韓国近代文學研究と植民主義:金哲・黃鍾淵の言説枠に関する批判的検討

論壇と現場


2010年 春号 (通卷 147号)

 

金興圭(キ厶・フンギュ)  gardener@korea.ac.kr
高麗大学校国文科教授。著書に『文學と歴史的人間』、『韓国古典文學と批評の省察』、『韓国現代詩を探して』などがある。

* 本稿の初稿は高麗大学校民族文化研究院のHK月曜集い(2010.1.11)で発表された。

1. 議論の出発点

韓国文學研究は1990年代後半の頃からそれまでの時期とくっきりと区別される、そしてそのような差別性を積極的に強調する学問的志向によって主導されてきた。この新しい潮流で批判の対象となった先行段階の問題性は、「民族という認識単位に執着した研究、近代へと向った単線的進歩史観、それからこれらを希望的に結び付けた内在的発展論の構図」として要約できる。これに対する批判は相当な説得力を発揮してあまり論争なしに学界に落ち着き、2000年代の中頃では主流的言説の位相を勝ち取った。これと併行して朝鮮後期文學研究の座標が曖昧となり、近代文學が韓国文學研究の中心として浮かび上がった。それと共に、近代文學の様々な局面は「翻訳された近代」と「植民地近代性」という概念軸を中心に新しい言説空間に再配置されている。

1960年代の後半から80年代まで韓国文学研究を主導した内在的発展論が、90年代に来て深刻な懐疑と挑戦に直面することとなったのは不可避な帰結であった。激しく浴びせられた批判の内容がすべて適切なものではなかったとしても、内在的発展論の20年間余りに渡る貢献とともに、それが産出したり越えなかった問題もまた、軽くなかったからである。これに関する論難は内在的発展論の基本志向に同意する研究者たちの間ですでに80年代から言われていたが、パラダイムの外部に完全に抜け出ない議論では換骨奪胎は成され得なかった。
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