[目次] 2016年 春号 (通卷171号)

卷頭言
新たな50年を切り拓きながら / 韓基煜

創刊50周年特別企劃_創批に望む
金鎭虎・姜敬錫 / 遅さの言語で生に近づく
金杏淑・宋鐘元 / 作家とともにより広い「運動ー場」を
李啓三・李必烈 / 再び現場から始めよう
李向珪・鄭鉉坤 / 正義を求める善良な市民の雑誌
趙孝濟・金鍾曄 / 創作につながる言説になってほしい
押川淳・金杭 / 東アジアにおける人文雜誌の未來を拓こう

特輯_大轉換、どこから始めるべきか
韓基煜 / 文学の開かれた道-歪んだ世界と主体、そして文学
李南周 / 守旧(勢力)の「巻き返し戦略」と市民社会の「大転換」企画
白英瓊 / マイノリティーの人権と韓国社会市民権の再構成
黃圭官 / はたたきと鎖の間で: 民衆詩の現在と未來
黃靜雅 / 動物的なものと人間的なもの: 文学の質問と『エリザベス・コステロ(Elizabeth Costello)』

韓国の「保守勢力」を診断する ①
[対話] 韓国宗敎の保守化、どうみるべきか—基督教を中心に/ 姜仁哲・朴露子

24人 新作詩 特選
申庚林 / 鳥の群れ
高銀 / 靴一足
黃東奎 / 最後の視神経
馬鍾基 / 新設洞の夜道
閔暎 / 白粉花
李昇薰 / 秋のいろ
鄭玄宗 / 强風が吹くと
千良姬 / 夕べの停留場
姜恩喬 / 運祚の絃___チプシンそして夜の川流れの音
文貞姬 / ガチョウ
李時英 / 兄弟のために
鄭喜成 / しかしそれが何の問題だというのか
金勝熙 / 空は公平に
李相国 / 悲しみを探して
金明秀 / 戶籍
高炯烈 / ソウルに住むK詩人へ
金惠順 / 樂浪の姫
崔勝子 / ただただ
郭在九 / 一番寒い中江鎭 1
金龍澤 / 長く思ったこと
都鍾煥 / 靑年
李殷鳳 / 仁旺山の春
金栄承 / 足のタコをこすりながら
崔泳喆 / 同感

小説
黃晳暎 / お坊さん、マンガク
李起昊 / ずっと以前のキム・スクキは
趙海珍 / 散策者の幸福
崔正和 / 青いコートを着た男
孔善玉 / ウンジュの映画(中篇)

文学フォーカス
この季節に注目すべ木の新刊 / 金素延・金正煥・白智延

作家スポットライト_ 錦姬の小說集 『世にないわが家』
全成太 / 朝鮮語の行方、ディアスポラの運命

現場_マイノリティーの目で韓国社会をみる ①
金度賢 / 障害者は大韓民国の市民であるか: 労働権と自己決定権をとおしてみる障害差別主義と市民権

寸評
李日栄 / 金基元の『改革的進步のこだま』
金仝洙 / 黃靜雅の『槪念批評の人文学』
趙一東 / 金昌南の『私の文化遍歷記』
全致亨 / 具本権の『ロボット時代、人間の仕事』
徐東振 / ゲイル・ルービン(Gayle Rubin) 『逸脫』
陳泰元 / クロード・ルフォール(Claude Lefort) 『19~20世紀における政治的なものに対する試論』
ジョン・ヒョン /  サイモン・クリッチリ(Simon Critchley) 『信頼のない信頼の政治』

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新たな50年を切り拓きながら

2016年 春号(通卷171号)

季刊『創作と批評』が創刊50周年を迎える。政論をまとめる総合文芸誌として半世紀間屈せずに精進してきたことは世界的にも稀であり、自祝すべきことだが、現在私たちの状況は創刊当時と同じく厳しいため、喜ぶばかりではいられない。ここまで歩んできた道を振り返りながら、新たな50年に臨む覚悟と今後の基本的な編集の方向性を明らかにしたい。

創批がこれまで経験してきた苦難は、戦後の劣悪な状況の中で、分断韓国の民主主義と統一のために、そして主体的な民族文学の発展のために、「創造と抵抗の姿勢を改めることのできる拠点」(「新しい創作と批評の姿勢」、創刊号)になりたいと思っていた時から予定されていたことかもしれない。その大きな決議を実践するのには残酷な試練が伴われたが、販売禁止や廃刊、出版社の登録取消、関係者の拘禁と投獄までを経験したのである。

しかし、その苦難は、創批が韓国の作家や知識人にとって誇りであり、やり甲斐となる道でもある。『創批』は頼れるところのなかった厳しい時代に、有志の文学芸術家、学者、社会運動家等の批判的知性人の発表紙面であり、当代の核心争点をめぐって活発な討論を行う公論の場であった。ここで形成された創意と公心(公正な考え)と知恵を基にして今日の創批になったが故に、創批は創批だけのものではなかったわけである。また、白楽晴創刊編集人をはじめとする歴代の編集主幹と編集委員たちの苦労はもちろんのこと、貧困や時代的迫害の中でも、我が社会がよりよい社会になるように努めてきた大衆の隠れた労力がなければ、今日に至ることはできなかったであろう。

『創批』は当代現実に適する批評・言説及び精選された作品を発表することによって、民族文学の産室であり、かつ主体的言説の生産者として成長した。この過程は順調ではなかった。西欧中心部の最新思想や文芸潮流を迅速に受け入れることを主な課業とする学問的風土に対抗し、『創批』は世界体制周辺部の民衆、それも分断国住民の立場から批評的に思惟する主体化の過程を遂行するために奮闘したからである。その苦闘の跡が数多くの論争の形として『創批』の紙面に刻まれているだけではなく、その結実はリアリズム、民族文学論、分断体制論、近代適応・近代克服の二重課題論、東アジア論、87年体制論、変革的中途主義論等の創批理論として具現されている。

そのような着実な努力と結実の過程において、昨年6月に起こった剽窃論難事態はもう一つの試練であった。創批は性急な初期対応を反省すると同時に、内部討論を通じて事態の真実に符合する立場と原則を共有し、それを最後まで守りきった。大きく見て、原則を守る対応だけが韓国文学のための道であり、今回の事態で失った読者の信頼を取り戻す最善の道と判断したのである。同時に、この事態を自己省察の鏡としようとし(「創批をめぐる剽窃と文学権力論の省察」、2015年冬号参照)、創批が「文学権力」という批判を招くほど、これまで作家と読者に権威的だったり、疎通や紐帯を疎かにしたりなどしなかったかを振り返りながら、今後韓国文学によりいっそう献身する覚悟を決めるようになった。

創刊以来『創批』を牽引してきた編集員が退任し、新たな50年を始める私たちは、文学中心性を強化することを主な編集方向としたい。「文学中心性」の強化とは、一次的には政論誌を兼ねる『創批』の文芸誌としての役割を強化する方向、つまり作家・読者との交流や疎通をより活性化し、紙面で文学部門の創作物や批評の比重を増やすことを意味する。またそれは文学精神を強化するという意味でもある。この際の文学とは、現実との関連性より純粋な美的価値を志向する文学主義、あるいは、ある大義を特定の方式で実現しようとする理念的な文学ではなく、両者の偏向を克服し、同時代の人々の生活や未来に開かれている文学である。したがって、「文学中心性」の強化に社会科学から自然科学までを包括する総合的学問としての人文学が参加するのは当然である。『創批』は今後文学批評と社会批評の共通の「批評的」根源に基づき、我が社会の重要な懸案と核心課題に対して文学・人文社会共同の作業を試みていきたい。

いま一つの編集方向は「現場性の強化」である。この方針は、40周年の時に提起された「運動性の回復」と「創批式作文」を継承・深化しつつ、既得権の外で周辺化された人々の生活の現場を覗き込み、彼らの語りや観点を傾聴するだけではなく、その立場から我が社会全体を省察してみたいという趣旨である。この作業を効果的に推進するために、従来の「論壇と現場」欄をそれぞれ別途のコーナーとして独立させ、その性格に合わせて論文を配置していきたい。また運動性と現場性の強化の編集方針に従い、今号から二つの連続企画を始める。一つは、少数者の生活が如何なるものなのかを検討して少数者の目で韓国社会を眺める企画であり、いま一つは、我が社会の既得権の守護勢力である保守・守旧勢力の実際を解剖する企画である。

私たちの生活は、現在3つのレベルの体制−87年体制、分断体制、資本主義世界体制−上の危機に直面している。市民の力で勝ち取って建設した87年体制が新たな体制へ跳躍するばかりか、むしろその水準にも至らない体制へと帰結する危機、南北関係の悪化によって分断の韓半島が南北共同の禍を被り、またはそれぞれもっと悪い状態へと転落する危機、そして人類と地球全体を危険に陥らせる資本主義世界体制の危機がそれである。私たちの目の前の危機が、このように少なくとも3つの層位が重なったものであるため、ここで活路を求めることは高度な能力や知恵を要する。このような三重の危機を乗り越えることこそ、創批の新たな50年の主な課業であろう。私たちは、過去50年間積み重ねてきた経験やノウハウを基にして、もう一度有志の知恵を集める実践的集団知性の求心であり、かつ大転換を成し遂げる「創造と抵抗の拠点」になりたい。この困難な道を勇敢に、そして真心を込めて乗り越えていくことが、険しい道を先に歩んできた先輩たちと、今日の創批をつくってくださった多くの方々に対して恩返しできることだと信じる。

「50周年特別企画:創批に願う」には、本誌の編集委員6人が国内外の文人や研究者、市民運動家、編集者等に会い、これまで『創批』を読んできた所感と評価を盛り込んだ。本誌とのご縁や注目する部分はそれぞれ違うが、共通するのは創刊以来本誌が自任してきた「創造と抵抗の拠点」としての役割が依然として有効であり、最近はより切実となったという点である。各自の現場で熾烈に活動する方々からいただいた愛情の込もった苦言と編集方向に対する提言をすべて大事にし、新たな50年の土台にしたい。インタビューに応じてくださった6人の方に感謝申し上げる。

特輯「大転換、どこから始めようか」では、現在私たちが直面している時代逆行的で、重層的な危機の基本的な性格を文学と政治・社会の具体的な文脈から細心に検討することによって、反動的流れの中でも大転換を成し遂げる手がかりを見つけ、実践的課題を提示したい。韓基煜は、何の前提もない文学の開かれた道を歩む時こそが創造的可能性を掴み、時代の真実が明らかになると力説しながら、私たちが生きるねじれた社会を正す変革的主体の問題を提起する。続いて、文学のアトポス(Atopos、非場所)論に至る最近の文学論議の流れを考察し、白無産の詩とキム・グミの小説をはじめとする現在の韓国文学が、資本主義体制の根本を省察しながら時代的生活の真実をあらわす文学のアトポスが具現される現場であることを見せてくれる。

李南周は、現在韓国社会の危機局面が、分断体制の維持に死活をかけた守旧勢力の挑戦に対して、民主改革勢力がきちんと対応できていないところに起因していると強調する。民主的ガバナンスを段階的に壊す守旧勢力の「漸進クーデター」に対抗するためには、野党陣営と市民社会が87年体制の克服をはじめとする「大転換」の企画を共同で立てていくと同時に、来る総選挙でそれぞれ自分の役割を充実に移行しなければならないと力説する。ペク・ヨンギョンは、1987年以来我が社会で成長してきた少数者運動と論議が最近の民主主義の後退の中で攻撃されていると診断し、少数者運動と論議を人権保護レベルに限定する傾向をその原因として指摘する。我が社会において「市民」は誰であり、「人権」の適用を制約するのは何かを問いただすことを通じて、少数者の人権・市民権が韓国社会全般の転換と結び付く核心課題であることを主張する。

ファン・ギュグァンは、1980年代に繁盛し、いまは退潮したようにみえる民衆詩の面々を再検討する。イム・ソンヨン、ソン・ギョンドン、パク・ソラン、白無産等、最近発表された注目すべき民衆詩と「詩と政治」論議を一緒に扱いながら、民衆詩の本質が政治的プロパガンダと事実再現の枠から脱し、民衆の潜在力を原始言語の自由な力で表現するところにあると強調する。黄静雅は、文学が倫理的・知的課題を担う模範としてJ.M.クッツェーの長編『エリザベス・コステロ』を論じる。この小説で露わになる動物性と人間性の境界に注目しながら、動物に対する認識と態度の変化が結局私たち自身を見る観点の変化と絡みあっていると、それゆえ、人間と生活の根本的転換に向けた話題を抱いていると指摘する。本誌は今後も世界文学を本格的な批評レベルで取り扱う予定である。

なお、「創作」欄も50周年を記念して豊富に用意した。今年の「詩」欄は韓国詩壇を代表する詩人100人の新作詩で飾る。春号では、その第1次分として24本を掲載する。多彩で壮大な韓国詩の足跡を鮮明に表すために、登壇順に配置したことを明かしておく。「小説」欄ではこれまで長編執筆に専念してきた黄皙暎の新作短編を載せる。現代史が生んだ傷痕と治癒の可能性を描く、日常的で淡々とした筆致がむしろ毅然としている。イ・ギホ、チョウ・ヘジン、チェ・ジョンファの短編もそれぞれ固有の語法や個性で紙面を豊かなものにしてくれる。なお、本誌を通じて中編『種火』で登壇した孔善玉が実験的な作風の中編をもって再び読者を訪ねる。「小説」欄は今年1年間、中短編特集にする予定である。

今年の「文学フォーカス」は、詩人のキム・ソヨンと評論家の白智延が担当する。その初回のゲストとして、詩人であり、かつ小説家、評論家等の全方位的活動をしてきたキム・ジョンファンが参加し、近作詩集と小説集6冊について興味深い討論を繰り広げる。「作家スポットライト」では小説家の全成太が小説集『世にない私の家』で注目された中国同胞(朝鮮族)作家のクミをインタビューし、作家の履歴や素材に隠されやすい作品世界を細心に検討する。
「対話」は、韓国の「保守勢力」を診断する連続企画の初回として韓国宗教文化研究の権威者であるカン・インチョルと、宗教分野でも活発な著作活動をしてきた朴露子がプロテスタント問題を中心に韓国宗教の「保守性」をめぐって行った討論を地上中継する。二人の討論から韓国宗教一角の守旧的な理念性の問題を十分に実感することができよう。「論壇と現場」から分離独立した「現場」は、少数者の目から韓国社会を見る連続企画の初回としてキム・ドヒョンの論文を載せる。理性主義と労働能力中心の近代社会から疎外されてきた障害者が完全なる政治的権利を獲得することが、平等と自由に基づく新しい連帯の実験であることに違いないことを主張する。「寸評」欄も丁寧に構成した。一々紹介はできないが、ご尽力いただいた筆者の皆様に御礼を申し上げたい。本誌の自慢の一つである「寸評」欄は今後も継続し、より発展させていく予定である。

大学生文士たちの登竜門である大山大学文学賞が第14回を迎え、当選作を発表する。お祝い申し上げるとともに、今後韓国文学における期待の星として成長していただきたい。
創刊50周年を機に、発行人と編集員、編集主幹をはじめ、編集委員会が改編された。白楽晴編集員と金潤洙発行人、そして白永瑞編集主幹が退任し、カン・イル創批代表理事が発行人兼編集員を、韓基煜が編集主幹を、李南周が副主幹を担う。新任発行人兼編集員は本誌の発行に関する法的な責任と財政的支援を担当し、編集権は編集主幹を中心とする編集委員会に一任する新しい体制である。編集委員としては崔元植とコ・セヒョン、李章旭が退き、若手歴史学者のキム・テウと文学評論家のハン・ヨンインが合流する。白楽晴は名誉編集員、金潤洙と白永瑞、廉武雄、李時英、林熒澤、崔元植は編集顧問を担うこととなる。これまで労苦を惜しまなかったすべての方々に御礼を申し上げるとともに、新しい編集団を組織して新たな50年を迎える創批に対する読者の皆様からの叱正と変わらぬ声援をお願い申し上げたい。

韓基煜

訳:李正連(イ・ジョンヨン)

〔対話〕韓国宗教の保守性をどう見るべきか――プロテスタントを中心に

2016年 春号(通卷171号)

〔対話〕韓国の「保守勢力」を診断する(1)
韓国宗教の保守性をどう見るべきか――プロテスタントを中心に

姜仁哲(カン・インチョル)韓国・韓神大宗教文化学科教授。著書に『韓国キリスト教会と国家、市民社会―1945~1960』『戦争と宗教』『韓国プロテスタントと反共主義』『韓国の宗教、政治、国家―1945~2012』など。

朴露子(パク・ノジャ)(ロシア名:ヴラジーミル・ティホノフ)ノルウェー・オスロ国立大東アジア学および韓国学教授。著書に『あなたたちの大韓民国』(全2巻)『白い仮面の帝国』『私たちが知らなかった東アジア』『私を裏切った歴史』など。

 

*この記事は2016年1月5日から29日まで朴露子と姜仁哲、二人の対談者が電子メールで交わした対話を纏めたもので、二回行われた書信交換を基にして作成された–編集者。

進歩と保守、プロテスタントの分岐

朴露子 『創作と批評』誌は今号が創刊50周年記念号です。このように意味深い場で、韓国のプロテスタントについて、この分野の専門家である先生にお聞きし、ともに韓国的近代、資本、そして宗教という大きな脈絡と結びつけて議論する機会ができてとても光栄です。『創作と批評』で、私どもの対談に続き、韓国社会の保守性の問題を持続的に扱っていますが、後続の議論も興味深いと思います。私は韓国仏教を専攻してきましたが、プロテスタントについては事実、門外漢に近いです。ひとまず総論的な部分から申し上げるならば、たいてい仏家の中では「仏教近代化の失敗」をしばしば嘆いたりするのをご存知でしょう。どうしても近代民族主義・民主主義の発展に寄与した僧侶といえば、萬海・韓龍雲(ハンヨンウン)(1879-1944)の他にほとんどいない仏教の立場では、プロテスタントの境遇がうらやましいということはあります。初期の民族主義活動家を見れば、金奎植(キムギュシク)(1881-1950)、徐載弼(ソジェピル)(1864-1951)、安昌浩(アンチャンホ)(1878-1931)から始まって、プロテスタントの寄与度が目につきますし、病院や学校設立などで物質的・制度的近代化に寄与したのも、ひと目ですぐにわかります。また1970~80年代の社会運動では、民衆仏教より民衆神学の比重の方がはるかに大きかったので、「プロテスタント」と「モダニティ」を同一視する態度も、ほとんど常識になっているだろうと思います。競争者と言える他宗教の立場でも事実そうです。
ですが、一面から見れば、プロテスタントにはそれぞれ異なる2つの宗教が存在するようです。一方では少数ですが、ハンベク教会などに代表される民衆神学のキリスト教、すなわち急進的なキリスト教と、やはり一部ですが多少自由主義的な傾向の牧師がいます。ですが、残りの、すなわち「一般」のプロテスタントを見ると、まったく異なる構図があります。たとえば、基本的な信仰形態の次元では、そのような「一般」のプロテスタントが、果たしてそこまで現在的な意味で「近代的」なのか、すなわち、他の韓国の諸宗教とそこまで異なっているかという問いが自ずと出てきます。事実、科学的合理性が確立された近代では、「神に祈って、お供えを捧げて、福を得る」という「交換型接神」というか、一種の恩恵授与/恩恵的絶対者との関係というようなもの自体が、どの程度、依然として意味があるのかと自問することができます。伝統的な「祈禱」というものが、結局、自身の恐怖心ないし不安心理を鎮める心的装置であるということも、宗教人は概して認識するでしょう。そのようなことならば、祈禱も瞑想も心を鎮めることも、様々な方法で可能ですが、祈るとしても、これ以上、その祈禱が超自然的効果をもたらすとは信じないのが「近代」ではないかと思います。近代、特に資本主義後期の都会人の宗教とは、結局「心の調節」の一方式として位置を占めるというのが、宗教学における定説のように思えます。ですが、韓国のプロテスタントは、先に言及した仏教などとさほど異ならず、依然として「祈禱」と「恩寵」の宗教のようです。すなわち、伝統社会や近代の都会の消費社会の発達以前の、近代初期的な「超自然的な力への依存、また物質的恩恵の授与期待」という集団心理をそのまま保有しているようです。このような祈福宗教としての韓国のプロテスタントの、さほど「近代発展的」でない姿について、その中では果たしてどのように認識しているのか、また学術的にどのように解明するべきか、ご意見をお伺いしたいと思います。

姜仁哲 私も、やはり朴露子先生と、意味深い対話の機会を持つことになり、とても光栄です。朴先生のおっしゃる通り、祈福主義の信仰がプロテスタント全般に広まっていて、それが近代社会と齟齬をきたして、様々な否定的結果を生んでいるのも事実です。ただ、この主題を本格的に扱う前に、これまでの数十年間、韓国プロテスタントの核心的な特徴として定着してきたこと、あえて名付けるならば、「2つのプロテスタント」現象と呼べることについて、あらかじめ言及しておくのが、不必要な誤解や議論を起こさないための一助になるだろうと思います。韓国社会のプロテスタントが、単一でも同質的でもないということは広く知られた事実です。同じキリスト教でありがらも、韓国に伝来してからずっと単一教団体制を維持してきたカトリックとは対照的な、プロテスタントだけの特徴でもあります。プロテスタントの教派主義は、布教初期から有名でしたが、1950年代以降も教派分裂を続けて体験し、より一層激しくなりました。文化体育観光部が把握しているところでは、2008年現在、プロテスタントとして分類される教団の数はなんと291か所に達しています。様々な類型化の方式が可能ですが、政治的・社会的指向を基準とみなす場合は、プロテスタントを2つのグループに分けるのが有用かと思います。換言すれば、これまで半世紀の間、政治・社会的に明確に区分される、プロテスタント内部の二つの流れ、ないし勢力が、葛藤的に共存してきたと見るということです。

 

保守優位への勢力関係逆転

 

姜仁哲 私の判断では、韓国で「2つのプロテスタント」現象が明確に現れ始めたのは1960年代後半からでした。それ以前は、プロテスタント内部で神学的・教理的な違い――主として自由主義的な進歩神学と原理主義的な保守神学の間の違い――がますます顕著になりましたが、政治・社会的な指向の面では特別な違いが見られませんでした。したがって、この時期には「神学的進歩性」が必ずしも「政治的進歩性」を意味してはいません。その反対も同じでした。むしろ現世的な救援と教会の社会的責任を強調する進歩神学(参与神学)の方が、親日・親独裁など、退行的な政治活動にさらに積極的に出る可能性が高かったのが事実です。参与神学の空虚さとでもいいましょうか、社会参加・政治参加を支持する参与神学は、一種の器のようなもので、その中には最も反動的な内容物から、最も急進的な内容物まで、すべて入れられるということです。
そうするうちに、1960年代に政治指向の分化と神学的・政治的指向の収斂という2つの変化が重なりながら、「保守プロテスタント」と「進歩プロテスタント」という二大勢力が姿を見せることになります。以降、保守と進歩陣営は、それぞれ自らの政治・社会的な立場を正当化する、洗練された神学的基盤さえ備えることによって、比較的一貫した態度を維持することになります。韓国キリスト教教会協議会(NCCK)を中心に結集した進歩プロテスタントが、反体制的な民主化運動・人権運動・民衆運動に出た反面、保守プロテスタントは、表面では聖俗二元論―政教分離論を前面に出しながらも、既存の体制に対して支持と順応の態度を示したのが、1960~80年代の支配的なパターンでした。興味深いのは、プロテスタントの70~80%を占めるほど、保守プロテスタントの量的優位が明白だったのですが、この時期に韓国プロテスタントを対外的に代表したのは、少数派である進歩プロテスタントだったということです。保守プロテスタントを構成する教団の分散性・分裂性・非組織性と対照的に、進歩プロテスタント勢力は固く結束していましたし、世界教会協議会(WCC)や外国系宣教会など、プロテスタント国際ネットワークも掌握していました。もちろん、当時、NCCK内部にも保守指向の人々がかなり多く存在しました。しかし、軍事政権との激烈な衝突で犠牲者が続出する状況において、彼らは自らの保守の声を自制しながら、進歩的少数派に「静かな同調」を示すような状況でした。このような要因が「抵抗的少数の主導性」を後押しし、それによって当時のプロテスタントの社会的イメージも進歩側により近い形で形成されました。
ですが、韓国社会が民主化の履行期に入った1980年代末から、保守と進歩のプロテスタント間の勢力関係が逆転し、それによって韓国プロテスタントの対外的代表性も、プロテスタントに対する社会的イメージも、すべて保守の側に明確に傾きました。1960~80年代と、保守と進歩のプロテスタントの間の量的な格差は一層広がりました。この期間の保守的な教団および教会は、進歩的な教団・教会に比べて、はるかに早い量的成長を謳歌しました。また、この時期に多くの教会が世界的な超大型教会に成長しました。たとえば1993年にアメリカの雑誌『クリスチャン・ワールド』が選定した「世界50大プロテスタント教会」のうち、半分近くの23か所が韓国の教会でした。同年に信者数70万人を超えて世界最大の教会としてギネスブックに載った汝矣島(ヨイド)純福音教会をはじめとして、世界最大の長老教会、世界最大の監理教会がすべて韓国にあります。ですが、この超大型教会のうち「進歩プロテスタント」指向はたったの1つもありません。
これまで30年間、韓国のプロテスタント界で起きた変化は、「保守ヘゲモニーの拡張」として圧縮的に表現できます。その要因として4つのことがあげられるでしょう。最初に、保守プロテスタントの組織力が前になく強くなりました。特に1989年に創立された韓国キリスト教総連合会(韓キ総)が、分裂した保守プロテスタントを強く統合する求心体として登場しました。2つ目に、NCCKの内部でも教会と国家の衝突の時期に沈黙した保守派が、「独自の声」ないし「自ら権利の獲得」に出ることによって、進歩的少数派の位置づけをより一層萎縮させました。3つ目に、NCCKが1996年に保守教団であるキリスト教大韓ハナニム義聖会――汝矣島純福音教会に代表される――を会員として迎え入れることで、NCCKの内部でも保守ヘゲモニーが確固不動の現実となりました。4つ目に、韓キ総はNCCKとのプロテスタント代表性競争でますます優位に立つことになり、このような状況を背景に、2000年代初めは成功しませんでしたが、NCCKを最初から吸収・統合しようと試みるほどになりました。NCCKがアメリカなど西洋の教会の支援減少で財政難に苦しむなかで、2000年代以降、保守プロテスタントが組織や財政など、ほとんどすべての側面で進歩プロテスタントを圧倒することになりました。
私たちが見逃してはならない1980年代末以降の他の変化は、保守プロテスタントが従来の聖俗二元論・政教分離論を捨てて、直接的な社会参加・政治参加の路線に旋回したという事実です。まさに韓キ総が、保守プロテスタントの社会参加を主導し、盧武鉉(ノムヒョン)政権がスタートした2003年初めからは、都心の広場で大規模集会やデモを行う「政治的行動主義」の段階へと進みました。実際に超大型教会2~3か所が力を結集すれば、数万人が参加する時局的な祈禱会の雄壮なスペクタクルを作り出すことも、さほど困難ではありません。これらが政治の舞台に頻繁に出現することになり、自然と保守プロテスタントが報道機関や大衆の集中的な関心を引くこととなりました。これを背景に「宗教権力」言説も登場しました。「愛国キリスト教」という保守マスコミの賛辞があふれる中で、保守プロテスタントは(延べ人数が多い、在郷軍人会、自由総連盟や他の政府系団体を除いて)「市民社会の最大の保守勢力」として華麗に登場しました。このような現実を勘案して、今回の対話でも「2つのプロテスタント」という現実に留意し、議論の焦点を保守プロテスタントの方に合わせたらいいだろうと思います。

 

祈福主義の拡散と韓国的資本主義への包摂

 

姜仁哲 このあたりで、本来の主題であるプロテスタントの祈福主義の信仰の問題に戻ってみます。祈福主義に対する学界の関心は、ほとんどその歴史的な祈願の問題に注がれています。これと関連して、外来宗教であるプロテスタントが、朝鮮の現世求福的な宗教文化と出会って、土着化ないし文化接触を経る過程で、独特の祈福主義信仰が形成され広がったというのが、最も広く知られた見解のようです。この場合、プロテスタントの祈福主義の信仰の開始は19世紀末まで遡及するわけです。ですが、私が見たところ、韓国の伝統的な宗教文化が果たして現世求福的なものかは疑わしく、同じキリスト教でありながらも、プロテスタントより100年も先に入ってきたカトリックでは、なぜ祈福主義の論議が少ないのかを説明することも困難です。ですから、祈福主義信仰の起源を、植民地期の外国人宣教師の聖俗二元論・政教分離主義に求める方が、それなりに少しはより説得力があるのではないかと思います。宣教師が聖俗二元論・政教分離を前面に出して、現実参加自体を罪悪視するので、来世指向的な神秘主義や現世指向的な祈福主義など、内向的で個人主義的な信仰形態に流れやすかったのではないかということです。
ですが、私が見るところ、プロテスタント祈福主義が本格的に拡がったのは、解放後、特に急速な産業化が進んだ1960年代からのようです。要するに、プロテスタントの祈福主義は、時代に遅れた「前近代的」な信仰形態ではなく、むしろ「韓国的近代」に成功裏に適応した信仰形態である可能性が高いということです。1960年代の韓国では、聖霊体験を通じた再生を強調しながらも、健康や財物のような現世的祝福を同時に強調する、新五旬節主義(neo-pentecostalism)信仰が早く広がります。世界最大のプロテスタント教会に成長した汝矣島純福音教会の趙鏞基(チョーヨンギ)牧師の「三拍子救援論」や「三重祝福論」が代表的な事例ですが、イエスを信じて救援される霊的祝福が、財物・物質の祝福、治癒・健康の祝福まで伴うという救援論です。富の追求が貪欲で非難されるどころか、神の祝福の証拠として肯定的に再解釈されるなかで、韓国プロテスタントは「富と健康の宗教」として再生したのです。1970年代以降、プロテスタントは富裕層の地域でとりわけ勢いを示しています。先に韓国のプロテスタント教会特有の「超大型化現象」について言及しましたが、大型化した教会は、ソウルの汝矣島(ヨイド)・江南(カンナム)・盆唐(ブンダン)新都市など、首都圏と全国大都市に広がっています。2000年代以降に発表された韓国上場会社協議会の年例報告書によると、「上場企業役員の典型」は、「ソウル・江南に住む50代の男性プロテスタント」であり、宗教を持つ上場会社役員の半数ほどがプロテスタント教会の信者でした。
祈福主義は、このように韓国的近代に適応した信仰形態のみならず、プロテスタントが「韓国的な資本主義秩序」として、一方では適応し、他方は捕獲されたことを立証する指標です。資本主義秩序における適応と捕獲というこの側面は、私たちが個人――祈福主義的な個々の信者――よりは、集団や組織、すなわち教会に注目する時、はるかに鮮明に見られます。上層階級の構成員が教会組織の上層部を占める形で、資本主義的な階級秩序が教会の中にそっくり移植・再現されています。また、祈福主義という肥沃な土壌の上で、市場論理が宗教の領域に深く浸透しながら、宗教の商品化および産業化の傾向が広がっています。教会がますます企業組織と似てくる「教会の企業化」の様相も、また様々な姿で見られます。ある人たちは、教会を株式会社(霊魂株式会社)と遠回しに言いますが、多くの大型教会はむしろ財閥体制に似通っていくようです。一部の超大型教会の実質資産価値が数兆ウォンに達したり、「愛の教会」が礼拝堂の建築だけで2千億ウォン以上も注ぎ込んだ事例に確認されるように、超大型教会の資産と資金動員力は莫大なものです。多くの超大型教会が、宗教領域の内部では、あちこちに支教会(支聖殿)を立てて「垂直的系列化」を達成し、宗教領域の外部では、新聞・放送社、大学・学校法人、民営刑務所、社会福祉機関、病院、納骨霊園などを設立・買収して、「水平的系列化」を達成することによって、財閥のようにタコ足的に拡張を続けています。教会信者の共同資産であり公的資産である教会を私有化して、家族に世襲し、引退後も元老牧師として残って権力を行使するのも財閥と似ています。会社の資金を思いのままに使う財閥の会長のように、担任牧師が何の干渉もなく教会の資金を使うのも同じです。
多くの教会が、乳児教育機関、教育館、駐車場、教会墓地・納骨堂、修養館などを完備した「規模の経済」を追求することによって、宗教市場における競争力強化を企てていますが、この競争の敗北者は(他宗教の教会でない)近隣地域の群小プロテスタント教会になります。プロテスタント教会が停滞ないし退歩を始めた1990年代以降も、小型教会の信者が大型教会に「水平移動」するに伴い、大型教会がより一層肥大化して、ますます裕福となり、貧しい教会はますます貧しくなる、教会の格差拡大が深刻化しています。結果的に、周辺のプロテスタント教会が、協力対象でなく競争相手と見なされるわけですが、プロテスタントの内部ですら市場競争の論理が貫徹されたのです。この他にも「教会ビジネス」に過ぎない教会売買が盛んに行われ、前任者に餞別という名目で巨額の金品を提供して、担任牧師の地位を事実上買収する行為も広がっています。韓国プロテスタント特有の深刻な教団分裂のために、多くの教団が財政的に貧しくなり、若い聖職者が教会を新設しようとしても、教団から何らの財政的支援も与えられません。このような状況で、ひたすら自分の力だけで、すべて自己責任の下で、耐えがたい巨額を投じて教会を開拓した若い牧師は、切迫した生存圧力のためにも、自然とビジネスマインドや投資・収益の観点に染まりやすいのです。幸いにも教会の量的成長に成功する場合、この教会の牧師は、結局、教会を自らの私有物のように考える可能性が高いでしょう。

 

排他性の根源、「霊的戦争」論

 

朴露子 政治的次元で「モダニティ」とは、おそらく今日の意味では、たとえば自由主義、手順を踏んだ民主主義、国際平和や多様性尊重、および他者理解にあたるのではないかと思います。資本主義後期である今日において、伝統的なキリスト教地域の中心である立場から見るならば、やはり「十字軍」のようなイスラム観よりも、キリスト教とイスラム教の共存を模索する方が、より近代的であるでしょうし、総動員式の権威主義秩序よりも、各自の権利を保障できる自由民主主義的な秩序の方が近代的でしょう。ですが、韓国のプロテスタントの場合、数多くの保守教会の立場はこれと正反対です。韓国の主たる「他者」である北朝鮮に対しては、「理解しようとする」立場というよりは、攻撃的な布教などで、北朝鮮の主体(チュチェ)思想をキリスト教に変えようという攻勢的な立場で、手順を踏んだ民主主義や自由主義を軽視してきた朴槿恵(パククネ)政権を支持しながら、朴正熙(パクチョンヒ)政権の総動員型の権威主義に対してはまったく批判しません。やはりプロテスタント集団の内部におけるこの部分に対する意識や、これをどのように分析できるか伺ってみたいです。

姜仁哲 ご指摘に深く共感します。概して韓国の保守プロテスタントは、グローバル時代の規範である、寛容と共存の多元主義的な倫理とは距離が遠いです。彼らは絶えず、他者を、ひいては「他者の他者」を作り出し、否定的な烙印を押し、呪いを振り撒いて攻撃的態度を示します。いったいどうしてこうなるのでしょうか。私は保守プロテスタント教会の信者の間に広く広がった「霊的戦争論」(spiritual warfare)がこれと深い関係があると思います。霊的戦争論は、善悪二元論に基づいた、私たち/彼らの対立の両極端の世界観、戦争という状況の定義、そしてこの世における霊的戦闘は、究極的な善/悪、および真/偽の巨大な力が衝突する、「宇宙的戦争」の一部であるという認識などで構成されます。霊的戦争論から見る時、韓国プロテスタントが韓国内外で戦うべき主敵は、断然、共産主義とイスラム教の2つです。韓国国内ではときおり仏教や同性愛も、プロテスタントのライバルないし敵の位置に置かれるようです。左翼、ムスリム、仏教徒、同性愛者はすべて「悪の霊」の支配下にあると見なされます。ですが、サタン・邪鬼のような邪悪な霊の操縦を受けたり、その手先の役割をしている人たちとは、対話や妥協・共存の努力自体がまったく無駄で危険とされるので、このような論を内面化した信者のアイデンティティは、「霊的戦死」や「潜在的殉教者」にならざるを得ません。
特にムスリムに対する好戦的な態度は、保守プロテスタントが主導する海外布教と関連が深く、そのような面で比較的最近見られる現象です。韓国プロテスタントの海外布教は1980年代末から急激に活性化し、2000年代初からは、韓国プロテスタントがアメリカに続いて「世界第2位の布教大国」になったという報道がありました。2009年末には、いよいよ「海外宣教師2万人時代」が幕を開けることになりました。急膨張期に入った1990年代以降、プロテスタントの海外布教の特徴の1つとして、いわゆる「未伝道種族」を対象にした「前方開拓布教」の戦略が急速に広がった点をあげることができます。一言でいえば、クリスチャン人口比率の低い地域で、布教の人材と資源を集中的に投じるということですが、結局、それはイスラム教・仏教・ヒンズー教地域、また現在と直前の社会主義地域にならざるを得ません。しかし、多くのイスラムおよび社会主義国家は、外国人の自国人対象の布教活動自体を不法化して処罰し、海外布教に伴うリスクと緊張がきわめて大きくなります。宣教師はあたかも秘密工作員のように、企業家・社会事業家・教育者などとして身分を偽装せざるを得ず、逮捕・投獄・追放される宣教師が続出しました。イラクやアフガニスタンでは人質として捕まって処刑される宣教師まで出ました。海外布教の現場で霊的戦争論に符合する戦闘的な状況が、ほとんど日常化されているのです。そして、まさにこの点が、ほぼ同じ時期に海外布教・布教を活性化しながらも、その候補地域の中でイスラム・社会主義社会の比重が低く、現地韓国人対象の宗教活動と、土着現地人のための非宗教的奉仕活動に力を注いだ、カトリック・仏教・円仏教・甑山道(チュンサンド)とプロテスタントの決定的な違いでした。
緊迫した現地状況を伝達したり、霊的戦士の武勇談も紹介する、宣教師の手紙や映像資料、帰国報告会、告白集会などが、布教献金を提供する信者と布教現場の間で媒介体の役割を担います。毎年数千名の信者が休暇を利用して、直接、短期宣教旅行に行ってきます。ですが、たとえば帰国した短期布教団員が日曜礼拝の時間に出てきて、自分たちがカイロやチェンマイの由緒深い寺院を取り囲み、「崩壊しろ」と祈禱をともに捧げた後、声を高めて「十字架軍兵」のような賛美歌を歌うと自慢げに報告すれば、信者は果たしてどのような反応を示すでしょうか。たびたび伝えられる宣教師の逮捕や暴行、礼拝所の放火などのニュースは――攻撃的で征服主義的な布教による不必要な衝突でなく――残忍で野蛮な現地の宗教指導者によって一方的に犠牲になるという、「迫害・殉教論」を通じて解釈されます。現地衝突の犠牲者は「殉教者」として崇められ、周期的な記念事業の対象になります。このような雰囲気を背景として、2008年頃からは韓国国内でも、反イスラム宣伝、イスラム嫌悪(Islamophobia)の煽動が保守プロテスタント界で本格化しました。国際結婚の戦略や移住戦略など多様な陰謀説バージョンがありますが、ほとんど「オイルマネーを前面に出したイスラムの韓国征服の陰謀」がその核心です。李明博(イミョンバク)政権時のイスラム債権(スクク)導入に対する反対運動でも、最近のハラル食品団地建設に対する反対運動も、同様の陰謀説に基づいています。韓国国内に居住するムスリムの大部分が、貧しい国から来た外国人労働者であるという点で、彼らに対する攻撃は人種差別や外国人嫌悪の性格すら帯びています。
霊的戦争論は、多元主義的な価値観と衝突するだけでなく、民主主義的な価値ともあまり符号しません。敵との激しい戦争で勝利するためには、司令官を中心に一致団結するのが重要なので、霊的戦争論はむしろ全体主義的思考と親和的です。教会組織に対する忠誠心と全員一致は美徳であり、民主的牽制と討論文化は、貴重な時間と資源を浪費するだけの悪徳に置き換えられやすいのです。民主的な教会運営を主張する内部批判者は、霊的戦闘をおそれる臆病者か、顔色をうかがう利己的な日和見主義者にされることもあります。伝来以来、ながらく「民主主義の訓練場」として賞賛された韓国のプロテスタント教会において、なぜ内部の民主主義が後退しているのか、ひいては韓国社会の民主化が進展した1990年代以降に、なぜ「プロテスタント民主主義の弔鐘」に過ぎない教会の世襲が急速に広がるのかを理解するためにも、霊的戦争論は重要だと思います。教会の世襲は「教会の私有化と聖職者の独裁の奇妙な結合」という点で、教会内部の民主主義の完全な破綻を意味します。歴史は比較的短いですが、特定の牧師が設立、あるいは赴任後数十年間、長期にわたって在任しながら、権威主義的支配体制を構築した「自手成家型」の大型教会において、教会の私有化および世襲が最も頻繁に起こります。説得や懐柔がよく通じない時、宗教的な独裁者は、自ら霊的戦争の司令官の位置に立って、世襲に対する反対者を敵やサタンの勢力として攻撃し、恐怖の世論を醸成して信者の集団的な排除を誘導したりします。教会世襲の重要な効果の1つは、元老牧師の「終身支配」を保障するということですが、(大型教会で、世襲でない正常なリーダーシップの交替が、たびたび元老牧師と担任牧師の葛藤につながる反面)世襲の場合には、元老牧師・担任牧師の葛藤がほとんどありません。信者はそのように静かに世襲体制に飼い慣らされて行きます。

 

反共・反北朝鮮主義と十字軍式海外布教の弊害

 

朴露子 今のような時代に、反共や反北朝鮮の話を聞くのは何より驚きです。反共は共産主義反対を意味しますが、北朝鮮が過去に果たして共産主義を実践したのか、あるいはただの左派的な開発主義政権だったかという問いはさておき、今日、共産主義が何を意味するのか、私としてはひたすら不明です。今の北朝鮮は、一部の経済単位に労働者解雇権から対外貿易自立権まで付与している混合型経済の国家です。共産主義と無関係なことはもちろんですが、過去の現実社会主義よりも、むしろ1990年代中盤の中国の方に近いでしょう。だとすれば、反北朝鮮の根拠はどうあるべきでしょうか。北朝鮮の世襲独裁が反北朝鮮の根拠ならば、先におっしゃった大型教会の世襲牧師のことを、果たしてどのように見るべきか、また独裁嫌悪が核心ならば、ともに権威主義的な「北の金正恩、南の朴槿恵」から、等しく距離をおくのが論理的ではないでしょうか。

姜仁哲 まったくその通りです。攻撃する相手自体がほとんど消失しているという点で、世界史的に見ても明らかに死滅しつつある反共主義を、なぜ韓国のプロテスタントは生き延びさせようと苛立っているのでしょうか。結論から申し上げるならば、プロテスタントが長い歳月をかけて、膨大な「反共インフラ」、換言すれば、反共主義の活力や生命力を維持させる、反共主義の再生産の仕組みを自主的に構築し、きちんと運用してきたからだと思います。プロテスタントにおける反共主義の教理化の過程は、植民地時代にすでにある程度完結していました。プロテスタントの猛烈な反共闘争のために、朝鮮戦争を経て、十字架は反共の卓越した象徴として位置づけられましたし、同じ時期に、韓国のプロテスタントの圧倒的多数の勢力である長老教では、反共闘争の主役である、北朝鮮出身で南にやってきた人々が教権を掌握しました。ここでプロテスタントの反共インフラをいちいち数え上げることはしませんが、各種の戦争記念儀礼や関連教会暦、西部聯会や平壌老会、黄海老会をはじめとする、いわゆる「亡命」聯会・老会など、プロテスタントだけに見られる独特の反共インフラが1950年代から登場しました。1980年代には殉教者記念事業が本格化し、殉教聖地の開発や聖域化、聖地巡礼などが活発になりますが、問題は、プロテスタントの殉教者や殉教聖地のほとんどすべてが、「反共殉教者」や「反共殉教聖地」だったということです。1970~80年代に民主化運動を導いたプロテスタント指導者も、やはり反共主義者でしたが、「反共主義の政治的な不正乱用」の問題を粘り強く提起するなど、自ら反共主義に対して批判的な省察をしてきたのに比べ、保守のプロテスタント指導者は、反共主義や反共闘争を聖化し、そこに宗教的性格を吹き込むことに没頭してきたわけです。1988年2月、NCCKが、「反共イデオロギーを宗教的な信念のように偶像化し、北朝鮮の共産政権を敵対視したあげく、北朝鮮の同胞や、私たちと理念を異にする同胞を呪い、罪を犯したことを告白」した「民族の統一と平和に対する韓国キリスト教会宣言」を発表すると、これに対して反発した保守プロテスタント界が総結集して「韓キ総」を結成したのは、そのような点でとても意味深長です。
1990年代には、プロテスタント反共主義に「生命水」を無制限に供給する新たな源泉が生じました。まさに先に述べた海外布教です。社会主義圏の崩壊や冷戦体制の解体、韓・中国交正常化や南北交流の拡大を背景に、韓国人プロテスタント宣教師がソ連や東ヨーロッパなど、旧社会主義諸国や中国に怒涛のように集結しました。やがて中国は最も多くの韓国人宣教師の密集する地域となり、彼らのうち相当数は、北朝鮮・中国境界地帯で直・間接的な北朝鮮布教や北脱出者の支援活動に従事しています。ですが、中国や北朝鮮当局の厳格な外国人布教禁止政策のために、中国布教と北朝鮮布教はともに現行法上、非合法で、したがって宣教師は身分を隠したまま、最大限、隠密に活動せざるを得ません。その結果、私たちは、このような危険千万な活動を行った宣教師の逮捕、投獄、失踪、強制追放が絶えず続く様子を目撃しています。ですが、保守的なプロテスタント教会の信者の視線から見れば、これは北朝鮮や中国を舞台に広がる、崇高で英雄的な迫害・殉教のドラマの生々しい場面、反共主義に新たな現実性と緊張感、活気を吹き込む出来事になり得ます。反共主義と共産圏布教が結合することによって、北朝鮮・中国布教がプロテスタント的な反共闘争の新たな方法であり領域として浮上しているのです。
さらに考えるべき大きな課題は、韓国社会の既得権層の反共・反北朝鮮の言説がたびたびそうであるように、プロテスタント反共主義も他の利害関係や動機――既得権の体制維持のための手段、政治的な反対勢力を制圧・排除する手段、恥ずかしい過去の行動に対する自己合理化の手段など――を隠すための便利な名分に過ぎないということです。ならば、私たちは、1945年の解放直後の親米・反共主義が、親日派の生存および権力争奪の手段として活用されたという事実を、反民特委(反民族行為特別調査委員会)に召還された親日宗教家のなかで、プロテスタント教会の信者の比重が著しく高かったという事実とも一緒に考えるべきです。そして、プロテスタントの猛烈な反共主義は、プロテスタントが韓国社会の既得権構造の一部として強固に編入されたことを立証することでもあると思います。

 

普遍的価値および人権言説との衝突

 

朴露子 ですが、「保守性」とは、必ずしも政治的立場だけをいうわけではありません。政治的な反北朝鮮とともに、韓国教会の保守性を象徴するのが社会文化的な保守性です。事実「保守」と見るより「守旧」という用語の方が適当かもしれません。朝鮮朝時代に「家を代々継ぐこと」を連想させる、牧師の世襲について先に述べましたが、もう1つは同性愛に対する盲目的な反対です。同性愛に対する宗教的排斥は、性を「代を継ぐこと」の手段として認識した伝統社会や、男性性を軍事的に画一化した1960~70年代以前の産業社会でも自然なことでした。ですが、今日の社会では、「繁殖」と「生存」が直結するわけでもなく、男性を画一的に「戦死」ないし「産業の働き手」と考えたり、同性愛者をこのような規準に不合格の失格者として見るわけでもまったくないわけです。韓国プロテスタントの同性愛嫌悪は、特に、すでに性の多様性の尊重に慣れた若い世代として、たった1つの「退行」程度に見えるに過ぎません。教会の中では、果たしてこの部分をどう考えているのかも気になりますが、「いったいなぜ?」という問いも投げかけてみたいです。いったい彼らは、なぜ、聖書に登場する同性愛タブーについて、デジタル時代の現代にもこれほど執着するのでしょうか?

姜仁哲 私は神学者ではないので、この問題に満足に回答することは困難です。ただ、先に提起した論点の延長線の上で、若干、他の解釈を試みられないかと思います。私が見るところ、戦争や同性愛こそ、逐字霊感説、あるいは聖書無誤説に代表される、プロテスタント原理主義信仰の影響が最もよく見られる争点のようです。聖書を文字通り受け入れるならば、おそらく旧約のエホヴァ(ヤハヴェ)は「戦争する神」となり、同性愛者は「不義の審判」を避けられないでしょう。一方では、戦争と同性愛に対する原理主義的な解釈が互いに整理されるように見えたりもします。いわば、保守プロテスタント側は、先に言った霊的戦争論を通じて、同性愛の問題を理解する傾向が強いということです。
私が見るところ、霊的戦争論の有無こそは、同性愛問題に対するキリスト教的な接近として決定的な違いをもたらす要因です。たとえばカトリックの場合、保守プロテスタントと同様に同性愛を教理的に断罪しますが、それでもこの問題に霊的戦争論として接近することはしません。それゆえに若干ではありますが、人間的な憐憫の間隙が生じ、そのような限りでは、現実の差別・冷遇・抑圧による、同性愛者および家族・知人の痛みを包み込み、改善しようと努力する余地が存在します。ですが、同性愛の問題を霊的戦争論として接近するとなると、話がまったく変わります。この論は、私たちの/彼らの敵対的な二分法に基づいて、他者(彼ら)を「非人間化」する傾向があります。また、このような考え方が強く内面化された人ほど、人権の感受性や生命の感受性は鈍化し、攻撃性と好戦性が増幅される傾向があります。ここには、同性愛者に対する社会的抑圧・差別を正当化するだけでなく、彼らに対する暴力的な対応を許容したり、直・間接的に誘導することによって、憎悪の犯罪につながる可能性もまた存在します。結局、保守プロテスタントが同性愛問題に接近する方式は、「霊的戦争論に基づく他者(同性愛者)の非人間化」として圧縮的に表現できます。この時、同性愛者は悪の霊(悪霊)に捕われた人々や、世の中を堕落させ支配しようとするサタンの道具なので、強制的にでも除去されるべき存在に置き換えられやすいのです。万一、ある同性愛者がプロテスタント教会の信者ならば、その人がこのような「非人間」の烙印から自由になる唯一の道は、「正常でない人間」という新しい烙印を受け入れることくらいでしょう。
同性愛は、プロテスタントの社会的保守性を示す、数多くの事例の1つに過ぎないと思います。保守プロテスタントは、憲法をはじめとして、韓国社会の公共領域を支配する、自由・平等・博愛・寛容などの普遍主義的価値や自由主義的な人権言説としばしば衝突してきましたし、それによって社会的な非難に直面することも数多くありました。宗立学校における強制的な宗教教育、「赤い悪魔」応援団の名称に対する是非、檀君像の撤去運動、週5日勤務制反対、開放型の理事を導入するための、私立学校法および社会福祉事業法改正反対、過度な親米形態、聖職者の所得税納付拒否、特権的なキリスト教財産管理法制定の時にも、特定書籍・映画・歌手の販売・上映・公演の禁止を推進、放送社の大型教会聖職者の不正告発番組に対する猛烈な反発などがまず思い浮かびます。保守プロテスタントの国家保安法の改正反対、朝鮮半島大運河と4大河川事業に対する支持、アメリカ産牛肉輸入交渉支持、戦時作戦統制権の返還反対なども、少なからぬ批判に直面したことがあります。これに比べて、保守プロテスタントが世論の相当な支持を受け、公的影響力を発揮できるいくつかの数少ない状況がありますが、それがまさに韓国国内のムスリム、良心的兵役拒否者、同性愛者など3グループの社会的弱者を攻撃することです。これを勘案するならば、同性愛者に対する保守プロテスタントの攻勢は、今後も持続する公算が大きいと見るべきでしょう。

 

強大な影響力と不充分な公信力の結合

 

朴露子 ひとまず、それらの質問を総合的に考えてみましょう。過去に「モダニティの旗手」と思われた韓国プロテスタントが、今日では「時代に遅れた祈福、北朝鮮・同性愛嫌悪、世襲と不正」の宗教というイメージを与えています。資本主義後期において私たちの前にはだかる各種の社会・政治・環境問題の解決の一助となるというよりは、それ自体が大きな社会問題として評価されています。なぜそうなったでしょうか。「モダニティ」に対する社会の観念が進歩しても、韓国プロテスタントの「近代」理解の水準が、軍事主義、画一主義、内部権威主義、超自然的な呪術力に依存した祈福の水準に、依然としてとどまっているということでしょうか。あるいは権威主義政権下で、1960~80年代の反共主義イデオロギーやと現世求福を中心に成長してきたプロテスタントが、依然として経路依存的な次元で、そのモデルを克服できずにいるということでしょうか。姜先生のご意見をお聞きしたいです。

姜仁哲 ご指摘の通り、韓国でモダニティの旗手として公認されたプロテスタントが、最近では残念なことに、「前近代的近代」を象徴する問題のように映っています。振り返って考えれば、西欧社会と比較する時、韓国ではモダニティと宗教の関係がかなり異なる形で展開してきました。特にヨーロッパでは、近代化と世俗化が同時に進行しましたが、韓国では、近代化が宗教の衰退を意味する世俗化と並行することはありませんでした。衛正斥邪を標榜した一部の儒教守旧派を除けば、仏教や天道教をはじめとする、韓国の主たる宗教の大部分が、モダニティとの肯定的な関係を結ぶことを追求しました。もちろんプロテスタントがその先頭にいました。このような状況において、韓国社会が近代化されるほど、宗教人口は増えましたし、それによって主な宗教には、より多くの力や資源が蓄積されていきました。特にプロテスタントは、世界が注目するほどの輝かしいサクセスストーリーを韓国の地で演じました。プロテスタントは、1950年代初めには、仏教を追いかける韓国第2の宗教になり、1980年代には、仏教と同じほどの勢力を誇示するようになりました。プロテスタント側では信者数が1千万人を超えたと主張しますが、信頼度の高い人口センサスの統計にも、プロテスタント教会の信者が1995年にすでに876万人に達していることが確認できます。いずれにせよ、明らかな事実は、20世紀後半の圧縮的近代化の過程で、プロテスタントの社会的影響力がとても大きくなったということです。
ここで、宗教の「社会的影響力」と「社会的公信力」の相関関係について、しばらく考えてみます。私たちは社会的影響力を「特定の宗教が、他の社会部門に変化をもたらし、その変化を阻止できる能力」として、社会的公信力を「特定の宗教に対する肯定的な社会的認識と評価」として簡単に定義できるでしょう。先に申し上げたように、1960年代後半から「2つのプロテスタント」の現象が明確に見られましたし、この時から1980年代までは、進歩プロテスタントが韓国プロテスタントを代表し、プロテスタントに対する改革的・進歩的イメージを主導的に形成してきました。この時期に、少数派である進歩プロテスタントは、社会的影響力は少ない方でしたが、公信力は非常に高かったです。そうするうちに、1980年代末からプロテスタント内で「保守ヘゲモニーの拡張」傾向が貫徹され、それに歩調をそろえて、プロテスタントの代表性や社会的イメージも保守の方にいち早く傾きました。すでに多くの普通の人は、「韓国プロテスタント」といえば、自然と「保守プロテスタント」を連想します。ですが、今日の保守プロテスタントの典型的なイメージは、「社会的影響力は強いが、公信力は非常に低い宗教」であるのが現実です。まさにこのことが禍根になっています。特定の宗教が、影響力に応じた公信力の水準を維持する場合、その宗教は、社会発展に寄与する要素と認定され、社会全般から歓迎されるでしょう。特定の宗教の公信力が低くても、影響力もともに下落する場合、あるいは公信力と影響力がともに低い水準にとどまる場合、その宗教の否定的側面が社会全般に加える衝撃は弱いので、大衆の関心も惹きつけられないでしょう。しかし、特定の宗教の影響力が増加しても公信力は減少するという場合、強い影響力のために、その宗教の否定的な側面が社会全般にあまねく悪影響を及ぼさざるを得ず、その宗教が大衆によって「問題集団」という烙印を押される可能性が高くなります。保守プロテスタントが主導する韓国プロテスタントが、最近、まさにこのような状況に置かれているのです。これからどうなるでしょうか。韓国プロテスタントは、市民社会の表通りや裏路地に、堅固な陣地を築いて退行的な価値を生産して伝播する、そうすることで保守既得権の構造の永続化に寄与する、強固な保守の草の根組織としての役割をはたしていくことになるのでしょうか。結局、「選択」と「勢力」の問題でしょう。1990年代に、保守プロテスタントですら社会参加路線に切り替えて、2000年代には政治的な行動主義に進むことによって、「2つのプロテスタント」がともに政治参加に打って出ました。再び申し上げれば、参与神学や政治神学は、いかなる内容物でも入れられる器に過ぎません。プロテスタントは、今後、いかなる政治参加を選択することになるでしょうか。普遍的な価値を追求する「共同善の政治」を選択するでしょうか、あるいは、狭く定義された教会の制度的利益を目標にする「派閥政治」を選択するでしょうか。21世紀の韓国プロテスタントを主導する勢力は、「保守プロテスタント」でしょうか、「進歩プロテスタント」でしょうか、あるいは、中道的立場の「改革プロテスタント」でしょうか。宗教、特に半分以上の韓国人と宗教人口のほとんどすべてを占める3大宗教――仏教、プロテスタント、カトリックは、市民社会で最も古く最も大きく最もよく組織され訓練された部門です。のみならず、宗教は多くの社会において、民主主義を育て支える中間集団ないし小グループとして、社会的弱者の頼りの対象として、保護者として、信頼・互恵性・連帯性のような社会資本の主要な源泉として機能してきました。楽観は難しく、プロテスタントに許された時間も、わずかのように思われますが、だからといって、韓国プロテスタントが、このような機能を回復するだろうという希望を、最初から捨ててしまうには少し早いというのが私の考えです。
朴先生、私たちの対談は、これまでプロテスタントの方に焦点を合わせてきましたが、プロテスタントのライバルであり、韓国最大の宗教である仏教については、どのように評価できるでしょうか。植民地期の寺刹令から、仏教財産管理法、伝統寺刹保存法などを経て、政治的な従属性と順応性を大きくした仏教の保守性も、きわめて根深いように思われます。最近では、東国大の総長・理事長をめぐる葛藤、手配中だった民主労総委員長の曹渓寺(チョゲサ)逃避に関連した微妙な緊張状況が、大衆の関心を引いたりもしました。特に2015年11月16日の夕方に、国庫補助金が大部分を占める数千億ウォン規模の「総本山聖域化」仏事のために、曹渓宗の総務院が、ソウル市内のあるコンベンションセンターを借りて盛大な募金行事を開催しましたが、それからわずか3、4時間後に、ハン・サンギュン委員長が予告なく身辺保護を依頼して曹渓寺に潜入し、曹渓宗側を困惑させました。1か月近く続いた仏教・国家、仏教・市民社会の間の、拮抗したせめぎ合いの始まりでした。そのとき私は、韓国仏教の現住所をこれほどよく示す場面があるだろうかと思いました。とにかく、私たちの討論の主題を、韓国仏教に適用するならば、どのような話が可能か気になります。

 

宗教が再び「希望の工場」になるためには

 

朴露子 姜先生のお話しを聞いて、多くのことが理解できました。おっしゃられた内容を私なりに消化するならば、高度成長期とその後に、韓国プロテスタントは韓国資本主義と相互に作用しながら、一面で資本主義に独自の資本蓄積の正当化のイデオロギー(「富者は神の祝福を受けている」)を提供し、また一面では、特に制度的に資本主義の多大な影響を受けたようです。おっしゃられた教会売買や相続などは、他の見方をすれば、企業の一般的な形態を彷彿とさせますし、霊的戦争論は、資本主義社会の日常である競争という土台から出発するとも考えられます。
仏教が果たして基本的にどれほど違うだろうかと思います。主流仏教では、業説や功徳論が、公開的に資本主義的の不平等を合理化するイデオロギーとして利用されています。ですから「前世において、仏・法・僧の三宝に帰依し、布施を多く行った功徳で、業障が消滅して、現世で富者になった」といって、経済的な成功を「霊的生活」とつなげて考えます。特に、財産の多い巨刹は、大型教会のように「経営」の対象になります。曹渓宗の宗立大学である東国大では、「寺刹経営専門指導者」課程が開設されていて、関連の教材も出版されています。
企業に従えば、企業家の日常も自ずと熟してきますが、これは仏教の戒律と相反する場合が多いです。マスコミでときおり高級僧侶の酒宴、賭博場、不法土地売却、ひいては蓄妻(戒律違反の男女同居関係)など、性関連の疑惑が報道されますが、企業界と大きく異ならない形態でしょう。もちろん、一般のマスコミではときおり報道されますが、曹渓宗など、仏教界の影響下にある宗教界のマスコミは、はるかにこれらを自制しています。下手をすると「怪我をする」こともあるからです。企業も「反企業の情緒をあおるマスコミ」に広告面の圧迫を加えますが、曹渓宗のような場合には、もう一歩踏み出して、高級僧侶の行動に批判的だった『仏教ドットコム』『仏教フォーカス』など、一部の宗教界批判のメディアを「解宗的なマスコミ」と規定し、そこに寺刹の広告掲載などを全面的に禁止したようです。
おっしゃったように、国家補助金などの様々な懸案が、国家との協力に関わっているので、仏教界は政権との正面衝突を回避します。ハン・サンギュン委員長に自主出頭を勧めてきた仏教界の一部の行動は、概してこの部分と関連づけて解釈できます。ですが、もう一方で、仏教界は、社会的な問題点として転落した、保守キリスト教との差別化戦略の次元で、労働問題に労働親和的な立場で介入する試みも行っており、また、統一問題に相当な積極性も示しています。他の見方をすれば、「進歩性のある宗教」として評判があり、この20数年間、急成長してきたカトリックを「ベンチマーキング」するような雰囲気です。そして、少なくとも表面的には、ハン・サンギュン委員長に公権力からの「保護」を提供する立場を表明してきたのです。ですが、社会で非難されてきた保守キリスト教と、明確に「異なる」歩調を表面的に取っているからといって、現在の仏教が果たして進歩的宗教として発展できるでしょうか。仏教集団の中では、民衆仏教期の問題意識を一部堅持しており、ひいては特に環境問題に鋭利な関心を示してきた、一部の進歩勢力も実存します。ですが、多くの寺刹が、主に祈福儀礼に依存して経済的に維持され、教団の権力者が主としてこのような「寺刹経営者」の利害を優先的に考慮せざるを得ない状況において、このような少数の影響力は不可避的にかなり制限されています。
結局、キリスト教も仏教も、実際に資本化の過程を経て、同時に資本主義の弊害である搾取や疎外、経済的不安、不平等、競争などに疲弊した人々に、「ヒーリング」ないし逃避など、個人的「解決」の可能性に対する幻想を提供することになります。人生に疲れた個人が、教会に立ち寄って祈ったり、寺刹で祈禱ないし瞑想をすれば、また「元気を取り戻し」、また同様の壮絶な生存闘争の場に戻るのが、韓国における庶民信徒・教徒の日常ではないかと思います。もちろん「地獄(ヘル)朝鮮(チョソン)」の世の中で、祈禱に対する信頼は、もしかしたら脆弱な個人に与えられた、精神健康の最後の砦でもあるでしょう〔「地獄(ヘル)朝鮮(チョソン)」は2010年頃に登場した韓国のインターネット新造語。「hell」(地獄)と「朝鮮」の合成語で、韓国が地獄に近く、まったく希望がない社会」という意味で流通している――訳者〕。ですが、万に一つ、仏ないし観世音菩薩が、大学入試の祈禱を捧げるすべての母親の願いを聞いてやるなら、ソウル大の入学定員はおそらく数十万人にならなければならないでしょう。違う表現をすれば、額が擦り減るほどに祈っても、「地獄朝鮮」の構造は少しも変わりません。ならば、信徒層の大部分を占める、サラリーマンないし庶民の苦痛が、より一層激しくなる状況になれば、韓国の宗教が、今日、世界のカトリックのように、本格的な「資本主義批判」に出る可能性はないでしょうか。今でも低成長ですが、あるいは成長はまったく終わり、韓国経済が一層本格的な危機、ないし恐慌の状況に陥る場合のことです。誌面の事情でそろそろまとめなければなりませんが、「民衆」宗教への部分的な回帰なども一部で可能か、姜先生のご意見をお聞きしたいです。

姜仁哲 資本主義体制を批判して変革しようとする民衆宗教の可能性は、本当に展望も実現も困難な問題です。人類の長年の伴侶として存続する間、宗教が進歩と保守を行き来する「多機能的な」制度であることを誇示してきたのは明らかな事実です。しかし「長い保守、短い進歩」とでもいいましょうか、韓国を含むほとんどの社会で、宗教の社会的機能を見る時、保守の時間は非常に長かった反面、進歩の時間は短かったといえます。朴先生のおっしゃる通り、信者の社会的構成と態度が同質的になるほど、換言すれば、既存の政治経済秩序と葛藤する潜在力を持つ争点について、信者がより一層、同様の態度を取ることになるほど、民衆宗教への転換は容易になるでしょう。また、支配勢力の宗教思想と明確に異なるばかりか、それと対立する自律的な宗教思想も必ずや必要でしょうが、プロテスタントの民衆神学、仏教の民衆仏教や参与仏教の思想、カトリックの第2次バチカン公議会神学や解放神学などがいい例でしょう。合わせて、このような代案的な宗教思想を発展させて、信者に伝播・教育する「有機的な知識人」の役割を担当する人々も必要でしょう。代案的な宗教思想が、公式の「社会教理」の形に制度化され、それを実践するための専門化された公式機構――私はこれを「宗教内の社会運動部門」といいますが――が存在する場合、民衆宗教の可能性はそれだけ大きくなるでしょう。この方面の後発走者である仏教側でも、最近、社会労働委員会や和諍(ファジェン)委員会のような公式機構が、次から次へ登場しているところです〔「和諍」は新羅の僧侶・元暁(617-686)の中心思想で、色々な対立的な理論を調和させる仏教思想。「和諍委員会」は、この用語をとって、2010年に大韓仏教曹渓宗に設立された組織――訳者〕。ひいては宗教組織が、国家権力や支配勢力の影響から、組織的にも政治的にも自由になるべき民衆宗教への転換が容易になるでしょう。いくつかの宗教でますます激しくなる「国庫補助金中毒症」は、かなり憂慮のおそれがありますが、「特典と従属性の交換」に特徴づけられる国教制度は韓国に存在せず、仏教・儒教に対する国家の法律的統制も、最近かなり緩んでいます。このような点を考えれば、韓国の宗教状況が、民衆宗教への転換に必ずしも不利なことばかりではないと思います。
新規信者の補充減少や、既存信者の離脱増加など、明確な危機の兆候が漸増する中で、宗教指導者たちが、何か画期的な革新が必要だという危機意識を共有するとき、進歩への転換の可能性は一層大きくなるでしょう。2005年度の統計庁の人口センサスで、プロテスタント人口が減少し、仏教人口が停滞しているという結果が出ると、すぐにプロテスタント全体がざわめき始め、仏教界もやはり騒々しかったですが、近い将来、発表される2015年度の人口センサスの結果がどう出るか、注視しなければなりません。総人口の半分近い膨大な無宗教人口が存在するというのが、韓国の宗教の地形を特徴づける重要な要素ですが、一時、宗教人口の急成長を後押しすることによって、一種の「宗教予備軍」の役割を担当した無宗教者が、これまで20年余りの間、既成宗教や宗教家に対して、ますます否定的で冷淡な態度に変わったのも、宗教指導者には相当な革新圧力として作用しています。世俗的な市民運動など、宗教外部から加えられる革新圧力も、やはり時には民衆宗教への転換を促進するでしょう。ですが、このような外敵圧力は、たびたび両刃の剣のように作用することもあります。たとえば、相当数のプロテスタント指導者は「反キリスト教運動」や放送社の教会不正告発番組、宗教財政運用の透明性を高める宗教法人法の制定運動などを、革新のための肯定的な刺激として受け入れますが、大多数の保守プロテスタント教会の信者は「左派と倫理的自由主義者のキリスト教迫害」という形で便宜的に解釈し、固く団結して自らをより一層閉鎖させています。ですから、結局、宗教内部の改革の力量が成長し、連帯して組織化するのが最も重要です。ですが、内部の不満勢力がいくら多くても、信者としてのアイデンティティは維持したり、宗教組織の外側にとどまる「休眠信者」、あるいはまったく異なる宗教に行こうとする「改宗者」が多数になれば、宗教の変革の展望はむしろ暗くなるでしょう。教団勢力の弾圧を甘受しながらも、最後まで残って宗教の変革運動に参加する「改革家」が増えるべきです。今でも宗教は、随所で暴力と分裂を助長することによって、私たちの生活の場をディストピアに追い込んでいます。同時に宗教は、随所で「絶望の大量生産体制」に対抗して、困難ではあるものの、ユートピア的な夢と想像を不断に生産する「希望の工場」としても機能しています。正義の平和(just peace)に向かう希望を世に絶えず供給することによって、宗教が人類の作り出した最高の発明品であることを、自ら立証して示すことができればと思います。

朴露子 一言でまとめるならば、韓国の宗教、特にプロテスタントは、韓国的近代のすべての問題をそのまま、または場合によっては、一般に比べてかなり深刻な形で包摂しながら、もしかしたら、いつかこの問題を解決する糸口を提供する可能性も排除できません。私もそのように希望しながら、韓国の仏教について学んでいきたいと思います。今回の対談で、貴重な知識を共有できたことに感謝します。ありがとうございました。

〔訳=渡辺直紀〕

 

東アジア人文雑誌の未来を拓こう

2016年 春号(通卷171号)

50周年特別企画:創批に望む
東アジア人文雑誌の未来を拓こう–『現代思想』編集者押川淳インタビュー

金杭
延世大学校国学研究院HK教授、本誌編集委員。著書に『語る口と食べる口』『帝国日本の思想』、訳書に『近代超克論』『例外状態』『政治神学』などがある。

 

『現代思想』は1973年に創刊された日本の人文雑誌である。1960年代に登場したニューレフトが学生運動のみならず思想界にも多大な影響を与えたことは周知の事実であろうが、1970年代は学生運動が退行期を迎える時期であると同時に、それまで水面下にあったニューレフトの思想的影響が浮上してくる時期でもあった。『現代思想』はそうした情況において生まれた雑誌である。1993年から2010年まで編集長を務めていた池上善彦が語ったように、当初、この雑誌は同時代のヨーロッパの思想を紹介することを主たる任務のひとつとしていた。この雑誌をつうじて、フーコー、デリダ、ドゥルーズなど、1960-70年代を風靡した思想家の著述がリアルタイムで翻訳・紹介され、大学アカデミズムでは扱われないアクチュアルな思想・思考がこの雑誌を中心に展開された。もちろん単に紹介しただけではない。『現代思想』はニューレフトの実践的問題意識のなかからヨーロッパの同時代の理論に向き合おうとし、それゆえ単なる翻訳というよりは日本の書き手による論考が圧倒的に多くの誌面を占めた。そうして『現代思想』は連合赤軍事件によって廃墟と化したニューレフトの政治空間を、言説の場から再建しようとしたのである。

全盛期の1970-80年代に比べれば販売部数も影響力も小さくなったことは冷徹に認めるとしても、『現代思想』が今なお日本の人文雑誌においてひとつの主軸をなしていることは否定できない事実である。というのも、以前と同様、人文社会分野で批判的知識と奮闘する多くの研究者・批評家が寄稿者として参加しており、著名な執筆者はもちろんのこと、数多くの論客がこの雑誌をつうじて「登壇」するからである。

今回のインタビューに応じてくれた押川淳(以下、押川)は、この雑誌の三世代編集陣のうちの一人である。自らもまた著名な批評家である三浦雅史と、「第三世界」全域を駆け回って知の連帯を実践する運動家である池上善彦が主導していた『現代思想』は、現在、この雑誌と同世代である1970年代生まれの編集者が中心となって制作されている。彼ら・彼女らはヨーロッパの現代思想だけでなく日本国内の現在的なイシューや、東アジアの状況にいたるまで、扱う領域を広げて来た。『現代思想』の現在を担っている若手編集者の押川は『創作と批評』が中心となって2006年に始めた「東アジア批判的雑誌会議」シンポジウムに幾度か参加しており、インターネットで配信されている『創批』日本語版(http://jp.changbi.com)の愛読者である。そんな彼に、東アジア人文雑誌の未来という大きな枠組みの中で『創批』の印象とその展望を聞いてみた。彼は日本の現在の情勢を概観しつつ、質問に答えてくれた。

昨年夏、日本の国会議事堂周辺を10万人もの市民が取り囲んだシーンを今も鮮明に記憶している人は多いだろう。いわゆる「平和安保法制」の国会採択が差し迫った状況で、市民たちは国会議事堂周辺を「占拠」することで反対の意思を表明した。結局、法案は紆余曲折の末に、韓国風にいえば「ナルチギ」採決〔「ひったくり」の意。転じて、議論なしの強引な与党単独採決〕されたが、その過程で立ち現れた日本の市民の集合行動は、強い印象を残した。占拠運動をリードした集団のなかには、90年代以降に大江健三郎などが中心となって結成された「九条の会」のネットワークもあったが、最も注目されたのはやはり「SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy-s)だった。彼ら・彼女らは2015年6月以降、毎週金曜日に国会議事堂前で開かれた抗議集会を主導し、中心メンバーらは新しいオピニオンリーダーとしてメディアに躍り出た。「九条の会」が60年代学生運動を担っていた壮年層インテリ集団だとすれば、SEALDsはまるで彼ら・彼女らの20代を再演するかのようであり、メディアの注目を浴びたのである。

しかしSEALDsは60年代ニューレフトの闘士とは、その思想においても行動においても全く異なっている。彼ら・彼女らはおしゃれな服装に身を包み、ヒップホップのライブを彷彿とさせるようなグルーヴ感のあるスローガンでデモを繰り広げた。また、SNSを使って路上の状況をリアルタイムで伝えることで、オン・オフラインの占拠を展開した。スローガンは簡明で、方法は洗練されていた。それゆえかつてのニューレフトのように、理論先行型の過激青年ではなく、ファッショニスタに近かった。過激青年が文章と言葉で合成された肉体を権力に投げつけたとすれば、彼ら・彼女らはラップとイメージで製作されたからかいによって権力をおちょくったというわけだ。

押川はこの新しい流れを見ながら、人文雑誌の現在と未来を予想してくれた。まず彼は日本の人文雑誌の歴史を次のように概観した。

60年安保闘争の時の知識人の発言を見ると、大多数が『世界』(1946年に創刊され戦後民主主義をけん引した雑誌)をはじめとする「論壇誌」で発表されたものであることがわかる。しかしこうした雑誌メディアをつうじた状況分析や発言は、1970年代に既に影響力を失った。市民という単一の読者層を対象にした論壇誌のアリーナは、さまざまな特性をもった雑誌の登場を経て枝分かれしていった。読者の関心も、どういう知識人が発言したのかから、どういう雑誌でどのような編集のもとで議論がなされたのかへと移っていった。知識人個人ではなく、個々の雑誌の固有の観点が重要になってきて、他とは違う雑誌、違う筆者を開拓することがカギになった。すなわち、誰が発言するのかではなく、「どのように伝えるのか」という編集の力が前面化されたのだ。

先述した『現代思想』の創刊は、こうした状況の産物である。しかし2000年代以降、状況は変わった。1996年を頂点にして出版市場全体の規模が全盛期の6割ほどに縮小し、なかでも雑誌の落ち込みが激しくなったのである。人文雑誌はとりわけ状況が悪く、有力誌のうちいくつかが続々と廃刊に追い込まれている。これには様々な要因があるだろうが、押川はSEALDsという新しいかたちの社会運動の登場と関連付けて状況を分析する。

70年代以降、人文雑誌の機能のうちのひとつが運動のメディアになることだった。というのも、社会運動グループの大多数は、人や予算や技術の側面で自前の発信手段を持つことが難しかったからである。いくつかの人文雑誌は、そうしたグループと手を組んでメディアとしての役割を担った。しかしSEALDsのように、自らメディアとなる運動体の登場は、運動と雑誌の役割を変化させた。両者の間に新たな生産的関係が作られるのか、それとも互いを無視しながら併存する非生産的関係に転落するのかは未知数だ。ともあれ読者が何を求めているのかを見極めつつ、今後の関係を考えていかねばならないだろう。

この言葉には、人文雑誌という一線で孤軍奮闘している彼の悩みがよく表れている。押川は日本のこのような状況を念頭に置いて『創批』への思いを語ってくれた。押川は日本語版サイトで『創批』を読んでいる。1970年代に和田春樹教授を中心とした社会運動グループが『創批』の「海賊版」を読んで翻訳・出版していたことを思い起こしてみれば、どれほど世界が変わったのか実感できる。世代を飛び越えて全く異なる世界から全く異なる条件のもとで『創批』と接したが、押川と和田教授グループの『創批』に対する印象には共通点がある。和田教授のグループが『創批』を読むさいに、同時代の韓国の状況を世界情勢的視点から把握する知的眼差しに注目していたのと同様に、押川も『創批』誌面で最も印象深いのは、現情勢を緊張感をもって分析する巻頭言と、グローカル(glocal, global+local)レベルの懸案を扱った「論壇と現場」だと語ってくれた。彼は次のように、「論壇と現場」の印象を述べる。

それは新しい思想や社会実践の導入・紹介でも、変化する状況の単なる分析でもないようだ。個別の現場の特異性や個別性、歴史性に注目しながら、そこから生まれ出てくる思想をどうにかして共有し、新しいコンテクストへと翻訳しようとする意図が見えるからである。また、そうやって抽出された思想の可能性を個別の現場で再び検証する試みでもあるのだろう。このように大切で骨の折れる作業を、国内を越えて東アジア、さらにはアフリカまで含む視野で展開していることは、この雑誌が韓国国内にとどまらず、アジアの人々にとっても重要な思想的資源となるだろうことを物語っている。

このように、押川にとって『創批』は、韓国に関する情報を得るための雑誌というよりは、東アジアからアフリカにいたる個別の現場の生きた思考を、朝鮮半島という観点から解釈し問い直す雑誌として認識されている。1970年代に『創批』海賊版を読んでいたグループも同様だった。彼ら・彼女らは韓国に関する情報を得るために海賊版を耽読していたのではない。韓国と日本を含む東アジアの冷戦構造を打破するために「方法としての朝鮮半島」という意識をもって海賊版を読んでいたのである。押川も同じく、『創批』を韓国や日本にとどまらない、東アジアとグローバルな次元の批判的思考のための媒介としている。彼は自らもまた参加していた2015年「東アジア批判的雑誌会議」に関する論考を引用しながら、『創批』をはじめとする人文雑誌の未来を次のように展望した。

『創批』2015年秋号に掲載された「東アジア批判的雑誌会議」報告文(拙稿「立場から現場へ」)には、白永瑞氏の「核心現場」という概念を、「『立場』から『現場』へ」というパラダイム転換として捉える示唆的議論があった。場を占有するのではなく、場を開きなおすこと、これは破局的状況に置かれている日本の人文雑誌に重要な示唆を与えてくれる。人文雑誌は各自がつくりあげてきた固有の場に立ちながらも、その場を開きなおすことができるのだろうか? そのためには雑誌が表明する思想や立場を支えるいくつかの核心概念が、自らの場を越えて共感されうるのかを考えねばならない。その「現場」を構築する具体的な方法を提示することは自分の能力を越えている。しかし、そうした試みこそが今・ここで断片的にでも始められねばならない。「現場」をアジア/世界の次元で再構築していかなければ、人文雑誌に未来はないだろう。

押川は『創批』の未来を、どれだけ自らの「場」を世界のなかへと開いていくことによって「開くことができるのか」にかかっていると語る。多少抽象的なこの言葉を自分なりに解釈すると、『創批』の未来は朝鮮半島という場をどれくらい東アジアやグローバルな次元へと開いていくことができるのかにかかっているというメッセージであると思われる。もちろん、これは韓国のそとで読者を得ろという「経営コンサルティング」ではない。問題は、朝鮮半島の文学や社会状況が韓国という国民国家の枠によって断ち切られてはならないという点である。『創批』は韓国語の媒体である。しかし向き合っている世界は韓国にとどまらない。かといって東アジアや世界という固定された空間への拡張のことでもない。朝鮮半島や東アジアや世界は、すでにそこにあるものではなく、『創批』が開いていくべき「現場」だからである。その意味で『創批』に対する押川の注文は、50周年を迎える『創批』にとって、大切な提言となるだろう。

翻訳:金友子(立命館大学国際関係学部准教授)

守旧(勢力)の「巻き返し戦略」と市民社会の「大転換」企画

2016年 春号(通卷171号)

〔特集〕大転換、どこから始めるべきか

李南周
聖公会大学・中語中国学科教授、政治学。著書として、『中国市民社会の形成と特徴』、『東アジアの地域秩序』(共著)など。編書として、『二重課題論』(チャンビ談論叢書1)などがある。

<訳者の読後感>
本質において選挙公約を「空約」(束)化させるような選挙を通じ、匍匐「漸進」する「(選挙)クーデター」政権。日韓両国政権の驚くほどの類似性、同質性が日韓市民社会双方における「大転換」への自覚と連携を促している。幸いにも、「漸進(選挙)クーデター」を「逆クーデター」で阻止した総選結果は、2~4年以内に安倍政権を直撃するだろう。近づきつつある「大転換」の時に向け、日本の市民社会は何を、どう準備したらいいのか、議論を深めていきたい。[青柳純一]

 

「じゃあ、ドイツではこれからどういうことが起こりそうですか」と尋ねた。「ナチのクーデター、あるいは共産主義革命が起きるんでしょうかね」。
ベルンハルトが笑った。「まだ情熱を失ってないんですね、本当に!私はただその質問があなたのように、私にも重大だと思えるように望むだけですよ……」
――クリストファー・イシャウッド『ベルリンよ、さらば』、272頁

クリストファー・イシャウッド(Christopher Isherwood)の『ベルリンよ、さらば――ベルリンの話2』(ソン・ウネ訳、チャンビ、2015年)は、同性愛者ながら外国人(イギリス人)である作家が「シャッターを開けたまま考えもせずに、受動的に記録するだけ」という態度で、ナチスが権力を掌握する直前のベルリンの風景を描写した作品である。上記の引用文は、作家(私)とナチから脅迫状を受け取っていたユダヤ人のデパート管理人(ベルンハルト)との対話である。このシーンで「私」は普段の注意深い態度をとらずに当時のベルリンの政治状況に憂慮を表明し、ベルンハルトの反応に「最近の様子からとても重大な問題だと思われるのに」と反駁する言葉を発する。ナチス運動に賛同した人々と一部の共産主義者を除いて、この小説の他のドイツ人登場人物は終始一貫して当時の状況を、文字通り、受動的に見物しているだけか、受け入れているという印象である。今日の観察者の視点という優位に立ち、他にどんな選択が彼らに可能だったかを問うのはあまり意味がないかもしれない。だが、現在の私たちに同じ質問が投げかけられたら、他の反応や選択をなしうる機会は存在している。

1.危機の深化と危機言説

朴槿恵政権3年にあたる時点で国家は深刻な危機局面へと進んでいる。経済的な突破口は全く見えない。この間、不公平な分配と低成長の悪循環は固定化した。今年になって世界経済の不確実性が再び高まっており、韓国経済の高い海外依存度を考えれば、これはパーフェクト・ストーム(perfect storm:二つ以上の台風が衝突し、その影響力が爆発的に高まる現象)へと突入することもあり得る。のみならず、北の4回目の核実験で南北関係と東北アジア秩序の土台も変化した。北の核能力がゲーム・チェンジャーになりうるレベルに向かって発展しているのに、政府は相変わらず制裁強化という古い放送ばかり繰り返して、韓半島の平和定着のために実行可能なプログラムを提示できないからである。いつ偶発的な軍事衝突が発生してもおかしくない状況である。いま国民の暮らしと生命が直接的な危険にさらされており、国家危機という現局面に対する診断に異論を提起する人を探すのも難しい。

だが、危機言説の広がりは民主改革勢力に有利にのみ作用していない。危機意識が政権によって効果的に活用されているからだ。危機言説は野党側や市民社会はもちろん、政府・与党によっても叫ばれている。朴槿恵大統領が「ゴールデンタイム」という表現を乱発してから長い時間が経ち、金武星セヌリ党代表も今年の年頭記者会見で「危険と不安の時代」というフレーズを持ち出してきた。政権審判論を政治審判(事実上の野党審判)論へと逆転させ、国家的な危機状況を政局主導の好材料にしようという常套手段である。新年になって野党審判論を総選挙の核心テーマとして浮上させようという意図がより露骨化しており、これは単なる総選挙用にとどまらず、今後より深まる可能性が高い国家危機の責任を野党と市民社会に向けようとする戦略の一環でもある。

民主改革勢力は朴槿恵政権が犯したこの間の様々な失政を批判し、反対する活動を真面目に行っているが、国民レベルの共感をあまり広げられなかった。各種の世論調査に現れた朴槿恵政権の支持率は依然40%前後と安定している。高い支持率ではないが、議会や野党の支持率より高いという理由で、政治的主導権を行使し続けうる水準である。その上、議席数で与党内の圧倒的多数を占めるだけでなく、与党の風向きを左右する嶺南(慶尚道)における支持度は全国レベルよりもはるかに高い。したがって、与党の侍女(従属)化を強要し、これを通じて議会と野党まで無力化させるメカニズムを作動させている。国家危機の深化の中でも、危機に第一の責任がある勢力の政治的支配力がむしろ高まるという逆説的な状況である。最も深刻な危機はここにある。なぜこうした状況が起きているのか、深い考察が必要である。これに対する解答を見つけ出せないまま進める実践が、良い成果を上げるのは難しい。

こうした状況が出現した主な原因中の一つは、朴槿恵政権に対する民主改革勢力の批判が現局面への科学的な分析に基づくよりは、「朴槿恵政権は根源的に“悪”だ」という前提から出発する場合が多い点である。独裁者の娘というイメージと、朴槿恵大統領自身の維新時代に対する郷愁、権力機関の選挙介入とそのおかげでの候補者の当選という正統性の問題などが、少なくない人々にこうした前提を自然な形で受け入れさせている。しかし、これは多数の国民と有権者にとって説得力のある批判ではなく、陣営の論理に縛られた「批判のための批判」と見られる場合が多い。歴史教科書の国定化の試みで現れたように、政府は根本的な原則に関わる問題ですら、政派的な見解の違いによる退屈な争いへと転落させるやり方で、自らへの批判を鈍らせてきた。こうした手法は御用メディアの支援を受けてかなりの成功をおさめた。さらに、これは危機の責任を野党と市民社会に向けさせうる原動力ともなった。

したがって、現在の国家危機の本質が何かを究明することは、朴槿恵政権を効果的に批判し、かつ危機克服の方策を作り出す出発点にしなければならない。この過程で主導的な役割を果たすべき野党はその時々の反射利益に寄りかかり、現状を維持するのに汲々としているとの批判を免れがたい。いや、大局的な現実認識と対案となるビジョンの欠如により、全般的な無気力症に陥っている政治家個人や系派(派閥)の利益以上の何かを考える余力を失っているようだ。今年1月、当時の文在寅新政治民主連合代表が年頭の記者会見で、朴槿恵政権3年は国家の「総体的危機」を招いたと一喝したが、状況の深刻さがどれほど伝わったのか疑わしい。これもまた、野党側のよくある批判と受けとめる人がより多いだろう。もし、野党側が危機の本質をもっと明確に認識し、これを克服するビジョンを持っていたなら、政界の分裂も今のようには広がらなかっただろうし、もし選挙を前にして分裂状態になったとしても、政治的中心は揺らがなかっただろう。これまでの状況を見ると、政界から今後も新しい変化の契機が生み出されるとは期待しがたい。私たちがこれに関する論議を急いで始めるべき理由がここにある。

2.守旧勢力の「巻き返し戦略」VS大転換

現在の危機局面は李明博政権の成立とともに始まった。その過程に韓国社会で民主的ガバナンス(governance)がどこまで進展しうるのか、あるいはどの程度まで容認されうるのかをめぐる対立が再び全面化した。わが国の憲法が主権在民を原則とし、国家の性格を民主共和国と規定している点で、民主的ガバナンスは原則的に論争の対象ではないと言える。1987年6月抗争を経験した後は一層そうである。だが、民主主義自体が極めて論争的な概念であり、これにガバナンスという概念が加わって事態はより複雑化した。特に、権力の構成と構成された権力による統治との間の関係に解決しがたい多くの問題が存在する。 1  民主的ガバナンスに内在した、一般的かつ概念的な問題に対する論議を再びしようというのではない。より注目すべき事実は、ある程度合意がなされたといえる、わが社会の民主的ガバナンスの内容と形式が、実は、これを否定する土台の上で作動してきたという点である。つまり、分断体制下で民主的ガバナンスを制約する制度的・イデオロギー的装置が裏門から政治体制に導入された。何度もの憲法改定にもかかわらず、思想と表現の自由を広範に制約する国家保安法が代表的な事例である。これは批判の自由を根源的に封鎖しうるものであり、法の作用が法の中断を通じて完成される「例外状態」の日常化が作動しているという最も重要な証である。 2  民主主義の守護という名の下に反民主的な統治行為が許容される逆説的な状況は、私たちにとって決して見慣れないものではない。韓国社会の守旧ヘゲモニーも、これを土台にして構築された。 3

韓国社会のこうした特徴を念頭に置けば、1987年以後韓国社会で民主主義の進展による成果と限界を一層客観的に評価しうる。1987年6月の民主化大抗争を経て民主主義は逆らえない国家運営の原則であり、目標としての位置を確保した。これは保守政権下でも否定しえなかったし、保守勢力内部での守旧ヘゲモニーも明らかに弱体化した。しかし、時間が流れるにつれて守旧勢力は民主的ガバナンスを不都合と感じ始めた。民主的ガバナンスの進展が「例外状態」の作動空間を侵食し、これが守旧勢力の基盤を脅かしたからである。彼らの不安は金大中政権期から南北和解の政策が本格的に推進されて最高潮に達した。

こうした危機意識により、保守勢力内部で守旧がヘゲモニーを再強化するための試みを始めた。その主な手段は分断体制の敵対的な相互依存メカニズムを積極的に動員するものだったし、「従北論」の広がりを突破口にした。これは自らへの批判者の発言権と政治的生存権を剥奪することを目標とする言説という点で、他の政治的な論争構図とは性格を異にした。李明博政権の成立とともに、1987年から進展した民主化の成果を無力化しようとする試みが執権層の主導によって始められた。つまり、守旧・保守連合政権の成立とともに守旧勢力が民主主義に対する一種の「ロールバック(roll back:巻き返し)戦略」を本格的に推進したのである。したがって、李明博政権を1987年以後の盧泰愚・金泳三政権と同じ性格の保守政権と分類するのは適切でない。南北関係に対する彼らの態度に根本的な違いがあるのも決して偶然ではない。南北対決/分断体制の強化こそ、自らの既得権を維持するのに最も効果的な方式という、守旧勢力の戦略が作用した結果である。

民主改革勢力は、李明博政権の成立後に登場し始めた後向きの現象を「逆走」と規定し、その延長線上でいわゆる三大危機論(民主主義・民生・南北関係の危機)を提起したこともあった。これを通じ、李明博政権以後の変化が「87年体制」の大きな流れを逆転させようとする試みの結果という事実を喚起させた。しかし、こうした説明は二つの点で限界があった。第一に、なぜこうした現象が現れたのかという構造的原因に対する説明へと発展できなかった。第二に、新政権の行動の特性の羅列であり、守旧勢力のヘゲモニー強化と民主的ガバナンス変更のための体系的な戦略とは把握しなかった。

李明博政権下で進められた守旧勢力の「巻き返し戦略」は、ロウソク・デモ抗争などの抵抗に直面し、思い通りには進展できなかった。2010年天安艦の沈没を契機にして「例外状態」を呼び出し、守旧ヘゲモニーを強化しようと試みたが、 4  その直後の地方選の敗北によって順調にはいかなかった。しかし、この時に発表された5・24措置は南北関係の進展に錠をかけ、従北論理と南北対決の意識を助長するのに強大な威力を発揮した。のみならず、御用メディアの許可や国家情報院の政治化など「巻き返し戦略」を推進できる政治・社会的装置を構築した。この時期、守旧・保守同盟内でも守旧的傾向と不調和を感じる流れがなくはなかったが、全体的には守旧ヘゲモニーが大した困難もなく復元されていった。これには他の対案に比べ、守旧ヘゲモニーが自らの既得権をより効果的に保護してくれうるという判断も作用しただろうが、守旧勢力に掌握された国家情報院、検察などの統治機構が保守勢力を極めて効果的に統制できたからでもある。そして、守旧・保守同盟が2012年総選挙と大統領選挙(以下、大選)で勝利を重ねると、「巻き返し戦略」を全面的に推進しうる政治的・社会的条件が整えられた。したがって、民主改革勢力としては勝利することができた、そして「巻き返し戦略」に決定的な打撃を与えることができた2012年の総選挙と大選での敗北は極めて手痛いのである。

こうした変化から、私たちは次の二つの事実に注目すべきである。第一に、韓国社会における民主主義の進展は「例外状態」の日常化を許容する法的・制度的・理念的な要因を解決せずして新しい局面へと進展しがたい。これは私たちの社会を規定する根源的な対立である。韓国社会がもう一歩前に進むために必要なのは、単なる行政府の交代ではない。「例外状態」の日常化を遮断しうる社会の「大転換」が伴わねばならない。 5  危機に陥った民主主義も「民主対独裁」の枠内で理解される民主主義ではない。民主改革勢力自らも民主主義の意味を「民主対独裁」の構図に矮小化する傾向がある。しかし、私たちが進展させようとする民主主義は極めて抜本的な転換の土台としての民主主義である。

第二に、こうした大転換を目標とする努力は、守旧勢力の深刻な挑戦に直面せざるを得ない。守旧勢力の極めて積極的な政治的動員は偶発的かつ情勢に応じた対応ではなく、切迫した危機意識から出発して韓国社会を自らの構想通りに再編しようとする試みである。そして、彼らのこうした試みを防ぐことは私たちの社会の最大課題中の一つである。他の社会で有効なある政治戦略も、こうした課題の遂行に助けにならなければ正しい方策とは言えない。

守旧勢力が「巻き返し戦略」を推進できる状況が展開しているのは不幸であるが、これを通じて私たちの社会を規定する根源的な対立が現れたという点で、一方で「歴史の奸智」による進展がなされると見ることもできる。しかし、「大転換」に至るまではより困難かつ大変な過程を経ねばならないのが現実であり、守旧勢力の巻き返しを許した原因に対する自己省察なしには「大転換」への道はほど遠い。さらに、私たちは「巻き返し戦略」が新たな局面、より深刻な局面へと進展する事態にまず直面している。

3.「巻き返し戦略」の新たな局面:漸進クーデターの特徴

2012年総選挙と大選で守旧・保守同盟が勝利した後、民主的ガバナンスに対する全面的な挑戦が始まった。この選挙で守旧・保守勢力が経済民主化や福祉のような時代的要求を積極的に受け入れる態度をとったことが勝利に決定的だった。しかし、朴槿恵政権は成立直後に主要な公約を廃棄し始めた。こうした手法ならば、それなりに有効な民主主義の形式として存在する選挙がいかなる意味をもちうるのか問い返さざるを得ない。大選当時の事件(ネット上での不正告発)とそれに対する処理過程で現れた問題まで考えれば、そうした疑問はより高まらざるを得ない。特にセウォル号事件の発生と、その収拾過程で見られた問題は「一体これが国なのか」という根本的な問題を提起するに至った。

これに対する国民的な抵抗がなくはないが、朴槿恵政権は政治的空間を委縮させて閉鎖する手口で対応してきた。統合進歩党の解散、集会およびデモに対する弾圧、韓尚均民主労総委員長に対する騒擾罪適応の試みなどが、その代表的な事例である。事態がここに至れば、朴槿恵政権の行動パターンを単に逆走が続いているという形で規定するのは、現状に対する正しい診断であるか疑わしくなる。この間の変化をめぐり、二つの相反する理解方式がある。一つは、現状況を民主主義の幅とレベルをめぐる葛藤局面と見なす立場である。こうした理解方式に従えば、現局面は他の国の政治で現れる保守と進歩の間への枠内で出現する変化と大した違いがない。韓国社会の退行的な現況も「いつか」選挙を通じて権力が交代すれば解決する問題である。野党側の支持層でもこのように考える人が相変わらず多数だと思われる。もう一つは、民主主義の基盤はすでに崩れた状態という主張である。こうした論理は、民主主義を救うために市民は総決起のようなより直接的な抵抗と行動に出るべきだという主張へとつながりうる。

だが、こうした二つの説明はともに状況の一側面のみ見るものである。第一の説明は、李明博政権成立後の守旧勢力の動きを民主的ガバナンスを前提にして進行する政治的競争という枠組で解釈するが、彼らが民主主義のガバナンス自体を否定しようとする、一貫した目標を追求しているという点を見過ごす。特に、「巻き返し戦略」が全面的かつ多面的に推進される状況に対する適切な診断にはなりがたい。第二の説明は、この間の市民社会の進展、そして民主主義的な効果などを見過ごす。守旧勢力のヘゲモニー強化と民主主義的メカニズムの無力化などを目標とする行為は大問題だが、これはこの間に達成された民主化の成果を一晩で否定することはできない。民主的ガバナンスを根本的に崩そうとする試みに抵抗する力は侮れないものがあり、このために活用できる制度的手段も依然少なくはない。

現在の状況は上記の二つの説明では捕えがたい特徴を有しており、こうした特徴を筆者は最近「新種クーデター」という概念で説明した。 6  だが、「新種」という修飾語ではその新しい種類の内容を示すには限界があり、今後は「漸進クーデター」(creeping coup d`état)という表現に統一して使用したいと思う。この表現はすぐに軍事クーデターを連想させ、それにより総決起のような積極的かつ直接的な抵抗が必要だという主張に聞こえる面もある。だが、漸進クーデターは軍事政変とは全く異なる事態の進展であり、その違いに注意して対応方案を考えねばならない。 7  漸進クーデターは背景、目標、方法と手段、内容と効果などにおいて、次のような特徴をもつ。

まず、ある社会で支配連合は内容的に民主的ガバナンスとの全面的な不調和を感じてはいるが、民主的ガバナンスの作動を電撃的には中断させえない場合、漸進クーデターのようなガバナンス変更の試みが出現する。深化する共同体の危機意識を民主主義に対する攻撃へと転化させうるなら、こうした試みが成功する可能性が高い。これに関連して、過去の進歩勢力内で進行された民主化と「民主政権10年」に対する批判的な論議を再評価する必要がある。私たちの社会の民主化の過程に限界がなかったわけではないが、それに対する批判が民主化の過程全体を否定するものであってはならない。そうした批判は主観的な意図とは関わりなく、民主主義一般に対する否定的な態度を助長し、民主的ガバナンスに対する守旧勢力の挑戦をより容易にしてしまうからである。

ここで、朴槿恵大統領の統治方式の問題と守旧勢力の企画を区別して考えなければならない。前者の問題が前面に浮上しやすいが、漸進クーデターは守旧勢力全体の企画として朴槿恵個人の権力延長ではなく、守旧勢力の永久的なヘゲモニー確保を追求する。つまり、漸進クーデターは1987年6月民主化運動を経て作り出された国家運営の基本原則に対する否定であり、分断体制下で形成された既得権を永続的に維持しようとする試みである。もちろん、87年体制も克服されねばならない。だが、これは87年体制が全的に否定的なフレイムだからではなく、前述したように、87年体制内部にこの体制が志向する価値の完全な実現を妨げる要素が内在するからである。87年体制は社会の根本的な転換を夢見る国民の熱望の相当部分を反映したが、既得権勢力との妥協を通じて作り出されたため、守旧的要素を完全に清算できなかった。その上、1997年金融危機を経て既存の発展国家モデルが解体された反面、新たな発展体制を作りだせないまま独占的な大企業の力が急激に増大した。経済的には自由化が民主化を圧倒し、保守的なヘゲモニーがより強化される結果を招いた。こうした側面から、87年体制は克服されるべきだという要求が増加した。 8  しかし、87年体制の基本精神である主権在民、経済民主化、平和的南北統一は、今後もわが社会が志向すべき主要原則である。87年体制の克服はこうした原則を完全に実現することを課題とすべきであり、これは分断体制の克服過程と関連する時に可能であることを、私たちはこれまでの経験を通じてより明確に意識すべきである。これとは反対に、漸進クーデターはこうした原則を無力化させるための試みである。

漸進クーデターは民主的ガバナンスの土台を弱体化させ続け、選挙手続きを通じてこれを正当化する方式で推進されている。選挙とクーデターは互いに矛盾する概念のように見えるが、ヒットラーや日本のファシズムの台頭もこうした過程を通じて進められた。漸進クーデターの帰結が必ずやドイツや日本のファシズム体制のようになるだろうという話ではない。 9  ただ、ガバナンスの性格の根本的な変化は、必ずしも電撃的かつ急進的な破壊を通じて実現されるのではないことは明らかである。

漸進クーデターを通じた民主的ガバナンスの急進的な否定は可能ではない。このためにはまた別の質的飛躍が必要である反面、こうした変化に対する国民の警戒心を弱めて受け入れやすくする場合、その漸進性はより効果的である。つまり、憲政の急進的な廃棄ではなく、自らの統治を脅かしうる政治・社会的勢力と制度を無力化して永久政権の土台を構築するのが一次的な目標である。民主的ガバナンスの法的形式を全面的に廃棄しなくても、その運営により自らのヘゲモニーを強化する方式によって目標を達成できるのだ。

こうしたガバナンスの質的転換が推進されているならば、その性格をどのように規定すべきかについて、もっと多くの論議が必要である。 10  ただし、いかなる場合にも現状況を日常的な変化、よく言われる「日常業務(business as usual)」と見てはならない。例えば、セヌリ党が総選挙で180議席以上、さらに200議席以上を確保すれば、どのような変化が発生するかを考えてみる必要がある。180議席までは行かなくても、与党側が安定的過半数を確保する場合にも状況は油断ならないだろう。つまり、今年は逆走が本格的に臨界点を超える転換点になりうる。

したがって、次の総選挙はもちろん、その後の変化についても事態の深刻さと課題の重大さを考慮した対応策づくりが急がれる。再度強調すれば、単なる独裁反対のフレイムを逸脱できない「民主主義の守護」のような防御的かつ守勢的なビジョンでは、漸進クーデターを阻止する動力を作り出すのは難しい。その上、セヌリ党の圧勝を防ぐことで漸進クーデターの阻止に一助となるという謙虚な姿勢ではなく、自分の党の勝利はそれ自体が韓国社会の大転換を意味するという調子でいるなら、有権者の顰蹙を買いかねない。

前でも強調したように、民主的ガバナンスの進展は韓国社会のより根本的な転換を実現する時にこそ可能である。大転換の糸口を、次の新たな3つの領域でつくらねばならない。最も重要な第一は、民主主義の進展と分断体制の克服過程の間に好循環を作り出すことである。こうした過程に進入する時、他の領域における質的転換が可能になる。第二に、経済民主化を中心にして経済社会の構造転換を積極的に推進すべきである。最後に、生活領域において民主主義を進展させることである。民主主義は制度的レベルだけでなく、職場を含めた暮らしの領域において作動すべきである。もちろん、こうした変化は制度的レベルでの民主主義の進展とかけ離れたものではないが、これに対する特別な関心と努力なしに達成できるものでもない。今や単なる「独裁反対、民主主義の守護」ではなく、わが社会の「大転換」のための大ビジョンを提起し、これを担いうる政治主体を形成していかなければならない。

4.市民社会の対応:連合政治と「市民政治」の再活性化

現局面で民主改革勢力の対応を難しくする最も大きな要因は、野党側の危機と分裂である。漸進クーデターのようなガバナンス転換の試みは、選挙を通じて事後的に自らの行為の正当性が承認される方式で進められるため、総選挙は単に政府の「独走を牽制」するのにとどまらず、漸進クーデターの動力を急速に弱めうる絶好の機会である。反対に、最近数回の補欠選挙で与党が勝利して以前の深刻な失政とスキャンダルを覆い隠しえた事実を見ても、野党側の分裂は逆走が臨界点をたやすく超えうる可能性を広げている。

したがって、野党側の危機に対する正確な診断が必要である。野党側の危機の根源は、2004年の総選挙で多数党になったヨルリン・ウリ(開かれた私たち)党体制の退化にある。現在の野党側の土台と性格は、基本的に2000年と2004年の総選挙を経て形成された。特に、2002年盧武鉉大統領の当選と2004年の総選挙を経て、支持基盤としては湖南(全羅道)と首都圏および他地域の改革的性向の有権者が結集し、政党運営において上向式の意思決定方式と参加が強調された。これは野党側の改革的性向を強化させ、野党側の支持勢力を政治的に活性化させたという点で、韓国政治に肯定的に寄与した。同時に、この体制がその後の主要な選挙で大方の期待に達しない成績を残したという事実も見過ごすことができない。

2006年地方選挙で敗北した後、ヨルリン・ウリ党の基盤は弱体化し不安定さも高まった。それでも李明博政権の成立後に展開された逆走に対する国民の憂慮が高まり、2010年地方選挙を契機にして野党の支持基盤は相当な部分が復元され、2012年総選挙を前にして過半数の議席確保を自負しうるほどに勢いを拡大させた。これは野党内部の力によるものではなく、市民政治と連合政治の活性化が大きいと思われる。結局、2012年総選挙と大選で光と影がともに現れた。一応、民主改革勢力が政略的な地域連合や保守の分裂に期待しないで、守旧・保守連合と事実上の優劣を分けがたい一対一の対決構図を作り出した点は成果である。だが、勝利が予想された選挙に負けて朴槿恵政権の誕生、そして現在のような漸進クーデター局面への進展を招いたという点で限界も明らかである。2012年の選挙敗北を経て、その原因が何であり、これを克服する方案は何なのかについて真面目な論議が進められなかった。これに対する評価は、依然重要な意味をもつ。

なぜこうした後退現象が出現したのか。まず韓国民主主義の土台が守旧勢力の反撃にいかに脆弱かに対する認識が不在であり、そこでこうした挑戦に対決するための政治主体の強化を主要な課題としなかったことが大きい。例えば、盧武鉉政権の大連立構想はいかにナイーブなものだったか。ナイーブなだけでなく、韓国社会に対する根本的に誤った認識がこうした発想を生み出した。守旧ヘゲモニーの強化と、それが招く民主的ガバナンスに対する脅威を見過ごしたまま民主主義の進展を楽観視した。それにより、守旧勢力および守旧ヘゲモニーから脱皮できない保守に手を差しのべ、守旧ヘゲモニーを克服するために協力すべき勢力とは葛藤を招いた。その結果は、支持基盤の急速な崩壊だった。李明博政権の成立後、韓国の民主主義はいかに脆弱な基盤にあるのか、そして守旧の影響力がどれほど強大かに対する認識が深まりはしたが、野党側の内部で韓国社会が直面する危機の性格と克服方案に対する共感がどれほど広く形成されたかについては依然として疑問が多い。

その上、野党側の党内では変化の要求と新たな社会的エネルギーの受け入れを妨げる既得権構造が強化された。そして、2011年から安哲秀現象として表出した有権者の要求とエネルギーをまともに消化できなかった。強調したい点は、野党側内の既得権といえば湖南という地域基盤に安住した政治家を思い浮かべやすいが、首都圏の現役議員や地域委員長の既得権も見過ごしてはならない事実である。彼らの構成と性格も2004年以後大きな変化がない。党員増大など党の組織的な基盤が広がらない状況では、上向式の政党運営さえ既得権の保護装置に転落しうる。新しい勢力が入って公正に競争できる環境が作られなかったのは、湖南でも首都圏でも同様である。小さな既得権に恋々としてより多くの人々と大きな連帯を作れなかったこれまでの過程こそ、果たして野党側は韓国社会が直面する危機を厳しく受けとめているのかという疑念を起こさせる主要な点である。

こうした状況で受権政党あるいは受権勢力としての信頼を得るのは難しい。受権勢力として信頼を回復するための具体的な対案を提示できなければ、統合論議の意味も半減せざるを得ない。もちろん、この問題を何も破壊的な方式で解決させる理由はなかった。最もたくさん持っている者が他人に背中を押されてではなく、自ら決断して最も多く差し出して内部の足りない点を補完していたなら、 11  これによって受権能力と大転換を担いうる能力を育てていったなら、現在の分裂事態には至らなかっただろうし、また一部の離脱が大きな衝撃にはならなかっただろう。問題は、この間の革新作業が内部的には受権政党としての再誕生、外部的には反動的な流れの阻止と韓国社会の大転換を明確な目標としなかった点にある。その渦中で進められた様々な革新作業が派閥争いの火種となり、むしろ分裂を促す結果を招いた。2014年3月、新政治民主連合の結党とともに試みられた革新作業は、地方選挙が続けて行われた関係で選挙対応の後に回され、7月補欠選挙の敗北によって党代表が辞退し、その方案が実行されうる機会を逸した。その後、文在寅代表体制で比較的十分な時間と意志を持って革新作業が進められたが、当初から公選規則にあまりに集中して覇権主義の疑念を払拭できなかったために系派間の葛藤が激化した。特に革新方案の最終発表の段階で、主要な指導部の出馬問題に対して革新委員会の立場を発表したのは、革新委員会が公選作業を特定系派に有利に進めようとするとの批判を自ら招いた面がある。結局、革新委員会の活動は党内分裂を煽る結果に至った。分党事態後の人材受け入れと、その後の非常対策委体制を通じて刷新を推進しているが、こうした作業が一時的な支持率上昇をもたらすとしても、わが社会の危機克服の方向をきちんと提示するとは考えがたい。

このような状況で市民社会が担うべき仕事は増えざるを得ない。自らの力を考えずに、あまりの大仕事を夢見るのも問題であるが、逆に自らの力をあまりに軽視する必要もない。また、私たちは国民と有権者がいつも予想できない方式で自らの要求を噴出してきた歴史的経験を持っている。漸進クーデターの試みに対する認識が高まるにつれ、有権者は自らの要求を表現する企画を積極的に模索するだろう。市民社会は「大転換」のビジョンを作り出し、潜在的エネルギーが表出されるようにする作業を進めなければならない。

短期的には、選挙に先立って野党側の競争を生産的な方向へ導いていく努力をすべきである。これは2010年当時の連合政治論とは異なる構想である。全国的に与野の「一対一」対決構図が当時よりさらに難しくなった現実を直視しながら、分裂した野党側が出血競争ではなく競争と連帯を調和させ、総選挙における圧倒的勝利という執権勢力の目標を挫折させ、漸進クーデターに亀裂を生むという発想である。これによって国民に希望を与え、2017年まで続く政局で主導権を回復する可能性を残そうというのである。このために市民社会は各野党に対し、2004年以後に累積した内部の問題をいかに克服して漸進クーデターを阻止するのか、説得力ある答えを要求すべきである。そして、誠意をもってそうした作業を進める政党が、結局は有権者の支持を得られるようにしなければならない。例えば、湖南地域はそうした競争に適した舞台になりうる。もちろん、これだけで野党側が総選挙に勝利するのは難しい。現行の選挙制度で全国的に「一与野他」構図が形成されれば、野党側は惨敗を免れがたい。

したがって、首都圏と忠清道、嶺南などの地域では、公開であれ暗黙であれ、全国的な範囲であれ地域的な範囲であれ、いかなる方式でも選挙連合が推進されなければならない。少なくとも、標的公選とか相手側の出血を狙った「無条件で出馬」のような争いは避けねばならない。このためにはまず、首都圏でより強い勢力を有する「共に民主党」の責任ある身の処し方が必要である。そして、他の野党の場合は首都圏と嶺南で知恵のある選択と集中戦略を駆使すべきだ。比例代表の得票率を高めるためには、可能な限り多くの地域区に候補を立てるのは不可避だという主張もあるが、過去の進歩政党を見れば、比例代表の得票率を高めた地域区の候補者の数と直結はしなかった。選択と集中を通じ、総選挙の勝利のための犠牲的かつ賢明な姿勢を示す場合、むしろ野党支持者に政党名簿制の投票では自分の政党を選んでほしいと、より積極的に訴えることもできる。そして首都圏、忠清道、嶺南で象徴性が高くて全国的な影響が大きい選挙区の場合、共同選挙運動まで含める連帯を実現すべきである。こうした連合のために、市民社会もなすべきことをやらねばならない。政界のみに任せていてはこうした結果を得難い現実において、市民社会の力量が選別的とはいえ、どのように、どれだけ効果的に介入するかによって総選挙の結果をめぐって国民が希望を堅持できるか否か左右されるだろう。その方法も「ダメもと(ダメでもともと)」式の選挙連合を叫んだり、候補に対する道徳性または政策評価などで自己満足する市民団体版の「日常業務」的な思考を越え、今日の状況に照らして新たに創案されるべきである。全国的な次元では連合の意味、必要性、そして具体的な実現方式に対する論議を組織すること、地域別では地域の事情に応じた連帯を実現するための作業に取り組むことから始めうる。

中期的に、市民社会は2017年の大選が大転換のための重要な契機になりうる条件をつくり始める必要がある。特に、今回の選挙を市民政治の力量を復元して強化する場にしなければならない。2012年総選挙まで活性化されていた市民政治が2012年の大選後は急速に委縮したことを忘れてはならない。

わが国の政党の落後性は歴史的かつ構造的な要因が作用した結果なのであり、政党政治が発展すべきだという当為論だけでは短期間に克服しがたい。このような条件で市民政治が新しいアイデアを政治社会に供給し、有権者と政党間の距離を狭めるのに大きな役割を果たしてきた。こうした市民政治は政党政治を対立するものではなく、政党政治の発展のためにも必要である。 12  だが、2012年の選挙敗北に対する失望感、政治は政党に任せるべきだという当為論が相乗作用しながら、政治社会に対する市民社会の関心が減少していった。市民社会は組織的な力量が地域的とはいえ、個別領域で着実に増大してきたが、わが社会の大転換のためのビジョンを生産する上では大きな成果を上げられずに、むしろ後退した面もある。実際、本稿で提示する漸進クーデター論や大転換論を含め、わが社会のビジョンに対する様々な発信があったが、市民社会内部にはこれに対して無関心な場合も多く、自分のことでも一生懸命やろうという態度が蔓延しているようだ。その結果、草の根組織の活性化が市民の政治的参加と影響力の増大に大きな助けになりえずにいる。こうした中で、漸進クーデターが順調に進展すれば、市民社会が最初に打撃を受けるだろう。

したがって、漸進クーデターを阻止してわが社会の大転換を実現する作業は市民社会が直面する最も大きな課題であり、このために市民社会を活性化すべきである。迫りくる総選挙はこの重要な契機である。その上、漸進クーデターを阻止して新たな政治的地平を開くことは1987年までの民主化運動以上の意味があるという使命意識も必要である。分断体制に内在した矛盾が前面に現れ出たことで、これの克服は大転換に値する変化を触発しうるからである。このためには、市民社会の活動家がまず大転換に対する認識を深化させ、大転換のために市民社会内部でどういう共同の努力が必要であるかに対し、持続的に模索すべきである。

長期的に、市民政治は草の根次元における力量の強化に基づいて発展すべきである。実際、最近の市民社会の発展が主にこの領域で達成されてきたが、これは今までの市民政治よりより直接的かつ効果的に政治に影響力を発揮しうる通路である。野党側は、何人かの市民社会出身者を迎え入れる方式で市民社会との関係を管理しようとする傾向があるが、政治と市民社会の真の協力のためには、草の根市民政治の活性化が鍵である。こうした土台が構築されてこそ、過去の民主政権10年が反動の時代へと続いた前轍を再び踏まないようになり、韓国さらには韓半島のアップ・グレイドを実現しうるだろう。

Notes:

  1. ジョルジョ・アガンベン「民主主義という概念に関する手引書」、ジョルジョ・アガンベン他『民主主義は死んだのか:新たな論争のために』金サンウン他訳、ナンジャン、2010年。
  2. ジョルジョ・アガンベン『例外状態』金ハン訳、新しい波、2009年、24~27頁、を参照。洪ミンは「分断―安保フレイム」によって例外状態が創出され、日常化されるメカニズムを分析したことがある。洪ミン「分断と例外状態の国家」、東国大学分断/脱分断研究センター編『分断の行為者:ネットワークと随行性』、ハンウル、2015年。
  3. わが社会で「守旧」とは、保守よりもさらに退行的かつ極端な理念的傾向を指す。特に、保守は近代民主主義の枠内で活動するが、守旧はこれを否定する傾向を意味する場合が多い。金ホギ「2000年以後の保守勢力:守旧的保守とニューライトの間で」、『記憶と展望』通巻12号(2005年)69頁。こうした区分は依然意味を有するが、より重要だと指摘せねばならない問題は、なぜ他の民主主義国家では周辺的な傾向にとどまっている極右などの守旧的勢力が圧倒的な影響力を行使しているのかである。これは分断体制の作用と切り離しては説明しがたい。
  4. 拙稿「李明博政権の統治危機:民主的ガバナンスとの不調和」、『創作と批評』2010年秋号、を参照。
  5. 白楽晴は、時代交代の熱望を集めてこそ、政権交代という第一次的な目標を達成することが可能だという考えから、2012年選挙を前にして単なる政権交代ではなく、「2013年体制の建設」という目標を提示したことがある。選挙敗北によってその企画は水泡に帰したが、こうした認識は新たに2017年大選が近づいている現時点で依然有効であり、最近は「大転換」という概念へとその問題意識を進展させている。これについては、白楽晴「大きな積功、大きな転換のために:2013年体制論以後」、『創作と批評』2014年冬号、および『白楽晴が大転換の道を問う』、チャンビ、2015年、を参照。
  6. 拙稿「歴史クーデターではなく、新種クーデター局面である」2015年冬号、および『チャンビ週刊論評』2015年11月25日。
  7. こうした点に対する強調は、白楽晴「新年コラム――新種クーデターが進行中というなら」、『チャンビ週刊論評』2015年12月30日。
  8. これについては、金鍾曄「分断体制と87年体制」、『創作と批評』2005年冬号、を参照。
  9. もちろん、朴槿恵政権の性格を「類似ファシズㇺ」と規定する主張も少な くない。ただ、漸進クーデターが成功裏に進むにせよ、過去の軍事独裁やファシズムとは異なる手法で守旧勢力の永久執権を実現させようとするだろう。
  10. 廉武雄はこうした時代認識を共有しながらも、クーデターが現局面を説明する適切な用語か否かについて疑問を提起している。廉武雄特別寄稿「“新種のクーデター論”について」、『ハンギョレ』2016年1月15日。
  11. 前掲、拙稿「歴史クーデターではなく、新種クーデター局面である」。
  12. これに関しては拙稿「市民政治の浮上と政党政治:危機か機会か」、『歴史批評』2012年春号、を参照。

文学の開かれた道–歪んだ世界と主体、そして文学

2016年 春号(通卷171号)

〔特集〕大転換、どこから始めるべきか

韓基煜(ハン・キウク)
文学評論家、仁済大学英文科教授。『創作と批評』の編集主幹。著書に評論集『文学の新しさはどこから来るのか』などがある。

1. 文学の道は開かれている

人生がそうであるように、文学も自明なものではない。重要な歴史的な局面を迎える度に「文学とは何か」と問いかけ、その問いに懸命に答えようとするのもそのためであろう。また、人生の正念場を迎える度に「人生らしい人生とは?」と自問するように、文学においても「文学らしい文学とは?」と問いかけるようになる。

過去50年間、季刊『創作と批判』は、あらゆる文学の危機に直面しながら、文学の場の内部で起きた二つの偏向と戦ってきた。一つは「純文学」又は「(純)文学主義」と呼ばれるもので、つまり時代の現実やイデオロギーに超然としたまま、純粋な美的価値を志向する文学的流れのことである。これは、文学の純粋性を前面に押し出すことで、民族もしくは民衆の立場から独裁と殖民主義を批判する文学を不純なイデオロギーと非難する。純文学は「純粋VS参与」論争を通して、自由主義というよりも、むしろ反共独裁順応主義といえる「純粋」自体のイデオロギーが暴露されたりもした。また、1980年代の民衆文学の拡散により評壇では自由主義の勢力が全般的に弱化された。しかし、ソ連・東欧圏が崩壊し、ポストモダン言説が流入した1990年代以降、現実順応的な自由主義が再び様々な形で影響力を拡大し始めたのである。

西欧の文学史における19世紀後半の芸術至上主義、20世紀初頭の英米学会の新批評、20世紀半ばから後半にかけての(後期)構造主義などもこのような流れを汲むものである。こういった文学傾向の問題点は、文学のテキストを自足的で自律的な一つの形式もしくは構造として見なすことによって生じてしまう。いわゆる「文学の自律性」を絶対化させ、文学固有のテキスト-空間を設定し、その形式と構造に没頭するのである。ここでの形式は完全なものでない。ブラジルの批評家であるロベルト・シュワルツ(Roberto Schwarz)は、新批評と構造主義が文学的な形式と社会的な形式の間の弁証法的な関連性を無視した結果、通念とは逆に形式の役割を過小評価したと見なしている。その一方で、資本に対する研究において形式と物質の弁証法を最後まで押し通したマルクスこそ構造主義的であり、形式主義的な思想家であると評価している。 1      つまり、純粋主義の文学路線は同時代の人々の生き方とはかけ離れた「閉ざされた道」であり、よりよい人生を想像し、思索に必須的な文学を形式美学の問題へと還元してしまう。

もう一つの偏向は、文学が何かの大儀のために存在し、その大儀を実現させるために、ある特定の方法によって実行すべきという目的論的、及び道具論的な傾向である。このような文学も進むべき道が既に決められているという意味で「開かれた道」とは言えない。このような傾向は、多くが革命期の文学で現われるが、社会主義リアリズムなどがその代表的な例である。我が国では日帝強占期(日本植民地時代)のカップ(KAPF:Korea Artista Proleta Federatio)や1970~80年代の反独裁民主化時代の急進的な文学論においてこのような傾向が現われた。この傾向の基本的な問題は、文学が社会科学的・哲学的な革命論に従属しており、本来の想像力と創造性が失われ、無視されているところだ。俗流マルクス主義や「主体文芸」などを含め、現実社会主義の公式的な文学観で現われるように、こういった傾向の文学は、既に科学的に把握されている人間と時代現実の真実を文学的な想像力で形象化させるような立ち遅れた、且つ補助的な性格を帯びている。1970、80年代の民衆文学や労働文学の中で、幾つかの作品は文学史上、記念碑的な作品として評価されているが、多くの作品が硬直的で図式的な叙事から抜け出せなかったのは、そのためであろう。以降、民衆文学はこのような限界を乗り越えるために努力し、その成果も少なからずあったが、目的論的な文学観の枠から完全には抜け出せないでいる。

文学は社会科学や哲学的な理論によって既に認識されていることを文学ならではの方法で再び提示したり、接近したりすることではない。シェークスピアの戯曲が青年だったマルクスに知的インスピレーションを与えた理由は、シェークスピアが資本主義の政治経済学を学び、それを見事に作品化したからではない。自らの生きた時代の人々の生き方を通して、資本主義の核心と原理、そして反人間的な性格を直観し、それを生々しい言葉で表現したからである。文学は作家が意識しようがしまいが、与えられた人生と現実に全身全霊で体当たりし、思索と感覚において未踏の世界を開くことであり、批評はその創造的な行為が切り開いた新たな認識と感性の意味を解き明かし、その創造的な核心を守ることである。それゆえに批評は、これを誤った方向へと導いたり乱したりするような邪見とは妥協せず戦わなければならないのだ。

文学の道は、純粋主義と目的論的な偏向をなくし、自らを含めた具体的な個人と共同体の人生へと開かれた道である。文学の開かれた道は存在の開放性を前提とし、文学がある特定の空間と特定の規則に縛られないことが含蓄されている。だからと言って、普遍的な真理の空間に存在するという意味ではない。むしろ文学は「普遍的な真理」と言われている形而上学を解体しながら、一個人がその時々の具体的な場所と時間に生きていることを表現することで具現されるからである。文学を論じる場で時代と主体の問題について論じ合うのもそのためである。批評は世界と時代と主体の問題について(社会科学と哲学と理論を包含する)人文学的な論議と向かい合い、対話し、論争する必要がある。この問題に関する限り、文学批評は学問としての人文学と相接する領域であり、お互いの思惟と想像力に寄り添い合うしかない。

2. 歪んだ世の中、甲乙関係、そして変革の主体

シェークスピアの悲劇『ハムレット』(Hamlet, 1601)は、近代的な個人の典型を示すと同時に時代の問題を提起している。王子であるハムレットは、自分の生きている「今の世の中は歪んでいる(世の中の関節は外れている)」(The time is out of joint, 第1幕第5場)ことを認知し、このような世の中を正すべき人物が自分であることに嘆く。ハムレットの時代に収集がつかないほど歪んでしまったのは、王権と父権を骨格とした封建秩序であった。400年余りが過ぎた現在も、何人かの世界的な学者は「歪んだ(out of joint)」という表現で資本主義の現在を診断する。

ウォルフガング・ ストリーク(Wolfgang Streeck)は、資本主義の終焉を予測する著書の最後の節「歪んだ世の中」(The World Out of Joint)で、現在の資本主義の悪性病弊を5つ挙げ、治療薬はないと断言している。 2  イマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)は、近代以降進行している歴史的な傾向が線形的な進歩か、両極化かを分野別に検討する書籍 ―この書籍の表題も「世の中は歪んでいる」(The World Is Out of Joint)である― で、現在の危機は新自由主義的な方法も社会民主主義的な福祉国家モデルも解決策にはなり得ないと判断している。 3  現在の世界体制は平衡状態には戻れないほど歪んでおり、下層階級は勿論、資本家にとっても得にはならない支点に到ったということだ。その他にも、先端技術が管理労働の代わりを果すため中間階級の居場所がなくなり、資本主義が崩壊するか、或いは、たとえ革新を通して資本主義を維持したとしても核や気候変化による生態的な危機が体制を崩壊させるかもしれないという意見もある。 4

勿論、資本主義の未来を楽観的に見通している見解も多い。しかし、楽観論が優勢である経済学会内でも資本主義が深刻な状態にあることを立証する研究が出ている。過去2世紀の間、全世界的に所得と富の不平等の推移を追跡したトマ・ピケティ(Thomas Piketty)は、両極化が深化する一方だという ―ウォーラーステインも指摘したように― 仮説が事実であることを確認させた。特に2008年の世界金融危機から2011年のウォール街占拠デモまで、大衆が肌で感じること、つまり資本主義がまともに機能していないという直観が事実であることを立証したのである。 5  ウォール街占拠デモでの「1% VS 99%」というスローガンは、もはや厳たる事実となった。 6  即ち、現在は資本主義が崩壊しつつあるにもかかわらず、後続の体制は全く出現していないという危機の時代であり、それゆえに大転換の切実な時代なのだ。

視線を韓国内に移してみても、2014年のセウォル号事件によって表面化した体制上の深刻な病弊は治癒されるどころか、むしろ悪化してしまったことが分かる。その上、中長期的な問題は放置されたままなので、いずれ崩壊してしまうのではないかと懸念の声が高まっている。例えば、最近ソウル大学の社会発展研究所の所長張德鎭(ジャン・ドクジン)は少子化・高齢化、正規職・非正規職の二重化、民主主義、統一、環境などの問題が非常に深刻であることを力説し、「宿題の時間は7~8年しか残っていません。それ以降は人々がパニック状態に陥るでしょう。パニック状態に陥ったら、如何なる政策も役には立ちません」 7  と警告している。このような危機を覆すような彼の解決法は政治を正すことであり、特に北欧のような「合議制民主主義」の強化である。取り上げている問題全てが緊迫した問題であり、その解決法が政治にあるという指摘には十分共感できる。しかし、韓国の「政治」を合理的で正常的な過程として想定しているという点で彼の診断と処方は現実的な解決方法ではないと思われる。朴槿恵(パク・クンヘ)政権はこれまで最低限の民主主義的な基盤さえも無視し、嘘と便法、そして不法を繰り返している。このような逆行中の政治的な流れを方向転換し、合議制民主主義を強化する方法があまりにも漠然としているだけでなく、朴大統領が崩そうとするものが「合議制民主主義」だという前提自体が87年以降の成果を過大評価し、分断体制を抜け出せない87年体制の限界を見過ごしてしまっていると思われるからだ。 8

いつからか、社会のあらゆる分野で甲乙関係(主従関係)現象が現れ始めた。資本家と労働者の関係だけでなく、大企業と中小(下請け)企業も甲乙関係にある。権力者の前で立場の弱い人々は乙となるしかないが、大統領と閣僚さえも国民に対して「甲の横暴(パワハラ)」を行い、官僚社会でも同様のことが起こっている。最近の韓国社会で目に付く特徴は甲乙関係が社会の全ての領域で拡大し、多くの人々が乙となっているということだ。そして、その乙の中でもさらに甲乙関係が生まれている。現在、韓国社会は「甲乙社会」と言われても仕方ない状態であり 、 9  それゆえに『持分のない人々としての乙』に注目し、乙を政治的な主体とする「乙の民主主義」という発想も生まれるのだろう。

「乙の民主主義」という表現は一つの概念というよりは一つの話題に近い。乙とは誰なのか、彼らが政治的主体、そして民主主義の主体となり得るのか、果たして彼らが従来の「歴史的な大韓民国」の共同体とは違う新たな共同体を構成できるのか、でなければ乙は時が経てば消えてしまう一時の流行語に過ぎなく、インタレグナム(interregnum)の時期を乗り越える新たな政治の主体は他に探すべきなのか、それは誰にも分からない。しかし、重要なのは、国民自らが自分を乙と感じており、社会が乙という平凡な言葉を深刻で重い言葉として、そして社会の深層的な現実を指す言葉として使用しているという点である。 10

意義のある提言だと思う。ただ、乙の民主主の基盤となる「乙の連帯」がどうすれば可能かについては多くの討論が必要であろう。個人的な意見としては、まず乙を構成する「持分のない人々」に、その言葉の意味に合った少数者、つまり障害者、移住者、性少数者、脱北者、難民などが含まれるべきだと思う。彼らの「持分のない」もしくは「乙」の状態は従来の「民衆」概念においても、脱殖民主義の「下位主体」(subaltern)論議においても殆んど注目されることはなかった。カテゴリー化されていない周辺的な存在に目を向けてこそ、「乙」が(「甲」とも呼ばれる)「乙」を生み出す悪循環を食い止めることができるだろう。さらに、韓国社会の中で依然として弱者の立場にある女性も含まれるべきであろう。

集団的・地域的な主体としての甲乙関係も重要な問題である。例えば、現在の首都圏と地方は少なくとも社会文化的なレベルでは甲乙関係と言えるが、実際、これは首都圏の特権層と(土豪を除く)地方住民との関係であろう。集団的・地域的な甲乙関係が長期化すると、植民化を伴うことになる。現在の韓国の地方が首都圏の植民地のように感じられるのは恐らくそのためであろう。そして、このようなレベルでの甲乙関係は韓国社会の内部にだけ存在するわけではない。例えば、国際社会での韓国と米国の関係こそ、典型的な甲乙関係ではないだろうか。李明博(イ・ミョンバク)政権以降、韓国政府は韓米間の甲乙関係を緩和しようとした前政府の努力までも不安に思い、返還予定であった戦時作戦指揮権を自ら返上してしまった。

興味深いのは、南北関係である。現在の南北関係は特に甲乙関係とは言えないかもしれないが、南北の力の非対称は明確であり、国際社会での待遇の違いにより韓国は ―特に南北間の敵対関係も辞さない政権が韓国側に誕生した時― 北朝鮮に甲のように振舞おうとする。北朝鮮は(米国を後ろ盾にした)韓国のこのような態度を「甲の横暴」と受け止め、核武器やミサイル・人工衛星の開発などで対応する。これに対抗して、韓国は開城(ケソン)公団の全面中断(事実上の閉鎖)という自虐的でありながら典型的な「甲の横暴」に値する強攻策を取った。世界体制の覇権国の立場からすれば、南北の分裂と敵対は韓半島(朝鮮半島)を統制するには非常に都合がいい。韓国からイデオロギー的な朝貢を受け取るだけでなく、サード(THAAD)のような対中国用に転換可能な武器を韓国内に配置できるのである。南北の既得権層にも南北間の敵対は都合がいい。自分達の居場所を脅かす改革勢力に「従北」「反動」というレッテルを貼り、締め出すことで特権を維持、管理できるからである。朴大統領が開城公団の閉鎖措置に踏み切った理由を正確に把握することはできないが、自分自身の権力基盤を守るために決して損はしない政略的な判断が作用したことは間違いないだろう。

分断体制を甲乙関係で説明するならば、南北とも世界的な覇権国家との関係では乙の立場に置かれている。しかし、両国の関係では南北の少数の特権層が甲であり、南北の大多数の住民が乙と言えよう。韓国社会において乙の民主主義を通して「従来の「歴史的大韓民国」の共同体とは違った新たな共同体を構成」するためには、分断体制という甲乙関係の撤廃、もしくは解消の過程が伴わなければならない。分断体制の甲乙関係こそ、韓国社会のあらゆる甲乙関係を統制し、調節する重要な機制だからだ。逆に言えば、甲乙関係としての分断体制の克服を念頭に置かず、韓国社会の内部の複雑な甲乙関係にだけ焦点を絞ってしまうと、甲乙関係の相対主義から抜け出すことはできないだろう。

乙の民主主義が正常の状態で進行するのではなく「インタレグナムの時期を乗り越える新たな政治」という設定にも注目すべきである。「インタレグナム」(interregnum、王座空位期間)の概念は元々グラムシ(A. Gramci)の「危機」発言から由来したものであるが、ジグムント・バウマン(Zigmund Bauman)と陳泰元(チン・テウォン)はそれぞれ違った意味付けをしている。バウマンがこの概念を通じて注目したのは、国民国家の時代から世界化の時代への転換期において生じた権力と政治のズレである。つまり、政治は依然として国民国家単位で作動しているが、権力(特に世界市場及び資本の権力)は国民国家と国民的主権の力よりも大きいがゆえに引き起こされる危機局面を意味する。一方、陳泰元はセウォル号事件によって表面化した「黒い空白としての国家」というところに注目し、そのような空白を通して表現された「主体性を喪失した国家」を「如何に主体化するかという問題」を考える。

バウマンと陳泰元の意味付けは示唆に富むものだが、この概念が由来したグラムシの発言、つまり「危機とは正確に言うと、古いものが消滅しつつあるにもかかわらず、新しいものが生まれない状態のことだ。このようなインタレグナムでは、極めて多様な病理的な症状が現れる」 11  という指摘を尊重しながら現在の危機(インタレグナム)について話すならば、大きく三つの層位の体制に分けて考える必要がある。一つは市民の力によって民主主義を勝ち取って築き上げた87体制の危機、二つ目は分断体制の危機、三つ目は前述した資本主義の世界体制の危機である。この三つの層位の危機はお互いに連動しており、古い三つの体制が崩壊した後、どのような「新たなもの」が誕生するかは未定である。

87年体制の危機から見てみたい。セウォル号事件を通して表面化したのは、国家自体の不在や空白というよりは、韓国を「乙のための国」にはしたくないという既得権-執権層カルテルの決然たる態度であろう。このような逆行的な動きが益々強化されながら、87年体制の根幹をなす民主主義的ガバナンスを覆す事態 ―李南周(イ・ナンジュ)の表現では「漸進クーデター」― が起きているのが現在の厳重な局面である。 12  現在の分断体制の危機は、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代に比較的円満な解体作業が行われていたのだが、それが李明博・朴槿恵政権に入って中断され、その後、分断体制を無理矢理復元しようとしているために発生したものだ。復元が不可能である理由は、何よりも分断体制の固着期とは違い、現在は東西冷戦の一つの軸であったソ連が崩壊したにもかかわらず、米国が覇権国家としての地位を失いつつあるためである。しかも、中国が韓国経済に決定的な影響力を与える国家として浮上している状態で、米国に「オールイン」し、南北対決を再び激化させるからといって分断体制が回復するわけではない。分断体制が一層危機に陥る可能性はあるが、だからといって無理に取り掛かると、一時しのぎで修理した建物のように一瞬の内に崩れてしまい、経済的な破綻や戦争のような大災難を引き起こす可能性が高くなる。 13

到来する新たな体制を牽引するような政治的主体、例えば、乙の民主主義の主体となる人々は誰だろうか。87年の民主抗争の主役であった「386世代」は、今や既得権勢力の典型として非難されている。彼らとしては、悔しい面もあろうが、それなりの理由はある。彼らは民主化の主役という勲章を手にすると共に自由化の恩恵を受け、大多数が社会の重要なポストを占めている。それとは逆に今の若者たちは彼らが受けた恩恵(恋愛、結婚、人間関係、マイホームなど)を諦めなければならない状態にあるのだ。しかし、既成世代も体制の危機を避けることはできないため、彼らもまもなく中産層の地位を失うことになろう。いずれにせよ、志のある少数の人々を除いては、既成世代が自発的に乙の民主主義の主体となる可能性は低い。若者世代はどうだろうか。ソン・アラムは若者世代の立場を代弁する「望国宣言文」の中で次のように述べている。

ここを地獄と決め付けないでください。未来に一層悪化する可能性のある場所は地獄とは言えません。世界の終わりを確信しないでください。我々の想像力は最悪を想像するまでには到っていません。過ぎ去っていく全ての瞬間を私たちは今よりは幸せだった時代として記憶するでしょう。だから、過去とは別れを告げ、未来を受け入れる用意をしてください。私たちは近いうちに今のこの瞬間を懐かしがるでしょう。 14

非常に共感できる内容である。もし、今よりも悪い体制が生まれてしまったら、我々の生きるこの国は我々が想像できないほど最悪の事態となるだろう。しかし、そうなる可能性が高いだけであって、そうなるとは限らない。この地獄のような世の中を変化させることに、若者が主体となるか、ならないかで状況は完全に変わってくる。しかし、「多くの青年はもはや夢を抱かず、不公平な生存よりは公平な破滅を願い始めました。私たちは国号を忘れてしまった百姓のようにこの国を「ヘル(hell)朝鮮」と呼んでいます」という宣言は、今の若者たちが如何に漠然とした不安を抱えているかを既成世代に伝えようとしているという意味では納得できるが、未来の主体としての発言としては納得できない。「不公平な生存」を変えようとはせず「公平な破滅」を願う存在ならば、世の中を変化させるどころか、自ら生み出した「心の地獄」さえも消し去ることはできないだろう。この地獄のような世の中で憤恨を乗り越えようとする志を抱くならば状況は完全に変わるだろう。例えば、今の行き詰まった現実を直視し、怒りを覚えながらも恨みや絶望や無気力に陥ってしまわずに生きている若者、世の中を変化させることに自分の力を添えようとする若者、そのような若者が大勢いる。若者だけではなく、あらゆる世代と階級で甲乙関係の変化を心から望んでいる人々が新たな政治的主体となるだろう。

3. 文学のアトポスと現在の韓国文学

歪んだ世の中で文学は何ができるだうか。文学の読者数が急激に減少したという報道が溢れ、文学は消滅したとまで言われている現在、このような問いかけは心苦しい限りである。しかし、このような問いかけと真正面に向かい合ってこそ、有意義な文学の論議ができるだろう。

昨今の文学危機論は人々が文学書を殆んど読まないという事実から出発している。以前は映画やテレビ、インターネットのような大衆文化メディアの影響が理由として挙げられた。それに加え、最近はスマートフォンの使用やSNSが日常化し、ウェブ小説やウェブ漫画という新たな大衆文化・文学のジャンルが活発になり、文学は益々居場所を失いつつあるという危機感が広がっている。けれども、情報技術とメディアの発達は文学の終焉を招く決定的な要因ではない。文学は元々文字言語に限られた言語芸術ではない。口承文学は別としても、シェークスピアの戯曲や我が国のパンソリなどもその台本が文字化され、書物として生まれ変わる以前から聴衆が享有する芸術であった。『未生(ミセン)』や『錐(ソンゴッ)』のような漫画も純粋な言語芸術ではないが、演劇や戯曲と同様に文学的享有と評価の対象となり得る。従って、紙に書かれた書物ではないオーディオブックや電子書籍、インターネットやSNS上の作品だからといって、文学の資格がないわけではない。問題は、このようなメディアの変化とは関係なく、文学が我々の人生にとって、依然として代替不可能で、掛け替えのないものであるかどうかということだ。

資本主義における商品化という問題も文学を脅かす要因だ。ご存知のように、近代の資本主義において、文学は市場に依存するようになり、資本主義が進展すればするほど、文学作品は芸術であると同時に商品という二重性を有するようになった。文学の読者も言語芸術の享有者であると同時に、商品の消費者でもある。芸術としての文学は資本主義の下での商品化に対して敵対的であるしかない。しかし、資本主義の文学的な支配方法は益々巧妙になり、文学が商品化の迷路へと入り込む可能性も否定できなくなった。全ての文学がそうではないが、一国の一地域の文学が文化商品のような娯楽品として扱われる可能性もある。実際、柄谷行人が「近代文学の終り」を宣言し、文学の場を去ったのは、日本文学が堕落してしまったという彼なりの判断からであった。

柄谷行人が韓国文学について詳しく知らないにもかかわらず、韓国文学も終焉を迎えたと性急な判断を下したのは、彼の目的論的な文学観のせいであろう。文学が国民国家の形成に主導的な役割を果したように、資本主義の世界体制の変革への寄与も期待したが、そのような文学を見つけることは容易ではなかったのだ。柄谷行人の終焉説が日本よりも韓国でより多大な影響力を発揮したという事実はアイロニーである。文学評論家の金鍾哲(キム・ジョンチョル)のような、1990年代以来、文学は社会変革の力を喪失したと判断する批評家にも、西欧のポストモダン言説の影響下で1970、80年代に民族文学の行きすぎた社会政治性を批判した若い批評家たちにも、終焉説は歓迎されたが、それぞれ理由は異なっていた。不思議なことに、文学主義の批評家たちは近代文学は終焉を迎えたと信じていながらも、柄谷行人や金鍾哲のように文学の場から去りはしなかった。その代わり、文学の場から立ち去った人々が、無意味であると批判した「近代文学以降の文学」(脱近代文学)を新たな時代の文学として提示する論理を導き出した。例えば、2000年代の文学の脱社会的・脱政治的性格を強調するイ・クァンホの「無重力空間の叙事」や、キム・ヨンチャンの「脱内面的叙事」「無気力な主体」などは、このような流れを代弁している。 15

2000年代の文学で頭角を現した金愛爛(キム・エラン)、朴珉奎(パク・ミンギュ)、黄貞恩(ファン・ジョンウン)の小説などは、1970、80年代の民衆文学とは異なるが、だからといって「無重力空間の叙事」や「無気力な主体」などの内容とも違う。彼らは脱社会的で脱政治的なものではなく、以前の小説とは違った方法と感覚で社会性と政治性を具現したのである。ランシエール(J. Rancire)の文学論を参考にした陳恩英(チン・ウニョン)の「感覚的なものの分配」(『創作と批評』、2008年冬号)が引き起こした「文学と政治」に対する論議は、未来派の詩以降の悩みを含みながらも、同時に新たな小説の政治性を解釈するためにも肝要であった。それ以来、白樂晴(ベク・ナクチョン)、李章旭(イ・ジャンウク)、シン・ヒョンチョルなどが参加し、一層活発になった「文学と政治」に対する論議は、柄谷行人の終焉説に対応する代案言説的な性格を持ち、それだけに韓国文学の批評的な活力を立証してみせた。

陳恩英が最近唱えた文学の「アトポス」(atopos)論は、「文学と政治」において表面化した悩みを深化させた概念である。彼女によると、文学のアトポスとは「正体の曖昧な空間、文学的と一度も規定されていなかった空間に流れ込み、その場を文学的空間へと変えてしまうこと、そうすることで文学の空間を変え、さらに文学に占有された、ある種の空間の社会的、感覚的空間を、また違った社会的、感覚的な人生の空間性へと変化させること」 16 である。 陳恩英のこの概念は文学が既に定められた特定の形式や空間、そして制度であると考える人々にとって新鮮な衝撃を与えた。しかし、白樂晴の指摘のように、このような作業は新たな文学的空間を創り出すこと(新たなトポス)であって、それ自体が「アトポス」(非場所)の具現ではないのだ。 17  さらに陳恩英の言う「このように彷徨っている空間性、ゆえに決して確定できない形で瞬間のトポスを生成し、破壊し、揮発させること」(同じ頁)も遊牧的で不確定的な方法ではあるが、「トポス」の生成、破壊、消滅であって「アトポス」の出現ではない。

むしろ、陳恩英がバディウ(A. Badiou)のマラルメに対する議論を論評しながら「マラルメが使用した踊りの類比に従って、我々は、詩を、詩的テクニックや詩を書く詩人の経験によって全的に還元されない、純粋な出現と考えることができる」(153~54頁)と語った時、そして「因果関係の鎖から抜け出した、純粋な発現の瞬間としての詩」(154頁)に注目した時、「アトポス」概念というものがより彷彿される。このような純粋な出現と発現の瞬間としての詩について、白樂晴は「現実の、ある「トポス」で起きる出来事であっても、そこから抜け出した「アトポス」を含蓄するといえる」と評価しながらも、「同時に、それが現実空間のあらゆる因果関係と筆記具の種々の特性を確保したまま「アトポス」を創り出すのか、或いは「純粋な出現」という、もう一つの観念で詩を単純化するのかは、より一層厳密な検討が必要だ」と条件を付け加えている(126頁)。白樂晴自身は、「作品が発現する時に生成するアトポスは、ただの「無」でもなく、「有」の領域 ―プラトンの「イデア」や、ある超越的な存在を含めて― でもないという思惟のあり方」(127頁)の重要性を強調し、これを東アジアの「道」という「アトポス」の次元から見つめ直している。

「文学と政治」に対する議論に引き続き、再び陳恩英と白樂晴の間で重要な対話が行われたのだが、ここで論じられている問題を詳論する代わりに、簡単な論評を付け加えたいと思う。陳恩英の「アトポス」論は、新たな文学的トポスを創り出したり、既存の文学的トポスを変化させたりする際に生じる生き生きしさ、活力、情動(affect)に注目する一方、 詩とは詩人のテクニックや経験だけによって還元されるものではない純粋な発現であり、特に「詩は書かれている通りに読まれるのではなく、詩を読む人との感応の中で出来事として発現するという点」(154頁)を強調している。このようなアバンギャルド的な態度のためか、一つの芸術「作品」として具体的な詩や小説の詳細には細かくこだわっていない。しかし、創作や読書、詩の朗読や聴取のような文学行為のトポスがどこかに関係なく、芸術言語としての作品が真実の輝きを放つ時、文学のアトポスが生成されると見ている。

このような意味で、英国の小説家D. H. ローレンスの「芸術言語が唯一の真実だ。芸術家は大抵がつまらない嘘つきであるが、彼の芸術はそれが芸術である限りはその日の真実を知らせてくれるだろう。永遠の真理など必要ない。真理はその日その日生きているのである」 18  という発言は文学のアトポスと関連付けても注目すべきであろう。芸術言語を通して明らかになるその日の真実を除いてしまったら、果たして文学のアトポスを論じることができるだろうか。実は、我々の心の居場所も「存在しているような、していないような」アトポスなのである。文学は究極的に心に働きかけるものであるが、文学がその日の真実を知らせてくれた時、心を揺さぶるような「出来事」が起こる。アトポスで起こる出来事がその日の世の中の様子を如実に物語り、よりよい世の中に変えてみようという気持ちを抱かせるのである。勿論、そのためには、心がお金の奴隷にならず、他の人々や世の中、全ての宇宙万物に心を開かなければならない。

最近の盗作騒ぎや文学権力騒ぎ以降、韓国文学は消滅したと断言されることが多いが、文学のアトポスを実感させるような作品は次々と誕生している。韓国文学は生きているのだ。多様多彩な作品の中で、前述の論議と関連して注目すべき最新作を幾つかご紹介したい。ベク・ムサンの詩集『廃墟を引き揚げる』(創批、2015)はタイトル通り「あの日の真実」を知らせることによって、文学のアトポスを実感させてくれる。 19  詩人は時代の現実と体制のような大きな問題を抱えて悩んでいるが、詩人自らが生の身体で体験したことを表現しているため、観念的な発想が割り込むような隙はないように思われる。特に『ハムレット』のように、時代の問題を主体の内部から引き出している点が頼もしい。ハムレットの独白が「時代」と同じように歪み、分裂してしまった彼の「内面」を、そして追い詰められた彼の「心」を吐き出しているように、ベク・ムサンの「パニック」の話し手は具体的な理由を言わずに自分の荒廃した心を吐き出している。.

ふいに真夜中の山道で
見上げた夜空
手に届きそうな空一杯の星がパニックのように
白く降り注ぐ宇宙

その風景が心に染み込むと
僕が明らかになる
僕が廃墟という事実が

死が干潟のように暗く訪れ
愛が燃えるように染み込み
全ての秩序を覆して災いの赤い血が染み込む時
僕はパニックに熱狂する
―「パニック」 16頁

「僕が廃墟という事実」が明らかになったと告白する時、我々はその時代に一体何が起こったゆえに彼が廃墟となったのか、という疑問を投げかける。真っ先に脳裏に思い浮かぶのは、檀園(タンウォン)高校の学生250人を含む乗客304人を水葬させてしまったセウォル号事件だろう。詩集のタイトルの中の「引き揚げる」、そして上に引用した詩の最後に書かれた「僕はその廃墟を元の姿のまま引き揚げなければならない」という主張が、真実と共に水葬されてしまったセウォル号の引き揚げへの責任を連想させる。けれども、この詩集のあちらこちらで出現する「廃墟」はセウォル号事件に限られた問題ではない。この詩集の「廃墟」は『ハムレット』の「歪み」と同様の意味、つまり、世の中の崩壊の兆しを呈する役割をしている。上で引用した詩の3連にも世の中の破局を迎えるような黙示録的な雰囲気が漂っている。

「廃墟」と共に「パニック(panic)」を使用しているのも、話し手である「僕」の特異な態度の形成に効果的である。もし、訳語の「恐慌」や「恐怖」という言葉を使用していたら、不自然だったであろう。しかし、代わりに「パニック」という言葉を使用したことでしっくりくる。「パニック」が今の時代の言葉だからという理由もあるが、この言葉が牧神であるパーン(Pan)から由来していることを考えると、単純な恐怖というよりは、驚異的な恐怖、そしてニーチェのディオニュソス的な狂乱を連想させるからではないだろうか。つまり、破局を迎える「僕」の態度は近代的合理性を超えた直観的な熱狂に近い。ゆえに「僕」は世の中の破局を恐れているのか、歓迎しているのか、曖昧なのである。この曖昧さは「僕」と世の中の関係にも現われている。1、2連で宇宙の風景に映った「僕が廃墟という事実」がパニックのように明らかになるが、3連では「僕」が廃墟であるため、この世の中が廃墟と化す光景に熱狂しているのではないかという不吉な疑いが込められている。実は、詩の最後に書かれている「僕はその廃墟を元の姿のまま引き揚げなければならない」での「廃墟」には世の中の破局を見守りながら、パニックに熱狂する病的な面までも含まれているのではないだろうか。

ベク・ムサンはここで、我々の生きている不道徳な世の中に対する倫理的で当為的な批判をしているのではなく、資本主義の世界で可能な破局の前に立って、自らを正直に投げ出している。このような点こそが、資本主義が崩壊することはないという仮定の下、その否定的な面を洗練された方法で皮肉ったり、世の中が滅びたと大きな声で嘆いたりする多くの批判的な知識人とは質的に違う点である。資本主義の変化に対する洞察として「何に向かって抵抗すべきかは分かっているが」にも注目すべきだろう。「自由への新たな感覚」の意味をアイロニカルに述べた次の一節を紹介したい。

正規職の奴隷になりたい 非正規職の奴隷を廃止しろ
不安的な奴隷を正規奴隷化しろと叫ぼう

人間に自由への新たな感覚が生まれたのだ

自由を売れば自由よりも大切なものを手に入れられると信じた
自由を返上すればより豊かな人生を手に入れられると信じた
野原での自由は敗者の慰めに過ぎないと信じた
新たに手に入れたものが自由なのかそうでないかなど重要ではない
鉄窓を取り除いても野原には行けない
―「何に向かって抵抗すべきかは分かっているが」 終結部

マルクスは、資本主義下での労働者にとっての自由とは中世の身分的な足かせからの開放を意味すると同時に、自分の労働力を売って生活を営むしかない状態、つまり賃金の奴隷と化していると指摘している。即ち、労働者にとって真の自由とは何よりも賃金の奴隷からの開放を意味するのである。ところが、この詩で自由とはどのような価値として表現されているだろうか。今の時代、我々にとって、自由は「より豊かな人生」を過ごすために自らを返上できるような小さな権利のようなものだ。このような社会では「非正規職の廃止と正規職への転換」というスローガンさえも「不安的な奴隷を正規奴隷化しろ」という賃金の奴隷たちによる利権闘争に過ぎないものになってしまう。

こうして見ると、「自由への新たな感覚」とは、資本が労働を極端に追い詰めたために、一時は労働者の理念的な武器であった「野原での自由」を「敗者の慰め」であると信じさせた結果、生まれたのである。資本主義が労働者の理念さえも崩してしまったのだから、資本主義の最終的な勝利と言えよう。しかし、これによって、危うい状態であった資本主義が安定したというよりは、何か本来の在るべき姿から離れ、何か他の物へと転化してしまったような気がする。例えば、従来の資本主義が労働と資本の対等な関係での対立を軸としているのに反し、この詩の中で表現されている体制は両者の対立関係が崩れてしまい、資本の支配が如何なる理念的な歯止めをかけられることなく、全一的になされている状態と言えよう。「自由への新たな感覚」は、もう既に我々の周りに存在している、より暗い未来を感じさせる。 20

今回のベク・ムサンの詩集には希望の伝言のようなものは見られない。だからと言って、悲観と絶望に陥っているわけでもない。希望も絶望もないまま、自分と世界を冷静に観察し、大切に守ってきた人生の原則が破壊されつつある事実を正直、且つ熾烈に語っているだけである。廃墟のような時代と自分自身に対する証言のような彼の詩は決して明るいとは言えないが、「草の闘争」や「完全燃焼の夢」でのような、人間の時間よりも長い時間、人間の領域よりも広い大地と自然に対する彼の幅広い思索と信頼が感じられるため、決して暗くは感じられない。労働者の観点からではあるが、偏狭な労働者主義から離れ、性少数者、動物との関係など、近代文明レベルの争点に対しても通念を覆すような省察を見せてくれている。

最近、文学に労働する主体が頻繁に登場しているのは、労働を人生の核心的な要素として再認識し始めたという意味でもあろう。特に、ベク・ムサンと共に、1980年代と90年代に労働文学の最前線で活動していたジャン・ファジンとイ・インフィが長い沈黙を破り、注目すべき作品を発表したことは歓迎すべきだ。ジャン・ファジンの「きょろきょろ見回す」(『黄海文化』、2015年秋号)とイ・インファの「工場の灯り」(『実践文学』、2015年春号)は、どちらも労働者が主人公の小説だが、性格はやや異なる。「工場の灯り」が労働現場に集中した典型的な労働小説である一方、「きょろきょろ見回す」は、労働の問題を重要な問題として扱いながら、男女の日常的な生活との関係が主軸をなしている。

「きょろきょろ見回す」の美徳は、日常で起こる些細な出来事を通して、資本に縛られない労働の本来あるべき姿を顧みさせるところにある。正規職と非正規職の差別を体験した男性と、大企業のインターンシップと失業(アルバイト生活)を繰り返してきた女性がお隣同士として出会い、壊れた便器を一緒に修理することで二人の関係が深まるという内容の小説だ。故障の原因である古いゴムパッキンをガムでくっつけて問題を解決するまでの過程が面白いながらも意味深長である。故障した便器を直すのも労働であるが、職場での労働とは違って楽しく心が温かく感じられるのは、資本主義の回路から離れた瞬間、労働は市場価格とは関係なく、楽しく有益な活動、多少の忍耐力と創意力を発揮すればある種の達成感を得ることのできるものだからである。主人公の男女の性格や彼らの関係が発展していく過程が自然に描かれてはいるが、何の葛藤もなく、あまりにも円満に描かれているため、理想化の跡が感じられるところが多少残念ではある。

「工場の灯り」は、色んな面で対照的な作品だ。ある合板工場の厳しい労働現場と非情な労使関係、労働者同士の葛藤と連帯感などが迫力のあるタッチで描かれていて、現代の「異郷」の一つであるように感じられる。合板が作り出されるまでの労働過程、社長が労働者をこき使う様子、その過程で首になったベテラン労働者の自殺、労働と宗教の繋がりなどを露骨に描くことによって、今日の労働現場が如何に劣悪であるかを鮮明に描写している。厳しい労働現場の雰囲気と力の論理を実感させるところがこの作品の美徳である。しかし、人物が多少類型化されており、小説の強烈な男性的な言葉が新たな世代の感覚を十分に表現できていない。両作品とも物足りないところは多少あるが、目的論的な文学観から脱し、これまでとは違った労働現実を直視しようと、それなりの手法で奮闘している点は評価したい。

金愛爛の『非幸運』(文学と知性社2012)以降、若者の文学においても人生の核心問題として労働問題が扱われている。その中でも非常に優れた作品として評価されているハン・ガンの「一片の雪が解ける間」(『創作と批評』2015年冬号)や、『センチメンタルも二日まで』(2014)を書いた金錦姬(キム・クムヒ)の最近発表された小説などが特に印象的だ。「猫はどうやって鍛えられるのか」(『文学村』2015年冬号)には大手キッチン家具会社の課長から「職能開発部」へと人事異動を命じられ、生産職の教育を担当することになった少し変わった人物が登場する。モ課長は同僚たちとの付き合いの悪い気難しい人物で、幾度もいざこざがあり、部下から「異常な人」と言われていた。彼が一般のサラリーマンと違っていたところは、工員出身で、そこから本社の管理職へと昇進したにもかかわらず、常に現場に出たがっていたという点だ。

皆、下請け会社を「虐めに」に行くと思っていたし、実際、そういう行動をしていたが、それが全部ではなかった。彼はただ単に肉体労働したくて出かけて行ったのだ。そうやって、たまに肉体労働をしたり、頭の中がガンガン響くほどの衝撃を与えたりしないと、一日中錆水のような何かが噴き上げてきた。生きるための活力のような、怒りのような、とにかく無気力であまりにも無気力でむしろある種のエネルギーになってしまったようでもあった。(207頁)

モ課長は「(肉体)労働中毒」なのだろうか。でなければただの「変人」なのだろうか。どちらかは分からないが、それ以外の可能性もある。それは元々労働とは「生きる活力」が具現される一つの方法であるという可能性だ。つまり、モ課長が「変人」だからではなく、今の資本主義社会が肉体労働を回避させるような雰囲気を作り出しているため、労働しなければ生きがいを感じないモ課長が気難しい変人に見えてしまっているのかもしれない。例えば、社長から「職能開発部」を任された時、つまり生産職の教育を名分に管理職を解雇する役割を任された時、モ課長は「私は肉体労働の方が合ってるんですけど」と言ったが、社長は「おいおい、モ課長、肉体労働が好きな人なんていないだろう」と軽くあしらわれた(226~27頁)。

モ課長の人生を構成するもう一つの特異な面は捨て猫の飼い主を探すという行動である。彼のそのような行動には事情があった。鬱病とアルコール中毒で自殺を決心した日、一匹の捨て猫が庭のゴム製のたらいに子猫を産んだからで、「死なずにもう少し生きて、最後は自分自身をそのまま猫に任せてしまった」(223頁)のである。だから、彼が猫の世話をしていたのではなく、「彼はこの家でただ猫の隣にいる「何か」であって、そんな生き方に満足していた」(222頁)。実は、彼は人間よりも猫に近い存在だったのかもしれない。あちらこちらの家を回りながら、その家の独特の臭いのせいで「家酔い」をしながらも、猫を見つけてほしいという依頼に応じたのは「12万ウォンの日給や依頼人の訴えのためではなく、ただ単に迷子になった猫たちの苦労を考えて」(210頁)であった。その上、彼は魚が好きで、特にサンマの缶詰が大好物であったが、食堂の女性がお皿にサンマをお代わりしてくれると「まるで、もう要らないといった振りをしながら、女性がテレビを見たり他のお客に視線を回したりすると、その隙に青光りする魚を素早くほじって食べたりした」(211頁)。このような行動まで猫にそっくりなのだ。もしかしたら、彼はドゥルーズ(G. Deleuze)式の「猫になる」ための修行をしているのかもしれない。このような意味で、「職能開発部」を任された時、彼が悩む場面も注目される。

ここから追い出された人たちはどうなるんだろう。家族が連れて行ってくれるのだろうか。彼にはいない家族が彼らを連れて行ったら、悪くはない暮らしができるのだろうか。多分彼らには猫はいないだろうが、猫は誰にでも必ずいないといけない存在ではないが、もしかしたら、追いかけられるのではないだろうか。彼が口を出すことではないが、それでも生きていられないのではないだろうか。(227頁)

彼は首になった会社の同僚たちがどうなるか心配しているが、その瞬間にも捨て猫との比較を通して同僚の追い詰められた状況を想像する。まるで、猫との関係を通して人間と接しているような感じを与えている。

この作品で提起された核心的な問いかけは労働問題だけでなく、動物との関係でモ課長が「異常」なのか、或いは、彼を気難しいと感じる他の人々が「異常」なのかだ。この問いかけにはっきりと答えることはそう容易ではない。どちらにも問題があると言えるかもしれない。モ課長は周りの人々と断絶しているだけでなく、他人との有意義な関係を持つことを諦めた人のように思える。一方、労働や猫への態度からも分かるように、彼は基本的にお金にこだわる人間ではなく、お金の価値を強要する資本主義的な生き方に「不適応者」であることが分かる。彼は半分は猫の立場から思索し、半分は資本主義の秩序の外での人生 ―「代案的な人生」というものとは少し違う感じがするが― を生きているのかもしれない。彼が「バートルビー」(Bartleby)のバートルビーを連想させるのは、存在的な断絶と閉鎖性を持ちながらも資本主義的な価値体系を拒否する態度のせいであろう。

金錦姬の「あまりにも真昼の恋愛」(『21世紀文学』、2015年秋号)は、主人公の男女の複雑で微妙な変化を詳細な描写で捉えている。この小説にもモ課長に劣らず変わったヤン・ヒラという人物が登場する。小説の中心にはピルヨンとヤンヒの恋愛関係、つまり恋愛が中心だが、その恋愛がすれ違い合うところに芸術(演劇)と労働が配置されている。恋愛、芸術、労働という三つの要素が繰り広げる複合的な展開は注目に値する。

小説は前述の作品と同様に、主人公ピルヨンが「責任を問われ、営業チーム長から施設管理職へと締め出される」(45頁)という事実上の辞職勧告を意味する左遷から始まる。ピルヨンは何とか耐えようと決心したが、ショックは大きく、職場の同僚たちの視線を避け、鍾路(チョンノ)のマクドナルドでお昼を食べていた。その時、偶然、向かいの建物に、16年前の大学時代の後輩ヤンヒが台本を書いた観客参加型の不条理演劇の垂れ幕を見て、「ピルヨンは自分が人生最大の危機の瞬間を迎えた時、なぜ鍾路にあるマクドナルドが思い浮かんだのかに気づいた。(…) ピルヨンが、よりによって今この時間、ここにいるのは、まさにヤンヒと出会うためであったのだ」(50頁)

実は、昔すれ違ってしまった二人の愛がピルヨンの左遷をきっかけに再び呼び起こされたのは決して偶然ではない。営業チームから施設管理職へと移動したピルヨンは徐々に表情が変わり始めた。「何よりも口元を引き締めさせていた緊張が消えた。その緊張は、誰かに対する尊称、笑い、咳払い、支持、推薦、回答などをするためのものであったが、当分の間必要なかった。10年近く顔の中にあった緊張が消えるとピルヨンの顔は透き通り、どことなく若くなったような印象さえ与えた」(53頁) こんなピルヨンの変化はそれまで催促されていた資本主義的な生き方に対する中毒性が明らかに消えつつあることを暗示している。

小説はピルヨンとヤンヒの過去と現在を行き来しながら、彼らのこのような存在的な変化を追う。16年前の彼らは、お互い性格が全く違った。その違いがよく分かるのが「ヤンヒの突然の告白」(55頁)と、その告白へのピルヨンの反応だ。同じ語学教室に通っていた時代、一緒に鍾路のマクドナルドでピルヨンのおしゃべりをじっと聞いていたヤンヒは、突然「先輩、私、先輩のこと好きなんだけど」と告白する。ヤンヒはその告白を「感情の動きがなく、まるで2、3千ウォンを渡しながらハンバーガーを注文するかのようなトーンで」したのである。慌てたピルヨンは笑いながらこう聞いた。

「好きだとどうなるんだ?」
「どうなるって?」
ヤンヒはどうしてそんなこと聞くのって表情で聞き返した
「だから、これからどうするかってこと」
「何でそんなこと考えるの?」(56頁)

別れを告げる時も突然だった。ある日、突然ハンバーガーを食べながら、ヤンヒはまるで言い忘れていたかのように「あ、先輩、私、もう感じない。愛を」だった。「感じない?」/「うん」/「何で?」/「なくなちゃった」/ ピルヨンは信じられなかった。昨日まで好きかって聞かれると、表情は変わらなかったが、頷いていたのに、あり得ないことだ /「感じないって?全然?」/「感じない」/「感じないんじゃなくて、前よりは感じないってことだろ?愛情ってそんなにすぐなくなるもんかよ」(64~65頁)。ピルヨンとヤンヒのこのようなやり取りは性格の違う人同士の会話というだけでなく、まるで違う世代、違う時代の人同士の会話とも感じられる。不思議なことに二人の会話は禅問答のように聞こえる。違う時代に生きている人同士の避けられないすれ違いからくる効果であるのだが、実は愛に対する二人の見方の違いは資本主義体制に対する考えと感覚の違いに合い通じる。

ピルヨンは今の時代を生きる平凡な人物であるが、ヤンヒに出会い、その体制の外部と出会ったのだ。そんなヤンヒは、以前自分が書いた不条理演劇を舞台に上げる芸術家になっていた。16年前は資本主義的な生き方を当然視していたピルヨンは左遷をきっかけに変わった。彼の中にもこの体制での生き方とは違う一面が奥深いところに潜んでいたのである。現在のピルヨンはヤンヒの演劇を繰り返し観覧しながら、結局はその舞台に参加する体験を通して、また違った方法での生き方や芸術や愛に気付くのである。

ヤンヒ、ヤンヒ。すごく素敵になったな。ヤンヒ、ヤンヒ。夢が叶ったな、という言葉を思い浮かべては消した。元気だったかという言葉も、恋はしているかという言葉も、助けてくれという言葉も思い浮かべては消した。そして、消してしまうとヤンヒの台本のように何も残らなかった。しかし、全くないわけでもなかった。時間が過ぎても、ある物は全くなくなるのではなく、ない状態のまま仕舞ってあるだけだという思いがした。でもそれは本当に実在する物だろうか。(75~76頁)

文学だけでなく、愛を含めて、人生の最も大切なものは「全くなくなるものではなく、ない状態のまま仕舞ってあるだけ」の一種のアトポスの状態で完成する。この小説は、このような人生の真実を繊細で明瞭に表現することにより、自らがアトポスの境地であることを証明する。

4. 終わりに

文学は三つの世の中と関連している。「今の世の中」と「次の世の中」、そして「違う世の中」だ。この三つの世の中は独自的でありながらも重なり合っているので、その複合的な関係を同時に思索する総合的な芸術がとても重要である。例えば、我々は資本主義の世の中に生きているが、既にその中に明るい未来と暗い未来の兆しが見えている。「今の世の中」の出来事と時代の真実を明らかにするためには、「違う世の中」を想像する作業を通して、既に「今の世の中」にある潜在的な「次の世の中」の性格を見極めなければならない。この作業は非常に繊細で知的な感受性を要する。そのような意味で、注目に値する新人作家たちは少なくない。特にキム・オンジ、キム・ジョンオク、チェ・ジョンファ、そして最近、国内で初の小説集を出した中国系韓国人のクム・ヒの小説などが期待される。

体制の転換期を迎え、長編小説に関する批評や理論も重要ではあるが、これらに対する論議は次の機会に譲り、ここでは簡単な論評を加えたいと思う。よく『創作と批評』の批評家は長編小説の「大望」論を主張してきたという前提で論争が行われているが、それは正確な把握ではない。筆者が絶えず主張してきたのは、長編小説はもう不可能であると決め付けずに、未来への可能性は開いておき、見守ろうということだ。長編小説の可能性に注目してから10年という歳月が流れたが、期待されたような成果は見られないという主張もある。しかし、これまで文芸誌やウェブマガジンの連載空間を通して、優れた長編小説が誕生していなかったら、果たして韓国文学がこれほどのパワーを持って持ちこたえられただろうか。そして、一時は注目すべき長編小説論を主張しながらも、デジタル人文学と進化論的文学論への転換により長編小説の不可能論の理論的根拠を提供したフランコ・モレッティ(Franco Moretti)にばかり偏らず、多様多彩な長編小説論に対する論議を拡大する必要もあろう。 21

今、我々は資本主義の世界体制が崩壊しつつありながらも、未だ未定である次の体制が形成される転換期にいる。それと連動している韓半島の分断体制もやはり、うまく乗り切るか、それとも最悪の破局に到るかの選択の岐路に立たされている。今の世の中はこれから数十年間、我々がどのような選択をするかによって未来が決定する。このような時期には、一人一人の小さな文学的・社会的実践がこの上ない重要な結果へと結びつくだろう。文学は自明なものではなく、未来は不透明である。このような不確実性の中で文学の開かれた道へ勇気を持って進んでこそ、今はどこかに潜んでいる、よりよい世の中を切り開くことができると信じている。もしかしたら、そのような勇気を持った人生自体がよりよい人生なのかもしれない。

[翻訳: 申銀児(シン・ウナ)]

Notes:

  1. M. E. Cevasco, “Roberto Schwarz’s ‘Two Girls’ and Other Essays,” Historical Materialism 22:1 (2014) 162頁参照。
  2. Wolfgang Streeck, “How Will Capitalism End?” New Left Review 87, May-June 2014, 62~64頁参照。彼の挙げた病弊とは「成長の衰退、寡頭制、公共領域の窮乏、腐敗、全世界的な無政府状態」である。
  3. I. Wallerstein, ed. The World Is Out of Joint: World-Historical Interpretations of Continuing Polarizations, Paradigm Publishers 2014, 168頁。
  4. イマニュエル・ウォーラーステイン他『資本主義に未来はあるのか』(ソン・ベクヨン訳、創批、2014)の2章のランドル・コリンズ(Randall Collins)の論議と5章のクレイグ・キャルホーン(Craig Calhoun)の論議を参照。
  5. ピケティは貧富の格差の解決策として世界的な富豪たちに累進課税を行う「グローバル的な資本税」を提案したが、この提案は実現の可能性がほぼなく、結局彼の研究は今後資本主義が一層深刻な作動不能の状態に陥るであろうということを知らせのである。『オブサーバー』誌のオンライン版に掲載されたアンドリュー・ハッシー(Andrew Hussey)のピケティインタビュー記事“Occupy was right: capitalism has failed the world”参照。(http://www.theguardian.com/books/2014/apr/13/occupy-right-capitalism-failed-world-french-economist-thomas-piketty)
  6. ある報道資料によると、国際協力団体であるオックスファム(Oxfam)が「昨年のダボス会議に先立って、まもなく世界人口の1%の富裕層の資産が残りの99%の人の資産の総額よりも上回ると予想したが、予想よりも早く、2015年に上回った」と明らかにしたそうだ。http://www.oxfam.or.kr/content/62 参照。
  7. 「残された時間は7~8年しかない、その後は如何なる政策も役に立たない」『ハフィントン・ポストコリア』2016.2.2(http://www.huffingtonpost.kr/zeitgeist-korea/story_b_9108486.html)
  8. 張德鎭は、朴槿恵大統領が「二重化の問題に対して放置してきたというよりは「不介入」の立場を宣言したとみるべきだろう」と主張したが、期間制法や派遣法などが含まれた「労働改革5つの法」を押し通そうとするのは労働市場に積極的に介入して「二重化」体制をより強化しようとする態度であると言えよう。世界化と脱産業時代に社会の内部者と外部者が区分される現象を称する「二重化」という用語も、韓国社会の中で著しく現われている正規職・非正規職の間の差別をただ単に世界的な現象の一つとして認識させるということも問題であろう。
  9. これと関連した論議としては、カン・ジュンマン『甲と乙の国』(人物と思想社2013)参照。
  10. ジン・テウォン「乙の民主主義」、高麗大学民族文化研究院ウェブマガジン『民研』、2015年5月号(http://rikszine.korea.ac.kr/front/article/discourseList.minyeon?selectArticle_id=587)
  11. 上掲の文章から再引用。
  12. これに関する詳細な論議は本号の李南周(イ・ナムジュ)の「守旧の「ロールバック戦略」と市民社会の「大転換」企画」」参照。
  13. 金善珠(キム・ソンジュ)は、TVドラマ「応答せよ1988」の発想を借りて「2044年、その時も分断体制だろうか。分断100年を迎えることになるのだろうか。北は核を、南はサードを装着し、6者会合や4者会合を巡って周辺の強大国の利害関係によって依然として我が国の運命が左右されるのだろうか。重くて怖い」と韓半島の果てしない暗い未来を想像する(金善珠のコラム「応答せよ2016」、ハンギョレ2016.2.3)。2044年も分断体制ならば「重くて怖い」状況であろうが、十中八九分断体制ではないだろう。分断体制を克服し、よりよい体制を作り出したか、或るは分断体制よりもより最悪の、その重さと恐怖を想像することすらできない状態になっているかのどちらかだろう。
  14. 「ソン・アラム作家の新年特別寄稿「望國宣言文」」、キョヒャン新聞、2016.1.1。
  15. 柄谷行人の近代文学終焉説についての詳細な論議はカン・キョンソクの「批評のロドスはどこなのか:「近代文学終焉説」から「長編小説論争」まで」『文学枠(ムンハットゥル)』、2015年夏号、及び拙稿「文学の新しさはどこから来るのか」の2章「「近代文学の終焉とそれ以降の文学」というフレーム」『創作と批評』、2008年秋号参照。
  16. 陳恩英『文学のアトポス』、グリンビー、2014、180頁。以後、この本の引用は本文に頁数だけを表記する。
  17. 白樂晴「近代の二重課題、そして文学の「道」と「徳」」の2章「二重課題論と文学の居場所」『創作と批評』、2015年冬号参照。以後、この論文は本文に頁数だけを表記する。
  18. D. H. Lawrence, Studies in Classic American Literature. Ed. E. Greenspan, L. Vasey and J. Worthen, Cambridge UP 2003, 14頁。
  19. ベク・ムサンの今回の詩集に対する論議としては白樂晴の上掲の論文、135~40頁参照。以前に筆者もフェイスブックでこの詩集について–「パニック」(2015年10月11日)、「花粉がそよ風に乗って飛んで行くように」(10月6日)—論じたことがある。
  20. 「もう既に存在している未来」という発想と関連した論議としては、ファン・ジョンア「「もう既に存在している未来」の小説的な主体」『創作と批評』、2012年冬号参照。
  21. ファン・ジョンア編『もう一度小説理論を読む』(創批2015)、及びロベルト・シュワルツの小説論を検討した拙稿「周辺で中心の形式を省察する」『内と外(アンクァパク)』、2015年後半期号参照。

マイノリティーの人権と韓国社会市民権の再構成

2016年 春号(通卷171号)

〔特集〕大転換、どこから始めるべきか

白英瓊(ベク・ヨンギョン)
韓国放送通信大学校文化教養学科教授、文化人類学。論文に「知識の政治と新しい人文学:「公共」研究の拡張のために」、「性的市民権の不在と社会的苦痛」のほか多数。

韓国社会で少数者 1  の存在が談論と社会運動を通じて本格的に可視化され始めたのは、1990年代以後のことである。1987年以後の民主化時代は新しい民主主義と人権、多様性のような価値を強調したし、これは少数者の差別と排除を問題とすることができる足場となった。70年代以来、民主化運動が民衆を主体として掲げ、87年6月抗争を経ながら落ち着いた新しい社会運動が市民を主役として立たせ始めたとしたら、90年代に入っては障害者・性少数者・移住民人権団体などが形成・発展されながら、アイデンティティに基づいた少数者運動が活発となった。民主化が開いた新しい空間は、それまで民衆運動や市民運動が盛り込めなかった性少数者、移住者、障害者、北朝鮮離脱住民など、少数者の人権と市民権が提起されうる基盤となったのである。

従って、90年代以後の少数者運動は87年体制の限界を超えようとした動きでもあったが、同時に民主化の成果で可能となり、また成長できた運動でもあった。だからこそ、これまで女性運動や労働運動など「一般」進歩運動側の無関心や排除による緊張関係が持続されたにも関わらず、少数者運動は民主主義を進展させるための社会運動の一役をうまずたゆまず担当しながら成長してこられたのである。 2  特に90年代後半以後、人権意識が高潮され、韓国社会の至る所における社会的差別と排除を告発する人権運動が活発となった過程には、移住民と多様な境遇の女性、性少数者などの人権問題を提起してきた少数者運動が寄与したところが大きい。各論では葛藤と意見があったものの、大きな枠では少数者人権の確保が民主主義の拡張だという合意が社会運動内にあったわけである。

このような脈絡から見ると、最近「ソウル市民人権憲章」の廃棄事件を始め、すでに通過された地方自治団体の人権条例から性少数者人権関連の条項を削除するよう政府部署が直接圧力を加えた状況は、単に性少数者たちのみの問題ではなく、87年以後成し遂げた制度的民主主義が揺れる過程であると共に、社会運動内の合意が崩れる過程である。 3  露骨的に差別と排除を擁護はしないが、性的志向が異なる市民に対しては人権の明示的保障を拒否することで、結果的には差別を認めることであり、合法的な手続きに従うならば誰にでも保証されるべき集会と表現、結社の自由もまた、ある市民には許諾されえないということだから、結局、今の韓国社会は民主主義と市民権の概念自体が揺れる状況に処されたのである。

少数者の人権に加えられる攻撃と嫌悪発言の増加が、韓国社会で起こっている全般的な民主主義の退行および公論の場の汚染の兆候であることは勿論である。だが、同時に民主的体制が弱くなった背景には、その間少数者運動が提起してきた問題に対して韓国社会がまともに取り組まなかった理由もなくはないというのが筆者の考えである。少数者運動はこれまで民衆運動と市民運動が包括できない色んな問題を、生存権の次元から新たな政治理論の必要性に至るまで広範囲に提起してきたが、その問題らはしばしば韓国社会一般のものではないかのように取り扱われたりした。現在、少数者の人権を巡った論難は果たして韓国で保護されうる市民は誰であり、その資格は何であるか、普遍的権利だと思われる人権の適用を現実的に制約するものは何なのか、また社会運動において少数者の問題を「一般」市民の問題と区別する際に生じる問題は何なのか、といった質問に私たちが答えるべき必要があることを示している。

本稿ではまず韓国で少数者運動が浮上した過程を見てみながら、少数者関連の争点がどのようにして主に人権運動へと枠付けられることとなったか、その背景を検討することから始める。それから少数者の人権と市民権の問題が韓国社会の新しい転換のために重要に扱われるべき理由は何であり、このための糸口はどこから見い出せるかを模索してみたい。

少数者の人権問題の浮上

1990年代に入って韓国社会で少数者の人権問題が浮上され始めたことには多様な原因が存在する。まず、すでに述べたように民主化の進展はそれまでまともに取り上げられえなかった社会的排除と差別の問題が本格化して、少数者運動が一つの社会運動として落ち着きうる空間を設けてくれた。障害者運動の場合、1988年、大規模の障害者生存権のデモが起こり、障害問題を取り上げる言論メディアが創刊されるなど、87年以後から障害者大衆と共にしようとする進歩的志向の流れが生まれた。 4  性少数者の場合も最初の性少数者人権団体である「キリキリ(仲間同士)」と「友達同士」、そしてその前身である「草同会」がそれぞれ94年と93年に作られた。また一方で90年代初めから冷戦葛藤が緩和されながら中国から入ってくる「朝鮮族」同胞の数が大きく増加したし、北朝鮮の体制危機の現象に沿って北朝鮮地域を離脱した住民の流入もまた、大きい幅で増えた。またこの時期、移住をもって国内の労働力と結婚需要を解決しようとする動きが本格化しながら、移住労働者と結婚移住者が増加した。このことに従って、政府もまた多文化政策を標榜せざるを得なくなったし、移住者を支援し、彼らに対する人権侵害の現況を告発しながら法的保護を要求する運動団体が出来た。一言で80年代式の民主化運動は勿論、市民運動の名をもっても包括しがたい新しい主体と争点がこの時期を通じて浮上することとなったのである。

ところでここで少数者の人権確保のための運動が成長したことと多少別個に、少数者運動が人権パラダイムと結合して圧倒的に人権運動の形を帯びることになった脈絡については、別に見てみる必要がある。 5  まず国際機構によって作られた協約と国際的規範の影響力がその原因として数えられる。現在、少数者が理解される方式と少数者に対する国家の保護義務を規定したものは、92年、国連総会を通過した「少数者権利宣言」(Declaration on the Rights of Persons Belonging to National or Ethnic, Religious and Linguistic Minorities)である。この宣言は少数者の存在とアイデンティティを保護・奨励することを国家の義務として規定したという点で、少数者が国家に対して差別撤廃と権利保護が要求できる根拠を設けたし、国際的に少数者の権利運動に多くの影響を残した。

韓国でも人間が享受すべき普遍的な権利としての人権という談論は、形式的民主化を超えて社会的差別と排除の撤廃を目標としていた運動に大きな影響を及ぼすこととなった。1992年から徐俊植(ソ・ジュンシク)などが中心となって既存の人権運動に問題意識を持った「人権運動サランバン」のような組織が作られ始めたが、彼らは93年、ウィーンで開催された国連世界人権大会に参与するなど、人権問題に対する認識の幅を拡大しながら、民主化運動の経験を共有する東ティモールやアルゼンチンと国際連帯活動を繰り広げたりもした。1998年に設立されて、翌年、人権学術会議を開催するなど、少数者概念に対する学術的論議の場を設け、少数者の人権問題に対する認識を拡散させるのに大きく寄与した韓国人権財団もまた、国連世界人権宣言50周年記念事業委員会を基盤としたという点からも国際人権談論の影響が確認できる。このような流れの中で当時の進歩的な社会運動内では人権問題が大きい話頭となったし、1994年、参与連帯もまた、創立宣言文で参与と人権のための時代を標榜した。 6

一方、少数者の人権が主張できる具体的な場が現実化することには、2001年の国家人権委員会の出帆が大きい転換点となった。1993年のウィーン人権会議以来、人権関連の国際機構らは国家次元の人権機構を設立することを韓国に持続的に勧告したし、1997年12月、人権法と国民人権委員会の設置を公約として掲げた金大中(キム・デジュン)の大統領当選を切っ掛けに人権専門家、活動家たちの参与の中で具体化され始めた。南アフリカ共和国の人権運動家であり、1994年に大統領に就任したネルソン・マンデラと度々比較されていた金大中は、自分の民主化運動を人権談論と連結しようとしたし、行政部署から独立した国家的次元の人権機構の樹立はそのような意志の表明であった。差別是正に対する法的強制力がないという限界の中でも、「すべての個人が持つ不可侵の基本的人権を保護し、その水準を向上させることで、人間としての尊厳と価値を具現し、民主的基本秩序の確立に役立つことを目的とした」(国家人権委員会法 第1条)国家人権委員会は、少数者や社会的弱者という概念が広く使われ公論化することに大きな役割を果たした。

実際に性少数者と関連して国家人権委員会は設立当時から性的志向を「平等権侵害の差別行為」と明文化したが、このことは国内の活動家たちの圧力と国際規範の影響力に共に負ったことであった。2005年には国家人権政策基本計画の樹立のための性的少数者の人権基礎現況調査を実施したし、2006年に公表した国家人権政策基本計画の勧告案では性的少数者を韓国社会の重要な社会的弱者、あるいは少数者集団として確認することによって彼らの人権を保障するための人権政策が必要であることを明示した。李明博(イ・ミョンバク)政権以後、自分の役割を果たしていないという批判にも関わらず、2014年には性的志向・性別アイデンティティによる差別の実態調査を進行したりもした。また2003年、青少年有害媒体物の審議基準に同性愛を含めさせたことは間違いという陳情が受付されると、該当の文句の削除を勧告したことを始め、トランスジェンダーの性別訂正の過程で繰り広げられる人権侵害の素地を審議するなど、国家人権委員会は各種の人権侵害に対して陳情を通じて判断を求め、是正を要求する役割を遂行することで性少数者の人権運動が繰り広げられる重要な場となった。

同じく障害者の人権に対しても障害者の移動権、学習権、参政権を保障するための調査作業を遂行し、それに基づいた勧告案を作り出したし、移住労働者と結婚移住者に対する差別を表に出して、それを是正するための措置を勧告すると同時に、ガイドラインを設ける作業を繰り広げてきた。国家人権委員会はその他にも性別を根拠とした雇用差別の問題や、男女差別、セクハラなど、すべての差別の問題を担当することとなったし、このことに従って差別と排除に抗議する当事者たちも主に人権の枠から問題を提起することとなる結果をもたらしてきた。特に少数者に対する差別に問題提起できる他の国家機構がほとんどない状況で、国家人権委員会の存在は少数者問題を人権の枠でもって見させる大きな要因となった。

少数者の人権と市民権

主に国家人権委員会と人権の枠で少数者の権利が論議されてきた現象に対しては、色んな批判が存在する。まず目立つものは人権次元の少数者権利の論議では韓国社会の政治的企画そのものが変えられないので、少数者が韓国社会のまともな成員として認められていないという主張である。彼らは少数者の人権が、市民一般ではなく言葉通りに少数の問題として、なので配慮と慣用を通じて共存を模索することによって無くすべき「問題」として取り扱われていることを批判する。従って、人権次元の論議に留まらず、少数者が同等な市民として立つことができるために必要な政治は何なのかが、市民権に対する論議と共に進行されるべきだということである。このような脈絡で進歩新党の性政治委員長であったトリ(活動名)は、国家人権委員会の人権談論が性少数者を市民として認める成果を持ってきたが、同性愛に対して規範的に認めること以上に進んでいない問題があると指摘する。市民として真正な権利を獲得するということは、社会が規定している市民の概念を拡張し変形しながら、その社会のまともな成員であると共に社会的権利が享受できる者として認められる過程であるべきにもかかわらず、国家人権委員会中心の人権談論では単に同性愛的主体も権利があることを認定しただけで、韓国社会の持った市民の像を変えることはできなかったということである。 7  一方、ザン・ミギョンは韓国社会で少数者を代弁し、彼らの権利を主張する運動が、少数者のアイデンティティ自体に対する認定を通じて権利を保障することを超えて、正常/非正常の枠とその位階的二分法を崩すまともな少数者市民権の政治へと進んでいないでいることが問題だと見なした。 8ユン・スゾンもまた、国家暴力の問題が一定の程度解決された時代となりながら人権問題は国家対市民の問題ではなく、主に少数者が経験する問題と見なされる傾向があると指摘し、少数者を単に社会的弱者として理解しては困ると強調する。標準化されずに異なる生を生きる少数者たちは異なる世の中を作っていく存在としての可能性を持つが、これを人権談論でもって盛り込むことには限界があるということである。 9

つまるところ、人権談論に対する批判を要約すると、少数者問題を人権次元で接近する方式が少数者に対して配慮と共存の名で、生存次元の制限された保護と認定を提供することに寄与してきたことは間違いない事実であるが、その反面、急進的な差異が主張できる政治的主題として浮き彫りするには制約が多いということである。ところが、いざこの部分を限界として指摘することは容易いが、人権と市民権の関係はそれほど単純ではないという事実まで考え合わせると、人権概念に代わって市民権概念で接近することでこの問題が解決できるかは疑わしい。実際に健康権や教育を受ける権利、最低の生計が維持できる賃金などは、すべて基本的な人権を成す具体的な内容であるが、このような権利は抽象的な人権ではなく、すべて福祉国家の登場と共に市民的権利として提示されたものでもある。 10  また、人権問題は国境を超える普遍的なものとして理解されたりもするし、一面、国際的な人権規範が働いていることは事実ではあるが、人権を実際に確保し、人権侵害を阻止する過程ではどういう方式であれ、国民国家の役割が無視できないという点を見ても、現実で人権と市民権とを明確に区分することは容易くない。ソ・ドンジンが指摘するように、人間としての権利は市民としての権利を通じてのみ媒介されるものなので、人権と政治的市民権は相互的でしかないということである。 11

事実、すべての人権が人間として誰でも当然享受すべき権利だという概念は非常にヨーロッパ的なものであって、それ自体として自明なことではないし、従って人権の普遍性には限界があることを、すでに多くの人権研究者が指摘したことがある。 12  その一つの例として、多くの人々が現代的な人権概念の起源となったと見なす「人間と市民の権利宣言」(1789、以下「宣言」と略す)の時代、つまり18世紀のフランスを研究する文化史学者のリン・ハント(Lynn Hunt)は、「宣言」が人間と市民の権利を並列的に提示していることからも現れるように、人権が誰にでも普遍的に認定される自明な権利として見なすことは難しいという事実に注目する。 13  18世紀は相変わらず身分制と奴隷制が存在したし、宗教的少数者に対する迫害が行なわれる時期であった。実際に「宣言」の主体ら自身もまた、奴隷主であったり、男性として支配階級に属したし、後で人間の権利を植民地民や無産者、有色人あるいは女性へと拡大適用することに反対したりもした。ハントは、彼らが人間は同等だと考えもしなかったし、政治的権利は資産に基づくと信じたにもかかわらず、如何に普遍的な人間の権利概念を擁護することができたのか質問する。ハントが見つけ出した答えは、この時期に個人と自我の概念に変化があったからだということである。啓蒙主義の時代になってから、差異を超えて存在する自律的存在として個人を理解することとなり、自分と異なる身分と境遇にある他人もまた、自分と同じく内面を持っており、苦痛を感じうるという観念が広がり始めた。そのような認識に基づいて他人に対して共感を感じることが可能となり、このような変化が人権の発明へと繋がったというのがハントの主張である。だが、「宣言」が普遍的な天賦人権を掲げたにもかかわらず、「宣言」の主役たちは市民ではない彼らの人権を認めなかったし、自分と異なる他人に対する共感が拡散されたが、だからといってそれが直ちに抑圧される人々の政治的権利の拡大へと繋がったわけでもない。結局、同時代における驚くべき成就は、現実的に市民権のない人権は存在できなかったにも関わらず、身分と性別、人種を超越した人権を想像し、共感する個々人が増え、普遍的な天賦人権という信念があたかも自明なものであるかのように拡散され得たという事実そのものにあった。 14

だから普遍的な人権という概念の意義は逆説的にそれが達成不可能な目標だという事実にある。抽象的な人権概念は現実的限界も明らかであったが、同時に現実の条件を超えて人権の普遍性を、到達すべき理想と仕立てたし、その結果、抑圧される人々の熱望を刺激して政治的変化が要求できる場を作り出したからである。実際に人権概念は平等を当然なこととして前提するかのようであるが、その中には現実の人間は抽象的な個人ではなく、特定の歴史的脈絡と社会的関係の中に縛られた存在だという事実にしばしばそっぽを向く問題点がある。だが、人権概念は市民権の概念が持った問題点、つまり国民国家の認定可否に左右されるしかない限界から脱して、市民ではない人々もまた、平等を熱望するようにしてくれる側面がある。従って、何より重要なことはまさにその人権という理想に向かって無限に近接していく、止められない運動としての人権の政治そのものを維持することである。 15

少数者運動の場合も人権談論の制約性を勘案する一方で、人権を通じて開かれた新しい政治的可能性と場はうまく活用する必要がある。社会成員としてきちんとした市民的権利が享受できなくする体制的条件が維持される限り、人権もまた確保され得ないが、同時にこれまで市民権が適用できる対象が拡張されたことには人権の役割が大きかったと見なすべきだからである。結局、今このままでの市民権体制が人権の侵害へと繋がる状況を変え、少数者を政治的権利の主体にする過程で、人権と市民権の論議は出会うしかないのである。

市民権の再構成と市民性の問題

少数者の市民権論議が重要なもう一つの理由は、少数者の人権を保護するという時でさえ、少数者を「一般」市民とは区分される、何か欠乏した存在として見なす場合が多いからである。少数者は形式的に市民の要件を全部備えても、ちゃんとした社会的成員としての権利が享受できない場合が多い。ある国家の市民として生まれるとして誰でも資格のある市民に認められるわけではないし、ある条件を充足してこそ「一般」市民になれるのである。市民の間に存在するこのような区分を問題としようとする際、これを近代社会に作動する正常性と非正常性の境界問題、標準から脱した個人に対する抑圧と排除の問題として接近することもできよう。しかし、究極的に少数者と一般市民という構図を超えるためには、近代的市民概念自体に根付いている暗黙的な前提が何なのか問う必要がある。

このように社会が市民に与えた権利および義務に基盤を置いた社会的成員権を市民的権利(citizenship rights)と区分して、市民性(citizenship)と呼ぶこともあるが、 16  この市民性はまさに権利が普遍的に適用されることを制約する具体的な原理として作動することとなる。キムホンスヨンはルンペン研究を通して韓国社会の市民性を構成する基準として、国民登録の原則に沿って住居地の登録が成されているか、市場労働に勤勉誠実に参加しているかの可否が重要に働いていると指摘する。また、財産を持って納税の義務を果たしてこそ、家族構成の義務と兵役の義務を果たしてこそ市民的権利が享受できるという観念は、結局はこのような要件に合わせられない障害者や性少数者、ルンペン、女性などをして市民権の行使において差別を受けるように仕向けるし、彼らを社会的少数者にするメカニズムとなっているということである。 17全地球的移動が多くなるにつれ、大きく増加している移住者の場合も近代国家の境界内で作動する市民性に符合するには大きな困難が付きまとい、特に当の社会に存在する民族主義、人種主義、性差別主義のなかで市民権や人権を享受することは難しい。 18  その一つの例として労働できる権利が挙げられるが、労働権は世界人権宣言の第23条に規定された代表的な人権の一つとして見なされる。ところでよく人間の本質を労働から見つけ、労働する権利を普遍的な人間権利であると共に市民権の主要な内容として見なすが、事実人間と労働に対する視角は時代的に変化してきたものであることをアサドは強調する。彼は労働を規律の手段として動員した16世紀の救貧法から労働権の起源が見い出せると見なすが、この時期労働は人間の資格を規定する重要な基準として人民とルンペンとを区分することに使われたということである。そうするうちに18世紀に入って労働はもう国民的義務であるだけでなく、市民の権利として主張され始めたし、20世紀には労働権という概念がケインズ主義的な雇用政策と結合しながら経済を活性化する手段として理解され始めた。ルンペンを統制する手段としての労働と、経済計画の手段としての労働は、人間に対する非常に異なる理解に基づいているとする際、労働の可否、特に市場経済に包摂された労働に参与しているかの可否で人間と市民の資格を分けるということは、決して当然なことではあり得ないというのがアサドの指摘である。彼は労働が人間の資格基準になってきたという通念にも関わらず、社会が地代をもらう財産家たちには人間らしさの条件として労働を要求したことがないと指摘する。

ここで人権と市民権の重要な一部であると共に、市民性と人間らしさの前提として理解されたりする労働権が、実際には権利であると同時に統治の手段でもあるという事実は重要な示唆点を持つ。市民性の原理をそのままにしておいた状態で少数者の名でより多くの福祉や保護を要求することは、とかく少数者が揺さぶろうとした社会秩序をむしろ強固化することに寄与することもあり得るからである。 19  事実、財産規模によって、労働能力によって、合理的判断能力を持ったかによって人間と市民の資格を分けることは、近代資本主義社会で必要とする徳目を個人に強制するための手段でもあった。異性愛的結合と子女生産を通じて社会的再生産に服務するかを基準にして市民の資格を分けることもまた、家族を通じて成される再生産が、資本主義経済が持続される前提だからである。このように少数者の排除をもたらしてくる市民性の原理は、近代資本主義社会の根幹を成すものであって、これは少数者にのみ該当する問題ではない。従って、少数者という範疇自体がどのように作られたかを問題とし、市民性の原理自体を再構成することで少数者をして政治自体に対する権利が持てるようにすべきだというソ・ドンジンの主張は、 20  それが少数者政治の脈絡から出たものではあるが、少数者運動の課題としてのみ見なすことはできない話である。

 「われわれは皆少数者だ」を超えて

少数者の人権と市民権をちゃんと確保するためには人間と市民の資格条件として暗黙的に前提される要件を見てみなければならず、このような前提を変えるためには結局、近代資本主義社会の根幹を成してきた色んな原理を変化させなければならないという主張は、ややもすればあまりに観念的で現実とかけ離れた主張として聞こえることもあり得る。だが、現在進行される少数者運動はこのような変化の試みが現場ですでに成されており、同時に当然人権として与えられるべき権利もある根本的な原理の転換なしには得がたい場合が多いことを示している。一例として障害者はなぜ当たり前のように最低賃金の対象から除外されるか、もしその理由が障害者の労働が価値をまともに生産できないからだとしたら、賃金の水準は生産した価値と比例するものなのか、また労働が国民の義務であると共に権利だと見なす場合、国家は障害者の労働権をいかに保障するだろうかなどの質問は、すべて労働能力のある男性市民を標準に置いては答えにくい問題である。性的志向や性別アイデンティティでもって人権が制限できないとしながらも、市民が制定する人権憲章から性少数者の人権保障の条項が漏れるならば、これは結局韓国社会の人権と市民権の一般的な限界を見せるだけである。また都市が主体となって、人権の対象を国民国家の国民に限定せず、難民と難民申請者、移住労働者、未登録者を含めて当の市で勤労したり滞留する人みなにその範囲を広げるソウル市の実験も見守る必要がある。これはこれまで資産所有権に基づいて資本蓄積を最優先視する空間であった都市が、果たして所有者ではない居住者の使用権が認められる空間、共有の原理が支配する空間となれるかに対する実験でもあるからだ。

人権教育でよく提示される「われわれは皆少数者だ」という掛け声には、少数者の問題が他者の問題ではないという点と、自分は少数者ではないものの少数者を配慮し、包容するという安易な認識自体も差別の異なる姿であり得るといった自覚が反映されている。また、自らを少数者として眺めて実践する「少数者―になること」もまた、政治的実践のために重要な倫理的土台であることも事実である。しかし、「われわれは皆少数者だ」という言説は18世紀の人権宣言の主役たちと同じく、とかく現実の差別的原理をそのまま置いておいて抽象化された他者たちの苦痛に対してのみ共感するところで留まる危険がある。詳しく見てみると、少数者ではない人はいないということと、実際社会的に差別される範疇に属して生きなければならない生の困難さとの間には、厳然たる違いが存するからである。それに、たとえ障害を持っているとしても、障害の程度と種類、階級的地位、性的志向、性別、人種に従ってその経験は異なるしかないように、少数者自体は単一な集団ではなく、様々交叉し、折り重なる抑圧を経験する集団だという事実を勘案すると、原論的な共感の限界はより明白になる。 .

だから、ここで重要なことは「われわれは皆少数者だ」という認識が、韓国社会で少数者を生産する具体的なメカニズムと差別の様相に対する穿鑿と共に成されるべきだという点である。他人に対する抽象的共感の持つ限界は明らかであるが、人権の普遍性という理想に基づいた現実的闘争が民主主義の拡大をもたらしてくる力となったように、「われわれは皆少数者だ」という掛け声もまた、現実を変化させる闘争の出発点となればその意味は大きいだろう。

実際に小さな政治的異見だけでも、誰でも非市民、非国民に追い立てられ得る韓国の抑圧的政治体制は、誰にとっても自らを少数者の問題から自由な「一般人」と見なすことを難しくしているし、少数者の人権主張に対しても特に敵対的になりやすい。 21  なので社会の民主化および分断体制の克服を目標とする運動と、少数者の人権および市民権を確保しようとする少数者運動との間には、差異を越えて共にする余地と当為性が存在する。先述したように、人権と市民権の問題は相互依存的であり、少数者の人権問題を単なる共感と配慮を超えて「大転換」へと連結する政治的企画と実践もまた、少数者運動が単独で果たすべき性格のものではない。よい生と悪い生、生きるに価する人間と価しない人間、尊重されうる市民とそのような資格のない市民を分けて差別する権力に抵抗することは、決して少数者のみの問題ではあり得ないはずだ。

(翻訳:辛承模)

Notes:

  1. 少数者は「身体的または文化的特徴のために社会の他の成員たちから差別を受けながら、差別される集団に属しているという意識を持っている人々」と定義できる。単に数的に劣勢に置かれているからといって少数者であるわけではない。また、その特徴が永久的であり、皆がその特徴を共有せず、他の長所があるとしても差別の対象となる特徴を相殺しにくいという点から社会的弱者と区分されると見なす。バク・ギョンテ、『少数者と韓国社会』、フマニタス、2008参照。国際法上の少数者保護が主に言語、人種あるいは宗教上に区別される少数者に限られる傾向があるとしたら、韓国社会における少数者は言語や人種的に区別される移住民のほかにも障害者、性少数者、女性などを始め、多様な非規範的集団を包括する用語としてより広く使われる傾向がある。
  2. 少数者運動自体が非常に異質的な主体たちで成されており、各運動を内部的に見る際にも決して単一ではないことは勿論である。だが、一応本稿では民主化運動や市民運動において「一般市民」や「一般民衆」を語る際に排除される集団としての少数者そのものが関心なので、少数者の名で登場した運動一般に対して注目しようとする。だからといって性少数者、移住民、障害者などの運動がそれぞれ持っている独自性と特殊性を無視するわけではない。実際に各運動が内部的に多様な要素があるにも関わらず、移住民、障害者、性少数者運動などで括られること自体も少数者アイデンティティが拡散されたことに沿ったことであるのを記憶しておく必要がある。
  3. 保守基督教団体らは2007年法務部が国連人権理事会の勧告に従って制定しようとした差別禁止法を「同性愛許容法」だと主張しながら制定を阻止したし、2013年春にもキム・ハンギル、崔元植(チェ・ウォンシク)議員が発議した差別禁止法案を自ら撤回するように仕向けた。彼らは2014年末には朴元淳(バク・ウォンスン)ソウル市長が公約し、市民が直接作るソウル市民人権憲章の制定過程で性少数者の人権を含めたという理由で憲章反対運動を繰り広げたし、結局憲章は廃棄された。同じような時期にソウルの城北区庁長は住民参与予算制度を通じて確定された青少年性少数者関連の予算を、該当区の改新教会が反対するという理由で受け入れなかったし、2015年大田市と市議会は女性家族部の要請と基督教団体らの圧力によってすでに作られた性平等条例案から性少数者人権関連の条項を削除した後、通過させたりもした。
  4. キム・ドヒョン、『差別に抵抗せよ:韓国の障害者運動20年、1987-2006年』、朴鐘哲出版社、2007。
  5. ジョン・グンシク、「差別または排除の政治と「少数者」の社会史再構成」、『経済と社会』2013年冬号、186~87頁。
  6. チャ・ビョンジク、「ある表札に対する20年の瞑想:参与連帯創立宣言文」、『事件で見る市民運動史:現代史の流れを変えた韓国市民運動20場面』、創批、2014、185~99頁参照。
  7. トリ、「韓国社会のLGBTの性的市民権:批判と展望」、『女/性理論』23号、2010。
  8. ザン・ミギョン、「韓国社会の少数者と市民権の政治」、『韓国社会学』39巻6号、2005。
  9. ユン・スゾン、「人権と少数者、そして欲望の政治」、『進歩評論』2009年冬号。
  10. Susan Pedersen, Family, Dependence, and the Origins of the Welfare State: Britain and France, 1914-1945, Cambridge University Press 1995.
  11. ソ・ドンジン、「人権、市民権そしてセクシュアリティ:韓国の性的少数者運動と政治学」、『経済と社会』2005年秋号。
  12. John Headley, The Europeanization of the World; On the Origins of Human Rights and Democracy, Princeton University Press 2007.
  13. リン・ハント、『人権の発明』、ジョン・ジンソン訳、ドルベゲ、2009。
  14. ハントは充分に扱っていないが、「宣言」テクストの中で人権と市民権の関係は明瞭でない状態で残されているし、まさにこの曖昧さはマルクスからアーレント、クリステヴァ、バリバールに至る多くの論者たちが人権概念の政治性を質問する出発点となった。このことについては、黃靜雅、「人権と市民権の「等式」:<人間と市民の権利宣言>を中心に」、『英米文学研究』20号、2011参照。
  15. ジョン・ジョンフン、「(不)可能な権利と人権の政治」、『文化科学』2013年春号。
  16. キース・フォルクス、『シティズンシップ:市民政治論講義』、イ・ビョンチョンほか訳、アルケ、2009。法的権利次元のcitizenshipと市民性あるいは市民になることとしてのcitizenshipについては、区別しないで用いる論者たちがもっと多い。従って、本稿でも必要な部分でのみ市民性(citizenship)と市民的権利(citizenship rights)を区別して用いた。
  17.   キムホンスヨン、「市民性を基準にして照明した社会的少数者の権利:ルンペンの事例を中心に」、『経済と社会』2005年春号。障害者の市民性問題については、今回の『創作と批評』171号に載せられた、金度賢、「障害者は大韓民国の市民なのか」を参照されたい。
  18.   従って、少数者に対する差別を解消するためには、物質的な支援や保護措置ではなく、彼らが市民としての生を生きていけるように市民性の原理そのものを変えなければならないということである。

    ここで強調すべき点は、先に列挙された市民性の要素が必ずしも少数者にのみ差別として働くわけではないという事実である。個々人は単に市民権が持てる人と、市民権から排除された人とに分けられるのではなく、持続的に市民性に符合するため努力しながら、市民性を立証しないと市民の資格が維持できない。もちろん少数者の場合には恒久的ではないにしても、市民性に符合しにくくする特徴を変更することが難しいという違いはあるものの、少数者を作り出す市民性の原理と位階秩序の中から自由な人間はいない。

    人類学者のタラル・アサド(Talal Asad)は単に市民権だけでなく、人権もまたそれ自体として人間に対する特定の像と資格に頼っていることを指摘する。 22Talal Asad, “Reflections on the Origins of Human Rights,” A Talk at the Berkley Center for Religion, Peace, and World Affairs, 2009.9.28(https://youtu.be/Vd7P6bUKAWs).

  19. カン・ミオク、『保守はなぜ多文化を選択したか:多文化政策を通じて見た保守の大韓民国企画』、サンサンノモ、2014参照。
  20. ソ・ドンジン、前掲論文。
  21. 2013年、民主党が発議した差別禁止法案に反対する過程で、保守基督教団体が「従北ゲイ」という用語をもって性少数者に従北嫌疑を被せたことは、韓国社会で少数者と体制反対者との距離が思ったより離れていないという事実を示している。