宗教の外の人が書く宗教指導者の物語

2016年 秋号(通卷173号)

金炯洙、『少太山評伝:釜から生まれた聖人』、文学ドンネ、2016

朴素晶(バク・ソジョン)/シンガポール南洋理工大学中文科および哲学科専任講師

プロローグを読んだら敢えて書評を引き受けると簡単に承諾したことが後悔となった。最初、原稿の依頼が来た際、30余年前、文芸部の時代『創作と批評』を大事に回覧していた古い読者としての懐かしさも発動したし、一方で遠くまで請託が来たことはおそらくこちらから聞かせるに値する話もあるだろうと思って、今回、少太山の一代記を読んでおこうと決心したのである。ところが、本を読んでみると、関連知識を編集したありふれた評伝ではなかったし、原稿用紙何枚で要約して論評できる内容ではなおさらなかった。「小説のように読まれることを望みながら書いた」(453頁)という著者の金炯洙(キム・ヒョンス)の言葉に頼りながら小説を読むように一回読んで、少太山の周辺と時代を推し量りながら評伝に向かい合うように読み直し、書評のために再び読んでから始めて蛇足の話でもいくらか付け加える気がした。

評伝の主人公である少太山は円佛教の創始者である。1891年に生まれて悟りを開いた1916年から1943年までそれほど長いとはいえない、それに「民族受難の絶頂期」(57頁)に教えを繰り広げたにも関わらず、円佛教は今日、韓国の4大宗教の一つとして数えられるほど成功した土着宗教となった。水雲(崔濟愚)が東学を唱導した以来、根が地中で伸びていくように出来た新しい宗教の中で最もよく知られたし、最も正しい成長を見せてくれたと言える。韓国の全体人口数が1600万に過ぎなかった日帝強占期に、信徒の数が300万を数えたという天道教の、今日における低い認知度と比べてみれば、1917年、わずか8名の弟子を集めて組織した組合(237頁)として世の中に姿を現した円佛教は、驚くほど根気強く堅実に発展してきた。

今日、円佛教がこのように発展できた秘訣は何なのか。よく円佛教の成功原因を学校の設立と社会事業などで説明したりするが、著者は円佛教の外を観察する代わりに少太山の裏面を奥深くのぞき見る。これは著者が具体を実践する思想家の一生を描くためには「思惟の族譜を探ることがずっと重要だ」(57頁)ということを悟ったからである。もちろん資料をおおまかに飛ばしたわけでは決してない。人々には「言い表された事実の裏に隠れた意味を容易く見逃す習性」(56頁)があり、なのでかけ離れて見守っては「詳しい内幕を逃したまま安易な意訳をしやすい」(42頁)からである。よってこの本は少太山の奇異な行跡や偉大さを際立たせる代わりに平凡な聖人としての生の中へどんどんと入っていく。

この本は少太山の名前が朴成三の息子である朴鎮燮から処化に、ダンシンニムに、重彬に、そしてまたシプサンに、再び海中山というあまり知られていない別号に至るまで、繰り返して変わっていく過程を見せてくれる。そして、このように時には与えられ、あるいは自ら選んだ名前を沿っていきながら、少太山を生んだ風景および彼の悟りと実践の山場が繰り広げられる。1919年3・1独立運動が起こってまもない4月26日から9人の団員と共に百日詣でを捧げてから自決を約束するくだり(289~94頁)はそれ故絶妙である。ややもすれば世の中を騒がせる新興宗教の騒ぎとして思われかねないこの事件は、この本が案内する道を辿ってきた人々には少太山の最初の9人の弟子たちが如何にして「生まれ変わった名をもって」「全く異なる人々」となったか(294頁)を、手に取るように実感させる場面として蘇る。これを通じて「水雲の東学が生んだ弟子たちが」(288頁)起こした独立運動に対する少太山の反応に対しても、誰が正しくて誰が間違ったかという不器用な判断を下す代わりに、義菴(孫秉煕)には義菴の仕事があったならば、少太山には少太山の仕事があったことが一挙に理解できるようになる。

平凡さが特徴だということは非常に説得力がある。著者は平凡な聖人の物語をそれよりもっと平凡で取るに足らない女子、だが聖人を最初に発見したバレンイの所の物語で始める。この位になったら奇異な行跡に関する物語は悟りの初期にだけ見せる些細な挿話となってしまう。だからといって平凡な人々皆が神聖なわけではなかろう。少太山の平凡さが非凡さになれたのは、内的自我の神聖に対する自覚が全部ではなく、自覚以後の生がより重要だということを自ら見せてくれたからであろう。それによって少太山は「「えせ教主」の活劇時代」(241頁)に祈福信仰に安住する、ありふれた新興教主のように振る舞ったりもしなかったし、だからといって「近代事業家に転落」(249頁)したりもせず、「後天開闢の指導者」(251頁)として平凡な人々が「個人と個人の疎通が開かれる広大なるネットワーク」(252頁)を夢見、実現できる道を開いたのである。

神話化したアウラに眩惑されずに肉眼で見てみようとしたからであろうか。著者は如何にして平凡極まりない一個の村夫からそのような完全な求道の夢が芽生えられたかを繰り返して問い、これに対する答えとして「霊光一帯の地政学的要因」(17頁)という推測を出しておく。最初読む際はとんでもなく見えたこのような発想は、次第に少太山の生を理解する重要な軸として発展していった。人間の文化を「自然と関係を結ぶ方式によって違って形成」(73頁)されることとして深く照らしてみることによって、少太山の生から感知される「思惟の肉体性」(209頁)が彼の生まれた地域の風土と無関係ではあり得ないことが推し量られるわけである。そのおかげで評者は土着思想史の中においても最も土着化したアイデンティティを追い求めた人が、もしかしたら少太山ではないかという考えをはじめてするようになった。少太山が固執した平凡さが次の聖人になれる人々を塞ぐ障害物を取り除いたし(58~59頁)、そういう意味で聖人とはわれわれが揉まれながら生きる自然と文化生態に根を下した存在であるしかない。

著者は少太山と同じ文化圏に生きた経験が少太山を理解するに大きな手助けとなったと言う。評者が親近感を感じる文化圏でもある。評者が主に育った所はソウルの町外れであるが、母親の故郷が裡里であり、父親の故郷が釜山なので全羅道と慶尚道に懐かしさを半々ずつ抱いている。特に幼い頃、休みの時ごとに裡里に下ったりしたので、少太山を生んだ風景がよくわかりそうだ。しかし、著者はただ自分の経験に頼ったり、彼の53年の生涯だけを追跡する代わりに、少太山の生を水雲から数える120年位に計算して、再びその歳月を孕んだ1300年に及ぶ時間へと拡大することでその思惟の系譜を追跡した。また、宗教の内部者には期待しにくい観察を敢行しながらも、だからといって宗教の外で鎌をかけることでもない驚くべき平衡感覚を示している。それ故にこの本は少太山の一生を著者自身の生と結び付けて辿っていく探究の旅程に見える。

東学を始め土着宗教あるいは自生宗教はこの上なく大事な精神的資産である。それにも関わらずこれまで学界で渋い視線で眺めてきた理由は、おそらく合理的な説明を加えようとする際、生じたりする間隙のためであろう。まじめな評伝でありながら同時に豊かな小説としても読まれる『少太山評伝』は、土着思想史がどのように書かれるべきかに対するよい事例を示している。文学と哲学はルールの異なるゲームのようだ。幼い頃、文学の辺りを夢見たときがあったが、その間論理と証明の刃を研ぎ澄まそうとして忘れていた文学的叙事の美しさを改めて発見したし、哲学的探究の力に劣らない文学的物語の力を実感した。これ以上贅言は要らないだろう。くれぐれも読者の皆さんが直接読んで、著者が渡す内密な言語をそれぞれ吟味することを願う次第である。

(翻訳: 辛承模)

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読みかけのデリダ

2016年 夏号(通卷172号)

東浩紀 『存在論的、郵便的』、図書出版b、2015

陳泰元(ジン・テウォン) / 高麗大学民族文化研究員HK研究教授(jspinoza@empas.com)

まず最初に、東浩紀という人物が筆者にとってはあまり馴染みのない人物であるということを断っておきたい。書評の対象である『存在論的、郵便的-ジャック・デリダについて』(『存在論的、郵便的』、ジョ・ヨンイル訳)は勿論、彼の著書が国内でも何冊か翻訳されてはいるが、筆者は東浩紀がどんな人物か、よく知らない。率直に言えば、筆者は日本の文化界、及び学術界に関してはかなり無知な方である。韓国で多くの作品が翻訳されている柄谷行人の本を2、3冊読んだ程度で、他には西川長夫や鵜飼哲の作品、そして最近国内に紹介された佐藤嘉幸のような若手研究者の現代フランス哲学に関する研究書を必要によって何冊か読んだ程度である。

にも関わらず、この『存在論的、郵便的-ジャック・デリダについて』の書評を書こうと決心したのは、この本の内容がデリダ(J. Derrida)に関する研究であったからだ。そして、この本が20代半ばの東浩紀を一躍柄谷行人の後継者として浮上させた力作であるという噂を以前から聞いており、果たしてどんな作品であろうかという期待感もあった。しかし、その一方では、これまで読んだ何人かの日本の学者や批評家の作品がそれほど印象的ではなかったため、今回も実際は噂ほどではないかもしれないという不安感もあった。結論から言うと、この本は筆者の期待感と不安感の両方が的中したと言えよう。力作と言えるほどの長所と自分の知的成就を自ら蚕食してしまうような弱点が同時に見られるからだ。

この本は4章で構成されており、最初の文章で著者は「本書の目的は、ジャック・デリダに関する解説」(9頁)と明かしている。しかし、これは単純にジャック・デリダに関する解説書というよりは、一つの執拗な問いをベースにデリダの思想を再構成し、さらにはそれを脱構築しようとする野心が窺われる本である。この本における中心的な問いは「一体なぜデリダはあのような奇妙なテクストを書いたのか」(13頁)である。ここで言う奇妙なテクストとは、1970年代に刊行されたデリダの『散種』(La dissémination, 1972)、『弔鐘』(Glas, 1974)、『絵画における真理』(La véritéenpeinture, 1978)、『葉書』(La carte postale, 1980)などの著作のことだ。これらのデリダの著作の奇妙さは、1960年代の著作物とは違い、もはや「制度的な「論文」、「著作」の体系」を守らず、極度の実験的なスタイル、頻繁な新造語の出現、デリダ自身のあらゆるテキストに対する暗黙的な参照などによって極度に難解であるというところにある。筆者によると、このような変化は単に「理論化のコンスタティブ(constative)な形態からエクリチュール(écriture)のパフォーマティブ(performative)な様態」への転換を意味するのはなく、「デリダ自身の躓き」(15頁)を意味するのである。

では、どのような「躓き」が問題なのだろうか。そしてデリダは「何に躓いてしまったのだろうか」。この問いへの解答を我々はこの本の後半で見つけることができる。それは、1970年代の実験的なテクストを通じて「ハイデガーのように深淵を思索する「偉大な」哲学者」(263頁)になることを拒もうとしたデリダが、「デリダ派」(397頁)と東が呼んでいる転移のメカニズムに囚われてしまったということである。つまり、デリダは自分自分が師として崇拝され、自分の哲学的主題とスタイルが模倣されることによって、自分を中心とする一つの(又は幾つかの)学派が生まれること、言い換えれば自分自身が一種の超越論的な中心、不在であれば不在であるほど一層崇高な、そんな中心になることを避けるため「郵便的な脱構築」(235頁)を試みたのであるが、1980年代以降、彼はその転移から抜け出すことができなかったのだと主張している。特に東浩紀が『葉書』で詳細に分析しているのは、このような転移を巡る哲学的・精神分析的・政治的争点である。

この本の核心的な主張は、デリダの脱構築は二つに分けられるという点に集約されている。東が柄谷行人の示唆を受け「ゲーデル的脱構築」(又は、否定神学的脱構築)と名付けた一つ目の脱構築は、ある一つの体系から出発し、その体系の内在的な逆説を露にするもの、即ち「オブジェクトレベルとメタレベルの間の決定不可能性によりテクストの最終的な審級を無効化する戦略」(111~112頁)であり、特に初期のデリダの作業がこれに当てはまると見ている。そして、デリダには、これと区別されるもう一つの脱構築が存在すると東は主張しているのだが、それが郵便的脱構築である。「郵便=誤配システム」(185頁)と呼ばれている郵便的脱構築は、ハイデガー、ラカン、クリプキ、ジジェクが抜け出すことのできなかった否定神学的脱構築の限界を乗り越えるものである。なぜなら、郵便的脱構築を集約する「手紙が届かない可能性」という命題は「シニフィアンの分割可能性」(117頁)を指しており、従って「非世界的な存在を複数的で能動的に把握」(204頁)できるからである。逆に、ゲーデル的脱構築における超越論的シニフィアンは「郵便空間が招いた「幽霊的効果」、「不可能な」ものの複数性を抹消」(155頁)させた結果である。

東は、デリダ自身すら明確にしていない郵便的脱構築を作業の仮説として設定し、4章においてデリダを飛び越え、カルナップ、ハイデガー、フロイドなどのテクストを論理的脱構築と郵便的脱構築の接合という視点から検討している。そして、372頁以降からは精神分析的な「転移」の問題を提起しながらも詳細な分析へとは進まず、唐突に議論を終らせている。これは、先述したように、彼が「転移」作用から抜け出すことを郵便的脱構築の核心であると見ているからであり、デリダ、及びデリダ学派に関する議論と参照を中断すること、そしてデリダに対する読解を中止することが、「デリダ派の転移」(398頁)、即ち西洋の形而上学の体系を根源的に脱構築しようとしながらも、絶えず脱構築的な論文と著書を書くことによって、寧ろこのような形而上学の制度を持続させ、デリダを含めた脱構築思想を形而上学の一部へと同化させてしまうような結果から切り離す方法だと信じているからである。

この本の独創性は、『葉書』をデリダの思想の中心(又は、中心でない中心)として設定しているところにある。特に二つの論が印象深い。一つ目は、1章と2章におけるソール・クリプキ(Saul A. Kripke)の命名理論に対する脱構築的な読解で、ジジェクの精神分析的な批評を遥かに乗り越えた興味深い分析である。二つ目は2章と3章で展開されている郵便的脱構築に関する論であるが、『葉書』に関する分析の中では最も優れた分析の一つではないかと思われる。

その一方で、この本には明確な弱点と限界も見られる。何よりも「ゲーデル的脱構築」に対する異常な執着と思えるほど、ゲーデル的脱構築、否定神学的脱構築に関して繰り返し述べられている。しかし、その内容は非常に単純で貧困である。唯一の超越論的中心、且つ逆説でのみ表現されているため、接近不可能な中心を設定する思想が、彼の言うゲーデル的脱構築であるからだ。初期のデリダの作業(ひいてはラカンの思想)が果たしてそのようなゲーデル的脱構築へと還元されるかどうかも疑問だが、ゲーデル的脱構築と郵便的脱構築という二元論的な問題設定がデリダの思想を分析するに適当かどうかという問題には一層の疑問を抱きざるえない。そういう点からすれば、彼が「類似超越論」(quasi-transcendentalism, 翻訳本では「擬似超越論」(258頁)と訳されている)に関して、たった一度、それもゲーデル的脱構築の一つの表現に過ぎないと述べているのは非常に偏執的と言える。なぜなら、私見としては、類似超越論こそ、彼が作為的に設定したゲーデル的脱構築と郵便的脱構築の二分法を「脱構築」可能にする問題設定であると思うからだ。この本の中で議論を中断すること自体が東自身の観点では一貫した態度に思えるかもしれないが、彼がこれ以上の議論を進めたとしても、デリダ思想に関して果してどれ程多くのことを見出すことができたかは疑問である。

最後に、非常に専門的な哲学的議論を取り上げているにも関わらず、読みやすくなっているのは翻訳者の努力によるものと思われる。多少残念な点は、韓国では使われていない日本語の表現(「遡行」「閉域」「知見」「備急」など)が少なからずそのまま使用されているため、スムーズな読書を多少妨げるという点であろう。

翻訳:申銀児(シン・ウナ)

大韓民国の「隠された犯罪」と在日同胞という主体

2015年 冬号(通卷170号)

金孝淳『祖国が捨てた人々』、ソヘムンヂプ、2015年

權赫泰(クォン・ヒョクテ/ 聖公会大 日語日本学科 教授)

「暗数犯罪」(hidden crime)という言葉がある。「隠された犯罪」と言った方がわかりやすいが、辞書的には「実際に起こったが司法機関に認知されずに公式統計に集計されない犯罪」という意味である。犯罪学や犯罪統計によく登場する概念である。暗数犯罪を完全に根絶することは、もちろん不可能である。しかし司法機関の犯罪認知範囲を拡大し、被害者の声を「光のあたる領域」に引き出す努力によって「暗闇の領域」を減らせば、社会の健全さは増える。もちろん、こうした論理は司法機関、すなわち国家の「健全さ」が前提されていてこそ可能である。もし国家が「健全」でなければ、さらには犯人すなわち加害者が国家であるとすれば、どうなるだろう? 国家が犯罪行為の主体となり統治領域に属している人に拷問を加えたりその人を監獄に閉じ込めたり、ひどくは死刑にまで処したのに、その犯罪は未だ認知領域の外側、すなわち「暗闇の領域」にあるとすれば、どうなるだろうか?

じっさい、我々はこのような事例を数え切れないほど知っている。日本帝国主義の時代や反共軍事独裁政権時代に、いわゆる「国家」が主体となって起こした事件のせいで発生した数限りない人々の悔しさに接する時、暗数犯罪という言葉は、犯罪学の用語とは違ったコンテクストで思い浮かぶ。このうち最も極端な事例は、1970~80年代に起こった在日同胞政治犯事件である。母国語と母国文化を学ぶために玄界灘を渡って来た100人以上の在日同胞が、国家犯罪の犠牲者となって「スパイ」に「仕立て上げられた」。彼ら・彼女らは孤立無援の状態で当時の中央情報部、保安司、法廷が振るう野蛮な「国家暴力」を前に、想像もできない苦痛を味わった。

彼ら・彼女らの声が少しずつ聞こえ始めたのは「手続き的民主主義」が定着してきた1990年代以降である。国家の暗数犯罪を裁くためのさまざまな努力が制度的に形をなすようになり、これを「移行期の正義」という名のもとに「過去事清算」と呼ぶ。このころに作られた多くの「過去事委員会」が法的真実を明らかにし、当時の国家の「悪行」が間違いだったことを明らかにしようとした。不十分ながらもその結実は新聞記事などをつうじて少しずつ伝えられもしたが、これを体系的に整理し伝える作業は考えたほどには進まなかった。

しかし在日同胞政治犯事件に限っては、最近、意義深い二つの事があった。一つは在日同胞政治犯事件の「真実」を掘り起こした金孝淳の『祖国が捨てた人々――在日同胞留学生スパイ事件の記録』が出版されたことであり、もうひとつは本書の出版を契機に10月19日に「我々はなぜスパイになったのか?――在日同胞政治犯事件にみる韓国社会と在日同胞の生」という討論会が開かれたことである。在日同胞政治犯被害者の康宗憲、金元重、金整司が当時の状況と現在の心境を堂々とした口調で「証言」したその席は、金孝淳の本とともに国家の暗数犯罪を暴露し、そうすることで彼らの悔しさを「光のあたる領域」に引き出そうとする試みであった。

とすると、在日同胞政治犯事件をいかに見るべきか? かつて民青学連事件で投獄されたことがあり、言論社の日本特派員を経験した著者の金孝淳は、同書で「在日同胞の特殊な位置」、分断、日韓公安機関の癒着、金大中拉致事件など、数々の要因を複合的に見なければならないと語る。本書はこの点に非常に忠実だ。綿密な調査によって具体的な事実を再構成し、関連してほとんど「無知」に近い韓国の読者に在日同胞政治犯事件の真実を伝える。この意味で本書には二つの読み方がある。一つは反共軍事独裁政権下で犯された最たる人権弾圧の事例についての忠実な証言集として、もうひとつは在日同胞について「知っているようだが実際には何も知らない」韓国社会の無知を暴き、在日同胞についての理解を助ける入門書として。この二つの読み方は「我々」にただならぬ問いを投げかける。とりわけ後者の問題は在日同胞という存在が朝鮮半島に暮らす人々の歴史とどのように絡み合っているのかという問題に関連する。

もちろん、在日朝鮮人への関心は韓国社会では低いとは言えない。しかしながら印象的なのは、韓国社会で「生産」される在日同胞の存在は、ただただ日本の民族差別の対象であって、これを韓国社会と関連した問題であると認識する傾向が薄いという点である。在日同胞問題に対する一種の「外部化」戦略である。「我々のなかの在日同胞」として見る、すなわち在日同胞問題を内部へと引き込もうとする視点がとても弱いのである。評者はかつて書いた論文で解放後の韓国社会では在日同胞に対して、韓国語を話せない「パンチョッパリ(半日本人)」、朝鮮総連などから連想される「アカ(共産主義者)」、そして経済大国日本の資本主義を背景とした「金持ち」というイメージが作られており、こうしたイメージはそれぞれ「民族」「反共」「開発主義」という三つのフィルター(回路板)が作動した結果であると問題提起したことがある。

金孝淳の本は、反共というフィルターがどのように作動して在日同胞を「アカ=スパイ」に仕立て上げるのかを「我々のなかの在日同胞」という視点から分析するものであると思われる。だとすれば、著者のその問題意識を在日同胞政治犯事件が韓国社会に与える含意というレベルでどのように押し広げるべきか。これは一言でいえば、彼ら・彼女らを国家の「犠牲」になった受動的存在としてではなく、歴史に介入しようとする「主体」として位置づけることができるのかという問題である。事件の悲劇性を強調するために反共政権の暴力性に無知だったという純真さを強調し、彼ら・彼女らの選択を没主体的なものだとみなす瞬間、彼ら・彼女らが母国留学を決意してそれを実行に移すとき、また、危険を認知していながらも韓国に住み続けようとするとき、あるいは過去事委員会の調査に応じて自身の経験を証言したり再審請求によって無罪を主張するとき、彼ら・彼女らが恐怖と苦悩のなかでも一貫して捨てようとしなかった主体性の回復への渇望が、隠されたりなおざりにされる可能性があるということである。

彼ら・彼女らの決断を歴史、すなわち故国の民主化と統一に介入しようとする/介入した個人あるいは在日同胞社会の主体的努力のひとつとして位置づけることはできないだろうか? これは在日同胞政治犯事件を、狭くは韓国の民主化運動史に、広くは朝鮮半島の現代史に、さらに広くは社会運動史の世界的様態のなかに、どのように思想的に位置づけることができるのかという問題でもある。この作業が大韓民国の「成功」(政治的民主化と経済成長の同時達成)という結果に合わせて、「純粋な」民主化運動を選別するかたちで「過去」を加工・解釈して大韓民国という時空間の「汚点」を取り除くための「自負の戦略」になってはならない。加えて、「自負の戦略」に在日同胞政治犯の復権が利用されているとすれば、これは彼ら・彼女らの主体的決断を「没主体的」なものにしてしまう結果につながる。

スパイを作り出したメカニズムは今になっても大きく変わっていない。かつては在日同胞だったとすれば、今はセトミン〔北から脱北してきた定住者〕などへとその対象が変わっただけである。すなわちそのメカニズムは今なお生きているのである。だとすれば、歴史に介入しようとした主体も生きているとはいえまいか。在日同胞政治犯事件から学ぶことは、大韓民国の領土の外側にも、歴史に介入しようとする主体が生きているという、いまさらめいた気づきである。

翻訳:金友子(きむうぢゃ、立命館大学言語教育センター嘱託講師)

読者も創作も変化する時代

2015年 冬号(通卷170号)

大塚英志・宣政佑(ソン・ジョンウ) 著 『大塚英志: 純文学の死・オタク・ストーリテーリングを語る』、ブックバイブック、2015

金兌權(キム・テクォン) / 漫画家

作家になりたくて、あれこれ手当たり次第に本を読んでいた時代、ロラン・バルト(Roland Barthes)の「作家の死」という言葉を目にして全身の力が抜けるような気がした。「冗談じゃない。苦労してやっと作家になったばかりなのに死ぬなんて」。勿論、作家の死というのは、全世界の作家が同日、同時に力尽きて死ぬという意味ではない。人間が物語というものを楽しく読み続ける限り、創作活動自体が消滅することはないということを我々は知っている。しかし、我々は、作家も作品も純文学も、もはや過去のように歓待されることはないという事実も承知している。今の時代は変化の時代なのである。

変化について語っている書籍は溢れかえっているが、この『大塚英志:純文学の死・オタク・ストーリテーリングを語る』のような書籍はなかなか見当たらない。よくありがちな二つのミスを犯していないからだ。両極端の一方には変化に対する不満を示す人々が存在する。彼らは大衆の好みに合わせたものに過ぎないと新たな文化を拒む。そして、もう一方の極端には変化のパワーが如何に巨大であるかを褒め称える人々が存在する。彼らは急変する時代に生き残るためには自らも変化すべきだという、陳腐なメッセージを相も変わらぬ過剰な情熱をもって伝える。変化を無視したり、逆に変化のパワーに恐れをなしたりする、そのどちらも健全な姿には見えない。

この書籍はうまくバランスが保たれている。創作する人も変化し、創作物の内容も変化し、そして作品を受け入れる人々も変化するという、巨大な変化を拒まず受け入れている。それと同時に、その変化の過程において懸念される事柄を鋭く指摘している。恐らく、二人の対談者の豊富な知識と経験のおかげであろう。大塚英志は、「純文学の死」を主張し、話題の中心となった日本の評論家である。彼自身、漫画のストーリ作家でありながら、ストーリの作法を人々に教えるほどストーリテーリングの分野においてはエキスパートと言える。宣政佑(ソン・ジョンウ)も同く、大衆文化と現代社会への幅広い知識と深度ある理解により、日本と韓国の両国で評価されている評論家である。従って、大衆文学の動向に関しては、両氏の言うことは信頼できるであろう(いや、信頼すべきであろう)。

この書籍で取り扱われている問題には、私も普段から非常に興味があった。講演や寄稿を行う度にいつも悩まされた主題でもある。変化の様相、その過程で懸念される点、そして、克服方法という三つの論点からこの書籍をまとめてみたい。

まず最初に、現在の変化の様相である。それぞれ個人の趣向は変化するという点に両氏は注目している。細分化だの、個人化だの、「ゲットー(ghetto)」化だの、あらゆる言葉で表現できるだろうが、肯定的でも否定的でもない適当な言葉は「小さく分ける」ではないだろうか。人によって好みは違うという言葉は昔から使われている金言であるが、今の時代、それが最も激しいと思われる。しかも、それと同時に他人への好奇心はなくなりつつある。公共分野への関心も、現実社会への認識ももはや以前のようではない。

趣向が小さく分かれる現象と世の中への無関心、そのどちらの原因が先なのか、それとも第3の原因があるのかは分からないが(個人的な意見としては、「古典」と呼ばれる共通のテキストが消滅したこととも関係があるのではないかと思う)、どちらにせよ、この二つがお互いに切っても切れない関係であることには間違いない。

この変化に対して評価を下していない所にこの書籍の美徳がある。変化が事実である限り、肯定的な変化、否定的な変化に分けることは無意味なのだ。我々は、この変化を受け入れるしかない。「純文学の死」という概念も、これと同じような意味で受け入れるべきではないだろうか。しかし、勘違いしてはならない。単純に深刻な文学書が漫画よりも売れないからといって「純文学の死」という言葉が生まれたわけではない。新たな時代の大衆が、他人の出来事には関心を示さず、自分の趣向に合ったものにだけ没頭する状況で、果たして純文学というジャンルが生命を維持していると言えるのだろうか。大塚英志は懐疑的である。ただ、この問題に対する価値判断は先送りしている。作家が自分の真心を人々に伝えることができ、文学が世の中を変えることができると信じていた過去の読者(私のような)としては否定的にならざる得ないが、或る人にとっては、変化は当然のことなのかもしれない。現実世界への関心が薄れていく現象を否定的にしか見つめられないのは、ファンタジーというジャンルが成し遂げた業績を見くびることになり兼ねない。他人のことに干渉しないのは、その社会の成熟さの証でもあるのだ。

しかし、その空間を突拍子もない世界観が埋め尽くしてしまうのは危険なことである。変化の過程で懸念される事柄を取り上げること、それがこの書籍の二つ目の論点である。日本社会においてオタク(特定の分野に深く傾倒する人)の政治的な無関心に付け込んだのは、極右の世界観であった。大塚は「被害者の叙事」を例として挙げている。日本は、歴史の加害者ではなく、「被害者」であり、日本市民は日本に来て暮らしている外国人が享受している「特権」のせいで被害を受けているというのが「被害者の叙事」の設定である。歴史と政治に対する意識が爪の垢ほどもあれば、矛盾した話であることぐらいは一目瞭然だ。しかし、人々の現実への関心はどんどん薄くなりつつあるため、このような頓珍漢な被害者の叙事のパワーは一層強まっていくであろう。他人との交流も限られているため、立場の違う人がどんな考えを持っているのか、相手の身になって考える機会もない。他人の苦痛などには「アウトオブ眼中(眼中にない、論外)」なのだ。しかも、若い世代の感じる剥奪間は火に注がれた油と同じである。(宣政佑は、対談の途中や前書きで、このメカニズムが最近韓国社会でも広がっていると指摘している。納得のいく分析であり、非常に頷かされる)。

では、このような問題をどう克服すべきか。残念ながら正解はない。無理に正解を出そうとしたなら、却ってこの書籍への信頼感は薄れたであろう。しかしながら、所々に解決の糸口は見つけることができる。それを私なりに要約してみた。まず一つ目は「中途半端なプロパガンダは禁物だ」と大塚は釘を刺している。プロパガンダは作品のクオリティーを落とすだけだ。二つ目は、だからといって、現実に向かって沈黙しろというわけではない。大塚は自分の作品の中に現実と繋がっている設定、社会でタブー視されている設定を巧妙に埋め込んでおいたと告白する。趣向の壁によって小さく分けられたまま、それ以外の世界に関心をなくした受容者の世界観に破裂を引き起こせるように。非常に興味深い内容であるので、このような問題に関心のある読者には彼の創作論をぜひ読んでほしいと思う。ジブリスタジオの作品を取り扱っているチャプターはこれと対を成す批評論である(これこそ、創作と批評といえよう)。二人の対談者の洞察の深さが感じられる。三つ目は、創作のモラルとは別に、受容のモラルについて触れている点が目を引く。日本の大衆文化について、「政府がプロパガンダを強制しなくても、大衆が望めば、プロパガンダの作品は生まれる」と分析している。韓国の大衆文化は果たしてこの問題から自由と言えるだろうか。

最後に、「癒しとしての創作」に関する提言である。剥奪感に囚われたまま、自分だけの壁に囲まれた人々が創作の方法を学べば、自分の声を上げるために、不快感を与えるような白色テロの代わりに健全な方法を見つけることができるという指摘だ(少なくとも私はそう理解した)。非常に興味深い。芸術と社会の関係や、芸術の機能について述べる度に登場する、古い伝統を持った問題とも繋がっている。この主題に関しては私自身も述べたいことは多いが、紙面の都合上、またの機会に述べることにしたい。

翻訳:申銀児(シン・ウナ)

我々にもこのような哲学史を読める喜びが!

2015年 冬号(通卷170号)

ジョン・ホグン『韓国哲学史』、メメント、2015年

金教斌 (キム・ギョビン)/ホソ大学教授・東洋哲学

20年ほど前、後輩たちと韓国の近現代哲学をまとめるための会を作ったことがある。この会は、「南(韓国)の韓国哲学史も北(北朝鮮)の朝鮮哲学史も近代以前のものしかない、というのは、近代以降の韓国哲学は存在しないことなのか」という問題意識からスタートした集まりであった。10年にわたり、現代までの流れを整理しようとしたが、3年間近代期を取り上げてから進むことなく、残念ながら終わりを迎えることになった。そのあと、進めてきた北朝鮮の哲学に関する共同研究と、植民地期から解放期(戦後初期)まで活動した哲学者に関する研究をまとめて出版した本が、『講座韓国哲学』(イェムン書院、1995)で、この作業にはジョン・ホグン(田好根)教授も参加したのである。この本は、大学の教養テキストであったが、初めて、近代以後の植民地期と解放以後の南北をも現代まで取り上げた本であった。その後は、後輩たちと植民地期における愛国啓蒙運動と独立運動に参加した思想家を研究していたし、今は他の後輩たちが、韓国の現代哲学を研究している。

こうした経験を持っている私としては、ジョン・ホグンの『韓国哲学史:ウォンヒョからジャン・イルスンまでの韓国知性史の巨匠たちに会う』を接する心構えが特別である。三国時代、高麗時代、朝鮮前期、朝鮮後期、現代と分けて、時代ごとに代表的な思想家を選んで取り上げる構成であるのにも関わらず、古代から現在までを一つの流れとして解釈しながら、既存の哲学史であんまり取り上げられなかった思想家をきちんと復権させ、現代においてはパク・チウ(朴致祐)、シン・ナムチョル(申南澈)、ユ・ヨンモ(柳永模)、ハム・ソクヒョン(咸錫憲)、ジャン・イルスン(張壹淳)のような方々を全面に取り出したためである。事実上、植民地期には、親日と民族主義で分けられ、解放後にも進歩と保守の理念葛藤から自由になれない我が現実において、たとえ未完であるが現代をまとめた部分は、本書が持つ最も大きい強みであろう。

このように、優れた力作を出版できた根底には、著者が持つ優れた能力と努力があるといえる。何よりも著者は、漢文(原典)の解読力が優れている学者である。今日、東洋学を研究する中堅以上の学者の中で、漢文の原典を読むことができる人は多くない。その上、彼は、ただ漢文を現代文に訳すレベルではなく、適切でありながら、理解しやすいことばに訳す能力も優れている。なので、ウォンヒョ(元曉)からチェ・ゼウ(崔濟愚)までの29名の思想家を、原典に対する解説を中心に叙述しながらも、読者が近づきやすい本にしている。

もう一つ優れているところは、他人の学説をそのまま従うより、原典に基づき自身の基準で思想家を読み解く観点を持っており、またその観点を跡付けできる論理性を持っていることだ。「哲学ではなく、化石化した遺物程度」だった韓国哲学を、「今、生きて動いている「人生の文法」として「復元」しようとする、「序文」で明らかにした自身の意図を十分に生かしている。そのために彼は、既存の哲学史の叙述のように、「哲学の年代記」を充実に構成することよりは、ある時代を風靡した哲学者の思惟が、今日のわが人生といかに近いところがあるか」を明らかにしようとした。

本書でもう一つ注目すべき点は、東西古今を行き来する著者の知識である。著者は、東洋古典を暗記できるほどでありながらも、現在の社会現象や理論に対しても鋭利な洞察力を持っており、クラシックの音楽と写真、絵画のような分野のマニアでもある。なので、一千年前の思想が書き込まれた漢文の原典を、現代的意味として解釈することも優れていて、その考えを卓越した感受性として読み解く。そのため、三国時代の老荘思想の受容を説明しながら、ジョン・ケイジ(John Cage)の「4分33妙」を持ってきて比喩する箇所のように、様々なところで読者に発見を与えている。

本書は、2012年、著者が東大門情報化図書館で行った「ジョン・ホグンの韓国哲学史講義」(35回)の講座録取を、1年間にわたりまとめ上げたものである。なので、まるで講義を直接聞くように、生き生きと読み上げていくことができる。本書で取り上げている人物が35名であるが、中で一部は2~3名を合わせて一つの章にいるため、おそらく一つの講義に一人ずつ取り上げたと考えられる。講義の準備過程は、思想家をもっとも良く表現できる原典を探し出すことと、そうした資料を効果的に伝えられる説明論理を立たせることに力を入れたのであろう。こうして準備され整理された分量が、800頁を超える。そして最後には、叙述で取り上げた漢文の原典と人名、書名、概念語などの索引を付けている。

本書の強みの一つは、既述したように、今まで重要視されてこなかった学者もきちんと取り上げている点である。たとえば、三国時代のカンス(強首)とソルチョン(薛聰)は、既存の哲学史では少しだけの言及がある人物であったが、著者は、チェ・チウォン(崔致遠)とともに、相当な分量を割愛して紹介している。高麗時代の場合も、イ・ギュボ(李奎報)とイ・ゼヒョン(李齊賢)を各々一章にし、朝鮮時代においては、既存の哲学史において官学派と誤解され注目されなかったジョン・ドジョン(鄭道傳)を独立させ取り上げている。その上、各思想家の叙述においても、たとえば、キム・ジョンヒ(金正喜)を取り上げながら、分量の半分程度を「セハンド」に割愛したように、思想全般を取り上げるより、彼の思想を最もよく表すことができる素材を選択するのに迷いがないのである。そして、現代哲学においては、講壇哲学からスタートし、講壇の外側にいたユ・ヨンモ、ハム・ソクホン、ジャン・イルスンまでを取り上げている。著者は、この3人すべてを、基督教を背景としながらも、東洋古典学問の骨董品像ではなく、自身の考えに基づいて「時代とともに思惟」する知性の役割を見せてくれた人々、学術の限界を超え、新しい方式として伝統を再解釈し実践した人々として位置づけている。

最後に、本書の課題を挙げるなら、以下の点であろう。儒教に抑圧され発展した姿を見せることができなかったが、思想的な命脈を維持できた朝鮮時代の仏教を取り上げていないこと、そして、ハン・ヨンウン(韓龍雲)、シン・チェホ(申采浩)、パク・ウンシク(朴殷植)、ジョン・インボ(鄭寅普)、キム・チャンスク(金昌淑)のように、伝統の継承または克服の観点において考えるべき思想家たちを取り上げていないことである。これは、これからジョン・ホグン教授にかけるもう一つの期待として残しておいても良いかもしれない。

翻訳:朴貞蘭(パク・ジョンラン)

冨山一郎『流着の思想』

2015年 秋号(通卷169号)

我々、離れてきた者たち
–冨山一郎『流着の思想』、グルハンアリ、2015年。

高秉權(ゴ・ビョングォン)

『流着の思想:「沖縄問題」の系譜学と新しい思惟の方法』 1 (シム・ジョンミョン訳)が取り上げている「沖縄」という「時空間」は、私にとってとても馴染みの薄いところである。私は、そこに一度も行ったことがないし、その歴史を勉強したこともない。ところが、本書の著者である冨山一郎が、副題において「」をつけて提議している問題は、不思議なことに馴染みの薄くないものである。「沖縄問題」が「沖縄との問題」だけに見えないということ。この感覚がなかったら、私は沖縄に対して何もわかっていないまま、「沖縄問題」についてのこの短文を書くことができなかったかもしれない。

6年ぐらい前、沖縄との運命を「越南」(ベトナム)の名前として、朝鮮に送り出した独特なテキストを読んだことがあった。それは、「乙巳條約」(1905年)の直後、朝鮮に翻訳された『越南亡国史』という本だった。この本は、フランスによる「越南」の敗亡と植民地化に関する話であるが、当時の日本による、同様の運命を予感していた朝鮮人にとって大きな反響を及ぼした。しかし、この本を書いたベトナム人のファン・ボイチャウ(潘佩珠)は、これより前に日本による琉球の敗亡を取り上げた『琉球血涙新書』を書いた人だった。彼は、「琉球人」が、どのように敗亡し植民地化されたかを「越南人」に伝えようとしたのである。このように琉球の敗亡は、「越南人」に「目撃」され、「越南人」たちの敗亡は、朝鮮人に「目撃」されたことになる。「琉球人」を眺める「越南人」、「越南人」を眺める朝鮮人。同一の運命を予感したからこそ、一方では同情し他方では逃げたくなった「目撃者」。彼らに、異なる歴史という夢や、現実化されたものとは異なる歴史の可能性があったのか。本書『流着の思想』を読みながら、以前考えていたこの問いを再び思い出した。

カント(I.Kant)は、晩年に書いたある文章で、革命は「目撃者」の心から起きるとしている。言い換えれば、フランス革命は、自分のことではないにも関わらず、自分のこととして受け入れていた「見物人」(フランスのことがまるで自国のように考え支持した人々)の共感する熱情から生まれたということである。しかし、よく知られているように、魯迅は「見物人」を軽蔑した。彼は、自分のことになる可能性があるにも関わらず、他人のごとく考えている「見物人」から奴隷の形象を見つけていた。誰が正しいのか。カントであるか魯迅であるか。もちろん、この問いは可笑しい。事件の瞬間、「見物人」には、本書の著者がよく使っている表現のように、一種の「帯電」が起きるからです。巻き込まれや追い出し、固く握りしめた拳と冷や汗、プラスとマイナスのようなものが同一の運命を予感する「目撃者」に同時にできる。そのため、カントの「見物人」と魯迅の「見物人」は、まさに「紙一重の差」である。

私は、沖縄の人々から彼らをみていた「越南人」を、また「越南人」がみていた朝鮮人たちをみることができる。「沖縄」は、彼らすべてが予感していたある場所、世界の色々なところに偏在するある独特な「時空間」を示す名前ではないのか。それは、爆発的に成長していた製糖業が一挙に崩れ始めてから、いわゆる「蘇鉄地獄」以後、故郷を離れなければならなかった沖縄の人々はもちろんのこと、今、この瞬間においても、故郷や国の「喪失」を、すなわち植民地化された人生を、予感したり実感したりする人々の、その上、自国においてさえも「国のない」、捨てられたり追い込まれたりする人生を生きる人々の、「時空間」ではないのか。

「沖縄」がこうした「時空間」の名前であるとしたら、我々はそれを「国境」と呼んでも良いかもしれない。私にとって「沖縄の問題」は、「国境自体」を思考する問題(沖縄はある意味、丸ごと国境である)であり、「国境における人生」、著者が引用したホミ・ババ(Homi K. Bhabha)の表現を借りるのであれば、「国(故郷・家)においてではない人生」(unhomely lives)を思考する問題としてみえてくる。周知のように、国境から「離れてきた」人々の「時空間」である。国境に「来た」人々は、「ホーム(home)」を「離れた」人々である。彼らの留まりは、離れることからスタートし、彼らの定住は、離脱の予感の中においてだけ行われる。こうした人生の形式を、著者は「流着」としている。

ところが、「国境」を思考することは容易くない。なぜならば我々は、国境を地図に表示された「国家と国家の間に引かれた境界線」とよく混同するからである。国家間に引かれた線としての国境は、国家の中に存在する国境を思考できないようにし、何よりも国境自体が一つの「時空間」という思考ができないようにする。まるでそれは、ある「人生」の平面を折った上、そのまま封印させた「縫合線」のようである。そのため、「国境」を思考するためには、何よりも国境を一つの「面」として、それもあらゆるところで存在する「人生」の一定の「時空間」として「確保」しなければならない。

韓国にきた脱北者たちが、平均3~4年、長くは10年近くの時間を、中国などで過ごすという報告書を読んだことがある。韓国へ来るまで、脱北者にとっては、中国が丸ごと「国境」であるだろう(しかも彼らの大半は、国境を越えても、言い換えれば韓国においても未だに国境での人生を生きている)。これと同様、ある未登録移住者にとっては、韓国が丸ごと国境である。このように考えれば、国境は事実上すべての領土において、すべての時間の間に存在していると言える。すなわち、すべての領土は、常に国境である。

また、国境は「領土の外」であるが、領土(territory)が法的概念である限り、「法の外」、すなわち治外法権(extraterritorial)地帯である。だからといって国境が、国家の何らの権力も及ばない自由地帯であるという意味ではない。むしろ、その反対である。法の効力が停止された戒厳状況がそうであるように、ここでは国家権力の「超法的」な尋問が行われる。いつ、どこでも、自身が誰であるかが尋問されることができる場所、その場所が国境である。ここで身体は粒子となる。軍人の制服だけをみても、筋肉が緊張され額には汗ができる。身体は何かを知っていることに違いない。緊張した筋肉は、身体の(を)知ることであり、身体の言葉である。これは、概念以前に起きる「作用」(affect)の揺れであり(言葉以前の言葉)、精神の思惟以前に起きる身体の思惟(思惟以前の思惟)であり、身体が運動する以前に身体の中において起きる運動である(運動以前の運動)。

『流着の思想』においては、このような「言葉以前の言葉」、「思惟以前の意志」、「運動以前の運動」、「知ること以前の知ること」を確保しようとする意志が感じられる。本来、西洋語における動詞(verb)という言葉(ラテン語verbum)を意味する。ところが、私が思うに、本書が語ろうとしていることは、単純な「言葉=動詞」ではない。著者は、自分の文章に「動詞」を概念化したことが多いとしているが、私はそうして確保しようとする言葉自体は副詞(adverb)のようであるという印象を受けた。それは「言葉にくっ付く言葉」(ad-verb)であり、もっと厳密に言えば、言葉がそこにくっ付く、そのような言葉(「言葉の存在論的な新体制」)であるためである。

沖縄の人々、言い換えれば、「我々、故郷を離れてきた者たち」、「我々、国を離れてきた者たち」が、植民地化された「人生」を、仕方ない運命として受け入れるしかできない時さえも、その身体は未だに戦いが終わっていないと話している。ある違和感を出しながら、身体は絶えずここが「故郷ではない」としている。身体のこうした言葉は、ニーチェ(F. Nietzsche)が、「到来する」哲学者の言葉として考えていた「若しかすると」(vielleicht)という副詞、「根拠の根拠なさ」を疑うその不穏な仮定と予感の副詞を思い出させる。現在とは異なる歴史の可能性を、事前に排除するある不可能性の前において、疑いと問いの場所を確保することが重要である。なぜならばこの場所が、抵抗と覚醒、政治と思惟の場所であるからである。そして、この場所が未来を取り戻すこと、未来へ帰郷することを可能にさせるためである。まさにここが沖縄であろう。私は、このように解釈したのである。

翻訳:朴貞蘭(パク・ジョンラン)

Notes:

  1. 日本では2013年に出版された。冨山一郎『流着の思想―「沖縄問題」の系譜学』(インパクト出版会、2013年10月)。

地球史・平和史脈絡の韓国戦争研究

2015年 夏号(通卷168号)

地球史・平和史脈絡の韓国戦争研究
― 金學載(キム・ハクジェ)、『板門店体制の起源』、フマニタス、2015

洪錫律(ホン・ソクリュル)/ 誠信女子大学校史学科教授

この本は韓国戦争を「戦争の起源」ではなく「平和の起源」という次元から新たに接近する。韓国戦争の終結を巡った国際法的論議を地球史的次元と、平和企画という知性史的次元から分析して、よく「停戦体制」、「1953年体制」と言われた「板門店体制」の性格を照明する。
著者の金學載(キム・ハクジェ)は近代自由主義の平和企画をカント的企画とホッブズ的企画に分けて、その概念と歴史を地球史的脈絡で密度濃く述べている(第1部)。ここでカント的企画とは国連のような国際機構と国際法を基にして平和を維持する方式を言う。民族主義、国家利益より国際協力と普遍性を強調する。また、軍事同盟より集団安保(collective security)を追い求める。国際政治学で言う理想主義、ウィルスン主義がこれに当たる。その反面、ホッブズ的企画は一応人間世界で紛争と戦争は不可避であることを前提とする。軍事同盟と影響圏(sphere of influence)設定などで権力均衡を追求する、基本的に位階的で差別的な力による平和を追い求める。国際政治学で言う現実主義がこれに当たる。
著者はカント的企画とホッブズ的企画との違いと亀裂を充分に示すが、これを二分法的に思考したりはしない。両者が相互対立しながら、時には互いに重なり、結合する様相にも注目する。ファシズムとの対決で勝利することで二次大戦以後、カント式自由主義国際秩序が上昇する「自由主義的瞬間」(liberal moment)が渡来したし、これは国連の創設として現れた。だが、一方でこの時期はアメリカとソ連との間に冷戦が形成される局面でもあった。冷戦は徹底に力の均衡を追求するホッブズ的企画が圧倒したことであった。しかし、自由主義は本質的に自由の範囲とそれを享受できる人々を制限する排除/包摂の論理を内蔵している。著者は自由陣営とファシズム陣営の対立という二次大戦の二分法的国際秩序観が、再び自由陣営と全体主義的共産主義陣営の対立という冷戦構図へと繋がる側面に注目する。カント的企画も冷戦が形成されるに基本材料として作用したということである。
韓国戦争はこのようにカント的企画とホッブズ的企画が重なる冷戦の形成期に発生した。この本は戦争の終結を巡った諸般論議と政策が、戦争状況の変動によってカント的企画とホッブズ的企画へと気紛れに、非常に目まぐるしく行き来する様相を一目瞭然と叙述する(第2部)。その結果形成された板門店体制は基本的にホッブズ的企画の産物であるが、両平和企画のどちらにも完全に及んでいない「現存の秩序維持に対する周辺強大国らの強迫に依存して60年間余り持続された、不安で流動的な軍事停戦体制」(542頁、強調は著者)だと規定する。また、韓国戦争期にサンフランシスコ講和条約が締結され、東アジア各国がアメリカと両者的軍事同盟を締結しながら東アジア国際秩序が新たに再編される過程を糾明して、これもまたホッブズ的企画が圧倒したこととして見なす。現在西欧では北大西洋条約機構とヨーロッパ連合など、地域的協力が存在するが、東アジアには領土紛争など19世紀的民族主義葛藤が続く現象(「アジアパラドックス」)も韓国戦争およびその結果で作られた板門店体制と密接な関連があるという指摘である。
著者は朝鮮半島と東アジアでホッブズ的企画が圧倒する現象を、カント的企画が歪曲されたり失敗した結果として単純化するのではない。韓国戦争期における俘虜交換の過程を分析しながら、むしろカント的自由主義の根本的な限界を顕にして見せてくれる。ここがこの本で最も興味深いところである。停戦協商で国連軍側が掲げた俘虜の言わば「自由送還」原則は、自由で理性的であり、独立的な個人というカント式思考を投与したものであった。だが、そのような自由送還のため俘虜たちを審査し分類する過程は、想像を絶する惨たらしくて残忍な暴力をもたらしてきた。このような脈絡で著者は自由主義平和企画の根本的な限界を指摘しながら、デュルケーム(E. Durkheim)の社会的連帯を通した平和を代案的平和企画として提示する。
この本で多少物足りない点は「政治」の失踪である。カント式とホッブズ式企画が交差する過程は実際に超国家的に、または国家内部に存在する諸般政治・社会集団らの間の葛藤と密接な関連がある。著者は韓国戦争の起源論に焦点を置いた既存の研究が、戦争の責任を問う刑法的視角に埋没されたと指摘するが、評者としては同意しにくい。戦争の責任を問う研究が「起源」より「勃発」をより強調したという形式論理の次元で異議を提起するわけではない。戦争起源論の焦点は責任の所在よりは、戦争を発生させた葛藤の起源、またはその葛藤の性格の問題であったと思う。例えば、一般的に内戦論者として分類されるブルース・カミングス(Bruce Cumings)は、韓国戦争の起源を説明しながら戦後覇権を追求するアメリカと民族革命・土地革命を推進する韓国民衆との葛藤、またこれと共にアメリカ内部の国際協力と信託統治を主張した国際主義者(カント的企画)とアメリカの国益を力でもって一方的に貫こうとした民族主義者(ホッブズ的企画)との葛藤を描き出した。ところが、金學載の叙述では誰が、どの集団が特定の形態の平和企画を主導したかに対する言及が見られない。戦争責任論を脱するためにあまりに脱主体化した叙述をしたので、脱政治化の問題が発生する様相である。
著者は板門店体制および東アジア国際秩序が当然解決すべき政治的問題(朝鮮半島の統一、日本の植民地支配および侵略戦争に対する清算)の解決を排除したり、留保する「脱政治化」を特徴とする強調する。しかし、この本の板門店体制に対する性格規定は停戦協定とアメリカとの両者軍事同盟など、主に軍事的側面が強調されるし、一部発展主義のような経済的側面を言及するに留まる。朝鮮半島の分断は朝鮮半島内外を貫通するいろんな政治・社会集団の間に結ばれる特定の政治的関係、例えば「敵対的依存」などを通じて形成され維持される側面がある。このことに対してはこれまで談論的にも学術的にも多くの指摘があった。だが、この本にはこの点に対する説明がほとんどない。なので、この本で語っている「板門店体制」は「停戦体制」、「1953年体制」に取って代わることはできても、「朝鮮半島分断体制」に取って代わったり、これを全面的に新しく説明する用語にはなりにくいと思われる。
それにも関わらず、この本は新しい世代の韓国戦争研究が始まったという感じを与えるに充分である。朝鮮半島の問題を一国的視角ではない地球史的脈絡から接近する一方、哲学・法学・歴史・社会学などを行き来する学際的研究という側面で驚くべき大きな一歩を見せてくれる。これに関する限り、ある典範を示した著作として紹介され得るだろう。

 

〔訳=辛承模、シン・スンモ〕