難でしょう。そのような脈絡で、『創作と批評』が軍関連の対談に誌面を割愛することに、非常に大きな意味を付与したいと思います。

金鍾大 『創作と批評』の座談にご一緒できて光栄です。軍に対して韓国社会が関心を持つべき部分は数多くあります。全般的に点検すれば非常に膨大になるはずですが、各界でより多くの議論を続けることが必要です。今日、この場がその契機になることを期待します。

李泰鎬 軍の性格についての話から始めようかと思います。国を問わず、軍隊は概して保守的な文化や体質を持っています。常に最悪のシナリオに備えなければならず、極端な状況で国民の生命や安全を保障しなければならないからでしょう。ですが、韓国の軍は歴史的に保守性という表現だけでは説明しにくい形態を示すこともありました。軍の政治介入という不幸な歴史が代表的ですが、前回の大統領選挙の時も、国軍サイバー司令部ウェブコメント事件などが、軍の政治的中立に対する不信を一層増幅させました。また、軍が莫大な予算を使い、徴兵制で多くの成人男性が入隊しなければならない状況に比べて、軍に対する監督がきちんとなされていないという憂慮が大きくなっています。武器購買スキャンダルや軍内部での人権侵害の事例が繰り返されるのも、ここから始まった問題です。作戦指揮権の返還関連の議論で見られたように、軍が対米依存的な形態から脱却できず、東北アジアをはじめとする国際秩序の変化に能動的に対処できるのかについても疑問を提起せざるを得ません。このことによって、軍が韓国社会の発展にとって障害要因であるという認識も少なからずあります。まず韓国の「保守勢力」を診断するという企画の趣旨と関連して、軍の性格や特性をどのように規定できるか、お話し頂ければと思います。

 

軍の「保守性」、どう見るべきか

金鍾大 軍隊というと、概してその核心主体を将校団と考えます。私は将校団に3つの性格があると考えますが、それは保守性、専門性、責任性です。この3つが備わって、軍隊の組織に集団精神と自己のアイデンティティが形成されます。ですから、軍が保守的かという問いには語弊があります。高い倫理的徳性としての責任性や、職業軍人としての専門性が要求されるのであって、だからこそ、どこの国の軍隊も保守的であるという点に異存はありません。ただ、その保守の内容がどのようなものかということでしょう。近代国家が常備軍制度を採択して以来、軍隊は民主主義や国家体制を維持する根幹になりました。それ以前は、王政、貴族の階級性を代表するのが軍隊だったんです。ですが、今は代理人としての国民の軍隊です。要するに軍の保守性は、近代民主主義の体制内における保守性であると申し上げることができます。

余奭周 私も同じ脈絡で考えています。「保守」という言葉を、前進し発展することに対する反動としての意味に限定するならば、軍の過度な保守傾向は明確に問題でしょう。そのようなことではなく、私たちが守るべき価値を守るという意味での保守だとすれば、当然、軍は保守でなければなりません。もちろん、これもまた国家で人材を提供し、予算を支援して、軍という集団を作った基本目的を実現するという点で、保守であるべきなのであって、それが軍を構成する国民、または市民ひとりひとりに対して、政治・社会的な保守性を強要してはなりません。軍人も結局、軍服を着た市民ですから。このような点を区別して接近するべきだと思います。

金鍾大 とすると、ここでいう保守の対比概念は、進歩でなく自由主義であると言えます。サミュエル・ハンティントン(Samuel Huntington)が、アメリカ軍における対立項は自由主義と保守主義であると診断したこともあります。アメリカの自由主義の伝統において、建国の父は、軍隊を、戦争が起きた時に召集すればいいのであって、平和時には浪費であると考えました。南北戦争や独立戦争も、ともに義勇軍が遂行したもので、常備軍が戦闘したわけではありません。反面、にもかかわらず、平時にある程度の常備軍や防衛産業を維持することが、専門性の維持にもいいという立場が、保守主義において標榜されました。だから、ハンティントンが、軍隊は大規模常備軍として存在するかぎり、保守主義集団であると規定したわけです。結局、軍隊が維持されて、それなりに1つの専門家集団として尊重され発展するかぎり、その理論的土台があるべきですが、それがまさに保守主義になったわけです。

李泰鎬 おっしゃった通り、常備軍は近代国家とともに出現しました。近代国家が形成される過程で進取的な役割を果たすこともありました。たとえば、ナポレオンの軍隊は自由主義を伝播する軍隊でしたし、それ自体として近代的な組織でした。言ってみれば、歴史的に近代国家の産婆の役割を果たしたのです。ですが、軍隊が国家を守る存在であると同時に、次第に国家イデオロギーを代弁する、強制力を持った集団になって拒否感が生じたようです。軍隊が、すでに形成された国家という、とても抽象的な実体を保護するというわけですが、国家というものは、実は物神化されやすいでしょう。国家安保という名においてです。そうすると、どうしても全体的には社会的に保守的な役割を果たすのではないかと考えます。他方で、軍の保守性に関連した議論は、結局、軍は男たちが力を使う集団であるという点と、離して考えることはできないと思います。もちろん女性軍がありますが、家父長的なイデオロギーとしてもそうであり、上意下達をはじめとする運用・作動原理では同じです。そう考えてみると、たとえば性に対する認識も差別的で、性暴行の問題もしばしば発生するようです。

余奭周 軍で何年か前から「性軍規」という用語を使っていますが、私はこの用語にとても否定的です。軍規は見えないところで、自分に与えられた任務や軍が定めた規律を自らよく守ることと定義されています(「軍人服務規律)第4章)。たとえば衛兵所で憲兵が声を大きく出せば「軍規がある」といいますが、そのようなことも事実、正確な意味からは距離が遠いです。軍規は孔子がいった「慎独」(ひとりでいても慎め)に近いものです。ですが、突然、たとえば誰かをセクハラするのを性軍規違反であると告発するようです。ならば、性軍規の遵守とは何かということです。無前提に規定できない領域ですが、おそらく韓国だけにある用語でしょう。米軍はそのまま「sexual harassment」(セクハラ)といいます。人権に関する問題であって、軍規とは関係がない問題をめぐって、性軍規という用語で接近しているのですが、こうしたことは、保守性よりは人権に対する基本的な概念が足りずに発生した現象です。あらゆることに軍規の次元で接近すれば、むしろ逆方向に行くこともあります。下の人間は無条件に服従しなければならず、上の人間はいくらでも支配できるという錯覚に陥らせます。

金鍾大 本来、ブルジョアというと、最初は進歩性のある階級でしたが、今となっては保守と認識します。軍隊がまさにそうです。ナポレオンが他の王政の軍隊を破竹の勢いで撃破してヨーロッパ全域を制圧したのは、近代世界で初めて採択した徴兵制の力のためだったことは明らかで、その時期にフランス革命の結果として現出した進歩の革新的な産物だったと見ることができます。ですが、現代において徴兵制はそうではないでしょう。したがって、軍隊がある制度や組織を運営する時、それが進歩的か保守的かを一律的に語るのは困難であるということを念頭に置く必要があります。旧体制を廃止するために、徴兵制を通じて「国民に似た軍隊」を準備したという点で、ナポレオンの徴兵制には進歩性があるんです。反面、韓国の徴兵制は、国民に義務だけを賦課しながら監視・管理して、教化の対象として兵士たちを考えます。自律と創意を論じることがきわめて困難です。国家が国民をコントロールの対象として考えて動員しながら、使用者としての権力を行使する限り、イデオロギーとしての保守が軍に作用するだろうと思います。

李泰鎬 話が少し難しく聞こえますが、単刀直入に接近すれば、軍にいらっしゃった方には刺激的かもしれませんが、軍はとにかく戦争をする集団です。戦争を準備します。国民皆兵制で規模が大きくなったということは、殺戮の規模もまた大きくなったという意味でしょう。国民皆兵制以降の戦争で、人がかなり多数死にました。このような点で、軍をいくらいいものとして考えようとしても、そうできない人々がいるでしょう。

余奭周 私が市民運動家なら、軍が保守的であると批判するのも重要ですが、それよりもまず軍隊の内部で憲法や民主主義を少し教えろと主張したいです。あなたたちが守ろうとしているものは何なのか、国家や国民を守るわけですが、それでは国家の何を守ろうとするというのか。政府総合庁舎を守ろうとしているのか、太白山脈を守ろうとしているのか。軍が守るべき国家の本質とは何かを、軍にきちんと提示するべきです。笑い話ですが、旧日本帝国の軍人は死ぬ時、「天皇陛下万歳」を叫び、イギリス軍人は「女王陛下万歳」といいながら死に、韓国軍はただ「母さん」といって死ぬという話があります。

李泰鎬 最も人間的です(笑)。

余奭周 私たちが守るべきなのは、憲法、もう少し狭い意味でいえば憲法的価値だと思います。まさにこの大韓民国憲法が、私たちが今、このように自由に行動し、意思表現できるようにしている根本でしょう。ですが、軍の作動原理を見ると、憲法でいうところの価値と相反することが多いんです。人を支配すること、必要ならば人の命を手段として使うこと、誰かを殺さなければならないことなどです。このように相反する部分をどのように調和させるかという時の基本は、やはり民主主義を後押ししている憲法について、軍人に正確に知らせるべきだということです。たとえばサイバー司令部ウェブコメント事件も、韓国の憲法が軍の政治介入をなぜ禁止しているかを、軍が正確に理解していたら起きなかったでしょう。もう1つ申し上げたいのは、多くの戦史研究を通じて考えた私の信念ですが、兵士は絶対に敵愾心を優先して戦ったりはしません。兵士たちは戦友愛と表現してもよく、同僚意識や人間に対する愛情と表現できる何物かのために1つになります。ですが、軍ではしばしば敵愾心のために戦うと勘違いして、私たちの主要敵である北朝鮮は共産独裁国家で、北朝鮮軍は悪辣である、というような敵愾心の鼓吹に焦点を合わせています。それが戦闘力に昇華するだろうと考えるのです。ですが、当初、国民皆兵制の力も、私たちの人、私たちのもの、私たちの土地に対する愛情から出発したものです。だから、ナポレオンの軍隊が強かったのでしょう。周辺のオーストリアやイタリアやフランス王政の軍隊に対する憎しみではなく、「私たちのフランス」「私たちのもの」に対する愛情だったということです。そのようなことを軍で培う活動が必要です。特に報道宣伝の兵課で目標を敵愾心の鼓吹だけに重点を置いてはいけません。

 

民主的コントロールから逸脱する軍

李泰鎬 不幸にも韓国の歴史で、軍は政治的に大変重要な集団でした。軍がどのような立場に立つかによって、政治的結果が変わったりもしたほどです。その渦中に軍が政治的偏向性を示した事例は数多くあります。そのような問題がなぜ発生しつづけるのでしょうか? おっしゃられた戦友愛だけをとって考えても、私の印象では、これは自らの内部の動力でしょう。そのようなことのほかに、私たちは、軍に対する民主的コントロールや文民統制を強調しますが、巨大な物理力と、上司の命令に服従する体制と、機密性を持つ軍を、実際にコントロールする手段が、はたして私たちにあるのでしょうか?

金鍾大 一時、あらゆる非難の対象になった南在俊・前・国家情報院長が、陸軍参謀総長だった時、この問題に正面から取り上げて論じたことがあります。私は他のことは知りませんが、その論理にはかなり共感します。ある将校が命令を遂行する時、悩むべきことは正当性と合法性です。軍人は上官が正当でない命令を下したとしても、服従しなければならないというのが定説です。反面、合法性は追及できるということです。たとえば、いくら上官の指示だとしても、法に触れたり、ある法で定めた指揮コントロールの範囲を超越するならば、合法的ではない命令です。これに対して、軍人は当然、異議を提起して拒否するべきです。ならば、合法的だが正当でない命令の時はどうするべきでしょうか? その時はひとまず服従するべきですが、その渦中にも高位幹部は最大限直言をして、創意を発揮し、正当でない要因を最小化しようと努力するべきだと思います。

韓国軍は数多くの規範を有していますが、これほど複雑な国はありません。そのために急に差し迫った事態が発生した時、たとえば西海のNLL(北方境界線)で北朝鮮の艦艇を撃沈させるべきか否かを判断しなければならない場合に、将校が混乱をきたしたということです。純粋に軍事的に判断したとしても、外部では政治的な意味として考えたりもします。正当性の議論は常にあるんです。このような点で、軍人に一定程度の裁量権を与える必要があります。ですが、韓国の軍隊はそのような地点ではなく、主に合法性の面で問題を起こしました。誰が見ても合法性と正当性がともに欠如した状態で、言ってみれば、軍隊の権力の過剰行使があったんです。ですが、一方で私たちが軍隊に対して、おとなしくしていろということはできません。毒蛇に毒を除去しろと言えないようにです。それをどのようにコントロールするかが課題です。軍隊は国民の代理として安保を担当する一種のエージェントです。ですが、そのような軍が逆に権力になって、正当性と合法性の領域にまで侵犯して、結局、国民に敵対的な行為をする水準にまで行くんです。自分たちが国民に雇用されたエージェントであるという認識を持つのでなく、むしろ国民をコントロールしようとしたことから広がったことです。

李泰鎬 よくわかりますが、問題を若干狭めているのでないかと思います。憲法も法律も命令したりはしません。結局、命令は大統領や軍の指揮部がすることです。軍は本質的に上司の命令に服従する集団ですが、法はとても距離があり、命令を下す人は近くにいます。なので、規範的には軍が法の支配下にあって、文民統制に従うべきだといいますが、近いところでは、そのまま命令する側の利害関係に動員されうる集団だということです。軍部独裁のように極端な事例はもちろんですが、小さな問題でもそう言えます。アメリカも戦争宣布の権限は議会にありますが、実際に戦争を宣布してきたのは議会ではありません。軍事力使用の権限もまた大統領にあります。威嚇があるから軍事力を使った、それから後で追認を受けたり、これは戦争をするために追認される事案ではなく、ただの軍事力の使用でした、といって終わるでしょう。そのような形で軍に対するコントロールに本質的な限界があるのではないかということです。国会の国防委で資料を出せといっても、軍がきちんと出すことはあまりないでしょう。さらに防衛産業の不正監査の資料もみな軍事機密であるといいます。そのようにコントロールを受けない集団だとすれば、当然、命令を下す軍上層部や権力集団の利害関係、特に政治的な利害関係に動員される可能性が大きいのではないでしょうか?

金鍾大 私はこうした問題は韓国的な現象だと思います。事実、もっと極端な軍隊もあります。インドネシアの軍隊は最初から国会の議席を持っています。とにかく軍の政治的偏向は、軍が権力化される傾向が強いので起きるものと考えます。だから合法的に、または合理的にコントロールされれば、この問題は解決できます。ですが、韓国的な現状をよく見ると、3つの点で文民統制に違反しています。第1に予算のコントロールです。韓国の国防の核心といえる予算執行計画は中期国防計画ですが、これは法律にない過程です。中期計画というものを立てるのではなく、中長期予算が必要とされる事業は、企画財政部の予備妥当性の検討を受ければそれで終わります。法で定めた手続きを守らない名分が、軍で別途に作った中期国防計画によっているということです。これは大統領の承認さえ受ければ終わる文書です。それを持って記載部を圧迫します。第2に、軍は組織のコントロールも受けません。軍における将校の定員はどの法にもなく、単に「国防組織および定員に関する通則」に1行だけ出ています。「国防部長官は、国軍の定員水準や軍別・階級別の定員を、大統領の承認を受けて決める」(第6条1項)。A4用紙1枚に「大佐を増やします」「将軍を増やします」と書けば手続きが終わります。一般公務員は行政安全部のコントロールを経て、閣僚会議を通過してはじめて増員が可能ですが、軍人は組織と人材に対するコントロールがされていないのです。ですから、軍は政府のコントロール手続きにおいて例外となり、大統領と直接取引しようとします。韓国の憲法精神に触れる、とても誤った慣行です。最も基本となる予算と組織がこの程度ならば、あとの軍事計画や作戦状況などは語る必要もありません。予算と組織については、政府だけでなく国会のコントロールも不十分です。国会の国防部に対するコントロールは、毎年、政策の一番最後の段階、すなわち予算案の議決段階や、ある法律案の通過時点で可能にすぎず、計画樹立の段階でコントロールできる手段がありません。先進国の場合を見ると、例年、安保報告書、中期国防検討報告書のようなものが、すべて法定文書として決まっています。アメリカでは年例安保報告書を議会に報告する主体が、国防長官ではなく大統領です。大統領の軍統帥権も議会の承認事項です。国防権限法(National Defense Authorization Act)といって、議会は会計年度ごとに、いくつかの条件で大統領の国防コントロールを承認するという、強力な文民統制の制度を確立しました。ですから、政策樹立の段階から細かく関与できます。3つ目に、韓国軍は市民によるコントロールもできません。国民生活に直結した各種の許認可、軍事保護区域の指定、武器導入時の透明性、市民団体と関係した部分などで制度化された手続きは存在しないと考えるべきです。

このような現実は、正常な国家経営で国防が離島として存在するといえるでしょう。結局、韓国の軍事制度を厳密に診断しようとすると、基本的には民主主義を指向するものの、実質的な運営においては、軍国主義と民主主義の中間ぐらいの形態だと言えます。軍が外部のコントロールから逸脱しようとするのは、自己決定権を持つという権力指向的な属性のためですが、それが軍隊文化全般に影響を及ぼしながら、一般的に公の組織が持つ属性を超越してしまうんです。そのような超越的な存在として、韓国の軍隊は、公共組織の中でも格別に独歩的な権力集団の形態を維持することになるのです。

余奭周 お話しを聞いていて思い出したのですが、私は最近、日本の『坂の上の雲』(司馬遼太郎、1968~72年『産経新聞』連載)という小説をまた読み返しています。日露戦争をおこなった日本軍に関する話ですが、興味深い部分があります。おおおそ要約すると、明治維新の時期、日本軍は、国民が困窮しているにも関わらず、なんとか徴収した金で戦争をする集団だったため、国民の意思をいつも意識し、あわせて国民は、軍がどのように軍事力を行使しているかにかなり関心を持った、だから日清戦争の時、ある海軍の艦長が、きちんと攻撃任務を遂行しないので、一般国民がその艦長の家に集まって石を投げることさえあった、だが1900年代に入って、日清戦争、日露戦争で勝利して以降、軍の存在が浮上して国政にまで参加するようになると、軍人が、国民から財貨やサービスを提供されることを次第に当然のように考えた、それが窮極的に第2次大戦、太平洋戦争を起こして、国家崩壊にまで至らせた……このような一節が途中で出てきますが、とても胸に迫るものがありました。韓国の軍人の一部でも、似たような考えを持っているのではないかと思います。

 

「生活館」でも生活はない

李泰鎬 余さんがさきほど、軍人は「軍服を着た市民」といいましたが、今の軍隊の姿とは率直にいって距離があると思います。まず言葉の問題にしても、社会で使う言葉があって、軍隊で使う言葉があるじゃないですか。最近、流行しているように、「……しただろ、ということです」というように、無条件に最後を「です」「ます」で終わらせなければならないおかしなものです。軍服を着た市民であるということが、実際に軍で重要な精神ならば、日課を終えて「生活館」〔軍の下士官たちの居住空間。もともとは植民地時代の名残で日本と同様に「内務室」「内務班」と呼ばれたが、2005年に名称がこのように変更された――訳者〕に戻っても、階級によって尊称を使う習慣はなくすべきです。勤務時間中はそうするとしても、勤務外の時間に生活観に戻れば、作戦状況が再び到来するまでは市民として待遇するべきだということです。そのようにできない現実が、戦闘力を高めるよりも、むしろ思考自体をできなくすることによって、軍の戦闘力も落とし、結果的に政策の偏向ももたらすと思います。政治討論どころか、自己主張をすること自体が大変ですから。このような伝統は、すべての国の軍隊にあるわけでなく、日本で明治維新の時、国民皆兵制を施行する過程で、いまだ国民性などというものがなく、封建農奴に過ぎなかった人々をむやみに連行して、「おまえは何も考えるな、やれと言われた通りにやれ」としていた日本の軍国主義文化の残滓ではありませんか?

余奭周 そうですね。韓国軍の出帆当日から問題になったのは、人間は朝鮮人ですが、制服はアメリカのものを着せて、生活規範は日本軍のものを持ってきたといいます。今日、解放を迎えて何年目なのに、そんなことをしていていいのか――いけないのですが、現実はそうなんです。提起された問題に積極的に同感です。「生活館」という用語も本来「内務班」だったのを、数年前に変えたんです。

李泰鎬 「内務」という言葉は、「業務の延長」という意味で、「生活観」ならば業務が終わって生活に戻ったという意味なので、概念が変わっているんですけどね。

金鍾大 私が2008年度の国政監査の時、陸軍本部の業務報告資料で本当に印象的に目撃した一節があるのですが、将兵精神教育の目的の欄に「入隊前に社会で汚染された入隊将兵に対して、持続的かつ反復的に国家観を注入して矯正することをその目的とする」となっていました。

李泰鎬 おっしゃったとおり、脳を洗うという「洗脳」ですね。汚染されているわけですから。

金鍾大 ですが、これが実際に国政監査の日には削除されていました。本人たちもひどいと感じたんでしょう。このような思考の中では、軍服を着た市民という意識が、いや、そのような言葉自体も軍隊にはありません。軍隊が信奉する特殊権力関係理論によると、学校、刑務所、軍隊は、人間としての基本権が制限される空間です。ですが、これは過去の軍国主義の時期、特にドイツで発展した理論です。市民に適用されるのは一般権力関係です。市民も義務と責任を回避すれば、それによる不利益があるでしょう。警察に立件されて裁判所で処罰を受けてという具合にです。軍ではそれよりもさらに高い水準の規律を要求できるとなっていて、それが基本になる以上、軍隊は一般市民の権力関係から逸脱した集団になります。だから、軍隊も社会共同体の一員であり、1つの職業集団に過ぎないとして開発された言葉が、まさに「制服を着た市民」という用語です。単純に「内務班」の問題ではありません。基本権をコントロールするという意志をもとに、すべてのものが設計されているので、食事をすることから起居、余暇の時間まで、すべてコントロールの対象ではないでしょうか。

李泰鎬 今のお話しもそうですが、さきほど、軍が独立的な領域を構築しているという趣旨でなさった批判も常識的にうなずける話です。ですが、軍内部ではかなり異なった態度を示すかもしれません。

余奭周 軍はおそらく関連規定を持ち出して、そのような批判が不当だというでしょう。その規定が上位法令に違反するとしても、「私は規定通りにやった」というでしょう。たとえば予算の場合なら、国防企画管理制度に明文化されているので、本人はそれに従うわけです。それ自体が間違っているとは考えないでしょう。ならば、軍が持っている国防企画管理制度というものが、上位法令とどのように衝突し、何が間違っているかを国会が指摘して正すべきです。そのようにしなければなりません。

李泰鎬 すべての公務員が市民的な批判意識を持つのは少し大変です。それなりの職業規範のなかで暮らしていますしね。「魂のない公務員」という言葉もありますが、他の見方をすれば、そこまで卑下することではありません。ですが、軍人はそれよりもさらに深刻なこともあり、そのために並大抵の努力では、自己コントロールの装置を備えることがさらに難しいという話も聞きます。

余奭周 そのような批判を聞くと、自らの正当性や正直さが攻撃されるような印象を受けるでしょう。私が見たところ、もしかしたら軍の組織全体に亀裂を起こすほどの記事を、昨日、朝鮮日報が書きました。 1 そのような意図ではまったくないと思いますけどね。母親たちが最近、軍隊に関心が高いという内容です。私が大隊長をしている時、親が少し関心を持ってくれたらと思ったときもありました。軍隊には空きの空間も多いですが、やってきて息子の洗濯をしたり食事も作ったりと(笑)……国民皆兵制ですし、どうせ家に帰る子供たちでしょう。国民が関心をもっと持つべきです。これまでは事実、関心を傾ける通路もありませんでしたが、実際にも関心外でした。軍隊に行って殴られれば、父親が「俺の時は、逆に殴られなければ夜も眠れなかったぞ。そんな、一発殴られたぐらいで」と言っていました。ですが、いまや関心が高くなって、兵士たちの生活にいい影響を及ぼすと思います。

金鍾大 前方で食事係をする母親たちも多いです。

余奭周 行軍に出ると、付いてくる父親もいます(笑)。

 

南北分断体制があおる軍の政治的偏向性

李泰鎬 政治的偏向の問題と関連して、もう少し確かめたいと思います。朝鮮半島が分断状況なだけに、軍が北朝鮮に対する敵愾心を利用して、軍の士気を鼓吹しようとする面が多いと思います。ですが、韓国の政治状況を見ると、同様にそのような面を重視する政治的集団があります。このような形の社会構造の下では、軍が本能的にも構造的にも北朝鮮との関係において、さらに強硬かつ敵対的な態度を強調する政治勢力に接近する問題が出てきます。まさにこのことが、軍の政治的偏向をもたらす1つの原因として作動するのではないかと思います。軍が上意下達でマニュアル通りに動くとはいいますが、保守政権の時、特に北朝鮮に対してより対決的な政権では、政府が指示しないことまでずいぶんとやりました。反対に、盧武鉉政権の時は、作戦統制権の返還問題と関連して、集団行動も辞しませんでした。もちろん、軍を改革しようとしていた政権ですから、既得権のためでもあるでしょうがね。

余奭周 その集団行動というのは、軍ではなく、在郷軍人団体で既得権を享受する人々がやりました。軍でそれに反対する集団行動をした人は、私の知るところでは1人もいません。韓国軍はそれほど度胸のある軍隊ではありません。

李泰鎬 もちろん明示的には反対できなかったでしょう。行動に出た人たちが動く時、反対に軍の作戦統制権を取り戻そうという予備役も結構多かったとすれば、そのお話しを私も受け入れられそうです。ですが、私が見るところ、その当時、予備役の将校はほとんど反対しました。

余奭周 賛成する人も多かったと思います。

李泰鎬 そうした方々は公開的に立場表明をあまりしなかったんですね。だとすれば、軍の作戦統制権の返還に賛成する人々が公然と出てくるには、かなり神経を使う雰囲気だったというのが事実ではないでしょうか。

余奭周 だから怖いんでしょう。あちらは何も区別しませんからね。私が盧武鉉政権の軍側の担当者に言ったことがあります。一般的に軍と民主勢力を対立的に見ますが、軍の大部分を占める若い将兵の多数が盧武鉉大統領を支持しました。つまり、盧武鉉政権は軍の全面的な支持を受けてスタートした政権だということを忘れてはなりません。この政権の主要なメンバーは、軍をよく告発しようとし、軍を反対勢力と考えますが、それは絶対に違うと思います。

金鍾大 私も関心のある事案ですが、保守政権になってこの数年間、野党に対する軍の認識がとても悪くなりました。これはおそらく簡単に元に戻せないでしょう。軍が政治的に偏向しましたが、進歩側があまりにもそのように考えるので、当然のことながら、その反対側で不安ないし敵対感を持ちました。それが李明博政権になって、軍人には、あたかも野党が政権をとったら、自分たちがみな死ぬかもしれないという恐怖心すら拡がりました。特に海軍の場合がそうでした。文在寅代表もそのような雰囲気を意識して西海第2艦隊司令部などに行ったりしましたが、私が見るところ、やはり準備不足の発言をずいぶんしました。結局、本来、生じる必要もない葛藤がますます大きくなったわけです。ある意味で、軍の持つ政治的偏向性を当然視して受け入れたのは野党です。だとしても、軍の一部の声の大きな将軍や予備役の意見を、軍全体の世論と考えてはいけません。軍隊も妙な側面があります。私たちがきちんと対すれば、いくらでもそれ以上の気持ちで報いようとする潜在力が見えます。軍はみな同じように見えますが、よく見ると、そのなかにも複雑な世界が存在して、それなりの多様性があるという事実を忘れてはいけません。

李泰鎬 私が外で感じるのですが、盧武鉉政権は軍に非常に友好的でした。国防費もかなり増やしました。李明博政権は果敢に削減しました。盧武鉉政権は国防改革の努力をしましたが、当時、私が非常に不満に思うくらい軍に一任して、軍が自ら政策を提示するようにと自立権も与えました。その過程で、国防改革に対する認識が、軍内でも陸・海・空軍の間でかなり異なると感じました。

 

社会の公論の場を崩壊させた「対内心理戦」

李泰鎬 さきほど少し言及された、国軍サイバー司令部の話に移りたいと思います。軍人が安保教育も担当していますが、最近は「対内心理戦」という言葉を多く用います。ですが、心理戦といえば作戦概念です。敵を相手にやることです。軍が国民を相手に心理戦を行うことをどう思いますか。また、既存の安保教育を含めて、そのような心理戦で軍が厳正に政治的中立を守ることができると思われますか。

余奭周 サイバー司令部は絶対にやってはいけない反憲法的行為をしています。

李泰鎬 対内心理戦をやってはいけないということですか?

余奭周 絶対にだめです。サイバー戦の主な舞台は、北朝鮮のサイバー空間であるべきです。もちろん、北朝鮮のサイバー空間は極度に狭く、対北朝鮮心理戦のような作戦ができる空間がないので、韓国内のサイバー空間に視線を転じることもありますが、これも戦闘力の一種と考える時、平時に自国民に戦闘力を使用できるかという点で、基本原則からはずれると思います。

李泰鎬 北朝鮮がサイバー戦争を韓国のサイバー空間でやっているので、ここに介入するべきだというのが軍の論理ではありませんか。

余奭周 韓国内の民間サイバー領域を防御することが、サイバー司令部の主な役割と見るのは無理があります。サイバー司令部の基本の役割は敵国のサイバー空間であって、上級部隊の作戦目的を実現するための任務や活動を遂行するものです。北朝鮮のサイバー部隊が韓国の民間サイバー空間で作戦を行うならば、その源泉を無力化させることが本来の任務であって、その対象である自国民にいかなる影響を及ぼそうとするのは、非常に危険な試みであり、民間に対する軍事力使用の是非を惹起する可能性があると思います。

金鍾大 提起された通り、対内外の問題で接近することもできますが、軍がそのようなウェブコメントをする表面的な名分は、北朝鮮が韓国内での葛藤を企んでおり、そしてそこに「従北勢力」〔北朝鮮に同調するとされる韓国国内の勢力。右派の政治攻勢に使用されるレッテルであることが多い――訳者〕が反応するので、対応しないわけにはいかなかったということではないでしょうか。ですが、本来のウェブコメントの内容を見ると、軍がやっているそのことが、まさに韓国内の葛藤をさらに拡大する格好になっています。そうした点でサイバー司令部は北朝鮮と呼吸がよく合った同業者ではないかという気もします。両者は同じ目的を指向していたわけですからね。それがどこでまた確認できるかというと、ウェブコメント工作の主な指針や方向を見ると、北朝鮮から国民を保護するための言葉ではないということです。かなり人格冒瀆的です。なぜこうなのか? 国家情報院のウェブコメント工作と同じ目的ですが、彼らは、進歩勢力に、野党に勝つためにやったわけでありません。彼らはサイバー空間で進歩勢力が優位を占めていると信じていて、その空間自体を無力化しようとすることに一貫して焦点を合わせているんです。そのやり方が、まさに嫌悪的で人格を卑下するような言葉だったわけです。今、裁判を受けている国家情報院の「左翼梟首」〔ウェブ上のニックネーム。「梟首」はさらし首の意――訳者〕という要員は相当なエリートですが、国防部でもサイバー司令部は、青年たちから真の羨望を受けている職場です。国家公務員試験の予備校の対策クラスまであるほどです。そのように有能な人間を連れていって、低質のウェブコメントを書かせて拡散させていたわけです。当事者にとってもものすごい苦痛だったと思います。ですが、これがそれ自体として公的な目的があると言った瞬間、それが可能になるのです。

サイバー戦は、2010年の地方選挙で保守が惨敗した後から始まりました。事実、その時、「国民疎通秘書官室」ができて、保守のインターネットメディアを育成し、ハンナラ党で別名「十字軍アルバイト団」(略称「十アル団」)に代表されるウェブコメント団体も組織して、そのうえ国政広報に至るまで、ものすごい資源が投入され、すでにサイバー上で進歩と保守の均衡は、相当部分、互角になってきました。過去において、インターネットメディアの影響力調査で、進歩側が9、保守側が1だったのが、このような努力を通じて保守が4くらいになっています。そのうえ、ある日から公務員がみなフェイスブックやツイッターに通じるようになりました。高位公務員の評価にも入っていて、このようになったんですが、ほとんど半強制で実施されたので、最初は不平を言って学んでいましたが、やってみるとおもしろいわけですね。その後、政府もSNSに直接行為者として入ってきました。このような状況なので、あえて国家情報院やサイバー司令部が動員される理由がなかったわけです。ならばなぜサイバー司令部がその後登場したのか? 申し上げたようにこれは目的が少し違います。初めは、文化体育観光部や国民疎通秘書官室のような会議のテーブルに、国家情報院や「機務司」(国軍機務司令部、Defense Security Command, DSC)もいました。ですが、国家情報院や国防部は、保守-進歩の均衡を合わせようとしたものの、結局、進歩勢力に勝てないという内部認識を持ち、別途の特別対策に逸脱するのです。完全にオンライン空間自体を崩壊させる方向にです。そのようにすると、保守自身も壊滅する側面が実際にはありました。ですが、それによって嫌悪の感情が韓国社会に広がり、葛藤指数が高まって、到底すべてを説明できないほどの被害をもたらしています。これはまさに北朝鮮が狙っていることではないでしょうか。同業者でなくてなんでしょう。

李泰鎬 このウェブコメント工作事件が、「イルベ」のような極右主義や嫌悪主義の成長に一助しましたし、事実、直接的な関連もあるという話がかなり出ています〔「イルベ」は韓国のインターネットコミュニティで「日刊ベスト貯蔵所」の略。極右的な政治的指向をもち、日本の2チャンネルとも比較される。女性蔑視、外国人差別、進歩系の人物への中傷が多く、オフラインではセウォル号沈没事故でハンストをしている遺族に対して妨害行為を働いたりもしている――訳者〕。最近話題になっている「親連合」にしても、大統領府や国家情報院が関連しているという説が出ています。私は、朴勝椿・報勲処長官に対して明示的に言いたいのですが、国家情報院ウェブコメント事件の時、報勲処もなかなか侮れない役割を果たしました。ですが、あの時から今までずっと長官職に居座りつづけています。報勲処も結局、軍と関連した政府部署ではないでしょうか? ですが、その役割を見ると、ただの報勲くらいで終わるものではないという気もします。

金鍾大 国家情報院やサイバー司令部はもちろんのこと、報勲処のような行為主導者も明確に問題です。ですが、もしかしたら、現在、さらに大きな問題は、彼らが拡散した嫌悪の情緒が、韓国社会の差別を正当化する新自由主義的な属性とよく合致していることかもしれません。そう考えてみると、現在は、当時の行為者などみな消えてしまったにもかかわらず、その作動のしくみはそのまま残ってさらに拡がっています。国家情報院や軍などにこの責任を厳正に問う一方で、セウォル号事件やカンジョン村などで、同じ問題が例外なく発生する事態の深刻性についても、私たちが省察的に接近するべきです。単に主犯を処罰する問題を越えているということです。犯罪行為が明らかになっても放置していたこの数年は、今後、市民の公論の場において、大きな苦痛として跳ね返ってくるでしょう。

余奭周 軍事機関は敵との戦いを専門に行う集団ですが、『孫子』に「兵は詭道なり」(兵者詭道也)と出ているように、戦いの基本は敵を欺くところにあります。言ってみれば、汚い手段を使うように要求されるわけですが、そのようなことを自国民を相手にすることはやめるべきです。そんなことをしていると、結局はその集団の没落をもたらします。今日、韓国軍が苦労しながら非難されるのも、みなクーデターから始まったことです。国家情報院には本当に立派な人が多いと思います。今も、中朝国境の丹東のような町で、夜もろくに寝ないで情報収集しながら苦労している人々もいます。その人々のすべての犠牲や努力が、ウェブコメント事件のせいで吹っ飛んでしまっているわけです。情報機関自体も同じです。

李泰鎬 いいお話しだったかと思いますが、にもかかわらず、結局これは不処罰の問題ではないでしょうか。処罰をしなければ責任を負う人がいなくなって繰り返されるからです。現在のセウォル号の問題もそうです。事実、法の支配というのは、単純に言ってみれば、法を犯した時、それを明確に処罰するべきということです。サイバー司令部のような場合には、軍内部で裁判をするので、処罰が軽かったというのがおおかたの評価ですが、結局は、軍司法制度の限界のせいで、ほとんどが見逃されて一部だけ起訴されて、その一部すら軍内裁判ですから、かなり処罰範囲が小さくなるようです。この点で軍司法改革は、軍を民主的にコントロールするための最小限の措置だと思います。これは軍の人権問題とも密接な関連があります。兵営で起きた銃器事件以降、軍の司法改革の問題が軍の人権法制定とセットで議論されましたが、結局、今回もうやむやになってしまいました。盧武鉉政権の時も失敗しましたが。急流に乗って進められた軍人権法の制定の議論も、盧武鉉政権の時期に議論されて中断した、軍改革措置の1つだったんです。結局、「軍人の地位および服務に関する基本法」という名の法が制定されましたが、「人権」という概念は受け入れられませんでした。核心内容の1つであった「軍人権保護官」制度も、別の法によって新設するといいながら、まだその動きがありません。ですが、軍は「人権」という単語をとても嫌がります。軍が「軍の人権」という概念をなぜ受け入れないのかわかりません。軍人は人間でないというのでしょうか……。

余奭周 盧武鉉大統領が当選した後、私がNSC(国家安全保障会議)の業務引継で業務引継委員会の安保チームと業務を行いましたが、兵営生活の改革は人権概念の導入から出発するべきだといったところ、当時、軍で最も理解力があるとされていた先輩さえもびっくりしていました。アカ(共産主義者)のようなことを言うと。ですが、もう一度話してみる必要があるのではないかと思います。さきほど新聞記事の話もしましたが、結局、親が願うのもそのことではないでしょうか? 自分の子供の人権が保障されることを、どのようにしてでも関心を持って見守りたいということです。人権概念で接近して、軍の諸般の問題を解決しようとする試みは、正鵠を得た方法だと思います。びっくりする人もいるでしょうが、雰囲気さえうまく合わせれば可能です。誰を攻撃しようというのでなく、人権を保護しようということですから。

 

韓国軍の軍事力の現住所は?

李泰鎬 軍の特性の1つは強い軍隊になろうとする属性です。これは結局、軍事力増強の欲求として出てきますが、多くの国民も、強い軍隊が安保問題を解決してこそ、平和は守られるという言葉に説得されていると思います。私たちはあたかも軍隊だけが国を守るように、あるいは軍事力や武器だけが国を守る手段のように思考することに慣れているのではないでしょうか? 平和や協力も国を守る方法であり、大小の紛争や葛藤を予防する方法なんですが。ですから、世の中は結局、強者が支配するといった主張が、「現実主義」という名で強要されたりもします。

余奭周 この世にあるすべての兵法書の論理を、ぴたりと四字で整理すれば「優勝劣敗」です。優れた者は勝ち、そうでない者は敗れる。ですが、この時の「優」が「強」と同じ概念かは考えてみるべきです。米軍がベトナムで戦闘に勝ったものの戦争で負けたようにです。武器水準がはるかに高いイラク軍が、IS(イスラム国)に連戦連敗している例もあります。韓国軍がいい武器体系を望んで、全世界の最高級の武器を購入しようと努力していることが、「優」に近づくことなのかについて、私は少し疑問を持っています。

李泰鎬 もしかすると、軍事的なことでなく、みな一緒に協同したら生き残るのだという兵法はないでしょうか?(笑)

余奭周 国家安保を目的とする国防は、軍事力だけでは成り立ちません。国防の中に外交もあるからです。一番いい方法は、敵国と親しく過ごすことです。戦わずに勝つんです。経済、社会、文化のような要素が、みな一緒になって相乗効果を出すことが重要です。

李泰鎬 軍があまりにも「備えあれば憂いなし」(有備無患)という言葉を使うので、その語源を調べてみたんですが、あらかじめ備えて葛藤をなくせば争いもないという意でした。軍備を積み重ねておけば争いがないという意味ではありません。葛藤が深刻になるまで放置せずに備えておけば、後で衝撃も少なくなるという意味にもなります。4月初め、アメリカの民間軍事力評価機関であるGFP(Global Fire Power)が発表した「2016世界軍事力順位」によると、126か国のうち韓国は11位、北朝鮮は26位でした。ですが、韓国軍はまだ北朝鮮より軍事力が優位であるということを認めないでしょう?

余奭周 その時々で違います。お金の問題について語る時は、私たちの方が劣勢であるといいます。軍の行事に行けば、世界最強の軍艦だ、戦闘機だといっています。ですが、これは軍の一般的な属性です。一例として、冷戦期、アメリカ国防省で発表したソ連の国防費規模が1年間に2倍に増えた例もありました。そのように大きくなった数字が、自国の国防予算の増額の正当化に活用されたりもしました。国防部が予算を増やせと言うのは、私たちが死んだ後もずっと続くでしょう。その適切な規模を決めるのは軍ではありません。ならばそれを誰がやるかといった時、大韓民国では主体が少し曖昧だということでしょう。戦闘力を増強させるのは軍の任務であり使命ですが、新型の外国製武器を買ってくることで、それが戦闘力の増強に直結するという錯覚に陥ってはいけません。この時代に合わせて新しい方法で戦争遂行をする、「ウォーファイティング」(war fighting)の概念で、それに合った武器体系を購入する構造にするべきなのですが、韓国軍は逆に武器が主導しています。ならば、担当の現役軍人は武器体系をどこで見るのでしょうか。業者の報告を持ってこいというでしょう。「何かいいものはないか?」というと、業者は、艦艇ではどんなものが出て、航空機には何があって……といって、そのようなところに不正も芽生えやすいんです。

ならば、その重要な「ウォーファイティング」の概念は、はたして誰が作るのか? 韓国の軍・官・学者がみな集まって作るべきです。これは実際にはかけ声に終わるだけですが、なぜなら大韓民国には米軍がいるからです。米軍の司令官が戦時作戦統制権を持っているから、しばしば戦時にだけ作戦統制をするのかと考えますが、実はこの司令官がいつも作戦計画を樹立します。過去に2年に1回ずつ、周期的に立てましたが、そのたびに私たちが追いつけないくらいの水準で、そのつど作戦計画を発展させます。その司令官の目の高さは米軍の戦力ですから、私たちはそれを遂行するだけでも手にあまります。ですから、韓国軍は作戦計画の遂行に、今、これくらい足りないといって、それを埋めろといって大忙しです。私たちが私たちに合った戦争遂行の概念を懸命に作ったところで、それはそのままお蔵入りになって、実際には他国の将軍が作った計画に、私たちは資金を供給しながら、それをずっと追いかけていくんです。

李泰鎬 とても重要なお話しを2つほどして下さいました。適正軍事力というのは、軍ではなく外部で設計すべきだということと、作戦統制権がない状況、特に現在の韓米同盟が軍備を触発する要因になるとおっしゃられました。ですが、適正軍事力を軍に設計させるべきではないとすれば、それ以前に、いったい何を威嚇と規定するのかについても、軍だけに依存してはならないでしょう。威嚇とは何か、それはどこからきてどの程度なのかを確実にして、はじめて優先的に、必要な対応態勢はどのようなものであり、そこにお金はいくら使って、というようなことを決められるはずですが、そのためには軍内部以外に、もう少し総合的な観点でチェックされるべきではありませんか?

金鍾大 それがNSCでしょう。すでに装置は準備されています。

余奭周 作動しないから問題なんです。

金鍾大 とにかく最小限の装置があるわけですから、それをうまく活用するという意志を備えるべきです。私たちがいくら国防費を多く使っても、アメリカや北朝鮮に引きずられざるを得ない理由はいろいろあります。まず北朝鮮は、旧時代の在来式の武器でも戦略的にうまく使いますが、私たちは最先端の武器も在来式にしてしまいます。どこに飛んで行くかもわからない、あちらの砲やミサイルが、私たちが設置している高価な武器に対して戦略武器になっています。2つ目に、武器導入というのは、本来、安保のためにやることですが、よくみると武器導入のために安保をやっているような面があります。このように本末が転倒しているので、作戦に失敗するとすべて装備か何かのせいにします。天安艦事件の時(2010)、警戒に失敗したのではないかと言ったら、不可抗力だ、このソナーはもともと魚雷を捉えられない、などといって、みな免責されてしまいました。そのために救助艦として統営艦を導入しましたが、セウォル号沈没事故の時(2014)は何をしていたのかと聞くと、今度は音波探知の装備に不備があったと言っています。延坪島砲撃事件の時(2010)、私たちの海兵隊が撃った砲弾が田畑にずいぶん落ちました。砲弾を撃つ時、風速や天気に、より標的補正をしなければならないのですが、その気象装備がなかったというのです。ついこの間も、「ノック亡命」 2や「宿泊亡命」 3事件が起きて、これは指揮官の誤りではないかと言うと、規定通りきちんとやったが、監視装備にまだ限界があって、などといって、またみなすり抜けてしまいました。それから、2014年に延坪島付近に北朝鮮の警備艇がNLLを越えて、韓国側が警告すると、北朝鮮が発砲しながら抵抗したことがありました。これに対して、韓国の合同参謀議長と第2艦隊司令官が撃破・射撃しろと言いました。ですが、私たちの誘導弾高速艦に不発弾がひっかかって失敗しました。海軍の弁解では、不発弾は15分以内に修理するように海軍の規定に出ているが、11分以内に修理をしたのできちんと処理したというのです。昨年の木箱地雷事件のような場合は、そこが監視の死角地帯でもありません。人が常時出入りする、最高によく見えるところで事件が起きたんですが、これについてはあまりにも何も言えず、とにかく怪我人を連れて立派に撤収したということで英雄視しました。このように、保守政権において、実戦と類似した軍事作戦が例外なく失敗した理由を見ると、90パーセント以上が装備や天候のせいです。失敗の人間的な要素はみな排除されるのです。ここに見られるように、韓国軍の武器導入や装備維持は不良だらけです。そのうえ、また別の武器需要が登場しています。ですから、私は、韓国と北朝鮮の軍事力を比較することは意味がないと思います。武器の数字を語ってどうするんですか。実際にある武器もきちんと運用できない軍隊がです。アンドリュー・マック(Andrew Mack)という学者が研究したのですが、これまで50年間、軍事力が弱い方が勝ったケースが55パーセントと、そちらの方が多かったそうです。整備態勢や戦闘の完全性のような側面に関心を持たずに、常に新しい武器で膨張させようとする業績主義的な思考で軍が管理される以上、私たちが知っている軍事力は虚像です。そうした点で、韓国軍がこのような問題を一斉点検して正そうとする努力がないというのも、まったくもって奇異な現象です。

 

過度な物量と度重なる不正、防衛産業の構造的問題点

李泰鎬 ですが、韓米同盟が、韓国軍が不必要な装備を購入すべく機能する場合が多いとすれば、議論が続いた「THAAD」(高高度ミサイル防御体系)もそのような場合に属するとお考えですか?

余奭周 これは私の表現ですが、戦う方法には富者の戦い方と貧者の戦い方があります。大韓民国はそれほど富者ではありませんが、世界でもっとも裕福な国であるアメリカの軍隊と数十年いっしょにいると、よく富者の戦い方を使おうとします。武侠小説などを見ると、毒を使う人が時々出てきます。何年も修練せずに毒で、途方もない武功を持つ人を制圧します。その人たちが平時にその毒の針を持ち歩くために、またそれに自ら刺されないように、ものすごい努力をします。朝鮮半島の安保環境を見ると、私たちはそのような戦い方を備えるべき国ですが、富者の戦い方を追求していると、いつも足りないのが装備です。THAADはすでに北朝鮮のミサイルを防御する武器ではなく、大韓民国の国民の不安な心理を防御する武器です。やみくもに反対することはとても難しい状況です。基本的に私たちの実情とは合わない武器体系ですが、これに反対すればすぐに「従北」勢力とされてしまいます。ですが、これを設置してくれという地域住民も、またどこにも見当たりません。

金鍾大 セヌリ党も最近はTHAADの話をしません。

李泰鎬 THAADを設置するという言葉だけで効果的だったので、もうさっと手を引いてもかまわないでしょう。

金鍾大 はい。少し誤解の余地がありますが、軍に不必要な武器というものはありません。戦争時は石ひとつ棒ひとつもみな使い出があります。なので、他の軍事作戦もあり、防御すべきさまざまな威嚇があるのに、こちらの方が優先的なのか、というように接近してこそ合理的でしょう。THAADがあるならば、せめて航空機迎撃やレーダーで空中を監視するには役立つでしょう。ですが、これに伴う他の費用がとても大きいので問題になります。また、今、私たちが戦争における勝敗を分ける最も決定的な作戦がどのようなものかを深刻に検討する時です。THAADでミサイル防御をするというと、前方で航空作戦ができません。開戦初期に最も重要なのが航空作戦で、そのときは場所をあけなければなりません。さらに軍内でも、今、武器体系同士が重なっていて、たとえば、陸軍が地上戦を遂行するのに、海・空軍が邪魔になるからどいてくれといった具合です。そうなると、敵ではなく味方が荷物になる場合が発生します。

李泰鎬 軍は武器を増強したいと考え、政府にはそれを牽制する装置がなく、そのうえ武器を作ったり輸入する人々が、毎日ショッピングリストを持ってきて、この武器もいいしあの武器もあればいいといえば、自然と武器を購入しつづけるサイクルになるのではないかと思います。話が出たついでに防衛産業の話をしてもいいでしょか。最近、防衛産業の不正もありましたが、武器を購入することの妥当性、購買以降の効果性、またそれを生産する業者の持続可能性のような問題に、別途、省察することがないようです。

金鍾大 防衛産業の不正と関連して、今、広がっている惨状については、その原因をきちんと診断するべきだと思います。武器仲介商のロビーにひっかかったのは、過去にも1990年代にリンダ・キム事件や栗谷不正の時もあったことです。しかし今回は、それを触発させた契機が異なります。今、防衛産業の不正は、事業費規模で1兆ウォンを超えていますし、該当装備の買入額だけでも2千億ウォンを超えますが、その個別の件を見ると、明確に発見される共通点があります。韓国内で研究開発したものをやめさせて、外国購買に変えろ、この会社をあの会社に変えろ、中期計画に本来なかった武器だが、今回、延坪島砲撃事件が起きて安保危機だから至急設置しろ、というような政治的決定が乱舞しているのです。不正はすべてそのような事業で起きました。空軍電子戦訓練場費、海上作戦ヘリコプター、統営艦のようなものはみなそうでした。既存の政策が動揺すれば、一発主義の勢力が割り込む隙間ができます。予算はバラバラだし、早く買えと言うし、どうやって政策的な能力が発揮できるでしょうか。情報を持っている武器仲介商に依存せざるを得ない状況が自然とできあがります。適切な予算が編成されて、何年かにわたった妥当性の検討を経て正常に進められる事業ならば、大きな不正が出てくるわけがありません。私が見るところ、軍だからといって、特別に腐敗しているわけではありません。最近、防衛産業の不正が保守政権に集中的に起きています。これまで発表されたところでは、すべてが2010年から2012年の間に行われました。その時期はまさしく安保危機の局面で予算が大幅に削減された時です。導入先が変わって、大統領府が武器購買に直接介入するこの渦中に、誰が力を発揮するでしょうか? 情報力や代案を持つ人々が主導できる場が開かれたのです。このような事態を防止したければ問題は簡単です。合理的に納得できる費用を決めて、辻褄が合うように体系的に事業管理をすれば、不正は自然と減っていきます。ですが、保守政権がこのような原因自体を診断できずにいます。

李泰鎬 李明博政権の防衛産業不正が、どのような原因で行われたのか、十分にうなずけるように整理して下さいました。ですが、だとすれば、国産開発で数十年間続けてきた事業には、はたして問題がないのでしょうか? たとえばタンク事業は国産開発事業で推進して30年を超えますが、毎回、開発単価をだましたり、部品価格を膨らませたり、不良品を納品したりするなど、問題が続出しているでしょう。むしろ防衛産業を育成するべきだと言いながら、国産開発に特典を与えて、専門化・系列化して事実上独占を保障して……。

金鍾大 主要事業はほとんど競争体制に変わりました。

李泰鎬 専門化・系列化はまだ残っています。たとえば、韓国型ヘリコプター事業の場合、経済性がないという専門研究機関の評価が出ているのに、無理に始めたのはKAI(韓国航空宇宙産業)の工場を運営するためだったという推測が出ています。ヘリコプター開発事業をなぜKAIだけとやろうとしたのでしょうか? この事業に大韓航空が参入できていません。ヘリコプターは本来、大韓航空の方に専門性があるにもかかわらずです。これは事実、IMFの時、倒産の危機にさらされた航空産業の企業を、国家主導で合併して作ったKAIにある程度の物量を与えなければならないから、このようなことになったわけでしょう。今、国産開発業者というのが、政府から組み立ての受注を受けて工場に回そうとして、むしろ外国から技術移転を受けることも敬遠してします。部品素材産業に投資することもせず、そのような余力もなく発展がないという指摘を受けてきました。KAIをみても、全世界に固定翼(飛行機)と回転翼(ヘリコプター)を同時に開発・生産する業者はめずらしいです。2つのうち1つだけに集中しても、生き残りが困難な航空産業の環境のためですが、固定翼1つだけでも思わしくないKAIが、経済的妥当性においても曖昧なヘリコプター事業に参入したのは、政府が防衛産業育成という名であらゆる独占的特典を与える状況を排除しては理解できないことです。問題は、それで航空産業が育成され得るのかということでしょう。巨大化して、さまざまな国の企業が提携する時代なのにです。今、不必要な受注をしているような側面はありませんか。防衛産業を育成する構造自体に、このように予算を放漫に使っているという問題があるということです。

 

韓国内の防衛産業の崩壊をもたらした保守政権

余奭周 国防予算の放漫な執行の部分は、明確に論議の余地が多いと思います。特に国内で開発した自走砲や戦車も世界最高の名品武器とはいいますが、業者に生産量を維持させるために、各部隊の戦場環境や戦時任務に適していないのに、過度に普及させている傾向があります。たとえば、山岳地域で伝統的な歩兵作戦を遂行する部隊に、そういう武器体系を普及させるのは、各機能別の戦闘力発揮の均衡性を破ったり、野戦部隊の整備支援の能力超過によって、戦時任務の遂行に悪影響を及ぼす可能性もあります。

金鍾大 保守政権は最初から国内の防衛産業の業者の不良ないし不正を疑いました。特に李明博政権は大きな不信を持って、外国に導入先をみな変えるのです。今でも事実、L-SAM(長距離地対空ミサイル)の開発をしていますが、THAADの方に熱中しています。申し上げたように、そのように導入先を片っ端から外国に変えたのが、みな防衛産業の不正として噴出しました。国内の防衛産業ではそのような類の不正よりは、不良品の問題が全面化します。企業が開発するとなると、時間をかなり引っ張り、お金はたくさんかかるので、政府が業者にパワハラを行い、納品単価を半額に値切って、苛酷に遅滞賠償金を課しました。それとともに、事業費を一律的に30~40パーセント削減しました。ですから業者は、その原価を合わせるために、新手の不正に近い方案を考案したり、不良武器をあたかも完成された武器のように、早めにシャンパンをあけて野戦に配置した結果、大規模リコールが発生しました。かなり無理に推進した計画が、野戦から抵抗となって跳ね返ってきたのです。そうなると、また不信に思うようになって、同じ失敗を繰り返すことになります。国内防衛産業の立場では、自らに敵対的な政権が登場するから、実績をはやく出さなければならなかったのでしょう。開発できないものも、あたかもできるようにふるまって、自らの生存を企てなければならない状況に追い詰められたのでしょう。このような問題が大惨事を招くかもしれません。K-11小銃からはじまって、K-21装甲車、黒票戦車……問題にならなかった武器はありませんでした。

李泰鎬 李明博政権の一般的特徴をきちんと説明して下さいました。この政権がこうなったのは盧武鉉政権に対する反感も作用しましたが、大統領が土木企業家の出身として自らの不正経験も多く、経済的な利害関係が離合集散する癒着のリンクもよく知っていたはずなのに、そうなってしまったようです。大型の土木事業や国家事業を展開して導入先を変えたり、公企業またはそれに準ずる企業に天下り人事を押し切るというやり方で、当該事業に対する掌握力を高めようとしたんでしょう。そうしたら、親族の不正や予算浪費の事例も急増しました。言ってみれば、ここに付け込む余地があると思ったらみな介入するんです。李明博前大統領の実兄の李相得・前セヌリ党議員や鄭俊陽・前ポスコグループ会長などがかかわったポスコ不正事件、代表的な天下り人事である李錫采会長に関連したKTの不正がその代表的な事例で、4大河川事業や資源外交事業も、予算の浪費と各種の不正で汚されることになりました。ですから、国防も、以前やっていたものなどを、みな導入先を変えたりパワハラをして、不正や不良を醸成したものと十分に理解できます。ですが、防衛産業のもう少し構造的な問題は、滅びる企業はそのまま倒産させるべきではないかということです。このような企業にさまざまに特典を与えながら、そのまま放置することが、全体的に韓国の防衛産業の生態系を歪曲させているのではないでしょうか?

金鍾大 それは誤解だと思います。外国業者がパワハラしている間に、韓国内の業者はほとんど庶子扱いを受けました。金大中・盧武鉉政権の時にうまくやったのが、研究開発費を増やしたということです。それを特典だと考えてもかまいません。ですが、その成果は後に出てきました。李明博政権がスタートして、韓国内の防衛産業の研究開発の基盤をみな瓦解させてしまいました。ロッキードマーティン、ボーイングなど、特典を受けた外国企業が数多くありますが、それによる費用を国内の防衛産業に転嫁してしまったんです。国内業者の立場では、防衛産業をあきらめる方向で対応できたと思いますが、実際にサムスンが防衛産業から完全に手を引きました。ですが、他の大企業の場合は、違うところでお金をたくさん儲けながら、防衛産業はしないといったら目をつけられるかと思って、完全に無視することもできずにためらっていた状態で、空気だけを読みながら過ごしていたんです。在来式の地上装備のような場合は、それでもまだ受注量が合うのでそれなりにやり過ごしてきましたが、事実、すでに国内防衛産業は、過去の金大中・盧武鉉政権の時と比較すれば、ほとんど焦土化している水準と見てもかまいません。

李泰鎬 それでは、今、国防部が言っている内容、防衛産業の輸出は増加していて、未来の成長動力になってということは……。

金鍾大 それは事実と違います。輸出がそのようにかなり増えたとすれば、なぜ防衛産業の業者の株価が落ちているんでしょうか?

余奭周 過去の努力が、今、目に見える結果として現れたということでしょう。問題は明日の実績が出てこないということです。

李泰鎬 私は、防衛産業と軍が共生関係になることで、全体的に軍備増強を引き起こしたり、不良防衛産業がゾンビ形態で維持されるという、悪循環の輪があるんじゃないかと思います。

金鍾大 今、軍でその問題を解決する一次的なカギは「所要」の問題です。そこで問題点を指摘しなければ、不良だろうと生臭かろうと防ぐことはできません。ひとまず所要がとても放漫に大きくなっています。その費用に耐えられないので、代金をむやみに値切って不良を産むことになります。防衛産業の不正捜査も、所要の決定を誰がおこなったのかから明らかにするべきです。そうでなく実務者ばかりを叩いているから、裁判になっても半分以上無罪で出てきます。

李泰鎬 威嚇の分析をして戦略を決めれば、所要が出てくるわけです。これをそのまま軍内部だけにまかせて、民主的な意味でのコントロールができなくなっているというお話しとして、理解してもかまわないでしょうか?

金鍾大 むしろ政権が一層、それを強めました。文民統制がとてもうまくいきました(笑)。大統領があれこれいってやたらとつつくので、軍人はそれならばと、当然、ショッピングリスト持っていくでしょう。ここに武器仲介商が加勢して、韓国の国防計画を完全にもてあそびました。

 

モラルハザードと過度な影響力行使

李泰鎬 武器体系の不正もありますが、軍内の基本的なことも問題が多いという認識が拡がっています。最近、報道も出て、人々が敏感に反応するのが、ベッドや防弾服の導入のようなことが正しく行われなかったという問題です。一般の人たちはこのような部分ですぐ反応します。余代表はどのようにお考えですか?

余奭周 多くの韓国の男性が軍を腐敗と感じています。ですが、腐敗と感じる理由を聞くと、ほとんど日常生活に関連したささいなことです。たとえば、乾パンを1袋くれるべきなのに半分だけくれたとかいう部分です。一般社会ではダイエットブームもありますが、兵士として服務する立場ではとても重要な問題でしょう。そのような日常生活に関連したところから出てくる腐敗は、金額では微小ですが、長期的に軍イメージに途方もなく大きな打撃です。ですが、事実、こうしたことは、軍が腐敗しているということではありません。商行為でそれを食べた人、軍に関連した人から腐敗が発生したということです。もちろん、波及効果を考えた時、そのようなことが発生してはいけないのですが。

金鍾大 私もそのように考えましたが、最近、在郷軍人会の年金不正を見ながら考えが変わりました。先日、不良防弾服事件がありました。弾丸が貫通してしまうということです。それは通弾服であって、防弾服なんかではありません。嘆かわしいことです。軍でこのような問題を清算しようとする意志が足りないのは、事実ではないかと思います。国家安保をやるという面で、自らの道徳的な問題はすでに解決されていると考えるようです。在郷軍人会は、軍では違うと言っていますが、毎日、軍の部隊に電話するのは彼らです。ゴルフ場の予約をしろ、イベントがあるから、軍部隊の指揮官が出てきて挨拶しろ、研究サービスをくれ、何々を納品するようにしてほしいなど、現役の軍人は、そこで全然身動きがとれません。現役の未来は予備役です。軍人がこういうことを模倣しながら、権力が大きくなるにつれて、より一層道徳的に武装すべき位置にある方々が、むしろそれが解除されてしまう傾向が明確にあったと思います。安保が重要だという保守政権になって、道徳性の問題もまた悪化したような側面があります。指揮官が犯す性暴行とか、各種の不当な行為を見ても、昨今になって軍が社会を恐れなくなり、社会的影響力が拡大したことを自ら消費して楽しむ部分があるならば、警鐘を鳴らすべきでしょう。

李泰鎬 軍でしばらくの間、軍人が否定的な世論のために臆して、士気が低下するのはもちろんのこと、誰も軍人になろうとしないと、大袈裟な態度を取ったことがありました。

金鍾大 最近見ると、軍が愛国心を名分にして、一線の学校に安保教育に行きます。何かというと親たちを集合させて指揮官が講演するのですが、このようにきわめて分不相応なことが多くなりました。

李泰鎬 軍で学生たちを呼んで射撃訓練もさせました。驚きました。

金鍾大 学生たちの入営キャンプもやって親も呼びます。そこで話すのは、子供たち(兵士たち)に最近、補給品を与えられない理由は、「従北」勢力のためだということです。福祉をあまりにも主張して補給品も出ないと講演したようです。予備軍の教育の場でも同じです。過去においてはコントロールされていた、ある種の装置のネジが、今、緩んでいます。一般国民に何をしてもかまわないという先民意識が拡大すると、道徳的な弛緩が発生して、結局、不正につながる面が、私が見るところ存在するということです。

李泰鎬 軍に勤めたという事実だけで、安保専門家になるわけではないと思います。教育専門家はより一層違います。にもかかわらず、この人たちが履修プログラムも受けないまま、市民に平和や安保について教育できる主体と見なされるのは問題があります。

余奭周 私が外に出てきて事業をしながら感じるのは、軍出身に2つあるということです外に出ても清廉に生きる人と、お金に対する観念が民間人よりさらに不明な人。軍では公私の区分を明確にするという話はとにかく聞いて生きるでしょうが、外に出てくれば公私の区別がないと考えるようです。在郷軍人会も私が見るところ、規律から自由になったという感じで、目に見えるお金はみな自分たちのものだと感じるようです。

李泰鎬 朴槿惠政権すら、セウォル号沈没事故以降、「官僚マフィア」清算を言っていましたが、韓国ではやはり、元官僚の礼遇の問題があります。在郷軍人会がもちろんそうですし、防衛産業の問題もそれと関連がありますが、現職で武器の購買をした人々の大多数が防衛産業関連の企業に行きます。もちろん、職業的なことですから、ある程度あり得ることですが、今、公職倫理法上の規定もよく守られない場合が多いようです。予備役の問題もそれと似ています。金鍾大議員がしばしば提起する問題の1つが、予備軍の部隊が完編師団でもないのに、あまりにも多すぎるということです。兵士はあまりおらず将校はあまりにも多いわけです。さきほどお話しした武器の所要問題にも大きく影響を与えます。将校を養うためのさまざまな構造が、既得権でがんじ絡めになっています。本当にこのような構造が必要だったのか疑問を感じます。

 

臨界点を越えた召集率と過度な将校数

李泰鎬 韓国の兵士の数が、今、それなりに減って63万といいます。盧武鉉政権も朴槿惠政権も、長期的には50~55万程度に減らすべきだといいます。ずっと減らせないでいますが、とにかく50万という数字も、そこまで必要なのかと言えそうです。

金鍾大 政策的な決断が必要です。63万のうち44万が兵士です。兵士中心の組織でしょう。ですが、召集率を見ると、80年代に平均51パーセントだったのが、今は87パーセントです。重症障害者以外はみな軍隊に行くということです。このような人が軍隊に来たのかという事例が、信じられないほどおびただしくあります。2016年現在、21歳男子の人口は36万人ですが、3年後から本格的な人口減少が始まって、2022年に11万人減ります。2025年頃になると、服務期間を延ばさない以上、50万の軍隊維持が不可能です。今、63万を維持するこの渦中にも、到底、軍隊生活ができない子供たちをみな入れていますが、事実、適正召集率のレッドラインは76パーセントです。ここで1~2パーセントだけさらに上げても、不適応者まで軍が受け入れなければならないわけですが、今、90パーセント近くに肉迫して、軍隊が正常でないということです。軍内の不適応者のために運営するグリーンキャンプに年間3000人が入所します。数字が問題ではなく、大多数はもう所属部隊に戻せません。過去には1~2週だけで戻しました。今はそこで除隊しなければなりません。でなければ、病院に送るとか各種の名目で部隊生活から隔離させます。相当多くの部隊が下部で崩壊状態になっています。指揮官、兵士、親がみな固く団結して、事故の予防をして、かろうじて維持されています。他の見方をすれば、軍も被害者かもしれません。戦闘力を発展させるために使うべき時間の大部分を、部隊の管理に注いでいます。本来、予定された国防改革を至急断行して、3年後から始まる人口急減時代に備えるべきだったのに、それをしてこなかった結果が、次の政権の時には巨大な災難になるでしょう。部隊構造の調整とか兵力の縮小のための顕著な措置は、この政権が終るまでまったくないという話です。これは保守政権が安保を亡ぼしている欺瞞的な形態です。保守が先頭に立って対応すべきことも、むしろそれを回避して安住していたというのは、洗い流すことができない誤りだと思います。

李泰鎬 もう少し具体的にお聞きすると、韓国の適正将校数や将軍数はどれくらいだとお考えですか?

金鍾大 そのような問題は、やはり軍隊がどのように戦うべきかによって決定されます。これを決めれば、そこに見合った組織ができ、その組織に見合った人材が算出されて、それに見合った人事がともなうわけです。これが正常な手続きです。ですが、今、私たちは多くの将校を進級させなければならないという人事上の要求が、人材政策を揺さぶっています。その人材政策が組織政策を歪曲させて、それが戦う方法にも悪影響を与えました。8・18軍制改編計画(1988)というのがありましたが、福祉と民主主義が発展した1980年代以降、小さく軽快な軍隊を作るということを表明しました。その精神に戻っても、最初から、今、それをそのまま導入して改革するとしても、おかしなことは何もありません。今、430人余りの将軍、3000人余りの大佐がいます。将軍を休戦ラインに一列に並べれば、おおよそ500メートルに1人ずつ並べられます。また合同参謀本部から野戦の末端の作戦部隊まで、指揮系統に干渉できる星の数字が100を超えます。指揮段階が6段階になっています。この過度なシステムを維持しようとすれば、浪費がとても多くなります。ソウルから平壌まで、戦闘機で全速力で飛んで行けば2分もかからないこの狭い国に、世界で一番複雑な指揮体系と放漫な人材を配置しているのですから、どのような結果が出るでしょうか? 野戦に行けば、戦う人は足りないのに後で指示する人はとても多いのです。それから司令部の乱立。輸送や指揮通信は参謀機能なのに、どうして司令部なのでしょうか。みな自分が指揮権者だといって司令部を乱立させました。このような形の部隊構造が、人材を過度に膨張させた主犯です。ですから、他の見方をすれば、人材を減らすのはその次の問題であって、まず部隊構造を合理的に変えるのが最優先の問題です。陸軍にありあまる高位将校ために、1軍―3軍の統合が何年も遅れています。結局、今より大幅に簡素化された部隊構造に見合った人材体系、それが適当なラインです。そしてすでに判断はみな終わっています。実行に移していないだけです。

余奭周 私も一般的に同意します。参考までに申し上げれば、1961年の5・16軍事クーデタのとき、「反革命」として追及されてアメリカに亡命したキム・ウンスという将軍が、1957年度だかに国防部の作戦側の局長としていながら、韓国軍を20万に減らす計画を進めたといいます。とても不安な時代だったのにです。私も規模に対してずいぶんと考えましたが、もしかしたら軍隊の削減は、人口が減ることで自然とうまくいくかもしれません。

李泰鎬 私の理解では、ドイツ、イギリス、フランスなどは将校が2万 7千~3万 7千人程度だといいます。私たちは7万 2千人です。イギリスは90年代に国防改革の過程で将校数を20パーセント減らしました。アメリカは30パーセント減らしました。この国はすべて90年代に全体の兵力も35パーセント内外削減しました。ですが、米軍は言うまでもなく、ドイツ軍、フランス軍、イギリス軍を弱体と言うことはないでしょう。韓国は90年代以降、将校の数がむしろ500人程度増えましたし、兵力も減らすといいましたが、これまで20数年間で、ようやく4万人余りを削減する程度で終わりました。将校と兵士の数を減らして、副士官の比重を増やせば、戦闘力の損失もあまりなく、国防費も大きく削減できると思います。

余奭周 そうですね。韓国に将校が多いとも考えられますが、さらに大きな問題は、将校団が本来の役割のほかに、部隊の管理に過度に関連しているという点です。その最初の理由は副士官の階層が虚弱だからです。副士官がやるべき部分が明確にあるのですが、それができないので、結局、将校を座らせるわけです。兵士管理のようなことは将校がすべき仕事ではありませんが、すべてそれに奔走させられています。毎日、中隊の中に座って、休暇者などに電話を回して……全国民が小卒水準だった創軍の初期に、それなりに優秀な人材を誘致するために、中卒の学歴を下士官の志願資格にしました。そのうちみな中学校は卒業するので、高卒に志願資格を引き上げました。ですが、今でも資格は高卒です。副士官は兵士より何かもう1つなければならないのに、今、副士官は階級だけが高くて、年齢も若く、学歴も低く、暮らし向きもよくない実情なので、そのまま兵士のそばにいる1つの階層になってしまったんです。米軍がよく言うのは、将校団が頭脳で、兵士は手足で、副士官が背骨や腰だということです。韓国軍はこの腰が不十分だから、じっとしている時は完全なようだけど、実際に動くときちんと歩けないんです。だから私たちが徴兵制から募兵制に移行する前にやるべきなのは、副士官の階層をしっかりさせることなのですが、その基本は、兵役の生活を終えた人を下士官として選抜することです。今のように、何か月かやって、これはいいと連れていくのでなく、兵役生活を終えた経験があって検証された人材が必要です。

李泰鎬 有給志願兵制度というのが、そのような概念ですか? 4

余奭周 ですが、有給兵制にすると、優秀人材の確保という本来の目的がきちんと達成できず、そのまま社会に出ても、いい仕事がないからそこにいるのだろうと新兵に後ろ指を差されるといいます。方向を有給兵制にするべきではありません。その金で副士官の給与や処遇を改善して、兵士たちが副士官として職業軍人ができるようにするべきです。そのような副士官が1つだけあれば、経験のない初級将校よりも部隊をはるかによく管理できると思います。

 

人の価値を尊重すれば

李泰鎬 私たちの兵士の月給がわずかばかりなのも、批判的に考えることができます。基準として考える上兵の月給が17万 8千ウォンといいます。市民団体でおおよそ計算してみると、兵力を少し減らして服務期間も短くすれば、すぐにでも100万ウォンを与えることができるそうです。 5 将校の数を少し減らし、それによって部隊を減らせば、予算がさらに追加されることもないと思います。

余奭周 ですが、月給をより多くやったら、兵士の生活がよくなるんでしょうか? もちろん給与がとても低いこと自体は問題ですが、それは根本的な解決策ではないと思います。

李泰鎬 私の焦点は、軍服務期間を破格的に短くしようというものです。12か月程度にです。普通、徴兵制国家は、ヨーロッパでも12か月内外です。

余奭周 義務服務期間を短縮すべきということには原則的に同意しますが、現在の運営体制をそのままにしたまま、服務期間だけ半分に減らせば、全体の兵力の規模も半分に短縮すべきだという話になります。実現性が非常に低いです。現代戦の様相や現在の韓国軍の武器体系などを考慮する時、義務服務する兵を中心に部隊を編成して、現代化装備を運用するのは問題だと思います。私もおよそ6か月程度訓練を受けて、6か月程度はこのようなものが軍生活だということを体験する程度にして送りだす方が正しいと思います。たとえば、前方警戒部門についても、過去のように人材中心でなく、科学化概念を適用した専門警備部隊であるとか、いい研究がすでにかなり出ています。とても破格的な話ですが、最近、50歳で引退する人も多いと思います。こうした方々を対象に、DMZ(非武装地帯)専門警戒の人材を補充するのも不可能ではないと思います。知的能力や体力的能力が人生の最高度である20代の若者たちを、スパイを監視させる仕事に縛っていてはいけません。また世界最強のK9、黒票戦車のような数十億の装備を、2年も勤務していない月給17万ウォンの兵隊が操縦しています。なんとか回っているようですが、数十億の装備の寿命に途方もなく悪い影響を与えます。ヘリコプター500MDのようなものは半額もしないのに、将校や准士官2人が操縦しています。このようなことはみな変えるべきです。最小限、副士官が専門性を持ってやるべきです。

金鍾大 これは30年近く出ている話ですが、変わらずにいます。まず、一線の戦闘員の生命価値がかなり低く評価されているのが問題です。それを前提にすべての軍隊組織が設計されているので、軍隊が専門家集団になれないんです。戦う方式も多く殺して多く死ぬ、現代戦ではみな無効になっている在来式の教理でしょう。命の値段が安いからです。人を尊く考えて、はじめて浪費をしないわけです。兵力が足りないといいますが、私が見るところ、まだ遊休兵力があります。生命の価値を高めれば、この大事な資源をどのように効率的に使うべきか悩むことになるでしょう。軍の運営の先進化の動力をとらえられる時代的な契機になると思います。

李泰鎬 軍はいつも、改革を行うためには軍を主体にするべきだ、軍の士気を考慮するべきだといいます。ですが、国防改革は、結局は同じ論理によって挫折します。軍に自らさせるべきだというから、では問題をどのように調整するつもりかと聞いたら、結局は既得権によって決定されます。たとえば、陸・海・空軍の間で陸軍が勝って終わるというような形です。これまでこのようになってきたのではないでしょうか?

金鍾大 覇権的な運営体系がありました。軍が文民統制からかなり逸脱した弊害が、ここにも及ぶんです。国防の株主であり顧客は、誰がなんと言っても主権者である市民でしょう。軍が、市民が合法的に選出した政治権力のコントロールを受けない例外集団に陥ったら、全般的に非常に不規則的に運営される現象が長期間つづき、いまや本当に解決することが難しくなりました。結局、軍自らが最も大きな被害者になるでしょう。

 

軍改革の動力をどこに見出すべきか

李泰鎬 そろそろ、まとめをしなければなりません。来年、大統領選挙があります。選挙の時は軍と関連した話も出てきますが、人々にとって最も敏感に感じられる問題は、やはり兵役の服務期間、そして募兵制のようです。その問題についてどう思いますか。その他に来年の大統領選挙で、軍の問題と関連して主題にしてくれたらいいと思われることを、おっしゃって頂ければと思います。

金鍾大 今回の総選挙で私が最もいい反応を引き出したのは、まさに軍の問題でした。初めは私も服務期間の問題として接近しました。ひとまず選挙の時に不可欠の話ですからね。ですが、服務期間の議論に重点を置くには、青年たちの状況がさらに深刻でした。高卒者の入隊待機期間が平均24か月です。その期間に誰が就職させるのでしょうか。ほとんどみな社会的余剰に転落します。それから一番短い陸軍基準の21か月で軍の生活をして、除隊して就職するまで、また31か月です。合わせると76か月でしょう。軍の服務による犠牲と社会的負担が重すぎるということです。ならば、これを半分に減らすのが可能かを考えるべきで、軍服務の短縮をいくら公約として出してもせいぜい3か月の短縮です。全体を減らさなければ、大学に進学した人たちとますます格差が広がるんです。永遠に追いつけません。青年たちの雇用政策、兵役政策、教育政策の3つがみな統合されるべきです。このような生涯周期の公約が出てくるべきで、そこに軍が協力するように要求するべきです。服務期間の短縮だけで利益を得るというのは、率直にいってポピュリズムです。

余奭周 さきほど12か月というお話しをされましたが、そのようになるには前提条件があります。専門的に軍生活をする集団と、訓練および経験する水準の予備資源とで二元化されるべきです。私は大統領になるという人たちが、自分が実現する安保戦略の大綱を大統領選挙の過程で提示するべきだと思います。国防改革も就任前にその根幹を完成させてこそ可能なわけで、毎回、明確な戦略もなくそのまま就任して、国防部に国防改革委員会をスタートさせれば、その人たちだけはいいでしょう。およそ3年を無難に送って、任期末期になったら誰も陳情にも来ないので、報告用の計画だけを作って出て行きます。今回の政権はそれもしないようですが。私が大統領ならば、このように言いたいです。国防部長官になりたい人は、国防改革案を持って私のところに訪ねてこい、そのようにして任命された国防部長官は、ささいなことで更迭することもないので、私と同じ5年任期の間に国防改革だけに専念しろと。合同参謀議長も現役のうちにどのような方法で軍事力を運用するのか、案を持ってこいと言って、大統領の統治哲学を実現できるだけの人を任命して5年間やらせるべきだと思います。あえてアメリカの話をする必要はありませんが、アメリカの合同参謀議長のような任命職の任期を見ると概してそのような感じです。士官学校の期数のようなものは考慮せず、自身の統治哲学を正確に実現できる軍令の専門家、軍政の専門家を任命することを、私は次の大統領に望みたいと思います。

李泰鎬 私はとにかく、軍改革の動力は外部からなされるべきだという考えです。そのように見る時、最も基本的な動力は、この青年たちひとりひとりが、みな家庭でとても大事な存在であるということから出発するべきだと思います。ですから、国家が青年たちを召集しようとするならば、正当な代価を与えるべきだということです。兵士の月給を最低賃金以上になるように現実化するんです。少なくとも市民社会は、その話を先に投げかけるべきだという立場です。それでは、これで今日の対話を終えたいと思います。長時間、いいお話しをして下さって、本当にありがとうございました。

(2016年4月26日/創作と批評社・西橋ビル)

 

翻訳: 渡辺直紀

Notes:

  1. 「「中隊長、うちの息子にスコップ仕事させないで」――軍隊も「ヘリコプター母」はとめられず」、『朝鮮日報』2016年4月25日付。
  2. 2012年北朝鮮兵士1人が鉄柵を越えて韓国軍GP(休戦ライン境界警戒所)を通過してGOP(小隊単位の一般前哨)生活観門を叩いて亡命意思を明らかにした事件。
  3. 2015年北朝鮮兵士1人が韓国軍GP前方5メートルで一夜を送った後鉄柵を揺さぶって発見された事件。
  4. 兵役服務の期間短縮に備えて、熟練・専門担当者の確保のために2008年に導入された制度で、現役服務中に志願して、下士官として最大18か月まで延長服務する類型と、入隊前に志願して兵役の義務服務期間を終えて下士官として任官して3年服務する類型がある。
  5. 李泰鎬「軍服務1年、兵士の月給100万ウォン、いますぐ可能」、『オーマイニュース』 2016年4月7日付。http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002197114

〔対話〕韓国宗教の保守性をどう見るべきか――プロテスタントを中心に

2016年 春号(通卷171号)

〔対話〕韓国の「保守勢力」を診断する(1)
韓国宗教の保守性をどう見るべきか――プロテスタントを中心に

姜仁哲(カン・インチョル)韓国・韓神大宗教文化学科教授。著書に『韓国キリスト教会と国家、市民社会―1945~1960』『戦争と宗教』『韓国プロテスタントと反共主義』『韓国の宗教、政治、国家―1945~2012』など。

朴露子(パク・ノジャ)(ロシア名:ヴラジーミル・ティホノフ)ノルウェー・オスロ国立大東アジア学および韓国学教授。著書に『あなたたちの大韓民国』(全2巻)『白い仮面の帝国』『私たちが知らなかった東アジア』『私を裏切った歴史』など。

 

*この記事は2016年1月5日から29日まで朴露子と姜仁哲、二人の対談者が電子メールで交わした対話を纏めたもので、二回行われた書信交換を基にして作成された–編集者。

進歩と保守、プロテスタントの分岐

朴露子 『創作と批評』誌は今号が創刊50周年記念号です。このように意味深い場で、韓国のプロテスタントについて、この分野の専門家である先生にお聞きし、ともに韓国的近代、資本、そして宗教という大きな脈絡と結びつけて議論する機会ができてとても光栄です。『創作と批評』で、私どもの対談に続き、韓国社会の保守性の問題を持続的に扱っていますが、後続の議論も興味深いと思います。私は韓国仏教を専攻してきましたが、プロテスタントについては事実、門外漢に近いです。ひとまず総論的な部分から申し上げるならば、たいてい仏家の中では「仏教近代化の失敗」をしばしば嘆いたりするのをご存知でしょう。どうしても近代民族主義・民主主義の発展に寄与した僧侶といえば、萬海・韓龍雲(ハンヨンウン)(1879-1944)の他にほとんどいない仏教の立場では、プロテスタントの境遇がうらやましいということはあります。初期の民族主義活動家を見れば、金奎植(キムギュシク)(1881-1950)、徐載弼(ソジェピル)(1864-1951)、安昌浩(アンチャンホ)(1878-1931)から始まって、プロテスタントの寄与度が目につきますし、病院や学校設立などで物質的・制度的近代化に寄与したのも、ひと目ですぐにわかります。また1970~80年代の社会運動では、民衆仏教より民衆神学の比重の方がはるかに大きかったので、「プロテスタント」と「モダニティ」を同一視する態度も、ほとんど常識になっているだろうと思います。競争者と言える他宗教の立場でも事実そうです。
ですが、一面から見れば、プロテスタントにはそれぞれ異なる2つの宗教が存在するようです。一方では少数ですが、ハンベク教会などに代表される民衆神学のキリスト教、すなわち急進的なキリスト教と、やはり一部ですが多少自由主義的な傾向の牧師がいます。ですが、残りの、すなわち「一般」のプロテスタントを見ると、まったく異なる構図があります。たとえば、基本的な信仰形態の次元では、そのような「一般」のプロテスタントが、果たしてそこまで現在的な意味で「近代的」なのか、すなわち、他の韓国の諸宗教とそこまで異なっているかという問いが自ずと出てきます。事実、科学的合理性が確立された近代では、「神に祈って、お供えを捧げて、福を得る」という「交換型接神」というか、一種の恩恵授与/恩恵的絶対者との関係というようなもの自体が、どの程度、依然として意味があるのかと自問することができます。伝統的な「祈禱」というものが、結局、自身の恐怖心ないし不安心理を鎮める心的装置であるということも、宗教人は概して認識するでしょう。そのようなことならば、祈禱も瞑想も心を鎮めることも、様々な方法で可能ですが、祈るとしても、これ以上、その祈禱が超自然的効果をもたらすとは信じないのが「近代」ではないかと思います。近代、特に資本主義後期の都会人の宗教とは、結局「心の調節」の一方式として位置を占めるというのが、宗教学における定説のように思えます。ですが、韓国のプロテスタントは、先に言及した仏教などとさほど異ならず、依然として「祈禱」と「恩寵」の宗教のようです。すなわち、伝統社会や近代の都会の消費社会の発達以前の、近代初期的な「超自然的な力への依存、また物質的恩恵の授与期待」という集団心理をそのまま保有しているようです。このような祈福宗教としての韓国のプロテスタントの、さほど「近代発展的」でない姿について、その中では果たしてどのように認識しているのか、また学術的にどのように解明するべきか、ご意見をお伺いしたいと思います。

姜仁哲 私も、やはり朴露子先生と、意味深い対話の機会を持つことになり、とても光栄です。朴先生のおっしゃる通り、祈福主義の信仰がプロテスタント全般に広まっていて、それが近代社会と齟齬をきたして、様々な否定的結果を生んでいるのも事実です。ただ、この主題を本格的に扱う前に、これまでの数十年間、韓国プロテスタントの核心的な特徴として定着してきたこと、あえて名付けるならば、「2つのプロテスタント」現象と呼べることについて、あらかじめ言及しておくのが、不必要な誤解や議論を起こさないための一助になるだろうと思います。韓国社会のプロテスタントが、単一でも同質的でもないということは広く知られた事実です。同じキリスト教でありがらも、韓国に伝来してからずっと単一教団体制を維持してきたカトリックとは対照的な、プロテスタントだけの特徴でもあります。プロテスタントの教派主義は、布教初期から有名でしたが、1950年代以降も教派分裂を続けて体験し、より一層激しくなりました。文化体育観光部が把握しているところでは、2008年現在、プロテスタントとして分類される教団の数はなんと291か所に達しています。様々な類型化の方式が可能ですが、政治的・社会的指向を基準とみなす場合は、プロテスタントを2つのグループに分けるのが有用かと思います。換言すれば、これまで半世紀の間、政治・社会的に明確に区分される、プロテスタント内部の二つの流れ、ないし勢力が、葛藤的に共存してきたと見るということです。

 

保守優位への勢力関係逆転

 

姜仁哲 私の判断では、韓国で「2つのプロテスタント」現象が明確に現れ始めたのは1960年代後半からでした。それ以前は、プロテスタント内部で神学的・教理的な違い――主として自由主義的な進歩神学と原理主義的な保守神学の間の違い――がますます顕著になりましたが、政治・社会的な指向の面では特別な違いが見られませんでした。したがって、この時期には「神学的進歩性」が必ずしも「政治的進歩性」を意味してはいません。その反対も同じでした。むしろ現世的な救援と教会の社会的責任を強調する進歩神学(参与神学)の方が、親日・親独裁など、退行的な政治活動にさらに積極的に出る可能性が高かったのが事実です。参与神学の空虚さとでもいいましょうか、社会参加・政治参加を支持する参与神学は、一種の器のようなもので、その中には最も反動的な内容物から、最も急進的な内容物まで、すべて入れられるということです。
そうするうちに、1960年代に政治指向の分化と神学的・政治的指向の収斂という2つの変化が重なりながら、「保守プロテスタント」と「進歩プロテスタント」という二大勢力が姿を見せることになります。以降、保守と進歩陣営は、それぞれ自らの政治・社会的な立場を正当化する、洗練された神学的基盤さえ備えることによって、比較的一貫した態度を維持することになります。韓国キリスト教教会協議会(NCCK)を中心に結集した進歩プロテスタントが、反体制的な民主化運動・人権運動・民衆運動に出た反面、保守プロテスタントは、表面では聖俗二元論―政教分離論を前面に出しながらも、既存の体制に対して支持と順応の態度を示したのが、1960~80年代の支配的なパターンでした。興味深いのは、プロテスタントの70~80%を占めるほど、保守プロテスタントの量的優位が明白だったのですが、この時期に韓国プロテスタントを対外的に代表したのは、少数派である進歩プロテスタントだったということです。保守プロテスタントを構成する教団の分散性・分裂性・非組織性と対照的に、進歩プロテスタント勢力は固く結束していましたし、世界教会協議会(WCC)や外国系宣教会など、プロテスタント国際ネットワークも掌握していました。もちろん、当時、NCCK内部にも保守指向の人々がかなり多く存在しました。しかし、軍事政権との激烈な衝突で犠牲者が続出する状況において、彼らは自らの保守の声を自制しながら、進歩的少数派に「静かな同調」を示すような状況でした。このような要因が「抵抗的少数の主導性」を後押しし、それによって当時のプロテスタントの社会的イメージも進歩側により近い形で形成されました。
ですが、韓国社会が民主化の履行期に入った1980年代末から、保守と進歩のプロテスタント間の勢力関係が逆転し、それによって韓国プロテスタントの対外的代表性も、プロテスタントに対する社会的イメージも、すべて保守の側に明確に傾きました。1960~80年代と、保守と進歩のプロテスタントの間の量的な格差は一層広がりました。この期間の保守的な教団および教会は、進歩的な教団・教会に比べて、はるかに早い量的成長を謳歌しました。また、この時期に多くの教会が世界的な超大型教会に成長しました。たとえば1993年にアメリカの雑誌『クリスチャン・ワールド』が選定した「世界50大プロテスタント教会」のうち、半分近くの23か所が韓国の教会でした。同年に信者数70万人を超えて世界最大の教会としてギネスブックに載った汝矣島(ヨイド)純福音教会をはじめとして、世界最大の長老教会、世界最大の監理教会がすべて韓国にあります。ですが、この超大型教会のうち「進歩プロテスタント」指向はたったの1つもありません。
これまで30年間、韓国のプロテスタント界で起きた変化は、「保守ヘゲモニーの拡張」として圧縮的に表現できます。その要因として4つのことがあげられるでしょう。最初に、保守プロテスタントの組織力が前になく強くなりました。特に1989年に創立された韓国キリスト教総連合会(韓キ総)が、分裂した保守プロテスタントを強く統合する求心体として登場しました。2つ目に、NCCKの内部でも教会と国家の衝突の時期に沈黙した保守派が、「独自の声」ないし「自ら権利の獲得」に出ることによって、進歩的少数派の位置づけをより一層萎縮させました。3つ目に、NCCKが1996年に保守教団であるキリスト教大韓ハナニム義聖会――汝矣島純福音教会に代表される――を会員として迎え入れることで、NCCKの内部でも保守ヘゲモニーが確固不動の現実となりました。4つ目に、韓キ総はNCCKとのプロテスタント代表性競争でますます優位に立つことになり、このような状況を背景に、2000年代初めは成功しませんでしたが、NCCKを最初から吸収・統合しようと試みるほどになりました。NCCKがアメリカなど西洋の教会の支援減少で財政難に苦しむなかで、2000年代以降、保守プロテスタントが組織や財政など、ほとんどすべての側面で進歩プロテスタントを圧倒することになりました。
私たちが見逃してはならない1980年代末以降の他の変化は、保守プロテスタントが従来の聖俗二元論・政教分離論を捨てて、直接的な社会参加・政治参加の路線に旋回したという事実です。まさに韓キ総が、保守プロテスタントの社会参加を主導し、盧武鉉(ノムヒョン)政権がスタートした2003年初めからは、都心の広場で大規模集会やデモを行う「政治的行動主義」の段階へと進みました。実際に超大型教会2~3か所が力を結集すれば、数万人が参加する時局的な祈禱会の雄壮なスペクタクルを作り出すことも、さほど困難ではありません。これらが政治の舞台に頻繁に出現することになり、自然と保守プロテスタントが報道機関や大衆の集中的な関心を引くこととなりました。これを背景に「宗教権力」言説も登場しました。「愛国キリスト教」という保守マスコミの賛辞があふれる中で、保守プロテスタントは(延べ人数が多い、在郷軍人会、自由総連盟や他の政府系団体を除いて)「市民社会の最大の保守勢力」として華麗に登場しました。このような現実を勘案して、今回の対話でも「2つのプロテスタント」という現実に留意し、議論の焦点を保守プロテスタントの方に合わせたらいいだろうと思います。

 

祈福主義の拡散と韓国的資本主義への包摂

 

姜仁哲 このあたりで、本来の主題であるプロテスタントの祈福主義の信仰の問題に戻ってみます。祈福主義に対する学界の関心は、ほとんどその歴史的な祈願の問題に注がれています。これと関連して、外来宗教であるプロテスタントが、朝鮮の現世求福的な宗教文化と出会って、土着化ないし文化接触を経る過程で、独特の祈福主義信仰が形成され広がったというのが、最も広く知られた見解のようです。この場合、プロテスタントの祈福主義の信仰の開始は19世紀末まで遡及するわけです。ですが、私が見たところ、韓国の伝統的な宗教文化が果たして現世求福的なものかは疑わしく、同じキリスト教でありながらも、プロテスタントより100年も先に入ってきたカトリックでは、なぜ祈福主義の論議が少ないのかを説明することも困難です。ですから、祈福主義信仰の起源を、植民地期の外国人宣教師の聖俗二元論・政教分離主義に求める方が、それなりに少しはより説得力があるのではないかと思います。宣教師が聖俗二元論・政教分離を前面に出して、現実参加自体を罪悪視するので、来世指向的な神秘主義や現世指向的な祈福主義など、内向的で個人主義的な信仰形態に流れやすかったのではないかということです。
ですが、私が見るところ、プロテスタント祈福主義が本格的に拡がったのは、解放後、特に急速な産業化が進んだ1960年代からのようです。要するに、プロテスタントの祈福主義は、時代に遅れた「前近代的」な信仰形態ではなく、むしろ「韓国的近代」に成功裏に適応した信仰形態である可能性が高いということです。1960年代の韓国では、聖霊体験を通じた再生を強調しながらも、健康や財物のような現世的祝福を同時に強調する、新五旬節主義(neo-pentecostalism)信仰が早く広がります。世界最大のプロテスタント教会に成長した汝矣島純福音教会の趙鏞基(チョーヨンギ)牧師の「三拍子救援論」や「三重祝福論」が代表的な事例ですが、イエスを信じて救援される霊的祝福が、財物・物質の祝福、治癒・健康の祝福まで伴うという救援論です。富の追求が貪欲で非難されるどころか、神の祝福の証拠として肯定的に再解釈されるなかで、韓国プロテスタントは「富と健康の宗教」として再生したのです。1970年代以降、プロテスタントは富裕層の地域でとりわけ勢いを示しています。先に韓国のプロテスタント教会特有の「超大型化現象」について言及しましたが、大型化した教会は、ソウルの汝矣島(ヨイド)・江南(カンナム)・盆唐(ブンダン)新都市など、首都圏と全国大都市に広がっています。2000年代以降に発表された韓国上場会社協議会の年例報告書によると、「上場企業役員の典型」は、「ソウル・江南に住む50代の男性プロテスタント」であり、宗教を持つ上場会社役員の半数ほどがプロテスタント教会の信者でした。
祈福主義は、このように韓国的近代に適応した信仰形態のみならず、プロテスタントが「韓国的な資本主義秩序」として、一方では適応し、他方は捕獲されたことを立証する指標です。資本主義秩序における適応と捕獲というこの側面は、私たちが個人――祈福主義的な個々の信者――よりは、集団や組織、すなわち教会に注目する時、はるかに鮮明に見られます。上層階級の構成員が教会組織の上層部を占める形で、資本主義的な階級秩序が教会の中にそっくり移植・再現されています。また、祈福主義という肥沃な土壌の上で、市場論理が宗教の領域に深く浸透しながら、宗教の商品化および産業化の傾向が広がっています。教会がますます企業組織と似てくる「教会の企業化」の様相も、また様々な姿で見られます。ある人たちは、教会を株式会社(霊魂株式会社)と遠回しに言いますが、多くの大型教会はむしろ財閥体制に似通っていくようです。一部の超大型教会の実質資産価値が数兆ウォンに達したり、「愛の教会」が礼拝堂の建築だけで2千億ウォン以上も注ぎ込んだ事例に確認されるように、超大型教会の資産と資金動員力は莫大なものです。多くの超大型教会が、宗教領域の内部では、あちこちに支教会(支聖殿)を立てて「垂直的系列化」を達成し、宗教領域の外部では、新聞・放送社、大学・学校法人、民営刑務所、社会福祉機関、病院、納骨霊園などを設立・買収して、「水平的系列化」を達成することによって、財閥のようにタコ足的に拡張を続けています。教会信者の共同資産であり公的資産である教会を私有化して、家族に世襲し、引退後も元老牧師として残って権力を行使するのも財閥と似ています。会社の資金を思いのままに使う財閥の会長のように、担任牧師が何の干渉もなく教会の資金を使うのも同じです。
多くの教会が、乳児教育機関、教育館、駐車場、教会墓地・納骨堂、修養館などを完備した「規模の経済」を追求することによって、宗教市場における競争力強化を企てていますが、この競争の敗北者は(他宗教の教会でない)近隣地域の群小プロテスタント教会になります。プロテスタント教会が停滞ないし退歩を始めた1990年代以降も、小型教会の信者が大型教会に「水平移動」するに伴い、大型教会がより一層肥大化して、ますます裕福となり、貧しい教会はますます貧しくなる、教会の格差拡大が深刻化しています。結果的に、周辺のプロテスタント教会が、協力対象でなく競争相手と見なされるわけですが、プロテスタントの内部ですら市場競争の論理が貫徹されたのです。この他にも「教会ビジネス」に過ぎない教会売買が盛んに行われ、前任者に餞別という名目で巨額の金品を提供して、担任牧師の地位を事実上買収する行為も広がっています。韓国プロテスタント特有の深刻な教団分裂のために、多くの教団が財政的に貧しくなり、若い聖職者が教会を新設しようとしても、教団から何らの財政的支援も与えられません。このような状況で、ひたすら自分の力だけで、すべて自己責任の下で、耐えがたい巨額を投じて教会を開拓した若い牧師は、切迫した生存圧力のためにも、自然とビジネスマインドや投資・収益の観点に染まりやすいのです。幸いにも教会の量的成長に成功する場合、この教会の牧師は、結局、教会を自らの私有物のように考える可能性が高いでしょう。

 

排他性の根源、「霊的戦争」論

 

朴露子 政治的次元で「モダニティ」とは、おそらく今日の意味では、たとえば自由主義、手順を踏んだ民主主義、国際平和や多様性尊重、および他者理解にあたるのではないかと思います。資本主義後期である今日において、伝統的なキリスト教地域の中心である立場から見るならば、やはり「十字軍」のようなイスラム観よりも、キリスト教とイスラム教の共存を模索する方が、より近代的であるでしょうし、総動員式の権威主義秩序よりも、各自の権利を保障できる自由民主主義的な秩序の方が近代的でしょう。ですが、韓国のプロテスタントの場合、数多くの保守教会の立場はこれと正反対です。韓国の主たる「他者」である北朝鮮に対しては、「理解しようとする」立場というよりは、攻撃的な布教などで、北朝鮮の主体(チュチェ)思想をキリスト教に変えようという攻勢的な立場で、手順を踏んだ民主主義や自由主義を軽視してきた朴槿恵(パククネ)政権を支持しながら、朴正熙(パクチョンヒ)政権の総動員型の権威主義に対してはまったく批判しません。やはりプロテスタント集団の内部におけるこの部分に対する意識や、これをどのように分析できるか伺ってみたいです。

姜仁哲 ご指摘に深く共感します。概して韓国の保守プロテスタントは、グローバル時代の規範である、寛容と共存の多元主義的な倫理とは距離が遠いです。彼らは絶えず、他者を、ひいては「他者の他者」を作り出し、否定的な烙印を押し、呪いを振り撒いて攻撃的態度を示します。いったいどうしてこうなるのでしょうか。私は保守プロテスタント教会の信者の間に広く広がった「霊的戦争論」(spiritual warfare)がこれと深い関係があると思います。霊的戦争論は、善悪二元論に基づいた、私たち/彼らの対立の両極端の世界観、戦争という状況の定義、そしてこの世における霊的戦闘は、究極的な善/悪、および真/偽の巨大な力が衝突する、「宇宙的戦争」の一部であるという認識などで構成されます。霊的戦争論から見る時、韓国プロテスタントが韓国内外で戦うべき主敵は、断然、共産主義とイスラム教の2つです。韓国国内ではときおり仏教や同性愛も、プロテスタントのライバルないし敵の位置に置かれるようです。左翼、ムスリム、仏教徒、同性愛者はすべて「悪の霊」の支配下にあると見なされます。ですが、サタン・邪鬼のような邪悪な霊の操縦を受けたり、その手先の役割をしている人たちとは、対話や妥協・共存の努力自体がまったく無駄で危険とされるので、このような論を内面化した信者のアイデンティティは、「霊的戦死」や「潜在的殉教者」にならざるを得ません。
特にムスリムに対する好戦的な態度は、保守プロテスタントが主導する海外布教と関連が深く、そのような面で比較的最近見られる現象です。韓国プロテスタントの海外布教は1980年代末から急激に活性化し、2000年代初からは、韓国プロテスタントがアメリカに続いて「世界第2位の布教大国」になったという報道がありました。2009年末には、いよいよ「海外宣教師2万人時代」が幕を開けることになりました。急膨張期に入った1990年代以降、プロテスタントの海外布教の特徴の1つとして、いわゆる「未伝道種族」を対象にした「前方開拓布教」の戦略が急速に広がった点をあげることができます。一言でいえば、クリスチャン人口比率の低い地域で、布教の人材と資源を集中的に投じるということですが、結局、それはイスラム教・仏教・ヒンズー教地域、また現在と直前の社会主義地域にならざるを得ません。しかし、多くのイスラムおよび社会主義国家は、外国人の自国人対象の布教活動自体を不法化して処罰し、海外布教に伴うリスクと緊張がきわめて大きくなります。宣教師はあたかも秘密工作員のように、企業家・社会事業家・教育者などとして身分を偽装せざるを得ず、逮捕・投獄・追放される宣教師が続出しました。イラクやアフガニスタンでは人質として捕まって処刑される宣教師まで出ました。海外布教の現場で霊的戦争論に符合する戦闘的な状況が、ほとんど日常化されているのです。そして、まさにこの点が、ほぼ同じ時期に海外布教・布教を活性化しながらも、その候補地域の中でイスラム・社会主義社会の比重が低く、現地韓国人対象の宗教活動と、土着現地人のための非宗教的奉仕活動に力を注いだ、カトリック・仏教・円仏教・甑山道(チュンサンド)とプロテスタントの決定的な違いでした。
緊迫した現地状況を伝達したり、霊的戦士の武勇談も紹介する、宣教師の手紙や映像資料、帰国報告会、告白集会などが、布教献金を提供する信者と布教現場の間で媒介体の役割を担います。毎年数千名の信者が休暇を利用して、直接、短期宣教旅行に行ってきます。ですが、たとえば帰国した短期布教団員が日曜礼拝の時間に出てきて、自分たちがカイロやチェンマイの由緒深い寺院を取り囲み、「崩壊しろ」と祈禱をともに捧げた後、声を高めて「十字架軍兵」のような賛美歌を歌うと自慢げに報告すれば、信者は果たしてどのような反応を示すでしょうか。たびたび伝えられる宣教師の逮捕や暴行、礼拝所の放火などのニュースは――攻撃的で征服主義的な布教による不必要な衝突でなく――残忍で野蛮な現地の宗教指導者によって一方的に犠牲になるという、「迫害・殉教論」を通じて解釈されます。現地衝突の犠牲者は「殉教者」として崇められ、周期的な記念事業の対象になります。このような雰囲気を背景として、2008年頃からは韓国国内でも、反イスラム宣伝、イスラム嫌悪(Islamophobia)の煽動が保守プロテスタント界で本格化しました。国際結婚の戦略や移住戦略など多様な陰謀説バージョンがありますが、ほとんど「オイルマネーを前面に出したイスラムの韓国征服の陰謀」がその核心です。李明博(イミョンバク)政権時のイスラム債権(スクク)導入に対する反対運動でも、最近のハラル食品団地建設に対する反対運動も、同様の陰謀説に基づいています。韓国国内に居住するムスリムの大部分が、貧しい国から来た外国人労働者であるという点で、彼らに対する攻撃は人種差別や外国人嫌悪の性格すら帯びています。
霊的戦争論は、多元主義的な価値観と衝突するだけでなく、民主主義的な価値ともあまり符号しません。敵との激しい戦争で勝利するためには、司令官を中心に一致団結するのが重要なので、霊的戦争論はむしろ全体主義的思考と親和的です。教会組織に対する忠誠心と全員一致は美徳であり、民主的牽制と討論文化は、貴重な時間と資源を浪費するだけの悪徳に置き換えられやすいのです。民主的な教会運営を主張する内部批判者は、霊的戦闘をおそれる臆病者か、顔色をうかがう利己的な日和見主義者にされることもあります。伝来以来、ながらく「民主主義の訓練場」として賞賛された韓国のプロテスタント教会において、なぜ内部の民主主義が後退しているのか、ひいては韓国社会の民主化が進展した1990年代以降に、なぜ「プロテスタント民主主義の弔鐘」に過ぎない教会の世襲が急速に広がるのかを理解するためにも、霊的戦争論は重要だと思います。教会の世襲は「教会の私有化と聖職者の独裁の奇妙な結合」という点で、教会内部の民主主義の完全な破綻を意味します。歴史は比較的短いですが、特定の牧師が設立、あるいは赴任後数十年間、長期にわたって在任しながら、権威主義的支配体制を構築した「自手成家型」の大型教会において、教会の私有化および世襲が最も頻繁に起こります。説得や懐柔がよく通じない時、宗教的な独裁者は、自ら霊的戦争の司令官の位置に立って、世襲に対する反対者を敵やサタンの勢力として攻撃し、恐怖の世論を醸成して信者の集団的な排除を誘導したりします。教会世襲の重要な効果の1つは、元老牧師の「終身支配」を保障するということですが、(大型教会で、世襲でない正常なリーダーシップの交替が、たびたび元老牧師と担任牧師の葛藤につながる反面)世襲の場合には、元老牧師・担任牧師の葛藤がほとんどありません。信者はそのように静かに世襲体制に飼い慣らされて行きます。

 

反共・反北朝鮮主義と十字軍式海外布教の弊害

 

朴露子 今のような時代に、反共や反北朝鮮の話を聞くのは何より驚きです。反共は共産主義反対を意味しますが、北朝鮮が過去に果たして共産主義を実践したのか、あるいはただの左派的な開発主義政権だったかという問いはさておき、今日、共産主義が何を意味するのか、私としてはひたすら不明です。今の北朝鮮は、一部の経済単位に労働者解雇権から対外貿易自立権まで付与している混合型経済の国家です。共産主義と無関係なことはもちろんですが、過去の現実社会主義よりも、むしろ1990年代中盤の中国の方に近いでしょう。だとすれば、反北朝鮮の根拠はどうあるべきでしょうか。北朝鮮の世襲独裁が反北朝鮮の根拠ならば、先におっしゃった大型教会の世襲牧師のことを、果たしてどのように見るべきか、また独裁嫌悪が核心ならば、ともに権威主義的な「北の金正恩、南の朴槿恵」から、等しく距離をおくのが論理的ではないでしょうか。

姜仁哲 まったくその通りです。攻撃する相手自体がほとんど消失しているという点で、世界史的に見ても明らかに死滅しつつある反共主義を、なぜ韓国のプロテスタントは生き延びさせようと苛立っているのでしょうか。結論から申し上げるならば、プロテスタントが長い歳月をかけて、膨大な「反共インフラ」、換言すれば、反共主義の活力や生命力を維持させる、反共主義の再生産の仕組みを自主的に構築し、きちんと運用してきたからだと思います。プロテスタントにおける反共主義の教理化の過程は、植民地時代にすでにある程度完結していました。プロテスタントの猛烈な反共闘争のために、朝鮮戦争を経て、十字架は反共の卓越した象徴として位置づけられましたし、同じ時期に、韓国のプロテスタントの圧倒的多数の勢力である長老教では、反共闘争の主役である、北朝鮮出身で南にやってきた人々が教権を掌握しました。ここでプロテスタントの反共インフラをいちいち数え上げることはしませんが、各種の戦争記念儀礼や関連教会暦、西部聯会や平壌老会、黄海老会をはじめとする、いわゆる「亡命」聯会・老会など、プロテスタントだけに見られる独特の反共インフラが1950年代から登場しました。1980年代には殉教者記念事業が本格化し、殉教聖地の開発や聖域化、聖地巡礼などが活発になりますが、問題は、プロテスタントの殉教者や殉教聖地のほとんどすべてが、「反共殉教者」や「反共殉教聖地」だったということです。1970~80年代に民主化運動を導いたプロテスタント指導者も、やはり反共主義者でしたが、「反共主義の政治的な不正乱用」の問題を粘り強く提起するなど、自ら反共主義に対して批判的な省察をしてきたのに比べ、保守のプロテスタント指導者は、反共主義や反共闘争を聖化し、そこに宗教的性格を吹き込むことに没頭してきたわけです。1988年2月、NCCKが、「反共イデオロギーを宗教的な信念のように偶像化し、北朝鮮の共産政権を敵対視したあげく、北朝鮮の同胞や、私たちと理念を異にする同胞を呪い、罪を犯したことを告白」した「民族の統一と平和に対する韓国キリスト教会宣言」を発表すると、これに対して反発した保守プロテスタント界が総結集して「韓キ総」を結成したのは、そのような点でとても意味深長です。
1990年代には、プロテスタント反共主義に「生命水」を無制限に供給する新たな源泉が生じました。まさに先に述べた海外布教です。社会主義圏の崩壊や冷戦体制の解体、韓・中国交正常化や南北交流の拡大を背景に、韓国人プロテスタント宣教師がソ連や東ヨーロッパなど、旧社会主義諸国や中国に怒涛のように集結しました。やがて中国は最も多くの韓国人宣教師の密集する地域となり、彼らのうち相当数は、北朝鮮・中国境界地帯で直・間接的な北朝鮮布教や北脱出者の支援活動に従事しています。ですが、中国や北朝鮮当局の厳格な外国人布教禁止政策のために、中国布教と北朝鮮布教はともに現行法上、非合法で、したがって宣教師は身分を隠したまま、最大限、隠密に活動せざるを得ません。その結果、私たちは、このような危険千万な活動を行った宣教師の逮捕、投獄、失踪、強制追放が絶えず続く様子を目撃しています。ですが、保守的なプロテスタント教会の信者の視線から見れば、これは北朝鮮や中国を舞台に広がる、崇高で英雄的な迫害・殉教のドラマの生々しい場面、反共主義に新たな現実性と緊張感、活気を吹き込む出来事になり得ます。反共主義と共産圏布教が結合することによって、北朝鮮・中国布教がプロテスタント的な反共闘争の新たな方法であり領域として浮上しているのです。
さらに考えるべき大きな課題は、韓国社会の既得権層の反共・反北朝鮮の言説がたびたびそうであるように、プロテスタント反共主義も他の利害関係や動機――既得権の体制維持のための手段、政治的な反対勢力を制圧・排除する手段、恥ずかしい過去の行動に対する自己合理化の手段など――を隠すための便利な名分に過ぎないということです。ならば、私たちは、1945年の解放直後の親米・反共主義が、親日派の生存および権力争奪の手段として活用されたという事実を、反民特委(反民族行為特別調査委員会)に召還された親日宗教家のなかで、プロテスタント教会の信者の比重が著しく高かったという事実とも一緒に考えるべきです。そして、プロテスタントの猛烈な反共主義は、プロテスタントが韓国社会の既得権構造の一部として強固に編入されたことを立証することでもあると思います。

 

普遍的価値および人権言説との衝突

 

朴露子 ですが、「保守性」とは、必ずしも政治的立場だけをいうわけではありません。政治的な反北朝鮮とともに、韓国教会の保守性を象徴するのが社会文化的な保守性です。事実「保守」と見るより「守旧」という用語の方が適当かもしれません。朝鮮朝時代に「家を代々継ぐこと」を連想させる、牧師の世襲について先に述べましたが、もう1つは同性愛に対する盲目的な反対です。同性愛に対する宗教的排斥は、性を「代を継ぐこと」の手段として認識した伝統社会や、男性性を軍事的に画一化した1960~70年代以前の産業社会でも自然なことでした。ですが、今日の社会では、「繁殖」と「生存」が直結するわけでもなく、男性を画一的に「戦死」ないし「産業の働き手」と考えたり、同性愛者をこのような規準に不合格の失格者として見るわけでもまったくないわけです。韓国プロテスタントの同性愛嫌悪は、特に、すでに性の多様性の尊重に慣れた若い世代として、たった1つの「退行」程度に見えるに過ぎません。教会の中では、果たしてこの部分をどう考えているのかも気になりますが、「いったいなぜ?」という問いも投げかけてみたいです。いったい彼らは、なぜ、聖書に登場する同性愛タブーについて、デジタル時代の現代にもこれほど執着するのでしょうか?

姜仁哲 私は神学者ではないので、この問題に満足に回答することは困難です。ただ、先に提起した論点の延長線の上で、若干、他の解釈を試みられないかと思います。私が見るところ、戦争や同性愛こそ、逐字霊感説、あるいは聖書無誤説に代表される、プロテスタント原理主義信仰の影響が最もよく見られる争点のようです。聖書を文字通り受け入れるならば、おそらく旧約のエホヴァ(ヤハヴェ)は「戦争する神」となり、同性愛者は「不義の審判」を避けられないでしょう。一方では、戦争と同性愛に対する原理主義的な解釈が互いに整理されるように見えたりもします。いわば、保守プロテスタント側は、先に言った霊的戦争論を通じて、同性愛の問題を理解する傾向が強いということです。
私が見るところ、霊的戦争論の有無こそは、同性愛問題に対するキリスト教的な接近として決定的な違いをもたらす要因です。たとえばカトリックの場合、保守プロテスタントと同様に同性愛を教理的に断罪しますが、それでもこの問題に霊的戦争論として接近することはしません。それゆえに若干ではありますが、人間的な憐憫の間隙が生じ、そのような限りでは、現実の差別・冷遇・抑圧による、同性愛者および家族・知人の痛みを包み込み、改善しようと努力する余地が存在します。ですが、同性愛の問題を霊的戦争論として接近するとなると、話がまったく変わります。この論は、私たちの/彼らの敵対的な二分法に基づいて、他者(彼ら)を「非人間化」する傾向があります。また、このような考え方が強く内面化された人ほど、人権の感受性や生命の感受性は鈍化し、攻撃性と好戦性が増幅される傾向があります。ここには、同性愛者に対する社会的抑圧・差別を正当化するだけでなく、彼らに対する暴力的な対応を許容したり、直・間接的に誘導することによって、憎悪の犯罪につながる可能性もまた存在します。結局、保守プロテスタントが同性愛問題に接近する方式は、「霊的戦争論に基づく他者(同性愛者)の非人間化」として圧縮的に表現できます。この時、同性愛者は悪の霊(悪霊)に捕われた人々や、世の中を堕落させ支配しようとするサタンの道具なので、強制的にでも除去されるべき存在に置き換えられやすいのです。万一、ある同性愛者がプロテスタント教会の信者ならば、その人がこのような「非人間」の烙印から自由になる唯一の道は、「正常でない人間」という新しい烙印を受け入れることくらいでしょう。
同性愛は、プロテスタントの社会的保守性を示す、数多くの事例の1つに過ぎないと思います。保守プロテスタントは、憲法をはじめとして、韓国社会の公共領域を支配する、自由・平等・博愛・寛容などの普遍主義的価値や自由主義的な人権言説としばしば衝突してきましたし、それによって社会的な非難に直面することも数多くありました。宗立学校における強制的な宗教教育、「赤い悪魔」応援団の名称に対する是非、檀君像の撤去運動、週5日勤務制反対、開放型の理事を導入するための、私立学校法および社会福祉事業法改正反対、過度な親米形態、聖職者の所得税納付拒否、特権的なキリスト教財産管理法制定の時にも、特定書籍・映画・歌手の販売・上映・公演の禁止を推進、放送社の大型教会聖職者の不正告発番組に対する猛烈な反発などがまず思い浮かびます。保守プロテスタントの国家保安法の改正反対、朝鮮半島大運河と4大河川事業に対する支持、アメリカ産牛肉輸入交渉支持、戦時作戦統制権の返還反対なども、少なからぬ批判に直面したことがあります。これに比べて、保守プロテスタントが世論の相当な支持を受け、公的影響力を発揮できるいくつかの数少ない状況がありますが、それがまさに韓国国内のムスリム、良心的兵役拒否者、同性愛者など3グループの社会的弱者を攻撃することです。これを勘案するならば、同性愛者に対する保守プロテスタントの攻勢は、今後も持続する公算が大きいと見るべきでしょう。

 

強大な影響力と不充分な公信力の結合

 

朴露子 ひとまず、それらの質問を総合的に考えてみましょう。過去に「モダニティの旗手」と思われた韓国プロテスタントが、今日では「時代に遅れた祈福、北朝鮮・同性愛嫌悪、世襲と不正」の宗教というイメージを与えています。資本主義後期において私たちの前にはだかる各種の社会・政治・環境問題の解決の一助となるというよりは、それ自体が大きな社会問題として評価されています。なぜそうなったでしょうか。「モダニティ」に対する社会の観念が進歩しても、韓国プロテスタントの「近代」理解の水準が、軍事主義、画一主義、内部権威主義、超自然的な呪術力に依存した祈福の水準に、依然としてとどまっているということでしょうか。あるいは権威主義政権下で、1960~80年代の反共主義イデオロギーやと現世求福を中心に成長してきたプロテスタントが、依然として経路依存的な次元で、そのモデルを克服できずにいるということでしょうか。姜先生のご意見をお聞きしたいです。

姜仁哲 ご指摘の通り、韓国でモダニティの旗手として公認されたプロテスタントが、最近では残念なことに、「前近代的近代」を象徴する問題のように映っています。振り返って考えれば、西欧社会と比較する時、韓国ではモダニティと宗教の関係がかなり異なる形で展開してきました。特にヨーロッパでは、近代化と世俗化が同時に進行しましたが、韓国では、近代化が宗教の衰退を意味する世俗化と並行することはありませんでした。衛正斥邪を標榜した一部の儒教守旧派を除けば、仏教や天道教をはじめとする、韓国の主たる宗教の大部分が、モダニティとの肯定的な関係を結ぶことを追求しました。もちろんプロテスタントがその先頭にいました。このような状況において、韓国社会が近代化されるほど、宗教人口は増えましたし、それによって主な宗教には、より多くの力や資源が蓄積されていきました。特にプロテスタントは、世界が注目するほどの輝かしいサクセスストーリーを韓国の地で演じました。プロテスタントは、1950年代初めには、仏教を追いかける韓国第2の宗教になり、1980年代には、仏教と同じほどの勢力を誇示するようになりました。プロテスタント側では信者数が1千万人を超えたと主張しますが、信頼度の高い人口センサスの統計にも、プロテスタント教会の信者が1995年にすでに876万人に達していることが確認できます。いずれにせよ、明らかな事実は、20世紀後半の圧縮的近代化の過程で、プロテスタントの社会的影響力がとても大きくなったということです。
ここで、宗教の「社会的影響力」と「社会的公信力」の相関関係について、しばらく考えてみます。私たちは社会的影響力を「特定の宗教が、他の社会部門に変化をもたらし、その変化を阻止できる能力」として、社会的公信力を「特定の宗教に対する肯定的な社会的認識と評価」として簡単に定義できるでしょう。先に申し上げたように、1960年代後半から「2つのプロテスタント」の現象が明確に見られましたし、この時から1980年代までは、進歩プロテスタントが韓国プロテスタントを代表し、プロテスタントに対する改革的・進歩的イメージを主導的に形成してきました。この時期に、少数派である進歩プロテスタントは、社会的影響力は少ない方でしたが、公信力は非常に高かったです。そうするうちに、1980年代末からプロテスタント内で「保守ヘゲモニーの拡張」傾向が貫徹され、それに歩調をそろえて、プロテスタントの代表性や社会的イメージも保守の方にいち早く傾きました。すでに多くの普通の人は、「韓国プロテスタント」といえば、自然と「保守プロテスタント」を連想します。ですが、今日の保守プロテスタントの典型的なイメージは、「社会的影響力は強いが、公信力は非常に低い宗教」であるのが現実です。まさにこのことが禍根になっています。特定の宗教が、影響力に応じた公信力の水準を維持する場合、その宗教は、社会発展に寄与する要素と認定され、社会全般から歓迎されるでしょう。特定の宗教の公信力が低くても、影響力もともに下落する場合、あるいは公信力と影響力がともに低い水準にとどまる場合、その宗教の否定的側面が社会全般に加える衝撃は弱いので、大衆の関心も惹きつけられないでしょう。しかし、特定の宗教の影響力が増加しても公信力は減少するという場合、強い影響力のために、その宗教の否定的な側面が社会全般にあまねく悪影響を及ぼさざるを得ず、その宗教が大衆によって「問題集団」という烙印を押される可能性が高くなります。保守プロテスタントが主導する韓国プロテスタントが、最近、まさにこのような状況に置かれているのです。これからどうなるでしょうか。韓国プロテスタントは、市民社会の表通りや裏路地に、堅固な陣地を築いて退行的な価値を生産して伝播する、そうすることで保守既得権の構造の永続化に寄与する、強固な保守の草の根組織としての役割をはたしていくことになるのでしょうか。結局、「選択」と「勢力」の問題でしょう。1990年代に、保守プロテスタントですら社会参加路線に切り替えて、2000年代には政治的な行動主義に進むことによって、「2つのプロテスタント」がともに政治参加に打って出ました。再び申し上げれば、参与神学や政治神学は、いかなる内容物でも入れられる器に過ぎません。プロテスタントは、今後、いかなる政治参加を選択することになるでしょうか。普遍的な価値を追求する「共同善の政治」を選択するでしょうか、あるいは、狭く定義された教会の制度的利益を目標にする「派閥政治」を選択するでしょうか。21世紀の韓国プロテスタントを主導する勢力は、「保守プロテスタント」でしょうか、「進歩プロテスタント」でしょうか、あるいは、中道的立場の「改革プロテスタント」でしょうか。宗教、特に半分以上の韓国人と宗教人口のほとんどすべてを占める3大宗教――仏教、プロテスタント、カトリックは、市民社会で最も古く最も大きく最もよく組織され訓練された部門です。のみならず、宗教は多くの社会において、民主主義を育て支える中間集団ないし小グループとして、社会的弱者の頼りの対象として、保護者として、信頼・互恵性・連帯性のような社会資本の主要な源泉として機能してきました。楽観は難しく、プロテスタントに許された時間も、わずかのように思われますが、だからといって、韓国プロテスタントが、このような機能を回復するだろうという希望を、最初から捨ててしまうには少し早いというのが私の考えです。
朴先生、私たちの対談は、これまでプロテスタントの方に焦点を合わせてきましたが、プロテスタントのライバルであり、韓国最大の宗教である仏教については、どのように評価できるでしょうか。植民地期の寺刹令から、仏教財産管理法、伝統寺刹保存法などを経て、政治的な従属性と順応性を大きくした仏教の保守性も、きわめて根深いように思われます。最近では、東国大の総長・理事長をめぐる葛藤、手配中だった民主労総委員長の曹渓寺(チョゲサ)逃避に関連した微妙な緊張状況が、大衆の関心を引いたりもしました。特に2015年11月16日の夕方に、国庫補助金が大部分を占める数千億ウォン規模の「総本山聖域化」仏事のために、曹渓宗の総務院が、ソウル市内のあるコンベンションセンターを借りて盛大な募金行事を開催しましたが、それからわずか3、4時間後に、ハン・サンギュン委員長が予告なく身辺保護を依頼して曹渓寺に潜入し、曹渓宗側を困惑させました。1か月近く続いた仏教・国家、仏教・市民社会の間の、拮抗したせめぎ合いの始まりでした。そのとき私は、韓国仏教の現住所をこれほどよく示す場面があるだろうかと思いました。とにかく、私たちの討論の主題を、韓国仏教に適用するならば、どのような話が可能か気になります。

 

宗教が再び「希望の工場」になるためには

 

朴露子 姜先生のお話しを聞いて、多くのことが理解できました。おっしゃられた内容を私なりに消化するならば、高度成長期とその後に、韓国プロテスタントは韓国資本主義と相互に作用しながら、一面で資本主義に独自の資本蓄積の正当化のイデオロギー(「富者は神の祝福を受けている」)を提供し、また一面では、特に制度的に資本主義の多大な影響を受けたようです。おっしゃられた教会売買や相続などは、他の見方をすれば、企業の一般的な形態を彷彿とさせますし、霊的戦争論は、資本主義社会の日常である競争という土台から出発するとも考えられます。
仏教が果たして基本的にどれほど違うだろうかと思います。主流仏教では、業説や功徳論が、公開的に資本主義的の不平等を合理化するイデオロギーとして利用されています。ですから「前世において、仏・法・僧の三宝に帰依し、布施を多く行った功徳で、業障が消滅して、現世で富者になった」といって、経済的な成功を「霊的生活」とつなげて考えます。特に、財産の多い巨刹は、大型教会のように「経営」の対象になります。曹渓宗の宗立大学である東国大では、「寺刹経営専門指導者」課程が開設されていて、関連の教材も出版されています。
企業に従えば、企業家の日常も自ずと熟してきますが、これは仏教の戒律と相反する場合が多いです。マスコミでときおり高級僧侶の酒宴、賭博場、不法土地売却、ひいては蓄妻(戒律違反の男女同居関係)など、性関連の疑惑が報道されますが、企業界と大きく異ならない形態でしょう。もちろん、一般のマスコミではときおり報道されますが、曹渓宗など、仏教界の影響下にある宗教界のマスコミは、はるかにこれらを自制しています。下手をすると「怪我をする」こともあるからです。企業も「反企業の情緒をあおるマスコミ」に広告面の圧迫を加えますが、曹渓宗のような場合には、もう一歩踏み出して、高級僧侶の行動に批判的だった『仏教ドットコム』『仏教フォーカス』など、一部の宗教界批判のメディアを「解宗的なマスコミ」と規定し、そこに寺刹の広告掲載などを全面的に禁止したようです。
おっしゃったように、国家補助金などの様々な懸案が、国家との協力に関わっているので、仏教界は政権との正面衝突を回避します。ハン・サンギュン委員長に自主出頭を勧めてきた仏教界の一部の行動は、概してこの部分と関連づけて解釈できます。ですが、もう一方で、仏教界は、社会的な問題点として転落した、保守キリスト教との差別化戦略の次元で、労働問題に労働親和的な立場で介入する試みも行っており、また、統一問題に相当な積極性も示しています。他の見方をすれば、「進歩性のある宗教」として評判があり、この20数年間、急成長してきたカトリックを「ベンチマーキング」するような雰囲気です。そして、少なくとも表面的には、ハン・サンギュン委員長に公権力からの「保護」を提供する立場を表明してきたのです。ですが、社会で非難されてきた保守キリスト教と、明確に「異なる」歩調を表面的に取っているからといって、現在の仏教が果たして進歩的宗教として発展できるでしょうか。仏教集団の中では、民衆仏教期の問題意識を一部堅持しており、ひいては特に環境問題に鋭利な関心を示してきた、一部の進歩勢力も実存します。ですが、多くの寺刹が、主に祈福儀礼に依存して経済的に維持され、教団の権力者が主としてこのような「寺刹経営者」の利害を優先的に考慮せざるを得ない状況において、このような少数の影響力は不可避的にかなり制限されています。
結局、キリスト教も仏教も、実際に資本化の過程を経て、同時に資本主義の弊害である搾取や疎外、経済的不安、不平等、競争などに疲弊した人々に、「ヒーリング」ないし逃避など、個人的「解決」の可能性に対する幻想を提供することになります。人生に疲れた個人が、教会に立ち寄って祈ったり、寺刹で祈禱ないし瞑想をすれば、また「元気を取り戻し」、また同様の壮絶な生存闘争の場に戻るのが、韓国における庶民信徒・教徒の日常ではないかと思います。もちろん「地獄(ヘル)朝鮮(チョソン)」の世の中で、祈禱に対する信頼は、もしかしたら脆弱な個人に与えられた、精神健康の最後の砦でもあるでしょう〔「地獄(ヘル)朝鮮(チョソン)」は2010年頃に登場した韓国のインターネット新造語。「hell」(地獄)と「朝鮮」の合成語で、韓国が地獄に近く、まったく希望がない社会」という意味で流通している――訳者〕。ですが、万に一つ、仏ないし観世音菩薩が、大学入試の祈禱を捧げるすべての母親の願いを聞いてやるなら、ソウル大の入学定員はおそらく数十万人にならなければならないでしょう。違う表現をすれば、額が擦り減るほどに祈っても、「地獄朝鮮」の構造は少しも変わりません。ならば、信徒層の大部分を占める、サラリーマンないし庶民の苦痛が、より一層激しくなる状況になれば、韓国の宗教が、今日、世界のカトリックのように、本格的な「資本主義批判」に出る可能性はないでしょうか。今でも低成長ですが、あるいは成長はまったく終わり、韓国経済が一層本格的な危機、ないし恐慌の状況に陥る場合のことです。誌面の事情でそろそろまとめなければなりませんが、「民衆」宗教への部分的な回帰なども一部で可能か、姜先生のご意見をお聞きしたいです。

姜仁哲 資本主義体制を批判して変革しようとする民衆宗教の可能性は、本当に展望も実現も困難な問題です。人類の長年の伴侶として存続する間、宗教が進歩と保守を行き来する「多機能的な」制度であることを誇示してきたのは明らかな事実です。しかし「長い保守、短い進歩」とでもいいましょうか、韓国を含むほとんどの社会で、宗教の社会的機能を見る時、保守の時間は非常に長かった反面、進歩の時間は短かったといえます。朴先生のおっしゃる通り、信者の社会的構成と態度が同質的になるほど、換言すれば、既存の政治経済秩序と葛藤する潜在力を持つ争点について、信者がより一層、同様の態度を取ることになるほど、民衆宗教への転換は容易になるでしょう。また、支配勢力の宗教思想と明確に異なるばかりか、それと対立する自律的な宗教思想も必ずや必要でしょうが、プロテスタントの民衆神学、仏教の民衆仏教や参与仏教の思想、カトリックの第2次バチカン公議会神学や解放神学などがいい例でしょう。合わせて、このような代案的な宗教思想を発展させて、信者に伝播・教育する「有機的な知識人」の役割を担当する人々も必要でしょう。代案的な宗教思想が、公式の「社会教理」の形に制度化され、それを実践するための専門化された公式機構――私はこれを「宗教内の社会運動部門」といいますが――が存在する場合、民衆宗教の可能性はそれだけ大きくなるでしょう。この方面の後発走者である仏教側でも、最近、社会労働委員会や和諍(ファジェン)委員会のような公式機構が、次から次へ登場しているところです〔「和諍」は新羅の僧侶・元暁(617-686)の中心思想で、色々な対立的な理論を調和させる仏教思想。「和諍委員会」は、この用語をとって、2010年に大韓仏教曹渓宗に設立された組織――訳者〕。ひいては宗教組織が、国家権力や支配勢力の影響から、組織的にも政治的にも自由になるべき民衆宗教への転換が容易になるでしょう。いくつかの宗教でますます激しくなる「国庫補助金中毒症」は、かなり憂慮のおそれがありますが、「特典と従属性の交換」に特徴づけられる国教制度は韓国に存在せず、仏教・儒教に対する国家の法律的統制も、最近かなり緩んでいます。このような点を考えれば、韓国の宗教状況が、民衆宗教への転換に必ずしも不利なことばかりではないと思います。
新規信者の補充減少や、既存信者の離脱増加など、明確な危機の兆候が漸増する中で、宗教指導者たちが、何か画期的な革新が必要だという危機意識を共有するとき、進歩への転換の可能性は一層大きくなるでしょう。2005年度の統計庁の人口センサスで、プロテスタント人口が減少し、仏教人口が停滞しているという結果が出ると、すぐにプロテスタント全体がざわめき始め、仏教界もやはり騒々しかったですが、近い将来、発表される2015年度の人口センサスの結果がどう出るか、注視しなければなりません。総人口の半分近い膨大な無宗教人口が存在するというのが、韓国の宗教の地形を特徴づける重要な要素ですが、一時、宗教人口の急成長を後押しすることによって、一種の「宗教予備軍」の役割を担当した無宗教者が、これまで20年余りの間、既成宗教や宗教家に対して、ますます否定的で冷淡な態度に変わったのも、宗教指導者には相当な革新圧力として作用しています。世俗的な市民運動など、宗教外部から加えられる革新圧力も、やはり時には民衆宗教への転換を促進するでしょう。ですが、このような外敵圧力は、たびたび両刃の剣のように作用することもあります。たとえば、相当数のプロテスタント指導者は「反キリスト教運動」や放送社の教会不正告発番組、宗教財政運用の透明性を高める宗教法人法の制定運動などを、革新のための肯定的な刺激として受け入れますが、大多数の保守プロテスタント教会の信者は「左派と倫理的自由主義者のキリスト教迫害」という形で便宜的に解釈し、固く団結して自らをより一層閉鎖させています。ですから、結局、宗教内部の改革の力量が成長し、連帯して組織化するのが最も重要です。ですが、内部の不満勢力がいくら多くても、信者としてのアイデンティティは維持したり、宗教組織の外側にとどまる「休眠信者」、あるいはまったく異なる宗教に行こうとする「改宗者」が多数になれば、宗教の変革の展望はむしろ暗くなるでしょう。教団勢力の弾圧を甘受しながらも、最後まで残って宗教の変革運動に参加する「改革家」が増えるべきです。今でも宗教は、随所で暴力と分裂を助長することによって、私たちの生活の場をディストピアに追い込んでいます。同時に宗教は、随所で「絶望の大量生産体制」に対抗して、困難ではあるものの、ユートピア的な夢と想像を不断に生産する「希望の工場」としても機能しています。正義の平和(just peace)に向かう希望を世に絶えず供給することによって、宗教が人類の作り出した最高の発明品であることを、自ら立証して示すことができればと思います。

朴露子 一言でまとめるならば、韓国の宗教、特にプロテスタントは、韓国的近代のすべての問題をそのまま、または場合によっては、一般に比べてかなり深刻な形で包摂しながら、もしかしたら、いつかこの問題を解決する糸口を提供する可能性も排除できません。私もそのように希望しながら、韓国の仏教について学んでいきたいと思います。今回の対談で、貴重な知識を共有できたことに感謝します。ありがとうございました。

〔訳=渡辺直紀〕

 

〔対話〕解放・終戦70年、新たなパラダイムを求めて

2015年 秋号(通卷169号)

林熒澤(イム・ヒョンテク) 成均館大名誉教授。民族文学史研究所共同代表、実学博物館碩座教授など歴任。近著に『韓国学の東アジア的地平』『21世紀に実学を読む』など。

宮嶋博史(みやじま・ひろし) 成均館大東アジア学術院特任教授、東京大名誉教授。著書に『日本の歴史観を批判する』『私の韓国史学習』など。

白永瑞(ペク・ヨンソ) 延世大史学科教授、『創作と批評』編集主幹。近著に『核心の現場から東アジアを再び問う』『社会人文学の道』など。

 

白永瑞 猛暑のなかご出席頂きありがとうございます。今日、お二人をお招きして、この「対話」をどう準備することになったか、説明することから始めましょう。林熒澤先生が昨年出された2冊の本に対する長い書評を、宮嶋先生が本誌にお書きになりました(「近代克服の実学研究とは何か―学人・林熒澤、その学びの軌跡」、『創作と批評』2014年冬号)。林先生の学問的業績を詳しく紹介しながら、それとなく批判も添えた格調ある書評でした。その後、お二人がさらに深みのある議論をする機会があればという話を聞き、分け隔てない学術的な討論の場を作って読者らに披露したいと考えました。ただ、それが今日の現実問題の検討にどれほど役立つか、また学術的・思想的な問題をめぐる討論がかなり困難にならないかという憂慮も一方で致します。そのような憂慮の中で振り返ると、今年はご存じのように「終戦70周年」、または韓国の言葉でいえば「解放70周年」で、韓国と日本の国交正常化50周年の年です。このように重要な歴史的契機でもあるだけに、学術的・思想的な問題の討論が、結局、今日の現実問題を眺め、望ましい韓日関係を東アジア的脈絡であらためて打ち立てるためにも、ある種の暗示を与えられるだろうという期待があり、この座談会を開くことになりました。
韓日関係はこのところかなり悪い状態に進んでいます。韓日のマスコミの共同世論調査によると、相手に対するよからぬ感情が最悪の状態になっているといいます(『韓国日報』2015年6月9日付参照)。みな実感しているように、東アジアでは経済領域の相互依存が深化する一方で、政治・安保領域では国家主義が猛威をふるうという不一致を示しています。それと重なって、アイデンティティの領域で集合的な歴史・記憶の遺産が作動しており、大きな混同を経ています。さらにその混同が、地域外にあるアメリカによるバランス取りで維持されているために、このような地域構造を、東アジア諸国は各自の利益に資すると計算し、現状を打破しようとしないといいます。それゆえに、特に歴史や領土をめぐる紛争、また相互不信は日増しに大きくなり強まっています。このようなゆゆしき状況に置かれているだけに、今日の韓日関係に対する印象や、今後の展望について、まず簡単にお話しをお聞きして、本格的な話に入っていったらどうかと思います。

解放/終戦70年、東アジア知識人の現住所

林熒澤 終戦とともに解放を迎え、これまで70年間、韓国と日本の関係をふりかえれば、一言でいって外形的な反日、内面的な親日の構図を描いてきただろうと思います。現在の悪化した両国関係は、これまでずっと描いてきた構図の延長線上にあります。ただ、中国のグローバルな浮上が、この状態を招いた根本要因になっているという点では、従来と同様に見ることはできないでしょう。古来、私たちの先祖は、中国を指して大国と呼びました。中国という国は、私たちのとても近くに、巨大な威嚇的存在であっただけでなく、グローバル的にも相手がない大国であったことは客観的事実です。そのような中国が19世紀中葉から20世紀末に達する間にひどく衰退し、西側世界や日本に蹂躙されたことも、また私たちが充分に認識する事実です。21世紀に入ったこの地点で巨大中国にまた戻った形です。これに伴って世界秩序の再編が起きていますが、地理的に隣接し、歴史的に緊密な、東アジアの中国、韓国、日本の3か国が、相互関係をどのように進展させうるかという重大な岐路に、今、立っていると思います。おそらく現在、韓日間の悪化した関係は、これまでそうだったように、再びまた内面の親密な関係に回復するでしょう。ですが、目を大きく開いて遠くを見るならば、現在はそれを取り繕ってやり過ごすときではありません。そのような点で、根源的な省察、歴史的反省が要望される時です。私たちがある種の問題を思考し認識するにあたっては、主体的な姿勢が必須要件ですが、同時に相手の立場で考えなければなりません。そのような点で、基本的に日本人の立場から韓国史を研究する宮嶋先生の意見を聞くことになりました。とても大切な機会だろうといえます。

宮嶋 私が日本からソウルに職場を移した2002年は、韓日ワールドカップ共同開催があった年でした。他の見方をすれば、韓日関係がいつの時代よりもいい状態だったと言えるかもしれません。あの時は、今後もよくなるだろうと期待しましたが、現実は反対にますます悪くなりました。はじめは一時的な現象ではないかと思いましたが、これまで十数年の間、悪くなり続けているのを見ると、簡単に解決困難な問題で、長期的に見るべきと考えるようになりました。林先生は主として、世界秩序のような客観的な状況の中で韓日関係の現実についておっしゃいましたが、私は一方で、このような状況に対しては両国の知識人の責任もきわめて大きいと思います。80年代末に社会主義圏が崩壊し、日本ではマルクス主義の影響力が大きく衰退しましたが、特に日本の歴史学界はマルクス主義の影響がとても大きかったために、その後の日本の歴史学界全体が漂流することになったとでもいいましょうか。その状況の中で、現実に対抗する批判的な意識、また日本の歴史を批判的に見ようとする研究が、かなり脆弱になったということが大問題ではないかと思います。韓国でも80年代後半、いわゆる民主化以降に知識人が方向喪失とでもいいましょうか、民主化されて以降、韓国社会が長期的にどのような方向へ進むべきか提示することがきわめて困難になりました。民主化以前は、韓国の知識人が現実に対してきわめて批判的な意識を持ち、そのような現実問題と自らの研究がとても深い関係にあったので、日本の知識人にも多くの影響を与えたと言えます。民主化以降、日本も韓国も、知識人の現実に対する批判的な意識が弱くなり、国民の間でいわゆるナショナリズムがますます大きくなり、それに対して的確に批判できない状況が、今日の韓日関係をこのように悪化させた大きな原因ではないかと思います。

白永瑞 林先生は客観的な東アジアの秩序変化の重要性をおっしゃり、宮嶋先生は韓日両国の知識人の主体的な役割を指摘されましたが、宮嶋先生のお話しを聞きながら、私は『創作と批評』誌の役割を振り返り、今日の対話が持つ意味の核心も、そのようなところにあるのではないかと思っています。韓日両国の知識人がこれ以上、批判意識を維持することが困難な、つまり批判意識を牽引する動力を弱めている点については、知識人の思考を規定しているパラダイムに問題があるのではないかと思います。宮嶋先生が、西欧中心的な歴史認識こそ、韓日の歴史認識の対立を産む要因だと書かれた論文を読んだことを思い出しますが、はたしてそのようなことなのか、また、それが両国の、いわゆる批判的な知識人にも依然として適用しうるのか気になります。特に韓国の批判的な歴史学者や知識人に対する警告の意味も込められているようです。

西欧中心性を越える新たなパラダイム模索

宮嶋 西欧中心的なパラダイムに対する批判だけでは足りないという考えは、学界でも共通した視角だといえます。ですが、その代わりになる新たなパラダイムが見つからないということが、もっとも大きな問題でないかと思います。日本と韓国の知識人が、さきほど申し上げた状況に置かれることになった大きな原因の1つは、やはり今後どのような方向に進むべきか、どのようなパラダイムを提示すべきかが不明かつ曖昧なためのようです。もう1つは、最近はおそらく韓国もそのようですが、大きなパラダイムに対して討論すること自体を忌避するとでもいいましょうか。そのような場自体があまりなく、学術論文でも個別実証的な研究が大部分です。私が「儒教的近代」という概念を提起したのも、それをどう考えるべきかももちろんですが、西欧中心主義に代わる新たなパラダイムに対して活発に議論するべきだという考えからでした。ですが、新しいパラダイムを模索するには、さきほど林先生も指摘されましたが、中国をどのように見るべきかが1つの核心的な主題で、これまでの中国、現在の中国、未来の中国をどう見るべきかが重要な問題になります。西欧中心的なパラダイムでは、中国の過去も現在も未来も理解できないだろうと私は考えています。新たなパラダイムの模索には中国の位置がきわめて重要でしょう。

白永瑞 西欧中心主義を克服すべきだというのは、当然、受け入れるべきところですが、それに対する反応は概して脱構築的な手法にとどまっています。ならば、その次に何を打ち出すべきかについて、あまり語られない雰囲気だと指摘されました。私も同意しますが、それに比べて中国の知識界では、最近、むしろ大きな話をしています。中国モデル論だけでなく、新たな普遍性、代案的な普遍性を模索したいということでしょう。韓日の知識人の間ではそのような議論が少ない方でしょう。読者である私が見たところ、お二人の先生はそれぞれの代案的な普遍性というか、パラダイムを、韓国を含めた東アジアの伝統思想の中に見出して照明しようと努力をしておられるようです。宮嶋先生は東アジア的近代、儒教的近代、また中国的近代に通じる一連の体系を、小農社会という物的基盤のうえで定立されようとしていますし、林先生は、「新実学」として実学を再構成しようという努力をしていますから、そのようなことを点検する中で、必要な場合、中国と比較すれば、一層生産的な議論になるだろうと思います。まず林先生のこれまでの学術的な成果の核心ともいえる、実学をめぐる議論に話を移してみようかと思います。
実学を新たに今、語るということは、韓国の学術界の地形で見れば、少数の意見ではないかと思います。実学というものが普通名詞か、歴史的概念か、という論議があります。実学は空虚な学問ではなく、有効な学問だという意味ですが、これまで韓国の学界では、実学に特別な意味を置いてきました。普通名詞ではなく、歴史的概念として使ってきました。林先生もある論文でおっしゃいましたが、「実学を無化しようとするさまざまな学術工作に対抗して、孤独に戦って」来られたと言えます。ここで、実学概念とその意義についてしばらくお話し頂ければ、今日の議論の一助になろうかと思います。

今、実学にあらためて取り組む理由

林熒澤 実際、「実学」が普通名詞なのか、歴史的概念なのかについては、白先生もおっしゃるように議論する必要もない問題です。歴史的概念であるとき、はじめて意味を持つのはもちろんです。歴史的概念としての実学は、17世紀から19世紀に起きた新しい学風を指し示すものです。ですが、それは唯一、韓国だけに存在し得たのではなく、同時期の中国、また様相を少し異にして、日本にも共存しました。中国の場合、明代から清代になって発達した学問ですが、考証学、あるいは実事求是の学風が、俗に「樸学」と称されました。私たちの実学と基本的に性格が相通じるものですが、これを実学という概念で把握することはありませんでした。近来、実学という概念を導入して『明清実学思潮史』(全3巻、斉魯書社、1988~89)のような本も発刊されました。日本もおおよそ同様で、主として古学派の学問に実学概念が適用されています。なので、「東アジア実学」という概念が成立すると思うのですが、そうすると、韓国の学術史において樹立された認識の枠が、中国と日本の両国に導入されたことになります。問題は、中国の学界と日本の学界では「実学」という用語が広く受け入れられずにいる点です。だからと言って廃棄するわけではなく、東アジア的なレベルで「実学」という認識の枠を適用し、研究し、理論化する、学的努力を傾けるべきだというのが私の主張です。

白永瑞 1960年代後半の学界で提起された実学について、一般の人たちにも関心が広がったのは、創作と批評社の役割も大きかったと思います。創作と批評社が1967年夏号から関連論文を掲載し続けたからです。当時そうした重要な思考は、植民史観を克服して、民族史観を確立する時代的課題を先導しようとしました。その核心が、韓国史の他律性と停滞性を批判し、内在的発展論を主張することです。思想史的レベルの努力が、日帝下1930年代の朝鮮学運動で発掘した「実学」をあらためて照明したのです。ですが、60年代後半から80年代まで進められた形の議論ではなく、その延長として発展した形で、21世紀の今日、実学をあらためて語る必要があるとすれば、模索すべき争点の1つは内在的発展論との関連性でしょう。この問題は宮嶋先生と討論の余地もある争点でしょう。
もう1つの争点は、はたしてそれが東アジア三国において、その当時同時に現出されたと把握することが、つまり先生がおっしゃった、いわゆる「東アジア的実学」がどれほど説得力があるだろうかという点であり、最後に先生のおっしゃる「新実学」というものが、今日、21世紀において新たなパラダイムを語るとき、どれほど必要な資源だろうかという問題があります。まず、最初の争点である内在的発展論と関連しては、その当時、多分に近代指向的でした。ですが、今、先生が新実学を語られるときは、ポストモダンの指向まで合わせていますが、そのような争点を持って話せば、もう少し話が進むのではないかと思います。これについては宮嶋先生がますお話しください。

宮嶋 私は、実学研究で1つの問題点が、儒学との関係をどう見るべきかという点だと思います。初めに実学研究が始まったとき、今、白先生が指摘された通り、いわゆる内在的発展論の視角と深い関係を持って始まりました。なので当時は儒学というものが克服の対象と認識され、実学も儒学を克服する可能性を持つ思想として注目されることになったと思います。私は以前から、儒学が本当に克服対象なのか、儒学を克服すれば近代が可能なのかという面で、実学研究に対して少し懐疑的でした。この問題は今も残っていると思います。最近の若い研究者の中には、実学も儒学であり、性理学であるとまで言う人もいるようですが、儒学というものが、ならばどのようなものであり、実学は儒学のどのような部分を批判して克服しようとしたのかが曖昧です。特に儒学思想の哲学的な部分といえる経学が、儒学の中心にあると考えられますが、実学が性理学の経学をどのように把握したのか、儒学と実学の関係について林先生はどう考えるのか、お聞きしたいと思います。

林熒澤 実学を儒学と分けて認識しようという見解があったのは事実です。儒教は近代化の障害物だ、また、さらに儒教のために私たちがダメになったという意識が実学認識と結びつき、実学は儒学とは異なったものであるという形で進みました。もちろんみながそう考えたとは言えませんが、主流の論理は、脱儒教・反儒教的な方向で実学を把握しようとする見解だったことは事実です。ですが、私は基本的に、実学も儒教の1つの様相だと思います。儒学思想が展開する過程で、変化した時代の要求に応えて、実学という新たな学風が台頭したのです。儒学は、根本の性格が、治国・治民、そして平天下にかかっています。このことを離れて儒教が成立する余地はありません。要するに、17世紀以来、当面の時代の現実を解決するための方法論が、他でもない実学だったのです。

白永瑞 このあたりで、読者のために用語を整理したいと思います。実学、性理学、儒学、この3つの層位をどう分けるのか。先生は性理学と儒学を一緒に見ていらっしゃるということでした。そして韓国と日本では「儒教」という用語を多く使います。ですが、中国では「儒教」という用語よりは「儒学」という用語を多く使い、「儒学」が官学化したり宗教化された形態を「儒教」と呼称する傾向があります。儒学と儒教の区別は、学術的論議の対象ですから、ここでおくとしても、お話しのなかで、性理学と儒学、実学の関係について整理して頂ければと思います。

林熒澤 儒学と儒教は同じ言葉です。現代中国は宗教をあまりよく考えないので、「儒教」という用語を忌避したいのだと思います。儒学は全体を統括する概念ですが、歴史的に区分するならば、古典儒学があり、以降、12、13世紀を経過して性理学が登場して、17世紀に降りてきて実学が登場します。話が出たついでに、性理学に関する用語の問題も言及しておきます。性理学は理学、朱子学、あるいは程朱学、宋学などと呼称します。性理学や理学は哲学的な面を、朱子学、あるいは程朱学は、唱道した学者を、宋学は成立した時代を指し示すものですが、指し示す対象はみな同じです。性理学を「新儒学」とするならば実学は「改新儒学」と呼んでもいいでしょう。
さきほど、宮嶋先生が提起された問題の1つは性理学と実学の関係であり、他の1つは経学をどう見るべきかというものでした。性理学は実学の基盤です。その批判的克服の結果が実学であると整理できます。経学についても言及します。韓国の学術史で重要な事実の1つは、17世紀末頃から18~19世紀に達する間に、経学の著述がきわめて多く出されます。膨大な経学の著述を概略的に区分すれば、朱子の経典解釈の枠組で追求された経学と、そうでない経学に二分できると思います。朱子学的経学と脱朱子学的経学です。実学者たちも、また経学に学的関心を傾ける際に概して脱朱子学的な性格を帯びます。朱子の経典解釈を当然尊重するものの、さまざまな経典解釈の1つとして相対化させます。私たちの先祖の必読書として最も広く読まれたのが四書三経です。四書三経は朱子の解釈を標準としたものでした。朱子の解釈まで合わせて経典的に対することになったのです。そのような朱子の経典解釈を相対化した態度は、それこそ思想的な反逆です。このような実学的経学の成果を成し遂げた学者として、星湖・李瀷(1681-1763)や茶山・丁若鏞(1762-1836)をあげられますが、批判的な経典解釈を通じて自らが実現しようとする国政改革、社会改革の理論的根拠を用意したのだと思います。経典とは何でしょうか。孔子をはじめとする過去の聖賢の実践と言葉が込められた、それこそ古代的で古典的なものでしょう。実学は経典に理論的根拠をおいたという面で尚古主義です。つまり復古主義ですが、ルネサンスがそうであったように、朱子学に対する克服的な意味を持っています。

朱子学的近代の構造、変革思想「実学」の主体

白永瑞 お話しを聞きながら思い出すのですが、私もこの大きな問題を講義する時は、いつもそのように話します。キリスト教において原始キリスト教の福音書を新たに解釈しながら、多様な神学思潮が出てきます。その急進的な形態から解放神学が出てきたように、つねに昔に戻って新たに解釈しますが、そのとき、尚古思想の「古」というのは、理想としての昔でしょう。自然そのままの昔ではありません。しかし、そのように整理しても、やはりお二人の見解の違いはあるようです。朱子学に対する理解の違いです。宮嶋先生がおっしゃる東アジア近代はまさに儒教的近代で、儒教的近代の核心は朱子学に対する解釈でしょう。反面、林先生が改新儒学といわれたのは脱朱子学のことです。その点では確かに違いがあるように見えますが、宮嶋先生がこの続きをお話し下されば、争点が明らかになると思います。

宮嶋 難しい問題です。さきほど儒学と実学の関係が曖昧だといいましたが、朝鮮末期の思想家や学者の中で、普通、実学者の範疇に入らない方がむしろ数的には圧倒的に多いようです。朱子学的な枠組の中で経学を研究した膨大な文献があるとおっしゃいましたが、そちらの方に見出せるものが本当にないのか、また、それより少し前の時代ですが、退渓・李滉のような方の性理学はどう考えるかという問題があります。退渓先生の学風を受け継いだ人々の儒学思想、もちろんそれが朱子学の枠組の中における経学といえますが、そこに何か新しい部分といいましょうか、実学研究者がそのような部分に対してまったく研究していませんが、それが本当に意味がなかったのか、無視してもいいのか……私が見たところ、そうではないと思います。

林熒澤 実学がすべてか、または少し狭めて、実学がその時代に主流の学問としての位置を占めたのか。私はまったくそうではなかったと思います。実学は当時の状況において実際に少数者です。それでも実学に注目して意味を大きく捉えたのは、その時代、すなわち17世紀から19世紀の状況を深刻に考慮するからです。東アジア的レベルで大陸の明清交代、日本列島の江戸幕府の登場のような大きな変化が起きたわけですが、視野を全地球的に広げて見れば、西勢東漸の波が緊急性をもって押し寄せます。当時の東アジアを、私は「動揺する朝貢体制」と表現していますが、朝鮮が直面した現実において、このような情勢変化に積極的に対応する改革論理が切実に要望されました。これが、実学が登場した背景です。正統性理学は保守的な路線に固執し、時代の要求に答える言説を生産できません。性理学は時代精神を代弁する意味を見出すことが困難になったんです。ならば、実学以外の学問はまったく顧みる価値がないかいうと、私は絶対そのようには思いません。当時さまざまな傾向の学的成果をあまねく把握し、深く研究して、思想の地形図を描き出すべきです。たとえば経学の成果をめぐっても、外形的に朱子経学の枠組から抜け出すことはなかったとしても、そうした中にむしろ創造的苦悩が込められた内容が発見できると確信します。実学を特権化するのではなく、バランスをもって全体を総合する視角を開かなくてはなりません。私自身、過度に実学中心に見てきたきらいもあり、反省もしています。

白永瑞 林先生がどこかの論文で使用された用語で、私がそれを少し変えて説明してもいいかお聞きしたいと思います。「改新儒学」とおっしゃいましたが、他の論文ではそれを「運動としての学問」だったとおっしゃいました。だとすると、実学を実践的・批判的な運動としての学問であると、当時の儒学のある系譜を整理できないでしょうか。21世紀には「新実学」とおっしゃって、新実学も運動としての学問、批判的な学問であるとおっしゃいましたが、互いに通じるものと理解してもかまわないでしょうか。

林熒澤 そうですね。根本的に言って、運動性を喪失すれば学問としての存在意味を喪失するんです。もちろん、運動性を喪失したまま、学問のための学問として存在する場合はいくらでもあります。実学は運動性を自らの生命として持っているので、実学として意味を持つようになるのです。でも、保守的な立場を堅持したら運動性がないのだと断定してしまうことはできません。代表的な事例として、19世紀中葉の学者・李恒老をあげることができます。当時、西洋の帝国主義に門戸開放を強要された危機状況において、彼は衛正斥邪の論理を持ち出します。義兵抗争の理論的根拠になりました。それこそ運動的な意味が確かな学問であり思想です。衛正斥邪論の保守的な論理は、時代の進運に逆行する思想という点では否定的に評価が下されますが、当面の時代の現実に学的な使命感をもって透徹したという点で、救国的という点で肯定的な評価も可能です。運動性と言っても、どのような方向かという側面はどうしても看過できないでしょう。

白永瑞 やはり、先生は実学をお話しになりながらも、実学という名称が持っている実践的・改革的な側面、または、さきほどおっしゃったように、運動といってもいい、それを追求する主体としての知識人について、かなり強調されているようです。それに比べると、私だけでなく、多くの読者が見たところ、宮嶋先生が儒教的近代、東アジア的近代、さらに狭めて言えば、朱子学的近代としながら、朱子学を強調される時は、東アジアの長い時間帯の構造自体を説明するところに強調点があるような印象を受けます。このような概念が持つ意味について語れば、お二人の主張の相違を発見できると思いますし、大きく見れば、東アジアの思想的資源として今日、必要なものを見出すという点では同じですが、その中に入れば、どのようなものが重要な資源なのか、どのような角度でそれを把握するのか、という点で、少し違いがあるようです。宮嶋先生の議論へ移ってみましょうか?

東アジア独自の歴史像が描けるか

宮嶋 私は、いわゆる西欧中心的な東アジア史の理解を批判しながら、その過程で小農社会論や、最近では儒教的な近代概念を提起することになりました。ですが、さきほど申し上げた通り、西欧の歴史モデルを東アジア地域に適用するのではなく、東アジア独自の歴史像をどのように構想できるかについて、ながらく悩みながら、1つの仮説として提示するのです。特に儒教的近代というものを考えることになった決定的な契機は、中国をどのように見るべきかという問題です。中国は今、経済力で世界第2位の地位にありながらも、政治や社会の様相は他の資本主義国家とかなり異なり、むしろきわめて伝統的な部分が依然として強く存在すると考えられます。そのような中国をどのように理解するべきかという気がします。私が見るところ、中国は少なくとも16~17世紀の明朝の時代以降、これまで大きく変わっていないようです。特に社会的な結合や人間関係の側面でそうです。なので、一般的に理解するように、中国に前近代的な部分が残っているという形でなく、明朝の時代以降、これまでの中国を持続的な面で見るならば、それを儒教的近代、中国的な近代と言うべきではないかと思います。西欧的な近代とは異なる類型といいましょうか。そう考えれば、韓国や日本も中国的な近代の影響をかなり受けたので、東アジア全体を儒教的近代という概念で見ることができるということです。もちろん、韓国、日本の場合は、中国がそうなったといって、みな中国と同じようにできるわけではなく、到底ついていけない部分もありましたが、とにかくその後の韓国と日本の歴史も、儒教的近代との関係の中で見るべきではないかと思います。現代の韓国や日本の社会をみる時、19世紀中盤のいわゆる「ウェスタンインパクト」(western impact)、西洋の衝撃以降、あるいは近代以降のヨーロッパとの関係だけでは、到底理解できない部分があります。ですから、その前に中国の儒教的近代の影響を受け、そのあとに西欧的近代の影響を受けたと考えるのです。
私が儒教的近代というものを提起する前は、中国社会を「初期近代」という曖昧な概念で語ったことがあります。その時は、朱子学、性理学を見る視角に、私自ら納得できない面がありましたが、儒教的近代という時、性理学の問題は省略できません。そのような過程で知ることになった、日本の木下鉄矢の朱熹研究から多くの影響を受けました〔『朱子学理解への一序説』(研文出版、1999)、『朱子学の位置』(知泉書館、2007)、『朱子 :「はたらき」と「つとめ」の哲学』(岩波書店、2009)、『朱熹哲学の視軸』(研文出版、2009)、『朱子学』(講談社、2013)など――訳者〕。朱熹の思想は、決してこれまで一般的に理解されてきたようなものではなく、きわめて動態的なものであり、常に自ら心を開いて、他の人と疎通するべきだという開かれた思想であり、社会の現実に積極的に介入しようとする思想だったという主張です。これまで研究ではほとんど、朱熹が死んだあとに弟子や後世の人々が作ったものを朱熹の思想と考えましたが、木下は当時の中国社会の現実との関係の中で、朱熹がどのような思想を持つことになったかを考えながら、朱熹個人の思想をとても深く研究しました。その研究を見ながら、朱熹に対するこれまでの理解はみな誤っているのではないかと考えるようになりました。中国・韓国・日本において、すべて朱熹の思想が誤解され、その誤解をもとに批判が繰り返されたということです。ですから、常に性理学、朱子学は克服の対象となり、克服されたといいながらも、結局はいまだにきちんと克服できていないのではないかと思います。木下によれば、陽明学の王陽明が典型的な例ですが、彼が完全に朱熹を誤解して批判したものの、彼が主張したかったのは、事実、朱熹の思想とさほど大差ありません。簡単に見ても、朱熹の死後800年以上が過ぎましたが、少なくとも19世紀前半までは、東アジア地域において朱熹は多くの人々が必死に学ぼうとした対象でした。科挙の試験でも、朱熹についてきちんと理解してこそ及第できるので、彼の著作が多くの人々によって徹底的に学習対象になりましたし、それとともに批判の対象にもなったのでしょう。19世紀末まで、韓国や中国で数百年間、朱熹のテキストが科挙の試験の基本テキストになりえたのは、朱熹という人の思想が、それほど簡単に克服できないのみならず、きわめて深みのある思想だったためではないか、そのように朱熹の思想をあらためて考えることになりました。そのような朱熹の思想と「伝統時代」の中国の社会現実に、きわめて通じる部分があると思ったので、「儒教的近代」というものを提起することになりました。
ただ、儒教的近代や小農社会に対する今までの私の研究は、決定的に東アジア国家間の国際関係について疎かにしていました。特に清朝の時代は、単に小農社会という農業社会だけでなく、モンゴルや満洲族、遊牧・狩猟民族まで構成員になりましたが、そうすると、そのような社会と本来の中国(China proper)という地域との関係をどう見るべきかを、今後、研究するべきだと思います。中国において帝国概念というものをむしろ積極的に評価しようとする議論がかなり出ている状況では、単に小農社会と見たり、儒教的近代というものを一国史的な観点だけで見てはいけないと反省しています。

白永瑞 途中で割り込めないほど、先生のこれまでの成果をとても圧縮的に説明されました。私が整理すると、いくつの層位が重なっているという気がします。最初は、私たちが議論してきた実学思想との違いにもなりますが、儒学思想における朱子学の位置や役割に関する問題です。林先生の表現を借りるならば、17世紀以来、18世紀は「動揺する朝貢体制」という秩序の変動期です。このような変動期に、朝鮮、中国、日本がそれぞれ朱子学的なものを受け入れて維持するのが妥当だったか、あるいは実学のように変えるべきだったのかは確認する必要があります。宮嶋先生は、朱子個人の思想と思想体系としての朱子学を区別されましたが、朱子学について肯定的に評価しながら、朱子の思想が活用されつづける余地があるとお考えだということです。もう1つは中国的近代という概念についてです。朱子学を中心にした儒教的近代を中国的近代とおっしゃっていますが、それがもう1つの層位のようです。
そして、これは3つ目の層位ともつながりますが、西欧中心史観を克服するという地点があります。ですが、西欧中心史観を克服しようとする努力は最近、多様に存在します。ここで長く申し上げられませんが、「新しい世界史グループ」は、ヨーロッパ中心の歴史発展が普遍的な歴史発展のパターンではないと主張します。18世紀後半や19世紀初まで、アジアがヨーロッパに劣らぬ生産力、人口増加、科学技術を持っていましたし、むしろ世界市場を主導したと見たり、ヨーロッパの産業革命の技術的革新は内在的発展の産物ではなく、中国をはじめとするアジアの発展した成果によって成就した可能性が高いと見ています。一言でいって、反周辺部だったヨーロッパの後発性の比較優位が、当時、すでに形成された世界体制と密接な関連の中で、よく発揮された結果であるということです。このように新しい世界史を構成しようとするグループがあるように、ヨーロッパ中心の歴史観を批判しながら主張できる新しい代案が多様ですが、問題はどうして、よりにもよって中国的近代が重要なのかということです。イスラム的近代もあり、多元的近代があるかもしれませんが、そのうち中国的近代を語る人々は、おおよそ宋代以降(または、明代以降)の歴史にその始発を見出し、今日まで持続してきたと考えます。先生もそのような脈絡です。日本だけ見ても、溝口雄三が「郷吏空間」という、分権的で民間的な地方の公論の原理や秩序が維持されつづけてきたとして、そのような傾向を示しています。また、最近、日本でよく売れている本で、与那覇潤の『中国化する日本』(2011、韓国語訳はペーパーロードから2013に刊行)という本でも、宋代以来、近世秩序の基本構造が維持されつづけ、今日に至っても変わることがなく、これは世界の誰もが使用できる、汎用性の高いシステムであるとまで指摘しているようです。中国でもそのような議論が多いと聞きます。たとえば、葛兆光の『この中国にいなさい(宅茲中國)』、2011、韓国語訳はクルハンアリから2012に刊行)も、宋代以来、中国には「伝統的な帝国式国家」であり「近代的民族国家」に近いものが持続してきたと言っています。林先生に発言の機会を差し上げなければなりませんが、この層位の中で、まず朱子学に対する評価の問題を簡単に整理して、2つ目の層位、すなわち今日の中国を見る問題と関連した、中国的近代に対する宮嶋先生の理解をどうお考えか、お話し下さればと思います。

朱子学に対する評価と歴史経験の相違

林熒澤 朱子について、彼が偉大な学者で思想家だったということは指摘するまでもないと思います。朱熹と朱子学を区分しようという見解は、傾聴するだけのものはあります。マルクスとマルクス主義を区別して考える必要があるという主張と通じるのも同じです。本来の朱熹の思想、学問をきちんと深く勉強して理解するべきで、また、評価もするべきだというお話しは、私もやはり異論の余地がありません。茶山・丁若鏞も、人々が朱子を幅広くきちんと読まずに抽象的な理論に偏重して語っていると批判しています。特に朱子の実務・実事に切実な内容とともに、社会政策的な面に関心を持つべきだと力説したことがあります。私は、朱熹に戻ってその実体を見て、後世に上塗りされたものを払拭しようという点に全面的に同意しながらも、歴史的に形成されて作用した朱子学は、また、それとして検討して明らかにする作業を続けるべきだと思います。明代以後、朝鮮朝になって、17世紀の朱子学が体制の教学として、政治的イデオロギーとして役割をはたした厳然な事実を看過できないというのが私の観点です。

宮嶋 韓国の場合も、高麗から朝鮮に変わる時、新しい体制の構築に朱子学がきわめて革新的な役割をしました。ですから、朱子学というものも、現実を批判して理想的な現実を作るための思想としての役割が可能になるわけです。しかし、ひとまずその理念に合った体制が作られれば、それを守ろうとする側面も出てきます。ですが、日本の場合は17世紀以後に、徳川時代に突入しながら、朱子学が本格的に受容されましたが、その時は初めから体制を維持しようとする面が強かったようです。ですから、日本では朱子学がきわめて保守的で体制維持的なものという理解が多かったのですが、最近になって新しいアプローチがなされています。19世紀に入って、朱子学の普及現象が起きながら多くの人々が学べるようになり、特にその時まで学問にまったく接することができなかった中・下級の武士が、朱子学を学び始めながら、政治に関心が生じて、結局は明治維新につながったのではないかと思います。

白永瑞 お二人がおっしゃった歴史的脈絡の違いが本当に興味深いです。朝鮮の儒学史では、朱子学がすでに体制理念になってしまった状態で実学が出てきたので、朱子学のそのような側面がさらに強調され、日本は朱子学が体制理念になったことがないので、革新というか改革的な側面に対する期待ないし関心があるようです。朱子個人については評価が一致しますが、それが体系化された理念である朱子学に対する見解の違いは、日本と朝鮮の歴史的経験の違いから来ていると思います。

林熒澤 そうですね。私と宮嶋先生に間に見られる朱子学に対する見解の違いは、結局、韓日両国の歴史経験が異なるところからくる立場の違いでしょう。ですが、注目すべき点が1つあります。19世紀後半、日本の明治維新の過程で、朱子学が相当な寄与をしたという説が提出されていると聞きました。朱子学に限定せずに幅を広げて考えるべきではないでしょうか。「儒学の学習がサムライを政治化」したという指摘のように、漢学の拡大が明治期の日本社会の変化・発展の精神的基礎になったと考えるのが正しくはないでしょうか。日本についてはよく知りませんがそのような気がします。

宮嶋 私もその具体的な内容については深く知りませんが、18世紀末以降では徳川幕府が作った「昌平黌」という学校で、朱子学以外は教えられなくなり、各地の大名が作った藩校という学校でも、多くの部分、朱子学しか教えられなくなりました。もちろん、だからと言って、日本の儒学がみな朱子学になったわけではありません。ただ、儒学思想の中でも、朱子学が特に政治的な性格が強いとでもいいましょうか。「修身斉家治国平天下」。なので、朱子学はそれを学ぶ人にとって、当然、政治はどうするべきかに対する関心を、陽明学や他の学問よりも誘発する性格を持っています。特に日本で、荻生徂徠という学者は、一般の人々は政治に関心を持つ必要はない、かなり特別な人だけが政治に関心を持てばよいと主張しましたが、朱子学が普及して、今までまったくそうではなかった下級の武士まで政治のことを考えるようになります。そして特に問題になったのは、天皇と徳川の将軍のどちらが主君かという点です。天皇が主権者で、徳川体制は間違った体制だという意識が強くなったのでしょう。

白永瑞 このくらいにして、2つ目の層位である中国的近代に対する林先生のお話しを聞きましょう。

中国的近代論は東アジアの歴史経験の特化か

林熒澤 小農社会論の理論構成は、歴史学を専攻していない人間として、あれこれ言える内容ではないのですが、儒教的近代の問題に私は特に大きな関心を持っています。宮嶋先生の学的努力を高く評価し、見解の多くの部分に同意しながらも、決定的に大きな部分で疑問を感じます。それは、どうして近代なのか、東アジア諸国にも早期に注目すべき発展があり、そこに朱子学が関係する歴史現象を解明する学的作業はもちろん重要です。だからといって、あえて近代という概念を付与する必要があるのかということです。さきほど白先生もおっしゃった通り、近代という時、世界の各所に近代が出現しましたし、そのうちの1つとして中国にもそれが存在したという形で説明すれば可能でしょう。しかし、世界史的に意味ある近代、今日の私たちの現実と緊密に関連がある近代は西欧的近代ではないか、西欧的近代を離れて、21世紀の今日に至る状況を説明できるのか、このような点で率直にいって懐疑の念が拭えません。

白永瑞 そこには2つの側面があるようです。1つは中国的近代という場合、それでは近代自体とは何かという問題で、多元的近代というものが可能かという側面でしょう。西欧に源を発した資本主義が全世界的に広がったのだから、近代は資本主義を抜きにしては議論できないのではないか、それが今日、実感している世界の作動原理と通じるのだ、だが、それを中国的近代として別途に考えることが可能か、ということでしょう。他の1つは、中国的近代というものが、宮嶋先生は明代以降を強調されましたが、概して中国と日本学界の雰囲気を見れば、宋代以来成立した体制が維持されて、今日の中国まで来ているといいます。とにかくそれが一時的に縮小され後退したものの、再び出現しているとしながら、今日までみなそのように説明します。巨大になった中国独自の社会主義に対する実感が作用しています。そのような実感から見れば、資本主義の問題として語る必要がなくなるんです。2つとも、きわめて興味深い争点ですから、さらに深く確かめてみたいです。

宮嶋 近代という言葉を使う時、これが近代だといえる指標は何でしょうか。政治的・経済的・社会的・文化的なものがあるでしょう。近代と近代以前を区分する時、普通いくつかの条件をあげて、それに合うのか合わないのかを検討する場合が多いですが、私はそのようにすれば、どうしても西欧的近代の指標を意識して、そこに付いていくしかないように思えます。ですから、多元的な近代という時も、ヨーロッパで近代になって成立した要素のなかで、あるものは他の社会でもそれ以前からあったという形で説明するようですが、私はそのようなやり方には反対します。近代を意味する「モダン」の語源になったモデルヌス(modernus)というラテン語は、ローマで5世紀ぐらいに初めて登場したといいますが、ローマ帝国の歴史でキリスト教が公認される以前と以後を区分して、後者をモデルヌスと言ったんです。ですから、モダンは本来、今、私たちが生きているこの時代を示す言葉で、歴史を2つの時期で分けて考えるなかで成立した概念です。私のいう近代とはそのことです。
中国や東アジアで、今、私たちが生きている社会と直結する時代は、いつからかという時、もちろん19世紀前半以降と見ることができるでしょう。その後に新しいものがかなり出現しましたし、特に科学技術とか資本主義面ですね。しかし他方では、それ以前から今までずっと続く部分、たとえば人間関係において、かなり核心的な家族制度、あるいは村のような地域共同体は、はるか以前から継続してきたもので、19世紀以降、もちろん部分的に変化がありましたが、大きく変わらなかったと考えられます。韓国の場合、朝鮮時代の家族制度は今でも充分に理解できる制度ですが、高麗時代まで遡れば、当時の家族制度や親族制度は、今の韓国の人々がまったく理解できないもののように見えます。日本でも16世紀に境界があったようですが、とにかくそのような側面で、今、私たちが生きている時代がいつから続いているのか、その後を近代、それ以前を近代以前と見ようということです。そうではなく、区分のためのさまざまな指標を作ることは恣意的にいくらでもできます。もちろん、この時代がいつから始まったのか、誰か異なる考えをしても、私はまったく関係ありません。いつからが近代かは人によってさまざまだと思います。それがこれまでと同様に、排他的に西欧近代が唯一のモデルで、その他は近代ではないという形でなく、社会をどのように見るかによって、近代がどのようにできたかについての見解も変化しうると思います。
私が儒教的近代や中国的近代というのは簡単です。東アジア社会を研究して、東アジア地域に住む人間として、私が実感に基づいて語ることができる地域だからです。インドとかイスラムの人々が、今のような社会がいつできたのか、その人々がどう考えるのか、私は実感できないので、他の地域に対しては語らないだけです。それは、その地域の人々が自ら考えて語ればいいのです。私が儒教的近代とか中国的近代と主張する時、東アジアや中国を特権化しようということでは絶対にありません。そのような誤解をかなり受けました。

西欧中心性と中国中心性の陥穽のあいだ

白永瑞 今、私たちの実感に最も近い過去に遡ることを、また近代という命名自体を、否定する必要はないでしょう。ただ、今の生の実感で、何が最も重要かは議論されるべきだと思います。そのとき、何が私たちの生を規定する最も重要な力なのかをあげるならば、それは「近代性」でしょう。よく混乱を起こすようですが、英語のモダニティ(modernity)を漢字語権では「近代」という時代と、近代の特徴である「近代性」と区別して使用できます。近代性の指標がさまざまに議論されますが、そのうち何が私たちのグローバル化した生を最も強く規定しているのかという問題を語るならば、それと関連して資本主義というもの、一国内の生産関係でなく、資本主義世界体制がグローバルに統合されていく過程を看過したまま、東アジア的近代の特性を語ることができるか、という問題提起が出てくると思います。まさにこのような点を、西洋史研究者の柳在建教授が『創作と批評』の誌面で2度ほど指摘したことがあります。近代を再考しようという宮嶋先生の論文で、「資本主義」という用語が一度も出てこないのは変だとしながら、「東アジア的近代性」を、資本主義的近代と複合的に結びついた、東アジア特有の前近代的遺産として見る時、むしろ近代克服の道を開く洞察になりうるだろうとおっしゃっています。

林熒澤 今日、私たちの生を規定しているものが何かを考えれば、西欧主導の近代、資本主義的な近代を抜きにして、他の近代を語ることはできないと思います。私たちが西欧的な論理に陥らずに、私たちの近代をどのように認識するかという問題は、別途に論じなければなりません。

白永瑞 西欧主導と単純に言ってしまえば、誤解が生じるのではないでしょうか。今の私たちの生を規定する原理や作動の方式を資本主義と見るならば、それがヨーロッパで始まったとしても、その世界体制がグローバルに統合されていく過程に注目するべきであって、その起源が問題ではないということです。その資本主義的な作動方式が、今日、私たちの生でもっとも実感として迫っているからこそ問題にしているのであって、それが西欧から来たからといって問題になるわけではありません。中国的近代と言っても、今日の中国もすでに資本主義の世界体制の中で作動しています。その中で西欧で始まった、よく近代性の指標として語られるいくつかの特徴があるでしょう。国民国家、資本主義世界体制への編入、政治的民主主義、近代科学、個人主義、国民文化(または民族文化)などがそれです。中国が資本主義の世界体制の中に積極的に参加しているのは明らかでしょう。ですが、それ以外のいくつかの指標は独自に説明しようとしています。自らの歴史と現実は、国民国家という枠組ではきちんと説明できないといいます。個人主義や政治的民主主義もやはり中国を説明できないといいます。そして中国的近代を設定し、その起源を探して宋代まで遡ります。そのような中国的近代をどう考えるべきか。2つの問題があるようです。資本主義世界体制の作動方式の中に入っている中国と、それを越えようとする中国です。後者の指向を簡単に認めてしまえば、ややもすると中国中心主義に流れると、ある学者は指摘しています。宮嶋先生についても、西欧中心主義を批判するために中国中心主義に流れるのではないかと批判する人がいます。そのような問題に対する討論が必要な時点ではないかと思います。

宮嶋 私がさきほど、近代なのかどうかを考える時、いくつかの指標を作って考えてはいけないといいましたが、結局、私の話も、何か指標を作っているのではないかという指摘のようです。ですが、これまでは西欧近代をモデルとして、そのいくつかの要因を近代、あるいは近代性の指標として設定してきました。そのようにすれば、西欧を普遍として、他の地域は特殊として見て、他の地域の近代/近代性は不徹底で歪んでいると見るようになりました。ですが、西欧モデルが実際に存在したわけではなく、他の地域と区別するために作った理念に過ぎないとするならば、中国や東アジア各国の近代を、西欧モデルを基準として把握しても、その全体像を正しく理解できないというのが、儒教的近代を提起することになった理由です。

白永瑞 一種の浮彫的な手法です。

宮嶋 その通りです。ならば今、社会でもっとも大きな問題は何か、今後どのようにするべきかを考える時、私は人々の社会的結合の問題が、やはり人間の歴史でもっとも重要な部分だと思います。人と人の関係をどのように作るのか、いろいろ方法があるでしょう。東アジア地域の場合、私は中国社会については詳しく知らないのですが、韓国社会や日本社会を見る時、私は今の韓国、日本の社会的な結合方式が、19世紀後半を前後して大きく変わったとは思いません。資本主義が入ってきて企業ができましたが、その企業という組織がどのように構成されるかという時、日本はヨーロッパとまったく異なる形で企業を作りましたし、韓国もやはり日本ともまた異なるようにしてきました。日本の企業は「家」的な性格が強く、経営者と雇用者が家族のように意識されるようになり、韓国は財閥の場合のように、経営主体が家族によって構成されているのがその象徴的な例です。そのように企業が作られる原理はどこにあるでしょうか。私はヨーロッパの資本主義を受け入れながら、その時初めてできたわけではなく、それ以前にあった社会的な結合の形態を基本として企業も作られたと思います。今はいわゆる新自由主義といって、人間の個別化・個体化が進行していますが、これからは人間の社会的な結合の新しい形態をどう作るかが核心的な問題ではないかと思います。そうする時、東アジア地域の社会的な結合の基本的な枠が作られた時代を近代と考えるのです。

林熒澤 さきほど私が西欧主導の近代といったのは、私たちの立場で近代認識の問題を取り上げて論じたいからでした。東西の出会いの過程をどう見るべきかということです。この過程について今でも論者のほとんどは、影響論ないし需要論として考えますが、私の観点は対応論です。19世紀に入るまでは中国がむしろ西洋国家より優位に立っていたし、こちらから向こうに影響を及ぼしたことも多かったという点を留意する必要があり、西勢が圧倒して大きく影響を受けながらも、積極的に受け入れて対応し、創造的な変化を起こしたんです。この全過程を東西合わせて認識するものの、私たちとしては対応論に焦点を合わせるべきだというのが私の持論です。実学もまたこのような立場に立って、西洋文化に出会って対応策を講じたのだろうと規定したのです。

現実批判と未来展望の思想的資源

白永瑞 座談会の冒頭で話しましたように、東アジアの思想的資源について話し合おうと思ったのは、望ましい東アジアの未来はどのようなものかという、一種の未来プロジェクトと関連があります。現実を批判的に見るために、このような議論をしていますが、宮嶋先生がおっしゃった、人間の結合関係の新しい原理、そしてそれに関する新しい制度を作る時に参考にしうる、東アジア的な思想資源についての期待を、お二人とも持っておられますが、私も基本的にそうです。ならば、はたしてそれがどのようなものかを整理してみたいと思います。林熒澤先生はそれが新実学であり、これが東アジアレベルでも共感が形成されているとおっしゃっているようです。宮嶋先生は、その資源が中国的近代、東アジア近代という風におっしゃっていて、その中で朱子学で提示した宋代の結合の原理が、結局は現在でも示唆する点が多いだろうとおっしゃられているようです。この部分が、私たち人文学研究者が、現実問題に発言できる入口ではないかという気がします。

林熒澤 実際に、新実学という用語は、私が初めから使いたくて使ったわけではありません。東アジア実学国際学術大会を、韓・中・日が3年周期で持ち回りで開いていますが、2011年に中国側が開催して掲げた主題がちょうど「新実学の構築」でした。そこに参加して基調提案をやったので、主催側の注文に従うしかなかったんです。「新実学の構築」という主題は堅苦しいと感じましたが、時宜に適っているという気がしました。新実学といえば2つの方向で模索できますが、1つは過去の実学を、画期的に変貌した現時代の要求に呼応して解釈するレベルであり、他の1つは、旧実学を解体して新たな学問として再構成するレベルです。原則的に見て、現実性のない学問、今日の現実の解決に寄与できない学問は死んだ学問です。そうした点で実学は、新実学として再生しなければならないでしょう。ですが、なぜそれが実学でなければならないのかという疑問を、当然、提起できます。なぜ実学なのか。私は韓国学を研究する立場で、私たちの重要な思想的資源が何かという問いに、独占的なものではなくても、私たちの思想的資源として内容のある、何より豊富で、今日の時代に切実に迫ってくるのは、やはり実学ではないか、と答えます。

白永瑞 もちろん、新実学という用語は中国で提起されましたが、それがはたして「東アジア実学」とまでいえるかは、別途に議論しなければなりません。私は個人的に、中国と日本ではこれといった関心がないと考えています。実学が、韓国から発信した独特の学問的特徴であったために、それを拡散しようとするのはいいですが、それがはたして内実を持ちうるかというのは別個の問題でしょう。ですが、新実学として表現された東アジアの21世紀の実学を、重要な思想的資源として未来のプロジェクトと関連して考える時、先生は、それが、以前の近代指向的な実学研究とは異なり、ポストモダン的な指向があるということを強調されます。なので、具体的に茶山や沈大允(1806~1872)の話もなさっていて興味深く読みました。たとえば、経学に基盤をおいた沈大允の利と公を結合した思考、俗務を重視するものの、清らかな趣向(清雅)を指向した茶山の思考のようなものです。そこでおっしゃっているポストモダン的な指向を説明してこそ、説得力が強くなるのではないかと思います。

林熒澤 実学は、韓国の学術史において確立された用語なだけに、1つの認識の枠です。繰り返しになりますが、近代韓国の主要な知的伝統として発展的に継承する必要があります。中国や日本の学術史の認識に実学概念が導入されたことは、私たちとしてきわめて光栄なことです。このような類例は見つけることは困難です。ですが、実学概念が日本や中国の学界で確実に「市民権」を得たかというと、まだそうではないでしょう。ですが、実学にあたる内容が両国にも実存したことは否めない事実ですから、それを何と呼ぼうと関係ないでしょう。東アジア的視角で関心を共有し、研究を遂行していけばいいのです。ただ、実学概念を先に提起した韓国の学界の立場では、「東アジア実学」を確実に浮上させるための積極的な努力が要望されるという点を力説したいと思います。
また、実学のポストモダン指向に対する説明を要求されましたが、答えが容易ではない問題です。私は実学と関連して、近代という用語をあまり使いませんが、ポストモダンという用語もあまり使いません。21世紀に入って資本主義的近代を越えようという声が周辺で頻繁に聞こえます。東洋の思想伝統を持ってきて発展の論理を否定したり、近代克服の道を語ったりします。私が見るところ、思考や知恵のレベルでは至当であり傾聴に値するでしょうが、当面する現実の飛躍でなければ逃避なので、実践的な意味はあまりないようです。反面、実学は違うと思います。実学は西洋近代に対する知的対応の産物ですから、そこには近代適応の意味とともに、近代に包摂されえない、ある種の意味が含まれているものです。『創作と批評』の二重課題論とも通じるかもしれません。

近代適応/克服は同時的な課題

白永瑞 『創作と批評』で提起した二重課題論は、近代に対する適応と克服が二重課題として同時に進行する1つの課題であるという意味です。近代には成就すべきいいものと、克服すべき悪いものが混在しているので、その2つが混在する近代に適応するのですが、成就と否定を合わせたこのような適応努力は、克服の努力と一致することによってのみ、実質的に効果を出せるということです。選別的にあるものは受け入れて、あるものは受け入れないということが、存在するわけではないということです。きちんと適応しようとしても、克服の意志がなければならず、克服しようとしても成就すべきことは成就すべきであるという点に徹底するべきだという論理です。このような観点を朝鮮朝の実学者に適用できるかどうかわかりませんが、はたして彼らが示すポストモダン的指向というものが、その二重課題の緊張を意識しているかどうかわかりません。もちろん資本主義を体験したわけでなく、西欧と充分に出会ったわけでもありませんが、17世紀以来「動揺した朝貢体制」という時は、すでに西勢東漸の傾向の中に西欧との接触がありました。そのとき、その緊張をどれほど持っていたかという基準で見るべきで、そうではなく、ポストモダン的な面、西欧のものを越えようとする傾向、資本主義的な要素を越えようとする要素があったということだけを強調すれば、「浮彫的な手法」と言われるのではないかと思います。
別の表現をすれば、中国は近代の否定的な特性を克服する方に強かったものの、それに似合った近代適応をきちんとできなかったために、また回帰しています。それに比較すれば、日本は適応に重点を置いていて、克服を疎かにしたので、適応にも失敗した結果、現在のような問題が起きているのではないでしょうか。このように、選別や段階でなく、同時的な課題として見る観点を持つことが、今日の中国で流行する主要な言説を判断するのにも役立ちます。そこには方法論的に浮彫的手法が動員されているようです。中国のある歴史的経験や儒学のある価値のような文明的特質を強調して、それが今日まで続くということでしょう。そのような事例の1つが、天下主義を新たに解釈しながら、それが西欧の抑圧的普遍主義を越える、新しい、または、代案的な普遍性であると言うのです。ですが、それが大国化する中国の現実において、官の需要を充足するだけでなく、一般の国民にも共感を得ないと思います。このような現象を見ながら、二重課題論を堅持してこそ、浮彫的手法の罠に陥らずに、中国中心主義の嫌疑からも抜け出すことができると考えます。ならば、韓国では、二重課題の遂行の緊張を、どのようにうまく維持しているのか、そのような成果を、思想的なレベルでどれほど見出すことができ、現在はどれほどそのような努力をしているのかについて議論しなければなりません。

林熒澤 重要な指摘です。浮彫的方式はおそらく便宜的かつ俗流的であり、中体西用論ないし東道西器論とも通じます。物質と精神に容易に両分して、一方を取って一方を捨てる、今でもしばしば陥る論理的陥穽から抜け出さなければなりません。やはり西洋との出会いの過程で対応論理をどのような構図で設計したのか、この点が重要です。思考の枠組を問題にしたんです。たとえば丁若鏞は経学的対応、崔漢綺は気学的対応の論理を樹立した点を重視しました。もちろん、近代という概念は、実学者たちの頭にも入ってくることはなかったでしょう。ですが、西洋との出会いを危機として表現してきたように、武力的のみならず精神的にも緊張しないわけにはいかなかったでしょう。その段階で真に深く苦悩し対策を講じた学問ならば、その中には近代に対する適応の意味とともに、克服の意味も多少含まれるでしょう。解釈的なものとしてです。

宮嶋 林先生は、実学について新実学や東アジア実学という時、17~19世紀の東アジアの新しい学風という共通点に注目していますが、私はそのような儒学思想の中で、韓国の儒学で何が特徴的かという部分に、むしろ大きな意味がある思うのです。

白永瑞 私が少し割り込めば、以前、宮嶋先生が書かれた論文(「「和魂洋才」と「中体西用」の再考」、『私の韓国史学習』(2013)に収録)で、朝鮮思想の特徴を「媒介的な」アイデンティティと指摘されたことが思い出されます。19世紀後半、西洋を受け入れる主体的姿勢を示して、中国は「中体西用」といい、日本は「和魂洋才」といいましたが、韓国では「東道西器」といいました。ですが、なぜ中国の「中」や日本の「和」のように、一国の立場で欧米文明に対抗しようとせずに、朝鮮だけを示さない、東洋を前提にした「東」を前に出しながら、自己のアイデンティティを見出そうとしたのでしょうか。それを一国のアイデンティティを越える、「媒介的なアイデンティティ」を模索するための柔軟な主体性であると表現されました。これは興味深く読みましたが、これと関連して少しお話し下さればと思います。

韓国の思想伝統の媒介的なアイデンティティ

宮嶋 最近「天学から天教へ」という論文(チョ・ソンファン、西江大博士論文、2013)を見ました。「「天」の学問から「天」の教えに」という話ですが、「退渓から東学に、天観の転換」という副題がつきました。韓国の思想的な伝統で「天」に仕える伝統がとても強い、退渓の「天」に対する理解も中国とかなり異なった、他の見方をすれば、宗教的な性格を強く持った、そのような退渓の「天」に対する感覚と、以降、丁若鏞のような人が、どうしてあれほど天主教に関心を持つことになったのか、また、東学という宗教がどうして生じたのか、そのような問題を、韓国の「天」に仕える伝統とつなげて把握しようとしています。このような形で、東アジアの儒学の中でも、韓国の儒学がどのような特徴を持っているのか、それがどのような意味を持ちうるのか、あらためて検討する必要があるんじゃないかと思います。特に最近、中国は儒学復興とでもいいましょうか、儒学的なものをきわめて高く評価しようとしていますが、そのような問題とも関連して、朝鮮時代の儒学者がどのようなことを考えたのか、それが韓国の思想的な伝統として、朝鮮時代に終わらずに、形は変わりながらも、近代以降もさまざまな面で続く部分があったのではないか、これまで東アジア儒学という時、中国儒学と日本儒学をずいぶん比較してきましたが、韓国の儒学がどのような位置にあったのか、そのような観点で中国儒学や日本儒学をどのように見ることができるのかについての研究があまりありませんでしたが、今後そのような面で研究するべきではないかと思います。

林熒澤 韓・中・日の三国が、儒学を共有しながら、相同性の中で相違性が演出される現象は、当然、重視する必要があります。さきほど紹介された「天」についての問題は興味深いですが、その問題を私は、方向を別にして解釈しています。「天」とはあまりにも普遍的な存在であり、原始儒学には信仰的な「天」概念が明確に投影されています。性理学にきて「天」概念が、さきほどのお話しのように「理」に置き換わりますが、一部の実学者が原始儒学の「天」観を復活させます。「上帝」(=天)が君を見下ろしている、気を付けて恐れろという、多分に宗教信仰的な性格を帯びたものです。茶山が思考の論理として体系を備えるのに先立って、順菴・安鼎福(1721~91)にも捉えられます。これについて、私は内と外の関係から見ています。キリスト教の流入は、まさしく政治・社会的波紋を大きく起こしますが、知識人としてはあちらの天主信仰に対抗する方法論を準備することが急務でした。なので、原始儒学に潜在していた「天」を新たに呼び出すに至ったんです。これに対して、経典に対する全面的な再解釈が要望されたんです。まさに茶山経学が出発した地点です。

白永瑞 お二人のお話しをもう少し明瞭に伝達するために、このようにお聞きします。今、中国で文化大国を作るためのソフトパワーとして強調する儒学復興の雰囲気について、先生はどのように理解しますか。そのような現象と、宮嶋先生がおっしゃる儒教的近代が重なるのか、あるいは違いがあるのか、説明すべきではないでしょうか。そしてその過程で、先生が重く指摘された、朝鮮儒学の、または日本儒学の独特の役割は、そのような中国の国家形成にどのように作用するのか、説明が必要だと思います。

宮嶋 延世大哲学科にいらっしゃったパク・ドンファン先生が、「三表哲学」というものを提起しました。一表哲学は西洋哲学で、二票哲学は中国哲学、韓国哲学は三票.この方の話では、西洋哲学も中国哲学も、結局は、合理性を追求する哲学なのに反して、韓国の人々が追求すべき哲学は非合理的なものとでも言いましょうか。さきほど申し上げたように、退渓先生も「天」や「理」というものが、人間が理解できるものなのかを疑いながら、未知に対する敬意を強調したように、私なりに表現すれば、人間が全てを理解できると考えることが西欧的近代の誤りであるという話です。(「三票哲学」については、パク・ドンファンを中心にした座談会記録「端への限りない脱走-パク・ドンファンの哲学的問題」、『東方学志』151号、2010参照)、私はこの主張と、さきほど申し上げたチョ・ソンファンの論文に通じる部分があると思います。韓国の思想伝統に見出せるそのような部分が、むしろ今後、世界的な意味を持ちうるのではないのかと思うんです。

白永瑞 今回の対談を準備する間、宮嶋先生の論文を読みながら、先生の論文が中国知識人にどのように受け入れられるのか想像してみました。韓国で中国中心主義と批判が出てくるように、他の見方をすれば、中国の最近の雰囲気に合っていて、彼らが好むような部分がありそうです。中国的近代が存在し、それが韓国など東アジアに影響を及ぼしているという見解のことです。

宮嶋 私はそれがいいといっているのではなく(笑)……

白永瑞 そうです。本来、先生が小農社会論を提起したのは、東アジアの現況を批判するための仮説だからでした。東アジアに王権や国家権力を批判する主体がなぜないのかという問題を糾明するために研究された脈絡がありますが、私はこのことが中国人にどのように受け入れられるだろうかを念頭に置きながら、朝鮮思想との対話という問題をもう少し考えてみたらどうだろうかと思うのです。このような議論が中国人と対話をする過程の中で、今日の中国、または歴史的中国を相対化することができ、批判もできる、緊張関係を維持しやすいのが、韓国の事例で対話する方式ではないかと思います。お二人の先生がそのような疎通をする適任者だという気がして、今回、お話しを差し上げました。では、今回の対話の出発点でもある、東アジアの不安を作った中国の要因、または帝国言説について、少しお話しを聞かせて下さい。

世界史的な転換期に展望する東アジアの未来

林熒澤 宮嶋先生の儒教的近代について、日本のある知識人が、宋代的近代を21世紀に再現しようという帝国言説ではないかという調子で批判していました。

白永瑞 他方では、宮嶋先生が溝口氏と同様に、宋代以来の中国を浮彫的な手法で何かを強調して、東アジア近代、ないしは中国的近代を実体化しているという批判もあります。

林熒澤 儒教的近代論を帝国言説と責め立てるのはあきれた話ですが、なぜ日本の知識人からそのような話が仮借なく出てくるのでしょうか。中国の浮上を目前にして起きた過敏反応ではないかと思います。中国がどのような形で私たちの前に現れるのか未知数ですが、明らかなのは、昔の中国の冊封・朝貢体系のような帝国が出現する可能性はまったくないでしょう。ですが、19~20世紀に人類が経験した帝国主義と類似の形で「中華帝国」が登場するでしょうか。これもやはり可能性は少ないと思います。将来、どのような中国になるのかという問題は、儒学と関連づけて類推する必要もあります。少なくとも儒学の思想の内側において暴力的な帝国は出てきません。儒学の肯定的な面をよく生かして活用することによって、「善良な中国」を期待できないでしょうか。中国自体だけでなく、周辺の韓国や日本、また太平洋の向こうのアメリカが、現状況をどのように牽引していくかが決定的です。朝鮮半島の分断状態がより一層悪化し、日本が中国と対立し、アメリカを中心にした米・日・韓の軸に中国とロシアが対立する形が形成され、東アジアの新しい冷戦構図が形成されれば、中国はきっと帝国を指向するでしょう。私たちの分断した朝鮮半島は、過去の東西冷戦体制のもとで敏感な接点となり、途方もない傷を負いましたが、もし再び新しい冷戦構図が組まれることになれば、またどのような不幸な事態が起きるだろうか、充分に憂慮されます。

白永瑞 その問題については、さきほど申し上げた方式でいえば、中国と対話する姿勢、中国に話しかけるのが重要ですが、私は、それが何かと表現するならば、中国が何かと介入してくることに私たちはとても慣れていますが、逆に中国に私たちが何かと問うべきだということです。ここで私たちとは、韓国や日本であると言えます。中国に対して、日本の経験が、韓国の経験が、どのような意味があるのか、互いに話すべきです。もちろん構造的に非対称関係ですが、そうするべきです。逆に中国の人々にも同じ問いを投げかけるんです。彼らが持つ資源、それが中国的近代であれ、儒教的近代であれ、あなたたちは代案的普遍性も語っているが、それが意味あるものになるためには、さまざまな条件と試験を通過してこそ、その段階に到達することができ、しかし、そのためには、同様に資本主義世界体制の中で連動する韓国においても、日本の経験に耳を傾ける必要があるということです。今日の議論の相当部分は、そのような要素を意識して話したものですが、お二人ともそれなりに、これまでの学問的成果にもとづいてお話しされましたし、また、そのことが持つ、疎かにした面についても討論したわけです。
この部分が今日の議論で最も重要ではないかと思います。私が、帝国言説に関する論文(「中華帝国論の東アジア的意味」『核心現場で東アジアを再び問う』創作と批評社、2013)を書きながら、韓国の経験に対比して帝国言説を語ったのもそのような意味からです。「中国が、韓国の分断体制の克服過程で提起された複合国家論に対する議論に関心を持ちながら、どのような国家を形成するかについての苦悩がさらに必要であって、そのようなものを念頭に置いた思惟の訓練をする時、自然と中国内部のさまざまな問題、周辺的存在についてもさらに関心を持つことになり、それを包容してこそ、中国が望む普遍性に到達することができる」。このように、彼らが持つ資源を尊重しながら、その中で私たちなりに話しかけようと思ったのです。最後に整理の発言をお願いします。

林熒澤 初めから、中国の浮上と関連して、韓日関係の問題に重点を置いて、私たち知識人の役割を議論しましたが、私はこのようなことを考えました。今日の状況を大元帝国が解体する14世紀と比較してみようと。大元帝国の解体は、中国大陸にとどまる事態ではなく、ユーラシア大陸全域にかけた大々的な歴史運動なので、実に世界地図が変わるに至りました。その過程で高麗の知識人は、私たちが周知の通り、親明派と親清派に分かれて葛藤が起きましたが、結局、妥当な進路を見出して、歴史の進運に歩調を合わせました。朝鮮王朝の成立がそれです。この歴史運動を主導したのは、性理学で精神武装をした士大夫知識人です。私が特に注目したいのは、当時、知識人の多数が元に留学していて、関係も密接な方です。それでも大勢の流れを読んで、時代の進運にすばやく対応したのです。今日、私たちが当面している状況は、やはり世界史的な転換期です。アメリカ中心の世界秩序が動揺しているのは、すでに否めない状況です。ポストアメリカを深く考えるべき段階に来ています。第1次大戦以降にイギリスの覇権が終わったと考えるように、アメリカのグローバルな覇権も遠からぬ将来に歴史の場で消えさるでしょう。現在がとても重要な地点です。今日の韓国の知識人は、どのような姿勢を取って、どのような歴史的選択をするのか、600年前の知識人を一度振り返ってみようと大声を張り上げたい気持ちです。韓国の知識人だけでなく、中国や日本の知識人まで、みなともに心の障壁を取り払って、ともに苦悩し、白先生の表現のように話しかけ、理性的な対話をするべき時です。

白永瑞 宮嶋先生は、東アジア的近代の展望、特に韓日関係について、最後にお話し下さいませんか。対話の最初に提起された、韓日関係の展望を添えて下さればより一層いいと思います。

宮嶋 今、林先生が指摘されましたが、大元帝国が崩壊する中で、韓国と日本は反対の方向に行くことになりました。朝鮮時代の韓国は、中国以上に中国的になろうとしましたし、それをアイデンティティの根拠としました。反対に、日本は中国や韓国と異なる、その根拠が「武威」のようなものでしたが、そのような方向にアイデンティティを見出そうとしました。なので、中国を間に置いて、韓国と日本は反対の方向に行くことになり、それが現在の歴史認識の問題にまで影響を与えていると思います。ですが、表面的に見る時はそういえますが、実は中国という巨大な存在を目前にした、中心に対する周辺部の対応だったと見ることもできます。今、中国が再び巨大な存在として再浮上していますが、周辺部に位置した韓国と日本が互いに争うのではなく、互いの歴史を冷静に振り返りながら、今後の方向を検討する、共通の課題があるだろうことを強調したいと思います。

白永瑞 お二人が互いに異なる角度からおっしゃいましたが、今、私たちが大きな転換期を迎えており、それに対応する過程で衝突するさまざまに困難な点が、韓日間の葛藤、または東アジアのさまざまな国家間の衝突として現出しているのではないかと思います。ここには、政府間の外交的な交渉だけでは解決できない、さらに大きな問題があるといえます。そのような問題を解決するためには、歴史観や近代観に対する根源的なパラダイム転換が必要であると共通に話して下さいました。それとともに、よく学界でいうように、既存パラダイムを解体させることに終わるのでなく、新しいパラダイムを模索しながら、それをきちんと打ち立てる根拠を、お二人が探索して下さいましたし、それを最近、議論される中国における新しい文明言説や、新しい普遍性を追求する努力と比較してみました。
事実、現在の中国人と日本人の歴史感覚を比較してみると、真に対照的です。中国人の自信あふれる感覚と異なり、日本人は総体的な自信喪失の中にあるようです。今、高まっている相互嫌悪の感情は、このようなところで発生するのだと思います。このように対照的な現象は、日本は近代化に成功した「優等生」、日本の植民地に転落した韓国は「劣等生」、列強の分割支配の危機に直面した中国は「半劣等生」という、従来の図式的な歴史理解をひっくり返すのではないかと思います。しかし、19世紀末から20世紀初めに威勢をふるった歴史認識でも、それとは対照的な現在の新しい歴史感覚でも、ともに依然として成功的な近代への適応、もう少し露骨にいって、富国強兵を基準として各国の優劣を分ける、一面的歴史観に縛られているのではないかと問いを立てて、その代案を追求しなければなりません。今日の対話は、まさにその答えを探索したという意味があると思います。
ただ、このような議論が、一般読者にとって、はたして韓日関係という先鋭な当面の問題に、どれほど重要な解決策を提起したかという問題は、また議題になり得ますが、私は『創作と批評』の編集を担当する人間として、このような議論もあるべきだと思います。時事的な問題に対する解説、または展望は、すでに多くのメディアや会議でやっていますから、光復(解放)/終戦70周年をむかえて、文学と政論を兼ねる批判的総合誌である『創作と批評』は、これまでやってきたこと、短期の課題を中・長期の課題と結合させて把握する、大きい言説のレベルにおいて、このような作業をやったということで満足しながら終えたいと思います。それは、東アジアで「媒介的なアイデンティティ」を持つ韓国が担うべき役割、特に21世紀の実学運動と名付けうるほどの課題を引き受け、たゆまず自己反省するという確約でもあります。ここに積極的に協力して、猛暑のなか出席して下さった二人の先生に深く感謝したいと思います。ありがとうございました。(2015年7月10日/於・カトリック青年会館「橋」(タリ))

〔訳=渡辺直紀〕

脱北者の居場所をふりかえる

2015年 夏号(通卷168号)

高景彬(コ・ギョンビン) 平和財団理事。ハナ院院長、統一部政策広報本部長など歴任。

薛ソンア(ソル・ソンア) デイリーN K記者。北朝鮮平安南道出身。2008年に脱北。

李向珪(イ・ヒャンギュ) 漢陽大グローバル多文化研究院研究教授。共著に『私は朝鮮労働党員です――非転向長期囚キム・ソクヒョン口述記録』『北朝鮮の教育60年――形成と発展の展望』など。

韓基煜(ハン・ギウク) 文芸評論家。仁済大英文科教授。著書に『文学の新しさはどこからくるのか』、訳書に『書写人バートルビー』『アメリカヘゲモニーの没落』など。

 

韓基煜(司会) 昨年からますます、韓国社会で、脱北者の存在や発言が注目を集めています。一部の脱北者団体の対北朝鮮ビラ散布事件が、南北関係に多大な影響を及ぼしましたし、脱北者の証言で北朝鮮の人権問題が国際社会の重要な懸案になりました。ですが、韓国社会は本来、脱北者の実際的な生活や彼らの苦境に対しては無関心なまま、脱北者を私たちの一員として配慮するよりは、偏見と差別で対してきたのではないのかと反省しています。このように単純でない問題を、客観的かつ総合的に見てみることが切実に必要であろうと判断し、今回の座談会を準備しました。あわせて、これまで創作と批評社が提示した、南北の分断体制の概念が、この問題の理解にどれほど役立つかを考えてみたいと思います。専門的な話よりも、主として市民的な関心事を中心にしながら、脱北者の問題と同時に、脱北者に対する韓国社会の問題をともに見てみようと思います。私はこの分野の専門家ではありませんが、文芸評論家として、韓国社会で特別な地位を占める脱北者の存在や生活に関心を持っています。今日お迎えした方々は、みなこの分野でながらく経験を重ねていらっしゃいますが、まずは自己紹介と主な活動、近況をお話し頂きながら始めようかと思います。

高景彬 光栄です。私は統一部の官僚出身で「ハナ院」(北韓離脱住民定着支援事務所。脱北者の社会定着を支援する統一部所属の機関)の院長を歴任しました。今は平和財団で、北朝鮮の人権、環境問題などを研究しながら活動を助けています。

李向珪 私は漢陽大のグローバル多文化研究院におりまして、その前はレインボー青少年センターや韓国教育開発院の脱北青少年教育支援センターなどで、移住青少年、脱北青少年に対する教育支援、研究、実践などをしてきました。

薛ソンア 私は北朝鮮の平安南道の出身で、2008年に脱北して2011年に韓国に入国しました。これまで1人で試行錯誤を体験し、現在は北朝鮮についての記事を書く記者として仕事をしています。光栄です。

韓基煜 本格的な対話に先立って、いくつかの概念や状況について共有する必要があります。脱北者を指し示す用語や脱北の動機、脱北者の現況のような基本的な内容を、まず高景彬さんにお話し頂ければと思います。

「脱北者」とは誰のことか

高景彬 脱北者と称されますが、法律で使う公式用語は「北韓離脱住民」です。「新場民」(セットミン)、「移住民」など、残りは多様な社会的要求や脈絡によって使われる社会的用語です。脱北動機に関しては、冷戦時代には南北間の体制競争と、それによる政治的動機を中心に、前方に配置された軍人や自首スパイが中心でした。毎年10人内外と小規模でした。そうするうちに、90年代末以降に南北の国力競争が終息し、北朝鮮が食糧難と経済難を経て脱北者が大量に発生しました。そして2000年代中盤以降に家族の再結合レベルの脱北が増える傾向だとも報告されています。彼らは中国やロシアを1次経由地として、東南アジアやモンゴル、ヨーロッパなど、いろいろなところから韓国に入ってきます。脱北以降、韓国行きまでは、事情によって短くは数か月、長くて数年かかったりもします。最近は韓国ではなく第三国に難民申請するケースも増加していて、韓国の旅券を持った状態で偽装亡命申請者として割り込むケースも多いようです。ときに北朝鮮に再入国するケースも10件ほど報告されました。韓国内に入国する脱北者は、最近、増加率が多少減少しましたが、毎月100人余りに達しており、累積規模は近い将来、3万人に近づく見込みです。大量脱北の可能性は現在としてはありませんが、政局によって、その可能性は排除できないと思います。

韓基煜 脱北問題を扱った小説を見ると、企画入国の中で人身売買と関連した場合がかなり多いようです。鄭道相(チョン・ドサン)の『イバラの花』(創作と批評社、2008)や李向珪さんが推薦されたキム・ユギョン(ペンネーム、脱北作家)の『青春恋歌』(ウンジン知識ハウス、2012)もそうです。そのような話が今はずいぶん少なくなりましたが、実際はどうなのですか?

李向珪 どこまでを人身売買と規定するか、曖昧な面があります。むしろ安全のために自発的に選択した場合もありそうです。高景彬さんがおっしゃった用語の問題だけでも複雑です。たとえば、脱北青少年といえば、北朝鮮に居住していて脱出した青少年のことをいうと思いますが、実際に政府が集計した脱北青少年の半分以上は、中国生まれの、北朝鮮女性の子供です。北朝鮮に籍を置くことも、北朝鮮に対する記憶もない人たちです。そのまま「脱北女性の子供」と呼ぶのが適当なのですが、彼らをどのように呼ぶのか、はたして彼らを呼ぶ呼称が必要なのか曖昧です。もちろん、政策的な用語として、たとえば支援対象を定めるためなら必要な場合もあります。ですが、彼らを呼ぶ政策用語が日常用語になれば、いずれにせよ彼らを区別することになるんです。そのような意味で、彼らを呼ぶ新しい呼称を次々と作ったりするのではなく、最初から特別な用語で区別して呼ばないことを主張するべきではないか考えます。韓国で長く生きていかなければならないのに、つねに「脱北」というアイデンティティで釘を刺された名称になってしまいます。これ以上、脱北や北朝鮮に対する記憶をあえて持たない状態でも、依然として「脱北住民」と呼ばれる現実が、彼らを韓国社会の一員にしにくくしているのではないかとも思います。その渦中で興味深いのは、中国人の父親と北朝鮮の母親との間に生まれた青少年は、自身を北朝鮮の人間としてはもちろんのこと、韓国の人間とも考えません。中国人と考える場合の方がはるかに多いようです。中国の力が強いと考えるからです。

韓基煜 そのような場合にも、韓国社会に来れば「脱北青少年」と呼ぶんですか?

李向珪 そうです。教育部でそのように集計しています。

韓基煜 それは無理があると思いますが。

李向珪 支援を幅広くおこなうという意味はあります。この人々が体験する困難が、脱北住民が一般的に体験する困難と似ているという面で、教育的な支援対象になっています。

韓基煜 ですが、北朝鮮を実際に離脱した人を「脱北者」と呼ぶことには両面性があると思います。そのような名称で呼ぶことによって、その人がどのように変わろうと、そのアイデンティティに固定しつづける否定的な効果がありますが、「脱北者」と呼ばないとしても、アイデンティティの問題が解決されるわけではないでしょう。この名称の存在自体が、今の現実を反映する面があったりもします。脱北者というアイデンティティを付与する名称を一律的になくせば、行政管理上の問題もありますが、その人がアイデンティティを新しく見つけ出すためにも、必ずしも望ましいわけではないという気がします。

李向珪 アイデンティティは自分が自分をどのように規定するのかということと、他人が自分をどのように規定するのかということが相俟って成立すると思います。ですが、「脱北者」と呼び続ける場合、前者よりは後者の方が強く作用します。人によって、脱北者という事実を確認されつづけるということです。本人がそのように呼ばれることを望もうと望むまいとです。

薛ソンア 脱北者の立場から、私や私の周辺の人々を見ると、「北韓離脱住民」であれ、「脱北者」であれ、名称は別に問題にならないと思います。また、「企画脱北」というのは北朝鮮国内でもありますが、ここでもそのようにいいます。韓国に来た人がブローカーを通じて強制や合意で家族を脱北させたりもするんですが、海外の情報を聞きながら、2、3年で企画するんです。高さんもおっしゃるように、金日成(キム・イルソン)政権時はかなり特別な人だけが脱北したとすれば、90年代は飢えて死なないために、生存権のために、人身売買まで含めて、さまざまな方法を通じて脱北しましたし、最近ではもう少し豊かに生活するために脱北したりもします。このようなものがみな企画的な脱北につながります。脱北者の現況に対して他の角度で申し上げれば、韓国社会で保守と進歩が分かれて戦うように、脱北者もそうです。私は2012年の大統領選挙の時にとても驚きました。故郷の友人と酒を飲む席で関連対話をしていて、野党候補側が正しいといったら、「おまえがどうしてそのようなことがいえるのか、脱北者2万人のなかで文在寅(ムン・ジェイン)を支持するのはおまえ1人だ、おまえは間違っている」というのです。本当に胸が痛いことです。

韓基煜 概して二分化されるんですか、あるいは片方に偏るんですか?

薛ソンア 偏るんです。95パーセントは保守のセヌリ党の方に傾きます。もちろんそれだけのことがあるのは、北朝鮮に「猫はなでてやると行ってしまう」という言葉もありますが、こちらの方が恩恵を多く与えているのですから当然の結果でもあります。そうであっても、脱北者が自身と社会に対して、もう少し客観的に考えたらいいのにと思います。

理念的な拘束と資本主義的な誘惑の間で

韓基煜 脱北者が韓国社会で体験する困難には、さまざまな種類がありそうです。まず経済的な困難、特に求職の困難、そして北朝鮮に置いてきた家族に送金することに伴う困難があるでしょう。そして脱北者には反共・反北朝鮮の理念的「拘束」と「誘惑」が普通の市民よりはるかに大きいようです。また、資本主義的な生き方に適応すること自体が簡単ではありませんが、それに加えて韓国社会の広範囲な偏見と差別にまで耐えなければならないことが大きな試練のようです。パク・ジョンボム監督の映画『ムサン日記』(2010)は、このような困難を実感を持って示していますが、脱北者の苦難と存在論的孤独が深く感じられます。青少年の場合、韓国の教育の殺伐たる競争体制にどのように適応するかも不可欠の問題だと思います。まず当事者として、薛さん、どうでしょうか?

薛ソンア 自分の経験が中心になりますが、客観的に聞いて下さい。南に来てからは、まず生活しようとするなら、お金を稼がなければならないですから、新聞などでアルバイトを探してまずは電話してみます。私たちには北の方言があるでしょう。先方は私たちの方言を聞いた途端に電話をすぐ切ってしまいます。そのストレスがかなりあります。このように北の方言のために就職できない状況がかなり長く続きます。「就職成功パッケージ」プログラムに入れば、政府から奨励金が出るというので懸命に勉強しました。ですが、問題は、同じ高卒でも、北朝鮮の平均的な教育水準が低いというところにあります。単純な職業でも、さらに勉強しなければ、就職して1か月でクビになります。ひとことでいって、就職でかなり困難を体験します。2つ目はシステムの問題です。資本主義システムがなかなかわからないんです。たとえば、貸出保証がどのようなものかわからないから、あちこちサインしてしまうんです。たとえば、韓国のボーイフレンドに対してもです。暖かく対してくれなくても、韓国の男性の一言でやられてしまうのが脱北者です。本当です。韓国の男性にとってはとても平凡な、カバンを持ってやるようなマナーに、40年間生きてきた女性が、一瞬にしてやられてしまいます(笑)。

韓基煜 先にいった小説『青春恋歌』にも、そのような場面が出てきます。

薛ソンア そのように貸出保証の署名や、輸入自動車購入のサインを、何も考えずにしていたら、すべてをひっかぶることになります。それだけではなく、脱北者が自由という概念をよく理解していないことからも問題が生じます。自由を放縦と勘違いするといいましょうか。もちろん困難な就職とも関係があります。相対的に誰かはうまく行っているのに、自分はだめで……といって、簡単に金を稼ぐ方法を探すのですが、それには2つあります。統一・安保講義とカラオケコンパニオンです。完全に両極端ですが、ともに問題があります。思想的な面で困難もあります。隣家のおばあさんがうちによく遊びにこられました。キリスト教の布教のためにです。一度は、北朝鮮はみな飢え死にすればいい、ぶっ殺してやりたい国だというので、「北朝鮮だからといって、みなが悪いわけではない、暮らし向きのいい人もいるし、悪い人もいる、どちらも見てほしい、ニュースでも北朝鮮をきちんと見るべきだ」といったら、その瞬間、彼女が完全に私を何かのスパイでも捕まえたかのように……(笑)。今はその方とは話もしていません。このように、人々が北朝鮮に対して偏見を持っているので、隣人関係からして用心深くなります。
その次に、うちの息子が去年の下半期に韓国にきて、ハナ院にいて、今、2か月目なのですが、息子を見ていて教育問題でも感じた点があります。脱北者の学生たちは概して身体が小さいです。実力も低いですし。これがまず定着に障害になりました。うちの息子は比較的身体もよく、勉強もできる子供ですが、他の子供たちの冗談すら聞き取れないようです。新しい靴を履いて出て行ったのですが、いたずらで、その新しい靴を踏みつける、韓国の子供たちの同じ年頃の文化があったのを理解できず、自分をバカにしていると思ったそうです。もちろん、このようなことは簡単に忘れられる部分ですが。買い物をするとき方言で話すと、4000ウォンのものを15000ウォンだといってきます。私もこのような目にずいぶん遭いましたし、今でもそうです。私一人がやられるならば、まだいいんですが、息子にそのようなことがあると本当に耐えられません。

韓国社会への適応と定着の困難

高景彬 脱北者の韓国社会への定着はきわめて難しいことです。脱北者のうち半分以上が、韓国に入国して5年未満です。私たちも過去、1960年代に田舎からソウルに上京した時、5年で定着するのがきわめて大変なことだったように、彼らはとりわけ体制が異なる状況に適応しなければならず、今、おっしゃったような困難が、早い期間で解消されることは難しいでしょうが、まだ幸いなのは、指標上で見ると生活は少しよくなっています。脱北者の失業率を見ると、2007年には22.9%でしたが、2010年に9.2%、昨年は6.2%にまで落ちました。もちろん、これもまだ一般国民の2倍にあたる数値ではあります。子供たちの場合、小・中・高の学業中断の割合が、2007年の7.1%から昨年は2.5%にまでなりました。ただし、これもまた、一般学生の2~3倍ほどの状態です。

韓基煜 政策的なレベルとは異なり、ハナ院長として在職しながら、社会に合流する前の脱北者にかなり接したと思いますが、彼らがハナ院での課程を終えて社会に適応する段階で、特に苦労したりつらさを感じる要因は、どのようなことだとお考えですか?

高景彬 心理的な要因が最も大きいと思います。故郷を離れて多くの障壁にぶつかりながら、彼らが感じる不安と、故郷を捨てたという罪悪感は、経済的にしたとしても一生付いて回るでしょう。そのようなことが社会活動や家庭生活にまで影響を及ぼすことになります。ですから、脱北者が韓国社会に定着する時に緊要なのは家族結合だと思います。家族と一緒に暮らす脱北者とは異なり、1人で過ごしたり、中国や北朝鮮などで離散して生死さえわからない家族がいる場合には、いくら南側で環境が整っていても、きちんと定着することは困難です。

李向珪 ある学生を5年間追跡インタビューする「脱北青少年長期研究」をやって5年目になります。5年ほど過ぎると、多くの場合には結局、定着するようです。青少年ははるかにそのようです。ひとまず言葉が韓国語になるからです。ですが、この子供たちを最終的に悩ませる障害は、まさに母親の健康なんです。母親が精神的にも身体的にも完全でなければ、家族自体が動揺する場合が多いようです。母親が健康でない理由にはいろいろあります。家族が離散したために、韓国に来る過程で体験したあらゆるトラウマ的な出来事で……1世の世代の健康問題が、2世の世代の定着に決定的な困難をもたらすだけに、この点に対する韓国社会の支援と関心がかなり必要です。

韓基煜 薛さんも心理的な困難を経験されたようです。

薛ソンア そうですね。私もはじめは、定着は本人の意志にかかっているのであって、家族には関係ないと思っていましたが、そうではありませんでした。うちの息子が来る前は食べ物があっても動揺しませんでした。胸が切り裂かれるような気持ちです。だから率直にいって、このことを解消するために誰かとお付き合いして失敗もしました。ですが、今は息子がそばにいるので世の中が違って見えます。前は家族のいる脱北者の方がうまく定着するという話を聞くと、自分もうまく行っているのにと思いましたが、それはこのことを言っていたんですね。孤独に勝てない人はおかしな道に陥りやすいかもしれません。また誰かが言っていました。5年過ぎると韓国が見えてくると。私は4年になりましたが、そろそろ少し見え始めています。たとえば、これまで医療保険を知らずにいました。病院で治療を受ける時も、みな保険なしで支払っていました。このような形でシステムが見え始めてきています。ですが、脱北者がこのように韓国社会を知るようになって、堅実に仕事をすることを考えず、これを逆利用する人たちもします。離婚慰謝料や保険金などです。

アイデンティティの混乱と心理的な圧迫感

韓基煜 脱北者が感じる不安には、さきほど高さんがおっしゃったように、故郷、祖国を裏切ったという心理的な要因も作用しているでしょう。このようなことは、普通の心理的な問題とは異なり、アイデンティティに影響を与えるトラウマ的な経験でもあります。脱北者は1つの明確なアイデンティティを持つことができず、北朝鮮の人、韓国の人、難民などのさまざまなアイデンティティにまたがる存在といえますが、韓国社会はそのような脱北者をありのまま受け入れることができず、異常な存在として締め出しています。単に脱北者だけでなく、移住労働者やセクシャルマイノリティに対してもそうですが、私たちの主流社会はアイデンティティ問題で非常に排他的です。つまり、脱北者の多重アイデンティティが、韓国社会の単一アイデンティティ指向とぶつかりながら、多重アイデンティティを持つ人をありのまま受け入れることができない、韓国社会の問題が顕著に出ているようです。このような面を李向珪さんにいろいろとお聞きしたいと思います。

李向珪 事実、韓国で生きてきた私たちも大きく異なるところはありません。政治的指向だけ、すべての面で保守的だったり進歩的だったりするわけではありませんが、みな誰かを1つのカテゴリーで説明して、アイデンティティを規定したいんでしょう。誰かを規定して、自分もそのように規定されながら生きる社会だけに、そこに入ってきた脱北者をさらに苦労させます。さきほど薛さんがおっしゃった隣家のおばあさんは、薛さんのことが好きな時と嫌いな時があるかもしれません。好きな時は薛さんが脱北民らしい時です。北朝鮮についていい話をするのは、脱北民にとってふさわしくないことでしょう。きちんと定着していって韓国の人と大きく変わらない状態になることこそ、脱北民にとってふさわしくない姿です。脱北民らしい時に助けるという主流社会の考えは、きわめて大きな問題です。私たちは主として韓国にいる脱北者のことを言っていますが、私がインタビューしたケースの中で、カナダに偽装亡命してからやってきた青年がいます。彼いわく、カナダの韓国人社会では最初は脱北民をかなり助けるそうです。ですが、どうも韓国人社会の年長者たちが、英語もさほどうまくなく、カナダのシステムもよくわかっていないそうです。その後、自分が韓国人社会の限界を克服して、カナダ社会に進出した時、韓国人社会を離れたら、すぐに恩を仇で返したと言われたそうです。事実、韓国でも同じことですが、私たちは、彼らが支援が必要な位置にいつづけることをのぞみ、そうでなくなったら、彼らとの接触を面倒がったり、あるいは依然として助けが必要なのに助けようとしないようです。
私が出会った人々は、主として青少年なので、成人とは少し違うということはあるでしょう。この子供たちは、事実、勉強ができず、背が低くて、劣等感を持っていますが、他方ではむしろ、韓国の子供たちの方が、自分に比べて分別がないと考えています。それは彼らが境界を越えるという成長の経験をしたためだと思います。国境でも、社会的・文化的障壁でも、境界を越えた人々は、ある種の力を持つようです。この子供たちは時間が経過して次第に学び成長していきますが、彼らを脱北者と規定して、やたらと脱北初期の困難だけに注目することが、彼らを過去に束縛させるだけで、他の面に対して格別な関心を持たずにいるようで残念です。このような態度は、彼らに何か足りない点が多く、助けが必要な存在なので、韓国人が助けてここに適応させるべきだという考えに基づいていると思います。ですが、興味深いことは、私がインタビューしたある学生の母親は、最初は子供が韓国の子供のようになったらいいといいますが、5年くらい過ぎると韓国の子供のようになっていくと心配します(笑)。北で分別がついて「韓国の水」に染まらない年齢のときに連れてきたらよかったといいます。分別のない韓国の子供のように行動する息子が情けなく見えたんでしょう。そのように考えると、事実、彼らがみな韓国人になろうという情熱を持っているかのように考えるのも難しいかもしれません。だとすれば、韓国社会が作っている韓国人の姿は、はたしてどのようなものかということについて、私たちは省察してみる必要があるでしょう。

韓基煜 私も文芸評論やアメリカ文学の勉強をしながら、アイデンティティの問題をかなり考えますが、本当に単純でありません。韓国に来た脱北者の場合、同じ民族という1つの包括的なアイデンティティがないわけではないですが、現実的には北朝鮮の人、韓国の人、あるいは難民の多重のアイデンティティが顕著です。またマイノリティであり移住者です。韓国社会で移住者はほとんどマイノリティの身分になります。韓国社会でマイノリティは、外国人労働者、海外養子、セクシャルマイノリティなど、非常に多様化していると思います。ですが、脱北者はその1つにすぎないのか、あるいは少し違った特徴があるのか気になります。

薛ソンア 私としてはこれは本当に重要な質問です。私たちもそのようなことをかなり考えます。口では韓民族といいながら、このように対応するのかという(笑)。まず私が体験したことを申し上げると、警察が「安保愛」というタイトルで定着者の手記を出すのですが、北朝鮮で高位官僚で脱北した方が、そこに掲載する自分の話を私に書いてほしいというので、インタビューをやって書きました。ですが、北で最初から食べられず生活も苦しかったと書いてくれというのです。なので、私が事実そのまま書きましょう、あちらでもうまくやっていたが、韓国に来たら何がよかったというように比較するべきで、北朝鮮という国が、いくら生活が大変でも、高位級の幹部がおかゆを食べているはずないことは、私も充分に知っているといったところ、警察がそれを要求するんだというんです。なので、私はそんなことは書けない、そんなことを書いて何十万ウォンかもらって、ずっと嘘をつきつづけるのか、真実を語れといいました。
多重アイデンティティと関連して、もう1つの経験は、昨年、仁川アジア競技大会の女子サッカーの初戦で、北朝鮮とベトナムの試合を脱北者同士で集まって見ました。ですが、みなベトナムを応援するんです。それで私が、それでも私たちの故郷じゃないか、間違っているものを正すために闘争はするけど、故郷に対する愛情を捨ててはいけない、そうでなければ私たちはアイデンティティがないことになるんだといったところ、誰かが私に、おまえは間違っている、それは「従北」(北朝鮮への追従)じゃないかというんです(一同・笑)。私が、あそこでおまえの妹がボールを蹴っていても、あちらを応援するのかと聞いたところ、北朝鮮を応援する代わりに妹をすぐに韓国に連れてくるんですって。この感じだとケンカになると思ってそのくらいでやめました。そのとき私が何を感じたかというと、自分は自分のアイデンティティがわからないということです。脱北者10人に会えば、みな北朝鮮の悪口をいいます。事実、私もきっと批判をすると思います。ですけど、とても好きです。なので、これはなにか、言ってみれば二重思想なんだと思います。誰に聞いても問題だというだけで答えてくれないんですが、こうなると、しかも物を書いているという人は、人によって考えも違うじゃないですか。このようなアイデンティティの問題が、韓国社会の問題なのか、自分の問題なのか、他の脱北者の問題なのか、よくわかりません。

韓基煜 私は、薛さんが周囲の人よりアイデンティティ問題についてはるかによく対処していると思います。おっしゃった他の脱北者の姿は、北朝鮮という国家と北朝鮮の住民を区別すべきですが、そうできないから広がる現象なのでしょう。北朝鮮の体制に反対しても、北朝鮮の住民を考えるならば、彼らの試合を応援できない理由がないでしょう。

おまえは誰の味方かと聞く韓国社会

高景彬 私がハナ院にいる時、南アフリカ共和国でのワールドカップ・アジア最終予選がありました。せっかく韓国と北朝鮮が試合をするので、みないっしょに集まって共同で応援することにしました。当直の方が1人で残って教育生とテレビを見ていましたが、試合が始まるころ、どちらを応援するべきか、教育生が顔色を見るというのです。そうするうちに教育生の数字が圧倒的に多くなるので、一方的に北朝鮮の応援が始まりました。試合は韓国が1対0で勝ちました。ゴールが入る瞬間、当直の先生が1人で「ゴールイン!」を叫んだものの周囲は静かだったそうです(笑)。ハナ院の中ではこのようなことがあり得ますが、外に出ると、おっしゃったように北朝鮮の応援をせずに、むしろ相手を応援することになります。自分がこの地で生きようとするなら、このような形でここに合ったアイデンティティを維持すべきだということなんですね。それは脱北者の問題でなく韓国社会の問題です。
韓国社会に暮らす外国人などのマイノリティらと脱北者とで何が違うか、私はこう思います。外国人移住者は、韓国社会で、未来においてもマイノリティとして残る可能性が高いです。ですが、脱北者集団はたとえ、今、数は外国人よりはるかに少ないけれど、南北が統一したら、主流社会で一緒に生きていく人々です。このような人々にマイノリティとしてのアイデンティティを持てというのは、将来を考えても正しくないと思います。過去に三国の統一をした時も、新羅が統一をした後に百済的、高句麗的な要素や文化を完全に抹殺したならば、三国統一の意味がどこに残ったでしょうか。ですが、それを阻む要素が韓国社会にかなり残っています。

韓基煜 脱北者の問題でなく、韓国社会の問題だといいましたが、責任の所在を明らかにすればそうですが、私は両者が連動していると思います。まず韓国社会では脱北者をイメージ化して役割を付与することが多いと思います。最も代表的なものが、北朝鮮を非難させる役割です。分断体制論から見れば、南北両者が互いに対決する様相ですが、実はそのように分断が維持されて、既得権勢力はともにうまくやっています。問題は、国民や人民がその下で犠牲を払う構造ですが、脱北者には南北対決を助長することで、そのような分断体制を先頭で守護する役割が与えられるとでもいいましょうか。そして、韓国社会はマイノリティにあまり光をあてません。ですが、脱北者の場合には、「総編」(総合編成チャンネル)で光をあてて、ビラ事件についても大々的に報道します。可視性を与えるわけですが、この可視性はそれ自体としても、真のアイデンティティに基づいたものでないばかりか、照明され得ない多数の脱北者の人生を歪曲するおそれがあります。要するに、不可視性とともに誤導された可視性が与えられているのが、脱北者ではないかと思います。なので、脱北者がアイデンティティ問題で二重の意味で大変な面があるでしょう。朝鮮半島の住民としては、昔は韓民族同胞といいましたが、最近は民族という概念自体が疑わしいものとして考えられているばかりか、ひとまず会ったものの、互いに政治体制が違うから、顔色を見ながら韓国の主流社会の側に立つのが安全だといいながら、そちらの方に行くんでしょう。その過程でアイデンティティを韓国の主流社会に本当に移す人がいるかというと、それを隠す人もいるでしょう。ですが、ひょっとして若い世代は堂々と自分はこうだと言ったりもしますか?

李向珪 そうでもありません。小・中・高校に在学中の脱北学生の65パーセントほどが、自分が北から来たという話すらしないという調査があります。話しても得になることがありません。ただし、脱北して韓国だけで過ごした場合と、イギリスやカナダ、アメリカなどに寄ってきた場合は少し違います。後者は比較的、韓国社会で自分の位置を相対化できます。外に出て行ってみると、自分が脱北者でなくコリアン、あるいはアジア人のように、より大きな集団に属するということを知って、他方では集団が重要なのではなく、個人が重要なのだという視野を持つようです。

韓基煜 外に出て行くと、コリアンというアイデンティティに依存できるのですが、ここでは敵と味方に分けるんです。主流社会と若干違うと「従北」のレッテルを貼ります。

李向珪 『青春恋歌』で「あの世の中に絶対行きたくないけれど、あの時代には戻りたい」という表現を印象的に読みました。私たちはそれを認めないようです。時代というものはひとりの人の歴史ですが、そこまで否定して、私たちの味方だと考えます。

高景彬 脱北者は北朝鮮でいろいろな経験して来たので、北朝鮮当局に対して恨みや拒否感を持ちます。北朝鮮が嫌いだというのも正常な反応です。憂慮するのは、韓国の人も北朝鮮が好きか嫌いかという時、自分の好みがあるように、脱北者にもその好みが明確にあるにもかかわらず、脱北者にはもう少し特別な社会的な問いになるのです。おまえは北朝鮮の味方か、韓国の味方かというんです。このことに耐えられない状況では、韓国に入ってくる瞬間、北朝鮮に関するものはみな捨てなければならず、韓国に関するものはすべて無批判的に合理化してしまいます。なので、さきほど薛さんのお言葉のとおり、水商売のようなところで仕事を見つけても、資本主義社会では金を儲けるためにこのようなこともするのだと自己合理化を簡単にします。そのように社会に無批判的になりますが、これは結局、正常な定着を疎外する要素として作用します。

政府と民間の支援は適切か

韓基煜 脱北者に対する支援の問題についても話してみようかと思います。当局レベルの支援があって、市民社会や宗教団体なども支援活動をしています。このようなさまざまな支援がうまくいく場合もあるでしょうが、ある種の後遺症や問題点もあるだろうと思います。脱北者支援の現段階について検討し、今後、どのようにすればいいのか、方向性を論じてみようと思います。初期の支援は適応と定着面にかなり力を注ぎましたが、それだけでは足りないという風に、最近は議論されているようです。なので、多文化とか統合とかいう概念も出てきて、また、それ以上の議論もあるようです。

高景彬 政府レベルの脱北者支援政策は、これまで時代や環境の変化によって方向が変わりました。朝鮮戦争の休戦以降、冷戦期には、亡命者を体制競争レベルで英雄として遇しました。なので、業務も援護処、今の国家報勲処が担当しましたし、補償金が途方もなく高かったんです。そうするうちに90年代初めに北朝鮮が食糧難で大量脱北が発生して、脱北者の入国規模が増えて、脱北者を難民として考え始めました。それとともに、このとき業務が保健福祉部に移管されました。
ですが、保健福祉部で低所得層や脆弱階層として脱北者を扱って施行した政策が、現実的に問題が多かったんです。脱北者と韓国社会の低所得層、ないしは脆弱階層の根本的な違いは、脱北者はよりよい人生に対する意志がものすごいということでしょう。脱北者の特性を勘案すれば、過去に英雄として見た観点や、難民として見た観点が、国家財政の立場で共通点があります。ともに韓国社会に来て、仕事をしなくても国家がみな支援するんです。ですから、新しい政策の方向は、これらの意志を生かして自活条件を作ろうというものです。補償金を与える代わりに、子供は学校で勉強できるように進学支援をして、大人は韓国社会で自立できるように就職支援をする形に変わったんです。小さな統一の実験場という考えで、統一部がこの業務を担当しています。
最近では、脱北者の定着指標が少しずつよくなって、新しい観点が提示され、いま一度の変化が必要だという要求が多いです。これまでは定着支援が脱北者個人の福祉レベルにとどまっていたとすれば、いまや政府が莫大な財政を投入して支援をしているだけに、脱北者のポケットだけに入るのではなく、韓国社会の全体的な力量として残るべきということです。ですから、韓国社会の包容性など、何らかの社会の変化を引き出すことが、脱北者の定着支援の究極的な目標になるべきではないか、それが真の南北統一の準備ではないかという見解です。
また、最近、目につく現象は、脱北者が地域社会に定着して、地方自治体の関心がかなり高まったということです。望ましい状況でしょう。中央政府が脱北者の定着支援業務を引き受けることによって、脱北者業務が過剰に政治化される面もありましたが、地方自治体が引き受けることによって、地域住民の一員として考え、民生ないしは生活中心に政策をおこなうものと期待できます。中央政府と地方自治体が役割を分担しながら、究極的には民間と地方自治体が定着支援を引き受ける方向に行くべきという意見が示されています。

李向珪 脱北者の自活意志を示す事例があります。江西区のある中学校ですが、全校生徒500人のうち脱北学生が25人、5パーセント程度です。教育部から教育福祉優先支援事業として脆弱階層に対する支援を受ける学校でした。2010年度だったか、その支援を受ける学生たちのうち、1年間、成績が最も上がった学生10人を選んだ分析報告書を見ましたが、5パーセントにすぎない脱北学生が名簿の10人中7人を占めました。メンタリングであれ基礎学習支援であれ、教師が支援すれば、この子供たちは韓国の学業不振の青少年よりはるかに成長するということです。脱北学生に対する支援が、韓国学生に対する逆差別ではないかという反問に対して、担当教師は「そう見ることはできる、だが、効果がある、それに比べて韓国の学生ははるかに難しい」といいます。これは、さきほど韓先生もおっしゃった通り、彼らはマイノリティですが、政策的な照明を受けているので可能なんでしょう。韓国の脆弱階層よりはるかに多くの機会を受けていることは事実です。
教育分野で争点になる部分は特例入学です。脱北学生たちは大学に行く時、在外国民特別選考の適用を受けて定員外で入学するからです。かつては「いい大学」にかなり行ったりもしました。韓国の子供たちのように。ずいぶん勉強して行くのと違ったルートで大学に行くので、学校生活にうまく適応できなかったり、いい学校を出ても就職には失敗する場合が多いです。ですから就職についても割当を要求する場合もあります。また脱北学生たちは学費も免除されます。アルバイトして授業料を準備している一般の学生たちと違った人生ですが、自分が努力して得たものではないので、やはり問題が生じます。小学校の時、韓国にやってきてここで学校にずっと通っても受けられる恩恵なので、これが彼らの定着にさほど役立たないという声も大きいです。英雄として遇された亡命者の時期からの政策は、そろそろ変えるべきだと考える方々も多いです。

韓基煜 他の低所得階層と比較した時、支援がさらに厚く、支援しただけ効果もありますが、高校まではそうだとしても、大学まで特例入学や学費が全額免除になると、相対的な違和感が生じます。この問題にどのような方法で接近すればいいのか、薛さんにひとことお願いします。息子さんはこの恩恵を受けられるでしょう?

薛ソンア 私たちの立場では本当にありがたい部分です。ですが、少し遠くから見れば、危険な部分もあるようです。私が実際に接してみた場合ですが、その恩恵を受けてソウル大に入って修士号まで取りましたが、問題は実力がないということです。外に出れば競争で負けます。これには構造的に問題があるようです。脱北者が大学に行って、それまで学べなかったことについて空白を満たし、心理的な治癒を得るのは本当にいいことです。ですが、本人が努力しない状況で、このような限界から来るストレスに打ち勝てなければ、むしろ定着が困難になるという限界があります。脱北者が受け取る就職資金がありますが、以前はそのまま全額与えたそうです。ですが、現在は仕事をしたら与えられます。1年仕事をすれば500万ウォン、3年仕事をすれば1800万ウォン。この就職資金をもらうために熱心に仕事をするという人が、私の印象では30パーセントくらいいます。定着に誘導する、本当にいい政策でしょう。ですが問題もあります。それをもらおうという目標で熱心に仕事をして、お金を受け取ったら仕事をする意欲がなくなって、基礎生活受給者として生きていく隙間を探します。また他の問題は、制度的なレベルですが、私がもらっている月給は130万ウォンです。私たちの息子も韓国に来たのに、基礎生活保障、学童家族支援のような福祉の恩恵を1つも受けられません。私が職業を持っているからです。これが私には不満です。仕事をする人が逆に恩恵を受けられないのは問題があります。私も仕事をやめれば、これを全額受け取ることができます。基礎生活受給費86万ウォン、学童家族支援25万ウォンに、教会に1、2か所通えば40万ウォン入ってきます。そうするとすでに今の月給より多くなります。

韓基煜 ですが、教会から出るお金はどのようにもらうんですか。何かの役割があるんですか。一種の証言のようなことをしたりもするといいます。

薛ソンア 月に4回行けば25万ウォン、30万ウォン、普通にくれます。何かの証言をすれば、また30万ウォンくらいくれます。普通はそのまま行って座っていればいいんです。脱北者をどれほど集めているかが、教会では一種の実績なのだそうです。とにかく熱心に仕事をする人は、私のように130万ウォン以外には福祉の恩恵を最初から受けられません。本当にありがたい制度もありますが、このように制度に問題もあります。率直にいって私も最近、かなり動揺しています。仕事をやめて明日すぐその支援金を、教会に行って……。

韓基煜 ですが、仕事をしてお金を稼いだ方がはるかに堂々としていませんか?

薛ソンア その通りです。ですから、1日に12回考えが変わりますが、明日すぐ仕事をやめようと思って、いや、ちがう、それじゃおかしい、将来を考えよう、と、考えをまた変えます。以前はわかりませんでしたが、自分が仕事をする方が、息子の定着にも力になりました。うちの母親は外に出てこのような仕事をして、というような具合にです。

李向珪 数年過ぎれば、今の数十万ウォンの差はどうでもよくなるでしょう。

薛ソンア わかりました。激励されたと思って、仕事はやめないことにします(笑)。

反北朝鮮情緒の助長活動に動員される理由

韓基煜 次に脱北者の政治的活動に関する話に移ります。脱北者団体主導の対北朝鮮ビラ散布問題や、北朝鮮嫌悪症を拡散する総合編成チャンネルへの放送出演のような問題があります。各種の反北朝鮮的な講演に動員されたりもします。このうち特に昨年からビラ事件が韓国社会の問題として台頭しました。南北和解の新しい契機があるたびに、それを阻む障害物になっています。代表的なものとして、昨年、仁川アジア競技大会に、北朝鮮で序列がかなり高い3人の高位級官僚が電撃訪問し、しばらくの間、和解の雰囲気が作られました。他の要因ももちろんありましたが、そこに冷水を浴びせたのがビラ事件でした。対北朝鮮ビラ散布は、しかも休戦ラインの近隣住民の生命や財産を威嚇する行動なので、住民たちが反対したりもしました。ですが、朴槿恵(パク・クネ)政権は、これは表現の自由に属するので、それをやめさせる法的根拠がないという立場です。この問題をどのように見るべきでしょうか。賛否があるでしょうが、この問題もそのように単純ではないようです。

高景彬 対北朝鮮ビラ散布をやめさせる法的根拠がないという言葉は正しいです。ですが、次の2つの点を考慮しなければなりません。まず、休戦ラインは南北朝鮮の重武装の軍事力が対立する、とても敏感な地域でしょう。ですから、軍事作戦に支障を与える行動をしてはいけません。そのような意味で、一般人の前方への立ち入りを統制する民間制限線が存在するのです。この地域では、些細な事件も武力衝突につながる可能性が大きいので、安全装置の準備が必須です。第2に、このように偶発的な武力衝突が発生したり発生するおそれのある状況では、休戦ラインの近隣住民の被害が予想されます。やはり、彼らの人命を保護し財産上の損失を保障する担保が必要です。対北朝鮮ビラ散布が南北関係の悪化や歪曲を招くという点は論外だとしても、このような安全装置なしに手をこまねいたりする事態は、責任ある政府の姿勢ではないと思います。あわせて、私たちは北朝鮮による間接侵略行為に対処するために、つまり、安保のために国家保安法で国民の自由の一部、特に表現の自由に対する制限を甘受しています。ですが、ビラ散布の自由のために、南北間の偶発的な軍事衝突を甘受するべきだという論理は、保安法の立法趣旨とも矛盾します。

李向珪 安全装置が必要だというお話しに全面的に同意します。ですが、ビラ散布を脱北団体がやってはいますが、事実、市場の支援があるから可能なのではないでしょうか。総合編成チャンネルがあり、彼らを支援するお金があります。ですから、事実、脱北団体がこの仕事をするのを問題にする以前に、それを可能にする市場の問題に注目をするならば、脱北住民がやむを得ない選択をしていると思います。移住民はまるで種のように、どんな土壌に落ちるかによって変わります。韓国社会という土壌自体が、彼らに対してこのような行動をさせるのであって、そのように発芽した脱北住民を非難することはむずかしいと思います。故郷に対する罪の意識であれ何であれ、自らの感情でこの仕事をするのは理解できます。結局、南北の分断体制が作り出した土壌の方が、この問題においてははるかに責任が大きいと思います。

薛ソンア 私は19歳の時、黄海道の沿岸に行ってビラを初めて見ました。普通の人には見せないように、組織責任者がビラを集めるのですが、それが気になってこっそり見ていました。金日成は独裁者だと書いてあって、私たちが火曜学習や土曜学習という思想教育を受ける様子を、縄に縛られた人のように表現してマンガで書いてあるんですが、その瞬間、私の意識が啓蒙されました。今でもそれが、私が世界を合理的に見ることに寄与していると思います。ですので、私は、ビラが北朝鮮住民の暗黒を照らす、とても重要な役割を果たしていると肯定的に思います。ですが、問題は、ひとまずビラがきちんと飛ばないということです。それ以前は政権が飛ばしていたようですが、今は民間団体がやっているので限界があるんでしょう。かなり保守的な団体にいる人々も、この点は批判しています。一種のショーだということでしょう。第2に脱北者が利用されるという点です。私は、ビラを北朝鮮の人々に送るまではいいと思いますが、あたかも北朝鮮の体制において金正恩(キム・ジョンウン)はすぐに交代するだろうというような、現実を歪曲することには反対です。
少し違う話ですが、総合編成チャンネルの「ようやく会いに行きます」(「南北疎通バラエティー」を標榜する「チャンネルA」の番組で、脱北者と芸能人が出演して北朝鮮について語るトークショー――編集者)を2度ほど見て、テレビを消してしまいました。私だけかと思いましたが、みな口を開けば北朝鮮を悪く言う脱北者たちも、あれは間違っているといいます。ありのままを話すべきなのに、そうでないからです。たとえば、病院に豚小屋の藁が敷いてあるというんです。北朝鮮の状況を悪く表現するほど関心を引くので、おかしな発言を並べ立てます。私はそのようなことに怒りを感じます。北朝鮮の構造的な問題は批判するべきです。病院に問題があって、壁が崩れて虫が出て、患者に薬がきちんと回らないなど、そのようなことがあることは認めます。ですが、いくらなんでも豚小屋の藁はないですね。このような人々が簡単に金を稼ごうとして、どこかの放送に出演できないかと血眼になっています。私が以前、講演に行って、北朝鮮に市場経済について説明したところ、質問がすぐにきました。おまえはあそこでそのように飯を食っていたのに、なぜ南にやってきたのか、そのように北朝鮮がよければ、なぜここに来たのかというのです。そのとき顔が紅潮したことを思うと……、私はいいと言ったのではなく、このような状況もある、本当にお粥も食べられない人もいるし、成功している人もいると言おうとしただけなのですが。そのとき以来、そのようなことは言わないことにしました。

韓基煜 そうなると講演招請のようなものは受けられませんね。

薛ソンア みな断りました。みなどんな講演が好きか考えてみると、「私は家もなかったし、古着も着られず、母や兄弟は飢え死にして……」というものです。ああ、こういうことを話すのかと思いましたが、私はやはり嫌です。残念です(笑)。

韓基煜 それが容易に金を稼ぐ方法ですが、そんなことばかりしていたら、脱北者としてのアイデンティティの問題もまったく解決されず、人間的にますます疲弊するでしょう。李向珪さんが個人の問題で恨みはないといいましたが、もちろん構造的な問題を度外視したまま、ビラを撒いたり総合編成チャンネルに出る人を非難するべきではありませんが、いずれにせよ、その人々は本来、南北の分断体制の犠牲者なのに、分断体制に利用されつづけているのが厳然たる事実だと思います。ですから、薛さんのように断るのは大変重要な一歩だと思います。

高景彬 私も最近、脱北者が出演する総合編成チャンネルの放送を興味深く見ています。間違いが多いと思いますが、原則的にこのようなことを問題にできると思います。政府が報道指針を出して統制するわけでもなく、脱北者の証言を検証する手段を持っているわけでもありません。そのような点で見れば、これは脱北者の問題でなくマスコミの問題だと思います。視聴率を無限競争する商業放送・総合編成チャンネルの問題です。現在の脱北者出演の放送は、事実、報道番組ではなく、ほとんどが芸能・娯楽娯楽に近いと思います。煽情性、末梢的な興味中心で視聴者を刺激しますが、北朝鮮の実状や南北関係の現実が歪曲される素地が多分にあります。これが解決されるためには新しい放送内容が必要です。北朝鮮に特派員が行って直接取材できる状況がきて、信頼できる新しい報道内容ができれば、このような問題は自然に解消されると思います。

韓基煜 それは画期的な解決策になります。ですが、今の状況で根本的にこのような放送をやめさせる方法はないとしても、改善したり変化させる余地はあります。総合編成チャンネルの報道にでたらめな部分があるならば、それに対して視聴者や他のマスコミが指摘し続けるべきです。脱北者たちも自らそのように指摘する人が増えたらいいと思います。脱北者の場合は。そのようなことが個人的な不利益をもたらすので簡単に期待できませんが。とにかく、マスコミ改革の問題と結びつけるべきで、究極的には南北関係が少しよくなって、南から北に行って直接報道をしたり、往来ができるようになれば、かなりの部分が解消されると思います。

高景彬 私もそのような総合編成チャンネル番組を見ると、これはとんでもない話だと思いますが、同時に妙な中毒性があります。

韓基煜 本来悪いことにはみな中毒性があります(笑)。北朝鮮を正当に批判するならばいいのですが、戯画化しながら、笑い話や娯楽にしてしまうのです。

北朝鮮の人権、当局と住民を分けて考える

韓基煜 脱北者の政治的活動とともに、最近数年間で大きく争点化されたのが、北朝鮮の人権問題です。脱北者の証言で、北朝鮮の人権の劣悪さが幅広く指摘され、韓国の保守勢力はもちろん、国連のような国際社会の懸案になっている状態です。これまで韓国の進歩陣営は、北朝鮮の人権問題に概して中途半端でした。何より南北の和解と平和統一をともに成就すべき相手に、深刻な人権問題を提起するのが刺激的だったからだと思います。ですが、人権は、和解や統一の相手だからといって、見逃してやったりする問題ではありません。進歩陣営のこのような態度は問題だったと思います。ですが、反対に朴槿恵政権を見ると、普遍的な人権の問題を政治的に活用しようという態度がうかがえます。北朝鮮の人権を実際に改善しようとするよりは、北朝鮮の政権の野蛮さと失敗を強調することに焦点が行っているようです。その渦中で、北朝鮮の人権の惨状を告発する脱北者の証言の中で、確実でなかったり、大袈裟なこと、また単なる嘘も多いといいます。代表的な北朝鮮の人権活動家である申東赫氏が、自らの証言に誤りがあったことを認めたりもしました。このような問題にはどのように対処するのか、そして現在、国会で検討されている北朝鮮人権法案を含めて、北朝鮮の人権に対してどのような立場をとるべきか、意見を聞いてみたいと思います。参考までに、北朝鮮の人権専門家である徐輔赫氏が、北朝鮮の人権を別個のものと見ずに、「コリアの人権」の問題として考えようといったことがありますが(「進歩陣営は北朝鮮の人権問題をどう扱うべきか」『創作と批評』2014年春号)、これについてもご意見を頂ければと思います。

高景彬 「コリアの人権」の概念は非常に斬新で、北朝鮮の人権問題に関する韓国社会の歪んだ論議を正すことができる、いいアイデアだと思いますが、北朝鮮の人権問題を韓国のすべてのことと関係させるという、いわゆる問題の水増しと受け入れられる可能性も高いと思います。私は、北朝鮮の人権が非常に劣悪な状態なだけに、今のように声だけ大きく皮相的なレベルでなく、一層深い関心を持つべきであって、また、私たちに可能な手段や方法をすべて動員して、北朝鮮の人権改善を促して支援するべきだと思います。
ですが、国会で議論されている北朝鮮人権法には、いくつかの考慮すべき事項があります。最初に、法の規律対象が法的に北朝鮮でなく、私たち国民と政府だという点です。国内法なんです。南北合意でもなく条約でもありません。国会が北朝鮮を対象に人権改善を促すには、法律案でなく、決議案の形が正常な方法です。第2に、北朝鮮の人権の改善・要求活動は、最大限、韓国の憲法のさまざまな自由権によって保障されるものの、安保上の理由で休戦ラインでのビラ散布行為に制限を設けるべき必要を認めるならば、明文化された法律の根拠が必要です。現在の政権で明らかにしているように、これを規制する法律がないわけですから、北朝鮮人権法が作られるならば、北朝鮮の人権改善活動に対する支援根拠とともに、最小限の規制根拠も準備するべきですが、これについての議論があまりないようです。第3に、民間活動を財政的に支援することに細心の注意が必要だという点です。韓国と北朝鮮が7・4共同声明(1972)以来、南北基本合意書(1991)、6・15共同宣言(2000)、10・4宣言(2007)など、数度にかけて相互尊重と誹謗・中傷の禁止を約束しましたが、これは当局間の約束であって、私たち国民を直接拘束することはできません。したがって、最近、北朝鮮が南北対話で、韓国の民間団体の対北朝鮮ビラ散布行為などに不満を示せば、韓国当局としては自由民主主義の特性上、仕方がないと対応してきました。このような状況で、万一、民間のビラ散布を政府が財政的に支援するならば、北朝鮮はこれを明白な南北合意違反と主張するでしょうし、これに対して韓国政府の対応は、かなり困窮することになるでしょう。もちろん初めから正々堂々とした態度でもありませんでしたが。
最後に、南北関係において、法律、すなわち国内法がどのような役割をするかという点です。南北分断60年余りの間、南北関係を規律する国内法は、相当期間、国家保安法1つだけでした。この法は、すべての南北交流と接触を一般的に禁止しています。ですが、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の時の1988年の7・7宣言以降、南北交流・協力を法的に後押しする必要性が提起され、政府が民間の南北往来と交流を許可する手続きを準備したのが1990年の南北交流協力法です。そしてその後の2005年には、南北交流・協力が活性化して、実際に対北朝鮮投資が実現し、南北間の合意を信じて対北朝鮮事業に参入した韓国の国民の権利を保護する必要が生じました。その結果、国会の批准・同意の手順を踏んだ南北合意書に限って法律的効力を付与し、韓国の裁判所で権利救済の根拠として引用できる道が開かれました。現在、この手順によって、13の南北合意書が国内法的な効力を持つようになりました。つまり、韓国の国民の権利と義務を直接規律する効力を持つということです。もし南北間の誹謗・中傷を禁止する内容を入れた、過去の重要な南北合意書に対して、国会の批准・同意の手順を踏んだり、一部の重要事項を抜粋して、履行法律案の形で国内法的な効力を付与できるならば、政治的な環境において南北間の不必要かつ消耗的な葛藤を減らす方案になるだろうと思います。このような点を勘案して、北朝鮮人権法が議論されてほしいです。

韓基煜 今、国会で検討中の北朝鮮人権法案はいくつかあると聞きました。お話しのように、法案で基本合意書と矛盾する条項を削除して、ビラ散布を行う団体を支援できないようにすることが必要ですが、法案によって大きな違いがあるようです。マスコミで北朝鮮人権法案を比較しながら、どのような法案にどのような問題があるのかということを、きめ細かく知らせてくれたらと思います。それから申東赫氏のケースもありますが、西欧では北朝鮮の人権状況に対する認識がきわめて否定的なので、脱北者が証言すれば、できるだけ信じるような雰囲気があります。それが悪用されて、それ以降の証言が信頼性を失うことがあるという点は、脱北者自らが警戒しなければなりません。

李向珪 私は、いわゆる進歩陣営が北朝鮮人権に対して沈黙すればするほど、自らの正当性が認められにくくなるという点で、北朝鮮の人権問題は断固として批判するべきだという立場です。ですから、徐輔赫氏のように、自浄的な省察が出てくるのはいい現象だと思います。人権の問題は政治と妥協できるものではありません。積極的な対応方向を堅持するほど、進歩が「従北」(北朝鮮追従)という仮面から自由になることができると思います。沈黙することが味方するような感じを与えるからです。一時、南北関係で「無条件の物資支援」の議論があった時、そのような主張をする人々が、韓国も暮らしが困難なのに、北朝鮮に何でも与えるのはいかがなものかという主張がありました。そのとき進歩陣営が「条件なき人権保障のために、北にも人道的支援をするが、同時に韓国の低所得層に戻る分も増やすべきだ」という声を出すべきだったと思います。そのように、分断体制の双方で苦痛を受ける多くの人を尊重するシステムを作ることで、観点を変えていけたらと思います。

高景彬 多くの脱北者が北朝鮮の人権状況を作ったり誇張したりします。脱北者に対して、100パーセント真実だけを語れと要求・期待することは現実的ではありません。韓国社会も高位公職者の聴聞会を見ると、嘘をつく人がとても多いです。脱北者が北朝鮮でこうむった被害はとても甚大ですが、外では関心がないので誇張できると考えるんです。ですが、このような場合、逆風が生じ得るのが、申東赫氏のように国連人権報告書に重要な証言をした人が、その一部を取り消すことで、全体の報告書にダメージになる可能性があります。過去には証言を誇張する必要があったとしても、今は皮相的な水準ではあるけど、北朝鮮の人権が劣悪だということは、みなが知っている事実でしょう。実質的に北朝鮮の人権をどう改善すべきかに焦点を合わせるべきで、証言について誰も検証できない環境で、その人の言葉が真実なのかどうかを突き詰めようとするのは、非生産的な議論だと思います。実際に北朝鮮の住民の人権を改善する方法について検討する過程で、自然と証言の真実性も見分ける機会が出てくると思います。

薛ソンア 北朝鮮の人々が日常的に話すことがあります。戦争でも起きればいい、ということです。私も北朝鮮で似たようなことを思ったことがあります。戦争さえ起きれば、保安員をみな殺してやろうと思ったのです。保安員から、ときに口外できない下品なことを言われたときは、目の前では謝りましたが、心の中では「私が何を間違ったというのか。生活のために金を少し稼ぐことの何がいけないのか」と思いながら、とても悔しかったです。そのうえ女たちは人間扱いされません。このようなことが、今、考えてみれば、人権問題だったのでしょう。まして、自分がこのように悔しいのに、監獄に行った人々はどれほど苦労したでしょうか。そのような人々の心情を考えるとき、国際社会に証言して北朝鮮の人権がよくなるならば、そうすることに積極的に賛成します。ただし、うさぎ一匹のために核を撃つという北朝鮮の言葉のように、人権を改善するといいながら、あらゆる政治戦が大きく展開するようなことがなければいいと思います。

人権改善と分断体制の克服の努力を同時進行すべき

韓基煜 北朝鮮の人権が劣悪なだけに批判するのは当然ですが、それが韓国の人権には問題ないという意味として受け入れられてはならないと思います。事実、映画「ムサン日記」で脱北者が経験する韓国社会は、人権尊重とはかなり距離があります。もう1つ、北朝鮮の人権を批判するとき、韓国や北朝鮮の当局と、国民あるいは人民を区別することが重要です。たとえば、北朝鮮の政権と北朝鮮の人民の状況を区別して、北朝鮮の人権の劣悪さは政権のせいなのですから、そこに照準を合わせて批判するべきです。批判をする側も同じ役割分担が必要です。韓国の当局者の場合は正面からの批判が難しいですが、国民はそのようなことができるでしょう。市民団体を含めた民間の場合は、そのようなことにこだわりなく批判する権利があり、またそうするべきです。ただし批判が、ある程度、信頼性を持つとき、はじめて逆風を受けずに共感を呼び起こせるでしょう。お話しのような、大騒ぎで政治的にショーをやるのでなく、痛い部分は指摘するものの、実際的な議論を通じて改善されうる方向に進むとき、それが可能でないだろうかと思います。私が見たところ、当局の間で統一と交流のために協力すべきパートナーシップがあるので、礼儀を守るべき部分が明確にあります。しかし、当局の間でも、民間で北朝鮮の人権状況に対して、このように赤裸々な批判があるのだから、改善すべきではないかという話はすることができます。

高景彬 指摘するべきです。北朝鮮の人権を実質的に改善するために、必ずしも北朝鮮の人権状況に対する批判の水位を下げる必要はないと思います。批判と改善の要求や圧迫はするものの、問題は、北朝鮮に対する敵対的かつ威嚇的な環境と併行してしまったら何の効果もないということでしょう。

韓基煜 効果がない程度ではなく、そのような場合には、事実、分断体制を強化するんです。敵対性を強調すれば、人権に対する議論が、突然、政治的な議論になって、むしろ人権に危害を与える状況に変質してしまうからです。ビラ事件がそうなる可能性も大きいです。散布行為をする人々は、北朝鮮の人権の実状、北朝鮮の隠された真実を知らせるという一念があるでしょうが、そのような意図とは関係なく、安全上の危害をもたらすこともありますし、威嚇的かつ敵対的な態度も、人権を非人権的な方法で処理しようとする印象をかなり与えます。

高景彬 過去の軍事独裁政権の時期に、国民が政府や指導者を批判したり、自由を抑圧するのに反発した時、政府は北朝鮮の威嚇を口実としてそれをみな抑えました。北朝鮮もやはり似たような状況で、住民の自由を抑圧しているんです。体制を崩壊させようとする外部の威嚇に対抗して堪えるべきだと北朝鮮住民を説得していますが、私たちがそこに口実を与える必要はないと思います。国を転覆させたり、指導者を交代させるのが目的でなく、純粋に私たちは人権改善、住民の生活の質の向上に関心があるということを示すためには、このような敵対的かつ威嚇的な外部環境を緩和させる必要があります。

薛ソンア 少し違う話ですが、行き過ぎた政治的余波がもたらす、残念な日常の事例があります。韓国の人と脱北者が結婚した夫婦が、政治的な話でかなり夫婦げんかになるようです。たとえば、天安艦事件の話が出た時、韓国の人が北朝鮮の仕業だという政府発表とは少し違う角度で見るべきだというとき、けんかをしたそうです。脱北者の方で北朝鮮を肩を持つのか、おまえがどうしてそんなことが言えるのだ、と言ってきます。また、ある夫婦は、韓国人の夫が北朝鮮に米を送るべきだといってけんかしたそうです。誰を喜ばせるために米を送るのかと脱北者の夫人が怒ったんでしょう。離婚してしまいそうな大きなけんかになることもあるそうですが、胸が痛む話です。

李向珪 天安艦事件のとき、脱北学生たちがかなり学校をやめました。あたかも自分が天安艦を爆破させたかのように、韓国の学生に攻撃を受けたようです。私たちは、話では脱北住民が韓国社会に定着するようにといいますが、南北関係が悪くなるほど、彼らは韓国で自分の居場所を見つけることが困難です。脱北者がいくら保守的になっても、外側である瞬間、親北朝鮮的な人間であると規定してしまい、「私たち」でない「彼ら」と考えてしまう傾向があります。さきほど韓さんがおっしゃったように、国家と個人を区別する能力を、事実、誰よりも私達の子供たちが学ぶべきです。分断体制というものが、敵と味方を分けて、どちらに立つかという情緒を作り出しているので、このような状況では、脱北住民が自らのアイデンティティに混乱をきたすばかりか、外部の強圧によって、あるときは抱き込まれ、またあるときは排除される状況が、彼らをより一層混乱させています。だから、敵と味方を分ける尺度や障壁が高くない社会を作ることが、統一を準備する重要な運動だという気がします。

韓基煜 天安艦事件はさまざまな面で深刻な後遺症を残しています。真相究明がきちんとなされなかったのに、あたかも思想的検証の尺度として作動するからです。科学的に異なる意見が残っている状態から、政治的な信念の問題へと変質しながら、天安艦事件が北朝鮮の仕業ではないかもしれないといった瞬間、おまえは北朝鮮追従であるという風に規定してしまうので、脱北青少年の場合のように胸の痛いことが起きます。このような「理念的な」正解を強要することがあってはならず、また、野党代表のような責任ある地位にある方が、そのような不当な要求に屈服してはいけません。

堂々かつ健康な朝鮮半島の住民として生きていく

韓基煜 最後に「脱北者のオールタナティブな生を求めて」という主題で対話を終えようかと思います。私が見るところ、脱北者は分断体制が持続する以上、最も干渉され傷つきやすい位置にいると思います。天安艦事件だけを見ても、相対的に一般市民の場合は、世論調査で47.2%が、政府発表が信じられないと出ていますね(NEWSTAPA、2015.3.25)。ですが、脱北者がこのような部分について返答を強要されること自体が――事実、このような形の「思想検証」は深刻な人権蹂躪です――自分らしく自由に生きにくい理由になります。脱北者が、政府当局や社会のイデオロギー的な要求から自由になって、自らの意向のままに生きていく道をどのように模索すればいいでしょうか?

薛ソンア 脱北者の立場では、本人の姿勢が基本的に重要だと思います。極端に言えば、いっそのこと定着金を与えない方がよくなるかもしれません。中国でいつ捕まるかもしれない恐怖の中で生きたことを考えれば、ここは本当に楽園です。ですが、定着金をもらえば非常に力になる反面、それを逆利用する場合が多いので、さきほど申し上げたように、むしろ懸命に自立しようとする人々が失望するような状況です。脱北者も自己啓発をすればいいと思います。次に、やはり理念的な目的で脱北者が利用されなければいいと思います。安保講演だけにしても、北朝鮮の実状を伝える人はやめさせられて、北朝鮮政権を打倒しようという人だけを使いつづけるのが現実ですが、本当に残念な部分です。脱北者が盲目的にお金ばかりを稼ごうとせずに、自分たちの社会のために、キツネも死ぬときは自分の巣に戻るといいますが、お金を稼いだら、1つでも何か志を持ってやってくれればいいいと思います。これもやはり脱北者の問題になるでしょう。宗教団体でも脱北者を計画的に集めようとするのはやめてほしいと思います。別の見方をすれば、教会も脱北者の金儲けの手段として利用されます。

韓基煜 相互利用と見ることができます。

薛ソンア そうです。信仰というものは心の安定を得るためのものです。とにかく今までは、信仰も定着も自分のアイデンティティも、みなきちんと成し遂げることが困難です。このようなさまざまな問題を、脱北者自らの努力とともに、システムを合理的に作ることで解決していければと思います。

李向珪 脱北者の問題は、政治が過剰になっている領域ですが、個人の生に対する尊重の方に進めばと思います。脱北してソウルで大学に通う学生がいますが、北朝鮮で孤児のような生活までしました。ある日、もの乞いをして戻ったら、藁でできた家の藁の部分を、誰が燃料に使うために持っていってしまって、1日で家がなくなったそうです。お兄さんやお姉さんと駅前で野宿生活をしてから中国に来て、ある家に3、4年隠れて暮らしていました。私がこの子に、君の人生をイメージで表現したらどんなものだろうかと尋ねました。北朝鮮では自分が野原を飛び回る鳥みたいだったそうです。朝起きて、落ちた穀物や米粒を拾うために歩きまわって、夕方に家に戻ってから寝て、翌日、また野原に出て行くような生活だったということでしょう。中国では鶏小屋の中のひよこみたいだったそうです。自分が出られるのか、外に出て行けるのか、いつまでこのような生活をしなければならないのかわからなかったようです。そして、韓国に来てからはケージの中で走りまわるハムスターだといいます。懸命に走ってはいるものの、なぜ走っているのかわからず、いつ終わるかもわかりませんが、そばにいる子たちはみな走っていて……どこが幸せなのかよくわからないといいます。ですが、私の考えでは、彼らはここに来たからこそもっと深刻に体験した苦痛があるようです。韓国は敵・味方に分ける社会、政治が過剰な社会、孤立した社会だからです。また他の友人は、父親が、北朝鮮ではいつも家の鍵を閉めず、隣人たちが家にやってきて酒を飲んで行ったそうですが、ここでは誰も訪ねてくる人がないから、ある日、父親がぼんやりと1人で、泥棒でも来てくれたらいいのにといったそうです。どの空間にも属さないと考えられる人を、誰も気遣わない社会、だからといって、ある空間にいる人々さえ、互いに面倒を見ない社会になってきたので、これらの人々が体験する苦痛がかなり大きいようです。だとすれば、脱北者の問題は、事実、私たち韓国社会の問題である面も多いんです。結局、統一が、野原の鳥でもなく、ハムスターでもない、人間が生きる社会を作ろうということのはずですが、ならば、彼らが韓国社会をどのように見ているのか耳を傾けて、直す部分は一緒に直していって、もう少しいい社会を作るべきです。私たちは優秀だったから、おまえたちが適応するべきだという態度では、それは困難です。彼らの声に傾聴する態度が必要です。

高景彬 同意します。脱北者を改造するのではなく、韓国社会をよりよい社会にしていくことが目的になるべきです。脱北者の問題を、彼らの集団の特異な指向や道徳の問題として眺めていてはいけません。そのようなものを作り出す韓国社会の構造的な問題は何なのか反省するべきです。相手の立場で考えることで、自分が韓国社会に来て、定着できずにさまよって、ある日突然、自分に北朝鮮の人権闘士だといってきて、お金もくれて英雄として突き上げられる環境と向き合ったら、それを拒否することができますか。また仕事をしなくても教会に行けばお金をくれますが、それを拒否することができますか。ここで一番重要なのが政府の役割です。脱北者だけではなく、韓国社会がすべての人々に、北朝鮮追随か、反北朝鮮かを強要する秩序の中にあります。このようなとき、5年ごとに変わる政権が、その時期の雰囲気で右往左往してはいけません。政府ならば、最低限、南北関係に関して、超党派的な基盤を準備して政策を展開するべきです。短期的には安保のためにどのような道が望ましいか、そして長期的な側面では平和的な統一の達成に、どのような道が必要なのかをめぐって、この問題に接近するべきだと思います。

韓基煜 脱北者の問題が韓国社会の問題であるという点に同意しながらも、私は社会の努力とともに、脱北者も努力するべきだと思います。分断体制に利用されながら金銭的代価を受ける人を個人的に非難することは解決策にはなりませんが、それを拒否する人に対して、それがどれほどすごいことかを認めるのはとても重要だと思います。社会構造的な問題を政策的に解決するか、あるいは個人の努力と決断で解決するか、この両者が相互に接近すべきだとすれば、個人が踏み出す一歩が政策の根拠になると思います。言葉をかえていえば、脱北者が人間らしい人生を享受するには、自らの身体を韓国や北朝鮮という国家の政治的・イデオロギー的な機制あるいは装置に差し出さない努力が必要だということです。ですが、よく考えてみると、これは脱北者だけに該当する話ではありません。分断体制下に生きる住民全体が、韓国・北朝鮮当局から発想や立場を強要される部分があります。それに対して「そうしたくない」と言えなければなりません。そのような思想と表現の自由が民主主義の核心です。脱北者は朝鮮半島で最も特殊な存在だといいますが、ある意味ではむしろ最も普遍的な存在ともいえます。分断体制の再生産過程で利用されずに戦わなければならない普遍性の問題に、まず正面から耐えることを要求されている存在ですが、他の人も、今、目立って催促されていないだけで、結局は同じことです。結局、脱北者でも脱北者でなくても、分断体制による韓国・北朝鮮の弊害に対してともに戦って、はじめて脱北者の問題も、韓国社会の問題も解決できるだろうと思います。ずいぶん話が大袈裟だったでしょうか(笑)。

高景彬 私がさきほど韓国社会の構造的な問題でみるべきだといったのは、もしかしたらそれがもっとも容易な方法だからです。明確に必要ですが、さらに困難なのが脱北者の努力です。命を賭けてこの地に来たわけですし、ここでも困難を抱えていますが、むしろ南北間の敵対感を増幅させる役割を与えられやすいと思います。南北が長い間、互いに敵対している環境で、和解し、許し、平和に統一できる役割を、勇気をもって切り開かれる方々を、私も何人か知っています。盲目的な反北朝鮮活動がアイデンティティを確立する道ではなく、民族史的に、この地に来て、やるべきことがあるとおっしゃっている方々です。そうした方々に希望を見出します。そのような努力は努力としてやりながら、政府が重心をとって進むべきです。

李向珪 私は、脱北者に民族と歴史の使命を付与するのは、あまりにも荷が重いのではないかと思います。実際に民族の和解のために韓国で来た人々でもありません。健康な市民、健康な個人として生きられれば、それで充分ではないでしょうか。そのように重い荷物を課してはいけないと思います。そのうえ、健康な個人として生きることも容易ではありません。北朝鮮にいるときに、そのように暮らしたことがない人々ですから。韓国に来てからも、どこでも民主主義を教えないために、そのような教育を渇望する青年たちもかなりいました。健康な個人として生きようとする、彼らを支援できる、教育と訓練の機会が、さらに準備できればと思います。

高景彬 全面的に同感で、さきほどの私の話は取り消します(一同・笑)。事実、健康な市民として生きることが和解の道具になるんです。

韓基煜 健康な個人、健康な市民、ともに重要です。健康な個人の方がもう少し根本的な問題で、そこに健康な市民が内包されていると思います。健康な市民というのは、南北間に敵対的な対決を助長するよりは、それを小さくする努力をする存在ではないでしょうか。個人的に歴史的な重圧感を与える必要はありませんが、実際にそのような人たちが統一の資産になるでしょう。

薛ソンア 私が1人で突拍子もない質問をしているようです。韓国の人が今の北朝鮮に行くと、どのような現象が起きるだろうか。現在、韓国で脱北者が直面している定着過程と同じような問題点が見られるだろうか。かならずしもこのような形ではなくても、韓国の国民や政府、脱北者自身まで、いろいろ省察して行くならば、もう少しいい道を探すことができると思います。

韓基煜 私は脱南するつもりはありません(笑)。

李向珪 余談のように申し上げれば、私も北朝鮮に行って住みたいとは思いません。ですが、私たちが北朝鮮に行って住みたいと思うように、北朝鮮という国を作っていくと同時に、北朝鮮の人が韓国に来て暮らしたいと思うように、韓国という国を作っていく過程が、まさに統一を準備する過程でないかと思います。

韓基煜 長時間、貴重なお話しをありがとうございました。これで座談を終えたいと思います。(2015年4月24日/於・細橋研究所)

 

〔訳=渡辺直紀〕

 

〔対話〕隣家の天使を探して――セウォル号トラウマ、いかに克服すべきか

2014年 冬号(通卷166号)

鄭惠信(チョン・ヘシン)
精神科専門医。ソウル市保健事業支援団長。株式会社マインドプリズム元代表。拷問被害者会「真実の力」及び双龍車解雇勞動者家族治癒センター「ワラク」の設立に参加。現在案山治癒空間「イウッ(隣人)」で活動中。著書に『男vs女』『人vs人』『気楽に』『あなたで充分だ』など。

陳恩英(チン・ウニョン)
詩人。韓國相談大學院大學校の文學·人文學相談敎授。詩集に『七つの単語につくられた辞典』 『私たちは毎日に』『盗んだ歌』。著書に『純粹理性批判、理性を法廷に立たせる』『ニーチェ、永遠回歸と差異の哲學』『文學のアトポス』など。

 

「安山(アンサン)に行くのが本当につらい」。セウォル号惨事以降、京畿道・安山にあるソウル芸大に出講している作家からこのような話を聞いた。作家だけではない。ワドンの焼香所に行ってきた多くの人が、そのように告白した。だが、あの日以降、荷造りをして、安山に移住した人がいる。精神科医のチョン・ヘシンである。彼女は今、自らがワドンに準備した治癒空間で、セウォル号の遺族をはじめとして、セウォル号の惨事で傷ついた多くの人々と毎日をともにしている。2014年9月11日、静かにオープンしたこの治癒空間の名は<隣(イウッ)>である。私は当地を訪ねて、エミリー・ディキンソン(Emily Dickinson)の詩句を想起する。「地上で天国が見つからない人は、天でも天国が見つからないだろう。私たちがどこに行こうと、天使が私たちの隣家を借りるから」。私はこれまで数年の間、いろいろなところでこの詩句を想起した。だが、彼女に会いに行く今ほど、詩句が心の深いところで渦巻いたことはない。そこに行けば、隣家の天使を見つけることができるだろうか? チョン・ヘシン先生は、死の瞳孔のように、生と魂が深く刻まれた安山で何をしているのだろうか?(チン・ウニョン)

* * *

陳恩英 セウォル号の惨事から6か月の歳月が流れました。セウォル号の話がとてもつらく、もうたくさんだという人たちがいます。ある人は、遺族のためにも心を落ち着けて日常に戻るべきだといいます。もちろん、遺族を最後まで助けて、事件の真実が明らかになるまで、街頭や広場で戦うべきだという人たちもいます。また、先生のように、犠牲者の子供たちの学校や家のある街に、とるものもとりあえず駆け付けた人もいます。先生は檀園(タンウォン)高校の学生犠牲者が最も多く発生したこのワドンという街で、遺族と出会う治癒空間を準備されました。どうして彼らと生活をともにされることになったのでしょうか?

鄭惠信 これまで精神科医として、私は国家的な災難でPTSD(Post Traumatic Stress Disorder、外傷後ストレス障害・トラウマ)を体験する人々と主として相談してきました。拷問の被害者とながらく相談し、双龍(サンヨン)自動車の解雇労働者を助けるために、平沢(ピョンテク)地域に心理治療センター「ワラク」を作って活動したりもしました。すべて国家暴力による外傷後ストレス障害を体験した人々でした。そうするうちに、セウォル号の惨事以降、大きな苦痛を味わう人たちを助けなければならないと思って、それまでの仕事をすべて整理して安山にやってきました。檀園高校の生存者生徒たちが学校に復帰する前、中小企業研修院にいるとき、ともに寄宿しながら、檀園高校の教師と生存者生徒の両親の心理的な危機状況に治癒的な介入をおこないました。生存者生徒たちが事故の初期に接した精神科治療に対する反感が、きわめて深刻な状態だったために、生徒たちに直接近付くよりは、教師と両親の混乱を鎮め、状況に対する統制力を保てるように心理的に支援すれば、子供たちが安定できると判断しました。それで、檀園高校2年生の担任教師の集団相談と、生存者生徒の両親との対話に最も集中しました。
かなり心配しましたが、幸いにも、初日、子供たちが学校にうまく復帰しました。研修院にいる間、女子生徒は悲しみと苦痛を表現しましたが、男子生徒はそれを拒否したり避ける場合が多かったようです。遺族も、母親たちはかなり泣いていますが、父親たちはそういうことがよくできません。子供でも大人でも、男性は感情的な表現がうまくできません。ですが、登校初日に男子生徒がかなり泣いて、亡くなった先生と犠牲になった友達に手紙も書きました。それまで友達にできなかった話をしたのでしょう。そして先生や友達に送るためにその手紙を焼きました。この子供たちは治癒のための一歩を踏み出したわけですが、依然として彼らに多くの支援が必要です。今は主として治癒空間<隣>で遺族の心理相談をして、犠牲者生徒の兄弟姉妹のための治癒システムを作っています。生存者生徒の両親のための治癒プログラムも進めていますが、遺族を支援している安山の社会福祉士たちの感情の疲弊も相当なもので、彼らのためのプログラムも進めています。

倒れる方にハンドルを切るべき

陳恩英 遺族を「死体商売人」と罵倒する悪意の視線があったりもしますが、セウォル号の疲労感を語る人たちが、特別に冷酷で不人情だからというわけでもなさそうです。周辺の知人の中にも、セウォル号の話はもううんざりだ、やめてくれと愚痴るケースもありました。私が怒って当惑して、その友達にどうしてそんなことを言うのか尋ねました。すると、話し続けてみたところで、これといって助けになるわけでもなく、韓国社会が変わるようでもないのに、同じつらい話をなぜ繰り返さなければならないのかということでした。セウォル号の話をやめたいという心の奥底には無力感があるようです。どうすべきかまったく分からないのです。ですが、少し違う角度で考えてみれば、少しでも助けになり、変化が可能であるとわかれば、セウォル号がうんざりだということはこれ以上言わないでしょう。事件がうんざりなわけではなく、結局、大きな苦痛や不幸をただ何もせず眺めていなければならない、無気力な自分たち自身が耐えられないということですから。どうすれば私たちが、苦痛を受けている彼らに少しでもより近付くことができるでしょうか?

鄭惠信 遠くから見ると、支援できそうな隙間が見えないので、茫漠として無気力になりますが、近く来てみると違う形に見えることがあります。ですから詳しく聞いてみることが重要です。まず、その人がどんな苦痛を味わっているのか、繊細に理解しようとする努力が必要です。ある遺族のお母さんが、最近、家の外にあまり出られないといいます。外出して子連れの親を見ると、「あの人たちは今、私に見せ付けてるのかい?」という気がして、本当に叩いてやりたいといいます。振り返って考えてみると、そうしている自身が本当にあきれ、外出できないというんです。他のケースでも、遺族の夫婦が、事故が起きて以降、これまで家に帰らずにずっと車の中で寝起きしています。子供を亡くしたわけですが、昼間は家にいても、子供が学校に行っているようで、友達に会いに行っているようで大丈夫だそうですが、夜、夫婦だけでいると、子供が死んだことが実感されるんです。その状況に耐えるのが苦痛で、夜、家に入れないそうです。家の前に車を止めておいて、そこで寝起きして、朝、家に行って風呂だけ入ってまた出てくるそうです。
遺族だけが苦痛なわけではありません。生存者生徒やその親たちの立場では、遺族を見ると無条件に罪の意識を感じます。子供たちが登校する時、遺族の両親20-30人が来たことがあります。子供たちに元気でねと、友達の分までがんばれと言いながら抱きしめていました。にもかかわらず、この子供たちは、犠牲になった友達の両親に会うと胸がドキドキします。誰が何か言わなくても、自分だけが生き残ったことに対する罪の意識で、責められているような気がするのでしょう。このように様々な苦痛が私たちの周囲にあります。
すべての人間は、何かを終わらせることに対する欲求があります。映画を見始めたら最後まで見て、次の段階に行こうとするのが人間の本能です。ですが、終わらせられずに途中で急に終わると、そこから次の段階に行けずにそこで留まり続けます。災難で誰かと突然別れた場合のように、突然、死と関連した途方もないトラウマを体験すると、忘れなければならない、日常に戻らなければなければならないと、いくら言ってみても効果がありません。終わらずに途中でぷつんと切れたこの欲求が、心の中で充分に完了するように助けてあげなくてはなりません。そうやって初めて、この悲しみの経験、この苦痛の感覚から自由になることができます。それが言うところの「哀悼」です。私たちは哀悼が重要だと強調しながらも、いざというときには互いに哀悼をしないようにします。たくさん泣き、たくさん悲しむべきだと言いながらも、きちんと泣けません。子供の父親が我慢しているから、妻はこう考えるんです。「あの人もつらいはずなのに、家長だから泣くこともできずに我慢しているのね、私のためにまたつらいことがあってはいけない」といいながら、そばで泣かずに我慢します。兄弟姉妹が死んだ子供たちは「両親が兄を亡くしてつらいはずなのに泣けないんだな、だから自分もこのまま我慢しなくちゃ」ということになります。またその子供たちのそばで親が我慢するといった感じです。結局、互いが互いに配慮すると言いながら、誰も哀悼することができません。それとともに人々が徐々に歪んだり病気になったりするんです。
幼少時、自転車の乗り方を習う時、時々倒れそうになったら倒れる方向にハンドルを切れと言われたでしょう。幼い時はその言葉が理解できません。こちらに倒れようとすると反対にハンドルを切ったら倒れないけど、倒れる方向にハンドルを切ってもいいのか? ですが直接学んでみるとその通りでした。人生を生きていると、人の心の法則もまったく同じです。私たちが生きていて、とても悲しい時、悲しい方にハンドルを切ったら倒れません。悲しいのがあまりに当然である時、反対側にハンドルを切ると必ず倒れます。ひっくり返ることになっています。思う存分、悲しまなければなりません。悲しい時、より安定的に、より楽に、より思い切り、悲しくなれるように、激励しなければなりません。そうすることで初めて倒れずに、より早くその窮地から自由になることができます。

陳恩英 生存者の生徒や遺族が、悲しみを自らのうちに閉じ込めずに、充分によく外に表現できるようにしてあげることが一番の至急の課題です。そのためにするべきことと絶対してはいけないことは何でしょうか。事実、多くの人々が、こうしたことに賛同したいけど、具体的にどうすべきか分からないという話をよく聞きます。

鄭惠信 ひとまず、これ以上の心の傷を与えてはいけません。遺族に近くで会う人々も遺族に対してかなり誤解しています。そばで見ていて理解できない姿がときに見られるといいます。遺族がビヤホール行って酒を飲みながら笑って騒ぐのを見て、あの人が遺族だろうか、という気がしたというのです。ある遺族のお父さんと相談して聞いた話ですが、事故が起きて1か月少し過ぎた時ですが、お父さんがいつも集まっている事務室のテレビで、それまではいつもセウォル号の惨事のニュースが放映されていたそうです。ですが、いつからかチャンネルを回す人がいて、一度は野球の中継がついていました。お父さんがなにげなく見て面白くなり、ある瞬間に歓呼したそうです。そうして互いの顔を見たのでしょう。私たちは今、何をしているのかと思ったんでしょうね。そのお父さんがその話をしながら、まったく子供を亡くしたのに野球を見て歓呼するなんて、自分が人間だろうかと考えて苦しんでいました。ええ、人間です。人間だからそうするんです。ですから、私たちが頭の中で遺族とはおそらくこのようなものだという枠組みを持っていると、その人々にとってはそれが非常に苛酷な暴力になります。
実際に遺族に対するそのような先入観のせいで外出できない親たちがいます。外で誰かと話してうっかり笑う姿を見て、他の人が、あのお母さんは継母ではないか、などとひそひそ話しているという噂を聞いて、大きな衝撃を受けたそうです。子供を亡くした母親も、状況によっては話していて笑うことがあります。遺族は、私たちが見ているときに、ずっと泣き続けなければならないのでしょうか? 私たちはそうだろうと勘違いします。自分たちの前提が間違っているのに、遺族の方が変だと考えるんです。私たちが見ている姿がその人のすべてではないという事実を知ることはとても重要です。その事実だけを感知していても、私たちが誰かにそのように暴力的にふるまうことはありません。それを認識できなければ、不本意に誰かにとって凶器になることがあるんです。安山で私がやっている主なことのひとつは、生存者生徒たちや遺族が周辺の人々によって、このような2次トラウマを体験しないように、遺族の状態を知らせて、彼らに配慮する方法を教育することです。遺族が感じる心の苦痛を充分に理解できなければ、彼らをかなり大きく誤解することになります。そして、その誤解によって、空しい心を周辺の人たちが他に伝え、またその話に枝葉がつけば、遺族に対する悪意あるデマが飛び交うことになり――そうして遺族が国民から孤立する状況が広がるんです。

陳恩英 そうですね。セウォル号の遺族のようにPTSDを体験する人々が直面する心理的な困難としては、どのようなことがあるでしょうか?

鄭惠信 拷問の被害者や解雇労働者を対象にトラウマ相談をしていると、共通して発見される現象ですが、すべてのトラウマ患者には加害者がいます。たとえば80年代の拷問の加害者は、政権責任者の全斗煥(チョン・ドゥファン)と拷問捜査官でしょう。濡れ衣を着せられてアカとして10年、20年、監獄で過ごして、出てきたら子供はみなアカの子供になり、妻は離れてしまいます。自分の人生も、もちろん破壊されるだけ破壊されています。そんな時、その人と相談すると、誰に対して怒りを一番強く表わすでしょうか? 政権の最高権力者でしょうか? あるいは自分を拷問した人? そうではありません。自分が監獄にいる時、自分の子を見てくれなかった兄嫁とか、そのような方向に怒りが向けられます。双龍(サンヨン)自動車の解雇労働者も、当時、かなり無慈悲かつ殺人的に鎮圧した趙顕五・警察総長や鎮圧現場の警察特攻隊でなく、同じ工場ラインで仕事をしていたけれど解雇されなかった同僚の中で、官製デモに出てきて、解雇された自分たちに「出て行けけ!」と叫んだ人々や、ストライキの時、自分にパチンコをぶつけた昔の同僚に対して、最も強い殺意を感じています。
警察総長でも李明博(イ・ミョンバク)政権でもなく、なぜ周辺の同僚なのでしょうか? ある巨大なトラウマが生じて、そのトラウマの事件の明白な加害者がいます。ですが、その加害者が出てきて、とても遠くにいて、圧倒的な力を持つ場合には、被害者の中で互いに相対的な加害者を探す、一種の心理ゲームが生じます。自分の子供を世話してくれなかった兄嫁や長兄、生活が困難だった時、自分が助けてやった叔母がすぐそばの近所に住んでいるのに、自分が監獄に行った時は、叔母が自分の子供たちを面会に行かせようとしないなど、そのようなことが深く傷つくんです。ですが、その叔母の立場では、親戚がアカとして捕まったから、その家に出入りすれば自分の家族もみな捕まるわけで、家庭がいっぺんに崩壊します。だから行けない場合があるのですが、そのような合理的な判断ができません。被害者同士、相対的な加害者を探す状況に陥ると、実質的な加害者はみな消えてしまいます。被害者が互いに葛藤しながら集団が瓦解します。今、セウォル号のトラウマでも同じ現象が見られます。はじめは怒りがきちんと救助作業できない海上警察や大統領府、政界に向かいましたが、少しずつセウォル号の一般人犠牲者の家族や檀園高校の遺族の両親、生存者生徒や両親との間に、または檀園高校の遺族相互の間に怒りや憎しみが生じます。もうひとつの共通の敵は学校です。檀園高校の先生です。遺族や生存者の両親に学校や先生の話をすると目つきが変わるとずいぶん感じました。船長や大統領よりも、学校や先生に対する怒りの方が、さらに具体的で生々しく、時にはより大きいと感じたこともありました。ですが、この感情は、客観的にその人の誤りを確認すれば、解決できるような問題ではありません。実際に善悪の可否と関係なく、周辺の人に自分の怒りを表出することが、このような場合に起きる、きわめて共通の現象であるということです。被害者同士、互いに心に傷を負わせながら、その傷がさらに深くなる現象が広がっています。

子供に対する愛に区切りをつける時間を

陳恩英 遺族のそのような苦痛を、近くで見守る安山の隣人たちには、どのような点を集中的に教育していますか?

鄭惠信 市庁のある公務員が私に個人的に話したことです。犠牲者の家庭に訪問すると子供の写真があるでしょう。すると「誰々のお母さん」といってその子供の名前を呼んでもいいか、あるいは名前を呼んではいけないか、写真を見て、そのような配慮をするべきかしないべきかというような問題で悩むといいます。その場合、当然「誰々のお母さん」と呼ばなくてはなりません。ああ、この子があの子なんだ、ハンサムですね、印象はどうでしたか、この子はどんな子でしたか?――このように聞いて、話をしなければなりません。遺族の立場では、子供の話をするのが一番難しいこともありますが、世の中で子供の話ぐらい話したいこともありません。ですが、みなが周辺で隠して避ければ、誰ともその話ができないでしょう。誰もそれについて話しかけなければ、この遺族は一生、その記憶から自由になることができません。レコードの針が飛ぶように、ずっと同じところで回り続けるんです。そうなると、人生がその瞬間で停止したまま、それ以上、前に進むことができません。ですから、隣人たちは、遺族が関係の進度を進ませて、それが終わるように助けてあげなければなりません。
私が<隣>で始めた治癒的な方法の一つが、このことと深い関連があります。死んだ子供の友達がいます。生存者生徒だけでなく、中学校の同窓もいますし、教会の友達もいますし、塾の友達もいます。その友達が、子供を亡くした友達の両親に手紙を書く運動です。それは、この友達の治癒プログラムでもあり、犠牲者の生徒の両親を治癒する時間でもあります。生きている友達が、自分の中の犠牲者生徒に対する記憶、経験、思い出、印象をひとつひとつ書いて友達の両親に送ります。この手紙を伝える人を、私たちは「黄色い郵便配達人」といいますが、その郵便配達人が両親の反応を聞いて、友達に伝えることまでが過程に含まれます。友達が両親を慰めようとやってきて、そのまま自分たちの話をして行くと、両親はものすごく心に傷を受けます。私の子供だけがいない、あの子たちはあのように生きている、大学にも行くだろう、私の子供は一生、高校の制服を着たままだろう、このようなことがさらにはっきりしてくるということでしょう。ですが、友達が、「修練会に一緒に行ったけど、誰々がこんな話をして、ものすごくみなを笑わせました。おとなしいと思ってたけど、その時から誰々のニックネームはこんな風になりました」と、このような話をすれば、両親が、友達の中に生きている自分の子供のことを感じます。自分の子供の記憶が鮮明に残っているという感じを受けるから、この友達が生きていることに感謝するんです。そしてこれまで思春期の子供とさほど疎通できず、ただ虚しく感じられた子供の人生が、生き生きと花を咲かせていたということを実感しながら慰められます。これがこの治癒の核心です。
一方で、両親の反応を友達に知らせることも、子供たちの治癒にとって重要な要素です。子供たちが手紙を書きながら、みな不安に考えます。自分が何か間違ったことを書いて、ひょっとして友達の両親を傷つけはしないかと思うので、その反応を知らせると気持ちが楽になり、これまであれほど申し訳なかった友達のために、何かをしてあげられたような気がします。事実、子供たちがはじめ手紙を書くと、「がんばって、勇気を失わないで下さい」というようなことを書きます。私たちはそのようなことを書く必要はないと、友達と一緒にいた、とても具体的なことや感情を書けと言います。それがどうして両親に慰めになるのか、みな説明します。そこで初めて安心して話ができるからです。このようなことが治癒のメカニズムの中で進められる手紙の活動です。
このような形で、友達でも、隣家の他の母親でも、その子供の話を積極的にしなくてはなりません。亡くした子供との関係において、終わっていないことを終わらせられるように、その人に充分な機会を与え、もっと話をして、もっと多くのことを感じさせてあげること、それが治癒の核心です。そうした点で見る時、遺族が、子供たちの携帯電話の復元後に残っていた写真を一緒に共有することも、治癒に役立ついい方法だと思います。私の子供の携帯電話では見つからなかった写真なのに、友達の電話機に写った写真の中に自分の子供がいることがあります。両親が互いにそれを探して、子供について話をかわしながら、互いにとてもいい治癒者になることができます。こういうことを、今、犠牲者の両親たちがやっています。本当にいい自然発生的な治癒法です。両親の中には、遺品を見るたびに胸が痛むので、整理をしてしまった人たちもいて、整理できずにただ持っているだけだけど、どうすればいいものかと聞いてくる人々も多数います。私はもう少し持っているように言います。正解はありませんが、それを整理した人々の中で、後になって後悔するケースをかなり多く見ました。「私はあのとき子供のものをなぜ整理したのだろう、なんとなく見たい時、懐かしい時、取り出せるように、もう少し持っていればよかったのに」といって苦しみます。遺品を通じて子供と語る過程が充分にできあがった後に決定してもいいのです。
そのように悲しみに没頭していると、うつ病にならないかと心配する視線もありますが、そうではありません。外傷後ストレス症候群は病気ではありません。彼らは本来、患者だった人ではありません。ある日、突然、交通事故に遭ったのと同じ状況なんです。自分が本来、体が弱かったら、ある刺激のせいでうつ病になったり、それがさらに悪くなったりすることがあります。ですが、トラウマ事件では、思う存分哀悼して、それに没頭するほど、そこから早く自由になる力を持つことができます。

陳恩英 遺族たちによる、清雲洞(チョンウンドン)での座り込みの場を訪問された時は、生き残った子供に対して世話をする方法についても講演されたと聞きました。

鄭惠信 子供たちは、私たちが考えられないような方法で、この状況に対して自分自身想像して、様々な形で考えを進めながら傷を負ったりもします。そのような考えをよく引き出して、両親や周辺の大人たちと対話させたり、相談を通じて、彼らに対応する機会があるべきです。意外と子供たちは、両親のために、両親が心配するかと思って、大変かと思って、自分の話ができません。いじめのために自殺する子供たちがいます。そんなに苦しいのなら、両親になぜ話さなかっただろうと、両親たちは胸を叩いて悲しみますが、普段、対話がなかったり仲が悪かった両親だからではありません。意外とその時、子供たち考える共通のことは、自分のために両親がさらに胸を痛めるのではないかということです。ですから、充分に話せるようにするには、両親がまず話を切り出さなければなりません。
お姉さんを亡くした中学生の子供が1人いるんですが、学校に行って、突然、先生の背後に隠れたんです。姉さんが見えるというんです。ですから、両親がとても驚いたんでしょう。精神的に問題が生じるのではないかと心配されるので、私がこう言いました。私は知らない子供たちですが、珍島(チンド)の身元確認所に1日中いながら、犠牲になった子供たちを見守っていたところ、しばらくしてその子が私に話しかけてきました。話しかけてきそうな感じがしばらくありました。子供が、自分の姉さんがやってきたと感じるのは、心理的に何かやりたい作業があるということです。ですから、その経験、その存在、それと対面する時間、その瞬間を邪魔してはいけません。当然、見えるものがあり、聞こえるものがあり、夢にずっと出てくるものがあります。とても正常なことです。出てきてくれたらと思うのに出てこなくて胸を痛める両親の方が多いと思います。目に見えるものならいくらでもいいです。また会えたら姉さんに何を話したいのかと聞きながら、一緒に充分に話すべきです。そうすれば、子供が姉さんを恐れずに、そのような状況がきた時、自分に問題があると考えずに、姉さんとするべき作業をすることになります。
そうした点で、檀園高校2年生の教室がそのまま保存されているのは、非常に幸いなことです。生存者生徒や3年生の生徒が、時々、その教室に入ったりします。友達や親しい後輩の席に座って、泣きながら手紙を書いたりもします。日常に早く戻るべきだという強迫から自由にならなければなりません。早く忘れなきゃ、いや、それじゃだめだ、遠ざけきゃ、しっかりしなきゃ、と思ったら、問題がまた出てきます。犠牲の生徒の兄弟の中でそのような子供たちに何人か接しました。学校で勉強するといって、夜の12時、1時に家に戻ってくるんだそうです。つらいので勉強に没頭しているといいます。それがかならずしもいい信号でない場合もあります。お父さんの中にも仕事に熱中される人々がいます。苦しさを忘れるために、その苦しさの大きさぐらい何かに強く没頭するのですが、それがそんなにうまくいくわけもないのですが、すぐに集中するといっても、後になって、ある瞬間「自分が自分の子供のためにきちんと悲しまなかった、できなかった」という思いが津波のように押し寄せると、その時は本当に、それに巻きこまれて流されることがあります。ですから、遺族や生存者生徒に対して、かなり意図的に現実に戻るよう注文しない方がいいと思います。そのような必要ありません。人の心は満たされれば自然と戻ってきます。それを信じなければなりません。人には本来持っている健康性や均衡性があります。

トラウマ治癒には真相究明が最も重要

陳恩英 悲しみを打ち破って、自然と現実に戻れるようになったと言う人もいます。これ以上、広場や街頭で真相究明を訴えずに、個人的な治癒作業を通じて悲しみを克服する必要があると言う人もいます。いまや個人の治癒的観点から接近するべきであって、セウォル号の惨事を社会的な次元で扱うのは正しくないと考えます。先生がおっしゃる治癒的観点は、このような立場とは大きな違いがあるようです。この観点を先生は「社会的治癒」と表現されました。

鄭惠信 先日、遺族たちが市内で署名運動をしている時に登場した「お母さん部隊」を見ましたか? 光化門(クァンファムン)の断食の現場に来て暴言を吐いていきました。いつまでこんなことをやっているのか、あなたたちの方が国民に申し訳ないと思うべきだと遺族に言いがかりをつけました。このような人々が周辺にかなり増えています。いつまで記憶するべきかという問いに答えるには、トラウマを体験した人々の心理に対してまず語らなければなりません。トラウマを体験した後から、彼らの時間は私たちとは違います。トラウマという傷を負って、その傷が広がれば、その人の時間はそこで停止します。たとえば以前、10代の時期に、死の威嚇の中で性暴行に遭った女性が、30年後にその男のところに行って殺害した事件がありました。事件後に、生物学的に年は取っていたけど、心理的には止まっていたのでしょう。ずっとその周辺で生き続けるんです。ですから、その人が刺殺したのは、30年後ではなく性暴行された翌日なのです。こういうものがトラウマです。一般的なストレスとは完全に違います。
セウォル号の惨事があって半年以上が過ぎました。遺族に対して、もう半年も過ぎたけど、あなたたちはいつまでこうしているのかと言えば、この人は腹が立って悲しくなる前に、まずびっくりされるでしょう。この人は昨日、事故に遭ったんです。昼も夜も、夢でもずっとその周囲を徘徊しているんです。だけど時間が過ぎたのだから忘れろだなんて。時間がまったく感じられない状態だということでしょう。それがトラウマの本質です。治癒ができなければ人生の進度を進めることができず、次の課題に移ることができないのがトラウマです。私たちの時間と彼らの時間がまったく異なるということ、私の時間は流れても、その人々はそうではない可能性もあるということを認めることが重要です。
ならば、どのようなことがトラウマの治癒か、どのようにすれば、この人の人生が止まらずに進むことができるかという問題において、最も核心は、真相の究明だと思います。精神科には数百の疾患があります。うつ病、不安症、精神分裂症、アルコール中毒、強迫観念など、多くの病気が、内面の心理的な問題のために起こる病気です。ですが、唯一内因性でない外因性で始まる疾患があります。それがまさに外傷性ストレス症候群、すなわちトラウマです。精神科の数百の疾患が、自分の考えや環境的な問題を考えながら治療されますが、外部的な問題のために人生がものすごく歪んだ場合には、その外部的要因を解決せずしては治癒を始めることができません。
トラウマを体験した人を見ると、もちろん怒りや無気力症も、その人を疲労させて破滅させますが、決定的に生きていけないほどに疲労させる感情は悔しさです。精神科の疾患で自殺率が最も高い病気が外傷後ストレス症候群です。人は悔しければ生きられません。死んではならない子供たちが、死ぬ理由が1つもない子供たちが、みな救助できる子供たちが、様々な問題が重なって、悔しいことに死んでいきました。そして、ほとんど国民みなが、それも生中継で、その子供たちの死をみな見守りました。真相究明のために遺族が東奔西走していますが、それは精神的な治癒に向かう苦闘なのです。その過程の中にいる遺族に対して、果物をむいてあげたり、水を持ってきたり、しばらく肩を揉んだりという素朴な奉仕や、真相究明のために署名をして、少しの間でも助けになるすべての人は、セウォル号トラウマの根源的な治癒者です。そうした点で心を静めるのは、精神科医よりも隣人の方ができることが多いでしょう。ですから、私は、社会的治癒の重要性を絶えず申し上げているのです。

陳恩英 社会的治癒の重要性についてお聞きしながら、もしかしたら多くの人々がさらに複合的な感情を持つこともありそうです。共同体全体が立ち上がって解決すべき大きな傷ですが、自分は涙を流す以外、きわめて些細なこと以外はできることがないという深い無力感を感じるということです。これまで多くの人々が、自らの家族が犠牲になったような衝撃、共犯になったような罪悪感、この社会を無謀にも放置したことに対する羞恥心、決定的な原因提供者などに対する怒りなど、かなり複合的な感情の旋風を自分の中に感じて混乱していました。この共同体的な治癒の第一歩を、どのように踏み出すべきでしょうか?

鄭惠信 とても切実な気持ちで動く時、ささいなことであっても人々の胸に深くささるということを信じるべきです。ある遺族のお母さんが国会に初めて断食しに行った日、私にこのようなメッセージを送ってきました。自分がはじめ珍島の体育館にいる時、夜になるととても寒くて、われ知らず体育館で身をかがめて眠ったといいます。ですが、ある女子生徒がそばに来て、簡易カイロをいくつか自分の足の間と背中に入れて、目を覚ますかと思ってすぐに立ち去ったというのです。少し目覚めて、一瞬、その女子生徒を見ましたが、その後、その人の心が大きく揺れたのです。ありがとう、私はこれまで生きていて、自分の子や家族しか考えずに生きてきた、自分の全生涯を反省したといいます。自分は今、子供を亡くしたが、これからはこれ以上、利己的に生きないよう誓ったと私に長く書いてきました。この人が今、本当に熱心に闘争しています。闘争する理由が、自分の子供は死んだけど、再びこのようなことがあってはいけないといいます。私は、その女子生徒が、本当に深い治癒者だと感じます。ですが、その女子生徒が、自分の入れた簡易カイロのために、ある遺族の両親の人生がまるっきり変わったということが認識できるでしょうか? 想像もできないでしょう。そのような出会い、そのような瞬間によって、人の心が揺れるのであって、他の大袈裟なことで動くのではありません。私は、その女子生徒に、ある切実さがあったのだと思います。20代初めの学生が、何かの原因でそこに来て雑用をしていました。そのような切実さが他人を動かし、意味ある何かを与えるのでしょう。私はそれが治癒だと思います。
結局、治癒はとても素朴なものです。人の心にある瞬間にそっと触れること、特別なことではありませんが、人がよろめいたり、かっとしたり、くらくらしたりする瞬間。それがまさに治癒の瞬間です。精神医学の観点で、どんな人が最高の治癒者なのかを議論している人々がいます。「傷ついた治癒者」(wounded healer)という用語があります。傷を負った人が、癒された経験を通じて最高の治癒者になるといいます。自分の傷がどうにか治る経験をした人は、人が何に対して動くかをすでに経験した人です。ですが、人は誰でも傷を持っています。傷のない人は存在しません。ですから、自分の傷を認識し、癒された経験がある人は、誰でも治癒者になることができます。そのような人が誰に対してであれ最高の治癒者であるといえます。
安山(アンサン)市民は、2014年4月16日以降、みなが傷つきました。近くにいる隣人が大きな痛みを経験し、本人も感情的に大きく傷つきました。1980年の光州(クァンジュ)を経験した人たちを見ながら、私は治癒的な人が多いと感じました。傷を経験し、その過程を生き延びたので、治癒的な要素にとても敏感になったのでしょう。今、セウォル号の遺族と一緒に過ごしている人達の中で、そのような事例が多いと思います。昨年、泰安(テアン)海兵隊キャンプ事故で子供を亡くした両親も、珍島の体育館までやってきてくれました。私は、この地域共同体が、市民自身の傷を治癒し、人生で最も大きな苦痛の瞬間に処した隣人に対して、最もいい治癒者になるように願いたいと思います。

傷ついた人が最高の治癒者

陳恩英 先生のお話しの中で、ヘンリー・ナウエン(Henri Nouwen)の「傷ついた治癒者」という概念が大きな響きを持っています。ナウエンは司祭であり心理学者でした。彼が、牧師の重要な徳性として、傷ついた治癒者を強調したので、私はこれまで、この単語を宗教的脈絡としてのみ受け取っていました。もちろん、韓国の教会は、そのような宗教的な意味さえきちんと理解できず、遺族に傷を与えたという話も聞こえてきます。数人の犠牲者が通っていた安山のある大きな教会に、セウォル号の遺族が署名をもらいに行ったといいます。ですが、その次の日曜日は、署名運動は一度でいい、これ以上来るなといって、キリスト教信仰を持つ遺族が大きな衝撃を受けたといいます。これまで最も深く心を分かち合ったと感じていた共同体から、排斥されるような気持ちだったようです。先生は治癒共同体を作る方式の1つとして、「近所のロウソクの火」が重要だとおっしゃっています。

鄭惠信 他の集会に行くと、かたい発言をして、行進して、立ち止まって、警察と小競合いをしていましたが、近所で隣人たちとロウソクの火をつける時、少し違った雰囲気を分かち合うことができます。自分自身に注目し、聞き入れて、受け入れる感じの集いです。個人的に言いたいことを言いながら休める、だから、故郷の家に来て、上座に横になるようなロウソクの火の集まりになったらと思います。私は、隣人が一緒に集まるのは重要ですが、その集まりを集会のようにするのは、別に効果的でないだろうと思います。今、遺族たちには話したいことが山ほどあります。ですから、そのような機会を与えて、ひそひそと話をかわすんです。1人の人間として自分の人生を話させなければなりません。そのようにすることによって、話す人もさらに気が楽になり、聞く人もその心にさらに多く共感し、心を痛めます。そうすると、この問題に対してさらに助けたいという気持ちも生じます。
ですが、セウォル号の集会で遺族たちが発言するのを見ると、ある人々は活動家のように話します。特別法の正当性を表明して、私たちの話の中で、これは捏造されたものであり、これは国家情報院がやったことだという風にです。もちろん重要な話でしょう。明確に理解すべき部分です。ですが、それだけで人々の心は動きません。遺族の持つ1人の人間としての苦痛、子供に対するいとしさ、自分と自分たちの生活に対する考え、このようなものをさらに多く共有すれば、人々の心が遺族たちの望む方にさらに傾くだろうと思います。ですから、そのような1人の人間としての自分の内面を、心を、感情をさらすことができるように、話を進めることが重要です。特に私は、光化門(クァンファムン)前の集会のように、刺激的な映像を見せ続けることに対しては反対です。遺族の両親の中でも、あの映像のせいで光化門に行けない人がかなり多いんです。普通の人々も、衝撃的な動画を見ながら、結局は苦痛なので、セウォル号のことを忘れたがるんです。人は自分を守るようになっています。そのように刺激的なものは長く続かず、むしろそのために、人々がさらに避けたり冷遇したりするようになると考えます。つねにのぞいてみたくなってこそ共感が広くなるのであって、苦痛で開いてみることも難しければ、共感が広くなることはありません。

陳恩英 傷ついた人が最高の治癒者で、悲しみの過程にともに同行する隣人が最も立派な治癒者であるという先生の言葉が、本当にやわらかく美しく聞こえますが、少しだけ考えてみると、実に急進的な主張でもあります。現代の専門家主義に正面から挑戦する話です。すべての領域で、専門家で構成された委員会が必要ですが、韓国社会には有用な専門家がおらず問題だというのが、多くの人々の考えでもあります。実際に口でそうおっしゃるだけではなく、そのような観点で、ソウル市の治癒プログラムも進めておられます。

鄭惠信 はい、私はソウル市の精神保健事業の支援団長です。ソウル市民全体を対象に「ソウル市ヒーリングプロジェクト」を昨年からやっています。「誰にでも母親が必要」というプログラムです。このプログラムは、専門家が非専門家たちを対象にする治癒でなく、プログラムに参加して治癒を経験した市民が、その次に自分が直接治癒を進めるというシステムです。一言でいえば、市民治癒活動家を養成するものです。10月からは、「誰にでも母親が必要――セウォル号トラウマ編(仮称)」です。セウォル号事件で傷ついた彼ら、いわゆる国民的なうつ病を経験している多くの人々を対象にした治癒プログラムです。1回の参加に3時間ほどかかります、子供を育てる母親たち、無力感や罪の意識、また子供に対する感情移入の程度が、職業上、格別なものになってしまう教師たち、それから高2の生徒たち。このように3つの集団を対象にする予定です。「誰にでも母親が必要」はソウル市民のためのプログラムなので、そこで最初にやりますが、このプログラムの本来の趣旨は周囲に少しずつ広めることです。ソウル市民もこのように苦労しましたが、安山(アンサン)市民も同様に大変です。なので、このプログラムを安山でもやろうと思っています。
このプログラムを体験したすべての市民は、治癒活動家になることができます。ですが、このように申し上げると、未熟な者が人をダメにするのではないかと心配します。下手にやって、ただ一緒に胸を痛めて手を握り、話を聞く程度で満足するのかというのです。治癒活動家などというので、少しこわい感じがするといいます。これは資格証のない彼らの持つ、人々に対する健全な恐れです。それは治癒者の役割をする時にとても重要な徳性です。資格証のある彼らは、人間に対して持つ健全な恐れがありません。なぜなら、資格証明があり、また知識を持っていると考えるからです。そのような彼らの方が、むしろ多くの傷を与えます。人間に対する健全な恐れを持つ人の方が、治癒者として適格であると思い、私はこのようなモデルを構想しました。ですから、この治癒プロジェクトは、いま一度、本質に戻ろうというプログラムです。自分が治癒を受けなくてはなりません。1人の人間として参加して、自ら治癒的な経験をすれば、治癒がどのようなものであるかを体得するんです。そのように情緒的な体得をまず経験した後、だけど、私たちはなぜよくなったんだろう? 私はなぜ安らかになったんだろう?――ということを、知的に整理できるようにします。そして始める前にリハーサルするのを見てあげます。実際、始める時も管理者がついて行って見ます。このようなシステムになっています。ですが、管理者やリハーサルを助ける人が、以前の段階ですでに同じことを経験した人です。セウォル号のトラウマは、安山のほとんどの人々が治癒者になってこそ解決できます。専門家の何人かに頼っていてはできません。
私がここで申し上げる治癒は、専門的な相談技法を言うのではありません。たとえていうならば、私たちが家で食事を作るでしょう。資格証などなくても、誰でもあまりおいしくなくても、どうにかして食事を作って暮らしています。そして、高級料理は食べなくても問題ありませんが、家で長いこと食事ができないと、人は情緒的にも問題が生じます。ですから、味はそこそこでも、家での食事は私たちに心理的に重要な土台になる要素だということです。今、私がお話ししている治癒は、市民がみな治癒活動家になって、家で食事をするという過程です。高度な精神疾患があって、医療的に介入しなければならない場合は、もちろん専門家に見せなければなりません。そこに行って入院をしたり、薬を飲んだりしなければなりません。ですが、今、お話しするのは、日常的に生活していて生じる、様々な心理的な困難です。ひどくない擦り傷は、病院に行って並ばずに、家にある常備薬で治療するでしょう。そんなことは私たちが解決できます。心理的な領域でもそのような部分が必要だということです。家庭の常備薬のように。日常的に起きるストレスや心理的困難に対処する治癒は、私たちが自ら処理できるようになるべきです。私たちがもっと上手くやれる領域があります。このプログラムは、そのような治癒の本質が何であるのかを共有します。精神科医の大部分は、人生で迫りくる一般的な心理的困難に対する専門家ではありません。精神疾患に対する知識を持って医学的な治療をする人々で、その医学的措置ができる資格証明を持っている人々です。精神科医は人間の苦痛や傷をみな解決できる訓練を受けてもいません。

多様な被害者に対する繊細な理解や配慮が必要

陳恩英 結局、セウォル号惨事の遺族のすべての隣家に、天使が住むようにするプロジェクトとも言えます。だとすれば、<隣>の核心活動の1つは、隣人の治癒活動家を養成するということです。安山地域の隣人の治癒活動家100人の養成が目標であるという話も聞きました。その他に<隣>をやっていて遺族に会いながら、特にどのような点を念頭に置いていますか?

鄭惠信 被害者グループで、特定集団に集中的に感情移入をしていると、他の集団には不本意に傷を与えたり、アンチ勢力を作ることがあって、その部分に注意深く配慮しながら活動しています。繊細に動くには、被害者グループにも様々な位相があり、その関係が複雑だということを理解すべきです。一般人犠牲者の遺族がいて、失踪生徒の家族がいて、犠牲者生徒の遺族がいます。そして生存者生徒とその両親もいて、檀園高校の先生もいます。安山地域で小学生や中学生を教えた周辺の教師たちもいます。檀園とは違いますが、中学校の時の友達がかなり死んだ生徒たちがいて、檀園高校にもセウォル号に搭乗した2年生だけでなく、1年生や3年生の生徒もいます。また、その1年生や3年生の父兄がいます。ですから、被害者群のスペクトラムがとても広いんです。そのような状況で、2年生の子供たちだけに話し続けて、2年生の父兄だけにずっと発言すれば、3年生の父兄は反感を持ちます。2年生の父兄と生存者生徒に対してです。そのような点などを考慮しなければ、さきほど申し上げたように、被害者の間に相対的な加害者と被害者の関係が再びできあがります。そして、このような問題が調和するように処理されなければ、極端な仮定ですが、3年生の両親たちが外に出て行って、生存者の両親に対するアンチ勢力になることもあるということです。そのような葛藤の輪が様々な位相で存在します。
セウォル号の搭乗者の中でも、似たような葛藤が生じます。失踪者、生存者、遺族が対策委を一緒にやっています。生存者の家族の中では、全体会議に行ってくると、とてもつらいという人もいます。遺族の立場を考えると、自分の意見や感情、考えなど、多くのことを抑えなければならないからです。生存者生徒の両親も、天刑のように負わねばならない荷物があります。生存者の子供が示すトラウマのために取り組む両親は、自分がつらいことは誰にも分からないと感じています。最近、少しずつ、子供たちが薬の処方を受ける場合が増えて、当時の話を初期よりも積極的に始めています。ですから、両親が耐えられないのです。両親たちも毎日泣きます。今までは、生還した子供が様々な問題を起こし、子供の管理をするのに話ができませんでしたが、最近徐々に本人が受けたトラウマのことを話し始めています。事故現場で子供を探す直前までの時間があります。その瞬間、自らの感情状態、そのとき自分が想像したこと、もし子供が見つからなければ、自分はどうするかという極度の不安感を、スロービデオのように、その瞬間に思い出される症状を、共通して体験しています。今までは一度も思い出させなかったことでしょう。
そのトラウマのために、両親の不安が全体的に高まっています。ですから、子供たちに統制を科するようになります。それで子供たちが心理的に退行したり、あるいは荒々しく反発したりのどちらかに行くことになります。かなり非合理的な水準まで、子供を統制する基底には、両親たちのトラウマがあるんです。両親自身の不安が統制できないから、そうなるんです。ですから、子供たちは子供たちなりに相談しなければなりませんが、両親の治療も重要なのです。ですが、このような話を遺族の前では本当にしにくいんです。遺族がこの事実を知れば理解困難ですから。遺族の立場では、どんな拷問でも、子供さえ生きているならば、100回でも1000回でも受け入れるという心になりますから。自分たちは今でもこのように戦っているが、あなたたちは子供も生き返ってきて、そんなことの何が心配なのかと、悲しい気持ちになるんです。ですが、すべての苦痛は個別的なもの、主観的なもので、自分の爪にトゲを刺さったことと、隣人の体が腐っていくことが、そう大差なく感じられるのが人間であるということを、各自が自らにあまりにも重い苦痛を有しているということを、容易ではありませんが受け入れる過程が必要です。
そしてもう一度申し上げたいのは、生存者生徒をはじめとして、セウォル号の被害者がまた2次、3次のトラウマを体験することがあってはならないということです。子供たちが追悼の様々な過程に自然に参加して、治癒の過程を経験するべきですが、そうすることが難しい障壁が存在します。たとえば、子供たちが初期に、悪性コメントでとても大きな傷を受けています。事実、子供たちが1泊2日の徒歩行進の参加の問題で、その前に数日間討論しました。遺族の両親たちが国会に行って、野宿して座り込みするのを見て、子供たちも何かやりたがっていました。自分の友達、またその両親に対してできることが何もない、だからこれでもしよう。それで徒歩旅行に参加しようというのですが、一方ではこれまでの悪性レスのために負担となり心配になるんです。当時、インターネット検索で「檀園高校」と打つと、「特例入学」が関連の検索語として出てきました。このように罵倒するので、子供たちの元気な反応が自然に出てくることが難しくなりました。そして他方では、生存者生徒の両親たちが、悪性レスで子供たちが傷つくのを見ながら、保守化する部分があります。不安や恐れのようなものも理解され尊重されるべき感情です。子供の内面状態と、両親のトラウマによる不安や恐れを考慮すれば、普段のように合理的な思考体系が作動しないということを理解するべきです。ですから、セウォル号の遺族に対する「イルベ」のような悪性レスだけでなく、生存者生徒の両親たちの消極的で防御的な態度に対して、かなり簡単に利己的で保守的だと非難されるのも少し自重してもらえたらと思います〔イルベ=韓国の2ch的ネット掲示板サイト―訳者注〕。

治癒過程は芸術的に

陳恩英 檀園高校の犠牲者ユ・イェウンさんの17歳の誕生日が10月15日にありました。先生が私に、<隣>で開かれるイェウンの誕生日会で、イェウンが家族と友達に伝える言葉を詩で書いてほしいと言いました。亡くなった子供の心に自分が果たして近付けるだろうか、自分の人生よりも大切だった子供を亡くした両親の気持ちを、どのような言葉の襞で触れることができるか、まったく自信がなくて何時間か悩みました。ですが、イェウンの心と声を入れるために、イェウンのお父さんであるユ・ギョングン氏のフェイスブックも熱心にのぞいて、イェウンが友達と春の日の桜の花の下で歌った動画や、夕方、ハンモックに横になっている写真を長時間ぼんやり眺めて過ごした1週間が、私には本当に特別で治癒的でした。そのようにイェウンの詩を書いてからは、亡くなった子供の助けと支援を受けて、ぼろぼろの世の中を、少しずつ直していけそうな勇気が生じました。私のように詩や小説を書く人々、また文学が好きな人々は、自身の体験を通じて、芸術的な治癒の瞬間にしばしば出会います。先生も、文学や芸術を単に治癒の手段や媒介として使うのを越えて、治癒の芸術性を信じているという印象を受けました。先生が「黄色い郵便配達人」の手紙作業をすること、また詩を通して犠牲者の子供の声を伝え、家族と友達が交感できるようにすることなどは、治癒過程に、文学、さらに広く、書く行為をきわめて深く介入させる作業のように見えます。芸術の治癒的能力と治癒の芸術性に対する先生の意見をお聞きしたいと思います。

鄭惠信 私は精神医学でいう精神分析という言葉自体があまり気に入りませんが、そのような機能的な接近では、人間をすべて理解できないという感覚があります。芸術こそ人をすべて理解させる1つの観点、態度だと思います。芸術的であってこそ治癒的であり、治癒的なものはみな芸術的だと思うんです。単に美術治療、音楽治療、動作治療などのことを言うのではありません。芸術治療という時の芸術は、美しさの極限状態をいいますが、ある人は音楽を聞きながら、自分の中のある種の美しさが刺激される瞬間を経験し、ある人は田舎の家を眺めて、赤ん坊の服が洗濯ロープにかかっているのを見ながら、美しさの極端を感じることができます。私はそのようなことがみな芸術性だと思います。ですから、今、このように死ぬほど苦痛で人生がめちゃめちゃになった人が、たとえば誰かがカボチャを料理して持ってきたのを見て、ふと「そうか、カボチャの季節になったんだな」と考えること、それも美しさが感じられことだと思います。そのような元気が、結局のところ、人を生かすことができるんです。そのような微細な心の動きを日常でたくさん感じれば感じるほど、完全に治癒できるのであって、分析し説明して解決法を提示することが治癒ではないということです。すべての人間は(自己)治癒的です。美しさをたくさん感じれば感じるほど、さらにそうなりますが、そのような美しさがまさに人に与える治癒的刺激だと思います。

陳恩英 治癒空間<隣>が、美しさの力で、このすべての苦痛や悲しみの意味を理解しようとする人々でにぎわったらと思います。貴重なお話しをお聞かせ下さってありがとうございます。

鄭惠信 ありがとうございます。これまでは<隣>を訪問したいという市民に、もう少し待ってくれと言っていました。遺族がこの空間に適応する時間が必要なので。ですが、そろそろ市民の訪問も問題にならないかもしれません。むしろ遺族にとって力になりそうです。(2014年10月24日/治癒空間<隣(イウッ)>にて)

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エピローグ――愛の科学のために(チン・ウニョン)

1906年、米国サンフランシスコで地震が発生し、3千人が死んで都市が焦土化した時、現場にいた作家のメアリー・オースチン(Mary Austin)は、多くの市民が家を失ったが、家庭は失わなかったと伝えた。「市民が、単に壁と家具のある場所の代わりに、家庭になるほどの場所と精神を発見したからだ」。私たちはセウォル号の惨事で子供と家族を亡くした人々のそばで苦痛をもって言う。家庭を亡くしたけど、人生を失ってはならないと。しかし、冷静にいって、私たちは、家庭を亡くした人々に、人生を続ける場所と精神を提供する代わりに、死んだ子供たちと、なんとか生還した子供たちを、みじめなほど侮辱し、事件の真実を明らかにしてほしいという家族の哀願を握りつぶしてきた。

治癒空間<隣>に入った時、私が初めて感じたのは安堵感だった。遺族が少しの間でも休み、懐かしがって、人生を続ける場所があるということをこの目で確認したからである。海の中から子供たちを連れてきた話や、子供のいない家に帰る気持ちや、真実を明らかにしようとする過程に参加することで生じる、新たな傷や悩みまで、数多くの話が流れさまよう場所だった。チョン・ヘシン先生と対話した、とりわけ明るい部屋は、格別に防音に気を遣ったという。「きちんと泣く場所さえない人たちのための場所です」と紹介した彼女の暖かい声が耳元に残る。真の繊細で詩的な配慮だと思った。

しかし、その後に続く説明はこうだった。子供を亡くして家に帰ってきた夜、両親が号泣すると、隣家でも一緒に泣いた。夜ごと泣き声が続いた。そうするうちに100日ほど過ぎると、隣家で警察に訴えたという。薄情な話のように聞こえるが、充分にそのようなことがありうる。子供を亡くした両親のことを考えれば、依然として不憫でならず、子供があのようになったことも限りなく不憫だが、翌日になれば会社に出勤して、自分の子供を学校にもやらなければならない立場では、夜中じゅう聞こえてくる泣き声をずっと聞いているのがつらいのである。そのような隣家の苦渋を理解するために、両親たちは大声で泣くこともできず、静かにしくしくと泣く。だから、彼らには邪魔されないで、いつでも駆け付けて思い切り泣ける空間が必要だった。

チョン・ヘシン先生の「隣人の治癒者」は感傷的な概念でなく、傷ついた彼らの状況をよく観察し、彼らに実質的に役立つことが何か、緻密に思いやる機敏な精神の結果である。彼女は愛の科学者だ。隣人に対する歓待と愛は、愚直なまでの犠牲的で善良な心を通じて実現されるのではない。そのような心の神秘が強調されるほど、私たちは無力感と恥辱感に陥る。少数の何人かを除けば、私たちは隣人に寄り添えるほどの神聖さを有しているどころか、生計のために愛の純潔を留保しなければならない、無力で不完全な存在だからである。私が出会った彼女は、隣家の天使になるために偉大な愛が必要だと強弁することはなかった。ただ、こわれやすい存在なので、私たちが互いに愛することができるということと、だから近くに行って愛することにも学びが必要なのだということを、彼女は言ったのである。

〔訳=渡辺直紀〕