[目次] 2016年 夏号 (通卷172号)

卷頭言
「87年体制の克服」は「変革的中道」をもって / 李南周

特集_韓国文学ざされた未来
姜敬錫 / リアリティーの再装填―異なる民衆、新しい現実、そして「韓国文学」
韓永仁 / 世界の不安を耐える二つの方式
梁景彦 / 生の可能性を信じる詩: 最近の詩が展望を画く方式
蘇榮炫 / 「ヘル(hell)朝鮮」から「脱朝鮮」を夢見ること: 新自由主義型の新人類の逆襲

対話
[韓国の「保守勢力」を診断する②] 韓国軍――民主的コントロールの圏外としての / 金鍾大・余奭周・李泰鎬

論壇
韓洪九 / 韓国現代史、同じで異なる三つの道: 金鍾泌・李鍾贊・任在慶の回顧錄を読んで
姜貞淑 / 韓国における日本軍「慰安婦」研究、どこまで来たのか

現場
鄭鉉坤 / 総選挙以後、市民政治の道を問う
梁慧宇 / [マイノリティーの目で韓国社会をみる②] 移住者の市民権を民主化する

散文
ミリュウ / 二回目の春に生じさせる質問

寸評
朴晋佑 / 金鍾曄のほか 『セウォル号の社会科学』
藤井たけし / デヴィッド・グレーバー(David Graeber)の『官僚制のユートピア』と『アナーキスト人類学のための断章』
鄭竜澤 / 金学哲の『何でもないことの喜び』
金志恩 / 金重美の『花は多ければよい』
全致亨 / イム・ウンギョンの『朴・サンピョウ評伝』
李廷進 / 申知瑛の『マイノリティーのコミューン』
陳泰元 / 東浩紀の『存在論的、郵便的』
金鍊鐵 / 朴明圭・白池雲編の『両岸で統一と平和を考える』

読者_創批
金亨美・李日榮 / 協同組合の眼から創批をみる
李東奇・白池雲 / 脫中心時代における知性誌の役割

25人 新作詩特選
金正煥 / 乳房の展望、日差しのように
南眞祐 / 古くさい額縁のなかの生
金秀烈 / 祝宴のコーヒー
李文宰 / 大家族
高在鍾 / 緑風への歸據
蔣正一 / ハングル「ㅁ」
黃仁淑 / 月蝕
全東均 / 目はなく眉毛だけが黒い
鄭華鎭 / あなたに河を貸してあげたのに
張錫南 / 夜の散歩
許秀卿 / 春の夢
鄭柄根 / 善人
趙銀 / 並んで
咸敏復 / 紙箱の詩論
金基澤 / フライドチキン
羅喜德 / 敷居の遠い言葉
嚴源泰 / 花柳の日々
崔正禮 / 案内放送
咸成浩 / 私たちはよく負ける
朴賞淳 / フィンランドの圖書館
朴瑩浚 / 佛光川
李源 / 死んだ人を呼んでくれませんか?
崔泳美 / 死は練習しえない
金素延 / iへ
趙起兆 / 甘い技術

小説
權汝宣 / あなたは分からないのである (中篇)
曺甲相 / 屛山邑誌の編纂略史
鄭美景 / 夜明けからかすかに
朴・サラン / #倦怠_李箱

文学評論
シン・セッビョル / 植物的主体性と共同体的想像力: 『(菜食主義者』から『少年が来る』まで、 韓江小説の軌跡と意義
都珍淳 / 詩人陸史の遺言、「広野」: 「死んでも休まない」

作家スポットライト_宋竟東の詩集『私は韓国人ではない』
朴笑蘭 / 心のねじを締める人

文学フォーカス
_この季節に注目すべきの新刊 / 金素延・金永贊・白智延

編集者
金善娥 / 労働と政治を失われて、尹東柱に共鳴する

創刊50週年記念 創批長編小説賞の発表_クム・テヒョンの『マンゴースクエア』

 

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「87年体制の克服」は「変革的中道」をもって

2016年 夏号(通卷172号)

野党側が分裂した状態でねじれ状態の「与小野大」という結果を生み出した今年4月の総選挙の結果は多くの人を驚かせた。「有権者革命」という表現が登場したほどであるが、朴槿恵政権の「漸進クーデター」企図に大きな打撃を与えたことだけでも、今回の総選挙の政治的成果はとても大きい。

朴槿恵政権の下で民主主義の進展に対する守旧保守からの反撃、巻き戻し(roll back)戦略は民主的ガバナンスの土台を崩壊させる局面へ発展した。これは、守旧保守の安定的覇権の構築を目標とした政治企画であった。歴史教科書の国定化推進、与党内の親政体制の構築、議会の無力化、開城工業団地の閉鎖等がすべてその企画の一環であった。筆者は総選挙の前、これを「漸進クーデター」と規定したことがあるが、朴槿恵政権にとって4月の総選挙は昨年の下半期から強まったこの企画を確固たるものにすることができる重要な機会であったのである。幸いなことに総選挙で政府与党が敗北し、彼らの企図に急ブレーキがかかった。政局の主導権が野党側に移ったと断定することはできないが、政府与党の一方通行式の国政運営は難しくなった。

この劇的な変化は、「87年体制」で進展した民主主義の抵抗力が決して弱くないことを改めて確認できるものである。野党が野党としての役割を果たせてない状況の中でこのような成果を達成したという点でより大きな実感が沸いてくる。今回の総選挙はその勢いを基盤にして、87年体制を安定的で持続可能な生活を保障することのできる新しい体制へ転換させる宿題を民主改革勢力に投げかけた。まさにこの点が大事であるが、国民がねじれ国会をつくってくれたのは、いまは生命力がほとんど消尽された87年体制を改良して、その中で野党の力をもう少し育ててほしいという意味では決してない。

この宿題を成功させるためには、なぜ87年体制が末期的現象を見せたのかというところから省察しなければならない。総選挙以後政治界でも87年体制の克服という話頭がすでに提起されている。来年が6月抗争30周年という点で、その論議が今後さらに活発に進められる可能性が高い。ところが、現在の状況をみると、それは87年憲法、その中でも権力構造の問題に主に焦点を当てたかつての論難を繰り返すおそれが大きい。このような方法では87年体制を乗り越えられる道は見つけがたい。

87年体制の限界は、これまで行われた韓国社会の改革運動が分断体制の克服及び朝鮮半島レベルの総体的改革とつながっていないところから生じたものである。それによって民主的ガバナンスに対する守旧保守による反撃がかなり成功できる政治的、社会的環境がそのまま残された。そして、民主改革勢力も体制転換という大局的観点を忘れ、個別改革課題の実現にのみ没頭したり、分断体制という現実を考慮しないまま、西欧の「進歩モデル」を改革方案として掲げることによって、変革的エネルギーは漸次分散され、弱まった。それによって、守旧保守による民主的ガバナンスへの反撃がより容易く試みられた。その中で、87年体制の末期的現象が全面に現れ始めた。

守旧保守による巻き戻しの試みは今も続いている。彼らにとって議会権力は多くの拠点の一つにすぎず、国政院、検察、警察、国税庁等行政部内の特殊権力機関の他にも言論、宗教、学界の既得権勢力も依然として動員することができるからである。それゆえ、戦術的柔軟性を見せるかもしれないが、分断体制の既得権を維持して強化するための模索は続くであろう。朴槿恵大統領が今回の総選挙の結果を国会に対する審判と規定し、歴史教科書の国定化を行い続けるという意志を表明したのは、「戦術的柔軟性」レベルでも問題になるはずだが、それはともかく北朝鮮との対決構図を強める方法で自身にとって不利な政治雰囲気を変えようとする試みもすでに始まった。

もっと大きな問題は、議会で多数を占める野党側の政党がこのような企図を粉砕し、87年体制の克服及び大転換を実現するビジョンや能力を持っているかである。一旦政権交代と受権が現在の野党側の主要な話頭として登場したのはある程度意味がある。ここ数年間野党内の主要政派または派閥が受権より政治的既得権に関心があるような印象を与えたからである。しかし、政権交代は決して最終目標になれず、韓国社会を変革させるための手段としてとらえなければならない。政権交代を通じてどのような社会をつくるか、87年体制をどのように克服するか等に対する社会的合意をつくり出せた時、行政部の交代が韓国社会の大転換へとつながることも可能になる。

これと関連して、総選挙の前後に野党側で中道論、中道改革論、合理的改革論等が提起されたことに注目する必要がある。硬直した理念的枠や尺度ではなく、韓国の現実に合い、社会構成員の多数を説得できる改革論が必要であるということにある程度共感する雰囲気がつくられているようにみられる。ところが、現実における中道は既得権間の折衷に転落し、体制の克服より体制に安住する政権交代を目標としており、運動性から遠ざかるおそれも大きい。総選挙の過程において、北朝鮮が4次核実験を行ったことに対する政府の無能力や無責任をきちんと追及できず、太陽政策の修正云々する態度や、野党自らがいわゆる「運動圏」に対する否定的認識を拡散させることに熱心だった動きがそのような危惧を加重させる。かつて韓国社会の主な改革が社会的運動のバックアップ無しに行われた例があるだろうか。派閥政治や一部の不適切な行動が国民に失望感を与えたことは事実であるが、それはむしろ真の運動性の喪失、さらに社会運動そのものの退潮と関連づけて批判すべき問題である。それを運動圏の問題として規定するのは飛躍であり、適当な折衷に中道を活用しようとする政治的意図を表すことである。

本誌が一貫して「変革的」中道を提起した理由がまさにここにある。変革的中道は、韓国社会の置かれた客観的状況が中道と変革とが結合できる機会を提供するというところに着眼する。分断体制がそれである。分断体制の克服は韓国社会の改革にのみ視野を限定する時よりはいっそう多様で、幅広い勢力が力を合わせることを求めるという点において、中道的道を歩むべきであり、分断体制の克服過程は前より良い社会を朝鮮半島全域にわたって建設しようとするという点で変革的である。南北間の緊張が高まっている今、分断体制の克服が空虚なスローガンのように見えるかもしれない。ところが、それは分断体制がいつよりも激しく動揺しており、これ以上安定的に維持されることは難しいというシグナルとして見た方がより妥当である。この現実を度外視したり、さらには守旧保守のニーズに合わせたりするやり方では87年体制を克服する動力をつくれるどころか、すでに末期的兆候を見せている87年体制の維持も難しい。分断体制の克服と韓国社会の改革をつなげる大転換が87年体制克服の方向にならなければならない。

このような課題を解決するためには何よりも野党側の換骨奪胎が切実である。「共に民主党」は派閥論難から依然として抜け出していない。「親盧(盧武鉉)」または「親文(文在寅)」という区分法は他の政治勢力が自身の政治的利益のためにつくり出したフレームだという主張もある。しかし、党内の中心勢力が政権交代、さらに韓国社会における大転換の実現より特定の人を大統領の候補として固めることに関心がより多いような印象を与えたのは事実である。これは、総選挙で政党支持率が3位に止まった主な原因である。院内第一党になった共に民主党は大局的態度で野党側の多様なアイディアと人物が競争し、新しい可能性を模索する場づくりにおいて先頭に立たなければならない。それができてこそ、野党側の中心勢力としての役割を続けることができる。

「国民の党」は反射的利益によって第三党の位置を占めたが、韓国社会の大転換という課題を遂行する準備ができたとは言い難い。有権者が現在の三者構図をつくり出したのは、遅々として進まない野党側を韓国社会の大転換に必要な課題を解決できる勢力として再誕生させたいからである。国民の党がこのようなニーズに応えられず、反射的利益によってつくられた三者構図や共に民主党とセヌリ党の間の中間政党としての位置にのみ頼ると、かつての第三党または第四党の運命から抜け出すことは難しくなる。最後に、総選挙で7%の政党支持率を記録した「正義党」は、有意味で新しい政治的可能性をつくるのにことにおおいて依然として重要な役割を果たすことができる。ただし、今回の総選挙において見せた動きには残念なところもある。共に民主党と国民の党が中道を主張した時、彼らの中道にどのような限界があるのかを気付かせて、それを変革的方向へ導く正義党の役割が必要であった。しかし、選挙連合党の政治工学に力を注ぎ、正義党自身の政治的存在理由を見せつけることにおいてはあまり成功していない。正義党には今後小さな政治的利益を越えて、韓国社会の大転換において先頭に立つ動きを見せてほしい。

市民社会の役割も相変わらう重要である。市民社会は、韓国社会における大転換のためのビジョンを生産し、政治圏が狭い利害関係を越えて真の変化の道を歩むように牽引できる潜在力を持っている。それを発揮するためには、自足的で慣性的活動を一貫したり、政派的な偏向に閉じこもる方法で統合や連合を主張するなど、今回の総選挙の過程で見せた動きから脱し、国民の賢明な選択を信頼することによって、大転換に対するビジョンを立てることができなければならない。国民が87年体制の末期的現象の根源に気付き始めている今こそ、政治圏や市民社会が変革的中道の精神によって大転換企画を積極的に進めるべき時である。国民がせっかくつくってくれたチャンスを二度と逃さないための皆の新しい覚悟と格別な努力が求められる。

今号の特輯は、「韓国文学、『閉ざされた未来』と戦う」というテーマを掲げる。昨今の厳しい現実はいかなる未来の生活も期待しがたいほど展望が暗くて固く閉ざされているようである。韓国文学も全般的にそれを反映するかのように、なかなか希望の根拠を見出せていないが、その中を覗き込んでみると、困難な現在の生活を耐えながら、未来に至る門を閉じようとしない芸術的奮闘が行われていることを感知することができる。特輯に組まれた論文は、今日の韓国文学が厳酷な民衆の現実にもかかわらず、その中で新たな可能性を探し求める難しい課題にどのように取り組んでいるかを多様な方法で論じる。

姜敬錫は、前号の黄圭官の論議に続き、民衆文学論を再び検討する。「異なる世界」を念願する熱望と連帯を潜在的に持つ今日の人々を指す名称として再び「民衆」が的確となりつつあることを指摘し、民衆性やリアリティ問題を中心に今日の文学現場を幅広く点検する一方、韓国文学がどのように「未来を図って」行くべきかを熟考する。ハン・ヨンインは、暗い現実の中で不安な生活に耐えることの意味を趙海珍とユン・ゴウンの小説を通じて細心に考察する。資本の論理に包囲・包摂された無気力な人間を扱っている彼らの作品は、今日の生活のある底辺を正直に見せることによって、無駄な期待のない生活のスタートを可能にさせると力説する。

ヤン・ギョンオンは、最近詩が無気力だという評価を再考しながら、近作の詩がどのように政治的な力量を発揮しながら、現実と向き合っているのか、そしてどのように展望を準備しているのかを検討する。ファン・インチャンとイム・ソラ、チョン・ハナとチョン・ムニョンの作品分析を通じて同時代の詩を「改めて」政治的に読むためにどのような姿勢が必要なのかを探る。ソ・ヨンヒョンは、ヘル(Hell)/脱朝鮮論が持つ矛盾的地点、隠蔽された部分について言及しながら、なぜそのような矛盾が露出されざるを得ないのかを分析する。最近注目されているチャン・ガンミョンとパク・ミンジョン等の若手小説家の作品に対する鋭い分析が目を引く。

「文学評論」では『菜食主義者(ベジタリアン)』でブッカー国際賞を受賞した韓江の主要作品をシン・セッピョルが「植物的主体性」と「身を引く感覚」を要諦として精読する。韓江の熾烈な作品も「閉ざされた未来」と戦う奮闘の現場であることが明らかとなる。歴史学者のト・ジンスンは李陸史の後期主要作であり、かつ代表的な抗日詩である「広野」を分析した論文を寄せてくれた。李陸史の現在的意味を反芻すると同時に、歴史学者の観点から文学作品を検討する新しい視点が興味深い。

「創作」欄も豊富である。まず前号に引き続き、キム・ジョンファンからチョ・ギゾまで韓国詩壇を代表する詩人25人の新作詩を載せた。「小説」欄ではチョ・ガプサン、チョン・ミギョン、パク・サラン、クォン・ヨソンがそれぞれ個性あふれる作品世界を披露する。とくに、チョ・ガプサンの短編は現在の歴史国定教科書と関連して熟考すべき事案を投げかけており、クォン・ヨソンの中編は殺人事件をめぐる真実の問題を深く取り扱う。

「文学フォーカス」では白智延、金素延がキム・ヨンチャン評論家と一緒にセウォル号関連の記録文学をはじめ、近作の詩集と小説を検討した。韓国文学において新しい活力の契機を探し求める参加者の熱誠がところどころに見られる。「作家スポットライト」では詩人のパク・ソランが今年の初め『私は韓国人ではない』を発表した「街の詩人」のソン・ギョンドンに会い、彼の詳細なストーリと文学に対する様々な考えを伺った。

「対話」は、本誌の連続企画「韓国の『保守勢力』を診断する」の二回目のテーマとして韓国の軍隊を取り扱う。20代国会で注目されている新人議員のキム・ゾンデ当選者、豊富な軍経験をもつヨ・ソクチュ元国政状況室情勢分析担当、平和運動を活発に展開しているイ・テホ参与連帯政策委員長が軍の人権、国防不正、軍に対する民主的統制など、韓国の軍隊が露呈した問題を診断し、改革方策について議論する。

「論壇」において韓洪九は、異なる位置で韓国現代史に著しい足跡を残した金鍾泌、李鍾賛、任在慶の回顧録をまとめて評する。歴史の現場を生々しい声を通じて伝える回顧録を綿密に検討し、その中に盛り込まれた重要な争点を明らかにした論文である。姜貞淑は日本軍「慰安婦」という難しい歴史的宿題を解決するのに、韓国の歴史研究がどのように寄与してきたのか、今後どのような役割を果たすべきかを検討する。

「現場」欄では、まず連続企画「少数者の目で韓国社会を見る」をヤン・ヘウが移住者問題で担当した。移住者関連法の制定がまた新たな分割や排除をもたらした現実を喚起させながら、国民国家の中に閉ざされた市民権の概念を乗り越えなければならないと主張する。チョン・ヒョンゴンは市民政治の視点から今回の総選挙の成果と限界を評価し、今後の課題を論じる。選挙結果が再び政党によってのみ占有される現実を乗り越えるための模索が必要だと強調する。

久しぶりに再開した「散文」欄では、人権運動家のミリュが、セウォル号惨事対策活動過程において対話と連帯の可能性を求めていく過程を淡々と述べる。決して忘れてはならず、中断されてもいけない戦いを耐えていく現場の記録でもある。これからも生活と運動の現場を新たな感覚で紹介できる論文で散文欄を構成する予定である。「寸評」は相変わらず読者にとって楽しい読書のための手引きとしての役割を果たしているだけではなく、寸評そのものも素晴らしい読み物である。そして「読者の声」は前号のように「創批へのお願い」インタビューでつくってみた。長い間創批を読んできた活動家や学者からの愛情のこもった助言と厳しい指摘を改めて受け止める契機となった。

韓江のブッカー国際賞受賞に加え、読者の皆様とともにお祝いしたいお知らせをもう一つお伝えする。本誌創刊50周年を記念する長編小説賞にクム・テヒョンの『マンゴースクエア』が当選された。晩学の新人小説家のデビューをお祝いし、良い作品を期待する。

創刊50周年記念号である前号に対して読者の皆様から熱い反応をいただいた。このような支持にお応えできる道は、春号の巻頭言で約束した多くのことを誠実に実践していくことだと考える。今号もそのような姿勢で準備した。今後もご声援ご鞭撻を贈りますようお願い申し上げる。新しい編集陣は常に開かれた姿勢で読者の皆様のご意見に耳を傾けていきたい。

 李南周

 

翻訳: 李正連(イ・ジョンヨン)

リアリティーの再装填―異なる民衆、新しい現実、そして「韓国文学」

2016年 夏号(通卷172号)

特集_韓国文学、「閉ざされた未来」と闘う
リアリティーの再装填―異なる民衆、新しい現実、そして「韓国文学」

 

姜敬錫(カン・ギョンソク) 文学評論家。最近の評論に「批評のロードスはどこか:「近代文学終焉論」から「長編小説論争」まで」などがある。netka@hanmail.net

だが、より立派な時代になるとしても、芸術の表現でもあり、また形式の基盤でもある苦痛を芸術が忘却するのなら、いっそ芸術が初めから無くなったほうが正しいだろう。
―T. W. アドルノ

 

「民衆的なるもの」の帰還

英語の「ピープル」(people)に当たる韓国語には人間、人のような日常語の外にも、人民や民衆が浮かび、場合によっては住民、市民、国民、大衆を選ぶこともできる。これらの言葉の間にはすでに古くから厚い和集合が形成されているが、含意と強調点、置かれている地平は少しずつ異なる。しかしそれぞれの来歴を持った数多くの「ピープル」らの中でも、今日韓国文学の実像と社会現実との連関を新たな水準で再構成しようとするならば、さらに漸増する社会的不安と政治的無力感に巻き込まれない文学的実践を図る場合ならば、「民衆」という用語または概念の相対的効用性と不可避性に改めて注目せざるを得ないだろう。

国民国家の主権者であり統治の対象としての国民は勿論のこと、権利と責任、資格の問題と結び付けられたりする市民は、多重(multitude)、下位者(subaltern)、少数者(minority)、そして難民(refugee)など、変わった現実を反映する新しい内包と区別されるという点で、使い方が限定的である。ここで没主体的な群衆や消費者としての大衆を論外とすると、まがりなりにも人民が残るが、その内部における人間中心的限界だけでなく分断以後、朝鮮半島の南側の言語生活では事実上捨象された用語だという点が障害である。

それに比べて70~80年代の反独裁抵抗運動によって活性化した「民衆」は、民主化と大衆消費社会の躍進でその勢いを失いはしたが、朝鮮半島の近現代史において内発的に成長した変革主体としての象徴性を相変わらず持つ概念である。ひいては最初から分析的概念ではなかったので、世界至る所で可視性を拡張していっている現実的存在、だから少数者と難民のような「市民性(citizenship)の他者」たちとも相対的に接続が容易である。民主主義社会の政治的主体である「民」と衆生という用例から見るように、生命を持ったすべての存在として「衆」の結合としても把握できる民衆は「その底に人間だけでなく動植物生態系全体と、いわゆるこれまで西洋人たちが「有機物」に対蹠的な「無機物」と呼んできた山脈・岩・空気・水・土・風までも一つとして見る視角」 1まで開くことができて、ピープルとピープルを超えて結ぶ関係を総体的に再現するに有利であるばかりでなく、芸術的想像力の根源に関連しても豊かな暗示を提供する。階級と性別、人種と国籍のどれ一つだけでは説明が不十分となる複数の社会・文化現象を統合的視野で捉える必要があるならば、民衆談論をリブート(reboot)する理由は充分であろう。

従って、ここでは民衆を特定の階級、または「国民、民族、市民の位相を獲得するに失敗した」 2人々に限定しない。「国民、民族、市民」も階級と同じく民衆が可視化する局面の一部だと見なすからである。この際の民衆は集合的な覚醒と決断を要請する様々な切っ掛けがない限り、たいてい非可視的な状態に留まるようになるが、そういう点で識別可能なアイデンティティを共有することで維持される、われわれが知っていた「共同体」とは別に存在する。言い換えると、民衆は居住地や階級、または性差などによってアイデンティティと利害関係を異にする単位共同体ではないし、だからといってその中のいくつかの連合で構成されるわけでもなかろう。それは却って共同体または共同体を統御していた規範や制度、コード、アイデンティティの動揺から可視化されると見なしたほうがより適切である。産業社会への再編で農村共同体が早く崩壊していった70年代に民衆概念が本格的に要請された事実や、生産資本主義体制が消費資本主義へと移っていく峠で87年の6月抗争と7・8月労働者大闘争の巨大なる水流が、民衆の名で噴出したことは決して偶然ではなかろう。

だから、よく思われるように当然享受すべき普遍的権利を剥奪された被害者が直ちに民衆ではない。アイデンティティの危機の中で現実の矛盾に傷付けられた者たちが、「他人の苦痛」に感応する能力を通じて、互いを見て取り、手を出して一緒に立ち上がる連帯の瞬間に可視化される存在が取りも直さず民衆なのである。民衆たちの間における連帯ではなくて、逆に連帯とネットワークとして出現する「民衆的なるもの」が今日の歴史的実感に符合する一種の2.0バージョンに当たる。 3 私事化した挫折と無力感から逃れようとする個人(集団)たちが社会的苦痛の「プラットホーム」に接続して孤立を克服することによって、集合的解放の可能性を開示し、拡張する運動、まさにその中でこそ始めて「第三者」であることを辞めて、各々「当事者」として参与する民衆は実体化するはずである。例えば、世越号惨事以後、街と広場を埋めた「じっとしていまい」という宣言が明白に見せてくれたように、このような民衆的大転換の動きはすでに現れ始めた。あらゆる社会的手段を掌握した守旧既得権勢力の組織的捏造と幇助、妨害にも関わらず、惨事を巡った真実は次第に顔をさらけ出しつつあり、 4 民主化の成果をことごとく無化させようとする緻密な巻き戻し(roll back)戦略 5に立ち向かって「有権者革命」に準ずる勝利を収めた去る総選挙の結果も、一定の限界の中でもそのような大転換の明らかな一部であろう。問題は差し当たりの速力や規模ではない転換の方向であり、それを左右する核心はまさに私たちの粘り強さと姿勢にある。

 

可視圏の外の安否 6

今日の文学について語ろうとする本稿において民衆概念の含意を再構成する先行手続きが必要であった訳は、先述した民衆的なるものが目の前から全く消え去ったように見える時でさえ、各々の固有な形式でそれを感知可能とたらしめるだけでなく、持続的現在として「生動」させることに文学特有の能力と役割があるからである。連帯と抵抗のエネルギーが噴出する時期は言うまでもなく、それが底流に沈潜したかのように見える困難な時期ほど、その潜在力を発掘し可視化する文学の役割はより大きくなるしかない。文学はこのような力を感応させることによって社会的連帯の資源を生産し、保全し、蓄積する。文学がどこでどういうやり方であれ、今ここの生を荒廃にする苦痛と桎梏に立ち向かって、よりよい「異なる世の中」を作る事業に参与できるならば、その可能性もまた文学が持ったそのような能力から来るだろう。よく言われる文学の政治性や社会性も民衆的なものの存在に対する信頼と、文学の力に対する信頼から離れては空虚な観念に落ちるだけである。最近、初めての詩集を出版した安姫燕(アン・ヒヨン)は文学に対するこのような信頼を次のように簡明に詩化したことがある。

 

しかしわれわれには歌う口があり
門が描ける手がある
恥ずかしさが作る道に沿って
互いを染め合いながら行くことができる

絶壁だといったら閉じ込められている
丘だといったので流れること

遠い後日、染色工は
われわれを思い浮かぶだろう
たまたま彼の頭の中の電球が点く瞬間

彼はゴミ箱を手探りして古くなった失敗を取り出すだろう
自ら滲んでいった図柄
光を含んだ歌を 7

 

だが、全地球的資本主義の時代が渡来し、民衆・民族文学運動が懐疑の対象となって以来、文学に対するこのような信頼は持続的に挑戦に直面してきた。韓国社会で連帯の感受性がかなり遺失されたことを守勢的に反映したり、逆らえぬ大勢として既定事実化するあらゆる「終焉論」とその変種が西欧の脱近代理論に接種して出現してきたことは周知の事実である。文学の無力さを訴える多くの言葉は、その主観的善意はどうであれ自分たちが問題とするまさにその危機を加速することに仕えるに決まっているし、実に「異なる世の中」に対する不信を加重させる資本主義論理の踏襲に過ぎない。

歴史の節目ごと噴出して自分の健在を知らせたあの民衆的なるものの存在が厳然であるならば、傍でその潜在力を保存し培養していた韓国文学の動きもまた、一時的後退と停滞はあっても全く中断されたことはなかった。言わば87年体制、分断体制、資本主義世界体制がもたらした「三重の危機」の深化の中で民衆的なるものの可視性が大きくなるほど、文学の場でも現実志向の自意識が増大されていることは至る所で引き続き感知される。守旧保守連合の再執権の時期に触発されて、龍山惨事(2009)以後、より活発に展開された「文学と政治」の論議や、密陽と江汀、雙龍自動車と韓進重工業事態の前で若い詩人・作家たちが見せてくれた直接的な現実参与のみを念頭に置いてする話ではない。変化はずっと内密な地点でも始まった。主に「現実から内面への移行」と評価された「90年代作家」たちが最近むしろそのような変化の流れをはっきりと実感させている点は注目に値する。主人公一家の平均的生を通じて韓国社会の圧縮的近代化過程を以前よりまして大きなスケールで鳥瞰した成碩濟(ソン・ソクゼ)の『透明人間』(創批、2014)や、少年のドンホの死を軸にして光州抗争の民衆的威厳を生々しい現在へと復元した韓江(ハン・ガン)の『少年が来る』(創批、2014)は、「90年代文学」の現実志向的転回を証す明白な成就である。このように韓国現代史の決定的節目を新たに照明して現在化し、その意味を問い直す作業は李起昊(イ・ギホ)の長編『次男たちの世界史』(民音社、2014)とも共鳴するが、「透明人間」、「少年」、「次男」などがすでに「民衆的なるもの」の秀でた象徴であろう。

それに加えて注目すべき現象が言わば往年の民衆文学運動を主導していた作家たちの現場復帰である。『噴火山』(世界、1990)の作家、李仁徽(イ・インフィ)が8年余の沈黙の末に中短編の作業で帰ってきた後、すぐ小説集『廃墟を見る』(実践文学社、2016)を発表したことも驚くべきだが、小説集『私たちの恋は野花のように』(プルビッ、1992)以後、消え去ったと思われていた「金気のように」(1987)の作家、ジョン・ファジンが去年、短編「きょろきょろ見回す」(『黄海文化』2015年秋号)で20余年を超えて文壇に復帰したことは、それ自体が時代転換の小さな兆候として遜色がない。去年、共に新しい詩集を出版して健在を証明したベク・ムサン(『廃墟を引き揚げる』、創批)とキム・ヘザ(『家に行こう』、サムチャン)は、昔も今も「民衆詩」系列の逞しい心張りであるが、 8彼らが遂行してきたこれまでの奮闘が寂しくなかったことを両作家の復帰が証明してくれたわけでもある。また、世越号惨事に感応した若い詩人・作家たちを主軸にして既存の文学生産制度の外で創作と現場朗読の新しいプラットホームとなった「304朗読会」は、文壇内外の持続的な呼応の中で早くも20回以上の活動を持続することで、文学運動と社会運動の両側面で新鮮な刺激となっている。 9 民衆的なものを非可視化する体制の圧力が強くなるほど、今の時代の「透明人間」たちに声と顔を返してあげようとする詩人・作家たちの絶え間ない戦いは、このように世代と出身、ジャンルと文学理念の違いを問わず多様に展開されている。文学の場でも大転換はすでに始まったのではなかろうか。

 

アリスたちの身元

だが、誰でも感じているようにこの戦いはいつにもまして複雑な様相を呈する。究極的には先述した「三重の危機」の複合性のためであろうが、それがもたらす社会的感受性、または共通感覚の動揺で今の時代の詩人・作家たちは二重、三重の苦闘に乗り出すしかないこととなった。戦いの困難さはそのままやりこなしながら「未来を図る」新しい実験を持続している韓国文学の現場は、よって解答の是非より問いの懇切さと真実さに一層集中する段階に来ているようだ。そのような作業を最も切実に遂行している作家の一人として黄貞殷(ファン・ジョンウン)を数えることにためらう理由はない。特に彼女の中編『野蛮なアリスさん』(文学ドンネ、2013)は成碩濟の『透明人間』に劣らず「民衆的なるもの」の新たな可視化に意識的な場合である。

『透明人間』が、あまりに多くて区別がつかず、目に付かなくなった平均的存在らに向かい合っているとしたら、『野蛮なアリスさん』は例外的だと言えるほど強烈で特殊な苦痛と不幸を提示することによって、例の可視性の地平を局所的次元で開いて見せている。前者が通時的眺望のもと繰り広げられる時間的形式ならば、後者は「内」、「外」、「再、外」という各章の小題目が暗示するように空間的形式を取っているが、それは作品の主要背景であるコモリを始め、空間や場所に対する叙述的配慮が特に際立つこととして現れる。このことは黄貞殷小説一般の特徴でもある。 10 平均性という先行観念の制約のために作意が実感に優先するところもなくはない「透明人間」に比べて、 11 例外的形象の「アリシア」が持つ長所は何より「透明人間」類が時たま落とす一種の「新しい現実」を捉えるということにある。

 

わが名はアリシア、女装浮浪者として交差点に立っている。
君はどこまで来たか。君を探して頭を傾げてみる。(・・・) アリシアの服装は完璧である。ジャケットと短いスカートで対の紺色の正装を着ており、ハトの胸のように色合いも感触もかわいらしいストッキングを履いた。君は(・・・)不意にアリシアの臭いを嗅ぐこととなるだろう。タバコに火をつけようとする瞬間、コインを探そうとポケットを手探りする途中、息を吸い込む途中、街に落ちた手袋を拾う瞬間、傘をさそうとする瞬間、冗談に笑いながら、ラテを飲みながら、宝くじの番号を照らし合わせながら、バスステーションで何気なく首を巡らしながら、アリシアの体臭を嗅ぐだろう。君は顔をしかめる。不快となるのである。アリシアはこの不快さがかわいらしい。(・・・)アリシアの体臭とアリシアの服装で誰にも奪われえないアリシアを追い求める。(・・・)君の面白さと安寧、平安さにアリシアは関心がない。引き続きそうする。(7~8頁)

 

『野蛮なアリスさん』の導入部である。何度も論じられたようにこの作品は疑問だらけである。1人称なのか3人称なのか混乱を来たすアリシアの存在が一先ずそうであるが、彼がタイトルのアリスさんと同一人物なのかどうかも定かでない。それに「君はどこまで来たか」の「君」は誰なのか。

しかし、考え直してみると、われわれが共有したり共有すると見なすある種の識別体系がこのような疑問を作り出すかも知れないという心証を持つことにもなる。内と外の区分で成された各章のタイトルが「再び、外(再、外)」という意外の区画概念に到達するところからも暗示されるように、アリシアの存在は既成の識別体系を喚起しながら亀裂を刺激する面がある。「女装浮浪者」という説明からそうである。身なりは女性であるが、実際女性ではない場合に付ける修飾が女装だとする際、アリシアが少なくとも通念上の女性ではないという点が明らかとなるが―本文の物語もこのことを裏付ける―女装を性的志向の表現として受け入れる場合は異なることを考える余地もなくはない。従って、彼のアイデンティティや志向はむやみに断定しにくいが、だからといってそのような識別自体の根源的不可能性を主張するようにも見えない。アリシアはおそらくそれ自身が既成の識別体系の産物であると同時に新しい識別体系を要請する存在であろう。

このことからいろんな疑問が解ける余地が生ずる。アリシアの登場は既成の識別体系がもたらしたいろんな現実的存在たちの苦痛をあまねく想起させる。コモリでの暴力のもとで成長したアリシアの生は苦痛という言葉だけをもっては説明が足りない境遇である。従って、既成の識別体系に包摂された共同体と、新たな識別体系を要請する存在との中でどちらが「野蛮」に当たるかは自明となる。断定しにくいが、タイトルの「野蛮なアリスさん」はアリシアと同一な存在ではなかろう。アリシアの立場に立つ時、「君」らは「不思議の国のアリス」のように不慣れで不可解であるだけでなく、野蛮なまでの存在たちという解釈も可能ではなかろうか。アリシアを通り過ぎる数多くの「君」らが停止画面に捉えられた事物のように乾燥に述べられたことからそのような感じは強化される。

そしたら、「君」とアリシアは永遠に互いを排除するしかない関係なのか。そのはずはない。むしろアリシアは君を待ってもいる。「面白さと安寧、平安さ」に包摂された君らの中には、ついに「これを記録するたった一人」となる君も含まれているからである。そして、ここでの「たった一人」が文字通りのたった一人だけではなく、「自分の自分になること」、だから個体性を唯一の識別体系として受け入れた存在を指すのであるならば、「たった一人」としての「君」こそ共同体を統御していた規範やアイデンティティの動揺から可視化する民衆的なるものの優れた形象化であり得る。ここでの記録が何を保存する記録なのかについては長い説明が必要でなかろうが、それにも関わらず疑問が解けない件は「アリシアはこの不快さがかわいらしい」という文の意味である。これを解明するためには一遍の詩を経由するしかなかろう。

「野蛮な」既成の識別体系の暴力性に対する真摯な探索であり、例の「新しい現実」の詩的形象化の事例としては、金炫(キム・ヒョン)の『グローリーホール』(文学と知性社、2014)が注目に値する。いろんな詩編の中でもあるゲイ青少年の失恋談を素材とした「老いたベビーホモ」は、愛に関する少数者的感受性の独特な深さを見せてくれる。それはもちろん既成の識別体系のもとでよく見えなかったりぼやけていた何かである。

 

赤紫色の雨が降る夏の空っぽの教室で初めて感情をしゃぶった。奥歯をかみしめてサッカーシューズをくしゃくしゃに履いた薄黒い感情であった。膝をついた窓外に時間の紙魚は白く起こりかけて。
一列横隊に濡れた運動場を行軍してくるヒキガエルの群れの号令に合わせて、やつは力いっぱい走った。私はやつの輝くドリブルを思い浮かべた。ゴールを入れるたびにファックを言い放ったやつの唇はかなり神秘的であった。唾だらけとなった感情は柔らかくてつるつるであり。
すぐだらだらと流れ落ちた。感情の睾丸を隠し、やつは荒涼としたかわいらしい足蹴で私を蹴飛ばした。ガラス窓の中で時間に蝕まれた私が老いた新婦のように私を私のように眺める時。やつは糞のついたパンツを履いて、いなくなり、美しく。私はベールのようにささやいたよ。さようなら。

そしてやつらを見た人はいないね。誰も。そう、誰も。

アンクルスバーガーのナプキンでホームタウンのケチャップを拭いていた私たちは、なぜ急いで老いたのか。ソーセージカールのかつらをつけて腐ったビールを飲む古い夜、私は知らず知らず歌うよ。カウンターダウンが終わりもしないうちに少年の軌道の外にロケットを打ち上げたやつらのために。さようなら、今もサッカーシューズをくしゃくしゃに履いて赤紫色の夏から逃げているはずのグローリーホールの黄色い出っ歯のホモたちの感情のために。そして乾杯。 12

 

散文的に書かれているようだが、同じような資質の語尾を繰り返したり、少しずつ順序を取り違えてリズムの単調さを避けながら、全体的に柔らかいものの生々しい現在性の呼吸を作り出している。この詩は一つの完結した後日談で成されているが、物語の内容は痛ましくてならない。ゲイアイデンティティに目覚めた少年の「私」がおり、私が愛する他の少年「やつ」がいる。「雨が降る夏の空っぽの教室で初めて」私は「やつ」の性器を口に咥える。私にとっては明白な愛の行為であったが、やつはなぜか「奥歯をかみしめて」いる。そこには思春期的アイデンティティの動揺と混乱があり、禁忌に対する恐怖と共に未知への息が切れる衝動が同居している。このはらはらする緊張と熱気の時間を次第に食い荒らしてくるように、ガラス窓はぼやけ、ようやくその刹那の末にやつの「荒涼としたかわいらしい足蹴」ですべては終る。

ところですでに「私はベールのようにささやいたよ。さようなら。」という文が語っているように、私は自分を結婚式場に一人で取り残された悲運の新婦のように想像しながらも、侮蔑に陥らず、「やつ」の美しさを再び肯定するところにまで及ぶが、それはもしかしたら私を捨てて去った「やつ」と共に惨めに捨てられた「私」自身にさえ「さようなら」を告げることで可能となったことであろう。それは『野蛮なアリスさん』のアリシアが自分の体臭を嗅いで不快となったあまり顔をしかめる「君」らに対して、「この不快さがかわいらしい」と語る脈絡とそれほど離れていないようだ。それはアリシアと「私」が「君」または「やつ」がずっと属していることを望む世界の「面白さと安寧、平安さ」に距離を置くしかない存在たちだからである。愛が既成の識別体系の支配から脱していると、愛の失敗が与える挫折や侮蔑感も全く異なる形を帯びるしかないのである。もう一度問わざるを得ない。「やつ」が逃げて入っていった世界と、「私」が老いた新婦のように待っている「赤紫色の夏」、両方の中でどちらが「野蛮」なのか。従って、理解と許しの「赤紫色の雨」 13に始まって「今もサッカーシューズをくしゃくしゃに履いて、赤紫色の夏から逃げているはずのグローリーホールの黄色い出っ歯のホモたちの感情のために」祝福の乾杯をしながら終るこの詩は、エロスと霊性を共に含んだ「新しい感受性」の発現であると共に、例の「民衆的なるもの」の生成に寄与するもう一つの事例として遜色がないだろう。

 

労働文学と労働文学以後

黄貞殷の小説と金炫の詩が語る愛は「新しい現実」を可視化し、牽引する力を内蔵しているが、「君はどこまで来たか」という問いを繰り返したり、「私は知らず知らず歌うよ」と告白するしかなかったように、当面した「古い現実」の重力は相変わらず手強い。もしかしたらこの重力に対する尊重を失わなかったという点が彼らの成就をより輝かせているかも知れない。ところでこのように「古い現実」から一歩外れたまま自らが質問となることによってそこに亀裂を生じさせる方式もあるが、「古い現実」の古さそのものとほとんど何の媒介なしに対決することもいくらでも可能であろう。そういう意味で労働文学の範疇に属する李仁徽の小説集『廃墟を見る』は耳目を集める。この小説集にはそれぞれ5編の短編が載せられているが、問題意識の現在性と成就度の側面で一先ず目に付く作品は「工場の光」と「廃墟を見る」である。前者については一回の解明を試みたことがあるので、 14 ここでは後者に集中したい。

「廃墟を見る」はIMF外国為替危機事態で触発された現代自動車労組のリストラ反対闘争(1998)を素材の基にして、その上に闘争の記憶を共有した虚構的人物たちの人生流伝を築き上げた一種の後日談小説である。作品はある農村地域の小規模冷凍食品工場に通う人物、ジョンヒが蔚山の巨大な自動車工場の煙突に上る場面から始まる。夫に死に別れ、一人で子どもを育てながら生きていく田舎村の非正規職労働者であるジョンヒは、なぜその煙突に上らざるを得なかったか。

ジョンヒの夫、イ・ヘミンは87年の労働者大闘争以来、民主労組の建設に献身してきた硬骨の労働運動家であったが、98年のリストラ反対闘争が会社側の構造調整案の一部を受容する委員長職権調印で事実上敗北に至ると、「自動車工場の労働運動は死んだと宣言するように」(308頁)そこを立ち去った人物である。過去、彼の信念に感心して民主労組運動に飛び込んだやくざ出身のチルソンが自ら死を選び、引き続きイ・ヘミンもまた、闘病の末に死を迎えることとなるが、事実ジョンヒの発心は夫の挫折や死を通じてではなく、その後冷凍食品工場で直接かち合った解雇の脅威による。ジョンヒはその時になってはじめてヘミンを襲った幻滅の正体と対面することとなったのである。

この作品が素材を取った現代自動車労組の98年闘争が、韓国の労働運動史における大きな分岐となったことは広く知られている。90年代に入ってすでに市民運動への分化が起こり、各種の少数者運動が頭角を現し始めたが、全体民衆運動を牽引していた労働運動の象徴性だけはすでに現れ始めた内実の危機にも関わらず、健在であったと見なせる。これを主導したのが大工場の組織労働であったことは勿論であり、98年の妥協以後、正規職、非正規職労働の急速な分化と共に全体労働運動の下降と孤立が本格化したのである。まさにこの瀬戸際に食い込んでいった労働文学がほとんど目に付かなかった事実こそ、一種のアイロニーであるが、労働文学の衰退が労働運動のそれよりずっと先立ったわけだ。もちろんその原因を解明する作業は本稿では成し得ない。だが、87年以後、消費資本主義の早い定着で労働者階層の「新中産層」化のような一種の階級分化現象が持続されたし、それによって階級感受性そのものにも大きな変化がもたらされたことは充分考慮すべきであろう。

それは現場の労働運動が合法化、制度化されること以上に根源的な水準の変化であるが、文学はまさにその根源に関わるからである。作品は結末に至って導入部の煙突場面に戻ってくる。もちろんそこでジョンヒが目撃することは「資本の世界で生まれて資本が教えた世の中だけを見て」(318頁)死ぬしかない、一つの巨大な廃墟である。

 

ちりのような希望でも掴みたくて煙突に上ったが、荒廃となってしまった人間の生が目に溢れた。ジョンヒは絶望で崩れ落ちる心をどうすることもできず後じさりした。そうすると、蜃気楼のように障壁は無くなり、広々とした草原が垣根の外に広く繰り広げられた。まばゆい日ざし、高く澄み切った空、木と森が生命の気運を上らせた。あらゆる生命体たちが自由に走り飛び交いながら平和であった。しかし垣根の中の人々は垣根の外に出ようとしなかった。彼らは自分の生が垣根の中にあると信じながら、力んで生存のために足掻いていた。(319頁)

 

引用から見るようにこの作品で工場は真正な生と生命の発現を遮る制約の象徴として登場するが、逆説的に生と生命の気運が最も生動感あふれて咲く所でもある。特にホットドッグとジャガイモ餅を作る共同作業の場面(273~74頁)が代表的であるが、ここには肉体労働の反復がもたらしてきた苦痛のみでなく、協業と分業を通じた同僚たちの間における連帯感や労働自体が与えてくれる生のリズムのようなものが滲んでいる。これは先述した古い現実に属していながらそうでもない要素である。それに比べて引用文に登場する「蜃気楼のように広々とした草原」はまだ漠然であるが、それは登場人物たちに与えられた苦痛の根源であった98年闘争の当時を単純に片付けたことから来る予告された欠陥であろう。生と労働自体が与える体験的活気を珍しい直接性で伝えているこの作品は、素材を選択する問題意識やそれをやりこなそうとする真正性の面ではっきりと輝くが、また一方では韓国社会の民衆的感受性に差し迫ってき始めたより大きな変化に無心である。なので冷凍食品工場のもう一つの同僚たちであろう移住労働者たちには顔と名がなく、女性登場人物たちは相変わらず男性中心的視角に捕らえられている。何が本当の現実なのか、どれがより「リアル」かという問いをここで向かい合うことは難しいだろうか。

 

リアリティー:世界を引揚げること

これまで「実感」や「現実」という言葉でやかましくて厄介なリアリティー(reality)概念を遠回しに述べてきた。「民衆的なるもの」の存在が永久に消えうせたかのように見える時でさえ、各々の固有な形式でそれを感知可能とたらしめるだけでなく、持続的現在として「生動」させることに文学の固有な役割と力があるとする際、感知可能性と生動性の源泉であるリアリティーはもしかしたら最も重要な概念である。事実、あるがままの生意外の他なる意味ではないはずのこの概念は、理論的なり哲学的に入り込むほど泥沼に陥れる側面がある。通常的な意味で卑近な感じを与える事実的に本物であるようなもの(the verisimilar)とリアリティーがどのように重なり、分かれるかからが複雑な問題でありうるからだ。一応は前者が細部の真実性やそれらしさ(蓋然性)とあまねく関わった概念であるならば、リアリティーは総体性たまは総体的真実性と連結された概念だと言えるが、総体的真実を具現することにおいても事実的に本物であるようなものの重要性は改めて強調する必要がないだけ、両者は初めから互いに組み、組まれる習合関係だといったほうがいいかも知れない。

だが、われわれが文学作品のリアリティーを弁えようとする際、優先的に考慮すべき事項が当面の現実に対する尊重の介在の可否であることだけは明白のようだ。もちろんその尊重とは無批判的受容とか投降ではなくて、先に黄貞殷、金炫の事例で見てみたような「愛」に近い何かであり、「資本の世界で生まれて資本が教えた世の中だけを見て死ぬ」生の外を夢見るある労働小説家のそれでもあろう。こうしてリアリティーは作品評価の主な基準であるだけでなく、さらには当面の目標でもあり得る。先述したように「民衆的なるものの帰還」がすでに始まったことならば、韓国文学がリアリティーの問題により意識的で積極的になるべき必要性はすでに充分である。

リアリティーと向かい合うということは苦痛と向かい合うという意味である。文学に与えられた使命は、いつも現実的苦痛の単純な解消にあるというよりは、その苦痛の局面を生々しい現在の体験として持続させることにあった。これまでとは異なる生、「異なる世の中」を開く力がまさにそこから出るのであるし、まさにそれが本稿で述べる「民衆的なるもの」の要諦でもある。「異なる世の中」に対する信頼は、その世の中が如何なる誤謬のない世の中だという盲信から来るのではなく、そのような誤謬までも現実の厳然たる一部として毅然としてやりこなせるし、また克服していけるという自信感から来るだろう。一切の無気力と諦念、そして冷笑と嫌悪は投降の事前手続きに過ぎない。見えない所へ沈みつつある、われわれが当然引揚げるべき世界が常にここにある。

 

翻訳: 辛承模

Notes:

  1. 金芝河、「生命の持ち主である民衆」(1984)、『生命』、ソル、1992、83頁。このような民衆概念は東学を始めとして韓国の近代宗教・思想史ではすでに見慣れたものである。
  2. キム・ジンホ、「激怒社会と「社会的霊性」」、『社会的霊性:世越号以後にも「生」は可能か』、玄岩社、2014、231頁。民衆神学は「マルコ伝福音書」の用例に従ってこのような存在を「オクロス」(ochlos)と呼んできた。
  3. 民衆概念のこのような転換は「民衆はある/ない」といったふうの形而上学的論議や概念定義一般が持つ規範化の拘束から逃れさせてくれる長所がある。
  4. バク・レグン、「隠そうとする者が犯人である:世越号特別調査委員会の2次聴聞会に注目する理由」、『創批週刊論評』2016.3.23.。
  5. 李南周、「守旧の「ロールバック戦略」と市民社会の「大転換」企画」、『創作と批評』2016年春号参照。
  6. 安姫燕の詩「白色空間」から引用した。詩集『君の悲しみが割り込む時』、創批、2015、10頁。
  7. 「ギターは銃、歌は銃弾」5~8聯、上掲書、141頁。宣言し予告する陳述文の連鎖が一見してメッセージの強要として受け入れられる危険がないわけではないが、この詩にはそれを適切に統御する理知的均斉力が共に働いている。宣言し、進んでいこうとする力と、(主観的過剰を警戒する)省察的に掴む力との間における張り切った緊張に負って、この詩の不安であるようで切実なリズムが作られるのである。特に「手がある」「行くことができる」などの宣言が、ある種の不安を通過して辛うじて下された確信の表現だという点に注目する必要がある。
  8. ベク・ムサン、キム・ヘザの最近の詩集については、黄圭官、「羽ばたきと鎖との間で:民衆詩の現在と未来」、『創作と批評』2016年春号を参照。
  9. これに対する比較的詳しい紹介としては「帰ってこれなかった名を一つ一つ呼んでみる」、『時事IN』、2016.4.16.を参照。本稿の主題と関連して一件を引用しておく。「現場の経験が作家の体を通過しながら、作品にも影響を及ぼした。「その日」以後、書き物の無力さを体感した文人たちが多い。安姫燕詩人もその中の一人である。朗読会に出席して、読み、書き、共有する過程を経験しながら再び書き物ができた。「声で発話され、聞き手がおり、書いた文章が共有されることを目撃しながら、感情的に多くの影響を受けた。私が思ったより書き物はそれほど無力ではないね。語り、聞くべきなのだという自意識が生じた。」」
  10. これについては、韓基煜、「野蛮な国の黄貞殷さん:その現在性の芸術について」、『創作と批評』2015年春号を参照。
  11. 例えば、主人公のキム・マンスが労働運動に巻き込まれる件や、最後になって交通事故で墜落死する場面などからそのような気味がうかがえる。でも、主人公のキム・マンスが一家族だけでなく都市化と産業化、民主化の旅程全体をやりこなした人物にも関わらず、彼の生涯を集合的に築造する多焦点化の方式を取ることによって、過負荷の感じはあまりしないというところにこの作品が与える驚きがある。
  12. この詩に付けられた三つの注釈を除いて本文全体を引用した。
  13. 思うに先日亡くなったアメリカの歌手、プリンスの名曲「Purple Rain」から来たモチーフであろう。「赤紫色の雨は我々皆を許し、浄化してくれる洗礼の水だ。」トゥーレ、「歌手のプリンスの「聖なる欲望」」、『中央日報』2016.5.4.参照。
  14. 姜敬錫、「モダニズムの残骸:ジョン・ジドンと李仁徽を重ねて読む」、『文学と社会』2015年秋号参照。

〔対話〕韓国軍――民主的コントロールの圏外としての

2016年 夏号(通卷172号)

〔対話〕韓国の「保守勢力」を診断する(2)
韓国軍――民主的コントロールの圏外としての

金鍾大(キム・ジョンデ)正義党第20代国会議員、前『ディフェンス21プラス』編集長。主著に『安保戦争』『シークレットファイル―危機の将軍』など。

余奭周(ヨ・ソクチュ)ウェルスグローバル(株)代表取締役。前・国政状況室情勢分析担当、駐米大使館武官。

李泰鎬(イ・テホ)参加連帯政策委員長、市民平和フォーラム共同運営委員長。共著に『封印された天安艦の真実』など。

 

李泰鎬(司会) 『創作と批評』は創刊50周年を迎えて、今年1年間、韓国の「保守勢力」を診断する連続企画を続けています。以前、「韓国宗教の保守性をどう見るべきか」という主題を扱ったのに続き、今号は韓国軍について語ってみようと思います。私は市民団体で多少関連した活動をしたためか、今日、司会者の役割を兼ねて出席することになりました。金鍾大議員は軍事専門家としてさまざまな活動をされましたし、まもなく国会に登院されることになり、より多くの活躍が期待されます。余奭周代表は軍にながらく身を置かれた方として、今日、特にお迎えしました。いいお話しをたくさん聞かせて頂ければと思います。

余奭周 創刊50周年、お祝い申し上げます。文芸誌『創作と批評』と軍は、遠くかけ離れた別個の空間にあると考えやすいですが、韓国男性の大部分が人生の絶頂期である20代に、数年間、身を置く軍服務時期をめぐって、韓国の文化を論じるならば、少なからぬ空白を避けることは困難でしょう。そのような脈絡で、『創作と批評』が軍関連の対談に誌面を割愛することに、非常に大きな意味を付与したいと思います。

金鍾大 『創作と批評』の座談にご一緒できて光栄です。軍に対して韓国社会が関心を持つべき部分は数多くあります。全般的に点検すれば非常に膨大になるはずですが、各界でより多くの議論を続けることが必要です。今日、この場がその契機になることを期待します。

李泰鎬 軍の性格についての話から始めようかと思います。国を問わず、軍隊は概して保守的な文化や体質を持っています。常に最悪のシナリオに備えなければならず、極端な状況で国民の生命や安全を保障しなければならないからでしょう。ですが、韓国の軍は歴史的に保守性という表現だけでは説明しにくい形態を示すこともありました。軍の政治介入という不幸な歴史が代表的ですが、前回の大統領選挙の時も、国軍サイバー司令部ウェブコメント事件などが、軍の政治的中立に対する不信を一層増幅させました。また、軍が莫大な予算を使い、徴兵制で多くの成人男性が入隊しなければならない状況に比べて、軍に対する監督がきちんとなされていないという憂慮が大きくなっています。武器購買スキャンダルや軍内部での人権侵害の事例が繰り返されるのも、ここから始まった問題です。作戦指揮権の返還関連の議論で見られたように、軍が対米依存的な形態から脱却できず、東北アジアをはじめとする国際秩序の変化に能動的に対処できるのかについても疑問を提起せざるを得ません。このことによって、軍が韓国社会の発展にとって障害要因であるという認識も少なからずあります。まず韓国の「保守勢力」を診断するという企画の趣旨と関連して、軍の性格や特性をどのように規定できるか、お話し頂ければと思います。

 

軍の「保守性」、どう見るべきか

金鍾大 軍隊というと、概してその核心主体を将校団と考えます。私は将校団に3つの性格があると考えますが、それは保守性、専門性、責任性です。この3つが備わって、軍隊の組織に集団精神と自己のアイデンティティが形成されます。ですから、軍が保守的かという問いには語弊があります。高い倫理的徳性としての責任性や、職業軍人としての専門性が要求されるのであって、だからこそ、どこの国の軍隊も保守的であるという点に異存はありません。ただ、その保守の内容がどのようなものかということでしょう。近代国家が常備軍制度を採択して以来、軍隊は民主主義や国家体制を維持する根幹になりました。それ以前は、王政、貴族の階級性を代表するのが軍隊だったんです。ですが、今は代理人としての国民の軍隊です。要するに軍の保守性は、近代民主主義の体制内における保守性であると申し上げることができます。

余奭周 私も同じ脈絡で考えています。「保守」という言葉を、前進し発展することに対する反動としての意味に限定するならば、軍の過度な保守傾向は明確に問題でしょう。そのようなことではなく、私たちが守るべき価値を守るという意味での保守だとすれば、当然、軍は保守でなければなりません。もちろん、これもまた国家で人材を提供し、予算を支援して、軍という集団を作った基本目的を実現するという点で、保守であるべきなのであって、それが軍を構成する国民、または市民ひとりひとりに対して、政治・社会的な保守性を強要してはなりません。軍人も結局、軍服を着た市民ですから。このような点を区別して接近するべきだと思います。

金鍾大 とすると、ここでいう保守の対比概念は、進歩でなく自由主義であると言えます。サミュエル・ハンティントン(Samuel Huntington)が、アメリカ軍における対立項は自由主義と保守主義であると診断したこともあります。アメリカの自由主義の伝統において、建国の父は、軍隊を、戦争が起きた時に召集すればいいのであって、平和時には浪費であると考えました。南北戦争や独立戦争も、ともに義勇軍が遂行したもので、常備軍が戦闘したわけではありません。反面、にもかかわらず、平時にある程度の常備軍や防衛産業を維持することが、専門性の維持にもいいという立場が、保守主義において標榜されました。だから、ハンティントンが、軍隊は大規模常備軍として存在するかぎり、保守主義集団であると規定したわけです。結局、軍隊が維持されて、それなりに1つの専門家集団として尊重され発展するかぎり、その理論的土台があるべきですが、それがまさに保守主義になったわけです。

李泰鎬 おっしゃった通り、常備軍は近代国家とともに出現しました。近代国家が形成される過程で進取的な役割を果たすこともありました。たとえば、ナポレオンの軍隊は自由主義を伝播する軍隊でしたし、それ自体として近代的な組織でした。言ってみれば、歴史的に近代国家の産婆の役割を果たしたのです。ですが、軍隊が国家を守る存在であると同時に、次第に国家イデオロギーを代弁する、強制力を持った集団になって拒否感が生じたようです。軍隊が、すでに形成された国家という、とても抽象的な実体を保護するというわけですが、国家というものは、実は物神化されやすいでしょう。国家安保という名においてです。そうすると、どうしても全体的には社会的に保守的な役割を果たすのではないかと考えます。他方で、軍の保守性に関連した議論は、結局、軍は男たちが力を使う集団であるという点と、離して考えることはできないと思います。もちろん女性軍がありますが、家父長的なイデオロギーとしてもそうであり、上意下達をはじめとする運用・作動原理では同じです。そう考えてみると、たとえば性に対する認識も差別的で、性暴行の問題もしばしば発生するようです。

余奭周 軍で何年か前から「性軍規」という用語を使っていますが、私はこの用語にとても否定的です。軍規は見えないところで、自分に与えられた任務や軍が定めた規律を自らよく守ることと定義されています(「軍人服務規律)第4章)。たとえば衛兵所で憲兵が声を大きく出せば「軍規がある」といいますが、そのようなことも事実、正確な意味からは距離が遠いです。軍規は孔子がいった「慎独」(ひとりでいても慎め)に近いものです。ですが、突然、たとえば誰かをセクハラするのを性軍規違反であると告発するようです。ならば、性軍規の遵守とは何かということです。無前提に規定できない領域ですが、おそらく韓国だけにある用語でしょう。米軍はそのまま「sexual harassment」(セクハラ)といいます。人権に関する問題であって、軍規とは関係がない問題をめぐって、性軍規という用語で接近しているのですが、こうしたことは、保守性よりは人権に対する基本的な概念が足りずに発生した現象です。あらゆることに軍規の次元で接近すれば、むしろ逆方向に行くこともあります。下の人間は無条件に服従しなければならず、上の人間はいくらでも支配できるという錯覚に陥らせます。

金鍾大 本来、ブルジョアというと、最初は進歩性のある階級でしたが、今となっては保守と認識します。軍隊がまさにそうです。ナポレオンが他の王政の軍隊を破竹の勢いで撃破してヨーロッパ全域を制圧したのは、近代世界で初めて採択した徴兵制の力のためだったことは明らかで、その時期にフランス革命の結果として現出した進歩の革新的な産物だったと見ることができます。ですが、現代において徴兵制はそうではないでしょう。したがって、軍隊がある制度や組織を運営する時、それが進歩的か保守的かを一律的に語るのは困難であるということを念頭に置く必要があります。旧体制を廃止するために、徴兵制を通じて「国民に似た軍隊」を準備したという点で、ナポレオンの徴兵制には進歩性があるんです。反面、韓国の徴兵制は、国民に義務だけを賦課しながら監視・管理して、教化の対象として兵士たちを考えます。自律と創意を論じることがきわめて困難です。国家が国民をコントロールの対象として考えて動員しながら、使用者としての権力を行使する限り、イデオロギーとしての保守が軍に作用するだろうと思います。

李泰鎬 話が少し難しく聞こえますが、単刀直入に接近すれば、軍にいらっしゃった方には刺激的かもしれませんが、軍はとにかく戦争をする集団です。戦争を準備します。国民皆兵制で規模が大きくなったということは、殺戮の規模もまた大きくなったという意味でしょう。国民皆兵制以降の戦争で、人がかなり多数死にました。このような点で、軍をいくらいいものとして考えようとしても、そうできない人々がいるでしょう。

余奭周 私が市民運動家なら、軍が保守的であると批判するのも重要ですが、それよりもまず軍隊の内部で憲法や民主主義を少し教えろと主張したいです。あなたたちが守ろうとしているものは何なのか、国家や国民を守るわけですが、それでは国家の何を守ろうとするというのか。政府総合庁舎を守ろうとしているのか、太白山脈を守ろうとしているのか。軍が守るべき国家の本質とは何かを、軍にきちんと提示するべきです。笑い話ですが、旧日本帝国の軍人は死ぬ時、「天皇陛下万歳」を叫び、イギリス軍人は「女王陛下万歳」といいながら死に、韓国軍はただ「母さん」といって死ぬという話があります。

李泰鎬 最も人間的です(笑)。

余奭周 私たちが守るべきなのは、憲法、もう少し狭い意味でいえば憲法的価値だと思います。まさにこの大韓民国憲法が、私たちが今、このように自由に行動し、意思表現できるようにしている根本でしょう。ですが、軍の作動原理を見ると、憲法でいうところの価値と相反することが多いんです。人を支配すること、必要ならば人の命を手段として使うこと、誰かを殺さなければならないことなどです。このように相反する部分をどのように調和させるかという時の基本は、やはり民主主義を後押ししている憲法について、軍人に正確に知らせるべきだということです。たとえばサイバー司令部ウェブコメント事件も、韓国の憲法が軍の政治介入をなぜ禁止しているかを、軍が正確に理解していたら起きなかったでしょう。もう1つ申し上げたいのは、多くの戦史研究を通じて考えた私の信念ですが、兵士は絶対に敵愾心を優先して戦ったりはしません。兵士たちは戦友愛と表現してもよく、同僚意識や人間に対する愛情と表現できる何物かのために1つになります。ですが、軍ではしばしば敵愾心のために戦うと勘違いして、私たちの主要敵である北朝鮮は共産独裁国家で、北朝鮮軍は悪辣である、というような敵愾心の鼓吹に焦点を合わせています。それが戦闘力に昇華するだろうと考えるのです。ですが、当初、国民皆兵制の力も、私たちの人、私たちのもの、私たちの土地に対する愛情から出発したものです。だから、ナポレオンの軍隊が強かったのでしょう。周辺のオーストリアやイタリアやフランス王政の軍隊に対する憎しみではなく、「私たちのフランス」「私たちのもの」に対する愛情だったということです。そのようなことを軍で培う活動が必要です。特に報道宣伝の兵課で目標を敵愾心の鼓吹だけに重点を置いてはいけません。

 

民主的コントロールから逸脱する軍

李泰鎬 不幸にも韓国の歴史で、軍は政治的に大変重要な集団でした。軍がどのような立場に立つかによって、政治的結果が変わったりもしたほどです。その渦中に軍が政治的偏向性を示した事例は数多くあります。そのような問題がなぜ発生しつづけるのでしょうか? おっしゃられた戦友愛だけをとって考えても、私の印象では、これは自らの内部の動力でしょう。そのようなことのほかに、私たちは、軍に対する民主的コントロールや文民統制を強調しますが、巨大な物理力と、上司の命令に服従する体制と、機密性を持つ軍を、実際にコントロールする手段が、はたして私たちにあるのでしょうか?

金鍾大 一時、あらゆる非難の対象になった南在俊・前・国家情報院長が、陸軍参謀総長だった時、この問題に正面から取り上げて論じたことがあります。私は他のことは知りませんが、その論理にはかなり共感します。ある将校が命令を遂行する時、悩むべきことは正当性と合法性です。軍人は上官が正当でない命令を下したとしても、服従しなければならないというのが定説です。反面、合法性は追及できるということです。たとえば、いくら上官の指示だとしても、法に触れたり、ある法で定めた指揮コントロールの範囲を超越するならば、合法的ではない命令です。これに対して、軍人は当然、異議を提起して拒否するべきです。ならば、合法的だが正当でない命令の時はどうするべきでしょうか? その時はひとまず服従するべきですが、その渦中にも高位幹部は最大限直言をして、創意を発揮し、正当でない要因を最小化しようと努力するべきだと思います。

韓国軍は数多くの規範を有していますが、これほど複雑な国はありません。そのために急に差し迫った事態が発生した時、たとえば西海のNLL(北方境界線)で北朝鮮の艦艇を撃沈させるべきか否かを判断しなければならない場合に、将校が混乱をきたしたということです。純粋に軍事的に判断したとしても、外部では政治的な意味として考えたりもします。正当性の議論は常にあるんです。このような点で、軍人に一定程度の裁量権を与える必要があります。ですが、韓国の軍隊はそのような地点ではなく、主に合法性の面で問題を起こしました。誰が見ても合法性と正当性がともに欠如した状態で、言ってみれば、軍隊の権力の過剰行使があったんです。ですが、一方で私たちが軍隊に対して、おとなしくしていろということはできません。毒蛇に毒を除去しろと言えないようにです。それをどのようにコントロールするかが課題です。軍隊は国民の代理として安保を担当する一種のエージェントです。ですが、そのような軍が逆に権力になって、正当性と合法性の領域にまで侵犯して、結局、国民に敵対的な行為をする水準にまで行くんです。自分たちが国民に雇用されたエージェントであるという認識を持つのでなく、むしろ国民をコントロールしようとしたことから広がったことです。

李泰鎬 よくわかりますが、問題を若干狭めているのでないかと思います。憲法も法律も命令したりはしません。結局、命令は大統領や軍の指揮部がすることです。軍は本質的に上司の命令に服従する集団ですが、法はとても距離があり、命令を下す人は近くにいます。なので、規範的には軍が法の支配下にあって、文民統制に従うべきだといいますが、近いところでは、そのまま命令する側の利害関係に動員されうる集団だということです。軍部独裁のように極端な事例はもちろんですが、小さな問題でもそう言えます。アメリカも戦争宣布の権限は議会にありますが、実際に戦争を宣布してきたのは議会ではありません。軍事力使用の権限もまた大統領にあります。威嚇があるから軍事力を使った、それから後で追認を受けたり、これは戦争をするために追認される事案ではなく、ただの軍事力の使用でした、といって終わるでしょう。そのような形で軍に対するコントロールに本質的な限界があるのではないかということです。国会の国防委で資料を出せといっても、軍がきちんと出すことはあまりないでしょう。さらに防衛産業の不正監査の資料もみな軍事機密であるといいます。そのようにコントロールを受けない集団だとすれば、当然、命令を下す軍上層部や権力集団の利害関係、特に政治的な利害関係に動員される可能性が大きいのではないでしょうか?

金鍾大 私はこうした問題は韓国的な現象だと思います。事実、もっと極端な軍隊もあります。インドネシアの軍隊は最初から国会の議席を持っています。とにかく軍の政治的偏向は、軍が権力化される傾向が強いので起きるものと考えます。だから合法的に、または合理的にコントロールされれば、この問題は解決できます。ですが、韓国的な現状をよく見ると、3つの点で文民統制に違反しています。第1に予算のコントロールです。韓国の国防の核心といえる予算執行計画は中期国防計画ですが、これは法律にない過程です。中期計画というものを立てるのではなく、中長期予算が必要とされる事業は、企画財政部の予備妥当性の検討を受ければそれで終わります。法で定めた手続きを守らない名分が、軍で別途に作った中期国防計画によっているということです。これは大統領の承認さえ受ければ終わる文書です。それを持って記載部を圧迫します。第2に、軍は組織のコントロールも受けません。軍における将校の定員はどの法にもなく、単に「国防組織および定員に関する通則」に1行だけ出ています。「国防部長官は、国軍の定員水準や軍別・階級別の定員を、大統領の承認を受けて決める」(第6条1項)。A4用紙1枚に「大佐を増やします」「将軍を増やします」と書けば手続きが終わります。一般公務員は行政安全部のコントロールを経て、閣僚会議を通過してはじめて増員が可能ですが、軍人は組織と人材に対するコントロールがされていないのです。ですから、軍は政府のコントロール手続きにおいて例外となり、大統領と直接取引しようとします。韓国の憲法精神に触れる、とても誤った慣行です。最も基本となる予算と組織がこの程度ならば、あとの軍事計画や作戦状況などは語る必要もありません。予算と組織については、政府だけでなく国会のコントロールも不十分です。国会の国防部に対するコントロールは、毎年、政策の一番最後の段階、すなわち予算案の議決段階や、ある法律案の通過時点で可能にすぎず、計画樹立の段階でコントロールできる手段がありません。先進国の場合を見ると、例年、安保報告書、中期国防検討報告書のようなものが、すべて法定文書として決まっています。アメリカでは年例安保報告書を議会に報告する主体が、国防長官ではなく大統領です。大統領の軍統帥権も議会の承認事項です。国防権限法(National Defense Authorization Act)といって、議会は会計年度ごとに、いくつかの条件で大統領の国防コントロールを承認するという、強力な文民統制の制度を確立しました。ですから、政策樹立の段階から細かく関与できます。3つ目に、韓国軍は市民によるコントロールもできません。国民生活に直結した各種の許認可、軍事保護区域の指定、武器導入時の透明性、市民団体と関係した部分などで制度化された手続きは存在しないと考えるべきです。

このような現実は、正常な国家経営で国防が離島として存在するといえるでしょう。結局、韓国の軍事制度を厳密に診断しようとすると、基本的には民主主義を指向するものの、実質的な運営においては、軍国主義と民主主義の中間ぐらいの形態だと言えます。軍が外部のコントロールから逸脱しようとするのは、自己決定権を持つという権力指向的な属性のためですが、それが軍隊文化全般に影響を及ぼしながら、一般的に公の組織が持つ属性を超越してしまうんです。そのような超越的な存在として、韓国の軍隊は、公共組織の中でも格別に独歩的な権力集団の形態を維持することになるのです。

余奭周 お話しを聞いていて思い出したのですが、私は最近、日本の『坂の上の雲』(司馬遼太郎、1968~72年『産経新聞』連載)という小説をまた読み返しています。日露戦争をおこなった日本軍に関する話ですが、興味深い部分があります。おおおそ要約すると、明治維新の時期、日本軍は、国民が困窮しているにも関わらず、なんとか徴収した金で戦争をする集団だったため、国民の意思をいつも意識し、あわせて国民は、軍がどのように軍事力を行使しているかにかなり関心を持った、だから日清戦争の時、ある海軍の艦長が、きちんと攻撃任務を遂行しないので、一般国民がその艦長の家に集まって石を投げることさえあった、だが1900年代に入って、日清戦争、日露戦争で勝利して以降、軍の存在が浮上して国政にまで参加するようになると、軍人が、国民から財貨やサービスを提供されることを次第に当然のように考えた、それが窮極的に第2次大戦、太平洋戦争を起こして、国家崩壊にまで至らせた……このような一節が途中で出てきますが、とても胸に迫るものがありました。韓国の軍人の一部でも、似たような考えを持っているのではないかと思います。

 

「生活館」でも生活はない

李泰鎬 余さんがさきほど、軍人は「軍服を着た市民」といいましたが、今の軍隊の姿とは率直にいって距離があると思います。まず言葉の問題にしても、社会で使う言葉があって、軍隊で使う言葉があるじゃないですか。最近、流行しているように、「……しただろ、ということです」というように、無条件に最後を「です」「ます」で終わらせなければならないおかしなものです。軍服を着た市民であるということが、実際に軍で重要な精神ならば、日課を終えて「生活館」〔軍の下士官たちの居住空間。もともとは植民地時代の名残で日本と同様に「内務室」「内務班」と呼ばれたが、2005年に名称がこのように変更された――訳者〕に戻っても、階級によって尊称を使う習慣はなくすべきです。勤務時間中はそうするとしても、勤務外の時間に生活観に戻れば、作戦状況が再び到来するまでは市民として待遇するべきだということです。そのようにできない現実が、戦闘力を高めるよりも、むしろ思考自体をできなくすることによって、軍の戦闘力も落とし、結果的に政策の偏向ももたらすと思います。政治討論どころか、自己主張をすること自体が大変ですから。このような伝統は、すべての国の軍隊にあるわけでなく、日本で明治維新の時、国民皆兵制を施行する過程で、いまだ国民性などというものがなく、封建農奴に過ぎなかった人々をむやみに連行して、「おまえは何も考えるな、やれと言われた通りにやれ」としていた日本の軍国主義文化の残滓ではありませんか?

余奭周 そうですね。韓国軍の出帆当日から問題になったのは、人間は朝鮮人ですが、制服はアメリカのものを着せて、生活規範は日本軍のものを持ってきたといいます。今日、解放を迎えて何年目なのに、そんなことをしていていいのか――いけないのですが、現実はそうなんです。提起された問題に積極的に同感です。「生活館」という用語も本来「内務班」だったのを、数年前に変えたんです。

李泰鎬 「内務」という言葉は、「業務の延長」という意味で、「生活観」ならば業務が終わって生活に戻ったという意味なので、概念が変わっているんですけどね。

金鍾大 私が2008年度の国政監査の時、陸軍本部の業務報告資料で本当に印象的に目撃した一節があるのですが、将兵精神教育の目的の欄に「入隊前に社会で汚染された入隊将兵に対して、持続的かつ反復的に国家観を注入して矯正することをその目的とする」となっていました。

李泰鎬 おっしゃったとおり、脳を洗うという「洗脳」ですね。汚染されているわけですから。

金鍾大 ですが、これが実際に国政監査の日には削除されていました。本人たちもひどいと感じたんでしょう。このような思考の中では、軍服を着た市民という意識が、いや、そのような言葉自体も軍隊にはありません。軍隊が信奉する特殊権力関係理論によると、学校、刑務所、軍隊は、人間としての基本権が制限される空間です。ですが、これは過去の軍国主義の時期、特にドイツで発展した理論です。市民に適用されるのは一般権力関係です。市民も義務と責任を回避すれば、それによる不利益があるでしょう。警察に立件されて裁判所で処罰を受けてという具合にです。軍ではそれよりもさらに高い水準の規律を要求できるとなっていて、それが基本になる以上、軍隊は一般市民の権力関係から逸脱した集団になります。だから、軍隊も社会共同体の一員であり、1つの職業集団に過ぎないとして開発された言葉が、まさに「制服を着た市民」という用語です。単純に「内務班」の問題ではありません。基本権をコントロールするという意志をもとに、すべてのものが設計されているので、食事をすることから起居、余暇の時間まで、すべてコントロールの対象ではないでしょうか。

李泰鎬 今のお話しもそうですが、さきほど、軍が独立的な領域を構築しているという趣旨でなさった批判も常識的にうなずける話です。ですが、軍内部ではかなり異なった態度を示すかもしれません。

余奭周 軍はおそらく関連規定を持ち出して、そのような批判が不当だというでしょう。その規定が上位法令に違反するとしても、「私は規定通りにやった」というでしょう。たとえば予算の場合なら、国防企画管理制度に明文化されているので、本人はそれに従うわけです。それ自体が間違っているとは考えないでしょう。ならば、軍が持っている国防企画管理制度というものが、上位法令とどのように衝突し、何が間違っているかを国会が指摘して正すべきです。そのようにしなければなりません。

李泰鎬 すべての公務員が市民的な批判意識を持つのは少し大変です。それなりの職業規範のなかで暮らしていますしね。「魂のない公務員」という言葉もありますが、他の見方をすれば、そこまで卑下することではありません。ですが、軍人はそれよりもさらに深刻なこともあり、そのために並大抵の努力では、自己コントロールの装置を備えることがさらに難しいという話も聞きます。

余奭周 そのような批判を聞くと、自らの正当性や正直さが攻撃されるような印象を受けるでしょう。私が見たところ、もしかしたら軍の組織全体に亀裂を起こすほどの記事を、昨日、朝鮮日報が書きました。 1 そのような意図ではまったくないと思いますけどね。母親たちが最近、軍隊に関心が高いという内容です。私が大隊長をしている時、親が少し関心を持ってくれたらと思ったときもありました。軍隊には空きの空間も多いですが、やってきて息子の洗濯をしたり食事も作ったりと(笑)……国民皆兵制ですし、どうせ家に帰る子供たちでしょう。国民が関心をもっと持つべきです。これまでは事実、関心を傾ける通路もありませんでしたが、実際にも関心外でした。軍隊に行って殴られれば、父親が「俺の時は、逆に殴られなければ夜も眠れなかったぞ。そんな、一発殴られたぐらいで」と言っていました。ですが、いまや関心が高くなって、兵士たちの生活にいい影響を及ぼすと思います。

金鍾大 前方で食事係をする母親たちも多いです。

余奭周 行軍に出ると、付いてくる父親もいます(笑)。

 

南北分断体制があおる軍の政治的偏向性

李泰鎬 政治的偏向の問題と関連して、もう少し確かめたいと思います。朝鮮半島が分断状況なだけに、軍が北朝鮮に対する敵愾心を利用して、軍の士気を鼓吹しようとする面が多いと思います。ですが、韓国の政治状況を見ると、同様にそのような面を重視する政治的集団があります。このような形の社会構造の下では、軍が本能的にも構造的にも北朝鮮との関係において、さらに強硬かつ敵対的な態度を強調する政治勢力に接近する問題が出てきます。まさにこのことが、軍の政治的偏向をもたらす1つの原因として作動するのではないかと思います。軍が上意下達でマニュアル通りに動くとはいいますが、保守政権の時、特に北朝鮮に対してより対決的な政権では、政府が指示しないことまでずいぶんとやりました。反対に、盧武鉉政権の時は、作戦統制権の返還問題と関連して、集団行動も辞しませんでした。もちろん、軍を改革しようとしていた政権ですから、既得権のためでもあるでしょうがね。

余奭周 その集団行動というのは、軍ではなく、在郷軍人団体で既得権を享受する人々がやりました。軍でそれに反対する集団行動をした人は、私の知るところでは1人もいません。韓国軍はそれほど度胸のある軍隊ではありません。

李泰鎬 もちろん明示的には反対できなかったでしょう。行動に出た人たちが動く時、反対に軍の作戦統制権を取り戻そうという予備役も結構多かったとすれば、そのお話しを私も受け入れられそうです。ですが、私が見るところ、その当時、予備役の将校はほとんど反対しました。

余奭周 賛成する人も多かったと思います。

李泰鎬 そうした方々は公開的に立場表明をあまりしなかったんですね。だとすれば、軍の作戦統制権の返還に賛成する人々が公然と出てくるには、かなり神経を使う雰囲気だったというのが事実ではないでしょうか。

余奭周 だから怖いんでしょう。あちらは何も区別しませんからね。私が盧武鉉政権の軍側の担当者に言ったことがあります。一般的に軍と民主勢力を対立的に見ますが、軍の大部分を占める若い将兵の多数が盧武鉉大統領を支持しました。つまり、盧武鉉政権は軍の全面的な支持を受けてスタートした政権だということを忘れてはなりません。この政権の主要なメンバーは、軍をよく告発しようとし、軍を反対勢力と考えますが、それは絶対に違うと思います。

金鍾大 私も関心のある事案ですが、保守政権になってこの数年間、野党に対する軍の認識がとても悪くなりました。これはおそらく簡単に元に戻せないでしょう。軍が政治的に偏向しましたが、進歩側があまりにもそのように考えるので、当然のことながら、その反対側で不安ないし敵対感を持ちました。それが李明博政権になって、軍人には、あたかも野党が政権をとったら、自分たちがみな死ぬかもしれないという恐怖心すら拡がりました。特に海軍の場合がそうでした。文在寅代表もそのような雰囲気を意識して西海第2艦隊司令部などに行ったりしましたが、私が見るところ、やはり準備不足の発言をずいぶんしました。結局、本来、生じる必要もない葛藤がますます大きくなったわけです。ある意味で、軍の持つ政治的偏向性を当然視して受け入れたのは野党です。だとしても、軍の一部の声の大きな将軍や予備役の意見を、軍全体の世論と考えてはいけません。軍隊も妙な側面があります。私たちがきちんと対すれば、いくらでもそれ以上の気持ちで報いようとする潜在力が見えます。軍はみな同じように見えますが、よく見ると、そのなかにも複雑な世界が存在して、それなりの多様性があるという事実を忘れてはいけません。

李泰鎬 私が外で感じるのですが、盧武鉉政権は軍に非常に友好的でした。国防費もかなり増やしました。李明博政権は果敢に削減しました。盧武鉉政権は国防改革の努力をしましたが、当時、私が非常に不満に思うくらい軍に一任して、軍が自ら政策を提示するようにと自立権も与えました。その過程で、国防改革に対する認識が、軍内でも陸・海・空軍の間でかなり異なると感じました。

 

社会の公論の場を崩壊させた「対内心理戦」

李泰鎬 さきほど少し言及された、国軍サイバー司令部の話に移りたいと思います。軍人が安保教育も担当していますが、最近は「対内心理戦」という言葉を多く用います。ですが、心理戦といえば作戦概念です。敵を相手にやることです。軍が国民を相手に心理戦を行うことをどう思いますか。また、既存の安保教育を含めて、そのような心理戦で軍が厳正に政治的中立を守ることができると思われますか。

余奭周 サイバー司令部は絶対にやってはいけない反憲法的行為をしています。

李泰鎬 対内心理戦をやってはいけないということですか?

余奭周 絶対にだめです。サイバー戦の主な舞台は、北朝鮮のサイバー空間であるべきです。もちろん、北朝鮮のサイバー空間は極度に狭く、対北朝鮮心理戦のような作戦ができる空間がないので、韓国内のサイバー空間に視線を転じることもありますが、これも戦闘力の一種と考える時、平時に自国民に戦闘力を使用できるかという点で、基本原則からはずれると思います。

李泰鎬 北朝鮮がサイバー戦争を韓国のサイバー空間でやっているので、ここに介入するべきだというのが軍の論理ではありませんか。

余奭周 韓国内の民間サイバー領域を防御することが、サイバー司令部の主な役割と見るのは無理があります。サイバー司令部の基本の役割は敵国のサイバー空間であって、上級部隊の作戦目的を実現するための任務や活動を遂行するものです。北朝鮮のサイバー部隊が韓国の民間サイバー空間で作戦を行うならば、その源泉を無力化させることが本来の任務であって、その対象である自国民にいかなる影響を及ぼそうとするのは、非常に危険な試みであり、民間に対する軍事力使用の是非を惹起する可能性があると思います。

金鍾大 提起された通り、対内外の問題で接近することもできますが、軍がそのようなウェブコメントをする表面的な名分は、北朝鮮が韓国内での葛藤を企んでおり、そしてそこに「従北勢力」〔北朝鮮に同調するとされる韓国国内の勢力。右派の政治攻勢に使用されるレッテルであることが多い――訳者〕が反応するので、対応しないわけにはいかなかったということではないでしょうか。ですが、本来のウェブコメントの内容を見ると、軍がやっているそのことが、まさに韓国内の葛藤をさらに拡大する格好になっています。そうした点でサイバー司令部は北朝鮮と呼吸がよく合った同業者ではないかという気もします。両者は同じ目的を指向していたわけですからね。それがどこでまた確認できるかというと、ウェブコメント工作の主な指針や方向を見ると、北朝鮮から国民を保護するための言葉ではないということです。かなり人格冒瀆的です。なぜこうなのか? 国家情報院のウェブコメント工作と同じ目的ですが、彼らは、進歩勢力に、野党に勝つためにやったわけでありません。彼らはサイバー空間で進歩勢力が優位を占めていると信じていて、その空間自体を無力化しようとすることに一貫して焦点を合わせているんです。そのやり方が、まさに嫌悪的で人格を卑下するような言葉だったわけです。今、裁判を受けている国家情報院の「左翼梟首」〔ウェブ上のニックネーム。「梟首」はさらし首の意――訳者〕という要員は相当なエリートですが、国防部でもサイバー司令部は、青年たちから真の羨望を受けている職場です。国家公務員試験の予備校の対策クラスまであるほどです。そのように有能な人間を連れていって、低質のウェブコメントを書かせて拡散させていたわけです。当事者にとってもものすごい苦痛だったと思います。ですが、これがそれ自体として公的な目的があると言った瞬間、それが可能になるのです。

サイバー戦は、2010年の地方選挙で保守が惨敗した後から始まりました。事実、その時、「国民疎通秘書官室」ができて、保守のインターネットメディアを育成し、ハンナラ党で別名「十字軍アルバイト団」(略称「十アル団」)に代表されるウェブコメント団体も組織して、そのうえ国政広報に至るまで、ものすごい資源が投入され、すでにサイバー上で進歩と保守の均衡は、相当部分、互角になってきました。過去において、インターネットメディアの影響力調査で、進歩側が9、保守側が1だったのが、このような努力を通じて保守が4くらいになっています。そのうえ、ある日から公務員がみなフェイスブックやツイッターに通じるようになりました。高位公務員の評価にも入っていて、このようになったんですが、ほとんど半強制で実施されたので、最初は不平を言って学んでいましたが、やってみるとおもしろいわけですね。その後、政府もSNSに直接行為者として入ってきました。このような状況なので、あえて国家情報院やサイバー司令部が動員される理由がなかったわけです。ならばなぜサイバー司令部がその後登場したのか? 申し上げたようにこれは目的が少し違います。初めは、文化体育観光部や国民疎通秘書官室のような会議のテーブルに、国家情報院や「機務司」(国軍機務司令部、Defense Security Command, DSC)もいました。ですが、国家情報院や国防部は、保守-進歩の均衡を合わせようとしたものの、結局、進歩勢力に勝てないという内部認識を持ち、別途の特別対策に逸脱するのです。完全にオンライン空間自体を崩壊させる方向にです。そのようにすると、保守自身も壊滅する側面が実際にはありました。ですが、それによって嫌悪の感情が韓国社会に広がり、葛藤指数が高まって、到底すべてを説明できないほどの被害をもたらしています。これはまさに北朝鮮が狙っていることではないでしょうか。同業者でなくてなんでしょう。

李泰鎬 このウェブコメント工作事件が、「イルベ」のような極右主義や嫌悪主義の成長に一助しましたし、事実、直接的な関連もあるという話がかなり出ています〔「イルベ」は韓国のインターネットコミュニティで「日刊ベスト貯蔵所」の略。極右的な政治的指向をもち、日本の2チャンネルとも比較される。女性蔑視、外国人差別、進歩系の人物への中傷が多く、オフラインではセウォル号沈没事故でハンストをしている遺族に対して妨害行為を働いたりもしている――訳者〕。最近話題になっている「親連合」にしても、大統領府や国家情報院が関連しているという説が出ています。私は、朴勝椿・報勲処長官に対して明示的に言いたいのですが、国家情報院ウェブコメント事件の時、報勲処もなかなか侮れない役割を果たしました。ですが、あの時から今までずっと長官職に居座りつづけています。報勲処も結局、軍と関連した政府部署ではないでしょうか? ですが、その役割を見ると、ただの報勲くらいで終わるものではないという気もします。

金鍾大 国家情報院やサイバー司令部はもちろんのこと、報勲処のような行為主導者も明確に問題です。ですが、もしかしたら、現在、さらに大きな問題は、彼らが拡散した嫌悪の情緒が、韓国社会の差別を正当化する新自由主義的な属性とよく合致していることかもしれません。そう考えてみると、現在は、当時の行為者などみな消えてしまったにもかかわらず、その作動のしくみはそのまま残ってさらに拡がっています。国家情報院や軍などにこの責任を厳正に問う一方で、セウォル号事件やカンジョン村などで、同じ問題が例外なく発生する事態の深刻性についても、私たちが省察的に接近するべきです。単に主犯を処罰する問題を越えているということです。犯罪行為が明らかになっても放置していたこの数年は、今後、市民の公論の場において、大きな苦痛として跳ね返ってくるでしょう。

余奭周 軍事機関は敵との戦いを専門に行う集団ですが、『孫子』に「兵は詭道なり」(兵者詭道也)と出ているように、戦いの基本は敵を欺くところにあります。言ってみれば、汚い手段を使うように要求されるわけですが、そのようなことを自国民を相手にすることはやめるべきです。そんなことをしていると、結局はその集団の没落をもたらします。今日、韓国軍が苦労しながら非難されるのも、みなクーデターから始まったことです。国家情報院には本当に立派な人が多いと思います。今も、中朝国境の丹東のような町で、夜もろくに寝ないで情報収集しながら苦労している人々もいます。その人々のすべての犠牲や努力が、ウェブコメント事件のせいで吹っ飛んでしまっているわけです。情報機関自体も同じです。

李泰鎬 いいお話しだったかと思いますが、にもかかわらず、結局これは不処罰の問題ではないでしょうか。処罰をしなければ責任を負う人がいなくなって繰り返されるからです。現在のセウォル号の問題もそうです。事実、法の支配というのは、単純に言ってみれば、法を犯した時、それを明確に処罰するべきということです。サイバー司令部のような場合には、軍内部で裁判をするので、処罰が軽かったというのがおおかたの評価ですが、結局は、軍司法制度の限界のせいで、ほとんどが見逃されて一部だけ起訴されて、その一部すら軍内裁判ですから、かなり処罰範囲が小さくなるようです。この点で軍司法改革は、軍を民主的にコントロールするための最小限の措置だと思います。これは軍の人権問題とも密接な関連があります。兵営で起きた銃器事件以降、軍の司法改革の問題が軍の人権法制定とセットで議論されましたが、結局、今回もうやむやになってしまいました。盧武鉉政権の時も失敗しましたが。急流に乗って進められた軍人権法の制定の議論も、盧武鉉政権の時期に議論されて中断した、軍改革措置の1つだったんです。結局、「軍人の地位および服務に関する基本法」という名の法が制定されましたが、「人権」という概念は受け入れられませんでした。核心内容の1つであった「軍人権保護官」制度も、別の法によって新設するといいながら、まだその動きがありません。ですが、軍は「人権」という単語をとても嫌がります。軍が「軍の人権」という概念をなぜ受け入れないのかわかりません。軍人は人間でないというのでしょうか……。

余奭周 盧武鉉大統領が当選した後、私がNSC(国家安全保障会議)の業務引継で業務引継委員会の安保チームと業務を行いましたが、兵営生活の改革は人権概念の導入から出発するべきだといったところ、当時、軍で最も理解力があるとされていた先輩さえもびっくりしていました。アカ(共産主義者)のようなことを言うと。ですが、もう一度話してみる必要があるのではないかと思います。さきほど新聞記事の話もしましたが、結局、親が願うのもそのことではないでしょうか? 自分の子供の人権が保障されることを、どのようにしてでも関心を持って見守りたいということです。人権概念で接近して、軍の諸般の問題を解決しようとする試みは、正鵠を得た方法だと思います。びっくりする人もいるでしょうが、雰囲気さえうまく合わせれば可能です。誰を攻撃しようというのでなく、人権を保護しようということですから。

 

韓国軍の軍事力の現住所は?

李泰鎬 軍の特性の1つは強い軍隊になろうとする属性です。これは結局、軍事力増強の欲求として出てきますが、多くの国民も、強い軍隊が安保問題を解決してこそ、平和は守られるという言葉に説得されていると思います。私たちはあたかも軍隊だけが国を守るように、あるいは軍事力や武器だけが国を守る手段のように思考することに慣れているのではないでしょうか? 平和や協力も国を守る方法であり、大小の紛争や葛藤を予防する方法なんですが。ですから、世の中は結局、強者が支配するといった主張が、「現実主義」という名で強要されたりもします。

余奭周 この世にあるすべての兵法書の論理を、ぴたりと四字で整理すれば「優勝劣敗」です。優れた者は勝ち、そうでない者は敗れる。ですが、この時の「優」が「強」と同じ概念かは考えてみるべきです。米軍がベトナムで戦闘に勝ったものの戦争で負けたようにです。武器水準がはるかに高いイラク軍が、IS(イスラム国)に連戦連敗している例もあります。韓国軍がいい武器体系を望んで、全世界の最高級の武器を購入しようと努力していることが、「優」に近づくことなのかについて、私は少し疑問を持っています。

李泰鎬 もしかすると、軍事的なことでなく、みな一緒に協同したら生き残るのだという兵法はないでしょうか?(笑)

余奭周 国家安保を目的とする国防は、軍事力だけでは成り立ちません。国防の中に外交もあるからです。一番いい方法は、敵国と親しく過ごすことです。戦わずに勝つんです。経済、社会、文化のような要素が、みな一緒になって相乗効果を出すことが重要です。

李泰鎬 軍があまりにも「備えあれば憂いなし」(有備無患)という言葉を使うので、その語源を調べてみたんですが、あらかじめ備えて葛藤をなくせば争いもないという意でした。軍備を積み重ねておけば争いがないという意味ではありません。葛藤が深刻になるまで放置せずに備えておけば、後で衝撃も少なくなるという意味にもなります。4月初め、アメリカの民間軍事力評価機関であるGFP(Global Fire Power)が発表した「2016世界軍事力順位」によると、126か国のうち韓国は11位、北朝鮮は26位でした。ですが、韓国軍はまだ北朝鮮より軍事力が優位であるということを認めないでしょう?

余奭周 その時々で違います。お金の問題について語る時は、私たちの方が劣勢であるといいます。軍の行事に行けば、世界最強の軍艦だ、戦闘機だといっています。ですが、これは軍の一般的な属性です。一例として、冷戦期、アメリカ国防省で発表したソ連の国防費規模が1年間に2倍に増えた例もありました。そのように大きくなった数字が、自国の国防予算の増額の正当化に活用されたりもしました。国防部が予算を増やせと言うのは、私たちが死んだ後もずっと続くでしょう。その適切な規模を決めるのは軍ではありません。ならばそれを誰がやるかといった時、大韓民国では主体が少し曖昧だということでしょう。戦闘力を増強させるのは軍の任務であり使命ですが、新型の外国製武器を買ってくることで、それが戦闘力の増強に直結するという錯覚に陥ってはいけません。この時代に合わせて新しい方法で戦争遂行をする、「ウォーファイティング」(war fighting)の概念で、それに合った武器体系を購入する構造にするべきなのですが、韓国軍は逆に武器が主導しています。ならば、担当の現役軍人は武器体系をどこで見るのでしょうか。業者の報告を持ってこいというでしょう。「何かいいものはないか?」というと、業者は、艦艇ではどんなものが出て、航空機には何があって……といって、そのようなところに不正も芽生えやすいんです。

ならば、その重要な「ウォーファイティング」の概念は、はたして誰が作るのか? 韓国の軍・官・学者がみな集まって作るべきです。これは実際にはかけ声に終わるだけですが、なぜなら大韓民国には米軍がいるからです。米軍の司令官が戦時作戦統制権を持っているから、しばしば戦時にだけ作戦統制をするのかと考えますが、実はこの司令官がいつも作戦計画を樹立します。過去に2年に1回ずつ、周期的に立てましたが、そのたびに私たちが追いつけないくらいの水準で、そのつど作戦計画を発展させます。その司令官の目の高さは米軍の戦力ですから、私たちはそれを遂行するだけでも手にあまります。ですから、韓国軍は作戦計画の遂行に、今、これくらい足りないといって、それを埋めろといって大忙しです。私たちが私たちに合った戦争遂行の概念を懸命に作ったところで、それはそのままお蔵入りになって、実際には他国の将軍が作った計画に、私たちは資金を供給しながら、それをずっと追いかけていくんです。

李泰鎬 とても重要なお話しを2つほどして下さいました。適正軍事力というのは、軍ではなく外部で設計すべきだということと、作戦統制権がない状況、特に現在の韓米同盟が軍備を触発する要因になるとおっしゃられました。ですが、適正軍事力を軍に設計させるべきではないとすれば、それ以前に、いったい何を威嚇と規定するのかについても、軍だけに依存してはならないでしょう。威嚇とは何か、それはどこからきてどの程度なのかを確実にして、はじめて優先的に、必要な対応態勢はどのようなものであり、そこにお金はいくら使って、というようなことを決められるはずですが、そのためには軍内部以外に、もう少し総合的な観点でチェックされるべきではありませんか?

金鍾大 それがNSCでしょう。すでに装置は準備されています。

余奭周 作動しないから問題なんです。

金鍾大 とにかく最小限の装置があるわけですから、それをうまく活用するという意志を備えるべきです。私たちがいくら国防費を多く使っても、アメリカや北朝鮮に引きずられざるを得ない理由はいろいろあります。まず北朝鮮は、旧時代の在来式の武器でも戦略的にうまく使いますが、私たちは最先端の武器も在来式にしてしまいます。どこに飛んで行くかもわからない、あちらの砲やミサイルが、私たちが設置している高価な武器に対して戦略武器になっています。2つ目に、武器導入というのは、本来、安保のためにやることですが、よくみると武器導入のために安保をやっているような面があります。このように本末が転倒しているので、作戦に失敗するとすべて装備か何かのせいにします。天安艦事件の時(2010)、警戒に失敗したのではないかと言ったら、不可抗力だ、このソナーはもともと魚雷を捉えられない、などといって、みな免責されてしまいました。そのために救助艦として統営艦を導入しましたが、セウォル号沈没事故の時(2014)は何をしていたのかと聞くと、今度は音波探知の装備に不備があったと言っています。延坪島砲撃事件の時(2010)、私たちの海兵隊が撃った砲弾が田畑にずいぶん落ちました。砲弾を撃つ時、風速や天気に、より標的補正をしなければならないのですが、その気象装備がなかったというのです。ついこの間も、「ノック亡命」 2や「宿泊亡命」 3事件が起きて、これは指揮官の誤りではないかと言うと、規定通りきちんとやったが、監視装備にまだ限界があって、などといって、またみなすり抜けてしまいました。それから、2014年に延坪島付近に北朝鮮の警備艇がNLLを越えて、韓国側が警告すると、北朝鮮が発砲しながら抵抗したことがありました。これに対して、韓国の合同参謀議長と第2艦隊司令官が撃破・射撃しろと言いました。ですが、私たちの誘導弾高速艦に不発弾がひっかかって失敗しました。海軍の弁解では、不発弾は15分以内に修理するように海軍の規定に出ているが、11分以内に修理をしたのできちんと処理したというのです。昨年の木箱地雷事件のような場合は、そこが監視の死角地帯でもありません。人が常時出入りする、最高によく見えるところで事件が起きたんですが、これについてはあまりにも何も言えず、とにかく怪我人を連れて立派に撤収したということで英雄視しました。このように、保守政権において、実戦と類似した軍事作戦が例外なく失敗した理由を見ると、90パーセント以上が装備や天候のせいです。失敗の人間的な要素はみな排除されるのです。ここに見られるように、韓国軍の武器導入や装備維持は不良だらけです。そのうえ、また別の武器需要が登場しています。ですから、私は、韓国と北朝鮮の軍事力を比較することは意味がないと思います。武器の数字を語ってどうするんですか。実際にある武器もきちんと運用できない軍隊がです。アンドリュー・マック(Andrew Mack)という学者が研究したのですが、これまで50年間、軍事力が弱い方が勝ったケースが55パーセントと、そちらの方が多かったそうです。整備態勢や戦闘の完全性のような側面に関心を持たずに、常に新しい武器で膨張させようとする業績主義的な思考で軍が管理される以上、私たちが知っている軍事力は虚像です。そうした点で、韓国軍がこのような問題を一斉点検して正そうとする努力がないというのも、まったくもって奇異な現象です。

 

過度な物量と度重なる不正、防衛産業の構造的問題点

李泰鎬 ですが、韓米同盟が、韓国軍が不必要な装備を購入すべく機能する場合が多いとすれば、議論が続いた「THAAD」(高高度ミサイル防御体系)もそのような場合に属するとお考えですか?

余奭周 これは私の表現ですが、戦う方法には富者の戦い方と貧者の戦い方があります。大韓民国はそれほど富者ではありませんが、世界でもっとも裕福な国であるアメリカの軍隊と数十年いっしょにいると、よく富者の戦い方を使おうとします。武侠小説などを見ると、毒を使う人が時々出てきます。何年も修練せずに毒で、途方もない武功を持つ人を制圧します。その人たちが平時にその毒の針を持ち歩くために、またそれに自ら刺されないように、ものすごい努力をします。朝鮮半島の安保環境を見ると、私たちはそのような戦い方を備えるべき国ですが、富者の戦い方を追求していると、いつも足りないのが装備です。THAADはすでに北朝鮮のミサイルを防御する武器ではなく、大韓民国の国民の不安な心理を防御する武器です。やみくもに反対することはとても難しい状況です。基本的に私たちの実情とは合わない武器体系ですが、これに反対すればすぐに「従北」勢力とされてしまいます。ですが、これを設置してくれという地域住民も、またどこにも見当たりません。

金鍾大 セヌリ党も最近はTHAADの話をしません。

李泰鎬 THAADを設置するという言葉だけで効果的だったので、もうさっと手を引いてもかまわないでしょう。

金鍾大 はい。少し誤解の余地がありますが、軍に不必要な武器というものはありません。戦争時は石ひとつ棒ひとつもみな使い出があります。なので、他の軍事作戦もあり、防御すべきさまざまな威嚇があるのに、こちらの方が優先的なのか、というように接近してこそ合理的でしょう。THAADがあるならば、せめて航空機迎撃やレーダーで空中を監視するには役立つでしょう。ですが、これに伴う他の費用がとても大きいので問題になります。また、今、私たちが戦争における勝敗を分ける最も決定的な作戦がどのようなものかを深刻に検討する時です。THAADでミサイル防御をするというと、前方で航空作戦ができません。開戦初期に最も重要なのが航空作戦で、そのときは場所をあけなければなりません。さらに軍内でも、今、武器体系同士が重なっていて、たとえば、陸軍が地上戦を遂行するのに、海・空軍が邪魔になるからどいてくれといった具合です。そうなると、敵ではなく味方が荷物になる場合が発生します。

李泰鎬 軍は武器を増強したいと考え、政府にはそれを牽制する装置がなく、そのうえ武器を作ったり輸入する人々が、毎日ショッピングリストを持ってきて、この武器もいいしあの武器もあればいいといえば、自然と武器を購入しつづけるサイクルになるのではないかと思います。話が出たついでに防衛産業の話をしてもいいでしょか。最近、防衛産業の不正もありましたが、武器を購入することの妥当性、購買以降の効果性、またそれを生産する業者の持続可能性のような問題に、別途、省察することがないようです。

金鍾大 防衛産業の不正と関連して、今、広がっている惨状については、その原因をきちんと診断するべきだと思います。武器仲介商のロビーにひっかかったのは、過去にも1990年代にリンダ・キム事件や栗谷不正の時もあったことです。しかし今回は、それを触発させた契機が異なります。今、防衛産業の不正は、事業費規模で1兆ウォンを超えていますし、該当装備の買入額だけでも2千億ウォンを超えますが、その個別の件を見ると、明確に発見される共通点があります。韓国内で研究開発したものをやめさせて、外国購買に変えろ、この会社をあの会社に変えろ、中期計画に本来なかった武器だが、今回、延坪島砲撃事件が起きて安保危機だから至急設置しろ、というような政治的決定が乱舞しているのです。不正はすべてそのような事業で起きました。空軍電子戦訓練場費、海上作戦ヘリコプター、統営艦のようなものはみなそうでした。既存の政策が動揺すれば、一発主義の勢力が割り込む隙間ができます。予算はバラバラだし、早く買えと言うし、どうやって政策的な能力が発揮できるでしょうか。情報を持っている武器仲介商に依存せざるを得ない状況が自然とできあがります。適切な予算が編成されて、何年かにわたった妥当性の検討を経て正常に進められる事業ならば、大きな不正が出てくるわけがありません。私が見るところ、軍だからといって、特別に腐敗しているわけではありません。最近、防衛産業の不正が保守政権に集中的に起きています。これまで発表されたところでは、すべてが2010年から2012年の間に行われました。その時期はまさしく安保危機の局面で予算が大幅に削減された時です。導入先が変わって、大統領府が武器購買に直接介入するこの渦中に、誰が力を発揮するでしょうか? 情報力や代案を持つ人々が主導できる場が開かれたのです。このような事態を防止したければ問題は簡単です。合理的に納得できる費用を決めて、辻褄が合うように体系的に事業管理をすれば、不正は自然と減っていきます。ですが、保守政権がこのような原因自体を診断できずにいます。

李泰鎬 李明博政権の防衛産業不正が、どのような原因で行われたのか、十分にうなずけるように整理して下さいました。ですが、だとすれば、国産開発で数十年間続けてきた事業には、はたして問題がないのでしょうか? たとえばタンク事業は国産開発事業で推進して30年を超えますが、毎回、開発単価をだましたり、部品価格を膨らませたり、不良品を納品したりするなど、問題が続出しているでしょう。むしろ防衛産業を育成するべきだと言いながら、国産開発に特典を与えて、専門化・系列化して事実上独占を保障して……。

金鍾大 主要事業はほとんど競争体制に変わりました。

李泰鎬 専門化・系列化はまだ残っています。たとえば、韓国型ヘリコプター事業の場合、経済性がないという専門研究機関の評価が出ているのに、無理に始めたのはKAI(韓国航空宇宙産業)の工場を運営するためだったという推測が出ています。ヘリコプター開発事業をなぜKAIだけとやろうとしたのでしょうか? この事業に大韓航空が参入できていません。ヘリコプターは本来、大韓航空の方に専門性があるにもかかわらずです。これは事実、IMFの時、倒産の危機にさらされた航空産業の企業を、国家主導で合併して作ったKAIにある程度の物量を与えなければならないから、このようなことになったわけでしょう。今、国産開発業者というのが、政府から組み立ての受注を受けて工場に回そうとして、むしろ外国から技術移転を受けることも敬遠してします。部品素材産業に投資することもせず、そのような余力もなく発展がないという指摘を受けてきました。KAIをみても、全世界に固定翼(飛行機)と回転翼(ヘリコプター)を同時に開発・生産する業者はめずらしいです。2つのうち1つだけに集中しても、生き残りが困難な航空産業の環境のためですが、固定翼1つだけでも思わしくないKAIが、経済的妥当性においても曖昧なヘリコプター事業に参入したのは、政府が防衛産業育成という名であらゆる独占的特典を与える状況を排除しては理解できないことです。問題は、それで航空産業が育成され得るのかということでしょう。巨大化して、さまざまな国の企業が提携する時代なのにです。今、不必要な受注をしているような側面はありませんか。防衛産業を育成する構造自体に、このように予算を放漫に使っているという問題があるということです。

 

韓国内の防衛産業の崩壊をもたらした保守政権

余奭周 国防予算の放漫な執行の部分は、明確に論議の余地が多いと思います。特に国内で開発した自走砲や戦車も世界最高の名品武器とはいいますが、業者に生産量を維持させるために、各部隊の戦場環境や戦時任務に適していないのに、過度に普及させている傾向があります。たとえば、山岳地域で伝統的な歩兵作戦を遂行する部隊に、そういう武器体系を普及させるのは、各機能別の戦闘力発揮の均衡性を破ったり、野戦部隊の整備支援の能力超過によって、戦時任務の遂行に悪影響を及ぼす可能性もあります。

金鍾大 保守政権は最初から国内の防衛産業の業者の不良ないし不正を疑いました。特に李明博政権は大きな不信を持って、外国に導入先をみな変えるのです。今でも事実、L-SAM(長距離地対空ミサイル)の開発をしていますが、THAADの方に熱中しています。申し上げたように、そのように導入先を片っ端から外国に変えたのが、みな防衛産業の不正として噴出しました。国内の防衛産業ではそのような類の不正よりは、不良品の問題が全面化します。企業が開発するとなると、時間をかなり引っ張り、お金はたくさんかかるので、政府が業者にパワハラを行い、納品単価を半額に値切って、苛酷に遅滞賠償金を課しました。それとともに、事業費を一律的に30~40パーセント削減しました。ですから業者は、その原価を合わせるために、新手の不正に近い方案を考案したり、不良武器をあたかも完成された武器のように、早めにシャンパンをあけて野戦に配置した結果、大規模リコールが発生しました。かなり無理に推進した計画が、野戦から抵抗となって跳ね返ってきたのです。そうなると、また不信に思うようになって、同じ失敗を繰り返すことになります。国内防衛産業の立場では、自らに敵対的な政権が登場するから、実績をはやく出さなければならなかったのでしょう。開発できないものも、あたかもできるようにふるまって、自らの生存を企てなければならない状況に追い詰められたのでしょう。このような問題が大惨事を招くかもしれません。K-11小銃からはじまって、K-21装甲車、黒票戦車……問題にならなかった武器はありませんでした。

李泰鎬 李明博政権の一般的特徴をきちんと説明して下さいました。この政権がこうなったのは盧武鉉政権に対する反感も作用しましたが、大統領が土木企業家の出身として自らの不正経験も多く、経済的な利害関係が離合集散する癒着のリンクもよく知っていたはずなのに、そうなってしまったようです。大型の土木事業や国家事業を展開して導入先を変えたり、公企業またはそれに準ずる企業に天下り人事を押し切るというやり方で、当該事業に対する掌握力を高めようとしたんでしょう。そうしたら、親族の不正や予算浪費の事例も急増しました。言ってみれば、ここに付け込む余地があると思ったらみな介入するんです。李明博前大統領の実兄の李相得・前セヌリ党議員や鄭俊陽・前ポスコグループ会長などがかかわったポスコ不正事件、代表的な天下り人事である李錫采会長に関連したKTの不正がその代表的な事例で、4大河川事業や資源外交事業も、予算の浪費と各種の不正で汚されることになりました。ですから、国防も、以前やっていたものなどを、みな導入先を変えたりパワハラをして、不正や不良を醸成したものと十分に理解できます。ですが、防衛産業のもう少し構造的な問題は、滅びる企業はそのまま倒産させるべきではないかということです。このような企業にさまざまに特典を与えながら、そのまま放置することが、全体的に韓国の防衛産業の生態系を歪曲させているのではないでしょうか?

金鍾大 それは誤解だと思います。外国業者がパワハラしている間に、韓国内の業者はほとんど庶子扱いを受けました。金大中・盧武鉉政権の時にうまくやったのが、研究開発費を増やしたということです。それを特典だと考えてもかまいません。ですが、その成果は後に出てきました。李明博政権がスタートして、韓国内の防衛産業の研究開発の基盤をみな瓦解させてしまいました。ロッキードマーティン、ボーイングなど、特典を受けた外国企業が数多くありますが、それによる費用を国内の防衛産業に転嫁してしまったんです。国内業者の立場では、防衛産業をあきらめる方向で対応できたと思いますが、実際にサムスンが防衛産業から完全に手を引きました。ですが、他の大企業の場合は、違うところでお金をたくさん儲けながら、防衛産業はしないといったら目をつけられるかと思って、完全に無視することもできずにためらっていた状態で、空気だけを読みながら過ごしていたんです。在来式の地上装備のような場合は、それでもまだ受注量が合うのでそれなりにやり過ごしてきましたが、事実、すでに国内防衛産業は、過去の金大中・盧武鉉政権の時と比較すれば、ほとんど焦土化している水準と見てもかまいません。

李泰鎬 それでは、今、国防部が言っている内容、防衛産業の輸出は増加していて、未来の成長動力になってということは……。

金鍾大 それは事実と違います。輸出がそのようにかなり増えたとすれば、なぜ防衛産業の業者の株価が落ちているんでしょうか?

余奭周 過去の努力が、今、目に見える結果として現れたということでしょう。問題は明日の実績が出てこないということです。

李泰鎬 私は、防衛産業と軍が共生関係になることで、全体的に軍備増強を引き起こしたり、不良防衛産業がゾンビ形態で維持されるという、悪循環の輪があるんじゃないかと思います。

金鍾大 今、軍でその問題を解決する一次的なカギは「所要」の問題です。そこで問題点を指摘しなければ、不良だろうと生臭かろうと防ぐことはできません。ひとまず所要がとても放漫に大きくなっています。その費用に耐えられないので、代金をむやみに値切って不良を産むことになります。防衛産業の不正捜査も、所要の決定を誰がおこなったのかから明らかにするべきです。そうでなく実務者ばかりを叩いているから、裁判になっても半分以上無罪で出てきます。

李泰鎬 威嚇の分析をして戦略を決めれば、所要が出てくるわけです。これをそのまま軍内部だけにまかせて、民主的な意味でのコントロールができなくなっているというお話しとして、理解してもかまわないでしょうか?

金鍾大 むしろ政権が一層、それを強めました。文民統制がとてもうまくいきました(笑)。大統領があれこれいってやたらとつつくので、軍人はそれならばと、当然、ショッピングリスト持っていくでしょう。ここに武器仲介商が加勢して、韓国の国防計画を完全にもてあそびました。

 

モラルハザードと過度な影響力行使

李泰鎬 武器体系の不正もありますが、軍内の基本的なことも問題が多いという認識が拡がっています。最近、報道も出て、人々が敏感に反応するのが、ベッドや防弾服の導入のようなことが正しく行われなかったという問題です。一般の人たちはこのような部分ですぐ反応します。余代表はどのようにお考えですか?

余奭周 多くの韓国の男性が軍を腐敗と感じています。ですが、腐敗と感じる理由を聞くと、ほとんど日常生活に関連したささいなことです。たとえば、乾パンを1袋くれるべきなのに半分だけくれたとかいう部分です。一般社会ではダイエットブームもありますが、兵士として服務する立場ではとても重要な問題でしょう。そのような日常生活に関連したところから出てくる腐敗は、金額では微小ですが、長期的に軍イメージに途方もなく大きな打撃です。ですが、事実、こうしたことは、軍が腐敗しているということではありません。商行為でそれを食べた人、軍に関連した人から腐敗が発生したということです。もちろん、波及効果を考えた時、そのようなことが発生してはいけないのですが。

金鍾大 私もそのように考えましたが、最近、在郷軍人会の年金不正を見ながら考えが変わりました。先日、不良防弾服事件がありました。弾丸が貫通してしまうということです。それは通弾服であって、防弾服なんかではありません。嘆かわしいことです。軍でこのような問題を清算しようとする意志が足りないのは、事実ではないかと思います。国家安保をやるという面で、自らの道徳的な問題はすでに解決されていると考えるようです。在郷軍人会は、軍では違うと言っていますが、毎日、軍の部隊に電話するのは彼らです。ゴルフ場の予約をしろ、イベントがあるから、軍部隊の指揮官が出てきて挨拶しろ、研究サービスをくれ、何々を納品するようにしてほしいなど、現役の軍人は、そこで全然身動きがとれません。現役の未来は予備役です。軍人がこういうことを模倣しながら、権力が大きくなるにつれて、より一層道徳的に武装すべき位置にある方々が、むしろそれが解除されてしまう傾向が明確にあったと思います。安保が重要だという保守政権になって、道徳性の問題もまた悪化したような側面があります。指揮官が犯す性暴行とか、各種の不当な行為を見ても、昨今になって軍が社会を恐れなくなり、社会的影響力が拡大したことを自ら消費して楽しむ部分があるならば、警鐘を鳴らすべきでしょう。

李泰鎬 軍でしばらくの間、軍人が否定的な世論のために臆して、士気が低下するのはもちろんのこと、誰も軍人になろうとしないと、大袈裟な態度を取ったことがありました。

金鍾大 最近見ると、軍が愛国心を名分にして、一線の学校に安保教育に行きます。何かというと親たちを集合させて指揮官が講演するのですが、このようにきわめて分不相応なことが多くなりました。

李泰鎬 軍で学生たちを呼んで射撃訓練もさせました。驚きました。

金鍾大 学生たちの入営キャンプもやって親も呼びます。そこで話すのは、子供たち(兵士たち)に最近、補給品を与えられない理由は、「従北」勢力のためだということです。福祉をあまりにも主張して補給品も出ないと講演したようです。予備軍の教育の場でも同じです。過去においてはコントロールされていた、ある種の装置のネジが、今、緩んでいます。一般国民に何をしてもかまわないという先民意識が拡大すると、道徳的な弛緩が発生して、結局、不正につながる面が、私が見るところ存在するということです。

李泰鎬 軍に勤めたという事実だけで、安保専門家になるわけではないと思います。教育専門家はより一層違います。にもかかわらず、この人たちが履修プログラムも受けないまま、市民に平和や安保について教育できる主体と見なされるのは問題があります。

余奭周 私が外に出てきて事業をしながら感じるのは、軍出身に2つあるということです外に出ても清廉に生きる人と、お金に対する観念が民間人よりさらに不明な人。軍では公私の区分を明確にするという話はとにかく聞いて生きるでしょうが、外に出てくれば公私の区別がないと考えるようです。在郷軍人会も私が見るところ、規律から自由になったという感じで、目に見えるお金はみな自分たちのものだと感じるようです。

李泰鎬 朴槿惠政権すら、セウォル号沈没事故以降、「官僚マフィア」清算を言っていましたが、韓国ではやはり、元官僚の礼遇の問題があります。在郷軍人会がもちろんそうですし、防衛産業の問題もそれと関連がありますが、現職で武器の購買をした人々の大多数が防衛産業関連の企業に行きます。もちろん、職業的なことですから、ある程度あり得ることですが、今、公職倫理法上の規定もよく守られない場合が多いようです。予備役の問題もそれと似ています。金鍾大議員がしばしば提起する問題の1つが、予備軍の部隊が完編師団でもないのに、あまりにも多すぎるということです。兵士はあまりおらず将校はあまりにも多いわけです。さきほどお話しした武器の所要問題にも大きく影響を与えます。将校を養うためのさまざまな構造が、既得権でがんじ絡めになっています。本当にこのような構造が必要だったのか疑問を感じます。

 

臨界点を越えた召集率と過度な将校数

李泰鎬 韓国の兵士の数が、今、それなりに減って63万といいます。盧武鉉政権も朴槿惠政権も、長期的には50~55万程度に減らすべきだといいます。ずっと減らせないでいますが、とにかく50万という数字も、そこまで必要なのかと言えそうです。

金鍾大 政策的な決断が必要です。63万のうち44万が兵士です。兵士中心の組織でしょう。ですが、召集率を見ると、80年代に平均51パーセントだったのが、今は87パーセントです。重症障害者以外はみな軍隊に行くということです。このような人が軍隊に来たのかという事例が、信じられないほどおびただしくあります。2016年現在、21歳男子の人口は36万人ですが、3年後から本格的な人口減少が始まって、2022年に11万人減ります。2025年頃になると、服務期間を延ばさない以上、50万の軍隊維持が不可能です。今、63万を維持するこの渦中にも、到底、軍隊生活ができない子供たちをみな入れていますが、事実、適正召集率のレッドラインは76パーセントです。ここで1~2パーセントだけさらに上げても、不適応者まで軍が受け入れなければならないわけですが、今、90パーセント近くに肉迫して、軍隊が正常でないということです。軍内の不適応者のために運営するグリーンキャンプに年間3000人が入所します。数字が問題ではなく、大多数はもう所属部隊に戻せません。過去には1~2週だけで戻しました。今はそこで除隊しなければなりません。でなければ、病院に送るとか各種の名目で部隊生活から隔離させます。相当多くの部隊が下部で崩壊状態になっています。指揮官、兵士、親がみな固く団結して、事故の予防をして、かろうじて維持されています。他の見方をすれば、軍も被害者かもしれません。戦闘力を発展させるために使うべき時間の大部分を、部隊の管理に注いでいます。本来、予定された国防改革を至急断行して、3年後から始まる人口急減時代に備えるべきだったのに、それをしてこなかった結果が、次の政権の時には巨大な災難になるでしょう。部隊構造の調整とか兵力の縮小のための顕著な措置は、この政権が終るまでまったくないという話です。これは保守政権が安保を亡ぼしている欺瞞的な形態です。保守が先頭に立って対応すべきことも、むしろそれを回避して安住していたというのは、洗い流すことができない誤りだと思います。

李泰鎬 もう少し具体的にお聞きすると、韓国の適正将校数や将軍数はどれくらいだとお考えですか?

金鍾大 そのような問題は、やはり軍隊がどのように戦うべきかによって決定されます。これを決めれば、そこに見合った組織ができ、その組織に見合った人材が算出されて、それに見合った人事がともなうわけです。これが正常な手続きです。ですが、今、私たちは多くの将校を進級させなければならないという人事上の要求が、人材政策を揺さぶっています。その人材政策が組織政策を歪曲させて、それが戦う方法にも悪影響を与えました。8・18軍制改編計画(1988)というのがありましたが、福祉と民主主義が発展した1980年代以降、小さく軽快な軍隊を作るということを表明しました。その精神に戻っても、最初から、今、それをそのまま導入して改革するとしても、おかしなことは何もありません。今、430人余りの将軍、3000人余りの大佐がいます。将軍を休戦ラインに一列に並べれば、おおよそ500メートルに1人ずつ並べられます。また合同参謀本部から野戦の末端の作戦部隊まで、指揮系統に干渉できる星の数字が100を超えます。指揮段階が6段階になっています。この過度なシステムを維持しようとすれば、浪費がとても多くなります。ソウルから平壌まで、戦闘機で全速力で飛んで行けば2分もかからないこの狭い国に、世界で一番複雑な指揮体系と放漫な人材を配置しているのですから、どのような結果が出るでしょうか? 野戦に行けば、戦う人は足りないのに後で指示する人はとても多いのです。それから司令部の乱立。輸送や指揮通信は参謀機能なのに、どうして司令部なのでしょうか。みな自分が指揮権者だといって司令部を乱立させました。このような形の部隊構造が、人材を過度に膨張させた主犯です。ですから、他の見方をすれば、人材を減らすのはその次の問題であって、まず部隊構造を合理的に変えるのが最優先の問題です。陸軍にありあまる高位将校ために、1軍―3軍の統合が何年も遅れています。結局、今より大幅に簡素化された部隊構造に見合った人材体系、それが適当なラインです。そしてすでに判断はみな終わっています。実行に移していないだけです。

余奭周 私も一般的に同意します。参考までに申し上げれば、1961年の5・16軍事クーデタのとき、「反革命」として追及されてアメリカに亡命したキム・ウンスという将軍が、1957年度だかに国防部の作戦側の局長としていながら、韓国軍を20万に減らす計画を進めたといいます。とても不安な時代だったのにです。私も規模に対してずいぶんと考えましたが、もしかしたら軍隊の削減は、人口が減ることで自然とうまくいくかもしれません。

李泰鎬 私の理解では、ドイツ、イギリス、フランスなどは将校が2万 7千~3万 7千人程度だといいます。私たちは7万 2千人です。イギリスは90年代に国防改革の過程で将校数を20パーセント減らしました。アメリカは30パーセント減らしました。この国はすべて90年代に全体の兵力も35パーセント内外削減しました。ですが、米軍は言うまでもなく、ドイツ軍、フランス軍、イギリス軍を弱体と言うことはないでしょう。韓国は90年代以降、将校の数がむしろ500人程度増えましたし、兵力も減らすといいましたが、これまで20数年間で、ようやく4万人余りを削減する程度で終わりました。将校と兵士の数を減らして、副士官の比重を増やせば、戦闘力の損失もあまりなく、国防費も大きく削減できると思います。

余奭周 そうですね。韓国に将校が多いとも考えられますが、さらに大きな問題は、将校団が本来の役割のほかに、部隊の管理に過度に関連しているという点です。その最初の理由は副士官の階層が虚弱だからです。副士官がやるべき部分が明確にあるのですが、それができないので、結局、将校を座らせるわけです。兵士管理のようなことは将校がすべき仕事ではありませんが、すべてそれに奔走させられています。毎日、中隊の中に座って、休暇者などに電話を回して……全国民が小卒水準だった創軍の初期に、それなりに優秀な人材を誘致するために、中卒の学歴を下士官の志願資格にしました。そのうちみな中学校は卒業するので、高卒に志願資格を引き上げました。ですが、今でも資格は高卒です。副士官は兵士より何かもう1つなければならないのに、今、副士官は階級だけが高くて、年齢も若く、学歴も低く、暮らし向きもよくない実情なので、そのまま兵士のそばにいる1つの階層になってしまったんです。米軍がよく言うのは、将校団が頭脳で、兵士は手足で、副士官が背骨や腰だということです。韓国軍はこの腰が不十分だから、じっとしている時は完全なようだけど、実際に動くときちんと歩けないんです。だから私たちが徴兵制から募兵制に移行する前にやるべきなのは、副士官の階層をしっかりさせることなのですが、その基本は、兵役の生活を終えた人を下士官として選抜することです。今のように、何か月かやって、これはいいと連れていくのでなく、兵役生活を終えた経験があって検証された人材が必要です。

李泰鎬 有給志願兵制度というのが、そのような概念ですか? 4

余奭周 ですが、有給兵制にすると、優秀人材の確保という本来の目的がきちんと達成できず、そのまま社会に出ても、いい仕事がないからそこにいるのだろうと新兵に後ろ指を差されるといいます。方向を有給兵制にするべきではありません。その金で副士官の給与や処遇を改善して、兵士たちが副士官として職業軍人ができるようにするべきです。そのような副士官が1つだけあれば、経験のない初級将校よりも部隊をはるかによく管理できると思います。

 

人の価値を尊重すれば

李泰鎬 私たちの兵士の月給がわずかばかりなのも、批判的に考えることができます。基準として考える上兵の月給が17万 8千ウォンといいます。市民団体でおおよそ計算してみると、兵力を少し減らして服務期間も短くすれば、すぐにでも100万ウォンを与えることができるそうです。 5 将校の数を少し減らし、それによって部隊を減らせば、予算がさらに追加されることもないと思います。

余奭周 ですが、月給をより多くやったら、兵士の生活がよくなるんでしょうか? もちろん給与がとても低いこと自体は問題ですが、それは根本的な解決策ではないと思います。

李泰鎬 私の焦点は、軍服務期間を破格的に短くしようというものです。12か月程度にです。普通、徴兵制国家は、ヨーロッパでも12か月内外です。

余奭周 義務服務期間を短縮すべきということには原則的に同意しますが、現在の運営体制をそのままにしたまま、服務期間だけ半分に減らせば、全体の兵力の規模も半分に短縮すべきだという話になります。実現性が非常に低いです。現代戦の様相や現在の韓国軍の武器体系などを考慮する時、義務服務する兵を中心に部隊を編成して、現代化装備を運用するのは問題だと思います。私もおよそ6か月程度訓練を受けて、6か月程度はこのようなものが軍生活だということを体験する程度にして送りだす方が正しいと思います。たとえば、前方警戒部門についても、過去のように人材中心でなく、科学化概念を適用した専門警備部隊であるとか、いい研究がすでにかなり出ています。とても破格的な話ですが、最近、50歳で引退する人も多いと思います。こうした方々を対象に、DMZ(非武装地帯)専門警戒の人材を補充するのも不可能ではないと思います。知的能力や体力的能力が人生の最高度である20代の若者たちを、スパイを監視させる仕事に縛っていてはいけません。また世界最強のK9、黒票戦車のような数十億の装備を、2年も勤務していない月給17万ウォンの兵隊が操縦しています。なんとか回っているようですが、数十億の装備の寿命に途方もなく悪い影響を与えます。ヘリコプター500MDのようなものは半額もしないのに、将校や准士官2人が操縦しています。このようなことはみな変えるべきです。最小限、副士官が専門性を持ってやるべきです。

金鍾大 これは30年近く出ている話ですが、変わらずにいます。まず、一線の戦闘員の生命価値がかなり低く評価されているのが問題です。それを前提にすべての軍隊組織が設計されているので、軍隊が専門家集団になれないんです。戦う方式も多く殺して多く死ぬ、現代戦ではみな無効になっている在来式の教理でしょう。命の値段が安いからです。人を尊く考えて、はじめて浪費をしないわけです。兵力が足りないといいますが、私が見るところ、まだ遊休兵力があります。生命の価値を高めれば、この大事な資源をどのように効率的に使うべきか悩むことになるでしょう。軍の運営の先進化の動力をとらえられる時代的な契機になると思います。

李泰鎬 軍はいつも、改革を行うためには軍を主体にするべきだ、軍の士気を考慮するべきだといいます。ですが、国防改革は、結局は同じ論理によって挫折します。軍に自らさせるべきだというから、では問題をどのように調整するつもりかと聞いたら、結局は既得権によって決定されます。たとえば、陸・海・空軍の間で陸軍が勝って終わるというような形です。これまでこのようになってきたのではないでしょうか?

金鍾大 覇権的な運営体系がありました。軍が文民統制からかなり逸脱した弊害が、ここにも及ぶんです。国防の株主であり顧客は、誰がなんと言っても主権者である市民でしょう。軍が、市民が合法的に選出した政治権力のコントロールを受けない例外集団に陥ったら、全般的に非常に不規則的に運営される現象が長期間つづき、いまや本当に解決することが難しくなりました。結局、軍自らが最も大きな被害者になるでしょう。

 

軍改革の動力をどこに見出すべきか

李泰鎬 そろそろ、まとめをしなければなりません。来年、大統領選挙があります。選挙の時は軍と関連した話も出てきますが、人々にとって最も敏感に感じられる問題は、やはり兵役の服務期間、そして募兵制のようです。その問題についてどう思いますか。その他に来年の大統領選挙で、軍の問題と関連して主題にしてくれたらいいと思われることを、おっしゃって頂ければと思います。

金鍾大 今回の総選挙で私が最もいい反応を引き出したのは、まさに軍の問題でした。初めは私も服務期間の問題として接近しました。ひとまず選挙の時に不可欠の話ですからね。ですが、服務期間の議論に重点を置くには、青年たちの状況がさらに深刻でした。高卒者の入隊待機期間が平均24か月です。その期間に誰が就職させるのでしょうか。ほとんどみな社会的余剰に転落します。それから一番短い陸軍基準の21か月で軍の生活をして、除隊して就職するまで、また31か月です。合わせると76か月でしょう。軍の服務による犠牲と社会的負担が重すぎるということです。ならば、これを半分に減らすのが可能かを考えるべきで、軍服務の短縮をいくら公約として出してもせいぜい3か月の短縮です。全体を減らさなければ、大学に進学した人たちとますます格差が広がるんです。永遠に追いつけません。青年たちの雇用政策、兵役政策、教育政策の3つがみな統合されるべきです。このような生涯周期の公約が出てくるべきで、そこに軍が協力するように要求するべきです。服務期間の短縮だけで利益を得るというのは、率直にいってポピュリズムです。

余奭周 さきほど12か月というお話しをされましたが、そのようになるには前提条件があります。専門的に軍生活をする集団と、訓練および経験する水準の予備資源とで二元化されるべきです。私は大統領になるという人たちが、自分が実現する安保戦略の大綱を大統領選挙の過程で提示するべきだと思います。国防改革も就任前にその根幹を完成させてこそ可能なわけで、毎回、明確な戦略もなくそのまま就任して、国防部に国防改革委員会をスタートさせれば、その人たちだけはいいでしょう。およそ3年を無難に送って、任期末期になったら誰も陳情にも来ないので、報告用の計画だけを作って出て行きます。今回の政権はそれもしないようですが。私が大統領ならば、このように言いたいです。国防部長官になりたい人は、国防改革案を持って私のところに訪ねてこい、そのようにして任命された国防部長官は、ささいなことで更迭することもないので、私と同じ5年任期の間に国防改革だけに専念しろと。合同参謀議長も現役のうちにどのような方法で軍事力を運用するのか、案を持ってこいと言って、大統領の統治哲学を実現できるだけの人を任命して5年間やらせるべきだと思います。あえてアメリカの話をする必要はありませんが、アメリカの合同参謀議長のような任命職の任期を見ると概してそのような感じです。士官学校の期数のようなものは考慮せず、自身の統治哲学を正確に実現できる軍令の専門家、軍政の専門家を任命することを、私は次の大統領に望みたいと思います。

李泰鎬 私はとにかく、軍改革の動力は外部からなされるべきだという考えです。そのように見る時、最も基本的な動力は、この青年たちひとりひとりが、みな家庭でとても大事な存在であるということから出発するべきだと思います。ですから、国家が青年たちを召集しようとするならば、正当な代価を与えるべきだということです。兵士の月給を最低賃金以上になるように現実化するんです。少なくとも市民社会は、その話を先に投げかけるべきだという立場です。それでは、これで今日の対話を終えたいと思います。長時間、いいお話しをして下さって、本当にありがとうございました。

(2016年4月26日/創作と批評社・西橋ビル)

 

翻訳: 渡辺直紀

Notes:

  1. 「「中隊長、うちの息子にスコップ仕事させないで」――軍隊も「ヘリコプター母」はとめられず」、『朝鮮日報』2016年4月25日付。
  2. 2012年北朝鮮兵士1人が鉄柵を越えて韓国軍GP(休戦ライン境界警戒所)を通過してGOP(小隊単位の一般前哨)生活観門を叩いて亡命意思を明らかにした事件。
  3. 2015年北朝鮮兵士1人が韓国軍GP前方5メートルで一夜を送った後鉄柵を揺さぶって発見された事件。
  4. 兵役服務の期間短縮に備えて、熟練・専門担当者の確保のために2008年に導入された制度で、現役服務中に志願して、下士官として最大18か月まで延長服務する類型と、入隊前に志願して兵役の義務服務期間を終えて下士官として任官して3年服務する類型がある。
  5. 李泰鎬「軍服務1年、兵士の月給100万ウォン、いますぐ可能」、『オーマイニュース』 2016年4月7日付。http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002197114

韓国における日本軍「慰安婦」研究、どこまで来たのか

2016年 夏号(通卷172号)

[論壇]韓国における日本軍「慰安婦」研究、どこまで来たのか

姜貞淑(カン・ジョンスク)成均館大学東アジア研究所研究員。韓国挺身隊研究所所長、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会専門委員および調査官等を歴任。 wumright@hanmail.net

 

2015年12月28日、日韓政府の唐突な日本軍「慰安婦」 1 合意案発表は、大きな社会的関心を呼び起こした。以降、韓国外交部の空元気な成果自慢とは違って、日本政府は「強制連行の証拠はない」と国連で発言し、米国ハリウッドで国家広報の準備に拍車をかけるなど、 2 軍「慰安婦」をはじめとして独島〔日本名:竹島〕など国家間紛争を自国に有利に導いていくための戦略を遂行している。教育の領域でも、過去の暗い出来事を着実に消し続けている。これに反して韓国政府は、こうした日本政府の動きにきちんと対応できていないだけでなく、国内で女性家族部や韓国女性政策研究院などが行ってきたさまざまな調査研究への支援を中断ないし縮小した。

「慰安婦」問題真相糾明に対する政府の支援は、2011年8月に憲法裁判所の判決 3が出る前はかなり制限したかたちであったし、判決後も女性家族部が運営する「日本軍慰安婦被害者e-歴史館」事業と白書など、数えるほどしかなかった。少ないながらも研究者を支えてくれていた支援でさえ政府が打ち切ってしまった今、問題解決はおろか、真相糾明に対する意志があるのかさえ疑問である。

このような状況の中で、「慰安婦」問題の研究成果と課題を掘り下げて見ることによって今後の研究と問題解決の方向を見定めることは、喫緊の作業である。はたして日本と合意できるほど両国の問題意識は近いのだろうか。そして韓国政府の歩み寄りによって問題解決は可能なのだろうか。

本稿では、韓国の歴史分野の研究成果を中心に、日韓間の主要争点を明らかにしていく。歴史研究の成果を中心にアプローチする理由は、何よりも歴史研究が事実確認から始まるという点にある。いかなる学問領域でも客観的事実を共有することができれば、論点が明快になり、論争の解消や問題解決に一歩近づくことができるためである。

 

 

軍「慰安婦」問題提起と真相糾明作業

1988年、韓国基督教女性団体協議会が主催した国際セミナーで日本軍「慰安婦」問題が初めて社会的に提起された時、公の場に姿を見せた韓国在住の被害者はいなかった。当時は発掘された資料もそれほど多くなく、被害者の呼称も「挺身隊」を使用していた。韓国ではすでに植民地経験と日本から伝えられた情報などから軍「慰安婦」に対する一定のイメージ、すなわち数万人の幼い少女が日本の官憲の直接的な物理力によって動員されたという像がかなり強く構築されていた。

軍「慰安婦」よりも解放直後にメディア 4に描かれた女子挺身隊という用語が広く使用されてきたこともあり、関連の運動が始まった初期の1990年に組織された韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)も「挺身隊」という用語を冠することになった。しかし、直後の1992年ごろになると歴史的用語として「慰安婦」、その性格としては性奴隷という表現が使用され始めた。

被害者が名乗り出ない中で、挺対協をはじめとする韓国の女性団体は日本政府の責任問題を提起したが、日本の右翼は「慰安婦は公娼」であるとか「民間業者がしたこと」などの発言を続け、日本政府も軍「慰安婦」の動員などに対する官の関与を一切否定した。この過程で日本の態度に怒りを覚えた金学順は、1991年8月、日本軍によってどのような被害にあったのかを公開証言し、以後、多数の被害者が韓国社会で名乗り出た。

被害者の登場によって、関連団体は被害者支援のための法制定運動を繰り広げる一方で、生存している被害者への聞き取り調査を行い記録し始めた。被害の真相を明らかにするという差し迫った要求のなかで1993年に『強制的に連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち』証言集第1巻(出版社:ハンウル)が刊行された。軍「慰安婦」問題が外国メディアでも報じられて国際的に関心が高まると、中国の武漢などにも被害者が数名生存しているという知らせが韓国に伝えられた。これが中国の未帰還被害者調査につながり、『中国に連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦』第1巻(ハンウル、1995年)が出版された。証言集の刊行は今なお続けられている。

こうした被害者の証言は、当時の文書資料がほとんど残されていなかった韓国において貴重な史料であり、被害者の問題を提起し解決するための運動のエネルギー源となった。また、公文書が被害者の経験のディテールを伝えてくれないだけに、被害者の視線でこの問題を見ることを可能にしてくれた。

他方で日本では1992年1月、歴史学者の吉見義明が軍慰安所の設置と「慰安婦」募集などに日本政府が関与したことを示す公文書を公開した。これを受けて政府の関与はなかったと主張していた日本政府は態度を変え、政府レベルの資料調査を開始した。吉見教授が集めた資料をもとに刊行された資料集 5と、日本政府が1992~93年に調査・公開した公文書が韓国に伝わり、被害者の口述資料とともに文書資料に基づいた歴史研究が進められるようになった。

 

 

主要テーマ別研究成果

日本軍「慰安婦」問題は、韓国国内で呼び起こした社会的関心の大きさに比して、歴史研究は手薄である。そんななかで積み上げられてきた成果がないわけではない。時期別に概観してみると、初期には被害者が出現してまもなく行われた集団作業の結果である先述の証言集と、『日本軍「慰安婦」問題の真相』(挺対協真相調査研究委員会編、歴史批評社、1997年)が刊行されている。第二期には「2000年日本軍性奴隷戦犯女性国際法廷」の設立に関連して『日本軍「慰安婦」問題の責任を問う』(挺対協編、プルピッ、2001年)などが出版され、口述方法論にも進展が見られた。第三期は2011年の憲法裁判所判決後、政府機関の支援で複数の研究者による多様な研究がおこなわれた時期である。現在、政府の支援のほとんどは中断されているが、この時期にまかれた種は研究者の拡大を促した。以下では日本軍「慰安婦」問題を明らかにするときに重要な歴史的テーマおよび日韓間の主要争点を考察していく。

 

 

軍「慰安婦」制の樹立と「慰安婦」動員

当初、日本の右翼は日本政府の関与を否定していたが公文書の発見後に立場を変え、日本政府や軍が軍「慰安婦」動員に関与し緊密なつながりを持っていたのは、戦時の特殊状況で「慰安婦」の輸送および保護のためにとった措置に過ぎないのであって、悪徳紹介業者による女性誘拐を警察が調査したという内容の新聞記事を例にとって、警察が軍「慰安婦」の連行を防いだと主張した。さらに、被害者が初めは業者に連れ去られたと言っていたのに後になって警察に連れて行かれたと証言した点などをこと挙げて、口述記録は信じられないと批判した。 6 日本の右翼の主張の核心は、「狭い意味での強制連行」の有無であって、これに関する公文書資料はなく、合法的手続きによって女性たちを動員した証拠はあるので、強制連行を証言する被害者の口述は信じることができないというものである。これについては筆者が既に具体的に反駁した論考 7があるので、ここでは簡単に言及するにとどめておく。

韓国における初期の研究は、日本政府の責任を否定するか低評価しようとする日本の右翼と政府の態度に対応するかたちで、日本の国家責任などを糾明することに焦点を当て、日帝の政策の植民地性と反人道的側面を集中的に取り上げた。論争が集中した朝鮮人軍「慰安婦」動員を初めて扱った鄭鎮星〔チョン・ジンソン〕は、被害者の口述に基づいて分析し、争点である軍「慰安婦」の連行者について、軍・警察・行政職員といった日帝の権力機関の末端を担う者たちの割合が相対的に高かったことを明らかにした。 8 最近の研究でも、口述を軸に据えたものは同様の傾向を示す。 9 これは口述のもつ特徴、すなわち社会性と可変性が反映された結果であると判断される。

尹明淑〔ユン・ミョンスク〕は、2003年に日本で出版された著書で日本軍「慰安婦」制度の設立背景と運営体系、日本政府と軍の論理、朝鮮人軍「慰安婦」の動員(徴募)背景とそのプロセスを被害者の証言をもとに分析する一方で、日本の戦時体制研究を参照しつつ紹介業者が生み出される過程など、朝鮮女性の動員の様相を具体的に解明した。この研究によって朝鮮半島で軍「慰安婦」が動員されるシステムが詳細に明らかにされた。 10

朝鮮総督府や朝鮮にあった日本軍(「朝鮮軍」)など、後方の権力機関が現地の軍といかなる関係を結び、軍「慰安婦」を動員したのかについての分析は、まだそれほど行われていない。河棕文〔ハ・ジョンムン〕は、日本軍の規定に従って軍慰安所が兵站施設化された点と、(準)軍属または軍従属者として扱われていた慰安所業者、軍の「慰安婦」に対する扱い方などを考察した結果、軍慰安所システムが日本国家レベルで樹立・運営されたことを明らかにした。 11 最近、金鍾泌〔キム・ジョンピル〕が自身の回顧録で、軍属が女性たちを生産機関に送ってお金を稼げばよいとだまして募集していたのをその目で見たとし、女性の一部は生産機関に配置されただろうが、ほとんどは一線に送られて軍「慰安婦」にされたと断言した。 12 もう少し具体的な状況を明らかにする必要はあるだろうが、中国の武漢や漢口、ミャンマー、インドネシアなど、一線にあった慰安所業者が(準)軍属の地位をもって朝鮮で女性を動員した事例がいくつか発見されており、金鍾泌の証言と類似した状況が実際にもあったであろうと推測できる。そして当時、女性動員と関連して1930年代後半に「巡査が17歳以上の処女を調べて多数の負傷兵に処女の血を注入するために処女を募集して満州方面に連れて行くとか、40歳以下の寡婦と処女を募集して戦場に送り、兵士に慰安を提供して、戦争をしている場に寡婦を連れて行って青樓女郎にする」などの流言飛語が飛び交っていた。これは当時、「慰安婦」を大量に動員する過程で出た話であることに違いない。 13

現地の日本軍と朝鮮総督府、「朝鮮軍」はどのように連携して女性たちを動員したのか。これについては特に近年公開された黒竜江省と吉林省の档案館(記録保管所)の資料に注目する必要がある。この資料は関東軍特別演習時期(1941年)に関連したものが多い。日本の関東軍はそもそもこの時期に「慰安婦」2万人を「朝鮮」から動員する計画をもっており、実行過程で朝鮮人業者を媒介に黒竜江省で朝鮮人女性2千人を動員した。吉林省の資料によれば、業者でさえ無差別な動員の仕方に問題を感じていた。 14 内モンゴル駐屯日本軍は1945年、朝鮮総督府に「慰安婦」募集資金を送っていた。 15 ミャンマーには1942年、数百人が四次慰安団として渡ったが、これは南方軍が朝鮮軍司令部の協力を得てなされたものである。安秉直〔アン・ビョンジク〕は、軍慰安所業者の日記を分析して、こうした動員は「広い意味での強制動員」であり、「戦時動員体制の一環」であると評価した。 16

このように、日本政府の総体的支援のもとで軍「慰安婦」制が稼働したということはすでに確認されているが、日本の右翼は、朝鮮の場合、「狭い意味での強制連行」を示す公文書がないとして言い逃れてきた。中国やインドネシアなどでは日本軍の「狭い意味での強制連行」がすでに確認されている。それらとは異なり植民地とした朝鮮では、徴用という課題を抱えた日帝が公然と奴隷狩りをするかのごとく軍「慰安婦」を動員することが一般的であっただろうとは考え難い。 17 日本の右翼の主張どおり国家権力が直接に物理力を行使したケースだけを強制動員とみなせば、国家権力が関連業者や(準)軍属に女性動員を要求し、それに必要な費用を支払って就業詐欺、誘拐、脅迫と欺瞞、人身売買などのかたちで女性を動員したことの不法性については目をつぶることになってしまう。日帝の権力機関が業者をつうじて女性を動員する過程で行われた不法行為には背を向けたまま、組織的連携がなされていない「下っ端」の人身売買業者を検挙したとして免罪符をもらおうとすることは、歴史をきちんと直視しない態度に過ぎない。 18 日本軍「慰安婦」制は動員現場だけでなく、そのシステムと輸送および軍慰安所の監督・運営、敗戦時の対応など、全般を総じて検討する必要がある。

 

 

軍「慰安婦」の生活

日本の右翼は先に言及した米国の新聞広告で、軍「慰安婦」が公娼制度下で行われ、これらに対する処遇などを見ると性奴隷ではなかったと主張した。軍「慰安婦」の生活について加害者の視点からアプローチすることはできるだろうが、それはあくまで被害者の視点が前提されてこそのものである。こうした点から、日本軍出身者の口述および回顧談を分析することで日本軍の意図や個々の軍人の軍「慰安婦」認識などを考察した安姸宣〔アン・ヨンソン〕の研究 19は非常に重要である。最近、裁判や論争の中心にいる朴裕河〔パク・ユハ〕が扱った軍「慰安婦」問題、とりわけ「慰安婦」と軍人の関係といったテーマは、安姸宣によって既に深く分析されている。

最近、古橋綾〔フルハシ・アヤ〕は「日本の戦争責任資料センター」が収集した回顧録258冊から、日本軍出身者が兵士の性、性処理装置、「慰安所」に関していかなる対応をしていたのかを分析した。 20 古橋の論考がとりわけ重要なのは、軍人が言及した内容を単に引き写すのではなく、回顧録が出された時期や当該軍人の軍隊内での位置などを分析的に考察した点にある。被害者か加害者かを問わず口述資料を批判的に扱うことは、史料を扱うさいにとても重要な態度である。 21

軍「慰安婦」および慰安所研究とともになされるべきは、軍隊史研究である。筆者や河棕文などがこれを試みた例はあるが、 22 日本軍事史研究者の層の薄さから有機的結合までには至らなかったなかで、徐民教〔ソ・ミンギョ〕がこの問題を本格的に提起した。 23 軍「慰安婦」および慰安所の状態は地域差が大きく、現場の状況を知るためには現場と密接な戦況と日本軍の動向および移動を把握することが肝要である。今後、さらに活発な研究が期待される。

 

 

帰還と未帰還、そして地域および名簿研究

東アジアから太平洋諸島まで拡張された戦域の最も末端でも朝鮮人軍「慰安婦」の存在は確認される。日帝が敗退したのちに連合軍に与えられた重要な課題は、それらの地域の隅々にまで動員された人々をどのように帰還させるのか、であった。動員が長期にわたって行われたのとは違って、帰還は短期間で集中してなされた。帰還状況は地域によってかなり異なるが、日本居住者を除けば1946~47年に集中していた。海外に強制動員されて現地に居住していた一般人の帰還については、国民大学韓国学研究所が相当期間、集中的に扱って基礎資料を作った。 24 しかしそこでは軍「慰安婦」の帰還に関してはそれほど論じられていない。

軍「慰安婦」の帰還を軸に扱った論考としては、初期に門を開いた方善柱〔パン・ソンジュ〕 25をはじめとして姜英心〔カン・ヨンシム〕、 26筆者 27などの研究がある。帰還時期の具体的な地域状況を分析したものとして、インドネシアのスマトラ島南部の都市パレンバンの事例を扱った拙稿 28が参照に値する。

オランダの植民地だったインドネシア・パレンバンやジャカルタなどの地、そしてイギリスの植民地であり東南アジア陸軍管轄地域の多数の帰還者が集結していたシンガポールには、日本敗戦直後に日本軍に所属していた朝鮮人軍人・軍属・労働者などが多く集まった。この現場は、日本軍、連合軍、現地人のあいだで故郷行きの船を待つにとどまらない、ダイナミックな空間だった。

パレンバンでは旧慰安所とその近辺が集合場所となった。その過程で軍慰安所の業者だった人物がその地域の朝鮮人会の会長になることもあった。中国・上海では軍慰安所業者が韓国婦女共済会会長になり、「慰安婦」を救援したかのように国内外のメディアに誤報されたことがあった。 29 また、パレンバンに集まった朝鮮人のなかには、インドネシア独立闘争にまい進したり、連合軍によって処罰されることを恐れて現地社会に隠れたりした事例も確認されている。 30 終戦と帰還のあいだの時期、日本軍は陸軍軍人・軍属名簿である留守名簿に軍「慰安婦」女性を看護婦として記載し、一部の朝鮮人はまた別の主体となって名簿を作った。帰還時期のこうしたダイナミックな状況は、記録と口述資料をつうじてこそ捉えられる。この点で、関連資料を調査・収集した日帝強占下強制動員被害真相究明委員会の研究成果は非常に重要である。 31 帰還だけでなく、未帰還をめぐる研究も注目すべきである。未帰還問題は、当時被害者たちが晒されていた状況、心理状態、韓国人の関心事がどのあたりにあったのかなどを明らかにするという点で重要であり、また、人権の観点からも必ず掘り下げるべきテーマである。

日本軍「慰安婦」問題が本格的に提起される前の1970年代から、未帰還者として沖縄の裵奉奇〔ペ・ポンギ〕、タイの盧壽福〔ノ・スボク〕の存在が国内に知られていた。しかし単発的な記事で言及されただけで、未帰還問題をきちんと扱うようになったのは軍「慰安婦」問題が本格的に提起された1990年代以降である。軍「慰安婦」に対する関心の広がりに大きく寄与した外国メディアの助力と、各国の活動家の連帯によって、中国の武漢、上海、東北地域などで軍「慰安婦」被害者を探し出したのである。これに加えて2000年以降は韓国政府の支援もあった。こうした未帰還者調査事業との関連で、中国と沖縄で動員被害調査が詳細になされた。 32

軍慰安所の地域的分布に関しては筆者の論考 33があり、最近、東アジア歴史財団が日本のWAM(Women’s Active Museum on war and peace、女たちの戦争と平和資料館)の協力を得て作った「日本軍慰安書マップ」がある。各国・各地域の被害者と軍人・軍属および住民の口述や回顧録、公文書に基づいて作成されたもので、文献情報も提供されている。 34

地域調査は「2000年日本軍性奴隷女性戦犯法廷」と未帰還者調査が契機となり、沖縄、中国、太平洋諸島、サハリンなどで行われた。沖縄は朝鮮人軍「慰安婦」および軍属に対する研究が比較的進展している地域である。川田文子が1970年代から80年代にかけて被害者のうち生存していた裵奉奇の聞き書きをまとめた『赤瓦の家』(韓国語版はオ・グニョン訳、クムギョ出版社、2014年)が出版された。韓国では2000年以降に数度にわたる現地調査を実施し、それをまとめた報告書と沖縄の軍「慰安婦」および軍部に対する諸研究 35が出されている。こうした関心の中で最近、沖縄各島の軍慰安所に関する住民の記憶を中心に分析した洪玧伸〔ホン・ユンシン〕の博士論文も日本語で出版された。 36 地域研究は被害者だけを研究するのではなく、その地域に住む人々と地域の歴史を合わせて考察する作業になる。それゆえ、朝鮮半島の片側に閉じ込められた私たちの制限された視野を拡張して歴史に対する理解を広げる助けになる。

帰還および各地域に対する研究とともに見るべきは名簿である。朝鮮人女性(「慰安婦」)名簿が発掘された地域は、沖縄、上海、タイ、ミャンマー、フィリピン、インドネシア、太平洋諸島などである。名簿の発掘と研究は、沖縄とフィリピンに滞在していた朝鮮人女性に対する方善柱の研究 37によって開始された。インドネシアに関する研究成果 38も重要である。インドネシアに関しては、留守名簿をはじめとして朝鮮人が作ったパレンバン朝鮮人会の名簿など、計361名の女性の名を明らかにすることができた。さらにこの地域にいた軍人・軍属・労務者などの資料(手帳や回顧録、民間作成名簿、写真など)も発掘され、軍「慰安婦」研究に大きく寄与した。この地域では、敗戦時に現地にいた軍「慰安婦」を看護婦とすることで、連合軍が進駐する際に軍「慰安婦」の隠ぺいが試みられていた。インドネシアでは軍「慰安婦」が多様な民族で構成されており、軍慰安所のタイプもさまざまであった。とりわけオランダ軍が戦犯裁判を開いたこともあり、日本軍が物理的強制によって現地人を軍「慰安婦」にした具体的事例が文献資料にも残されている。裁判記録から、連合軍の一員だったオランダ軍が軍「慰安婦」制をどのように認識していたのかも見ることができるが、研究はまだ着手されたばかりの段階にある。

名簿は、そのほとんどが帰還と関連付けられて現地で作られた。名簿を、誰が、なぜ、どのように作ったのかを明らかにすることは当時の状況を理解するためには重要なのだが、簡単なことではない。名簿は、作成主体、時期、目的などによって記載内容にもかなりの違いが出る。名簿に軍「慰安婦」被害者であることが確実に言及されていれば事は簡単であるが、たいていはさまざまな状況を考慮して判断せざるをえない。当時の地域状況や作成意図が明確に分からない場合、名簿に記載された女性を軍「慰安婦」と判断するには、かなりの関連資料や傍証史料が必要である。しかしながら名簿は現地にいた女性たち、カミングアウトしていなかったがゆえに見えなかった女性たちの存在をあらわにし、時空間を確定してくれると同時に、各地の「慰安婦」の数を推定する情報にもなるという点で、とても重要である。このほかにも軍「慰安婦」関連用語の変遷、公娼制と軍「慰安婦」制の関連性、軍「慰安婦」制の運営に共謀した企業や、企業「慰安婦」制など、重要なテーマと研究があるが、ここでは紙面の都合上省略する。

 

 

今後の課題

2011年に憲法裁判所の判決が出てから、関連研究者の層が厚くなり、昨年12月以降、韓国政府の支援のかなりの部分が打ち切られたことがむしろ契機となって「日本軍「慰安婦」研究会」が新たに立ちあげられ、こぢんまりとした小さな研究会があちこちにできている。

今後、一層の進展が見られればと思われる課題としては、まず、植民地性と民族問題に集中していた研究観点を、ジェンダーや階級といった観点へと押し広げていくことが挙げられる。現在、日本軍「慰安婦」研究がゲットー化されている側面があるが、研究者自身がそういった状況へと自らを追い立てた部分がなくもない。植民地性を明らかにすることに軸足を置きすぎて、軍「慰安婦」の被害者個人の認識、家庭史、慰安所生活、敗戦後の人生などを多角的に分析するまでには至らなかったのである。中国のフェミニスト作家である丁玲の作品を媒介に、戦時期に軍「慰安婦」として動員された華北共産党員出身の被害女性を扱った李宣坭〔イ・ソニ〕の論考 39が、私たちを新たな試みへと一歩踏み出させる勇気を与えてくれるのではないかと思う。

第二に、軍「慰安婦」制の運営のための資金の流れを明らかにする必要がある。日本政府から現地軍へ、現地軍から業者などへと流れていったことが部分的に確認されてはいるが、日本軍が軍「慰安婦」制の運営のためにどのような資金を確保し支出していたのか、その資金がどのように循環していたのかについての研究が求められる。

第三に、名簿との関連で地域研究と、軍「慰安婦」の数の推定作業が挙げられる。名簿によって各地にいた軍「慰安婦」の存在を確認できるが、そこからもう一歩進んで、当該地域の日本軍の状況などと合わせみて軍「慰安婦」の数を把握する基礎資料として活用できる。八万から二十万、あるいはそれ以上という初期の私たちの主張では、軍「慰安婦」の規模が二万で日本人がその五分の二を占めていたという日本の右翼の主張に、きちんと対応できない。

第四に、口述に対する理解と分析の作業である。弱者の意見や立場を反映する歴史資料はほとんど残っていないために、これまでも弱者を対象にした研究において口述は大きな比重を占めてきた。初期から軍「慰安婦」の口述に関して多くの議論が展開されており、 40特に証言集第4巻(『強制的に連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち』)に携わった者たちは、この本をつくっていく過程での意見交流と経験をもとに、口述の意味、一般人がきちんと聞くことのできない被害者の声をどのように文字化すべきかといった、口述をめぐる議論をかなりのレベルに押しあげた。 41 しかしながら口述は方法論だけではなく、歴史と被害者(環境、意図や心情など)に対する理解の深さが非常に重要なものとして作用する。よい口述採録法と口述者の理解のための議論は、今なお進行中である。

歴史研究は資料の発掘によって大幅に進んだが、この問題において重要な資料所蔵場所が日本であるということ、そして具体的内容を示す資料のかなりの部分が未公開であることが難点である。この問題は、実際、日韓政府の関係が変化する前には解決困難であった。資料発掘と同様に重要なのは、発掘した資料をどのように整理して研究者が共有できるようにするのかであるが、このために国内関係機関はもう少し努力する必要がある。

昨年12月28日、日韓政府の合意がこの問題に対する認識の共有もままならないまま終わってしまったがゆえに、問題解決はおろか不満と誤解、そのほかにもさまざまな問題が発生する充分な余地を残してしまった。日韓間の歴史論争のなかでも軍「慰安婦」問題ほど、大衆に感情的に受け止められている問題は他にないといえるだろう。そうした問題であればこそ、社会メンバーが納得することのできる充分な議論のプロセスが必要である。東アジアの平和と日韓関係の持続的発展のためにも、過去に起こった不幸な出来事を直視し、理解するための議論が拡がっていくべきである。

 

翻訳: 金友子(きむうぢゃ、立命館大学)

Notes:

  1. 「慰安婦」は日本軍が使用していた歴史的用語であり、その本質は性奴隷だと言える。ここでは歴史用語としての表現は活かすが、日本軍に慰安を与えるという意味の慰安婦ではなく暫定的表現として使用した。
  2. 「『慰安婦強制連行の証拠はない』…日本、国連に公式立場提出」『京郷新聞』2016年1月31日;「日、来年ハリウッド中心部に広報拠点『ジャパンハウス』オープン」『聯合ニュース』2016年3月11日。
  3. 2005年、日韓協定に対する韓国政府の評価に基づいた被害者と市民団体の憲法訴願に対して、憲法裁判所は日本軍「慰安婦」問題について日韓政府間の認識が異なるので1965年の請求権協定に対する議論が必要とされるが、それに向けての努力をしない不作為は違憲であるとして両国間の協議を注文した。
  4. 『ソウル新聞』1946年5月12日、『中央新聞』1946年7月18日など。
  5. 吉見義明『従軍慰安婦資料集』大月書店、1992年。
  6. 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮選書、1999年、120頁。日本の右翼は歴史事実委員会の名で米紙『ワシントンポスト』に「THE FACTS」(2007.6.14)を、米ニュージャージー州の日刊紙『スターレッジャー(The Star-Ledger)』に「Yes, We remember the facts」(2012.11.4)という意見広告を出したが、それらに彼らの主張の核心を見ることができる。
  7. 拙稿「日本軍「慰安婦」問題関連主要動向と争点」韓国女性政策研究院編『日本軍「慰安婦」被害者問題解決のための総合研究1』韓国女性政策研究院、2015年。
  8. 鄭鎮星「軍慰安婦強制連行に関する研究」『挺身文化研究』通巻73号(1998)、韓国挺身隊問題対策協議会『日本軍「慰安婦」証言・統計資料集』女性部発刊資料集、2001年。
  9. ハン・ヘイン「韓国の日本軍「慰安婦」被害者証言の歴史性」、前掲『日本軍「慰安婦」被害者問題解決のための総合研究1』。
  10. 韓国語版は尹明淑『朝鮮人軍慰安婦と日本軍慰安所制度』チェ・ミンスン訳、イハク社、2015年。
  11. 河棕文「日本軍慰安所体系に対する国家関与の歴史的考察」『韓日間歴史懸案の国際法的再照明』東北ア歴史財団、2009年。
  12. 金鍾泌『金鍾泌証言録1』ワイズベリー、2016年、234-39頁。
  13. 拙稿「日本軍「慰安婦」制と朝鮮人女性動員」、前掲『日本軍「慰安婦」被害者問題解決のための総合研究1』、91-98頁。
  14. 同上。
  15. 方善柱「内モンゴル張家口日本軍の慰安婦収入」『挺身隊研究所消息』第30号、韓国挺身隊研究所、2001年。
  16. 安秉直翻訳・解題『日本軍慰安所――管理人の日記』イスプ、2013年。
  17. 徴集の強制性については韓国でも一般社会と研究者の間の認識、そして研究者間での認識のギャップが非常に大きい。
  18. 前出の拙稿で言及したように、新聞には大規模の人身売買犯に対する法的処罰の資料は発見されていない。さらに国家記録院に所蔵されている日帝期の判決文を確認した結果、軍「慰安婦」として動員された場合に適用可能な国外移送罪で処罰された事例は至極少ない。なかでも「慰安婦」としての移送と直接関連したものは一件に過ぎない。これは、日帝の組織的隠ぺいを反証すると考えられる。
  19. 安姸宣『性奴隷と兵士づくり』サミン、2003年。
  20. 古橋綾「元日本軍軍人の観点からみる日本軍「慰安婦」」、前掲『日本軍「慰安婦」被害者問題解決のための総合研究1』。
  21. 日韓両国で論争を巻き起こした朴裕河の『帝国の慰安婦』(プリとイパリ、2013年)が訴訟にまでなった背景には、著者が被害者の痛みや当時の状況に対する認識もないままに、機械的に資料を利用した点にある。
  22. 拙稿「日本軍慰安所の地域的分布とその特徴」『日本軍「慰安婦」問題の真相』;河棕文、前掲論文。
  23. 徐民教「中日戦争と日本軍の展開過程」、前掲『日本軍「慰安婦」被害者問題解決のための総合研究1』。
  24. 国民大韓国学研究所編『韓人帰還と政策』(全10巻)。これと関連して帰還政策とその状況についての論文もかなり多く発表された。
  25. 方善柱「米国資料に現れた韓人「従軍慰安婦」の考察」『国史舘論叢』第37集(1992年)、「日本軍「慰安婦」の帰還――中間報告」、前掲『日本軍「慰安婦」問題の真相』。
  26. 姜英心「終戦後中国地域「日本軍慰安婦」の行跡と未帰還」『韓国近現代史研究』第40集(2007年)。
  27. 拙稿「日本軍「慰安婦」制の植民地性研究」、成均館大史学科博士学位論文、2010年。
  28. 「第二次世界大戦期インドネシア・パレンバンに動員された朝鮮人の帰還過程に関する研究」『韓国独立運動史研究』第41集(2012年)。
  29. 張碩訓「解放直後上海地域の韓人社会と帰還」(『韓国近現代史研究』第28集、2004年)も上海居住僑胞の孔敦について、婦女共済会会長であり終戦後に軍「慰安婦」被害者を救済した人物としているが、彼は慰安所業者だった。現地の事情を詳細に検討すべきであることを教えてくれる事例である。
  30. 村井吉敬と内海愛子の『赤道に埋められる』(キム・ジョンイク訳、歴史批評社、2012年。日本語原本は『赤道下の朝鮮人叛乱』勁草書房)もジャワ島のこうした状況を扱っている。
  31. 2004年に設置された「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」(強動委)では、軍「慰安婦」のみならず軍人・軍属などにも聞き取りを行っているが、これらは「慰安婦」の女性たちと同じ空間で生活していたため、非常に重要な情報を提供してくれた。強動委の業務は2010年から「対日抗戦期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会」が引き継いだが、これも今年、完全に閉鎖される予定である。これらの委員会が生産した資料は非常に貴重な研究資料であるが、現在、一般公開はされていない。
  32. 韓国挺身隊研究所編『2002年国外居住日本軍「慰安婦」被害者実態調査』女性部、2002年。
  33. 「日本軍慰安所の地域的分布と特徴」。
  34. http://www.nahf.or.kr/wianso-map/renewal/index.htm
  35. 韓国挺身隊研究所編、前掲、2002年;拙稿「日帝末期沖縄・大東諸島の朝鮮人軍「慰安婦」たち」『韓民族運動史研究』第40集(2004年);拙稿「日帝末期朝鮮人軍属動員:沖縄への連行者を中心に」『史林』第23号(2005年)。
  36. 洪玧伸『沖縄戦場の記憶と「慰安所」』インパクト出版会、2016年。
  37. 方善柱、前掲。
  38. 日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会『インドネシア動員女性名簿に関する真相調査』(2009年);拙稿「インドネシア・パレンバンの朝鮮人名簿に見る軍「慰安婦」動員」『地域と歴史』第28集(2011年);拙稿「第二次世界大戦期インドネシアに動員された朝鮮人女性の看護婦編入に関する研究――留守名簿を中心に」『韓日民族問題研究』第20集(2011年)。
  39. いくつかの論考があるが、近著として『丁玲――中国フェミニズムの旅程』ハンウル、2015年。
  40. 韓国挺身隊研究所「座談会:私たちはなぜ証言の採録をしてきたのか」『強制に連れて行かれた朝鮮人慰安婦3』;コ・ヘジョン「日本軍「慰安婦」被害者らの証言を記録して」『実践文学』2001年。
  41. 梁鉉娥「証言と歴史記述――韓国人「軍慰安婦」のアイデンティティの表象」『社会と歴史』第60号(2001年);キム・スジン「トラウマの表象とオーラルヒストリー――軍慰安婦証言のアポリア」『女性学論集』第30号(2013年)などを参照。

総選挙後、市民政治の道を問う

2016年 夏号(通卷172号)

総選挙後、市民政治の道を問う

鄭鉉坤(チョンヒョンゴン):政治学博士。細橋研究所の選任研究員。市民社会団体連帯会議の政策委員長。共著として『天安艦を問う』がある。Email:jhkpeace@empas.com

<読後感>
この間、戦後日本の基軸として機能してきた「平和主義」は、今や東アジア冷戦70年の歴史に金縛りにされている。日本独自での自己変革の可能性がほぼ消滅した今日、著者のような韓国の市民運動家との「対話」を通じ、日韓両国社会の現状認識と相互理解を深めていく必要がある。

何と、またもや政党の時代なのか。4月13日総選挙後、すっかり「起―承―転―政治」となった騒ぎが、この時期の特徴を証言する。政党政治の軽さは信じられないほどで、市民が復元させたこの政治現象を、私たちは不安な気持ちで眺めている。

今回の総選挙をめぐり、みんなが意外の結果だと語っていたが、市民の胸にしこった痛みと憤怒を考えれば、それほど驚くべき結果でもないだろう。そうした点でみれば、だまされ続けているという心情で政党を眺めるだけでは物たりない。政治変化に向けた市民の叫びに比べ、対策のない市民社会を叱咤するのがまず先ではなかろうか。

「何かでもする人」、今回の4・13総選挙を準備しながら、市民社会団体が自らを表現した言葉である。この言葉には二つの意味が含まれている。一つには切迫感である。失政をおかしても弱体な野党とマスコミの掌握によって選挙で圧勝を重ねる政府と与党を想像するのはあまりにもつらいことなので、「何かでも」やるべきだった。 1 また、無力感もあった。朴槿恵政権を審判すべきだという課題を掲げながらも、とにかく選挙で政党に影響を及ぼす方法がないのが胸苦しい。それでも「何かでも」すべきなら、それは確かな「何か」がないことを吐露するに他ならない。

それに反し、政党体制はその支離滅裂さにもかかわらず、今回の選挙を通じてまたもや生き残った。もし政府与党が自ら豪語したレベルの議席を獲得したならば、私たちの政党体制は亀裂を超えて破壊レベルに達したかもしれない。それは政府を牽制して国民の声が収斂される議会空間の萎縮へと至っただろう。だが意外にも、市民が政党体制を生き返らせた。国会はふたたび意味ある民主政治の制度的な役割を果たせるようになった。しかし、今の政党が民主政治に向けた市民の望みに適うかどうかは依然疑問である。この間、数多くの革新をわめきながら、脆弱な政党構造を克服できなかったからである。そうした点でみれば、自ら答えを見つけがたいのもまた政党である。

 

市民社会の政治企画の転換

李明博(イ・ミョンバク)政権の二年目、民主の危機が民生の危機を煽っていた2009年頃、市民社会は政府の横暴を退けるために一連の政治企画を準備した。 2 この政治企画は創党を目標にするとか、または政治を対象化して市民社会の直接的な政治介入の力を構成するという点で新しかった。この企画の第一次目標は2010年6月の地方選挙であり、次いで2012年総選挙と大統領選挙も念頭においた。こうした問題意識を込めた政治言説が市民政治と連合政治であり、有力な道具として「希望と対案」が同年10月に創立された。当時の論議で市民社会が掲げた論点が三つある。第一は既存政党の中で政治ブロックを志向しない独立的な企画という点、第二は既存の政治的中立というテーゼを超えるという点、そして第三はそれでも新たな政党を図らずに、むしろ新たなビジョンと勢力、メディア、政治と社会組織を再構成すべき様々な空間を生み出すというものだった。 3 ここで「希望と対案」は、政党と市民社会を組み合す一種のかすがい的機能を遂行する機構として政策連合、価値連合という、少し意味ある政治連合を図った。こうした政治企画は、2010年地方選挙で与野党の1対1対決構図を描いた候補単一化としてうまく作用し、選挙勝利を導いて光を放った。 4

また2011年8月、呉世勲(オ・セフン)ソウル市長が無償給食の賛否を住民投票にかける無理な手法の末に市長を辞め、朴元淳(パク・ウォンスン)弁護士がソウル市長選挙に出馬する。当時、市民社会人士である朴元淳が民主党の朴暎宣(パク・ヨンソン)議員を下してソウル市長の野党統一候補になる過程は、安哲秀(アン・チョルス)に代表される新政治に対する期待と符丁を合わせ、既存の政治と政党体制への市民の強い拒否感が表れたものだった。結果的に、朴元淳のソウル市長当選は市民社会のイニシアティブに基づいた連合政治という政治的企画が一つの頂点に達したことを知らしめた。

当時、市民社会の政治企画とは別個に市民社会と政党の統合を模索する「市民政治」活動も活発だったが、彼らは国民の命令、進歩統合市民会議、民主統合市民行動、市民主権、「私が夢見る国」 5などの名前を掲げた。

2009年から続いた連合政治の努力は二つの流れに集約される。一つは2012年1月、市民社会人士の一部と第一野党が合流した民主統合党の創党、第二野党と市民社会人士の別の一部が合流した統合進歩党の創党がそれである。民主党内の政治ブロックや新しい政党の計画という点で、この結果は市民社会の政治企画に適うものではなかったことがわかる。もう一つは市民社会の元老・重鎮と「市民政治」団体の代表で構成された「希望2013・勝利2012円卓会議」である。この円卓会議は野党四党の代表とともに、10・26ソウル市長選挙に共同対応するという合意をつくりあげ、その余勢を駆って野党と市民社会で共同して2013年ビジョン作業を率い、「希望と対案」後の連合政治の橋頭堡として活躍した。しかし、2012年民主統合党と統合進歩党という野党体制ができた後、その活動領域は主にメッセージの発信にとどまるようになる。 6

当時、市民社会の政治企画は半分の失敗といえる。市民が政治に参加できる多様な空間をつくりだせなかったからである。2012年、安哲秀候補のキャンペーンまでを政党領域と理解するなら、積極的な市民社会の運動勢力が政党内に急速に吸収される流れがみられる。その上、そうして形成された政党は自らの政治的利益と政治工学にかたよって2012年の重要な二つの選挙で市民に大きな失望だけを残した。結局、政治行為者としての市民は市民政治の不在の中で、相変わらず個人としてのみ存在していたのである。 7

地方自治体と市民自治の成長

2009年市民社会の政治企画に半分の成功があるなら、それは2010年地方選挙で野党勢力が得た勝利だった。この選挙で忠清南道と慶尚南道、江原道で地方自治体のトップ交代が実現した。李明博政権がみせた民主主義の逆走への批判的性格が強かった上に、当時の地方選挙には市民の主権的な行動意志が強く刻まれた。市民意識の成長と地方自治体の民主的な構成をより明確に示したのは、2011年秋のソウル市長選挙だった。無償給食という議題の政治化が地方自治体の争点として再点火された条件下で市民意識が大いに高揚したのである。2012年慶尚南道金斗官(キム・ドグァン)知事の突然の大統領選への出馬で、慶南道民の自治の道が後退する痛みを経験したが、 8 地方自治体に参加して責任も担うという市民自治の意味は2014年の選挙でも維持された。2014年の地方選挙では安煕正(アン・ヒジョン)忠清南道知事と朴元淳ソウル市長の再選も注目すべきことだが、与党側人士である南景弼(ナム・ギョンピル)京畿道知事と元喜龍(ウォン・ヒリョン)済州道知事が連合政治・協治を論じ、市民自治の形成に有利な環境がつくられた点が注目される。

地方自治体レベルで市民自治の意味は、地域共同体運動と福祉運動が結合する現場で現れた。京畿道を例にとれば、「あたたかく幸せな共同体」略して「タボㇰ共同体」を、行政と市民が共同責任で構成していく動きが際立つ。タボㇰ共同体は市民の生活の場である地域共同体の持続可能性を志向しながら、その核心要素である福祉問題をめぐって国家あるいは地方自治体の財源投入という伝達体系に局限せずに、地域自らが生活経済をつくりだすのに関心を寄せた。2015年12月に開催された京畿道のタボㇰ共同体祭りは31の市・郡の地域活動家と社会的経済の関係者1004人が集まり、別名「天使ネットワーク」を構成し、自治体行政に参加しながら責任を分かちあう市民自治の一形式を示している。

これに比してソウルの場合は、近隣単位としての洞と福祉の連携が相対的に強調される。ここでは、いわゆる国家公共性の危機の対案として、生活公共性または地域公共性が強調される。生活公共性は私的な生活領域を抑圧したり、解体する国家権力と市場権力に対抗する防御壁として、市民社会と地方自治体の公共性を構築する新たなフレームとして提案され、 9 「マウル(村)」がその実現単位になる。そしてソウル市は「移動する地域福祉センター」と「マウル計画」、「マウル総会」を掲げる。ここでマウル総会とは、個人の必要と欲求を基盤にして共通の議題に合意し、メタ議題を描き出すマウルの「公論場」になるわけだ。このマウル公論場を通じて、住民は国家共同体の主権者である市民に生まれ変わるのである。 10

市民が自治体運営に直接参加して責任を担う場合、市民意識がより成熟するという点は明らかである。特に住宅、保健、交通、教育サービスのような重要な公的日常が国家よりも地方自治体を通じてより多く左右されるならば、地方はすでにそれ自体で政治共同体として機能するようになる。そういう点で、市民は地方で政治を始めるようになったといえる。

 

政党と市民社会の関係の再構成

市民社会と政党は、実体としての政治空白と制度としての政治回復が繰り返される局面で、互いに関係してきたといえる。街頭での政治と議会政治の循環は確かに不安定である。
市民社会と政党間の共同企画は、1986年に発案された直選制の改憲運動が一つの模範である。1980年軍事クーデターで執権した軍部勢力が大部分の政党を解散させ、自らの民主正義党と上辺ばかり野党の民韓党で辻褄を合わせていた頃、普通の与野党の政党体制は運営できなかった。1985年2月の総選挙を契機にして金大中(キム・デジュン)と金泳三(キム・ヨンサム)が率いる新民党が野党として再構築され、彼らの勢力は直選制改憲を主唱した。直選制改憲は、文字通り、市民的権利として大統領を選出しようというもので、当時すべての市民の政治動力を引き出すプログラムといえた。実際、直選制改憲で政治化されたイシューは街頭闘争によって実現した。全斗煥(チョン・ドファン)政権は学生の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)を拷問で殺害し、4・13護憲を強要しようとしたが、市民社会と野党は民主憲法争取国民運動本部を結成し、これに対抗してついに勝利をおさめた。大統領直選制という手続き的民主主義の基本形式が市民抗争によって樹立されたという点で、韓国は1987年6月になってようやく本来的な意味での選挙と政党制度が始まったといえるだろう。

しかし、この時期の政党構造は政治学者が理想的に描くタイプ、例えば「社会のバランスの上に立つ様々な集団の利益と情熱を複数の政党が競争的に動員し、自らの支持基盤を拡大しようとする党派間競争の効果」 11が作動する、そうした政党構造には程遠かった。したがって、資本主義の経済構造から疎外された弱者の要求が活性化された政党政治を通じて、国家の政策決定に反映されるのは難しかった。相変わらず政党は政治を職業とするエリートの寡頭体制に留まっていた。こうした政党が官僚化するのは必然だった。これに韓[朝鮮]半島の分断体制が作用して守旧派優位の保守構図が政党構造にも内在化され、与野党の対等な両党体制は定着できなかった。政党構造のこうした弱さは、1991年に野党党首の金泳三が率いる統一民主党が慮泰愚(ノ・テウ)の民主正義党と合党して民主自由党を創党したのによく表れる。当時、民主自由党の創党はエリートによる私党的な性格の政党が大衆の選択に逆らって政治家個人の利益を求める形態をよく示しているといえよう。結局、1987年以後民主化の拡大により成長した市民社会運動が政治と遭遇した現場は、2000年総選挙時の落薦・落選運動だった。不正と腐敗で対象化された存在、それは市民社会が政党を眺める明確な観点だった。

逆説的にも、政党と政治に対する市民社会の叱咤は一種の権力移動を呼び起こしたが、それは2004年総選挙を契機にして明確になった。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に対する弾劾に対抗して、市民の投票権運動が野火のように起きた2004年は、当時の与党であるヨルリン・ウリ党(以下、ウリ党)が過半数の議席を獲得し、労働組合が中心になった市民社会主軸の民主労働党がついに国会内に進出した特別な年として記録された。民主政権とともに新たに完成された国会の民主政党優位の構図は、社会的テーマが主に国会を通じて論議されうる基盤となった。市民社会人士の国会進出ラッシュも、この時に主にみられた。一種の勢力移動が同時に達成されたのである。

しかし、こうした流れが政党構造の弱さを克服したわけではなかった。私党的な性格、官僚政党の問題点は相変わらずだった。それは2007年8月、ウリ党が所属議員の連鎖的な脱党形式で大統合民主新党に吸収され、歴史の中に消えていく離合集散によって確認される。2004年当時、国会に進出した市民社会人士も独裁に対抗した勇気と献身、道徳性にもかかわらず政党構造の後進性を克服できなかった。民主労働党は党職者が夜昼問わずに努力して作成した進歩的な政策アジェンダが空中分解し、党内覇権主義の形態と対北追従の理念偏向を制御できずに、市民と縁遠くなって座礁するに至った。

ここで市民社会運動は依然として政治不在の渦中で、政治を奮い起こす役割をしたと評価しうる。代表的な例が2008年ローソクデモである。当時ローソクデモは、米国産牛肉の輸入交渉の過程で政府が国民を騙したことに対する抗議から始められたが、同年総選挙で政府与党が過半数を得た後、政府与党に無力な政治無能に対する反発であったといえる。2010年地方選挙と2012年総選挙はそれでも少し良くなった面があったが、市民社会と政党の連合政治が部分的にも作用したからである。しかし、リーダーシップ不在による大統領選挙の敗北後に野党性は薄まり、結局、2014年セウォル号の涙は政治の失踪と対比されて市民の記憶内に刻まれた。金漢吉(キム・ハンギル)・安哲秀共同代表体制の2014年7月30日補欠選挙の敗北、朴暎宣へと続いた新政治民主連合の非常委員会体制の混乱、2015年文在寅(ムン・ジェイン)党代表体制まで、すべてがこの責任の当事者である。それから2年、驚くべきは市民が再び政治をつくり出すという奇跡を示した。2016年4月の政治回復は、市民が自発的に戦略的な選択をした結果という点で、むしろ政党と市民社会の覚醒を促したといえよう。

私たちは今後も制度圏政治の失踪と街頭での政治を、多かれ少なかれ、経ることになるだろう。選挙と政党制度は、今後も国家共同体運営の制度的形式において核心をしめるもので、政党を革新すべく進歩的対案を探さねばならない。市民が政党に対する介入能力を強化しうる方法、そしてそれが政党民主主義にまで連結される接点を探し出さねばならない。ここに市民政治の道がある。

 

言説、地域、そして連合政治

市民社会の政治企画が成功するために必須の要素として言説、地域、連合政治の三つを提案する。
まず言説である。市民社会は利害関係者の集団としての実行力よりも、言説能力の面でより優れる。もちろん利害関係者の集団は政治力を発揮する。代表的なのは韓国労総などの労組がそうである。しかし、市民社会運動は参与連帯、環境運動連合、女性団体連合でさえ、利害関係者というよりは特定の価値集団、または専門家集団というイメージが濃く、強みも言説能力により優れている。

しかし、2016年総選挙ではこうした市民社会の言説能力をうまく活かせなかった。今回の総選挙の政党領域では、「政権審判論」と「政治審判論」の間に「両党審判論」が角逐する言説闘争があったと思われる。ただ、この言説は一種の証拠目録が連結されるレベルで駆使され、投票行動の基準になる選挙言説は「自派政党支持」という線に固定化された。これに比べて市民社会の場合は、「総選ネット」の落薦・落選運動に代表される一種の「個別候補審判論」ないし「アウト目録」以外に、元老である白楽晴の選挙言説の完成度が高かった。 12 「再び民主主義フォーラム」が掲げた候補単一化の主張の場合、「単一化をしなければ、野党勢力単一化に対して消極的で、政略的な態度で拒否する党と候補を落選させるように国民に促す」べきことを鮮明にしたという点で言説の効力は弱かった。これは事実上、「国民の党」の辞退運動であり、各政党が展開した自派政党支持と同じ意味をもつからである。市民社会が伝統的に優位な領域である言説能力は、なぜ今回の総選挙では萎縮したのか、まじめに考えて評価すべきであり、言説能力を復元させる必要がある。

第二に、地域である。自治の経験を通じて成長する市民は地域の中で自らを政治勢力として形成していく。これは特定の首長の政治的性向の問題ではなく、必要による選択の結果である。その必要は住宅、教育、医療、保育、福祉、雇用、交通、安全問題などに発現される。すべて市民の生活問題という点で当事者である市民の意思決定への参加が、問題解決の鍵になる領域である。参加のレベルも予算決定権まで進んでいく過程である。ここでは、地方自治体と市民の協力が問題解決の核心哲学であり、方法になっているのだ。問題は、過半数以上の共通した支持を形成する「政治勢力としての地域」になり得るか否かである。もし地域が政党の影響力が及ぶとおりに区分されるならば、地域は政治勢力ではなく、単なる空間にすぎなくなる。少なくとも資本の都市開発と富の蓄積領域をめぐる利害葛藤を除けば、地域は生活領域で共通した政策合意を生み出す点では中央よりも優れている。 13 地域に存在する諸般の政党勢力が協力しうる可能性も増大する。「政治勢力としての地域」が機能するという話だ。こうした問題意識は地域政党(local party)を志向するという意味ではない。相対的に平等で、普通の影響力の下で多様な社会勢力、政治勢力が共同の政治目標をつくり出しうるという意味である。

第三に、連合政治である。連合政治は共同の価値をもつ勢力連合を意味する。その基礎は民主主義だといえるが、多様な集団の多様な利害関係が多様な社会勢力、政治勢力として反映される構造だからである。今日、連合政治の課題は選挙時ではない日常時に作動されるモデルをつくり出すことである。選挙政局ではすでに多数と少数が定められた構図で、まるで株主総会のように議員数や支持率などによって差別される可能性が大きいからである。日常の連合政治はアジェンダを通じて発現されざるを得ず、それは日常の暮らしと政治を連結する地点で形成される。そういう点で、日常の連合政治アジェンダは地域懸案の生活力が全国的な政治懸案として成長し、さらに韓半島全体の脈絡まで探知する必要がある。特に韓半島の問題は、私たちにすぐにも迫りくる対北イシューと連結し、マウル単位から国家単位に至るまで勢力連帯の基盤になっている。

連合政治では共同善に密接な市民社会のイニシアティブが貫徹されるべきだと主張する理由は、政党の「セルフ(自己)」革新が期待できないからである。市民社会のイニシアティブは内容的には民主・民生・平和から形成され、これが政党の民主的土台を強化してくれる。政党の革新において韓半島の平和がともに強調される理由は、韓国社会における民主主義に対する挑戦が、主に分断体制を媒介にして増大されてきたからである。 14

今日、市民社会団体は成長している市民の中に入っていくべきだ。市民的感受性の中で言説を練磨せねばならない。市民が暮らす地域で運動のエネルギーを充電すべきである。地域と全国、韓半島が連結されるアジェンダを通じ連合の実験を続けねばならない。「ともに幸せな金海」「自然と共存する江原」などが「平等な大韓民国」「平和な韓半島」と縦横に編みこむ構図である。それぞれの構造に社会運動の推進者が自らを組織して関係をネットワーク化するだろう。

地域住民の生活に根ざすが韓半島問題まで思惟する市民政治、政党に進入する通路より政党とともに歩む市民政治を、今こそ本格的に始める時が来たのだ。

翻訳: 青柳純一

Notes:

  1. 市民を失望させた代表的な選挙は2014年7月30日補欠選挙である。その年4月16日にセウォル号惨事が起き、朴槿恵大統領をはじめ政府の責任が厳しく追及されて与党惨敗が予想されたが、結果は反対に11対4で与党が勝利した。この選挙後、政府与党はセウォル号事件に対して反省のない非協力とあきれた態度を露骨化させた。
  2. 李南周は、進歩改革勢力が政治的民主化と経済民主化を区分することで、李明博政権の民主主義逆走を見過ごしたことを指摘し、危機克服のために「進歩的な政治勢力、自由主義的な改革勢力、市民運動」間の政治連合を提案した。李南周「政治連合、進歩改革勢力の相生の道」『創作と批評』2010年春号、を参照。
  3. 2009年市民社会の政治・社会的企画の問題意識については、河承昌「再補選後の進歩陣営の戦略的課題」『創作と批評』2009年夏号、を参照。
  4. 当時、市民社会と政党間の連合政治の動力については、白承憲「連合政治論議、今こそ成果を示す時である」『創批週刊論評』2010年2月24日(http://weekly.changbi.com/?p=873&cat=5)、を参照。
  5. 「私が夢見る国」は他の「市民政治」グループとは異なり、市民社会内に位置した独立的で持続可能な市民政治の領域を追求した。シンクタンクと進歩メディア、そしてメッセージ・センターが連携した市民政治組織がそれであるが、彼らのネットワークがオンラインでプラット・フォームを構成するように設計した。しかし、「私が夢見る国」は受権的革新政党の建設を通じた政権交代と市民政治の基盤構築という課題を同時に掲げ、力のバランスが政党側に傾いていく限界を経験する。
  6. 円卓会議が発したメッセージで注目すべきものとして、2012年8月23日に発表した安哲秀候補の出馬関連声明と、11月1日に行われた文在寅─安哲秀候補間の政治革新の対話を促す論評がある。英知を示したという点で、選挙言説の意味をあらわすメッセージ活動のよき事例といえよう。
  7. 2012年大統領選挙の時期に生活現場の運動がなかったわけではない。代表的な例が「経済民主化と財閥改革のための国民運動本部」の活動、済州島のカンジョンから始まった万民共同会、双龍や龍山など社会的被害者の座り込みテント村運動がある。その他に、安哲秀と文在寅間の連帯を社会勢力連帯の意味に拡げようとする新たな努力の一環として、「反特権連合」を実現させようとする活動も進められた。だが、すべて両候補陣営と連係されず、政治的企画として実現できなかった。
  8. 当時の慶尚南道の協力的施政については、任根宰「地方連合政府の実験とその評価」『創作と批評』2010年冬号、を参照。政党と市民社会の共生、行政とのパートナーシップという話題を供して新たなモデルを実験していたが、道知事の突然の辞任により水泡に帰した。
  9. チョ・デヨプ「公共性の社会的構成と公共性フレームの歴史的類型」『アジア研究』第56巻2号(2013年)、を参照。
  10. 柳昌馥「マウル共同体政策と地域社会の市民生態系」『創作と批評』2015年冬号、を参照。
  11. 朴相勲『政治の発見』、ポリテリア、2012年、124頁。
  12. 白楽晴が自らのフェイス・ブックに上げたこの文章は、マスコミに報道されて「共有」される方式でSNSに広がった。この文章には、「ともに民主党」と「国民の党」の選択に苦心する光州・全南の有権者に必要な論理、好きな政党への比例区での選択と当選可能な野党に投票する地域区という戦略的論理が込められた。白楽晴「楽な気持で投票しましょう」2016年4月6日(http://www.facebook.com/Paik.Nakchung/posts/1066711833388500)。
  13. もちろん、市民自治は特定の議題、プロジェクトで露呈する異なる勢力の連結と連帯だけで成立するわけではない。地域でも土建の論理は最大の政策争点である。土建は与野を分かたず、江原道で加里旺山の開発をめぐって崔文洵道政と環境団体が激しく葛藤した事例がある。市民の政治化は少なくとも政策レベルの対立を管理すべき民主主義の運営能力までも含める。
  14. 2012年統合進歩党は連合政治への参加勢力だったが、解体されていく過程もそうだが、「李石基事件」を契機に政党を解散させようとし、憲法裁判所まで加わって大法院の決定に反する行為をするとか、テロ支援法を通じて国情院の市民監視が強化される現象などが、その事例といえよう。

読みかけのデリダ

2016年 夏号(通卷172号)

東浩紀 『存在論的、郵便的』、図書出版b、2015

陳泰元(ジン・テウォン) / 高麗大学民族文化研究員HK研究教授(jspinoza@empas.com)

まず最初に、東浩紀という人物が筆者にとってはあまり馴染みのない人物であるということを断っておきたい。書評の対象である『存在論的、郵便的-ジャック・デリダについて』(『存在論的、郵便的』、ジョ・ヨンイル訳)は勿論、彼の著書が国内でも何冊か翻訳されてはいるが、筆者は東浩紀がどんな人物か、よく知らない。率直に言えば、筆者は日本の文化界、及び学術界に関してはかなり無知な方である。韓国で多くの作品が翻訳されている柄谷行人の本を2、3冊読んだ程度で、他には西川長夫や鵜飼哲の作品、そして最近国内に紹介された佐藤嘉幸のような若手研究者の現代フランス哲学に関する研究書を必要によって何冊か読んだ程度である。

にも関わらず、この『存在論的、郵便的-ジャック・デリダについて』の書評を書こうと決心したのは、この本の内容がデリダ(J. Derrida)に関する研究であったからだ。そして、この本が20代半ばの東浩紀を一躍柄谷行人の後継者として浮上させた力作であるという噂を以前から聞いており、果たしてどんな作品であろうかという期待感もあった。しかし、その一方では、これまで読んだ何人かの日本の学者や批評家の作品がそれほど印象的ではなかったため、今回も実際は噂ほどではないかもしれないという不安感もあった。結論から言うと、この本は筆者の期待感と不安感の両方が的中したと言えよう。力作と言えるほどの長所と自分の知的成就を自ら蚕食してしまうような弱点が同時に見られるからだ。

この本は4章で構成されており、最初の文章で著者は「本書の目的は、ジャック・デリダに関する解説」(9頁)と明かしている。しかし、これは単純にジャック・デリダに関する解説書というよりは、一つの執拗な問いをベースにデリダの思想を再構成し、さらにはそれを脱構築しようとする野心が窺われる本である。この本における中心的な問いは「一体なぜデリダはあのような奇妙なテクストを書いたのか」(13頁)である。ここで言う奇妙なテクストとは、1970年代に刊行されたデリダの『散種』(La dissémination, 1972)、『弔鐘』(Glas, 1974)、『絵画における真理』(La véritéenpeinture, 1978)、『葉書』(La carte postale, 1980)などの著作のことだ。これらのデリダの著作の奇妙さは、1960年代の著作物とは違い、もはや「制度的な「論文」、「著作」の体系」を守らず、極度の実験的なスタイル、頻繁な新造語の出現、デリダ自身のあらゆるテキストに対する暗黙的な参照などによって極度に難解であるというところにある。筆者によると、このような変化は単に「理論化のコンスタティブ(constative)な形態からエクリチュール(écriture)のパフォーマティブ(performative)な様態」への転換を意味するのはなく、「デリダ自身の躓き」(15頁)を意味するのである。

では、どのような「躓き」が問題なのだろうか。そしてデリダは「何に躓いてしまったのだろうか」。この問いへの解答を我々はこの本の後半で見つけることができる。それは、1970年代の実験的なテクストを通じて「ハイデガーのように深淵を思索する「偉大な」哲学者」(263頁)になることを拒もうとしたデリダが、「デリダ派」(397頁)と東が呼んでいる転移のメカニズムに囚われてしまったということである。つまり、デリダは自分自分が師として崇拝され、自分の哲学的主題とスタイルが模倣されることによって、自分を中心とする一つの(又は幾つかの)学派が生まれること、言い換えれば自分自身が一種の超越論的な中心、不在であれば不在であるほど一層崇高な、そんな中心になることを避けるため「郵便的な脱構築」(235頁)を試みたのであるが、1980年代以降、彼はその転移から抜け出すことができなかったのだと主張している。特に東浩紀が『葉書』で詳細に分析しているのは、このような転移を巡る哲学的・精神分析的・政治的争点である。

この本の核心的な主張は、デリダの脱構築は二つに分けられるという点に集約されている。東が柄谷行人の示唆を受け「ゲーデル的脱構築」(又は、否定神学的脱構築)と名付けた一つ目の脱構築は、ある一つの体系から出発し、その体系の内在的な逆説を露にするもの、即ち「オブジェクトレベルとメタレベルの間の決定不可能性によりテクストの最終的な審級を無効化する戦略」(111~112頁)であり、特に初期のデリダの作業がこれに当てはまると見ている。そして、デリダには、これと区別されるもう一つの脱構築が存在すると東は主張しているのだが、それが郵便的脱構築である。「郵便=誤配システム」(185頁)と呼ばれている郵便的脱構築は、ハイデガー、ラカン、クリプキ、ジジェクが抜け出すことのできなかった否定神学的脱構築の限界を乗り越えるものである。なぜなら、郵便的脱構築を集約する「手紙が届かない可能性」という命題は「シニフィアンの分割可能性」(117頁)を指しており、従って「非世界的な存在を複数的で能動的に把握」(204頁)できるからである。逆に、ゲーデル的脱構築における超越論的シニフィアンは「郵便空間が招いた「幽霊的効果」、「不可能な」ものの複数性を抹消」(155頁)させた結果である。

東は、デリダ自身すら明確にしていない郵便的脱構築を作業の仮説として設定し、4章においてデリダを飛び越え、カルナップ、ハイデガー、フロイドなどのテクストを論理的脱構築と郵便的脱構築の接合という視点から検討している。そして、372頁以降からは精神分析的な「転移」の問題を提起しながらも詳細な分析へとは進まず、唐突に議論を終らせている。これは、先述したように、彼が「転移」作用から抜け出すことを郵便的脱構築の核心であると見ているからであり、デリダ、及びデリダ学派に関する議論と参照を中断すること、そしてデリダに対する読解を中止することが、「デリダ派の転移」(398頁)、即ち西洋の形而上学の体系を根源的に脱構築しようとしながらも、絶えず脱構築的な論文と著書を書くことによって、寧ろこのような形而上学の制度を持続させ、デリダを含めた脱構築思想を形而上学の一部へと同化させてしまうような結果から切り離す方法だと信じているからである。

この本の独創性は、『葉書』をデリダの思想の中心(又は、中心でない中心)として設定しているところにある。特に二つの論が印象深い。一つ目は、1章と2章におけるソール・クリプキ(Saul A. Kripke)の命名理論に対する脱構築的な読解で、ジジェクの精神分析的な批評を遥かに乗り越えた興味深い分析である。二つ目は2章と3章で展開されている郵便的脱構築に関する論であるが、『葉書』に関する分析の中では最も優れた分析の一つではないかと思われる。

その一方で、この本には明確な弱点と限界も見られる。何よりも「ゲーデル的脱構築」に対する異常な執着と思えるほど、ゲーデル的脱構築、否定神学的脱構築に関して繰り返し述べられている。しかし、その内容は非常に単純で貧困である。唯一の超越論的中心、且つ逆説でのみ表現されているため、接近不可能な中心を設定する思想が、彼の言うゲーデル的脱構築であるからだ。初期のデリダの作業(ひいてはラカンの思想)が果たしてそのようなゲーデル的脱構築へと還元されるかどうかも疑問だが、ゲーデル的脱構築と郵便的脱構築という二元論的な問題設定がデリダの思想を分析するに適当かどうかという問題には一層の疑問を抱きざるえない。そういう点からすれば、彼が「類似超越論」(quasi-transcendentalism, 翻訳本では「擬似超越論」(258頁)と訳されている)に関して、たった一度、それもゲーデル的脱構築の一つの表現に過ぎないと述べているのは非常に偏執的と言える。なぜなら、私見としては、類似超越論こそ、彼が作為的に設定したゲーデル的脱構築と郵便的脱構築の二分法を「脱構築」可能にする問題設定であると思うからだ。この本の中で議論を中断すること自体が東自身の観点では一貫した態度に思えるかもしれないが、彼がこれ以上の議論を進めたとしても、デリダ思想に関して果してどれ程多くのことを見出すことができたかは疑問である。

最後に、非常に専門的な哲学的議論を取り上げているにも関わらず、読みやすくなっているのは翻訳者の努力によるものと思われる。多少残念な点は、韓国では使われていない日本語の表現(「遡行」「閉域」「知見」「備急」など)が少なからずそのまま使用されているため、スムーズな読書を多少妨げるという点であろう。

翻訳:申銀児(シン・ウナ)