< 1 2 3 >

特集  李明博政府、このまま5年を續けるのか

韓洪九 (ハン・ホング) hongkoo@skhu.ac.kr
聖公開大学教養学部教授、平和博物館建立委員会常任理事。著書に『大韓民国史』(全4冊) 『ヒトデ』(共著)などがある。


1. 韓国現代史の予測不可能性

5月2日、ソウルの清渓(チョンゲ)広場で女子中高生らが小さなキャンドルに火を点し始めた。そしてそのキャンドルの炎は今も衰えることなく点されている。最初のキャンドルに火が点される一週間前にはここまで大げさな事態になるとは誰も予想できなかったであろう。韓国の現代史の特徴の一つは予測不可能性と言えよう。歴史というものが元々予測不可能なものであるのか、或いは韓国の大衆が格別力動的なのか、それとも知識人たちが未来を見通すことができないのか正確には分からないが、韓国現代史は予測のできない逆転が繰り返された歴史であった。なぜ我々は大衆の力動性を読み取ることができなかったのだろうか。それは恐らく我々が大衆を信頼していなかったためであろう。

韓国の民主化や進歩的な変化を望んでいた人々にとって2006年と2007年は残酷な時期であり、暗澹な状況であった。80年代の民主化運動において一定の象徴性と代表性を有した金槿泰(キム・グンテ)議員は李明博(イ・ミョンバク)候補の大統領当選が有力視されると「韓国の民主主義と経済発展を達成させた国民が呆けてしまったのではないかと懸念される」という「痴呆症発言」により問題になった1。暗澹とした70、80年代に我々が大衆の力を信じていなかったら果たして民主化運動や民衆運動のために自分自身を投げ出せただろうか。社会運動とは最も暗澹な状況の下でも大衆の中に芽生えた小さな炎を見つけ育てることから始まるものだ。ところが我々は2006年と2007年、ただ大衆のせいにばかりして何もしようとしなかった。一部の人々は政界に進出した民主化運動出身者たちに状況の深刻さを警告したりもした。その度に「大丈夫。どうせ二大政党の状況で大統領選挙は5%以内の戦いだ。このぐらいの格差は心配ない。」という答えが返ってくるだけであった。しかし選挙の結果、5%どころか5百万票という大差であっけなく敗れてしまった。

進歩陣営の事情も大して変わらなかった。2007年度初期には大衆の情緒や感覚とはかけ離れた「進歩論争」で明け暮れ2、大統領選挙敗退後は民主労働党の内紛により進歩新党が決別した。その結果2008年度の総選挙では民主労働党の議席は半数となり、進歩新党は一人も議員を出すことができなかった。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権中、民主労働党はウリ党との違いをはっきりさせるために努力してきた。しかし民主改革陣営と進歩陣営は大衆の目には同じ集団として写り、両党は共倒同亡の道を歩む結果となった。残念ながら進歩陣営は中道改革を主張したウリ党の対案とはなり得なかった。大衆がウリ党に背を向けたのは当然のことであるが、分かりにくいデモ用語で喧嘩しあう進歩陣営もやはり大衆から徹底的に背を向けられた。

進歩陣営も大衆の変化が読み取れなかったのである。筆者は2007年1月に朴鍾哲(バク・ジョンチョル)烈士の20周期の追悼式に招請講演者として招待された。追悼式に行ってみると、お洒落な服装の20代の女性たちが10名程来ていた。KTXの女性乗務員であった。朴鍾哲人権賞を受賞した縁で追悼式に参加したそうだ。審査委員が誰だったのかは分からないが、適切な受賞者選定であったと思われた。見た目は華やかだが、実情は新自由主義のリストラにより崖っぷちに立たされた非定期職(非正規雇用)の女性労働者を代表する者たちである。皮肉にも彼女らを崖っぷちへと追い込んだ鉄道公社の社長は70年代の民主化運動の象徴的な人物であった「戻ってきた死刑囚」李哲(イ・チョル)であった。KTXの支部長がマイクを握りこう語った。身も心も疲れ果てていた時、受賞されるという電話をもらって「おい、賞がもらえるぞ」って叫んだら事務室にいた10人余りの職員が歓声をあげて喜び、そして電話を切ってからお互いに顔を見ながら「ところで朴鍾哲って誰?」と聞きあったそうだ。KTX女性乗務員は現在の韓国社会の非定期職問題においてかなり象徴的な意味を帯びた闘争の最前線を守っている。ところが彼女らは民主化運動において最も広く知られた人物である朴鍾哲すら知らないというのが現実である。進歩陣営を含め、朴鍾哲で象徴される民主化運動出身者たちは現在、これ程「民衆」との距離を縮めることができないでいる。このような状況において民主対反民主というものが果たして意味のあることだろうか。「ハンナラ党に投票するなんて」といくら嘆いても無駄である。

大衆の気持ちが正確に読み取れない人々にとって大衆の変化は常に唐突であるしかない。韓国現代史の予測不可能性という言葉は知識人が大衆の変化を予想できなかったことに対する弁解であろう。金洙暎(キム・スヨン)が最後の作品「草」の中で歌っていたように、大衆は風よりも早く倒れるが風よりも早く起き上がる。風よりも遅く泣き、風よりも先に笑う。我々はいつも草が倒れるという事実に挫折しながら再び起き上がる草を忘れていたのではないだろうか。


2. 大衆の驚くべき復元力

波乱万丈な韓国現代史を振り返ってみると大衆は倒れても再び起き上がった。恐らく長くて10年だろう。韓国戦争(朝鮮戦争)において多少なりとも左派若しくは進歩的な傾向を見せた人々は徹底的に虐殺されたり北朝鮮へ逃げたり又は智異(ジリ)山へ入って死んでしまったりした。分断と戦争と虐殺によって韓半島(朝鮮半島)の南では殺菌室レベルの反共が行われた。そのような状況の中で停戦協定が締結され、満7年にも至らない1960年に4月革命が起こった。その当時の大邱(デク)2・28事件や馬山(マサン)3・15不正選挙糾弾デモを振り返って見てもやはり中高生が先頭に立った。

4月革命は翌年の朴正熙(パク・ジョンヒ)の5・16軍事クーデターによって未完の革命となった。朴正熙は1969年の三選改憲を通して1971年4月27日の大統領選挙で辛うじて当選したが、就任前から不正選挙糾弾運動や教練反対デモ、国立病院及び国立大学付属病院の研修医のストなど、強力な抵抗に直面した。3度目の任期に就いた朴正熙政権の最初の六ヶ月間は7月1日の就任直後である7月28日の司法騒動、8月10日の広州(クァンジュ)大型団地事件、8月18日のソウル大学物理学部の教授らを筆頭とする大学教授らの大学自治宣言、9月15日の韓進(ハンジン)商社のベトナム派遣技術者らのKALビル放火事件、10月5日の首都警備司令部の武装軍人の高麗(コリョ)大学乱入事件、10月15日のソウル逸院(イルウォン)洞に対する衛戍令発動、引き続く学生に対する大規模な除籍と強制入隊、11月12日の中央情報部のソウル大生内乱陰謀事件発表、そして12月6日には国家非常事態が宣布されるなど目まぐるしく過ぎていった3。乱脈な政権運営や国民の強力な抵抗など、李明博政権初期に劣らない状況であった。永久執権の野望に取り付かれた朴正熙はこのような危機を逆利用し、1972年、10月維新を断行して憲法を踏みにじり国会を解散させた。全権を掌握した独裁者朴正熙は10月維新からちょうど7年経った1979年10月26日中央情報部長の金載圭(キム・ジェギュ)によって射殺された。

朴正熙が射殺された後、彼の政治的養子とも言える全斗煥(ジョン・トゥファン)が先頭に立って朴正熙のいない朴正熙体制を引き継いでいった。全斗煥は光州(クァンジュ)市民を虐殺し政権を握り、その惨憺たる虐殺の夜が明けるとこれもまたちょうど7年ぶりに6月抗争が始まった。1990年2月、保守大連合による3党合党の結果民自党が発足した。216席の巨大執権党の出現は日本の自民党政権がそうであったように数十年間の長期執権を予約したかのように見えた。しかし大衆はその3党合党からちょうど7年目の1997年に初の水平的政権交代を実現させた。

韓国の歴史を振り返って見ると重要な選挙の度に大衆は新たな転機を生み出してきた。1967年6・8不正選挙により構成された第7代国会において第1野党の新民党は僅か44席に過ぎなかった。しかし4年後の1971年の第8代国会議員選挙において新民党は議席数を二倍以上に伸ばして89席へと躍進し、また大統領選挙では投票では勝利を収めたが開票で敗れたといわれるほど朴正熙を脅かした。このような状況の下、朴正熙は10月維新を断行したが、大衆は諦めずに起き上がった。緊急処置の暴圧の中で行われた1978年の第10代国会議員選挙では野党の新民党が共和党を得票率で1.1%上回った。全斗煥は執権後、全ての政党を解散させ、新たな基盤を作った。与党の民政党は保安司(「国軍保安司令部」の略称)が組織し、第1野党の民韓党は安企部が作った。民政党の第二中隊と皮肉を言われていた民韓党は1985年の2・12総選挙で正統野党の復元を標榜した新民党ブームに跡形もなく吸収統合されてしまった。1992年の第14代総選挙でも大衆は保守大連合という人為的な政界改変を拒絶し、再び両党制を復元させた。

このように大衆は常に再び起き上がった。如何なる暴圧も如何なる人為的な工作も大衆を一時的に倒すことはできても眠らすことはできなかった。我々が忘れてならないことは大衆が起き上がる支点が何の変化も期待できないような最も暗澹な瞬間であったということだ。1979年、維新体制が崩壊される6ヶ月前の状況を振り返って見よう。緊急措置が公布され、学生運動はかなり萎縮されていた。最近のような街頭デモは勿論、校内デモすら許されなかった。学生5人が一つのグループになってスローガンを叫び、印刷物を振りまき、同調者を集めていると、校内に常駐しているバスの中から私服警察と戦闘警察隊が出てきて鎮圧されるというのが学生デモの典型的な姿であった。このような学内デモもあまりなく、1学期に2、3回程度であった。1979年度の1学期にソウル大ではデモが一度もなかったほどだ。デモを主動する学生すら集めることができなかったのである。そのような暗澹な状況から6ヶ月も経たない内に絶対権力者の朴正熙が射殺されたのだ。YH事件以降、急速に展開していった民主抗争と釜馬抗争がなければ、朴正熙が自分の片腕であった金載圭の銃で射殺されるようなことはなかったであろう。

1987年の6月抗争勃発の6ヶ月前も同様であった。1986年のアジア競技大会を成功させた軍事政権はオリンピックを控えて在野運動勢力を完全に弾圧してしまおうと意気込んでいた。1986年の下半期には○○党、○○同盟などの多くの公安事件が立て続けに起こった。10月28日に始まった建国大事態の際は200人の大学生が一度に拘束されたりもした。その頃筆者は民主化運動青年連合の機関紙『民衆新聞』の記者であったが、一週間おきに発行されたこの新聞の一面には二週間の間の抗争記事が掲載された。ところが朴鍾哲が死ぬ2、3日前に開かれた編集会議の時には一面に載せられる記事が殆どなかった。その時編集長をしていた先輩が、室内で百人だけでも集まってくれたら一面に載せてあげるのにと嘆いていた姿が今もくっきりと目に浮かぶ。ソウル市庁広場を百万人の人々が埋め尽くす6ヶ月前の話である。2008年、キャンドルが点された直前の状況もこれと同じような状況ではなかっただろうか。


3. 民主化の結果としてのキャンドル集会

多くの人々がキャンドル集会に驚きと賞賛の気持ちを表している。十代、特に女子中高生らが中心になって始まったキャンドル集会の驚くほどの自発性と想像力は全く新たな現象であった。果たしてこの十代はどこから現れたのだろうか。これまでの民主化に対する成果がなければ、キャンドル少女たちは決して生まれなかったと思う。彼女らの出現は民主化運動40年と民主政権10年の間、積み立て続けていたが満期を忘れていた「民主積立金」を給与されたものと喩えてもいいだろう。

過去の民主化運動に身を捧げた人々からすると、今の青少年が民主主義には全く関心も興味もない情けない若者として写るかもしれない。1987年の6月抗争と比べると、当時道端で壮絶に民主主義を叫んだ人々は実際には一時も民主主義を味わったことのない者達であった。建国以来最も本をたくさん読んだ世代と言われている386世代は民主主義について熱心に勉強した。彼らは頭では切実に民主主義を望んだが、身体は軍国主義の教育に慣らされていた。今のキャンドル世代は過去の386世代のように民主主義について勉強したりしない。もしかすると彼らには民主主義に対する概念自体しっかりと定立されていないかもしれない。けれども民主主義は彼らの身体に身についている。70、80年代の抵抗が一度も手にできなかった念願としての民主主義への渇望とするなら、今のキャンドル抗争は体質化された民主主義を奪おうとする時代錯誤的な政権に対する身体から発散された抵抗であろう。

彼らは386世代よりも民主主義に関して深くは知らないだろう。しかし彼らは民主主義において必ず知るべき一つの重要なことを知っている。こんなやり方は間違っているということを、李明博のようなこんなやり方は間違っているということを。キャンドル少女たちが見せてくれた行動は享有された民主主義、体質化された民主主義から滲み出たものである。これは過去の「手段」としての民主主義を切実に要求した人々とは本質的に違っている。80年代の民主主義は身についたものでもなく、民主主義自体が目標でもなかった。民主主義とは統一のため、民族自尊のため、そして民衆解放のために必ず必要な踏み台であっただけだ。

キャンドル少女たちの出現は民主化に対する再評価を要求している。多くの人々が民主化に冷笑的だ。私自身も例外ではなく、あらゆる講演会で權永吉(クォン・ヨンギル) 議員風に「民主化によって生活が楽になりましたか。」といった冷笑的な質問を投げかけたりした。多くの人々がそのような反応を示すのはもしかすると当然のことかもしれない。果たして民主化によって得をした者がいるだろうか。一般市民が民主化のもたらした果実を味わえなかったとは言えないが、民主主義により得をしたのは財閥や大手新聞社、官僚、私立学校、大型教会などであった。政権交替が可能となることによって政治権力の有限性が証明されたが、これは逆に交替されない世襲権力の位相を高める結果ともなった。三星(サムソン)共和国から三星王国と言われるほど、民主化された社会の中で財閥の影響力は大幅に拡大された。三星秘密資金事件をみると財閥が国家権力よりも優位に立って国家権力を操ってきたということが分かる。全斗煥政権時代の1985年に国内財閥順位8、9位であった国際グループは全斗煥の一言で空中分解されてしまった。

1992年に現代(ヒョンデ)財閥の鄭周永(ジョン・ジュヨン)が大統領選挙に出馬したことがあるが、彼は政界に莫大な政治資金を取られるくらいならそのお金で自分が大統領になると言って出馬したのである。このように民主化以前は政治権力が財閥の将来を操り政治資金を取り上げていたのは日常茶飯事のことであった。当時は政治権力が経済権力を圧倒していた時代であった。民主化以降は朝鮮・中央・東亜日報などのような保守新聞社が大統領を貶すことは日常の事となってしまったが、維新、第5共和国の下では「報道指針」に縛られて政権の定めたガイドラインを超えることなど決してできなかった。それは放送も同様であった。財閥、マスコミ、官僚以外に民主化の恵みを受けた人々を選ぶとしたら、民主化運動に身を投げた人々の中で政治家になったごく少数の人々を挙げることができるだろう。そして国会議員とまではいかなくとも、かなりの地位に就いた人々が数百人程いるだろう。その他の多くの人々は民主化を彼らだけの民主化、彼らだけの宴会として遠くで寂しく見つめるしかなかった。

70、80年代の民主化運動が民衆運動と切り離せない関係で結ばれていたとするなら、90年代以降の韓国の民主化の最も悲しい限界は市民運動と民衆運動が切り離されているという点である。多くの人々が民主化に冷笑的であった理由は単に自分自身に何の得もなかったからではない。1987年以降我々が成し遂げた「民主化」はなされたような、なされなかったような、喩えるなら「ギャグコンサート」の人気コーナー「・・のような」風の民主化であった。過去清算もやはりなされたようななされなかったような状態である。前職の大統領を二人も刑務所に送った国家も前代未聞であるが、旧時代の非民主的人物らがそのまま生き延び、自由自在に活躍している国もなかなかないだろう。


4. 民主化の再評価

わが国の民主化及び所謂87年体制の限界ははっきりしている。しかし民主化が否定されそうな危機に突然現れたキャンドル少女たちを見つめながら我々は彼女らを登場させた民主化を再評価すべきであろう。もう一度問いたい。「 民主化によって生活が楽になりましたか。」と。87年の民主化抗争直後に戻って給料袋をもう一度取り出してみよう。6月抗争に引き続き7・8・9月の労働者大闘争期間起こった労働争議の件数は3千余りにも上る。これは韓国戦争停戦以降1987年までに起こった争議の総件数とほぼ同じだ4。このような大々的な闘争の結果、殆どの職場では労働組合が設立され、その労組を通して労働者は強力に分配を要求した。労働者の賃金は会社が倒産するのではないかと労働者自身が心配するほど高騰した。パイを大きくしようという大義名分の下に行われた産業化20年の間抑圧された分配が民主化により急速に実現されたのである。東欧の社会主義体制の崩壊後、民衆運動は世界的に衰退していったが、90年代の韓国の民衆運動が異例的に成長できた物的土台もこういった面から説明できるであろう。それだけではなく、このような労働者の所得増加は当然庶民家庭の購買力上昇へと結びついた。朴正熙は国民に民主化か経済発展か二者択一を迫ったが87年以降の韓国現代史は民主化と産業化が同時に達成できることを証明している。90年代以降韓国が成し遂げた経済成長の殆どは民主化の経済的成果による労働者家庭の購買力の急上昇のおかげで成されたものである。

民主化の成果の中で労働者の強力な分配要求が受け入れられた時代は長くは続かなかった。軍事独裁政権は自らの生存のために資本に対して強力な保護膜を提供することができなかった。しかし3党合党以降、保守大連合により国家権力がそれなりに安定を取り戻すと再び資本に対して保護膜を提供し始めた。さらに財閥らも3、4年の試行錯誤の結果、労働組合を相手する方法を見つけていった。大企業は労働組合を認めながらも労組の代議員らを買収した方が強盛労組の要求する労働者全体の賃金を大幅に引き上げるよりも遥かに企業には有利だということに本能的に気づいた。そして1998年新自由主義の構造調整が本格化されると分配の定義が実現できる範囲は縮小された。80年代の末から90年代初に実現された民主化の経済的成果を味わった人々の殆どは大企業の男性定期職(定期雇用)労働者であった。彼らは現在民主労総の中心基盤である。彼らはかなりの安定的な所得を得ており、殆ど会社を移籍したりしない。会社側もやはり欠員が出ても定期職で埋めるよりも安上がりの非定期職労働者を好む。現在の非定期職労働者は6月抗争から保守大連合の間の短期間で得られた分配の成果を味わうことができないでいる。既に20年もの年月が流れ、その意味が深刻なまでに色褪せてしまったが、当時は相当なレベルでの分配が行われた時期であった。しかし今は既にその効果がなくなってしまっている。

民主化がもたらした成果の一つにもう人が死なないという事実が挙げられる。民主化闘争や労働運動などの過程で命を落とした「烈士」や疑問の死を遂げた人々、又は警察の暴力鎮圧による犠牲者の数が減少したことだけを言っているのではない。注目したいのは軍隊でもはや人が死なないという事実である。50、60年代の韓国軍の死亡者数は毎年1500~2000人に上り、1970年代には1300人を超えていた。これはベトナム戦争で犠牲になった人を除外した数である。韓国軍の年間死亡者数は1980年代には8百人程度で、1990年代には3、4百人程に減少し、21世紀に入っては百人台となった5。イラク戦争の5年間に死亡した米軍の数は約4千人程で、年間では8百人程度である。果たして1980年代以前の韓国軍は人知れず戦争でも行ったのであろうか。毎年千人にも及ぶ若い軍人が戦争でもないのに死んでいったという事実は現代史の悲劇と言えるだろう。韓国軍の構造が大きく変わったわけでもないのに1990年代以降死亡者数が急減したのは民主化以外の理由はないだろう。軍独裁が終了してから軍はもう聖域ではなくなり、ごく限られた範囲ではあるが民間社会が軍内を覗くことができるようになったためである。我々は民主化の物足りない面ばかりを覗いているが、民主化のもたらした変化もまた相当なものである。李明博政権の登場によりその民主化が危機にさらされている。キャンドル集会は民主化の成果であるだけでなく、民主化の成果を守る役割をしっかりと果たしている。


5. 繰り返される街頭政治

我々は韓国現代史においてなぜ重要な局面に直面する度に運動政治又は街頭政治が登場するのかに注目すべきである。過去20年間を振り返っても1987年の6月抗争や1991年の所謂「焼身政局」、そして1997年度の労働法改悪阻止闘争などを通して大衆が街頭へと集まった。2000年代に入っては2002年のミンソン-ヒョスン追悼キャンドル集会、2004年の大統領弾劾反対キャンドル集会、2008年の米国産牛肉輸入反対キャンドル集会など、キャンドル集会が大々的に行われた。このような街頭政治は代議政治がまともに行われていなかったり、間違った方向へと向かう度に登場した。1987年の6月抗争は朴正熙の維新クーデター以降、国民が大統領を直接選択できる権利を奪われたことに反発して直接選挙制を要求したものである。2002年のキャンドル集会は二人の女子中学生が米軍の戦車にひき殺されたにも関わらず誰も罪を問われず、その上政府も米軍側に罪を問える権限を持たない現実に対して政治界が関心を持たず如何なる対処もしなかったために始まった。2004年のキャンドル集会は任期が一ヶ月ほどしか残っていない国会が民意に反して「議会クーデター」と言うべき大統領弾劾を敢行するなど、代議政治制度自体が間違った方向へと向かったために行われたと言えよう。

過去20年間、街頭政治の主な事例は全て代議政治がまともに行われていなかったために起こったものであるが、逆に代議政治の基本メカニズムに吸収され大衆は家へと戻って行き闘争は徐々に減少していった。1987年には軍事独裁政権が予想に反して大衆の最も直接的な要求であった直接選挙選挙制を受け入れた。大衆は直接選挙によって民主的な大統領を選び軍事独裁を終了させる機会を得たと街頭から家へと戻って行った。2002年のキャンドル集会が行われたのは年末の大統領選挙を控え、候補者たちが熾烈な戦いを繰り広げていた時期である。選挙の結果、「反米感情を持ってはいけないのか?」と言った盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が当選した。キャンドルに火を点した市民たちはこれで新たな大統領が不公平な韓米関係を正してくれるだろうと期待しながらキャンドルの火を消した。2004年には国民は全く新しい国会を作りあげた。その結果1988年民主化が始まって以来初めて与小野大の局面から脱し、執権与党が単独で過半数を占めた。さらに5・16軍事反乱以降脈の途切れていた進歩政党から10人の議員が出た。国民は大統領に次いで、議会までも民主改革勢力の支配下に置くことにより中央権力は全て委任したのである。当時市民たちは民主改革勢力が行政部と議会を掌握したため何か新たな政治が繰り広げられるだろうと期待しながら家へと戻っていった。

ところがその結果はどうだったろうか。1987年には金泳三(キム・ヨンサム)と金大中(キム・デジュン)の両金氏の分裂により民主陣営は敗れるはずのない選挙で敗れてしまった。「漁夫の利」という表現がぴったりの状況になってしまった。2002年には不公平な韓米関係を正す肯定的な変化を期待したが、状況は正反対となっていった。「反米感情をもってはけないのか?」と意気込んでいた盧武鉉候補は大統領に就任すると米国へと飛んで行き、「米国がいなければ自分は北朝鮮の収容所にいるかもしれない」という妄言を発した。イラク派兵、戦略的柔軟性の受容と駐韓米軍の性格変化、そして韓米FTAなどの問題からも分かるように韓米関係は従来の軍事同盟を超え、経済同盟、価値同盟によって一層深化された。盧武鉉政権の5年間韓米関係は過去50年間の変化よりも多くの変化が起こった6。2004年、国民が弾劾の危機にさらされた盧武鉉大統領を救ったのはのは何か新たな政治を繰り広げてほしいという期待からであった。ところが盧武鉉政権は議会の支援を受けながらも期待に応えられるような改革を推進することができなかった。またウリ党はある意味においてはハンナラ党よりもハンナラ党らしかった。盧武鉉大統領は遂には「このままではハンナラ党と変わらないので大連政(与野党大連合政府)を推進したい」と言い放つハプニングを招いたりもした。このような歴史的な経験は我々に「早く家に戻るべきではない。」と語ってくれる。ある人は街頭政治は非常識なものであり、国会に任せて早く家に戻るべきだという。果たして今の国会と政党制度がキャンドルの意味をしっかりと受け止められるだろうか。そう思う人々もいるかもしれないが実際キャンドルを手にしている市民の多くは現在の国会や政党をそれ程信頼していない。

では、どうすればいいのか。一体いつまで街頭でキャンドルに火を点さなければならないのだろうか。過去、我々の母親や祖母は切実な願いがある度にろうそくに火を点し千日間祈ったものだ。現在多くの市民達は国会に任せるくらいなら道端でキャンドルを手に千日間の祈りをした方がましだという心情であろう。長くて4年6ヶ月である。大衆がキャンドルの火を消さない理由は1987年、2002年、2004年とは違い、キャンドルの火を消せる制度的なきっかけが見つからないからだ。過去3回の大衆的進出(一回は抗争として、二回はキャンドル集会として)と2008年現在のキャンドル集会との共通点は代議民主主義が十分に民意を反映できていないという点である。そして決定的な相違点は過去3回は全て大統領選挙(1987、2002)や国会議員総選挙が間近に迫っていた時期であったという点である。大衆は選挙で民意を伝えようと抗争を中断したり(1987)選挙の勝利に満足してキャンドルの火を消したりした(2002、2004)。しかし2008年の場合、大統領選挙はキャンドル集会の5ヶ月前に、総選挙は1ヶ月前に既に終わってしまった。大衆としても自らキャンドルの火を消せる制度的なきっかけをつかめずにいる。このような状況において李明博大統領は市民たちがキャンドルの火を消すきっかけを提供する代わりに検察と「白骨団(私服警察)」による過剰鎮圧など、強硬一点張りで対応している。キャンドル集会が長期化せざる得ないわけである。


6. 楽しいキャンドル抗争、愉快で自発的な抵抗

大衆はキャンドル集会が長期化して多少の疲れも感じてはいるが、非常に楽しみながら参加している。キャンドル集会のお祭り的な性格は徐々に強くなっている。1987年には静かにキャンドル集会を行っているような状況ではなかった。2002年は追悼集会という性格上、非常に悲壮で厳粛な雰囲気でキャンドル集会が行われた。2004年の弾劾初日には人々は怒りで興奮していたが、翌日からは「もうすぐ選挙の日だ。覚悟してろ」という勝利に対する確信で楽しくキャンドル集会に参加した。しかし今回のように徹夜をしたり家族で参加したりはしなかった。2008年のキャンドル集会はお祭りであり、国民キャンプであり、開放の場であった。「乳母車部隊」という言葉が象徴しているように遠足のような、ハイキングのような楽しい気持ちで集会に参加している。現在外見的にはキャンドル集会が下火になったように見えるが、市民たちはこのキャンドル集会がどうすれば一層日常的な空間や地域へと広がり、楽しくそして持続的に行えるかを模索しているのである。

2008年のキャンドル集会の主たる特徴は政党の影響力が皆無であり、市民運動や社会運動の影響力も急激に衰退し、大衆の自発性が驚くほど発揮されているという点である。1987年の6月抗争は国民運動本部という枠の下に結集された在野民主運動勢力が主導し、両金氏で代表される政治集団の加勢により大衆的な基盤も広げることができた。2002年のキャンドル集会も同様に女子中学生対策委の下に集結した運動勢力が主導的な役割を果たし、大統領選挙という政治的局面がキャンドルを燃え上がらせる重要な空間を提供した。2004年度は弾劾という問題自体が制度政治の領域を中心とするしかない問題であり、政界や市民運動、一般市民などが国会議員選挙により弾劾実行を妨ごうとした。

2008年のキャンドル集会は政党や市民団体などの役割や過去の経験からの影響などを考えると過去の街頭政治とも異なり、また西欧の「68革命」とも異なる。キャンドルは支離滅裂だった進歩陣営と民主改革陣営に希望の光を与えてくれたが、一方では解決しなければならない困難な課題も与えた。理由はともあれ集会の現場で大衆は運動勢力に対して冷たい視線や敵対的な態度を見せるなど全体的に不信の目を向けた。大衆にとって運動勢力はつまらなく型に嵌ったことばかりを言い、その上権威主義的な存在であった。このような運動勢力がキャンドル集会を主導しようとすると「もしかしてスパイじゃないか。」と露骨にやじった。時間が経つにつれて運動勢力とは何の関わりのないネチズングループも自分たちなりの旗を掲げて参加したが、キャンドル集会の初期には旗自体が退場の対象であった。21世紀の大衆の目から見ると運動勢力の感覚は未だに80、90年代のように悲壮で厳粛なものであった。まるで映画「アマデウス」の中のモーツァルトとサリエリとの違いとでも言おうか、軽快さと型に嵌った重さのような違いを表している。80、90年代の雰囲気から脱皮できない運動勢力にとってせめてもの救いは李明博政権や保守勢力が60、70年代の迷妄から抜け出せずにいるという事実である。

大衆のこのような反応は黙々と市民運動又は民主運動への道を歩んできた人々にとっては心苦しく薄情に思われるかもしれない。しかし大衆は運動勢力出身が主導的な役割を果たした「文民政権」5年間と「民主政権」10年間を経験しながら運動勢力と政治家を同一視してしまった。運動勢力出身は運動経歴を基盤として政界に進出した。政界に進出した彼らは大衆の期待に応えられなかった。彼らの一部は従来の政治家と同様に汚職事件に関連したりもした。このようなことが繰り返されると大衆は「運動勢力出身の人も同じじゃないか。」、「運動勢力出身の人の方がひどいかも」と思うようになった。政治家や運動陣営が何もせずにいた時、先頭に立ってキャンドルを手にした市民達は運動勢力がキャンドル集会の前面に登場することによりキャンドルの「純粋性」が傷つきはしないかと心配した。

大衆のこのような「純粋性コンプレックス」が運動勢力自らが招いた結果であろうが保守傾向のマスコミのせいであろうが、キャンドル集会は運動勢力に大衆とのコミュニケーションが切実であるという事実を気づかせた。「明博長城」程ではないが、運動勢力と市民達の間にもある種の壁が存在している。大衆はその壁をなくしコミュニケーションを取らなければならないという必要性を感じない。しかし運動勢力としてはこの壁をなくし大衆とコミュニケーションを取ることは重要な問題である。例えば、過去清算問題は進歩陣営全体にとって最も重要な課題であった。朴正熙記念館を建てると言いながら過去清算の核心問題を避けていた金大中政権とは異なり、盧武鉉政権は過去清算を試みた。ところが実際幾つかの過去史委員会が設けられるなど過去清算運動が制度化されると過去史問題に対する市民の関心はそれに反比例するかのように急激に減少していった。何人かの関連者以外には過去史問題に関して誰も関心を示さなくなったように見えた。カン・プルの漫画『26年』(2006)が連載されたのはこのような時期であった。時代遅れとなった「陳腐な」問題であった「光州」事件が5・18と8・15の違いもよく分からない若いネチズンたちを引き付けた。彼らは「漫画のあの全斗煥があの全斗煥なのか?」と驚き合った。2007年度の映画「華麗なる休暇」を見て7百万人の観客が涙を流したという事実は「光州」が決して時代遅れの問題ではないということを明らかにしている。進歩陣営の多くの主要アジェンダは時代遅れの問題ではない。どのような形で近づくかによって大衆の心に伝わるか伝わらないかの違いなのである。

キャンドル集会の現場で民主党は徹底的に背を向けられた。運動陣営も学校で喩えるなら校長にも担任にも学級委員にもなれない、日直程度の雑用係のような存在である。運動陣営の財産は献身性、創意性、闘争性と言えよう。ところがキャンドル集会においては大衆の方が遥かに献身的で創意的であり、徹夜で楽しく戦っている。運動陣営は過去圧倒的に優位であった分野において大衆に却って遅れを取っている。そのため専門的な活動家たちの指導力又は役割がこれまでの如何なる抵抗運動でよりも最小化されたと言えよう。


7. 自己利益のための闘争

去る数ヶ月間キャンドル集会に参加した大衆が運動勢力に距離をおき、過去の運動伝統や文化を拒否した理由は韓国現代史の展開過程において大衆自らが変わったためである。過去の運動陣営は「ガッチャマン」世代だったと言える。ガッチャマンの使命が地球を守ることであったように、1980年代の運動勢力は崇高で巨大な目的のために全てを犠牲にしなければならなかった。当時は「民主化」が目標だと言うと先輩たちに「お前は視野が狭すぎる。」と批判されたりした。民主化が実現しても民衆が開放されるわけでも民族の自主性が回復されるわけでも分断された祖国が統一されるわけでもないのに高が「民主化」が目標なのかと叱られたものだ。このようなガッチャマン世代を生きた若者たちは民主化、民衆解放、民族自主、祖国統一という大きな課題を実現するため命をかけ全てを犠牲にしなければならなかった。

21世紀の若者たちはある宣伝コピーが鋭く捉えたように「不義は我慢できるが不利益は我慢できない」世代である。彼らは正々堂々と自分の利益と権利を追求する。80年代であったなら、極度のエゴイストと批判されような若者たちが今キャンドルを手にしている。自分の利益や権利を追求することが果たして批判すべきことであろうか。これは彼らの追及している利益や権利が共同社会に得になるか害になるかによって違ってくるだろう。ガッチャマン世代が過去の方法から抜け出せず、正々堂々と自己利益を追求する若者たちを批判的に見つめるなら、これは自ら社会の除け者となる結果をもたらすだろう。

キャンドル集会の合間に決行された貨物連帯ストは恐らく韓国戦争以降の労働運動史上初めて市民の支持を受け相当な成果をあげて終了したストと言えよう。貨物連帯は政府が米国産牛肉協商の結果を発表すると素早く米国産牛肉の運送拒否を宣言しながらキャンドル集会と結合した。貨物連帯は市庁前の広場にテントを張り、牛肉輸入に反対する印刷物を回しながら、一方では自分たちのストを情熱的に宣伝した。集会に参加した市民達は自然と貨物連帯を味方として受け入れるようになった。高騰した原油価も一つの要因ではあったが、貨物連帯の積極的なキャンドル集会参加は韓国では稀にも「市民の支持」を受けたストを誕生させた。

一方キャンドル集会の現場において非正規職たちは相変わらず疎外されていた。Eランド労組委員長の言葉のように彼らは燃え続けるキャンドルを見つめながら絶望の中へと落ちていった。市民たちは李明博政府がもたらした暗闇を拒否するという象徴的な意味でキャンドルに火を点した。しかしその片隅で1年余りのスト闘争の末、電気もガスも途切れた暗い部屋で組合員の子供たちはろうそくの火を頼りに宿題をしていた。組合員は子供たちのことを考えるとどうしてもキャンドル集会に参加することができなかった7。長い闘争に疲れ果てた非正規職の人々は自分たちが「招待されぬ客」になりはしないかと恐れてキャンドル集会に非正規職の問題を持って出て来られなかった。キャンドル集会の純粋性が強調された状況において非定期職問題を提議するのは論点をぼやかしてしまうのではないかと思ったのだ。

元々キャンドルとは暗闇を照らすものである。そして非定期職の問題は我々の社会において最も深い暗闇である。しかし去る数ヶ月間広場のキャンドルは健康権と民主主義のような普遍的ではあるが、生活の貧しさという問題に然程切実でない人々にとってより関心のある課題を中心に燃えている8。今後キャンドルが我々の社会の隅々まで広がり持続的に点されるためには社会の最も暗い場所で苦しんでいる人々も自らキャンドルを手にすることができなければならない。「キャンドルと非定期職が結びつくか」は今後の韓国社会の未来を決定付ける重要な課題である。

キャンドル集会において役割が縮小されたのは進歩的な知識人も同様であった。著名な批判的知識人たちも巨大な大衆の中ではn分の1でしかなかった。狂牛病専門家や通商専門家、又は現場で直接自分の専門性をもって寄与した民弁(「民主社会のための弁護士会」の略称)の弁護士たち、「カラーTV」の司会者として活躍中の陳重權(ジン・ジュンゴン)教授など、ごく少数の専門家を除いて例外はなかった。キャンドル集会という全く新たな現象の前で進歩的な知識人たちはもしかして未だに大衆を指導したり彼らに方向提示をしようと焦せっているのではないだろうか。果たして進歩的な知識人たちにキャンドルを手にした大衆を導ける能力があるだろうか。キャンドルを予想することができなかった知識人たちは最初にキャンドルを手にした少女又は大衆たちに全てを任せるべきだ。焦らず大衆を信じるべきである。キャンドル集会に参加するとしたら大衆の一人としてそして大衆の言葉で「大衆に従い、迷わずに最後まで一歩一歩」前進すべきだ9。キャンドル集会が始まってから「集団知性」や「多衆」や「68革命」のような外国の社会科学概念や事例研究を適用して「キャンドル集会」という世界で類のない新しい現象を分析しようとする文が多く見られる。しかし彼らが比較対象としている68革命などは「歴史的背景において我が国とはかなり異なり、それぞれの国家ごとに特有の発展過程を辿っているため、そのまま比較するのは無理であろう。」10この新たな現象を分析するにおいて西欧の社会科学の分析枠にばかり頼るのは歴史の具体性を逃すことになり兼ねない。キャンドル集会は逆に西欧の社会科学の巨匠たちに21世紀の韓国で起こっているこの新たな現象を分析するにおいて果して彼らの理論が有用であるかを問いかけている。韓国の社会科学者たちは今少し勇敢で積極的であってほしい。この新たな現象を韓国の歴史的脈略から分析しながらそのベースを貫く世界史的普遍性を掘り出す作業を試みるべきである。このような作業は韓国の社会科学のレベルを一段階アップさせ、さらに韓国の社会科学の世界化にも役立つであろう。

現在、キャンドル集会は治まったように見える。我々の周囲には疲れ果てた人も挫折した人も失望した人も確かにいる。しかし我々が焦る必要はない。歴史は元々そう簡単に変わるものではない。キャンドル集会は我々が予想した行動ではない。運動陣営や批判的知識人たちがキャンドルに火を点すのに何か特別な役割をしたわけでもない。キャンドル集会がなかったなら我々は今とは比べられないほど苦しい状況であっただろう。数十万の人々がキャンドルを手にしても李明博政権はやりたい放題であるのに、もしキャンドル集会さえもなかったならどうなっていたことだろうか。だからキャンドル集会であんなに多くの人々が訴えかけたのに米国産の牛肉も輸入され、李明博も全く変わらないと嘆く必要はない。

朝鮮・中央・東亜日報などの保守新聞社は「無能な進歩」と批判的な態度で進歩勢力を論争の対象とした。しかし3ヶ月も経たない内にあっけなく「保守本性」を曝け出してしまった。進歩運動陣営も大衆の変化についていけなかったが、保守派勢力は全くと言えるほど大衆の気持ちを読み取れなかった。振り返って見ると彼らが過去数十年間執権できたのは公安機関の物理力を前面に押し出したためであった。70、80年代には中央情報部や保安司のような情報機関が、90年代以降には検察が政権の盾としての役割を忠実に果たした。キャンドル集会を見ながらその背後を探り、誰があれ程多くのろうそくを買って渡したのかと疑う姿こそ国家保安法を自己アイデンティティの根本としている者たちの典型的な態度である11。日本を訪問した際、「日本国民との対話」には快く応じた李明博大統領は「コミュニケーションの問題だ」としながらも決して国民との対話には応じない。[去る9月9日「大統領との対話」が行われたが、大衆の反応は冷たかった――編集者]自分のお金でろうそくを買い、敷物を敷いて徹夜でキャンドル集会に参加している市民たちと背後に誰がいるのかを疑っている李明博大統領の間に「明博長城」を築かなくてもコミュニケーションは難しいだろう。

我々の中には焦りだした人々もいるが本当に焦らなければならない人々は「明博長城」の向こうに隠れている保守勢力である。「失った10年」というスローガンを叫んだ人々は「苦労して取り返した政権なのに3ヶ月も経たない内に崩れそうだ」と大統領を恨んでいる。『朝鮮日報』さえも「勘違いだった」「騙された」などのような文句で一面を飾っている12。7.4%にまで下がった李明博の支持率は一時的ではあるが20%台にまで上昇した。ところがそこまでだった。この程度の回復は民意を取り戻したとは言いがたい。第18代総選挙を通して背を向けた朴槿恵(バク・グンヘ)派勢力が「李明博も憎いがキャンドル集会も厄介だから取り合えず保守勢力側に付いて抑えてみよう」という態度を取ったため回復しただけのことである。68革命当時は抵抗勢力がバリケートを築いた。しかし東西古今の歴史を振り返って見ると長期戦になると分裂するのは常にバリケートの内側であった。2008年の韓国でバリケートを築いたのは李明博政権である。キャンドル集会が一時的に衰えたように見える今、「明博長城」の中は分裂の兆しが見え始めている。

民主国家と呼ばれる多くの国家は代議民主主義制度を採択している。ところが我々が慣れ親しんでいる代議民主主義とは大抵19世紀に基本枠が固まり、第二次大戦の終了間近に完成したものと言える。その後世の中は予想もつかないほど変わった。経済水準は驚異的に向上し、それに従って教育水準も1940年代とは比較にならない程高くなった。1940年代に全世界に1、2台ほどしかなかった高性能コンピューターを今は多くの人々がノートパソコンとして持ち歩いている。ところが代議民主主制度はこのような社会の変化に全く対応できないでいる。そのため世界各国は投票率の極端な低下により代議民主主義の危機を迎えている。キャンドル集会に対して「非常識な街頭政治」と批判する声も高い。しかし政党や選挙、そして議会が市民の意を円満に反映できない韓国の現実の中で街頭政治は非常識なものではなく、日常性を持つしかないだろう13

多くの人々が指摘しているように韓国の世界最高の情報通信技術がなければキャンドル集会は不可能であったかもしれない。直接参加した大衆が討論により全てを決定するキャンドル集会は直接民主主義の新たな可能性を示している。勿論全国民が参加する直接民主主義というものは依然として不可能であるため、キャンドル集会のような直接民主主義や街頭政治などが代議民主主義を完全に取って代わることはできないであろう。しかしキャンドル集会は危機に陥った代議民主主義制度に活力を吹き込む役割が果たせると思われる。三ヶ月間続いている自発的な平和デモとしてキャンドル集会は今も世界的な事件である。必ず直接民主主義でなくても代議制を民意の変化に合わせて今少し弾力的に対応できるように変化させることは民主主義の発展において当面の課題である。長期化しているキャンドル集会はこの課題の解決策を模索しているとも言える。一時期ブームとなった「韓流」が大衆歌謡やドラマにだけ限ったものである必要はない。大衆の力動的な参加により我々は今「民主主義の韓流創出」という長い実験を始めたのである。(*)


訳=申銀兒

季刊 創作と批評 2008年 秋号(通卷141号)
2008年9月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea

  1. 「金槿泰「国民が呆けてしまったのではないか」騒動」『プレシアン』2007.11.26.
  2. 進歩陣営に関しては、カン・ミョングの「進歩陣営論争、何を見失っているか」『人物と思想』、2007年4月号、金聖七(キム・ソンチル)「所謂<進歩論争>をどう見つめるべきか」 『政情と労働』、2007年4月号参照。
  3. 民主化運動記念事業会研究所編、『韓国民主化運動史年表』、 2006。
  4. 年度別労働争議の統計は金東椿『韓国社会の労働者研究』、歴史批評社、1995、58頁参照。
  5. 軍隊内の死亡事故の統計は軍疑問死真相糾明委員会の資料集『軍内自殺処理者どうすべきか。』、2006、6頁参照。
  6. 鄭旭湜(ジョン・ウッシク)『21世紀の韓米同盟はどこへ?』、ハンウル、2008、21頁。
  7. 「光化門を埋め尽くしたキャンドルの波を見ながら絶望した。」、「<インタビュー>ストライキ1年を迎えたキム・キョンウクEランド一般労組委員長」『プレシアン』、2008.6.24。
  8. 朴露子(バク・ノジャ)「キャンドルの中に存在する二つの社会」『オマイニュース』、2008.7.25。
  9. キム・フォンジュ「狂牛病局面において運動勢力の成果は?」、慶南道日報ブロガ-記者団『キム・ジュワン、キム・フォンジュの地域から見た世界』(http://100in.tistory.com/220) 2008.6.12。
  10. 柳在建(ユ・ジェゴン)「西欧の68革命を思いキャンドルを見つめる」『創批週間論評』、2008.7.16。
  11. 国家保安法のアイデンティティに関しては、拙稿「21世紀の亡霊レットコンプレックス-国家保安法に縛られた大韓民国」『京郷新聞』、2008.8.1参照。
  12. 崔普植(チェ・ボシク)「果たして騙されたのだろうか?」『朝鮮日報』、2008.7.9。
  13. 李南周(イ・ナンジュ)「<街頭政治>、非常識と逸脱ではない」『創批週間論評』、2008.6.18.
2008/09/01 12:00 2008/09/01 12:00
特集 | 李明博政府、このまま5年を続けるのか
河昇秀(ハ・スンシュ) haha9601@dreamwiz.com
済州大学校法学部教授、弁護士。著書に『教師の権利 学生の人権』『地域、地方自治そして民主主義』などがある。


1. 大運河中断? それで解決されたことはない

韓国社会を支配する「先進化」と「新開発主義」
アメリカ産牛肉の輸入事態により、李明博(イ・ミョンバク)政府は出帆初期から支持率が底を突いている。だが、李明博政府は去る12月の大統領選挙で史上最大の支持率の格差を呈しながら当選され出帆した政府である。また与党のハンナラ党は国会で180席の超える圧倒的多数を確保している。従って李明博政府の今の支持率とは別に、李明博政府が立っている理念的・政策的基盤は果たして何なのかを真摯に分析してみる必要がある。

特にアメリカ産牛肉と「韓半島(朝鮮半島)大運河」が争点となるにつれ、逆に李明博政府に対する真面目な分析が疎かに扱われる側面がある。問題は李明博政府が標榜する「先進化」イデオロギーは、政府に対する政治的支持率の騰落とは別個に、韓国社会で支配的談論として落ち着いて久しいという点である。また地域開発と関連しては1997年の外国為替危機以来、新自由主義と結合しながら蘇った開発主義の流れ、つまり新開発主義1が我が社会を支配しているという点に注目すべきである。

短期的イシュー(issue)よりは長期的流れを見るべき
このような流れが続く限り、一つのイシューが解決されたように見えるからといって、その問題が実際、解決されたわけではないし、他のすべての問題もまた同じである。中止されたセマングム(saemangeum)工事が再開されて結局、セマングム干潟が死んだように、2004年扶安で中止された放射性廃棄物の処理場の建設が2005年、非理性的な住民投票を経て再び慶州で始まったように、智異山の麓で市民団体と仏教界の反対で中止された智異山ダムが再び推し進められる様子を呈しているように、暫定的に中断されたように見える韓半島大運河はいつでも再び前面に登場する可能性が高い。洛東江運河、栄山江運河のように変化した姿で登場することもあり得るし、現在、大運河事業実施を求める地方自治団体長を盾にとって一層積極的な形で再登場するかもしれない。2今も金台鎬(キム・テホ)慶尚南道知事は「大運河の放棄は職務遺棄」と言いながら事業実施を求めている状況である。

さらに「規制緩和」を名目とした教育・医療の市場化も地域から進められている。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の時から教育・医療開放と規制緩和のテストベッド(test bed)になった済州道では、今年7月に国内営利病院の許可問題をめぐって葛藤が高まったりもした。済州特別自治道が、済州道に限って国内資本が設立する「株式会社病院」を許可しようとしたためである。済州道民1100名を相手とした世論調査では反対意見がより多く出たため一応留保されはしたが、済州道知事は再び機会を狙って営利病院を推し進めるという意志を明示している。また済州道に推進されている英語教育都市には、英語専用教育を行う初等・中・高等学校の12個が設立される予定である。最初は1年ほどの短期教育課程を運営する教育機関を置こうとしたが、今は定期教育課程を設けた私立学校を誘致しようとする案に変わった。それだけでなく、営利を求める外国資本も教育機関を設立できる。このような教育・医療の市場化はいつでも済州道を越えて全国化する可能性がある。それが「先進化」論者たちが追い求める基本方向であるからである。
このように今発生する問題は、一連の流れから派生するものである。従って短期的イシューに埋没されるよりは、長期的な流れと傾向を正しく判断する必要がある。果たして李明博政府の言う「先進化」イデオロギーの本質は何なのか。それが地域開発政策と関連してどのような姿で現れているか。地域開発政策における盧武鉉政府と李明博政府との共通点と相違点は何なのか。所属政党に関わりなく大運河事業に付和雷同しようとした全国の地方自治団体長たちの行為はどう見るべきか。不動産の値上がりと、分別のない開発をそそのかしてそれを政治的に利用する新開発主義に対する民主的代案は何なのか。これらの質問に答えない限り、大運河事業が中止されるとしても、我が社会で解決された問題は何もないといえる。


2. 土建国家+新自由主義市場化=李明博式先進化?

先進化論者たちが陥った落とし穴
去る何年間、政府は不動産価格の暴騰を統制できなかった。特に民主化以後の政府といわれる金大中(キム・デジュン)-盧武鉉政府でもそうであった。何があっても不動産価格を抑えると公言した盧武鉉政府で不動産価格は、史上類例のないほど暴騰した。ところで「失われた10年」を唱えながら李明博政府の政策アジェンダを前もって生産してきた「先進化」イデオローグたちは、盧武鉉政府が推し進めた行政中心複合都市、革新都市、企業都市によって全国的に地価が値上がり、不動産投機が助長されたと批判した。彼らはこんな都市建設のため全国土地の約1億5千万坪が掘り下げられ、土地補償費で5年間で約67兆5千億ウォンがかかり、全国の地代が4年間で88.3%上昇したことを指摘している。3これは相当、説得力のある指摘である。このような指摘は環境的な立場から盧武鉉政府を批判してきた人々の主張と似ている。しかし逆説的なのは先進化論者たちが期待を寄せた李明博政府は、より大きい開発プロジェクトを推し進めているという点である。代表的なのが全国土を掘り下げる韓半島大運河である。韓半島大運河事業が推進されると言われたら、やはり大運河予定地の周りの地価が暴騰した。先進化論者たちが批判してきた形が李明博政府でさらに増幅されているのである。だとしたら、李明博政府が唱える先進化の実体は何なのかという疑問を抱かざるを得ない。

韓半島大運河研究会と韓半島先進化財団の奇妙な組合
李明博政府の政策基調に影響を与えたブレイン集団を挙げるなら、韓半島大運河研究会と韓半島先進化財団が挙げられる。周知のように、韓半島大運河研究会は李明博大統領の韓半島大運河の構想を主導してきた集団である。そして韓半島先進化財団は李明博政府の国政イデオロギーという「先進化」論を主導的に生産し、政策アジェンダを整えてきた集団である。全体的な下図を描くのには韓半島先進化財団の役割が大きかっただろうが、実際、李明博政府の政策基調をそのまま露にしたのは韓半島大運河研究会だといえる。ところでこの二つは相当似合いそうで、似合わない集団である。韓半島大運河研究会が大運河のような土木事業を擁護する集団だとしたら、韓半島先進化財団は首都圏規制緩和と教育・医療・福祉の市場化で代表される新自由主義的市場化・開放化の性向を後押しする集団だといえる。こんな奇妙な組合の結果物が李明博政府の国政イデオロギーである「先進化」といえよう。

「均衡発展を導く新しい発展軸」(李明博大統領)と主張した韓半島大運河を研究してきた韓半島大運河研究会の主張は、一言で言うと「国土改造論」である。柳佑益(リュ・ウイク)前大統領室長によると、韓半島大運河の構想は総合的な国土改造事業である。彼は内陸地方は落伍するしかなく、内陸に海の道を付けて港を作ることのみが解決策だと主張する。従って今の構造ではできないし、大運河を作って全体的に国土を改造すべきだということである。4このような構想は日本の田中角栄元総理が主唱した「日本列島改造論」を思い出させる。しかし、彼が主唱した日本列島改造論は不動産価格の暴騰など、大きな後遺症を残した。

それで韓半島大運河研究会の構想を見ると、土建国家という概念が浮かび上がるしかない。土建国家という用語は、ガヴァン・マコーマック(Gavan McCormack)が日本を指して用いたものであるが、韓国でも幅広く適用される。それはわれわれの現実が日本の現実と非常に類似しているからである。マコーマックは政府官僚たちが限りなく土木工事を繰り広げ、官僚たちと政治人たちがそのような工事を行う企業と癒着している日本の現実を眺めながらその用語を使った。5日本と同じように韓国でも絶え間なく大規模の公共事業が繰り広げられ、土建業が国家経済で莫大な比重を占めており、全国的な国土開発計画が樹立されてダム建設、河川工事、海岸埋め立てなどが集中的に進められてきた。そんな過程で土木と建設業が政治・経済の核心として居座って、中央政治と地域政治に土建業が及ぼす影響は非常に大きい。
韓半島大運河はこんな土建国家を克服するのではなく、逆に露骨化し、その絶頂を示したプロジェクトであった。韓半島大運河研究会の主張から上辺の包装紙を剥がしてその中身を見ると、結局残るのは土木工事のみだからである。物流効果、環境改善効果、観光効果というものが上辺だけのことだというのはすでに露になったし、大規模の土木工事を繰り広げることによって生じる経済的効果と運河区間の周辺を開発して得られる開発効果があるだけである。結局、事業の利益は建設主体と不動産所有者にだけ回るだろう。なので韓半島大運河は典型的な土建国家型土木工事の構想であるとしか見えない。

一方で李明博政府のもう一つのブレイン集団である韓半島先進化財団は、盧武鉉政府の均衡発展政策をポピュリズム的だと批判する。66)特に集中的な攻撃対象となったのは、「片方首都移転」と呼ぶ「行政中心複合都市」と「公共機関の地方移転」である。こんな人為的な分散政策は首都圏の競争力を下げ、地域間の葛藤を齎すのみだということである。そこで韓半島先進化財団は首都圏の規制緩和を主張する。そして大都市圏中心の広域的な地域発展戦略を出しながら、行政中心複合都市と公共機関の地方移転を前提とする核心都市建設を前面中止することを主張する。7
李明博政府は基本的にこのような韓半島先進化財団の主張と同じ立場である。それで出帆初期に首都圏規制緩和を推し進めるといったし、革新都市に批判的な態度を示した。しかしこれに対する非首都圏地方自治団体の激しい反発が起こると、去る7月21日、「首都圏規制緩和はスピード調節をし、広域的な地域発展戦略に努める」との立場を発表した。そして行政中心複合都市と革新都市もそのまま推進すると言った。これは非首都圏地域の世論を意識した結果である。だが、李明博政府はスピード調節はするものの、結局首都圏規制を緩和しようととりかかるだろう。その場合、首都圏への集中現象は一層酷くなるはずである。

5+2 広域経済圏と各種の開発プロジェクト
一方、李明博政府の大都市圏中心発展戦略は、「5+2広域経済圏」で現れている。広域経済圏とは既存の地方自治団体の行政区域を越えて産業・教育・医療・文化など、すべての分野の機能が結合した人口5百万名内外の圏域で、今年1月、大統領職務引継ぎ委員会は国土を首都圏(ソウル、仁川、京畿)、忠淸圏(大田、忠北、忠南)、湖南圏(光州、全南、全北)、大邱・慶北圏(大邱、慶北)、東南圏(釜山、蔚山、慶南)の5個広域経済圏に分けて、地域開発政策を推し進めると発表した。そして江原道と済州特別自治道は特別経済圏として別に区分した。それで「5+2」となるのである。

ところで「5+2広域経済圏」は結局、大規模開発を伴うプロジェクトと繋がれている。今、核心プロジェクトとして挙げられるセマングムプロジェクトとか南海岸のサンベルト(Sun Belt)とかという開発事業も結局、土木工事と不動産投機の場に転落する可能性が高い。すでに開発が取り上げられる地域の不動産価格は大幅に値上がりした。さらに去る7月21日発表した内容を見ると、地方へ移転する企業に土地収用権を含めた開発権を与えるというなど、土地開発を主とした発想から逃れないままでいる。これらの構想は開発利益を一部の企業に一度に与える特恵を生むはずであり、環境破壊、乱開発などの副作用を齎すだろう。しかも南部圏に新空港を早期建設すると言っており、道路と高速鉄道を大幅拡充すると言っている。8
韓国はどのような大げさな戦略やビジョンも結局、土木工事で実現される構造を持った土建国家である。農漁村支援をする場合も土木工事を繰り広げることで現れ、「競争力強化」とか「国際化」とか「革新」とかいう大げさなタイトルを付けても、結局は土木工事を繰り広げることへと帰結される。5+2広域経済圏も結局、全国土で土木工事を広げるものに転落するのではないかと心配される。

開放を名目とした内部揺さぶり
一方、金大中(キム・デジュン)政府以後、「開放」を名目としてわが社会の内部構造を変えようとする試みが続いている。金大中政府はIMF外国為替危機を克服する過程で「東北亜ビジネス中心国家」という概念を設けた。主に経済部署を中心に提議された「東北亜ビジネス中心国家」は結局、規制緩和と開放化を意味するものだった。そしていつかの地域を定めて優先的に規制緩和と開放化を推し進め始めた。名目は外国人が投資しやすい経営環境を作り、彼らの生活与件を改善するというものであった。それで金大中政府の末期に「経済自由区域の指定および運営に関する法律」が制定されたし、仁川、光陽灣、釜山・鎭海経済自由区域が指定された。そして済州道は人・商品・資本の移動が自由であるという済州国際自由都市となった。

盧武鉉政府の末期には黃海(平澤、唐津)、セマングム・群山、大邱・慶北が経済自由区域として追加指定された。経済自由区域が事実上、全国化したのである。従って経済自由区域で、あることが進められると、直ちに全国化する効果が現れることになったのである。

最初は、経済自由区域や国際自由都市を指定すると、すぐにでも外国人投資が活発となりそうに誇大包装されたが、その実績は低調なほうである。逆に不動産価格の上昇が齎されたし、不動産投機利益を狙った資本が進出しているという憂慮も大きい。より深刻な問題は、こんな地域的特例らが最初の名目とは違ってわが国内部の教育・医療の公共性を毀損する手段へと変質していることである。最初、経済自由区域や国際自由都市が推し進められる際は外国語サービスの提供、外国人専用の医療機関設立、外国教育機関設立を許容する水準であった。しかし今は経済自由区域と済州国際自由都市を基盤とする、教育・医療市場化を推進しようとするのではないかという疑いが高まっている。外国人用ではなく、内国人用の政策が相次いで作られているからである。

具体的に見ると、経済自由区域や済州に作られる外国教育機関に、内国人の入学を次第に拡大許容しようとしている。済州英語教育都市の場合には内国人を相手に英語専用教育を行う12個の初等・中・高等学校が入る予定でもある。海外留学の需要を吸収するという名目で推進されるこのような政策により、高費用の「特別学校」が建てられ、結局、国内の公教育体系に影響を与えることになるだろう。医療の場合も外国人用の医療機関の設立を許可するところから次第に変質され、今は国内営利病院を許可する段階にまで進んでいる。今回、済州で国内営利病院の設立は一応中止されたが、済州道と6個の経済自由区域で医療市場化は続けて推し進められている。9


3. 「先進化」された地域開発戦略の本質

結局、李明博政府が推し進める先進化の二つの柱は、取りも直さず過去を踏襲した土建国家と新自由主義的市場化・開放化である。そして地域開発政策と関連しても、そのような二つの柱で政策が推進されている。勿論こんな政策は新自由主義的市場化・開放化のみを主唱する一部の先進化論者たちにとっては戸惑わせるものでもある。先進化を標榜しながらも60∼70年代式の大規模土木事業を繰り広げることを正当化するのは容易くないからである。それで沈黙が続いている。先進化論者たちの中で相当数は古い土木事業である韓半島大運河構想について沈黙した。

もう少し具体的に見てみよう。韓半島先進化財団で2007年9月出版した『21世紀大韓民国先進化4代戦略』は、先進化論の核心イデオローグといえる朴世逸(バク・セイル)、羅城麟(ナ・ソンリン)が共著で出した本である。この本で彼らは金大中―盧武鉉政府の財政運営を「大衆迎合的な財政浪費」と規定する。そして「大型国家プロジェクトを根本的に再検討する」という点を掲げた。ところがまさに史上初めてのプロジェクトである大運河については触れていない。1010)当時、すでに大運河は国家的争点となった状態であるにも関わらずだ。ある意味でこれは先進化論者たち自らが陥ったジレンマであるといえる。先進化を標榜しながらも土木事業に依存しようとする李明博政府の性向を容認するしかないのが、現在彼らが置かれた状況である。一種の野合といえる。先進化論者たちは土建国家を容認し、土建国家論者たちは先進化という尤もらしい外皮を被る野合が繰り広げられているのである。


4. 盧武鉉-李明博政府の共通点: 規制緩和と土木事業

一方で李明博政府を批判しながら、盧武鉉-李明博へと続く一連の新開発主義の流れが読みとれなかったら、それは大きな問題である。勿論彼らを全く同一視しようといっているわけではない。しかし両政府の差異は何であるか、そしてその間を貫いてきた一連の流れは何なのかについて正確に分析してみる必要はある。

李明博政府が盧武鉉政府と最も異なる点は、行政中心複合都市や公共機関の地方移転に否定的な立場をとるということである。そして首都圏規制緩和に、より積極的であるということである。その反面、両政府の政策には類似した側面も多い。恰も盧武鉉政府が韓米FTAを推進して、李明博政府がそれを仕上げようと心労しているようである。両政府は基本的には規制緩和と開放化を推進している。特に教育・医療分野で際立つ。盧武鉉政府は経済自由区域と済州国際自由都市の時から教育・医療と関わる様々な規制を緩和し、外国医療機関と教育機関を誘致しようとした。李明博政府もそのような点では基本的に同じであり、規制緩和と開放の速度をより速めようとする可能性が高い。とにかく両政府とも教育・医療を公共性という側面よりは、「競争力強化」という側面から眺めている。

李明博政府と盧武鉉政府の地域開発政策比較
票

一方、大規模開発事業を推進するという点でも両政府は類似している。民主党政治人たちは韓半島大運河に対して批判するが、彼らは盧武鉉政府の時代にセマングム、革新都市、企業都市などの大規模開発プロジェクトが推進されたことを忘れたようである。勿論、規模や性格の面で違いがあるが、そんな大型開発事業と韓半島大運河は本質的に違うものではない。そんな方式の接近法が不動産価格上昇をそそのかし、わが国をさらに土建国家化するという点では違いがないのである。


5. 地域開発戦略と民主主義

開発同盟と地域
韓国では「開発同盟」という用語が使われている。新開発主義に批判的な知識人たちがよく使う用語である。「同盟」という表現の語感が強すぎる面はあるが、実際、開発同盟は一種の連結網の形で存在する。中央政府官僚・政治人―地方自治団体―地域開発勢力(土豪)へと繋がる開発同盟によって大規模の開発事業が進められてきた。代表的な例がセマングム干拓事業である。農地を助成するといって干潟を埋め立てしておいて、今は干拓地の70%を農地ではない産業・観光用地に使うというのがセマングム事業である。こんなセマングム事業が可能であったのは、まさに中央政府・政治家―全羅北道―地域官辺団体・地方言論などの開発勢力へと繋がる開発同盟があったからである。

一方、李明博政府は地域開発勢力との開発同盟をより一層強化していくだろう。韓半島大運河の推進過程で地方自治団体長と地域の既得権勢力を組織化しようとしたのと同じように。そして新自由主義的市場化もこんな開発同盟を通じて推し進めるだろう。今すぐ教育・医療の市場化を全国的に推進するには支持率が余りにも低い。従って地域の開発心理を利用して何箇所から特例を認めてあげるといったふうな形で推し進めていく可能性が高い。

一方的に独走する開発同盟
現在、韓国の代議民主制は深刻な欠陥状態に陥っている。代議民主制がせめて作動するためには、多様な勢力が多様な価値、多様な政策で競争することが求められるが、現実は全くそうでない。単に大統領―国会―広域地方自治団体長―広域議会が殆ど同一の政党所属という点だけでなく、彼らの追い求める価値やビジョンが同一だということに問題がある。

今、中央政府と広域地方自治団体、基礎地方自治団体は所属政党に関係なしに新開発主義を基本方向としている。地域内でも牽制装置がない。地方自治団体長と地方議会の多数が新開発主義を信奉し、開発を追い求める勢力を支持基盤としているからである。それで地方自治団体は絶え間なく土木工事を繰り広げながら規制緩和を推進している。政党も意味がない。中央政府から開発構想を出すと、地方自治団体長は所属政党に関係なしにそれに従うのに忙しい。韓半島大運河の構想を民主党所属の地方自治団体長らも追従するに余念がなかったのを想起する必要がある。なので地域に行くほど、新開発主義は一方的な独走を続けている。今全国の様々な地方自治団体が内国人カジノを許可してほしいと、中央政府に求めている。経済に役に立つならどんな副作用があろうとも無理やり推進するのである。

地方分権・均衡発展を主張してきた流れに対する省察が必要
これまで地方分権・均衡発展を主張してきた地域と市民社会の流れはあった。しかし彼ら自らも反省と省察が必要である。均衡発展という名目で土建国家的開発主義に対して曖昧な立場をとって、革新都市のような物理的な開発中心の事業を容認してきたのではないかと顧みる必要がある。

拠点中心の、そして物理的な土地開発中心の均衡発展政策は全国的な不動産価格上昇を齎したし、社会両極化を深化させた。そんな方式は均衡発展ではなく、不均衡発展であり開発主義のもう一つの姿にすぎない。そして地域発展を名目で掲げた中央と地域の開発同盟に対し沈黙することは、結局、環境破壊と予算無駄遣い、そして生の質の悪化を齎す新開発主義を容認する結果を生み出す。そのような点で地方分権・均衡発展を主張してきた知識人たちや地域運動家たちも引き返し省察する必要がある。

パラダイムの変化が求められる
先述したように、李明博政府の「先進化」にせよ盧武鉉政府の「均衡発展」にせよ結局、土建国家と新自由主義の市場化という二つの柱から逃れていない。それを新開発主義と表現できるだろう。

さらに李明博政府式の「先進化」は新開発主義の決定版といえる。しかし李明博政府だけが新開発主義を追い求めているのではない。李明博政府のみ批判して、盧武鉉政府の時から続くその流れから目を逸らしてはならない。いや、わが国すべての地域に巣くっている土建国家と浅はかな量的成長優先主義の根に触れなくては変化は不可能である。

従ってこれからはパラダイムの変化が必要である。地域開発と関連して異なる接近が始まらなければならない。量的な経済成長一辺倒の戦略ではなく、地域住民の生の質を優先視する新しい地域発展戦略が出るべきである。量的な経済成長と生の質向上が必ずしも比例関係にあるのではない。例えば、土建国家式開発は地域内総生産(GrossRegionalDomestic Product,GRDP)は増加させうるかもしれないが、環境を破壊し住居費用を上昇させるなど、生の質を悪化させる。国家的にも高い不動産価格は未来の潜在力を削り、貧富格差を取り戻しもできぬものにしながら社会を蝕む。

分別のない規制緩和は短期的経済成長と非正規職の勤め口の創出には役立つかもしれないが、地域住民たちの長期的な生の質向上には役に立たないかもしれない。今回、済州道で多くの住民たちが国内営利病院に反対したのも、こんな政策が医療費上昇と両極化深化などを齎して地域住民の生の質を悪化させるのを心配したからである。

その地域に定着して生きていこうとする人々の立場から見ると、経済成長より重要なのが生の質である。勿論ここで言う生の質は「長期的に持続可能な生の質」を意味する。生の質は政治、経済、福祉、文化、教育、環境、性平等などを包括する概念であり、11「長期的に持続可能である」とは今進められる気候変化と「石油時代の終末」までも念頭に置くという意味である。こんな意味の生の質を優先視する発展戦略が可能であるためには、何よりも地域内民主主義が実現されるべきである。今のように開発同盟が一方的に政策を推進するのではなく、地域住民たちの参加に基づいた民主的な政治・行政体制が樹立されるべきである。

このためには、草の根の社会運動の活性化も必要だし、代議政治の変化のための努力も必要である。今の既成政党はすべて新開発主義の流れに編入されている。大規模開発事業を政治的に利用してきた、土建国家の構造のもとで政治的利益を享受してきた既成政党では希望がない。そこで新開発主義を克服できる新しい政治的流れが求められる。

このような流れは地域から出発するしかないはずであり、既得権の政党体制を否定するところから出発しなければならないだろう。そして地域住民たちの参加を中心に置いて、実際、地域住民たちの参加を引き出せる新しい政治的組織を構成することによって、政治の主体を変化させるべきである。日本の地方政党(local party)やドイツの有権者団体のような形も考慮してみるに値するし、12 新しい形も試みてみられる。また政治の議題も変化させるべきである。量的な経済成長ではなく、生の質を政治の中心議題とするべきであろう。

勿論、非常に難しいことである。何かよい方法があるのでもない。変化のためには志のある人々が集まり、自らを組織する方法しかない。それのみが変化を引き出す唯一の道である。もうこれ以上、空回りばかりしていては希望はない。(*)

訳=辛承模

季刊 創作と批評 2008年 秋号(通卷141号)
2008年9月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea

  1. 新開発主義(neo-developmentalism)は趙明来(チョ・ミョンレ)が使い始めた用語として、1960∼70年代式の開発主義が、IMF外国為替危機を経ながら市場万能主義の性向を帯びた新自由主義と結合したものを指す。趙明来「欲望と自然の商品化と新開発主義」、『新開発主義を止めろ』、環境と生命、2005、43∼47頁参照。
  2. 開発事業を推し進める政府はしつこく事業を進める一方、イッシューを中心に反対運動を行う市民社会や住民たちは、その論争点が長期化するほど力が抜けるようになる。そして、地域の開発選好勢力は絶え間なく地域世論を助成し、地方自治団体長も中央政府に開発事業の推進を求める。そうなると、一応中止された開発事業は一定の潜伏期間を経た後、再び水面上に出てくるし、その際は以前より反対世論も少なくなる。全国の数多くの地域で様々な開発事業がこのような過程を経て推し進められてきた。
  3. シン・ドチョル『21世紀新しい地域発展政策のパラダイム』、韓半島先進化財団、2008、79頁参照。
  4. 柳佑益「水路を繋げて国土改造」、韓半島大運河研究会編『韓半島大運河は富強な国を作る水路である』、ギョンドク出版社、2007、35∼41頁参照。
  5. Gavan McCormack著、韓敬九他訳『日本、うわべだけの豊饒』、創批、1998、61∼75頁参照。
  6. 朴世逸「次期政府15代国政課題の基本哲学と方向」、朴世逸・羅城麟編『21世紀大韓民国の先進化4代戦略』、韓半島先進化財団、2007、21頁参照。
  7. 朴世逸「大韓民国先進化4代戦略の基本方向と課題」、上掲書、108∼109頁参照。
  8. 李元燮「広域経済圏の構築方向と課題」、『地域経済』2008年春号、17頁。
  9. 去る4月25日、企画財政部などが発表した「サービス産業先進化法案」でも経済自由区域内の外国医療機関に対する規制を緩め、医療法人が行える付帯事業(ホテルなど宿泊業)の範囲を拡大すると公表した。済州道でもそのような政策が推進されている。こんな流れは2007年2月28日、サムソン(samsung)経済研究所が出した「医療サービス産業高度化と課題」というイシュー・ペーパー(issue paper)で「営利医療法人の許容の前段階で付帯事業の範囲を拡大する必要」があると主張したことと無関係ではなかろう。
  10. 朴世逸「次期政府の15代国政課題の基本哲学と方向」、17頁。
  11. イギリスのEIU(Economist Intelligence Unit)は、2005年、物質的福祉水準、健康、政治的安定性と治安、家庭生活、共同体的生活、気候と地理、雇用安定、政治的自由、性的平等などを指標にして生の質を評価した。
  12. 日本の地方政党やドイツの有権者団体は地方選挙にのみ候補者を出す地域的政治参加組織である。
2008/09/01 12:00 2008/09/01 12:00

特集 | 李明博政府、このまま5年を続けるのか
金鍾曄(キム・ジョンヨップ) jykim@hanshin.ac.kr
韓神(ハンシン)大学校社会学科教授。著書に『連帯と熱狂』『エミールデュルケム(Emile Durkheim)のために』などがあり、コラム「6月の広場を踏んで進む2008年キャンドル抗争」などを『創批週間論評』に寄稿した。



去る5月以降、われわれは類のない抗争の時間の中にいた。こんな新しい事件の中にいると、それを理解しようとする欲求は強くなる。だが、このような欲求を満たすことはそれ程容易くはなさそうだ。事件が新しいほど、既存の認知的枠の変化が求められるわけだが、抗争の時間がまだ終わっていないだけでなく、現在の解釈が抗争参加者たち自身の意味資源として還流して、事件そのものの行路に影響を与える状況だからである。解釈の妥当性を確保することは難しいのに比べて、解釈作業は強い現実介入性によって、後に及ぼす影響をも考慮しなければならない責任を受け持つわけである。

このような状況は恰も森の中で森を観察する際出会う難しさと類似している。眺望点を得るためには森から出なければならないが、そのためにはデカルトの古い格言に従って、恣意性の危険を抱えながらも方向を決め、そちらに向かって真っ直ぐ進むしかない。筆者は87年体制論をこのような方向設定の糸口にしたいと思う。ある者は87年体制の終焉を語る。そのような主張の、右派的版本としては先進化論があり、左派的版本としては新自由主義体制論、97年体制論、新平等連合論などがある。しかし、これらの立場に立つと、われわれが目撃したキャンドル抗争は非常に説明しにくい。キャンドル抗争という事件の根と、それの行路を推し量るためには、民主化移行を通じて形成された87年体制の発達論理とキャンドル抗争との連関を解き明かすことが欠かせないというのが筆者の判断である。

ここで筆者はまず、87年体制がわが社会の成員の思考と行動様式に具現された方式を検討し、それに基づいて去る大統領選および総選挙の結果と現在のキャンドル抗争に現れた大衆の変貌という論争点を扱う(1章)。次にキャンドル抗争の主役は誰かということを中心に、87年体制の中で形成された民主化の効果がどの集団にどのように蓄積されたかという点を検討する(2章)。その次にキャンドル抗争の新しい特性を、オンラインとオフラインの結合、そしてイデオロギー的闘争における革新性を中心に見てみる(3章)。それと共にキャンドル抗争の意味を新自由主義的地球化と関連させて見てみ、この過程で盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の以後、新自由主義対反新自由主義という闘争構図を設定してきた左派的議論が見逃した点を論じる(4章)。そしてこれに基づいて代議民主主義と直接民主主義の関係を見てみ、同時にキャンドルの陰に対する議論を簡単に検討する(5章)。最後にキャンドル抗争のアポリアを考え、それがキャンドルの行路と関連して持つ意味について論じる(6章)。


1. 大衆は変貌したか

去る大統領選挙で李明博(イ・ミョンバク)大統領は圧倒的な票差で当選された。大統領職務引継ぎ委員会の時から、そして政権初期から人事と政策の両面で多くの軋みがあったが、総選挙でもハンナラ党は大きな勝利を収めた。その時期までも国民は李明博政府に対する信任を持っていたようである。しかし、大統領のアメリカ訪問にピッタリ合わせられたアメリカ産牛肉の輸入開放以後、状況は完全に反転し、就任6ヶ月も経たないうちに大統領の支持率は驚くほどの水準に落ちて、なかなか反騰できないでいる。
このような急反転をもって、昨日選んだ大統領に今日の国民が背を向けることがなぜ起きたかという疑問が出された。この質問に対して、李明博大統領とハンナラ党に対する支持の限定性、積極的な支持層の少数性、大統領選挙での李明博支持を撤回した国民的自覚などが答えとして出された。これとは違う角度で、国民は制限的ではあるが、一貫して合理的に行動していると語る者もいる。大統領選挙では李明博を支持することが自分にとって利益になると判断して支持したが、今は彼に反対することが自分にとって利益になると判断しているということである。

これらの説明はそれなりに説得力はあるが、統合的な説明ではない。より一貫した説明のためには、87年体制論の見地から眺望する必要がある。87年体制は権威主義的旧体制との妥協的民主化であったため、社会勢力のレベルでは旧体制の勢力を解体できず、文化的なレベルでは旧体制の時形成された価値観と文化的エトスを解体できなかった。その中で民主派と保守派は体制移行の経路を規律するプロジェクトとして、それぞれ民主化と経済的自由化を主張したが、両方のどれ一つも確固たる優位に立つことができぬまま、長い膠着の局面が持続した1。どちらも決定的な優位を占めることができないまま葛藤してきた二つのプロジェクトは、その体制を生きていく人々の価値観と選り好みの体系にも浸透していった。言い換えると、われわれは去る20余年の間、より民主的な感性を持った存在になったのと同時に、より競争的で新自由主義的な個人的合理性を行動文法とする人間となった。そしてこの二つの側面は個々人の人格の中で複雑に入り混じった。それでわが社会の成員たちを一直線上に広く広げておくと、両端には一貫して民主的な価値と選り好みの体系を持った人々、そして一貫して保守的な心性と新自由主義的な選り好みの体系を持った人々がいるだろうが、その間に存在する大多数は両プロジェクトの構成要素が、相異した比率で複雑に入り混じった価値観と選り好みの体系を持っているといえる2

個人の中で民主的な選り好みと新自由主義的な選り好みは内的緊張を誘発する可能性があるが、去る20余年の間、わが社会では私的幸福と公的大義を媒介できる機会が非常に狭小していたため、このような内的緊張は強められてきたといえる。わが社会の成員たちは自分が生きていく体制に対して、観察者の視点から正しいと思う選択と、日常的な競争体制の中にいる行為者としての選択との間で、激しい分裂を経験することになったし、それによって政治的選択も状況的要因に沿って激しい動揺を示しやすかった3

このような状況を念頭に置くと、去る大統領選挙と総選挙で、すでに失敗を宣告された旧与党と政治的多数を形成しにくい進歩的政党の代わりに、割合、安定的な政党構造を維持しており、経済成長を約束するハンナラ党と李明博候補が選ばれたことは理解しにくいことではない。だからといってこのような選択を、大統領選挙の直後に何人かの人々が主張したように大衆の保守化だと解釈したり、価値の政治に代わって欲望の政治が浮上したと見なすことは行き過ぎである。

87年体制を生きてきた多数の人々の人格構造には、旧体制的保守主義と新自由主義だけでなく、民主的価値と選り好みもまた、構造的な要素として含まれている。しかしこのような要素が常に表面に現れ、表現されるわけではない。しばしば人々は自分の選り好みを実現する社会的機会が制約されると、そのような状況に適応するために自分の価値観と選り好みを状況に適応させる時が多い。民主的価値と選り好みがこのような制約状況に会うと、大衆は保守化したように見える。しかし民主的価値とそれを具現する制度が重大な脅威を被ると、適応のために留保された民主的な選り好みと価値が表現されることもあるし、このように価値と選り好みを力動的に理解する時にこそ、キャンドル抗争のような事件の発生が理解できる。
こんな民主的な選り好みの発現が逆転に対する防御機能としてのみ働くのではない。もともと民主的性向がうまく表現されなかったこと自体が機会の制約によるものであるから、民主的価値を具現できる代案が可視化すると、それはより活発に表現され得る。キャンドル抗争を通じて大衆は自分の民主的価値と選り好みを表現しただけでなく、それを通じて自分と類似した価値を持った人々の存在を経験した。このような共同の経験は、まだ政治的代案ではなくても、社会的代案がわれわれの中に存在するという自意識をもたらしてくれたし、またこのような社会的代案に対する知覚が民主的感性をより活性化させ、キャンドル抗争を成長させた動力であった。


2. なぜ青少年と女性であったか

キャンドル抗争は87年以後、民主化の文化的潜在力を示すと共に、その潜在力が表現されることによってより強化される事件であった。その意味でキャンドル抗争は政治的民主化に続く文化革命の性格を帯びる。しかしキャンドル抗争は87年体制の文化的潜在力が幅広い底辺を持ったことを示すと共に、そんな力が各社会集団に相当、差別的に蓄積されていたことを示すものでもあった。この点をキャンドル抗争の主役が誰なのかという観点から見てみよう。

キャンドル抗争は社会的合意度が非常に高かっただけでなく、類のない大規模動員を成し遂げた運動である。そうなったのは、民主化した生の経験が蓄積し、国家の物理的暴力に対する恐怖がなくなったし、また参加費用が非常に低くなったからである。これによって政府と真正面から対決したにも関わらず、ソウル都心の真ん中を自由に平和に占める大規模の大衆動員が可能であった4。このように大規模の大衆集会が続くことによって、参加者の構成はほとんど全社会を包括するほど拡張した。なので誰がキャンドル集会に参加するかと質問されたら、男女老若の全階層だというのが正解であろう。こんな初歩的な答えを超えて、いざと抗争の主役に対する細密画を描こうとすると、それは非常に難しい作業となってしまう。

しかし6・10抗争と対比すると、少なくともいくつかの非常に印象的な点が見い出せる。集会で誰でも直観的に捕らえられたことは、大学生の席が青少年に移譲されたし、男性の席が女性に半分、あるいはそれ以上、渡されたという点である。なぜこのようになったのか。なぜ全体抗争の撃発者が、現代史におけるのと同じように大学生ではなく、青少年、それも「キャンドル少女」であり、抗争のバトンを受け継いだ者がネクタイ部隊ではなく、ベビーカー部隊とハイヒールの女性たちであったのか。これを解明するためには、去る87年体制を通じて競合していた二つのプロジェクトである民主化と経済的自由化が世代と性別、そして階層と地域の分割線に沿ってどのように相異に働いたかを見てみる必要がある。

まずなぜ大学生ではなく、青少年なのかを考えてみよう。これに答えるためには、二つの集団の世代的経験の差異に注目する必要がある。まず二つの集団の父母が違う。現在、青少年集団の父母は87年の民主化移行を主導した386世代であるが、大学生たちの父母は70年代の大学生集団と重なる。386世代は大体、大衆化段階の大学に通い、民主化運動を集団的な経験として行った世代であった。これに比べ70年代の大学生は非常に特権的な集団であったし、少数を除けば民主化運動から外れた。また学歴や学閥の社会的補償を最も多く、そして直接的に享受した世代でもあった。なので大学に通わなかったその世代の人々にも、学力や学閥に対する執着は以後の世代よりより強く現れる。従って二つの集団は民主的価値に対する信念と献身において一定の差異を示し、このような差異は子供養育を始め、家族生活にも反映された。そしてこのような生活様式での民主性の差異が、子女世代で民主化の文化的潜在力の違いを生んだといえる。

これのみでなく、今の大学生集団が十代の時、外国為替危機を経験したということも重要である。彼らは環境を鋭敏に知覚するとはいえ、社会経済的問題に対する洞察力を備えるには余りにも幼い時に経済危機を経験した。苦しめられた両親の溜息を媒介に、彼らには安全に対する欲求が強められ、物質主義的価値観が体化した可能性が高い。それに対して現在の青少年たちは、深刻に感じるには幼すぎる頃に外国為替危機を経たし、ある程度経済が回復された後、青少年期を向かえた。なのでその分、脱物質主義的な価値を受け容れる体験的土台を備えていたといえる。

大学生の代わりに青少年たちが前面に立ったのと同じく、女性たちもまた政治の新しい主役として登場した。青少年集団の中でも核心勢力は少年たちではなく、キャンドル抗争のアイコンとなった「キャンドル少女」であった。このことは民主化の文化的潜在力が男性を超えて女性に、ひいては男性より女性により多く蓄積されたことを意味する。一般的に民主主義は平等主義にその土台を置くと共に、平等を強化するという点を念頭に置くと、87年体制が成し遂げた民主化で創出された新しい権利の享受者は、社会的少数者集団といえる。勿論、多様な社会的少数者に対する差別だけでなく、男女間の差別もまた、相変わらず深刻である。国連(UN)が発表した2007年女性権限指数(GEM)で韓国は、調査対象の93カ国中64位に留まった。しかしこのことは女性たちが民主化にも関わらず、制度的補償を受けられずにいることを示すのであって、彼らの文化的潜在力が低いということを意味するものではない。卑近な例として最近、人文系高校の卒業者の、高等教育機関への進学率は男女間で差異がなく、兵役服務加算点の閉止以来、公務員試験の合格率では女性の方が高い。民主化の効果で家庭生活での夫婦間の平等も伸びたし、情報化指数でも年齢が低いほど男女間の差異はなくなる。

キャンドル抗争と関連しては、特に情報通信技術の活用に現れる女性の能力に注目する必要がある。後で詳述するが、キャンドル抗争のように、オンラインとオフラインが殆ど一体化されるような抗争では、特定集団の動員脈絡を規定する時重要なものが、情報通信技術の活用能力だからである。女性たちの情報通信技術の活用、例えば携帯電話やインターネットの活用は量的に男性に余り劣らないだけでなく、質的にはより濃密である。男性たちは情報通信メディアに道具的な態度を示すのが一般的であるが、女性たちはそれを親密性の疎通メディアとして使うからである。インターネットを例に挙げると、女性たちは男性たちより同好会の活動にずっと積極的に参加するだけでなく、もっと内密に交流する。キャンドル抗争を通じて「82cook」や「ソウルドレッサー(SoulDresser)」のような女性中心のインターネット同好会が示した政治的活動性は、単にアメリカ産牛肉の輸入開放というのが食材という、より女性的な議題だからということによるものではない。むしろ彼女たちが示したのは蓄積された文化的能力、すなわち緊密に疎通し連帯する能力が政治的自己啓蒙と結合する際、どれ程力を発揮できるかということであった。


3. 情報通信、そしてイデオロギー闘争の革新性

先述したように、キャンドル抗争の、際立って新しい特徴は、オンラインとオフラインが結合した運動という点である。オンラインが町と広場へ出て、広場が再びオンラインへ回帰する様相、いやオフラインの広場がリアルタイムでオンライン広場に接続している状況が、正にキャンドル抗争の核心的特徴である。集会に出た人々の手には、携帯電話、無線インターネットを備えたノートパソコン、カムコーダーとデジタルカメラが持たされていて、集会はインターネットを通じて直接中継された。このような情報通信技術の活用でキャンドル抗争は量と質の両方で以前のいかなる抗争よりも多くのドキュメントを生産した。インターネットに接続して、いくつかの検索語を入れるだけで、膨大な記事、討論、写真、動画に会えるし、それは今も絶え間なく加工され、同好会の掲示板とミニホームページとブログに保存され、移動している。実に現実総体に迫るテキストとして、現実を調整し変動させるオンラインの現存はキャンドル抗争に二つの方式で効力を発揮した。

まず、情報通信技術は新聞や放送のような伝統的なメディアによって形成された公論の場を置き換えたり、変形する代案的公論の場として働いた。この点はわれわれの脈絡で特に重要な意味を持つ。87年の民主化移行の妥協性によって、民主化が公論の場の健康回復という効果を生むどころか、権威主義的旧体制に仕えていた保守的言論機関にもっと幅広い自由と成長の機会を与えたからである。87年体制を通じて、保守層の有機的知識人として活動した保守言論は恣意的な記事とフレイム操作、そして豹変まで行いながら、公論の場を猥褻的な攻撃性の溢れる泥沼にし、それによって民主主義の発展に決定的障害となった。従って民主的感受性を成熟させ疎通させるためには、代案的公論の場が必須的であったが、このような作業が情報通信技術によって可能となった。

しかし、このような代案的公論の場の発展が情報通信メディアにより内在的に保証されたわけではない。情報通信技術は現実社会の様々な構造によって同一な方式で構造化されやすい。現実資本主義に対応して情報資本主義が、現実の監視統制の傾向に対応して電子パノプティコン(Panopticon)が、現実民主主義と関連して電子民主主義が発展することができる。こんな潜在的可能性の中でどれがどの位実現されるかは、社会成員の民主的潜在力にかかっている。しばしばインターネット公論の場は匿名性に基づいてより大きい自由の疎通をもたらすよりは、攻撃性と赤裸々な欲望が排泄される「電子裏通り」へと退行する可能性も少なくないからである。キャンドル抗争はこんな退行の危険を防ぐことによって情報通信技術を通じて代案的公論の場を創出したし、それによって保守言論の世論操作と政府の情報統制を効果的に突破できた。

次にこう形成された公論の場は大規模で群集した大衆が創意力と自制心を持ち得るように、そして彼らが集合的知性を発揮できるように働いた5。近代民主主義の形成と共に大衆の集合的行動は民主主義の重要な原動力であった。しかし散在した不満が特定の契機によって結集する場合、彼らの行動はうまく調節できず、そのため暴力に傾倒する場合も多かった。そうなった理由は、このような集合的行動が知的談論に媒介されうるコミュニケーション手段が余りなかったからである。だが、このような集合的群衆は民主的潜在力を内蔵しており、発達したコミュニケーション手段と結合する際、それが高度の知性と自己統制力を発揮できることをキャンドル抗争は示した。インターネットを通じて持続的に集会の議題と方向を討論し、適したデモ手段を模索することによって一方では創意力を、また一方では非暴力の基調が維持できたが、前者は抗争全般があんなに愉快な祭り性を持ちうるようにしてくれたし6、後者は参加者たちに高い道徳的自尊心と連帯感をもたらした。先ほど、民主化の効果でキャンドル抗争は参加費用が大幅低くなったと言ったが、こんなに参加費用を下げるのに参加者自身の非暴力維持も大きな働きをした。政府は、取り留めようもなく規模が大きくなったデモを統制するために暴力的鎮圧を試みると共に、絶え間なく暴力デモを誘導しつづけたが、その核心目標はキャンドル抗争の参加費用を高めることによって参加者の数を少なくし、集会で強硬派が孤立するように仕向けることであった。しかし抗争参加者たちはこんな暴力の誘惑を断る自制力を示した。

キャンドル抗争が見せた、ほぼ世界最初の試みだと思われる情報通信抗争という側面は、すでに多く議論されたところである。だが、余り議論されなかったキャンドル抗争の新しい側面があるが、87年体制を通じて民主主義を日常的経験として持った市民の自力化した(self-empowered)態度から出現した新しい批判の様式と精神がそれである。

周知のように、キャンドル抗争で最も歌われた歌は「憲法第1条」であった。今年は制憲60周年となる年であり、歌で歌われた第1条は去る60年間、何回かの改憲でも変わらず持続された条項である。ところで去る60年間、大韓民国がまともな民主共和国であったことは余りなく、大韓民国のすべての権力が国民から出たことはさらになかった。その意味で体制を正当化するための欺瞞的な条項であり、なので誰も振り向かなかった憲法第1条が大衆の間で楽しく歌われた。

通常的なイデオロギー批判は体制を正当化するメッセージと、そうではない現実を対照することによってそのメッセージの虚構性を暴露する。「憲法第1条」を歌ったり、「われわれは学校で習った通りにやっていますよ」と書かれたピケットを持って出たキャンドル少女の行動は、これとは異なる方式で体制を批判する。すなわち、体制の理念を逆に自分のものとして受け入れ、その理念の主になろうとすることである。このように「憲法はただの憲法であり、教科書はただの教科書であり、実際、現実を運営する原理は慣行」だという態度を止め、表に掲げただけの主張をそのまま実践することを要求する態度は、左派の標準的なイデオロギー批判よりもっと効果的である。このような接近は既存の理念であれ代案的な理念であれ、すべてそれを主張する人々の利益追求へ還元することによって「どいつもこいつも同じだ」といったふうな冷笑主義を助長する保守言論の攻勢を一気に遮断するからである。こんな闘争方式はキャンドル抗争で多様に姿を現した。例えば、表通りを遮った警察バスに不法駐車の撤去シールを貼ることがそうであるが、それは風刺精神のみから発するものではない。そのような行動は自分を法の主体の席に置く民主的な市民の主たる態度を前提とする7。そして正にこのような態度が大衆が抗争の中で懐疑に落ちない頑強さを持ち得た源泉である。


4. 左派的反新自由主義論、何が問題か

キャンドル抗争はアメリカ産牛肉の輸入開放反対から始まり、直ちに医療民営化、水私有化、教育問題、大運河、公営放送の守護のような5大議題へと拡大した。「狂った牛」に対して「狂った教育」「狂った民営化」「狂った大運河」「狂った放送掌握」が等価的連鎖関係を打ち立てたわけであるが、李明博政府がこのような議題で国民大多数と対置線を形作るようになったのは、彼らの政策が攻撃的な新自由主義の性格を帯びているからである。

この点をより明らかにするために、李明博政府と盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府との性格を対照してみよう。盧武鉉政府は脱冷戦的進歩性、民主化、そして新自由主義の政策混合を特徴とする。こんな混合により盧武鉉政府は経済政策では新自由主義的基調を維持したが、社会政策での民主性と南北問題での相対的進歩性を堅持したし、新自由主義政策も調節された新自由主義、あるいは受動的新自由主義の性格を帯びていた。しかし、李明博政府は冷戦的保守主義、成長主義、そして新自由主義の混合物である先進化談論に基づいている。従って両政府は新自由主義の側面では共通分母があるが、李明博政府には新自由主義政策の殺到を制御できる内的要因に欠けている。これが李明博政府が就任直後、冷戦的外交と民主主義の逆転を含めた大胆で攻撃的な新自由主義政策を施すようとなった理由である8

このような見地から、韓国で新自由主義を大衆の抵抗を宥めながら実行できる政府は、新自由主義が政策レパートリーの一つとして実用的に受容された盧武鉉政府であって、新自由主義が一種の信念の形をとる李明博政府ではないと言いたい。実際、李明博政府の理念を構成する成長主義、冷戦的価値観、新自由主義の中でどれ一つも、実用的意味を持ったものはない。それはすべて強い意味での信念の形を持った硬直的なものばかりである。これはたとえ新自由主義的地球化に共鳴しながら韓米FTAを進めたとしても、アメリカ産牛肉の輸入開放の問題に至っては留まるしかなかった盧武鉉政府とは違って、韓米FTAのためにアメリカ産牛肉を憚るところなく全面開放した李明博政府の行動によく現れている。

検疫主権まで放り出す攻撃的新自由主義に、大衆は直ちに抵抗し始めた。先述したように、87年体制を通じて多くの国民は民主化と経済的自由化という二重的プロジェクトを心性の中に受け入れた。殆どの人々は一方では競争的で個人的な合理性を追い求めることを当然視するが、同時に基本権保障を始め政府の基本責務と基礎的な公共財の民主的運営もまた、当然のことと思う。こんな多数の国民の視角から見ると、李明博政府式の政策は耐え難い性質のものである。このように二つの態度が共存する大衆の心性を考えると、キャンドル抗争は反新自由主義運動というよりは、新自由主義的地球化の推進で可能なことと不可能なこととの境界を確定しようとする試みだといえる。

ここで重要な点は、攻撃的な新自由主義に対する多数の国民の、抵抗の土台が何であったかということである。言うまでもなくそれの名前は民主主義であった。一般的に新自由主義的地球化を通じて資本の力が強くなる理由は、資本は国民国家の境界から逃れる反面、それを統制できる民主主義は国民国家の中に閉じ込められているからである。これによって民主主義の要諦である国民の、国民による、国民のための政治が体系的に弱くなる。政府は世界市場での国家競争力の名を借りて法人税を引き下げ、社会福祉を縮め、公的部門を民営化することによって国民のための政治を危機に追い込む。そして責任所在を曖昧にする複雑な国際協商を名目にして、国民による政治もまた弱くする。これによって両極化された国民国家は二つの国民に割れ、結果的に民主主義の主体である国民そのものの内的連帯と統一性が薄くなる9

こんな新自由主義的地球化の圧力に挑むためには、民主主義が両翼を広げるべきだ。一つの翼は国民国家がより民主的で国民的であることを求める闘争であり、もう一つの翼は資本の地球化に対応する市民社会の地球化努力といえる10。こんな点を念頭に置くと、民主主義の名の下、アメリカ産牛肉の輸入に対し検疫主権を語り、崩壊した代議制に抵抗して国民による政治を働かせ、そんな闘争の中で国民的アイデンティティを整えようと国民の政治を遂行したキャンドル抗争がどれ程事態に正しく介入するものであったかがわかる。

こんな大衆の「賢さ」に照らして見ると、去年「進歩論争」を通じてもうこれ以上、民主対反民主の構図に拘らないで、新自由主義対反新自由主義の構図へ移行すべきだと言った進歩改革陣営の理論家たちと運動家たちの誤謬が何であるかが現れる。彼らは民主化の意味を狭く解釈することによって、87年体制を通じて形成され、たとえ複雑な形ではあるが大衆の中に潜在したままで内燃している民主主義の力を見逃した。また彼らは、まさにそんな接近によって産業化―民主化―先進化という段階を提示しながら民主化課題の終焉を宣布しようとした保守派の談論と、意図せぬまま共鳴することによって、実は内容もなく可能でもない先進化談論の大衆的説得力を高めてしまったといえる。キャンドル抗争が示したのは、先進化談論の虚構性に対する大衆的自覚だけでなく、大衆の保守性からアリバイを求めたり、反新自由主義という経済主義に偏った進歩陣営の誤謬に対する警告である。キャンドル抗争は今われわれに必要なのは87年体制の民主的潜在力を引き出す、より深化した民主主義、そして公的感受性の結集だと語っている。


5. キャンドルデモをめぐった談論と論争

キャンドル抗争は皆に感心を抱かせるところがあった。キャンドルは個人の念願、そしてそのように集まった集合体の念願の優れた隠喩となってくれたし、抗争全般を包んだ祭りと風刺の精神、非暴力性の固守という面でも貴いものであった。何より抗争参加者の個々人に、濁った生から高く高められる体験を提供した。それでキャンドルに対する多様な論評に流れる情調もまた、賛美の精神であった。しかしキャンドル抗争に対するこんな論評の中には冷笑もあるし、理論的問題提議もあった。またキャンドルが知らず知らずの間差した陰に対する議論もあった。キャンドル抗争に賛成する側から出たこのような議論は、たとえ善意に基づいたものではあったが、正当なものではなかった。

まず理論的問題提議から見てみよう。崔章集(チェ・ジャンジプ)はキャンドル抗争に深く共感しながらも、それが限界を持ったという点を早くから指摘した。新聞と討論会、そして自分の定年退任の講演などで彼は、現代民主主義は代議制民主主義であり、民意に対して責任性と反応性を持った政党体制による制度的実践であることを言い切った。そして、韓国のように政党体制が虚弱で、代議制がまともに作動しない時、キャンドル抗争がリリーフの役割はできるが、こんな運動政治は代案の形成が難しいし、イッシュー(issue)の位階秩序を立てて日常的に政策を追い求めるには無理があると言う。また政策が問題視される度に、街頭デモに出るわけにはいかないし、長期的には維持しにくいし、市民社会内の葛藤を誘い出す可能性が高いという点で根本的限界を持つと指摘した。従って必要なのは、キャンドル集会で発現された肯定的な力を、政治的代表体制を強化する方向へと導くことだというものである11
こんな主張にはいくつかの点で同意しかねる12。崔章集、そして同じ論旨の主張を繰り広げる朴常勳(バク・サンフン)は、現代民主主義が何より代議民主主義であると主張する。政治的リアリズムの立場に立つ際、こんな主張は正しい。しかし民主主義に対する規範的理論の立場に立つと、民主主義は直接民主主義、それ一つしかない。人民の自己統治でない限り、代議民主主義であれ他の何であれ、それは民主主義ではなく、代議民主主義が民主主義であり得るのは、機能の側面でそれが人民の意志を代議し、制度的な側面で直接民主主義的な契機を適切に受容する限りにおいてである。ところが、崔章集と同じように政治的リアリズムの見地から見ると、代議民主主義は代議機能をうまく遂行できない場合がずっと多い。従って直接民主主義的契機によって常に制御されなければならないのが代議制民主主義だといえる。

勿論、現代民主主義の現実的条件を念頭に置くとき、政党体制が重要だという点では異論の余地はない。しかし、崔章集と朴常勳の政党体制に対する強調は、他の重要な要素を覆い隠す位行き過ぎている。代議民主主義がまともに働くためには、活性化され健康な公論の場、多様で力強く組織されている市民社会の自律的組織もまた、政党体制ほど、いやそれ以上に大事である。キャンドル抗争はこれらの要素を創出する肯定的エネルギーを持っており、これらの要素は単に政党体制の代表性と責任性が強化されるといって満たされるものではなく、市民社会の内部から恒常的に燃え上がる熱情的参加を通じて充足され得る13。しかも87年体制を通じて常にそうだったように、虚弱な政党体制と歪曲された公論の場によって代議制がうまく作動できない状況下では、市民社会内部の運動政治以外に、政党体制の公論の場を革新して代議制を強化できる道は皆無だといえる。

最後に脈絡的な水準においても崔章集と朴常勲の主張には問題がある。なぜならば、彼らの政党体制強化論は長期的課題と短期的で差し迫った課題を峻別しないからである。キャンドル抗争の以前、87年体制の民主勢力が最大に結集し、断固と闘争した96年労働法波動でもそうだったが、キャンドル抗争があれ程熱かったのは、牛肉輸入開放を始め李明博政府が試みている水、医療、放送の民営化のようなものは甚だ非可逆的な政策であり、従って今阻止しないと、何年後政権が変わるとしても極めて取り戻しにくいし、その時まで日常的生活もまた、耐え難いものになるだろうという大衆の判断があったからである。こんな差し迫った議題の解決に出た大衆に、代議制と政党体制の強化のような長期的な課題の名の下でキャンドル抗争の限界を強調することは、自分の談論の還流効果を考えない、政治的に無責任たる行為である。
崔章集や朴常勲の議論とは全く異なる角度からキャンドル抗争の限界を論じる立場がある。キャンドル抗争が根本的に中産層的議題を中心としており、暗やみを照らす役割をすべきキャンドルが、意図したにせよ、意図しなかったにせよ、影を落しているという主張がそれである。例えば、イーランド(eland)労組委員長であるキム・ギョンウクは、『プレシアン』(Pressian)とのインタビューで「われわれは関心の外へ追い出された。キャンドルは巨大だったが、イッシューは蚕食された」と言った14

筆者もまた、キャンドル抗争が触れなかった非正規職問題、南北問題、韓米FTAのような議題について述べたことがある15。キャンドル抗争が提議した議題は、より拡張され深化しなければならないし、キャンドル抗争に見え隠れする代案的社会に向かったビジョンを整えるためにもそうでなければならない。そんな観点から見るとき、KTXの女性乗務員、イーランド労働者、そしてキリュン(kiryung)電子の労働者たちが当然受けるべき注目を受けられずにいることは非常に残念なことである。それにもかかわらず、キャンドル抗争に対する労働者たちの態度に含まれた限界もまた、指摘しないわけにはいかない。青少年たちが最初、抗争の旗を揚げたとき、彼らは直ちに牛肉問題と共に自分たちの議題をもそれに結合させた。医療人もそうであったし、言論人の一部もそうであった。キャンドル抗争に参加した人々が争点に集中するために、議題設定に際して慎重に自己限定をしたのは事実であるが、何が議題になるかということは開かれた問題でもあった。これはキャンドル抗争の過程で在った貨物連帯ストライキにもよく現れている。貨物連帯は自分たちの議題を油価格の値上がりによる普遍的苦痛に結び付けて、牛肉運送拒否を通じてキャンドル抗争に接続した。そして大衆から高い支持を受けたし、貨物主との協商でも相当の成果を上げた。しかし愛情を込めて苦言すると、非正規職法案で大きな被害を被ったイーランド労働者やKTXの女性乗務員たちはキャンドル抗争に余りにも遅く着いたし、自分の議題をキャンドル抗争に混ぜることができなかった。

確かにキャンドル抗争の議題は中産層的な面がある。しかもオンラインとオフラインが結びついたこの運動では、インターネットに接続してみる時間すらないまま労働に虐げられ解雇に追い出された労働者たちとキャンドル抗争との間には隔たりが存在した。しかし、皆が主体となる、感受性に満ち溢れた運動の中で有効な存在になるためには、限られた環境であっても主体となれる参加の道を見い出すことが必要だった。そして筆者はまだその空間は閉ざされていないと思う。キャンドル抗争はまだ終わっていないし、キャンドル抗争の自己省察もまだ続いているからである。


6.   87年体制の克服で昇華されるべきキャンドル抗争

教科書的議論に従えば、権威主義的政府の転覆は通常、次のようなシナリオに従う。まず広範囲に蓄積された不満が存在する。正当性に欠けた政府は通常、経済的遂行性でこの不満を乗り越えようとするが、それは失敗する。そんな過程で特定の議題を中心に不満が組織される。組織された不満が抗議と集会へと発展し、これによって政府と大衆の間に物理的衝突が生ずる。政府の行きすぎた鎮圧は大衆の闘争をさらに高揚し、もう政府は宥和策を試みる。だが、今度は多すぎた譲歩が怖くなって、少なすぎた譲歩をしようとする。失望した大衆の闘争はより激化し前面化する。こうして闘争に出た大衆の前で、警察と軍隊は自分の親族やお隣さんがちらつくのを見つかる。鎮圧命令が作動しないで権威主義政府は急激に没落する。
しかし、キャンドル抗争は発生の時点のため、このようなシナリオに従いにくいし、この時点は非常に重要な含意を持っている。たとえ大衆が抗議を通じて直ちに中止させるべき、しかも一度施行されると、非常に非可逆的な政策であるが、政府がこれらの政策を決して簡単には諦めないことが明らかであるから、政府の交代を成し遂げてこそ、綺麗に解決できる議題が存在するとしても、民主的な手続きに沿って選出された政府を、出帆直後に交代するのは大衆的説得力がない。しかも代案が理念的な水準で、そして政治的な水準で組織されていないために、履行の費用は想像しにくい。

これがキャンドル抗争のアポリアであり、これまで解放後、韓国社会で存在したすべての大衆的抗争と決定的に異なるところである。4・19革命から6・10抗争、そして近くは盧武鉉大統領の弾劾反対デモに至るまで、多くの大衆的闘争は権力交代期、あるいは選挙周期と繋がっていた。それによって短くて激しい闘争に次いで政治社会の敏感な反応に媒介された成果が引き出せた。しかしキャンドル抗争の場合、二ヶ月以上大規模の闘争が行われ、議題が拡張されはしたが、相変わらずアメリカ産牛肉の全面開放という単一の議題を持っているにも関わらず、決定的成果が得られないのは選挙周期と非常に遠くかけ離れているからである。だが、むしろこのような点のため、われわれはキャンドル抗争の中から、崔章集が繰り返し指摘した民主化過程で現れた熱望と失望の悪循環、すなわち熱情的な運動の政治が制度的補償へ繋がらない悪循環を再発見するのではなく、それとは異なる循環が形成される可能性を注意深く占ってみることができる。

大衆の激しい抵抗が少なくなると、李明博政府は警察力と行政的・法的措置を表に立たせて、あちらこちらに塹壕を掘って陣地戦の態勢を取っている。しかし、大衆に維新と5共和国と6共和国の公安政局の既視感(déjà-vu)を絶え間なく誘い出すほど進んだ李明博政府の非民主性は、民主的に選出された政府という正当性を侵食するほどの水準に達した。李明博政府によるこのような低強度公安政局との長くてつまらない闘争の中で大衆は鍛えられ発展できるであろう16

その延長線上で、総選挙や地方選挙のような大きな直接民主主義的契機ではなくても、小さな水準の直接民主主義の契機の一つ一つが全国的争点へ転換されて一つずつ制度的勝利を挙げることができるし、これもまたキャンドル抗争の新しい発展を刺激するだろう。卑近な例としてキャンドル抗争のさ中にあった再補欠選挙での与党の敗北と、済州道の営利医療法人の設立が住民世論調査により霧散したことが挙げられる。勿論、続くソウル市教育監の選挙では、僅少の差で「キャンドル候補」であった朱璟福(ジュ・キョンボク)候補が落選しはしたが、朱璟福候補がキャンドル抗争の力を十分に結集するほど、よく準備された候補ではなかったという点や、何ヶ月前のソウルの大統領選挙と総選挙の版図を考えると、選挙結果はキャンドル抗争に負った大変な躍進であったといえる17。こんな力は様々な再補欠選挙や住民召還運動を通じて、よりよく準備された形で持続できる。要するに、小さい規模のすべての選挙に焦点が与えられ、それら一つ一つが現政府の失政と無能に挑戦する契機になると共に、代案的な組織と人物を形成する機会になれる。

もう一方で主要選挙に至るまで長い時間が残っているので、キャンドル抗争に見え隠れする代案的社会に対するビジョンが整う機会が開かれている。この期間にキャンドル抗争はどんな社会を志向するかについて論争を深化いていける。6・10抗争がそうであり、弾劾反対デモがそうであったように、市民社会の革新力が選挙を切っ掛けで政党体制に投入されると同時に、政党体制が市民社会から分離され再保守化する方式を超えて、より具体的な水準で政治社会の再構造化を求める理念と政策を構成していけるのである。キャンドル抗争の持った急進的な脱中心化を念頭に置くと、それに含まれた代案的社会のビジョンがどのように整えられるかは予断できない。だが、キャンドル抗争が生命の議題で出発して共生のビジョンへと進んだという点は明らかであり、この共生のビジョンが制度的模型とそれに向かった履行の道を構想できれば、朝鮮半島によりよい社会を作ることは不可能ではなかろう。

これと関連してもう一度強調したいことが公的代議と私的幸福を媒介する制度的ビジョンである。先述したように、87年体制は社会成員たちの個人的合理性と自己利益に基づいた行動様式、民主的感受性すべてを発展させた。従ってこの体制がより深化した民主化へ進むためには、社会的代案が社会成員たちの啓蒙された自己利益の追及に訴えると同時に、それが現体制のゲームルールを変える実践と媒介できることが求められる。要するに、個人的適応と体制の矛盾克服を同時に可能たらしめるビジョンが必要である。しかし87年体制を通じて改革陣営は保守的ヘゲモニーに屈服して克服のない適応に傾く場合が多かったし、進歩陣営は適応のない克服を唱えただけである。その結果は大衆を克服のない適応の道に導いた。この窮地から逃れて克服/適応の二重課題を具現する制度的ビジョンを設けることができると18、そうして大衆が矛盾的で葛藤的なこの体制と、その体制の環境の中で適応しながら克服する道、克服を成し遂げる適応の道を歩いていけるならば、キャンドル抗争は今もそうであるように87年体制の保守的再編にブレーキを掛けることからより進んで、87年体制を民主的に再編することによって長い膠着状態を終わらせるだろう。その際、われわれは喜んで87年体制の終焉を語ることができよう。(*)

訳=辛承模

季刊 創作と批評 2008年 秋号(通卷141号)
2008年9月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea


  1. より詳しい論議は、拙稿「87年体制と進歩論争」、『創作と批評』2007年夏号を参照。
  2. 社会成員の価値観と選り好みの体系を、民主化と経済的自由化という二つの要素の混合にしか理解しないことは過度の単純化の危険がある。しかしこの二つの要素が他の価値や選り好みを連係する中心要因であると同時に、社会体制の制度的設計と関わる核心要因であるという点で重要性を持つと思われる。
  3. 筆者はこれと同じような趣旨で、いわゆる「386世代」の文化的保守性を分析したことがある。「公的大義と私的幸福の間に道を付けよう」、『創批週間論評』、2006.11.7.
  4. これに加えて、ソウル市庁と光化門一帯を集会とデモの自由な空間として見なす態度が、2002年の日韓サッカワールドカップ、ヒョスニ-ミソニ追慕集会、2004年の盧武鉉大統領弾劾反対デモなどで、すでに一般化していた。
  5. collective intelligenceは何人かの学者と言論によって「集団知性」と翻訳され、キャンドル抗争の様相を描写するに使われた。しかし適切な翻訳は「集合的知性」だと思える。こう翻訳することこそ、集団知性という表現に込められた巨大主体のイメージから逃れると同時に、キャンドル抗争を特徴付ける、分権化され脱中心化された疎通と意志形成の特徴が捉えられると思う。
  6. このような大衆の愉快な祭り性をうまく捉えた文章としては、金於俊(キム・オジュン)の「アメリカ牛肉、黙って再協商!」、『ハンギョレ』2008年6月4日付参照。
  7. 主体としての姿勢を示す他の例として、MBC「100分討論」で「だからといって大統領を変えますか」といった羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)議員の発言に対し、アゴラ「100分討論掲示板」に上がった一人のネチズン(netizen)の「いや、では国民を変えますか」というコメントが挙げられる。
  8. 大統領選挙の前、崔章集(チェ・ジャンジプ)は南北交流と関わるヨルリンウリ党(開かれた我が党という意味)とハンナラ党との葛藤を、激しそうに見えるが修辞的なものにすぎないと評価したし、孫浩哲(ソン・ホチョル)は大統領選挙を通じてハンナラ党へ政権が渡されるとしても南北問題において変わるものは余りなかろうと、ハンナラ党の執権に対する憂慮を「懸念の動員」と貶めた。しかし今現在、深刻な問題を引き起こしている李明博政府の冷戦的外交は、彼らの判断が短見であったことを示す。
  9. これに関する体系的な議論は、朴榮道(バク・ヨンド)「世界化時代の民主主義:そのジレンマと展望」、『経済と社会』2000年春号参照。
  10. このような視角から見ると、何年か前にわれわれの知識界で流行った脱民族主義の議論が、民族主義の弊害と逆機能を指摘することによって民族主義の省察性を高めるのに寄与した点を除くと、どの位政治的脈絡に疎いものであったかがわかる。脱民族主義の議論は民族主義が分断された朝鮮半島で持った進歩性を考慮する際、脱脈絡的であるだけでなく、新自由主義的地球化という、より一般的な脈絡でも政治的有効性を持っていない。そのような意味で脱民族主義は新自由主義的地球化に挑む談論というよりは、それの兆候にすぎないといえる。
  11. 崔章集「キャンドル集会と韓国民主主義、どう見るべきか」、緊急時局大討論会「キャンドル集会と韓国民主主義」、2008.6.16.これと類似しているが、より強い論旨の文章としては、朴常勳(バク・サンフン)「運動が政治体制の代わりにはならない… 保守独占を強めるかも」、『オマイニュース』2008.7.8参照。
  12. キャンドル抗争についての崔章集の観点に対し、後で出た批判と類似した問題意識を持った文章としては、ソン・ウジョン「キャンドル政局の方向は?『政党政治』vs『街政治』:崔章集教授の『代議民主主義論』批判」、新しい社会を開く研究園ホームページ(eplatform.or.kr) 2008.6.26参照。
  13. 例えば、公論の場の健全性を回復するため、大衆は朝鮮日報、中央日報、東亜日報のような保守言論に対し広告主圧迫運動を繰り広げている。こんな運動は政党体制の強化では解決できない問題である。おそらく崔章集や朴常勲は民主派が執権して彼らが大衆の支持を受ける優れた政治を行えば、朝鮮日報、中央日報、東亜日報のような保守言論の威力は自然減少し、それによって公論の場が浄化できると判断しているようだ。もしそう判断したとしたら、私が思うにそれは政治的リアリズムに欠けている考えである。
  14. 「『光化門を覆ったキャンドルの波を見ながら絶望した』: [インタビュー] ストライキ1年を迎えたキム・ギョンウクイーランド一般労組委員長」、『プレシアン』2008.6.24.
  15. 拙稿「キャンドルの行くべき道」、『創批週間論評』2008.7.9.
  16. もう一方で政府の陣地戦に対応する闘争だけでなく、改憲や大統領信任国民投票などで一気に現在の局面を突破しようとする保守陣営の機動戦に対しても大衆の警戒と準備が求められるという点を指摘しておきたい。
  17. ソウル市の教育監選挙は、平準化を解体しようとする李明博政府の教育政策にブレーキをかけると同時に、給食問題を媒介としたアメリカ産牛肉輸入に抵抗する戦線を形成できるほど重要な機会であったという点で、朱璟福候補の落選はいろんな意味で惜しい点がある。しかしこの選挙は三つの教訓を与えてくれる。まず、江南ベルトの投票結集のみでなく、江南の持ったヘゲモニー的な力を見逃してはならないという点である。いくつかの新聞が江南ベルトの投票を「階級投票」と呼んだことからわかるように、一部蚕食されはしたが、彼らが現体制のゲームルールで勝利した者たちという事実そのものから出るヘゲモニー的な力は、相変わらず弱くない。彼らの路線は、多数の人々に「セイレーンの歌」のように誘惑的に染み込んでいるため、強い文化的革新と省察を経ないでは容易く克服されない性質のものである。次に朱璟福の敗北は保守言論によって組まれたフレームではあったが、一方では全国教員組合(全教組)の敗北であり、もう一方では単純な反李明博戦線の敗北という点である。全教組は87年体制の民主的成果であり、その砦の一つであるにも拘らず、これまで教員評価反対のような防御的闘争に没頭することによって教育改革の積極的ビジョンを提示することができず、大衆的支持を大幅になくした。こんな重要な知識人労働者組織が新しく社会的信頼を得ない限り、教育改革に向かった闘争が大きな力を得るのは難しいだろう。最後に反李明博戦線は訴える力を持っているが、それだけではまだ足りないところがあるという点である。これからのどの選挙でも反李明博の情緒は働くだろうが、その選挙は李明博に対する選挙ではなく、新しい人物に対する選挙である。保守層は新しい人物と新たな政策の期待感でもって反李明博の情緒を薄める余地を持っている。従って核心は予見される李明博政府の失政と無能ではなく、代案の組織化である。
  18. 白楽晴(ベク・ナクチョン)は近代性の問題を論じて克服/適応の二重課題論を提議したが、このような二重課題を制度的ビジョンと現実政策の中で実践することが非常に重要だと思われる。このような克服/適応の二重課題に対するより詳しい議論としては、白楽晴「朝鮮半島での植民性問題と近代韓国の二重課題」、『創作と批評』1999年秋号参照。そして、生態的な争点と関わる二重課題論を扱った最近の論考としては、「近代韓国の二重課題とエコロジー談論――『二重課題論』に対する金鐘哲氏の批判を読んで」、『創作と批評』2008年夏号参照。
2008/09/01 12:00 2008/09/01 12:00
特集 | 李明博政府、このまま5年を続けるのか
李日榮(イ・イルヨン) ilee@hs.ac.kr
韓神大国際学部教授、経済学。近著として『韓半島経済論』(共著)、『中国農業、東アジアへの圧縮』などがある。  


1. 力動性と無秩序

よく韓国社会の特徴を「力動性」という。2007年の大統領選挙と2008年の総選挙で李明博政府は連戦連勝したが、その直後アメリカ産牛肉の再輸入によって触発された「キャンドル集会」は大衆の地力と政権の無能を劇的に対比して示した。占領軍のようだった執権勢力はコンテナーボックスで巡らされた「お城」の中で籠城するみすぼらしい姿に転落したし、街頭政治の大衆は「集団知性」として褒め称えられたりもした。

しかし力動性のもう一つの顔は「無秩序」でもある。動態的に変化する環境で新しくて進取的な経済「秩序」を形成することは、一つの社会における最も大事な課題に当たる。しかしわれわれは無秩序が続いたり、広げられるという不安のもとに置かれている。経済史学者たちが指摘するように、無秩序は不確実性を高め、社会構成員の殆どを敗北者にする。秩序は長期経済成長の必要条件であり、民主主義の必要条件でもある。1 われわれに秩序を作る能力があるか。進歩改革陣営も「李明博と反対に」だけやればそれでいいのか。

二つの選挙を経ながら進歩改革勢力は新しい秩序に対するビジョンを全く争点化し得なかった。それもキャンドル集会を通じて民主主義の悪化をある程度阻止したといえる。その意味で「国民はもう勝利した」という宣言には深く共感するが、その勝利を深めるためにわれわれが何をすべきかという課題は相変わらず残っている。キャンドルの日常化・持続化・制度化は当然議論されるべきだが、2それだけではわれわれが目標として目指そうとする秩序の姿が明確には見えてこない。

だとしたら、この時点でまず力を入れるべき課題は何なのか。それはわれわれが志向する秩序の基本要素を具体化することである。アメリカ産牛肉の再輸入問題はキャンドル集会を触発し、資源配分に影響を及ぼす事件へと発展したが、キャンドル集会で南北問題・労働問題に対する議題が直接提議されることはなかった。しかし新しい力はガバナンス、または組織の形で凝縮して、次いで南北問題・労働問題など制度環境を新しく構築する問題にも影響を及ぼすだろう。キャンドルの力は色んな次元の経路を経て「韓半島(朝鮮半島)経済」に働きかけるだろうが、ここではキャンドルを前後とした資源配分と経済組織の変化方向を検討して、朝鮮半島経済の微視経済学的な議論を試みようと思う。3


2. キャンドルの背景: スタグフレーション(stagflation)

李明博政府の信条は、規制緩和、公企業の民営化など、市場親和的な措置を取ると、成長と雇用に肯定的な効果が産み出されるといったものである。しかし制度と政策を転換するには時間と費用が費やされ、これだけで必ずしも投資の増大など即時に資源配分の効果が現れるのではない。韓国の成長段階を見るとき、投入材の増大による成長効果はもう制限的であり、技術および制度革新による生産性増大が問題となる時点である。これは国民経済の次元であれ地域経済の次元であれ同じである。そのような点で行政首都移転や大運河建設のような外延的投入による開発プロジェクトは、成長効果より副作用がずっと大きい可能性が高い。

大統領選挙の局面で綿密に認識されなかったが、去年からより直接的に資源配分に影響を及ぼす要因が登場した。石油と食糧など原資材の価格が上昇しつづけたし、アメリカで触発された世界的次元の遊動性過剰と金融市場の不安が問題となる状況であった。これにより、世界的次元で物価上昇、消費減少、景気沈滞、雇用不安へとつながる悪循環が繰り広げられる可能性が高まってきた。このような条件では無理な成長政策より物価安定を優先視するしかないが、これに必要な金利引き上げ、財政引締めなど、政策手段を動員すると、ある程度の成長停滞は耐え忍ぶしかない。

それにも関わらず、李明博政府は成長至上主義に偏って危機管理を怠って、物価上昇と景気沈滞が結びついたスタグフレーションの危険をもたらしてしまった。不確実性の黒雲が立ち込めた条件の中で、李明博政府は「747」というでたらめな航空機を浮かべようとした。年間7%成長、一人当たりの所得4万ドル、世界7代強国を達成するというものであるが、殆どの研究結果でいくら楽観的なシナリオであっても潜在成長率が6%以下と計測されたので、少なくとも専門家たちの間では最初から荒唐無稽な目標だという合意があったといえる。不幸か幸いか李明博政府の先進化戦略の経済的目標値は、現実ですぐ崩れてしまった。分期対比成長率を見ると、2007年の3分期が1.5%、4分期が1.6%だったが、2008年の1分期が0.8%、2分期が0.8%で下がったし、下半期にはより悪くなると予測されている。他の経済指標も外国為替危機以来、最悪である。2008年6月の消費者物価は5.5%上昇して外国為替危機以後、最高値に達したし、10年間黒字を示した経常収支も2008年は赤字に変わることが確実となった。

インフレーションと景気沈滞は朝鮮半島の民衆の生活に影を落している。急速に上がる物価と実質所得の減少のため、生計費関連の労働ストライキは増えるしかない。貨物連帯のストライキにおいても克明に現れたが、社会的妥協能力が限られて弾力的な価格調整が遅れることによって、それと関わる社会経済的費用が大幅に増加する展望である。また物価上昇の効果は集団別、階層別で非対称的に現れることになっているが、交渉能力の弱い非正規職労働者、中小企業に負担が押し付けられる可能性が高い。通常的に物価上昇は債務者に利益をもたらすが、不動産に偏った資産所有の構造のもとで資産価格が下落し、不動産の貸し出し金利が急騰する場合、相当数の中産層が打撃を被るだろう。

北朝鮮でも食糧難が加重されている。2007年に発生した何回の水害によって穀物生産量が減ったし、国際食糧価格が急上昇して食糧輸入量と国際社会の資源物量が少なくなった。チャンマダン(市場)での食糧価格が1年間で3倍以上上昇して、下流層ではもう「苦難の行軍」が再び始まったという。ところが、李明博政府は執権するやいなや食糧と肥料支援を中止した。韓国は2000年代に入って毎年40~50万トンの食糧を北朝鮮に支援してきたが、これを「実益もなしにあげすぎた」と規定したのである。しかし予想とは違ってアメリカと北朝鮮の間に核問題と関わる対話が急速に進んだ。6者会談が急進展され、アメリカが対北食糧支援を決定すると、李明博政府は遅れて支援再開の意思を北朝鮮に伝えたが、北朝鮮はこれを一蹴した。世界的レベルでのインフレーションと、南北当局の綱引きの狭間で北朝鮮住民の苦痛は加重されている。4


3. キャンドルの動力: 情報経済の拡大と消費者の進出

10代青少年たちの問題提議で始まったアメリカ産牛肉の輸入反対のキャンドル集会が二ヶ月を超えて続くうちに、その規模と内容すべてが1987年の6月抗争や2004年の弾劾反対デモを超えた。キャンドル集会の意味については代議制か直接民主主義かという争点が最も際立って提議された。しかしキャンドル集会がゲームの公式規則、すなわち制度環境を変更するところまで影響を及ぼすかを判断するにはまだ時期が早い。差し当たりはより直接的な資源配分上の効果が生じていることが指摘できる。もちろんこれは断絶的な流れではなく、連続的な過程であるが、キャンドル集会を前後として情報の流れの量的拡大と質的改善がなされている。

問題は不実な通商協商から始まったが、知識と情報の流通量と流通経路に無知な執権勢力、官僚集団、保守言論が力を入れることによって状況が悪化した。すでに以前からイーメール、FTP(個人間ファイル転送のプロトコル、File Transfer Protocol)、ニュースグループなど、多様なインターネット手段がウェブで統合されながら、コミュニケーションの総量が暴騰したし、ウェブと結びついた新しい個人メディアの出現で政治と経済の全過程で大衆と消費者たちの声が大きくなっていた。5このような条件でキャンドル集会を中心に牛肉の安全性の問題に関する情報の流れは、劇的に拡大された。初期には女性と中高校生の役割が大きかったが、この問題が一応消費者の議題として整えられるや否や広範な消費者たちが情報の流れに早いスピードで結集した。6

このように情報の主導権が大衆と消費者へと移動しているにも関わらず、政府や保守言論は過去の慣性通り、自分たちのメッセージを大衆に一方的に強いようと試みた。7執権勢力と保守言論は「科学」の名で大衆を啓蒙しようとして状況を悪化しつづけた。

人獣共通の伝染病、化学添加物、環境汚染物質などによって誘発される疾患は、その危害が慢性的で致命的であるが、これらが問題視され始めたのは最近のことである。慢性疾患が人体に及ぼす危険を評価し、安全を確保するための科学的知識と規制措置は、急性疾患とは違ってまだ十分に明らかにされていない。なので狂牛病を起こす特定の危険部位に対する立場も、専門家たちの間で、そして国際獣疫事務局(OIE)、アメリカ、EU、日本でそれぞれ異なって現れるのも至極当たり前である。8 結局、狂牛病はもちろん、多くの食品安全関連の事案がまだ「科学的知識」の次元で判断できない問題であり、却って「個性的・局地的知識」「集合的・暗黙的知識」に当たるものである。安全性とは科学技術の発達と消費者が許容する危険の範囲により変化する可変的な概念で、政府や言論が教えたり、強いる問題ではない。

政府や保守言論はアメリカ産牛肉に対する憂慮を「蒙昧」なものと非難したが、経済理論ではむしろその反対だといえる。経済主体は完璧な存在ではないが、その行為の背景を綿密に見てみると、ある程度それなりの理由があるのである。人間は制限的だが合理的な存在なのである。人間の合理性が制限的になる重要な理由の一つが「情報の非対称性」である。個人の持った情報は完全でも均一でもないので、市場は不完全となり、これを克服しようとする努力が市場の外側から現れてくるのである。牛肉に対する消費者たちの反応もまた、このような情報の次元で理解し説明できる。

現時点の科学的知識の水準のため、食品の安全性に対する情報は十分に供給されない場合が多く、この場合市場は消費者が望む水準より低い水準の安全性を供給する傾向になる。この際、消費者は恰も中古車市場におけるそれと同じように、市場に悪い商品が出るだろうと認識することになる。そこで消費者は食品の安全性により敏感となり、関連のある食品の需要を減らすことになる。狂牛病の憂慮が提議されている牛肉の場合、「逆選択」による市場の失敗を防ぐためには、輸入産はもちろん、国内産にも全数調査を施して品質を保証すべきである。9ある意味でキャンドルは市場の失敗を防ぐための制度的装置を求めているのである。

自由主義の擁護者であるハイエク(F.A.Hayek)は、かつて経済体制における知識利用の重要性を次のように強調したことがある。「知識は分散されており、不完全でしばしば矛盾的である。(…) 社会の経済問題が主に時空間の特定な環境変化に迅速に適応する問題だということにわれわれが同意するとしたら、最終的な意思決定権はその環境に慣れている人々に任されるべきである。(…) われわれは分権化の一つの形態でこの問題を解くべきである。」10ところが、執権勢力と保守言論はどうしたか。これとは反対に語り、行動した。

キャンドル集会の展開様相を見る際、確かに情報の流れの拡大は分権化した意志決定の費用を大幅に下げ、力として働いている。分権化は分散した知識をより上手に利用することを助け、下部単位の意思決定の能力を向上させるが、情報化と消費者経済の拡大はこのような分権化の利点をより増大させる。もちろん分権化が万能ではない。意思決定が分散すると、それに伴い決定主体の機会主義的行動が増える傾向があり、色んな意思決定を互いに調整しなければならない問題が生じるし、中央で持っている情報を効率的に用いにくくなる。従ってすべての社会構成が意思決定に直接参加することが必ずしも正しくはないし、適切な程度の分権化の水準が存在することとなる。ところで情報経済の拡大と消費者の進出は、分権化の水準をもう少し高めることが有利になるほうへと経済組織・制度に圧力を掛けている。


4. キャンドル以後の経済組織の問題

キャンドル集会は規模と持続性、進行方式の新しさなどで非常に驚くに値する出来事であったが、キャンドル集会で扱われなかったり、外されたイシューも多かった。「街頭の政治」は生動感のある日常の議題を上手に扱える生活政治の現場であるが、憲法、政党、財産権、南北関係、労働問題など制度環境を構築する長期的課題を扱うには適していない。なので街頭政治か制度政治かといったふうに問題の枠を組むよりは、日常と制度の中間水準に存在する多様な社会経済組織の問題に注目することが議論を生産的に導くことだと思う。組織(organization)は日常の議題を内部化しながら、それを新しい制度環境の構築という課題と結びつける微視的単位である。

経済組織という側面から見ると、キャンドル集会または進歩改革陣営の問題提議の水準はまだ始まりの段階にあるといえる。キャンドル集会の過程で狂牛病国民対策会議は牛肉問題の他に、5代議題、つまり医療および公企業の民営化、物産業の私有化、教育、大運河、公営放送の問題などを公論化した。すべて容易くは解きにくいものだが、その中でも公企業の民営化は経済体制を構成する基本組織をどう組むべきかというガバナンス問題として日常の議題が複雑に交差する事案である。

李明博政府は公企業の改革法案として売却と統廃合を推し進めることが基本方針だと示したが、現在としてはガバナンス再構造化のための精密な準備が整っているとは見えない。巨視経済上における危機管理にも無能を露にしている政府システムを考えると、より緻密な準備が必要な公企業民営化を拙速で片付ける可能性が高いと思われる。

こうなると、社会的効率性が増大するどころか、公有資産の私的侵奪へと帰結してしまうだろう。不確実性の高まっている巨視経済の与件の中で無理に公企業子会社と公的資金が投入された企業の政府保有の持ち分を市場に売却する場合、株式市場に衝撃を与え、市場インフラを弱化させるおそれがある。何はともあれキャンドル集会の力は水道、電気、道路、ガス、健康保険など物価上昇、消費者利益と直結される公共部門の民営化に対して政府が国民の世論に注目しなければならなくした。

ここでもう一つ注意しなければならないことは、公企業民営化の本質を新自由主義または市場万能主義と規定してはならないということである。繰り返すと、民営化反対――この言葉を「私有化反対」と変えても同じである――が進歩改革運動の目指す絶対的目標とはなれないということである。公企業か私企業かは特定の財貨とサービスを供給するにどんな組織形態が効果的な経済組織かという問題として接近すべきである。

ガバナンス構造としての企業の長所は、チーム作業で生じうる怠慢を監督するメカニズムが設けられているという点である。企業は精密な監督のために長期にわたって取引を安定させる契約であるが、このため一回的な市場取引よりインセンティブの集中性は相対的に減少し、組織を運営する官僚制の費用負担が生じる。このような企業ガバナンスの短所は公的官僚ではもっと大きくなるのだから、基本的に公的官僚は一番最後になってこそ選択できる組織形態である。原論的に言うと、市場を試みて、不完全な長期契約を試みて、企業を試みて、規制をやってみてから、このすべてが適切ではないと判断される時に公的官僚に資源を配分すべきなのである。もちろん特定の取引では公的官僚がこれを調整するのがより適切な場合もあるが、これが「使いすぎ」にならないようにする必要がある。11

民営化問題は韓国でも重要であるが、国有部門の比重が圧倒的な北朝鮮の場合を考えると、経済組織形態の選択は他の何よりも決定的であり、核心的な問題である。朝鮮半島経済の次元から見ると、民営化は選択可能な一つの方案であって、それを万能だと考えてはならないという点もまた明らかである。旧社会主義国家の移行の経験を見てみると、民営化政策の短期効果は非常に多様な形で現れている。民営化が必ず企業組織形態の改善へとつながるという因果関係は、さらに立証しにくい。12

北朝鮮では官僚制による資源配分が適切でない場合が多いので、ある程度民営化を通じて組織形態を再配列することは避けられない。ただし民営化するといって効果的な支配構造が即時作られるのではないという点にも注目すべきである。民営化がすべての問題を解決するという論理に執着しなければ、そして朝鮮半島の次元から眺めると、無理で拙速的な政策執行が莫大な危険を齎すかもしれないという点が認識できるだろう。だとしたら、改革はより注意深く緩慢に描いて微視的に進めるべきである。変化と移行の時期にわれわれが必ず念頭に置くべき点は、急がないで慎重であるべきだということである。


5. 新しい経済組織の発展可能性

古典的企業や株式会社のような投資者所有の企業は、協業と分業を遂行するために人類が発明した非常に優れた組織形態と評価される。13 しかし投資者所有の企業のみが存在可能な唯一の組織形態ではないし、現実では市場と企業の間に色んな形態の混合型組織(hybrid organization)も多様に展開している。むしろ現実の趨勢は社会が複雑になるにつれて契約の形態が多様となり、一元化した所有制の構造から脱皮する傾向が強いといえる。例えば、下請け契約、供給チェーンや流通チャンネルなど企業ネットワーク、フランチャイジング、集団商標、パートナーシップ、協同組合、企業同盟など混合型組織が拡大されている。

この中でも企業に対する社会的要求を充足させうる組織形態として協同組合に注目する必要がある。協同組合は投資者ではない生産者―消費者が所有者である組織形態で、生産者―所有者は持ち分を投資するが、残余所得は後援の原理または組合活動に基づいて分配される。協同組合は「曖昧に定義された財産権」のためインセンティブの問題を生じさせ、これは協同組合組織の運営費用を大きく増やしたりもする。しかし生産者と組織との間の「情報の非対称性」「信頼」の側面では協同組合が投資者所有の企業より優れている。14

経済組織の形態を決定するには資産特殊性、取引頻度、不確実性など色んな要因が関わっている。その中で資産特殊性が重要な要因であるが、経済主体らが共に投資した場合、その投資の特殊性が大きいほど、機会主義的行動の発生する危険が大きくなり、統制の形態もより細かくなる。また不確実性が大きいほど、機会主義の危険も大きくなり、より集権化した調整形態が現れることとなる。15 協同組合など混合型組織は企業形態より統制の程度は低く自立の程度は高い。消費者の要求は企業や農場が食品安全性により多い資源を配分するように推し進めるインセンティブとなる。このためアメリカとヨーロッパでは長期契約と、認証された安全システムが幅広く導入されているのである。

現在、朝鮮半島では品質と安全に対する消費者の要求は大きくなる一方で、経済統合の趨勢に沿う経済組織の次元における準備と対応が必要な状況である。このような環境変化は協同組合の持った「信頼」の強みが発揮されうる条件だといえる。もちろん協同組合内部的には監督を強化できる、より集中化した調整形態を発展させて、組織の取引費用を下げるという課題が与えられている。

消費者の高まった影響力は、投資者所有の企業の運営方式を一定に変化させうる。キャンドル集会の進行過程で牛肉問題を超えてより普遍的な消費者運動へと発展する可能性が現れたことは意味深い。消費者たちはアメリカ産牛肉を擁護した保守新聞に対する反対運動を繰り広げたし、その結果、その新聞の購読率は落ちて広告収益も大幅に減少したと知られている。消費者運動が堅固な言論市場の独占と寡占の構造を脅かしているのである。

消費者運動が活性化し制度化されると、「企業の社会的責任」に対する圧力になれる。企業の社会的責任とは、「企業が共同体の一員として公共の利益と様々な利害関係者を積極的に考慮すること」と定義できるが、企業に財務的利益と共に社会的・環境的責任を追い求めるよう要請することである。それによって各経済主体間の牽制と均衡を通じて政府が効率的に遂行しにくい各種の規制や禁止事項を、企業が自発的に遂行するようにするのである。16 消費者運動は投資者所有の企業がまともに作動できる法治の制度環境を作ることに寄与する一方、17 より社会的で進歩的な経済形態を組織しうる目覚めた市民を形成する動力となりうる。18

消費者運動はまた社会的企業(social business)の形態として発展し組織されることもありうる。社会的企業は既存の投資者所有の企業と組織構造は同一であるが、利潤極大化の代わりに社会的恵沢優先の原則で運営される企業である。すなわち社会的企業は投資資金を回収する権利のある所有者を持っているが、彼らに提供する収益を最大限蓄えようと努める代わりに、貧困退治など社会的目標を追い求める非損失・非配当企業なのである。19

朝鮮半島経済に与えられた課題は、経済の統合過程で効率化と格差解消を同時に進めることである。このためには南北の経済組織に力動的な相互変化が起こるべきであり、様々な組織形態が創意的な役割を遂行しなければならない。投資者所有の企業と国家が貧困と環境問題に影響を及ぼすには限界がありうる。このような問題に対応するための組織形態として協同組合、企業の社会的責任、社会的企業など多様な実験が試みられる必要がある。


6.進歩的中道主義の経済体制

盧武鉉政府の退場と李明博政府の執権は、進歩改革勢力が新しい「秩序」を形成するに失敗したことを語った。しかし今も繰り返される李明博政府の失政と、それによるキャンドル集会の抗議は、保守勢力も「無秩序」の状況を収拾する能力のないことを公示している。

ここで意味深いのは情報経済の拡大と消費者の進出現象である。これは新しい「秩序」、つまり新しい組織と制度を形成する影響力が蓄積されていることを示す。消費者たちの間でなされるコミュニケーションの量と質が急速に増大しているが、これは組織内における分権化水準をより高めるのが有利な方へと費用構造を変化させている。安全に対する消費者の要求増加は組織内外の情報疎通、すなわち「信頼」を増大させるに容易な組織形態を選好するよう資源配分を変化させている。資源配分上の変化は、経済組織の新しい「秩序」を形成する――必ずしも充分条件になるのではないが――必要条件を作っているといえる。
それでは新しい秩序は具体的にどのような姿であろうか。筆者はそれは市場、企業そしてその間にある混合型組織らが共存することだと思う。北朝鮮では今よりもっと市場と企業の組織形態を発展させるべきであり、韓国では今よりずっと混合型組織形態の比重を高めてその中で協同組合、企業の社会的責任、社会的企業が明確な役割を担うようにすべきである。これは市場や企業のある一つの形態が極端的に支配する一元化した状態ではなく、多様な条件で多様な組織形態が共存する状態を意味する。筆者はこれを「中道」の経済といいたい。20

新しい秩序はどのような方式で作られうるのか。歴史上ごく例外的な場合を除く、殆どの変化は、漸進的で累積的に進行し過去に制約されている。そしてそのような変化は唯一の均衡点に向かうものではなくて、常に複数の経路があるようになっている。従って「進歩」を事前に決まった唯一の経路を目的論的に目指すことだと見なしてはならない。人間と社会は絶え間なく新しく変わる世界の中で試行錯誤を経る実験、作用と反作用を含む適応を通じてこそ、冷酷で無慈悲な経路から逃れうる。そのような点でわれわれは「進歩」を「進化」の意味として理解できる。21

体制を構成する行為者たちには、綺麗で品のある貧しさへの欲求もあるが、荘厳と栄華に対する欲望も重要な本能である。彼らは時には利他的になることもあるが、多くの場合利己的であるから、新しい体制へ進む別の近道がありそうにない。適応に作用する二つの力、すなわち環境に適応しようとする力と環境を変化させようとする力は、朝鮮半島経済の中でも作用するだろう。これと関わって白樂晴(ベク・ナクチョン)は「南北の漸進的統合過程と連係した総体的改革の時代」における「進歩」を「変革的中道主義」と規定したことがある。つまり分断体制の克服を目指すという点で「変革的」であり、広範囲な大衆が参加する漸進的過程であるべきだという点で「中道主義」が避けられないということである。22

筆者はこのような「変革」と「中道」の課題実行における重要な微視的基礎が「中道的=混合的」経済組織であり、これは経済主体たちの「進歩=進化」の過程を通じて形成されると思う。従って筆者は「南北の経済統合と総体的改革を遂行する組織・制度を、漸進的で持続的に形成する傾向性」、それを「進歩的中道主義の経済体制」と呼びたい。(*)


訳=辛承模

季刊 創作と批評 2008年 秋号(通卷141号)
2008年9月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea


  1. Douglass C. North著、趙錫坤訳『経済変化過程に関する新たな理解』、ヘナム、2007、第8章。
  2. 李南周「「街頭の政治」、非正常と逸脱ではない」、『創批週間論評』2008.6.18; 金鍾曄 「キャンドルの行くべき道」、『創批週間論評』2008.7.9.
  3. 筆者と筆者の同僚たちは以前、われわれが新たに形成すべき秩序として「韓半島(朝鮮半島)経済論」を提議したことがある。私たちの問題意識は、これまでの一国主義的・階級主義的な展望は現実に合わないので、国民国家とその下の地域、民族国家そして国民国家を超える地域を共に含む複合的共同体を想像してみようというものであった(韓半島社会経済研究会『韓半島経済論』、創批2007、「はじめに」参照)。これに対して徐東晩(ソ・ドンマン)は細密な検討を行ってくれた。何より痛烈だったのは、われわれの作業が「韓半島経済論」というブランドを前面に掲げるほど、理論的体系や認識的前提を備えているかという点であった(徐東晩「代案体制の模索と「韓半島経済」」、『創作と批評』2007年秋号)。この指摘を謙虚に受け入れる。すべての理論は未熟なところから出発して発展するのだが、発展の各段階を超えていくためには厳格な公式化と経験的検証を経なければならないし、途中で脱落する非公式理論(informal theory)が数多い。「韓半島経済論」も意欲的にスタートした段階にあるが、差し当たりの課題は微視的基礎を設けることだと思う。
  4. 「よい友達」(www.goodfriends.or.kr)は、2008年4月末以後、黄海南北道の地域を中心に江原道、平安南北道、両江道、慈江道地域などで餓死者が出たという便りを伝えた。それによると、少なくとも北朝鮮人口の半分ほどの1千万名が深刻な食糧難に喘いでおり、その中で3百万名以上の脆弱階層が草粥で延命していて、今すぐでも餓死につながるほどの栄養失調の状態にあるという。『今日の北朝鮮消息』169号、2008.7.17.
  5. このような現象をアルビン・トフラー(A.Toffler)は「プロシューマー」(prosumer)で(『富の未来』)、エバン・シュワルツ(E.I.Schwartz)はウェボノミクス(webonomics)という表現で概念化した(『ウェブ経済学』Webonomics)。
  6. キャンドル集会で敏感に扱われた問題ら、例えばアメリカ産牛肉の輸入、0コマ復活、水道・医療民営化などはすべて消費者議題と関わるものである。消費者運動の性格が強かったため、非正規職、公企業民営化、韓米FTA、北朝鮮の食糧難などの問題は真正面から取り上げられにくかった。
  7. インターネットに基づいたファンクラブの支援で出帆した盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府も執権後期にはこのような態度を示したが、国民との双方向的コミュニケーションの中断が民心に逆らうこととなった重要な要因である。
  8. ヤン・ビョンウ「食品安全性の危機: アメリカ産牛肉波動の本質」、GS&J インスティテュート、2008.5.28.
  9. 情報の非対称性のため「逆選択」(adverse selection)が起こる事例は中古車市場が典型的である。新車の品質は一定の水準で統制されているが、中古車の品質は千差万別である。中古車を売る人は買う人よりその車に対するより多くの情報を持っている。中古車に欠点があるのにそれを購買者が知らない場合、中古車の品質は購買者が望む水準より低くなる。結果的に市場には品質の悪い車が多くなって、購買者は品質の低い車を選ぶことになる。GeorgeA. Akerlof,“The Market for ‘Lemons’:Quality Uncertainty and the Market Mechanism,” Quarterly Journal of Economics, Vol.84, No.3 (1970).
  10. F.A.Hayek,“The Use of Knowledge in Society,” American Economic Review, Vol.35, No.4 (1945), 519~20頁.
  11. 必ずしも「国家」のみが「計画」の機能を遂行するのではない。「国家」社会主義は計画を効果的に遂行できる体制ではなかったし、官僚制の費用が莫大な組織形態だったといえる。また福祉「国家」もそれぞれの具体的な事情に基づいて体制の効率性を図るべきである。財政政策の効果が相当制限的だという合意がなされている時点で「大きい政府」「増税」談論が必ずしも進歩的な主張だとはいえない。経済安定性をより重視し、「適切な規模の政府」「ぜひ必要なだけの税金」を運営することが基本方向となるべきである。
  12. Peter Murrell, “Institutions and Firms in Transition Economies,” Claude Ménard and Mary Shirley, eds., Handbook of New Institutional Economics, Springer 2005.
  13. 一角では株式会社のモデルが株主の利益のみを追い求めるものだと批判したりもするが、これが必ずしも適切な批判だとは言えない。株主は自分の利益を極大化しようとする目標のもとで、異なる利害当事者たちと契約を結び彼らに収益を提供する。株主を含めて労働者、下請け会社、消費者、地域社会など様々な利害関係者たちの利益と欲求を満たすことを目標とする利害関係者モデルが提案されたりもするが、まだ色んな関係者たちの利害関係が調整できるメカニズムは理論化されていない。
  14. MichaelE.Sykuta and MichaelL.Cook,“A New Institutional Economics Approach to Contract and Cooperatives,” American Journal of Agricultural Economics, Vol.83, No.5 (2001), 1272∼74頁.
  15. Claude Ménard, “The Economics of Hybrid Organization,” Journal of Institutional and Theoretical Economics, Vol.160,  No.3 (2004).
  16. 例えば、イギリスの雑誌『倫理的消費者』(EthicalConsumer)はアディダス、ロレアル、ウォルマートなどを不買運動のリストに載せた。その理由は多様であるが、アディダスは一部のサッカー靴の製造にカンガルーの皮を使うことで、ロレアルは化粧品開発の過程で動物実験を行うことで、ウォルマートは気候変化協約に反対するアメリカの共和党に多額の寄付をすることで不買運動の対象となった。イム・ハン「今なぜ「企業の社会的責任」なのか」、『企業の社会的責任と労働』、労働研究院、2007。
  17. 投資者所有の企業のシステムがまともに作動するためには、非人格的取引と法治の制度環境が構築されるべきである。韓国でこのような課題の最大の難関は、財閥、特に三星グループであるが、便法相続、秘資金助成、行政・立法・司法など重要国家機関に対する全方位的ロビー活動と結託、労働組合の団結権の制約など法治蹂躙の行為に関する論難が続いている。
  18. 柄谷行人は独特の論法で消費者の意味を主張する。彼は消費者運動の現実的能力を過大評価しているが、その重要性に対する問題意識は価値がある。それによると、生産領域で労働者は経営者のような意識を持ち特殊な利害意識から逃れにくい。生産過程における労働者は資本に従属的でしかなく普遍的でありえないということである。しかし労働者が流通の場に立ち入る際は消費者となるが、ここでは資本より優越な立場に立つこととなる。生産過程でのプロレタリア闘争は資本の優位に立ち得ないが、流通過程でのプロレタリア闘争、すなわちボイコットのような非暴力的で合法的な闘争に資本は対抗できないということである。柄谷行人、チョ・ヨンイル訳、『世界共和国へ』、図書出版b、2008、158∼62頁。
  19. ムハマド・ユヌス著、キム・テフン訳『貧困のない世界のために』、ムルプレ、2008、第2章。
  20. 金鍾哲(キム・ジョンチョル)は新しい秩序を「農的循環社会」として、そしてその要素を「小農あるいは生産者連合体」と規定した(金鍾哲「民主主義、成長論理、農的循環社会」、『創作と批評』2008年春号)。小農と生産者連合体はすべて混合型経済組織に当たる。しかしこの二つの組織形態が作動する原理は非常に異なるといえる。小農は自分の直接的監督で、生産者連合体――これは協同組合として表現できる――は自分の意思による自由の返納とそれに基づいた組織的監督でインセンティブ問題を解決する。小農に基づいた農的循環社会は経済の複雑化現象に対応できないので持続可能ではない。
  21. ダーウィンの進化論はしばしば無限競争の論理を正当化するものとして理解されてきたが、進化論は必ずしも利他主義の限界を設定するものではない。むしろ進化論を新しく構成する場合、左派が早くから夢見てきたユートピアを冷徹な現実的ビジョンに代替できる。ピーター・シンガ著、チェ・ジョンギュ訳『ダーウィンの返事1-変わらない人間の本性はあるか』、イウム、2007参照。
  22. 白樂晴『韓半島式統一、現在進行形』、創批、2006、31頁; 白樂晴「近代韓国の二重課題とエコロジー談論」、『創作と批評』2008年夏号、462∼63頁。
2008/09/01 12:00 2008/09/01 12:00
論壇と現場


陳光興 台湾交通大学社会文化研究所教授、『インターアジア・カルチュラルスタディーズ(Inter-Asia Cultural Studies: Movement)』主幹。韓国語に翻訳された本に『帝国の目』がある。



1

月曜日(2008年5月26日)、みんなで台湾大学の向かい側にあるベトナム料理屋で昼食を終えたあと、私は車を走らせてお客さんたち(『創作と批評』主幹の白永瑞、『けーし風』編集委員の鳥山淳、『現代思想』編集長の池上善彦)を桃円空港まで送っていった。

 その日は一日中、雨が降ったり止んだりして、人々はどの時点で傘を買うべきか迷っていた。車から降りた長年の友、池上善彦が私に言った。この傘を置いて行くから使ってくれ、と。私は笑ってありがたく受けとった。彼が台湾に来るのは三回目だ。今回は3、4日を過ごしたのだが、車に乗る時に見ると鞄が見当たらない。意外にも今回は荷物が少ない、と笑うのだった。私が、着替えはどうしたのかと聞くと、彼は自分の体を指して、これで全部だ、と言った。日本の左派浪人の伝統か。気の向くまま足の向くままに生きていく。彼は人間関係が広い。お堅い学者から公園の路宿者に至るまで、東京に行けばどの業界の人に会うにしても、この人さえ通じれば問題ない。彼と知り合ったのは多分1996年だったと思う。その後、私が東京に行く度に、彼は自分の仲間たちを呼び出した。〈竹内好を読む会〉の友人を呼び出して、新宿駅の近くの寿司屋に集まって日本酒でほろ酔い気分になり、そのまま群れて歌舞伎町を歩き回った。彼は17年前から『現代思想』の編集長をしている。一年に12号を出し、その他にも5~6号ほど臨時増刊号を出す。日本の小規模会社がそうであるように、休みの日などめったにない。そんな彼を見る度に、ダメな気がしてならない。台北に呼び出したのも、この時を使って彼をちょっと休ませるのが狙いだったのだ! 自身の東アジア化をいっそう進めるために何年か前から彼は韓国語と中国語を勉強しはじめた。今回、彼は特有のアクセントを帯びた北京語〔普通話〕で私にこう言った。オレも年をとったなぁ、オレたちみんな年取ったなぁ!

 今回台北に来た沖縄の隣人、鳥山淳は皆から愛された。発言する時も積極的で、弱小地域から来た人の縮こまった姿は見せなかった。元々は『けーし風』のもう一人の編集委員、岡本由希子を呼ぶ計画だったが、臨時で彼が代わりに来た。以前、彼のとても粋な文章を読んだ事があり(英語に翻訳された)、彼の思考には慣れていたはずだった。個人的に、私は沖縄についてあまり知らない。二度行ったことがあるだけだ。しかし、私は沖縄に特別な思いをもっている。その風土と人々の心は日本と違う。人々は皆、アジアの大都市に住む人より自由で飾り気がなく、そこはまるで故郷のような感じを与え、経済が発展する以前のマカオのような場所である。野心を抱く人々は香港、台湾を立ち去り、残った人々はもっぱら優しくて親しみやすい人々だ。特に記憶に残っているのは、なんでも混ぜて(卵あるいは肉と炒めたり、凍らせてスライスにしてサラダにしたもの)料理した沖縄名物のゴーヤー(苦瓜)、そして一風変わった味の強い酒だった。東京、台北などでも私は少なくない沖縄の友人と会った。『エッジ(EDGE)』の編集長である仲里効は、その地域で尊敬される思想家であり作家であり、またカメラマンでもあった。新城郁夫は比較的若手に属する人物で、台北にも来たことがあった。前に阿部小涼を呼んで上海で開かれる『インターアジア・カルチュラルスタディーズ(Inter-Asia Cultural Studies: Movement)』会議に一緒に参加したこともある。つい最近、沖縄から東京の国際基督教大学に行った田仲康博も、カルチュラル・スタディーズ関連会議でたびたび会う友人だ。鳥山とは初めて会ったこともあり、少々よそよそしかった。出発の日の朝食の時にようやく福華文教会館食堂で、一言二言交わすことができた。日本、韓国と同じく、言語コミュニケーションの面で自分の考えを完全に伝えることはできなかったが、心のコミュニケーションは精神と感覚、そして情熱の相互感染を通じてなされのが常、遂に考えが通じあう仲間であることを互いに発見したのだった。何日間も昼食をともにしたので、出発前になって彼に台湾の食べ物はどうかと聞くと、彼はこう答えた。「ハオツー(好吃)」。このイントネーション、どうやら池上から学んだようだ。

 白永瑞〔ペク・ヨンソ〕とは、2001年前後に知り合った。当時、台湾中央研究院の客員研究者として台湾に半年間来ていた彼とは、私が主管するアジア連帯シンポジウムのとき偶然に知り合い、ほどなく親しくなった。今回も彼にはかなり助けられた。先週火曜日(5月22日)に白楽晴〔ぺく・なくちょん〕先生と一緒に来てインタビュー、講演、討論をした。池上や鳥山と違い、白永瑞は台湾の常連客だ。6月初めからは、漢学センター(漢学中心)に3ヶ月間の日程で再び滞在中である。彼は真の「東アジア人」だ。韓国語、中国語、日本語、英語に長けているだけでなく、常に東アジア各地を歩き回っている。日本と中国大陸の各地で比較的長い間滞在した経験もある。彼の幅広い人間関係の力を借りようと、『台湾社会研究季刊(臺灣社會研究季刊)』は、2004年から彼を編集委員として正式に迎え入れた。ソウルでも彼は多くの場にかかわっている。延世大学史学科教授のほかにも、2006年から『創作と批評』の主幹を担って雑誌および単行本の編集をしているし、延世大学国学研究院の院長でもある。文章もそうだし、会議もそうだが、大変だろうにめったに疲れた気配を見せない。一般的な韓国の男性と違ってよそよそしさもなく、自由で、私の学生たちとも冗談を交わしながら笑って歌って踊ったりもする。ここ何年か、彼はインターナショナリズムの精神を遺憾なく発揮してきた。『インターアジア・カルチュラルスタディーズ』の隔年会議は常に経費が不足がちだが、そのたびに彼が現われて力になってくれた。この前、上海で開いた時にも彼が東奔西走して力をつくしてくれた結果、初めて南アジア、東南アジア、西アジアの友人たちを呼ぶことができた。台湾にもたびたび来るせいか、あちこち美味しい所をよく知っている。彼はよく食べるし、酒もよく飲む。会議初日の夜に三種類のワインをチャンポンで飲んで、翌日頭痛でフラフラだった私に比べて、ビールから始めてワイン、そして二鍋頭(白酒)で仕上げた彼は、翌日、何事もなかったかのように起きてきたのだ!

 ここまで長々と書いたが、すべて酒の席の話だ。東アジアの男性文化と思われがちだが、実は必ずしもそうではない。台湾、〔中国〕大陸、韓国、日本などにいるフェミニストで女性の友人たちは皆、男たちより酒をよく飲む(悪口を言われるかもしれないから名前は挙げないでおく)。ただ、ここで言いたいのは、酒を媒介にした付き合いの歴史は、えてして隠され、論じられることはないが、知識、感情、信頼、相互理解と互いに対する愛情は、実はどこででも飲酒の歴史と密接につながっている。こういった性格をもつ会議の組職が可能になる基礎は、会議の中身や構造自体のみにあるわけではないのだ。普段、忙しい日常にかまけて二、三日の暇を得ることさえ非常に大変なこの編集者たちに、飲酒の歴史という情緒的連帯がなかったら、今回の会議の動力も得られなかったであろう。会議に参加するすべての人が会議のテーマと関係を結ぶようになったところには、互いに異なる歴史があり、そこには不均衡で非均質的な情緒的要素が介入する。しかし、まさにそれゆえに私たちは、私たちが見ることになる結果を予測することは永遠にできない。経験からいうと、明確な目的を持とうとすればするほど、そして全体の構造を整えようとすればするほど、結果は悲観的な方に行く。枠組みは持ちつつも、ゆるやかに維持して、オープンにしておけば、会議はむしろ期待以上の効果を得ることになる。今回の会議もそうだった。


2
 
見送りを終えて新竹に帰って来る途中に、バケツをひっくり返したようなどしゃ降りに遭った。一週間の疲れがすっきりと洗い流されていくかのようだった。今学期のもっとも重要な仕事を終えて緊張がとけたのか、頭の中がぐるぐる回った。午後のうちずっと、心と体が別々に遊離しているかのように全身がだるかった。しかし、大脳の休息を邪魔するかのように、脳裏の一方では会議の一幕一幕がまるで映画の場面のように休みなく巡っていた。

 これは私にとって組織するのが二回目、参加するのは三回目のアジア刊行物会議である1。2000年12月に『インターアジア・カルチュラルスタディーズ』会議の一環としてARENA(AsianRegionalExchangeforNew Alternatives、新しいオルタナティブな社会建設のためのアジア交流)の支援の下で開催された福岡の九州大学会議の時には、雑誌連帯論壇部分を担当した。それはとても切実で重大な任務だった。アジア各地の知識界をつなぐもっとも確かな方法は、各地の雑誌を一つにつなぐことであろうが、それは、大概の場合、各雑誌周辺にはそれぞれの知識人集団があり、雑誌は実のところ彼らの重要な戦略的基盤となっているために、主幹〔編集人〕同士が互いに知り合うだけでもアジアの批判的知識界の連合は速度を増すからだった。

 それぞれ違うルートと関係を通じて、私たちは互いによく知らない雑誌の主幹と代表たちを招待した。12月1日午後3時、会議は正式に始まった。 ピボプ・ウドミティポン(Pibop Udomittipong)はタイの『パチァラヤサラ(Pacarayasara)』の主幹で、池上善彦は『現代思想』の代表であり、長年の友人であると同時に日本「中生代」新左翼のリーダー格である崎山政毅は運動と思想そして国際連帯を結合した『インパクション』を代表して来た。『創作と批評』からは金英姫〔きむ・よんひ〕が出た。大陸から来た二人の主幹もまた私の長年の友人だった。中国社会科学院の社会学者・黄平は『読書(讀書)』の主幹であり、東アジアで最大の動力をもったという社会科学院文学研究所研究員の賀照田は『学術思想評論(學術思想評論)』の主幹だった。運動に長年の間参加してきた嶺南大学文化研究科の劉健芝はARENAの機関紙『アジア交流(Asian Exchange)』の代表として参加した。ラテンアメリカ知識界で活動する人物もいた。ベネズエラ中央大学グローバル化と社会文化変遷センターのダニエル・マト(Daniel Mato)もこの会議に参加した2

 司会を引き受けた私は、この会議がもつ歴史的・象徴的意味をよく分かっていた。言語の障壁のせいで、すべての発言がその場で日本語および英語に同時通訳されなければならなかっただけに、私の心理的負担はとても大きかった。甚だしくは意思疎通の任務をまともに遂行することができないのではないかと恐ろしくもなった。最初の出会いであることを考慮して、各雑誌は自分の歴史、立場、出版状況そして各社会での位置づけについて報告した。緊張した状態だったが、会場をぎっしり埋めた参加者たちの拍手と共に3時間後には円満に終わることができた。

 最初は『インターアジア・カルチュラルスタディーズ』がこの会議の総合責任を負ったが、その後に各地で雑誌の中心的人物がそれぞれ会って、信頼を積み重ね、自然発生的関係がつくられ、また翻訳を通じた合作がなされれば、それ以上『インターアジア・カルチュラルスタディーズ』の助けは必要なくなるだろうという考えだった。しかし2000年以降、何年間か全面的発展がなかった。次の集まりの時まで個別の雑誌と比較的密接な関係を結んできたのはやはり『インターアジア・カルチュラルスタディーズ』だった。

 2006年6月9日、ソウルのプレスセンターで『創作と批評』の創刊40周年記念会議が、白永瑞主幹の企画のもとに「東アジアの連帯と雑誌の役割」というテーマで開かれ、同月10日には延世大学に場を移しておこなわれた。招かれた雑誌は、沖縄の『けーし風』(岡本由希子)、『台湾社会研究季刊』(陳宜中)、『読書』(汪暉)、『民間』(朱建剛)、『現代思想』(池上善彦)、『インパクション』(冨山一郎)、『世界』(岡本厚)、『前夜』(徐京植)、『インターアジア・カルチュラルスタディーズ』(筆者)、そして韓国の『黄海文化』(金明仁)、『女/性理論』(高鄭甲煕)、『市民と世界』(李炳天)、『創作と批評』(李南周)だった3。『創作と批評』が韓国で占める位置のためか、この会議はソウルでも広範囲な注目を集めた。マスコミ報道のほかにも大統領直属東北アジア時代委員会委員長がコメンテーターとして参加したりした。

 この会議では、いくつかの主な討論方向が提示された。第一、東アジアの平和は各地域の変革といかなる関係をもつのか?第二、各地域で「進歩」が何を意味し、今なお現実的意味を持っているのか? 第三、東アジアの統合のなかで韓国はいかなる位置を占めるのか? 特に南北分断体制の克服のための努力と地域はどんな関係を持つのか? 第四、何が東アジアの平和の障害物となっているのか? これらに対して批判的立場をもっている雑誌はいかなる役割を果たすことができ、またどのように連帯を形成することができるのか?

 会議というものがえてしてそうであるように、問題設定は、たいがいの場合、現場の優先的議題を反映する。会議を組織した白永瑞が評価会議で語ったように、会議過程で二番目の問題は充分に討論できなかった。おそらく「進歩」が韓国社会で(もしそれがあるとして)特定の知的文脈をもっているからであろう。2006年の初めに韓国の進歩陣営で「いかにして進歩を再構成するのか」に関する激しい論争が起こったが、1987年以来、「進歩」イデオロギーを掲げてきた民主運動が盧武鉉〔ノ・ムヒョン〕政権下でその改革性を挫折させられた状況のなかで、「進歩」の意味をどのように理解すべきかが問題として浮上していたということが、その主な背景としてあった。しかし、このような背景と切迫した危機意識が、他の参加者たちに共有されることはなかった4。率直に言って、会議に参加した私も三番目の問題である「分断体制」については極めて表面的なレベルでのみ理解していた。2008年、今回の会議を期して白楽晴教授の関連著作を充分に読み込んで、ようやく徐々にその思想的位相の深みを捉えることができるようになったのだ。

 2000年の福岡会議が、ただ互いの存在を認識するのにとどまったとするなら、2006年の会議は少し前進した。雑誌がどのような進歩的役割を果たすことができるのかという共通の議題が討論され始めたのだ。そして、2008年の会議になってようやく三番目と四番目の問題が深く討論され始めたのである。

 もっとも印象的だったのは、『創作と批評』の組織力だった。これもまた、各地域の雑誌の物質的基盤の巨大な格差を示すものだった。


3

先立って開かれた二度の会議をもとに、参加した各雑誌は基本的に、すでに互いを認識していた。そのおかげで2008年の『台湾社会研究季刊』20周年記念東アジア批判的雑誌会議の時には、自己紹介段階を省いて、テーマについての討論をより進めることができるように企画した。20周年を記念するために『台湾社会研究季刊』内部で企画したいくつかの活動のうち、私が担当したのは、5月下旬の国際会議だった。それは瞿宛文が担当した9月下旬の会議のための準備会議として位置づけられていた。ところが問題が起こった。過去の会議にはすべて代表者だけを派遣したので、『台湾社会研究季刊』内部に参加経験のある人が少なかったのである。ほとんどの人が疑問をもった。このような状態で討論に入っていけるのか、台湾の批判的知識人たちはこの会議でどんなことを得るのか。しかし、この疑問を前提に、会議の総体的位相は相互「学習」、すなわち互いに異なる社会的背景をもつ雑誌が直面している矛盾の核心を理解することに置かれた。こういった問題を焦点化すれば、各地域の雑誌の主幹と会議に参加する台湾の友人および聴衆が、少なくともそれまでは疎かった地域の問題を学ぶことができるという算段だった。こんな考慮から、東アジアの和解の障壁に関連する、台湾海峡両岸、南北朝鮮、沖縄という三つの議題が討論の主軸に選定された。こうして2006年のソウル会議で提示されはしたもののきちんと討論されなかった四番目の問題が「和解の障壁――東アジアの批判的雑誌会議」というテーマで再構成されたのだ。

 2007年12月初旬、私たちは白楽晴教授に基調講演を依頼し、各地の雑誌に招請状を送った。沖縄の『けーし風』(岡本由希子)、韓国の『創作と批評』(白永瑞)、大陸の『読書』(葉彤)と『南風窓』(寧二)、日本の『現代思想』(池上善彦)と『インパクション』(冨山一郎)、台湾の『思想』(銭永祥)および東アジアにまたがる『インターアジア・カルチュラルスタディーズ』。これらは招請を快諾してくれた。『台湾社会研究季刊』内部からは編集主幹の徐進鈺が発表を引き受けることになった。名簿だけ見ると、大部分がこれまでの会議に参加したことのある雑誌だ。比較的特殊なケースとしては、『台湾社会研究季刊』編集委員の白永瑞と賀照田がそれぞれ韓国の『歴史批評』と中国・広州の『南風窓』を推薦してくれて、広大な読者群を持った雑誌を台湾および東アジア知識界と接続した点だった。一般的には、会議の企画と実際に開催された会議との間には多くの調整と落差が存在する。しかし驚くべきことに、今回の会議は、招待を受けた雑誌が漏れ無く集まり、参加メンバーの面でも大きな変動がなかった。これはおそらく、これまでの成果の蓄積の結果だろう。参加メンバー間に相互理解と信頼があったからこそ、会議は比較的安定して組職できた。

 もちろんもっとも興奮したのは、『創作と批評』の創刊者でありソウル大名誉教授でもある白楽晴が基調講演を引き受けてくれたことである。名声と公的発信力をもとに最近は6・15共同委員会南側代表として活動してきた彼は、南北朝鮮の和解過程に関して豊富な経験を持っていた。特に1990年代から「分断体制論」を提起しており、東アジア全体を見回しても私たちの会議の基調講演者として彼以上に相応しい人物はいなかった。私が個人的に白楽晴教授と知り合ってからは10年が過ぎる。前にソウルで何回か会ったことがあるが、遠くから仰ぎみるだけで、深い話を交わす機会はなかった。今回、彼の思想の深みと微細な肌理そしてほかの人からはめったに感じることのできない誠実さと、そのオープンマインドなところを初めて味わったわけだ。せっかくの機会を逃してはなるまいと、私たちは、公式会議の基調講演とは別に、2008年思想・歴史・文化高等講座の教授として彼を招き、二度の公開講演の席を用意した。一つは「グローバル化時代の第三世界と民族文学概念の含意」で、もうひとつは「西洋古典へのグローバルなアプローチに向けて」だった。その他に台湾の文化研究者たちとの対話の席も用意した。充分な準備の上で彼を迎えるために、私たちは清華大学大学院に一学期の課程を開設して彼の関連著作(韓国の現代民族文学における代表的作家・黄皙暎〔ファン・ソギョン〕の小説を含む)の数々を読んだのである。今回、彼と一週間、朝晩毎日顔を突き合わせたことで、私と私の授業を聞いている学生たちは、彼を身近に理解することができた。白教授は会議の開幕講演、つまり台湾を去る前日まで、私たちと友人のように付き合ってくれた。その時、彼は私たちにとって、もはやあの高みにいる「大先生」5ではなく、真の友人となっていた。

 会議の方向性と発表者を決めた後、残る重要な問題は参加と討論の質をどのように高めるのかという問題だった。『台湾社会研究季刊』の20周年会議であるだけに、当然『台湾社会研究季刊』の同人たちが会議の参加主体にならなければならなかった。なので、だいたい各自の長所に合わせて役割を分担した。2人1組のコメンテーター指定という原則のもと、テーマに合わせて人員を割り振り、外部からもコメンテーターと司会者を招いた。企画当時もそうだったが、長年の準備過程で、私たちにはある共感帯が形成されていた。『台湾社会研究季刊』としては、集団的に外から客を迎えるということが初体験だったので、予想も出来ない問題にぶつかる可能性もあった。


4

2007年、より安定した運営と同人の間の協力の拡大のために『台湾社会研究季刊』は世新大学と共同で台湾社会研究国際センターをつくり、同大学の社会発展研究所の黄徳北所長をセンターの主任に、『台湾社会研究季刊』社長の夏曉鵑を副主任に迎え入れた。センターの主要活動のうちの一つが国際会議の開催だったので、今回の会議の企画と進行は同センターが引き受けることになった。

 5月24日の会議当日、牟宗燦〔世新大学〕総長の主導で開幕式が行われた。牟総長はちょうど海外にいたのだが、急遽この会議のために帰国してくれて、そのおかげで私たちは大きなサポートを得た。続いて白楽晴教授の基調講演。頼鼎銘教務長の司会で、陳宜中と私がコメンテーターをした。白楽晴の講演は第二次世界大戦後の東アジアの国際情勢からはじまって中国とその他の国々との関係に注目し、特に南北朝鮮、南北ベトナム、両岸の分裂にアメリカが加えた巨大な影響力を分析した。そして朝鮮半島に高度にシステム化された「分断体制」がどのような段階を経て固着化したのかを説明したのだが、その核心は、すべての体制が不断の自己再生産の運営論理を形成したというところにあった。

 彼は、南北朝鮮の分断がもつ性格が、他の国の歴史経験とは一致しないと考えている。典型的な反植民地戦争をしたベトナムでは、フランスが退くなかでアメリカが介入し、遂にベトナム戦争でアメリカを退けることで分裂が終決した。また、分裂していた東西ドイツは冷戦の終息とともに統一を宣言することになった。中国の基本モデルは一国二制度〔一国両制〕を通じた前植民地(香港)の再統合だ。こういった経験とは違い、南北朝鮮の分断体制はかなり頑強である。1972年の時点ですでに自主・平和・民族大団結を原則とした7・4南北共同声明を宣言していたにもかかわらず、その後の具体的進展はなかった。2000年、二人の指導者の首脳会談が開かれてようやく、「終局的統一」を果たすためには必ず国家連合(confederation)あるいは「低い段階の連邦制」(low-stage federation)形式の過渡的中間段階を経るべきだとのところで双方が同意した。

 白楽晴は、統一過程における民衆の参加が何よりもカギを握っていると考えていた。民衆の力量があればこそ、既存の頑固な構造を解体することができるというのだ。しかし目の前の段階は極度に遅れている。彼は目の前の危機が長期化することはないとし、その根拠となる三つのキーポイントをあげた。第一は、米朝間の強い敵対感が克服されていること、二番目は韓国が経済回復のためにも対北朝鮮関係を改善しなければならないこと、三番目は韓国を排除して米朝会談で朝鮮半島問題を処理する方式(通美封南)を、北朝鮮も最後まで固守することはできない、というものだ。南北朝鮮の経験から考えると、最悪の選択は現状維持(status quo)の試みであり、必ず地域という枠組みで現実の政治問題と向き合わねばならないと彼は指摘した。この地域的枠組みが「主権」問題を弱めると同時に、多角的協力過程のなかで分断体制が柔軟になってこそ、非暴力的局面への転換が可能になるというのだ。

 最後に彼は大陸と台湾問題についての見解を提示した。まず彼は南北朝鮮の経験と分断体制論を両岸関係に直接的に適用することはできないとした。大陸の立場からみるなら、台湾は「未完の歴史的任務」であり、決して南北朝鮮のように対等な分裂状態ではない。よって、中華帝国の周辺として位置づけられてきた台湾は、1895年に日本に割譲されてから大陸政権の直接的統治を受けてこなかったために、平和的・漸進的方式がもっとも良い。一方、台湾としては、中国大陸との安定(settlement)局面にたどり着くことは必須であり、その安定局面は必ず高度の創意的過程を通じてつくられねばならない。その過程に広範囲な民衆の参加を得ることができれば、結局、東アジア地域全体にかなり肯定的な発展をもたらすだろう6
 
 白樂晴の発言は会議の方向を決定づけた。以後、各セッションの討論は彼が提出した各種の問題へと戻っていった。

 午後のセッションのテーマは、全体会議のクライマックスである沖縄だった。沖縄は台湾のすぐそばにあるにもかかわらず、第二次世界大戦後、ほとんど私たちの視野に入ってこなかった。しかし、沖縄が直面する困難な状況に対する認識と米軍基地に反対する力強いエネルギーは、地域関係の変化を駆動する強力な潜在力だ。この機会に沖縄問題を台湾の批判的知識界の問題意識のなかに持ってくることは、今回の会議を組職した動機のうちの一つでもあった。このセッションは鳥山淳と池上善彦が発表、何春蕤の司会で進められ、コメンテーターに『台湾社会研究季刊』の陳信行、そのほかにも台湾の民衆史作家であり夏潮連合会7の会長でもある藍博洲を招待した。藍博洲は沖縄についてかなりの理解を持っている人物だった8。鳥山の発表は、1972年、いわゆる沖縄の日本「復帰」論争を基点にして1879年の日本政府による琉球王府強制解体および沖縄県としての編入について論じたうえで、1995年に沖縄内部で(内地との)社会構造的な差異と変化に対する認識が形成され、米軍基地の持続的占有に抵抗するにいたるまでを分析した。彼の論点の核心は、歴史的観点からみることによって、沖縄問題は、一般的な理解とは異なり、日本国内の問題ではなく、植民地支配の問題であると同時に日米連合の沖縄占領および侵略の問題である、というところにあった9。池上の発表は主に1995年に起こった米軍による沖縄少女暴行事件の後、日本の知識界がどのようにして沖縄問題を批判的に認識するようになったのかを軸に、その過程で『現代思想』が踏み台的な役割をしたこと、たとえば具体的には沖縄地域の知識人の論文を載せて、東京と沖縄の知識人の連帯を駆動した過程について報告した。

 続くセッションでは『インパクション』を代表して沖縄社会史を研究する大阪大学教授の冨山一郎が沖縄近代史と地域経済問題を発表し、『台湾社会研究季刊』主幹の徐進鈺が両岸経済統合過程で現れる複合的問題が将来の両岸和解にもたらす困難さについて発表した。台湾の重要な政治学者であり台湾大学政治学科教授の朱雲漢が司会をし、『台湾社会研究季刊』瞿宛文と魏玓がコメントした。

 1970年代、すなわち日米安保条約反対運動の後半につくられた『インパクション』は、運動性の非常に強い隔月刊行誌である。職業活動家と大学の運動圏知識人を結び合わせて現実的争点を論じることで既存の言論空間にも介入し、「思想の運動化と運動の理論化」を試みる、アジア全体でもかなり特色のある雑誌だ。多くの編集委員が京都大学で前後期の学生運動を担っており、雑誌の編集は東京と京都が交替しながらおこなっている。冨山自身は1980年代から沖縄社会史を研究しはじめて、1990年に『近代日本社会と「沖縄人」』という重要な著作を出版し、2006年には第二次世界大戦当時の沖縄を論じた『戦場の記憶』を出した〔初版は1995年。2006年に出たのは増補版である〕。日本と沖縄知識界の連帯において重要な役割をする人物だ。彼の発表はまず『インパクション』が1982年に沖縄特集号を出すなかで、沖縄を日本国内の植民地と定義していたことを報告した。今回の発表で彼は沖縄の近代史を地域経済の資本運動という枠組みで分析したが、核心となる論点は次のようなものだ。すなわち沖縄は日本の植民主義の歴史的操作を通じて大東亜共栄圏の地域経済に編入されたのであり、戦後には米帝国主義が、沖縄がそもそももっていた地域戦略的地位を接収して冷戦体制下の世界資本主義の陣営に編入した。沖縄の経済生活はそれによって帝国の軍事戦略に従属させられてきたのであり、さらに沖縄の現代経済史は日本の民族経済(nationaleconomy)に従わざるをえず、まさにこのような理由から沖縄の解放は民族(種族集団、ethnicgroup)の解放であると同時に世界資本主義に対する挑戦だというのだ。この位相から見れば、冨山の結論と白楽晴の朝鮮半島分断体制克服論は、実際に論理的にも一致する。

 『台湾社会研究季刊』代表の徐進鈺の発言は、現実への挑戦を内包していた。彼は、両岸の和解は政治的位相を超えて経済とも直接的な関係をもつとした。実際、両岸の経済統合は急速に進んでいる。むしろ政治家の統制によって社会的・政治的分化が生じたのだ。これをどのように解釈すべきか? これに対する徐進鈺の解釈は次のようなものだ。すなわち、経済統合の利益は台湾の少数の大企業にほとんど完全に集中し、大多数の中小企業と労働者たちはその恩恵にあずかることができない。また、地域の発展レベルにしても、北部の技術集約的産業は成長が早かった一方、中南部は相対的に遅い。この構造的問題が、台湾を格差社会化していく物質的基礎である。言い換えれば、国家の資本促進政策は少数の産業を育成するだけであって、公平な利益再分配の機制を欠いている。こういった状況は、両岸情勢が政治家によって独占される経済的基盤を造成した。どのように両岸の和解を維持すべきかという問いを前提に、国家に再分配機制およびすでに造られてしまった格差社会の問題を解決するように求めることが、『台湾社会研究季刊』が当然にして注目せねばならないアジェンダだ。

 会議がもっとも盛り上がったのは、もちろん晩餐だった。大変な一日を送った後に腰を落ち着けてビールとワイン、そこに白酒まで加わった。雰囲気は熱かった。食後も若い友人たちはそのまま飲み続けた。聞いてみると、夜もかなりふけてから終わったとのこと。

 翌朝、当初は両岸の三つの雑誌の代表が発表することになっていたが、『歴史批評』の朴明林(パク・ミョンリム)教授が急にソウルに帰らねばならなくなり、彼の発表を一番最初に前倒しした。彼の発表は東アジア共同体の想像と企画に焦点があてられていた。台湾の参加者たちには最も疎い議題だった。国際社会での地位が曖昧な台湾にとっては、国際組職のレベルで問題を考えるための条件がそろっていなかったからだ。事実上、韓・中・日の三カ国の政府はかなり前から東アジア共同体の運営を議論してきたが、大部分の予算が官僚システム間の協力会議に投入されており、そこに民間が介入する余地はほとんどなかった。これもやはり地域共同体形成過程であらわになった危機である。朴明林の立論の基点は東アジアとその他の地域共同体との違いを比べることにあり、特にEUを参照した。そこから、互いに異なる位相におけるそれぞれの運営機制を分析した。もちろん、特に注目を集めたのは、民衆の参加と知識人集団の役割に関する部分だった。

 次の発表者は『南風窓』編集人の寧二と『読書』編集人の葉彤だった。世新社会発展研究所所長の黄徳北の司会で、『台湾社会研究季刊』からは呂正恵と馮建三が出て、この三つの雑誌が東アジア問題を扱ってきた歴史に焦点を合わせて討論を進めた。1985年に創刊された『南風窓』は、中国政府の積極的外交政策に歩調をあわせて2002年から「国際」欄を開設した。主にアメリカと西欧世界を扱い、東アジア問題にはたまに関心を向ける程度だった。これはおそらく「大国心理」として理解できるだろう。台湾問題は「時事」欄で扱っており、その大部分が選挙と両岸政治に関することだったが、彼は概してそれが外在的描写に過ぎず、台湾民衆の視点で実際の内部の状況を理解しようとする試みはできなかったと反省した。こういった認識にもとづき、『南風窓』は2006年から台湾特集をつくり、台湾社会に対する大陸人民たちの認識を深めるために努力しているという。葉彤は『読書』で東アジア問題を意識的に討論したのは1996年からだったとし、主要動力は西欧中心主義を超えてアジア、アフリカ、ラテンアメリカを繋げる世界地図を再構成することにあったと回顧した。ここ10年あまりの間、日本、韓国、台湾、香港、インドなどの地域についてかなりの量の論文が蓄積されており、なかでも相当部分が現地の学者たちによって執筆されていることから、『読書』は大陸知識界で名実ともにアジア問題を探求する拠点となったと語った。続けて葉彤は『読書』がどのように日本と朝鮮半島、沖縄そして台湾を表象してきたのかを分類し分析することで、東アジア問題に対する大陸知識界の認識の版図を描いて参加者たちに示してくれた。
 午後の最後の発表者は『思想』主幹の銭永祥と『創作と批評』主幹の白永瑞だった。今回の会議には参加できなかったが孫歌の論文「東アジア視角の認識論的意義(東亜視角的認識論意義)」が討論の過程で注目され回覧された。このセッションは出版人の林載爵が司会をおこない、『思想』編集委員の沈松僑と『台湾社会研究季刊』編集委員の寗應斌がコメントした。銭永祥の提起した問題はかなり挑戦的で、彼は、現在、台湾に進歩的雑誌は存在しえないし、進歩の志向があるといっても、過去に対する単なるノスタルジーでしかないと語った。進歩的刊行物の存在を不可能にさせる歴史的条件として、彼は台湾において左派の伝統が樹立されなかった点をあげた。左翼的観念はもっぱら知識人に限定されており、その社会的力量がないという点、すなわちエリートはいても民衆はいないということだ。 特に台湾で左派を自負する知識人たちは、中国革命の歴史を説明するための筋道をまだ掴むことができていない。その他にも、台湾の左翼思想が成したことは非常に微々たるものだ。他の思想的潮流との対話ができずに、ずっと自己閉鎖的な道を歩んできたせいで、外部の世界の発展を理解することもできていない。このような彼の論旨は、その後、激しい論争を引き起こした。

 白永瑞は東アジア共同体が目下形成中であるという問題意識のもとで議論した。まず人文学者たちの議論が文化と価値の領域に集中する一方で、社会科学者たちは政策の実現という側面に注目しているという点を指摘しつつ、彼は、必ずこの両側面を統合してこそ東アジア共同体の発展の動向を明らかにすることができるとした。最も注目されたのは、朝鮮半島の分断体制を克服する国家形式として「複合国家(compoundstate)」論をあげたことだった。簡単に言うと、複合国家とは、南北朝鮮という二つの国家の存在の異なる形態を認めつつ両者を結合することであり、一方では元々の民族国家の作用を維持しながら、他方ではその限界を超えるというものである。ここで核心となるのは、朝鮮半島複合国家の形成が最終目的なのではなく、それは東アジア共同体に向けた過程であり、またそれが世界資本主義体制の克服を試みるものだという点である。寗應斌は白永瑞の論旨から、社会をいくつかの社会で構成されたものとみなす「複合社会(compoundsociety)」のイメージを演繹することにより、強い社会がその周辺部の諸主体に加える圧力を解体しようとした。このような論理的拡張に対して白永瑞は、まだそこまでの考えに至らなかった部分だとして、大きな知的刺激を受けたとした。

 会議のエンディングパーティーは連経出版社の編集人・林載爵が主催し、豪華で余裕のある晩餐を皆で楽しんだ。席が終わってから、海外から来た友人たちのうちの何人かは過去の歴史を感じるために馬場町10を見学しに行った。


5

今回の会議で得られた成果はいったい何だろうか? 最後の整理討論が終わる頃だった。 池上が、討論過程で沖縄が南北朝鮮や両岸のように相互に参照できる対象となりえなかったことに不満を感じた一方、鳥山は沖縄の存在形式自体に意味があり、東アジアの隣人たちの参照項に充分なりうると語った。ふたりの発言から、突然、インスピレーションを受けた。最初は考えられなかったことだが、東アジア各地域の経験の違いが、二日間の討論で相互参照の体系を形成しうるという事実だった。

 確かにそうだった。今回の会議を2006年のソウル会議と比べて見ると、あの時の討論は相互認識と相互学習の段階だったし、相互参照の条件はまだ整っていなかった。ところが今回の会議を見ると、たとえば意識してもいなかったが、白楽晴の分断体制論が両岸関係を厳然と理解する主な参照点になっていたし、白楽晴も両岸と朝鮮半島の経験の違いを討論の議題に入れていた。会議の終わりに白永瑞は、次回は分断体制と丁乃非が言った分裂国家(partition)との違いをテーマに会議を組織できるかもしれないとした。もしかすると、これは私たちがアジア間の相互参照の方法を深化させていっていることを示しているのではないか。インド-パキスタン、シンガポール-マレーシアの分裂、そして南北朝鮮および南北ベトナムの分断の経験は、両岸問題に新たな知的生命力をもたらしてくれるかもしれない。沖縄の状況は、池上が考えたほどには悪くないと思われる。沖縄についてよく知らないままにむやみなことを言うことはできなかったが、一部の参加者たちにとって今回の会議の最大の収獲は、沖縄が彼らの視野に入り、これからも重要な位置を占めるようになったことだった。二日間の会議に参加した清華大学台湾文学研究所の大学院生・陳運陞は、沖縄の状況を聞いて、思考の窓がぱっと開かれたようだとの感想を述べた。『台湾社会研究季刊』の李尚仁も沖縄に強い関心を示した。

 個人的に私はずいぶん前から、去る1~2世紀のあいだの植民地帝国主義者による第三世界地域の参照体系は、ひたすら西洋(欧米)の経験にあり、このような荒唐さに近い単一化が知識界の最大の危機であることを再三強調してきた。その意味でアジアは、実体であるとか重大な問題であるとかいうことを超えて、アジアにコミットしている、それぞれに異なるさまざまな主体に、ある想像の停泊地を与えることができるような、そして停泊した地の歴史の中に入り込むことを可能にするような参照点であり線であり面である。そして遂には私たちの主体性をはるかに多元的に認識させるような、自我転換の媒介である。同一視の対象および参照座標の多元的転移を積極的に追求する時、私たちは初めて憎悪に満ちた脱植民化の運動から抜け出すことができるのであり、もはや過去に否定的に向き合うことも、強固な帝国主義的アイデンティティに閉じこめられることもなくなる。しかしこのようなことを声の限り叫んでも、聞いている人々にとってはスローガンに過ぎない。去る10年あまりの間の限りない会議の中で、こういった問題が具体的に体現された会議は極少数だった。会議の組織者としては、これがまさに今回の会議で最大の成果だった。

 実際、どんな会議であれ、その人ごとに、そのテーマに入り込んだ歴史時間が異なり、入り込む速度と自分の中にもっている資源も異なるので、期待値もまた違って当然だ。会議を終えた後、いい気分になって、個人的にも時間の無駄ではなかったと思うなら、それだけでも実りある会議だったというものだ。そのうえ、会議場を出る瞬間にもう次の出会いに対する新しいアイディアをエネルギッシュに思い浮かべて、今後の活動の方向を描き始めたのならば、よほど成功した会議だったといえる。しかしやはり、率直に言おう。それはあくまでも予想の外の成果でしかないのである。(*)


*本稿の原題は「和解的路障:二〇〇八東亜批判刊物会議後記」であり、本紙とともに『台湾社会研究季刊』にも掲載される予定である。――『創作と批評』編集者。
** 〔  〕内は日本語訳者による註または韓国語訳および陳光興の原文の原語である。訳出に際しては基本的に韓国語の訳文に従い、陳光興の原文は参照程度にとどめた。


  • 韓国語への翻訳: 白池雲(ペク・チラン)/仁荷大学韓国学研究所研究教授
  • 韓国語から日本語への翻訳: 金友子(キム・ウジャ)/立命館大学コリア研究センター研究員

季刊 創作と批評 2008年 秋号(通卷141号)
2008年9月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea

  1. これ以外にも2005年8月のICAS第4回会議が上海で開かれ、シンガポール国立大学アジア研究所のミカ・トヨタ(Mika Toyota)がアジア刊行物円卓会議を組織してThe International Journal of Asia Studies (浜下武治)、Asian Journal of Women Studies (金用實)、Journal of Southeast Asian Studies (Paul H. Kratoska)、中国大陸曁南大学の『東南亜研究』そしてInter-Asia Cultural Studies (筆者)が招かれた。この会議はアジア研究のコンテクストのなかで進められたものだった。
  2. これに対する比較的詳しい記録としては次のものがある。Inter-Asia Cultural Studies, Vol.2 No.3, 2001.
  3. この会議に関するものとして「東亜批判刊物連帯」、『台湾社会研究季刊』2006年 9月号、とりわけ白永瑞の編集者注を参照。
  4. 白永瑞「関於形成東亜認識共同体的呼籲: 記〈東亜的連帯与雑誌的作用〉国際学術会議」、『台湾社会研究季刊』2006年9月号、223ページ。
  5. 白楽晴教授のコメントを引き受けた馮品佳は後に彼の学問的風貌に「碩学(大儒)」という言葉で敬意を表した。
  6. 白楽晴の完全に整理された発表文は『台湾社会研究季刊』2008年9月号を参照。
  7. 1976年に台湾社会各層で政治の民主化・経済の民主化・社会の民主化という目標を実現するために組職された団体「夏潮」〔シャチャオ〕の後身で、1986年には雑誌『夏潮』の編集者、作家、読者たちを基盤に夏潮連誼会が発足した。1990年に正式名称を「夏潮連合会」に改称した。(韓国語訳者註)
  8. 1990年代中盤、在日韓国人の徐勝〔ソ・スン〕と台湾の陳映真、大阪大学教授の杉原逹などを主軸に「東アジアの冷戦と国家テロリズム」というテーマで何回かの学術会議が開催されたが、そこでも沖縄問題は重要な位置におかれ続けてきた。ゆえに、台湾の左翼および進歩団体の中でも夏潮連合会は沖縄問題に対して少ないが基本的な認識をもっていた。
  9. 鳥山の発表文は参加の感想とともに本誌今号の 159~69ページに掲載されている。(編集者註)
  10. 日帝時代の台北市の行政区域で、戒厳期の刑場で有名な場所。現在、そこには馬場町記念公園がある。(韓国語訳者註)
2008/09/01 12:00 2008/09/01 12:00
 
朴泰鉒(左)  呉建昊(右)

朴泰鉒(左)(パク・テジュ)韓国労働教育院教授、前大統領秘書室労働改革タスクフォースチーム長。著書に『韓国労働市場の現況と課題』など。

呉建昊(右)(オ・ゴノ)「代案連帯会議」運営委員、前民主労総政策部長。著書に『国民年金、公共の敵か、社会連帯賃金か』など。


とき:2008年 4月 21日
ところ:細橋(セギョ)研究所


呉建昊  毎年5月1日のメーデーを迎えると労働者の団結や連帯を唱えるスローガンがかなり聞こえてきます。以前はそのようなスローガンが当為的な価値であると思われていましたが、現在は何か労働者内部に存在する大きな障壁を念頭においた重々しい主張のように感じられます。
『創作と批評』誌で準備した今日の対話の主題も、これと関連がある「非正規職問題」です。みなが韓国社会の核心的な問題として非正規職のことを語りますが、実際に中に入っていくと、原因の診断、責任の主体、解決の方法などにおいて意見がまちまちです。非正規職の問題の深刻さから話を始めて見ましょうか?

朴泰鉒 労働専門誌でない『創作と批評』誌で非正規職の問題を主題にしたこと自体が、韓国社会で非正規職がどれほど重要な懸案なのかを示していると言えます(笑)。現在、格差社会が焦眉の関心事になっていますが、その中心に非正規職の問題があると思います。韓国で上位20%と下位20%の間の所得格差はすでに5.4倍を超えます。実際にこのような所得水準の格差は勤労所得の格差に始まっています。2007年の都市勤労者世帯の所得において勤労所得の占める割合は86.4%に達しています。男女別、企業規模別、学歴別の賃金格差も大きいのですが、このようなものが集約されたいわゆる「合流地点」が、この非正規職の問題だと言えます。

呉建昊 朴さんのお話しをもう少し日常的な言葉にしてみると、非正規職の問題が深刻な社会は希望が失われた社会であるということを意味します。以前はたとえ貧しい家に生まれて親に財産がないとしても、自分が懸命に働けばいい暮らしができるという期待がありました。ですが現在は懸命に働いても暮すことすらできない、自分が暮らせないだけでなく自分の子供も暮らせないと思います。このような未来に対する不安のために、最低限の自己の尊厳や社会的価値などに対する信頼さえ弱まっていくようです。

新自由主義グローバリゼーションと格差問題の接点

朴泰鉒
朴泰鉒
運よく金持ちの家に生まれることを「精子宝くじ」(sperm lottery)に当たったと揶揄します(笑)。非正規職にはじまる貧困の相続のことを言っていると考えてもいいと思います。現在、格差社会とともにもう一つの話題が新自由主義にもとづくグローバリゼーションの進展であるとすると、それを象徴的に示す集団もやはり非正規職です。グローバリゼーションの進展が規制緩和や柔軟化を通じて非正規職の量産を進めているということです。つまり新自由主義グローバリゼーションと格差問題の出会う地点が非正規職であるということです。韓国で非正規職の問題がどれほど深刻であるかというと、非正規職の研究をしながら外国の論文を参考する必要がほとんどないほどです。韓国ほどこの問題が深刻なところがないからです。

呉建昊 ですが韓国社会では非正規職の問題を黙過するように労働市場の問題だけに限定する傾向があります。私が非正規職の問題を生の希望喪失であると言ったのは、それが単に賃金や雇用だけの問題ではないからです。労働者には市場における直接賃金だけでなく、社会福祉を通じた間接賃金、あるいは社会賃金も重要です。現在、韓国の社会福祉、社会のセイフティネットの上では、社会保険料を納められる、すなわち社会福祉制度の内部に含まれる人々だけが恩恵にあずかることができます。だから非正規職は雇用や賃金において一次的に差別され、社会的な制度において二次的に差別されるのです。たとえば国民年金は加入者にはきわめて友好的な制度です。収益費(総給与額÷総保険料額)があまりにも高いからです。保険料の抵抗はあっても結局は自分が出したものの4~5倍の給付を受けることができます。民間の保険の0.8倍に比べれば驚くべき恩恵です。ですが非正規職の労働者は国民年金に加入できないので、老後に年金の恩恵にあずかることができません。労働市場の差別が老後の差別につながるのです。
健康保険でも事業加入者資格が得られないので、地域加入者として本人が保険料をすべて出さなければなりません。何度も失業の危険にさらされても、雇用保険をもらうことすら難しいんです。また非正規職労働者はほとんどが持ち家のない庶民です。投機的な不動産市場の最終被搾取者として高い借家代や賃貸料に苦しみ、資産においても格差に直面しています。また彼らは大部分、金融脆弱者なので、殺人的な高金利貸出市場の犠牲者になったりします。このように重層的な差別構造が非正規職をめぐって存在しているのです。

朴泰鉒 問題は、現在、非正規職に転落する速度がきわめて早く、非正規職だけが未来に対する希望を失って絶望しているのではなく、正規職さえ自分が将来正規職になるかもしれないという不安や恐怖にかられているということです。

呉建昊 社会運動主体の立場から見れば、これに対する解法が見えないのでもどかしい限りです。実は雇用不安の問題は韓国だけではなく西欧の先進資本主義諸国にも存在します。ですが非正規職の規模や差別の幅、非正規職による苦痛や不安を比べてみると、韓国社会は度が過ぎています。少なくとも労働力を使った分、その労働力が再生産される程度には賃銭を与えるべきですが、そうしなくてもいいという企業側の認識が規制を受けないまま通用している点が本当に残念です。もう少し具体的に見て韓国に非正規職がどれほど存在されると推定されていますか? これについては政府と労働界の間に議論もありますが。


正規職より非正規職の方が多い時代

朴泰鉒 学者の間でもいまだに非正規職に対する概念規定の合意ができていませんが、2007年の統計で非正規職が860万人ほど、正規職が730万人ほどです。ですから非正規職が全体の賃金労働者の54%を占めるといいます。どこかで聞いてみると非正規職の方が多いほど、典型的な労働者は正規職ではなく非正規職だということです。OECD加盟国の中で韓国ほど非正規職の割合が大きく差別がひどい国はありません。正規職よりも多くの時間を働きながら正規職の賃金の50%しかもらえていないのですが、それでも社会福祉から排除されて根本的には雇用不安におびえています。

呉建昊 さきほど数値に言及されましたが、労働界では約55%で固定しているといいますし、政府の方では35%を少し超えるといいますが、この二つの統計は20%ほど差があります。規模においては300万人ほどになるでしょう。非正規職に対する明確な概念規定がないとおっしゃいましたが、その概念を考えてみるべきですね。

朴泰鉒 一般的に誰が非正規職なのかというと、正規職でない人が非正規職です。ならば誰が正規職なのか? 正規職にはいくつか特徴があります。雇用の常時性、つまり雇用期間の定めがないことが最初の要件です。二番目に正規職は全日制で勤務しています。三番目に正規職は使用者が明確に規定されています。契約関係と指揮命令系統が同じだということです。この三つの要件が与えられると正規職であるといいます。
ですから一番目に対応するのが雇用期間の定めがある人、つまり期間制労働者で、二番目に対応するのが時間制勤務、短時間労働をする人々です。三番目は間接雇用、つまりサービス、派遣、請負、または家内勤労をする人々です。その他にもいわゆる特殊雇用職があります。彼らは法的には事業主になっており、他の使用者と勤労契約でなく事業契約を結んでいます。形式的には社長、すなわち使用者ですが、実質的には他の使用者に属して彼らから指揮命令を受ける人々のことを言います。たとえば保険設計士、学習雑誌の先生、ゴルフの補助員、貨物車やレミコンの運転手などです。これらがいわゆる非正規職です。
また概念上、学界で、または学界と政府の間で議論になるのが長期臨時勤労者です。臨時勤労者というのは1か月以上1年未満の契約を結んだ人々ですが、労働基準法ではこのような雇用契約が繰り返し更新されれば正規職とみなします。ですが彼らを常時雇用、すなわち正規職とみなすには無理があります。整理するならば、正規職でない人々が非正規職で、前述した正規職の三つの属性のうち一つでも備わっていなければ非正規職であるということです。

呉建昊
呉建昊
私が見ても非正規職の規模において一番議論になるのが長期臨時勤労者です。韓国では勤労契約の観念が弱いので、小さな会社で契約書なしで働く場合も多いと思います。建設現場で働く日雇労働者も多いですね。仕事は長期なのですが雇用形態が臨時で繰り返されるので、これらを正規職とみなすべきかが問題の核心です。労働省ではこれらを「脆弱階層」という範疇で別途に扱っています。私は、非正規職の本質が雇用の不安定とそれによる差別だと考えているので、ただ雇用が繰り返されうるという理由で彼らを非正規職に含まないのは官僚的な形式論理だと思います。経済活動人口付加調査によると長期臨時勤労者の雇用条件はきわめて不安定です。月給も120万ウォン〔約12万円〕台と、政府が主張する非正規職労働者とほとんど同じです。社会保険への加入の割合も30%以下ときわめて低いです。彼らを非正規職に含むべきだというのはこのためです。最近は韓国の非正規職の大部分が中小企業で働いているので、非正規職の問題が中小企業の問題であるという主張も提起されました。雇用の差別が企業間の規模の違いとつながっているということです。これについてはどうお考えですか?

朴泰鉒 中小企業問題は、どうして韓国社会で非正規職がこのように早く増加したのかという問題とリンクしているようです。大企業と中小企業、元請企業と下請企業、あるいは市場に広く存在するほとんど自営業に近い零細企業の間の位階と搾取構造を指摘せざるをえません。元請企業が外注や下請を通じて単価を落とすことで中小企業の経営状態が悪くなり、それでそこに所属する労働者の雇用条件が悪くなるという連鎖のことをいいます。
企業環境の変化もあります。自分が望もうと望むまいとグローバリゼーションは急速に進んでおり、熾烈な国際競争とともに不確実性が増大しています。技術革新の速度もきわめて早く消費者の嗜好は絶えず変化しています。そのなかでどのように生き残るかが重要になりました。経営環境の不確実性に備えるための雇用の柔軟化、国際競争に対処するための低賃金、時には労組回避戦略の一環として非正規職を使っています。問題はこのような企業の労働者使用戦略を政府が法制度的な規制という網を張って防がなければならないのですが、むしろ「企業活動がしやすい環境」という名のもとで網をはっているのが実状です。労組の規制力も正直かなり弱くなりました。

呉建昊 非正規職を量産する要因については意見が似ているようです。ですから非正規職問題に対する労働主体の対応に論点を移してみる必要があると思いますが、私は資本に対立する運動主体として、労働運動が非正規職問題に対してそれなりの努力はしたものの、それが社会的な期待に到達することはないと思います。単に非正規職の労働者を助けられなかったという意味を越えて、それによって正規職の労働運動自身の正当性さえ疑われてしまう状況になったと思います。これについてはどうお考えですか?


労働の危機と二つのレベルの連帯

朴泰鉒 共感できるお話しですが、労働運動の危機、労働の危機に、進歩の危機まで加わっています。特に大統領選挙、総選挙を経て、進歩陣営が支離滅裂の状態ですが、新たな労働運動や進歩改革運動を再活性化する根拠をどこに見出すべきかが私は重要だと思います。まず労働運動の危機と関連して、労組の低い組職率や企業別体制も問題ですが、もっと深刻なのは労働運動が韓国社会において批判・疏外されているという現実です。ここには、正規職中心の労働運動が非正規職を同じ労働者「階級」の一員とみなすというよりは、彼らを雇用の安全弁であると同時に賃上の補完物として、時には道徳的排除の対象として利用してきたという批判があります。つまり批判の核心は労働運動が「自分の取り分確保」運動に転落したということです。

呉建昊 今日の韓国の労働運動は1987年の闘争で社会的な正当性を獲得し、90年代に入って法的な市民権も確立しました。そして民主労総や産別労組も作られました。私は西欧の労働運動が100年前に示したように、韓国の労働運動も制度圏の外での闘争をはじめとしてその成果を制度化し、完全な法的市民権を獲得して、つづいて進歩政党運動へと政治的権利を拡大していくという、累積的な発展経路を踏むだろうという期待を持っていました。ですが、現在の状態を見るとかならずしもそのようにはなっていないので心配です。社会運動の力は社会構成員にどれほど信頼・承認されるかによるのですが、現在の労働運動について、その法的市民権は明らかかもしれませんが、その社会的市民権はむしろ弱まっていると思います。私はこのような点について労働運動は深刻に悩むべきだと思います。

朴泰鉒 多くの部分に同意します。労働運動が新たに発展するためには非正規職を抱えこめるアイデンティティの確立も必要ですが、労働運動が組職・闘争の面で自らの動力を獲得できる重要な足がかりを非正規職に見出すべきだと思います。すでに非正規職が正規職よりも多くなっているので労組としても彼らは核心的な組職資源です。また最近、正規職の労使関係が急速に安定してきている一方で、非正規職の労使関係は不安定さを増しています。非正規職が主な闘争資源として浮上しているのです。だから私は大枠でその解決法を連帯--二つのレベルの連帯に見出すべきではないかと思います。一つは正規職と非正規職の階級的連帯で、もう一つは労働運動と市民社会団体のいわゆる社会的連帯です。二つの連帯は別個のものではなく、労働運動が非正規職問題を抱えこみながら同時に社会的に連帯する時に成立します。

呉建昊 私は、既存の労働運動や進歩運動はまだそれを放棄していないと思います。ですが、さらに賢明かつ戦略的でなければなりません。私は、言葉では非正規職を語るものの、実際に私たちのなかで慣性的になっている既存の認識枠がかなり根強いということをよく感じます。民主労総を含めた正規職の労働運動において、非正規職との連帯を展望する接近法が完全に間違っていたというわけではありません。まだ達成できていないということです。以前にも正規職と非正規職の連帯が提起されましたが、私はこの連帯が闘争連帯に還元されるのが残念です。イーランド(E-LAND)事態〔2007年7月に起きた流通大手のイーランド(E-LAND)による非正規職大量解雇措置と、それに反対する非正規労働者らによるストライキ〕を例としてあげるならば、組合員が基金を集めて生計費を支援して集会に一緒に参加します。これはとても高水準の闘争として重要です。実はこのような闘争が問題の公論化にきわめて先導的な意義を持っています。ですが民主労総や進歩政党など進歩的な社会運動の側では、単に生計費を支援するレベルを越えて、進歩的な視角から非正規職問題を解決する「納得できるストーリー」をビジョンとして提示し、これを公論化する活動をするべきです。困難な状況で活動している方々に申し訳ない話ですが、少なくとも全国的な組職であるならば、非正規職の議題に対処するスタイルを変えるべきだということです。

朴泰鉒 この間イーランドの労働者の一人がイーランド闘争300日を迎えて、民主労総は旗を下ろせと言いました。民主労総の李錫行(イ・ソッケン)委員長が「イーランド闘争で勝利できなければ民主労総の旗を下ろす」と言った言葉を皮肉ったものです。ですが、だとしても、責任を労働運動だけに問うべきではないと思います。社会的連帯と関連して、いわゆるエリートや名望家中心の進歩運動において、労働概念は抽象化されて観念化してきました。李明博政権となって成長の言説が乱舞し、はやくから企業親和的で労働排除的な性格を強く示しています。この状態で社会全体に抵抗の連帯をどのように構築するべきかが進歩陣営の重要な課題であるならば、そこで労働運動と市民社会運動の結合、またそのための労働運動の積極的な努力とともに、進歩陣営ももはや評論家や啓蒙主義者の位置から大衆の生きる生の現場へと「下方」するべきだということです。その過程において労働運動と市民運動をつなぐ核心の一つが、非正規職の問題になるだろうということです。

呉建昊 では具体的な争点である非正規職化、あるいは「柔軟化」についてお話しをしたいと思います。韓国で非正規職が急速に増えた背景には、初期の言説地形において企業が主導権を行使したことも大きな影響を与えたと思います。企業は非正規職化を「柔軟化」と説明しました。「柔軟化」という言葉はきわめて肯定的な企業の経営措置であるという印象を与えます。もし労働側で言説生産のイニシアチブを握っていたら、柔軟化を企業による「雇用の不安定化」「非正規職化」であると公論化したでしょう。同じ現実をめぐってどのように概念化するかによって議論の方向が変わるのです。
付け加えれば、現在、李明博政権で進めている規制緩和も同じことです。「規制」という言葉は「拘束する」という意味ですから、人々には規制が悪いもののように見えます。規制緩和が「自由、解放」という意味に聞こえるということです。進歩的な立場から見れば、規制は巨大権力が市場で自らの権限を過度に濫用することを防ぎ、全体の構成員の公共性を強調することです。ですからそれは一種の「公共性の制度化」なのですが、あちらではこれをきわめて束縛的な、自由主義の価値を侵害するものと考えるのです。公企業の民営化も官僚の手にあった国家企業を国民に与えるという意味で「民営化」といいます。進歩陣営では、公的運営を私的利潤企業に手渡すことだから、それを「私有化」と表現するんです。最近の進歩運動が柔軟化を不安定化、規制を公共性の制度化、民営化を私有化などと、対抗言説や対抗概念を作り出していますが、状況はそう簡単ではありません。話が少し脇にそれましたが、柔軟化についてお話し下さい。


労働の柔軟化が持つ両面的な性格

朴泰鉒 労働社会研究所の金裕善(キム・ユソン)所長が驚くべき研究結果を示しました。労働市場の柔軟性、雇用の弾力性、賃金の弾力性において、最近、韓国がアメリカを抜いてOECD加盟国中、1位になったと言うのです。労働研究院の研究結果を見ても、景気変動による雇用の調整の速度も、やはり韓国がOECD加盟国のうち1位であるといいます。韓国の労働市場の柔軟化の程度がそれほど高いということです。
私は柔軟化が一定部分、必要かつ不可避であると思います。グローバリゼーションの性格を一言で「不確実性」とするならば、韓国のように世界経済に深く編入された経済状況において、柔軟性は景気変動に対する緩衝装置という点で不可避的な面があります。もちろん無制限的な柔軟化をいうのではなく「規制された柔軟化」(regulated flexibilization)でしょうが、それならばただ柔軟化というだけでなく、どのような形の柔軟化なのかについても悩むべきだと思います。柔軟化は一般的に数量的柔軟化、機能的柔軟化、賃金の柔軟化、労働時間の柔軟化などに分かれますが、よく数量的柔軟化を「外的柔軟化」、残りの柔軟化を「内的柔軟化」といいます。現在、韓国社会において労働の柔軟化といえば数量的柔軟化、つまり解雇の自由と理解してしまう傾向があります。そのような側面で柔軟化に反対し、それを不安定性として理解することは正しいと思います。ですが内的柔軟性は、労組はもちろんのこと韓国社会全体が積極的に受け入れるべきではないかと思います。

呉建昊 今のお話しは論理的にそれほど間違っていないと思いますが、現在の韓国社会で進んでいる柔軟化は、そのほとんどが数量的柔軟化ではありませんか。なのに、機能的、労働時間の柔軟化に言及して、柔軟化の肯定的な可能性を流布しています。このような面で韓国では柔軟化が公正な概念になることはないと思います。

朴泰鉒 私の考えでは内的柔軟化と外的柔軟化の間に矛盾した関係があると思います。たとえば転換配置を通じて市場需要による生産量の変化に対処して行くことが機能的柔軟化なのですが、これが可能になるためには熟練が裏付けられなければなりません。ですが雇用が不安であれば労使双方が教育や熟練に投資しなくなります。日本のトヨタが機能的柔軟化の模範的なケースです。
一方、労働時間柔軟化の適切な例がドイツのフォルクスワーゲン(Volkswagen)です。1990年代の初頭にフォルクスワーゲンは深刻な経営危機に陥りました。その時、会社が10万人の労働者のうち3万人を解雇するという立場を労組に通知しました。数量的柔軟化を通じて経営危機を打開するという立場でした。結局どのように妥結したかというと、労働時間を週あたり28.8時間に減らし、同時に労働時間口座制というものを取り入れて、労働時間を柔軟化することで労使が合意しました。労働時間口座制とは、一定労働時間を越えたら超過した労働時間を銀行口座のように積み立てて労働者が必要な時に取り出して使うという制度です。原則的に積み立てられた労働時間は賃金として支払われることはありません。言いかえれば労働時間の短縮と柔軟化を労組が受け入れて、数量的柔軟化、すなわち解雇を事実上阻止したのです。私も柔軟化自体に反対するのではなく、これからは柔軟化のスタイルをどのように設定するべきかという問題に検討の重点を変えていくべきだと思います。

呉建昊 フォルクスワーゲンの例をあげられましたが、それは西欧的な状況ではないでしょうか。柔軟化は労使間の契約問題ですから、これを被契約者である労働者も認める時にはじめて真の意味を持つと思います。西欧では主婦労働者がパートタイムとしてかなり働いていますが大部分が自発的なパートタイマーです。それでも福祉や賃金の差別がないのできわめて積極的にパートタイムを選択しています。そのような柔軟化が使用者と主婦労働者の積極的な同意の下で成立しているんです。社会インフラの差です。ですが韓国社会でそのような柔軟的モデルが作動しうる支援体系は備わっていないでしょう。

朴泰鉒 企業経営の観点だけでなく雇用創出の観点からも展望する必要があります。現在、社会的に雇用創出が重要な問題として浮上しています。ですから柔軟化や非正規職が必要だと主張する人々の中には、それが雇用創出の重要な手段になるという人々がいます。雇用創出と差別撤廃のうち労働運動の核心をどちらにおくべきかと関連する部分です。先日、非正規職法案が通過する時、それが社会的に問題になったりしましたが、呉さんはどのようにお考えですか?

呉建昊 韓国は雇用の量よりは質の問題を抱えています。ですが柔軟化を通じて雇用を創出するということは雇用の質をさらに悪化させており、転倒した解決方法だという気がします。現在企業が柔軟化を進めている理由は正規職の雇用を増やすためではないじゃないですか。むしろその反対です。

朴泰鉒 イギリスのエコノミストであるジョアン・ロビンソン(Joan Robinson)がこのようなことを言いました。「資本によって搾取されることより悪いことの一つは、資本によって搾取さえされないことである」(笑)。失業問題のことを言っているんです。今回の大統領選挙でも雇用創出が核心公約として登場しました。特に若者の失業が深刻です。雇用の質も問題ですが、雇用の量も韓国社会では重要な課題で、だから雇用を作るために柔軟化が必要で、非正規職は仕方ないという論理が韓国社会に広まっています。ですが非正規職が韓国社会の全体雇用を増やしているわけではありません。非正規職が正規職の代わりになっているだけです。イーランドのように正規職を解雇して社内下請や外注に回すことは雇用創出とは無関係です。

呉建昊 もちろん雇用創出と関連して正規職の労働市場で長期的に改善するべきことがあります。超過労働、すなわち労働時間を正規職労働者が過度に独占している点、内部転換配置が過度に困難な点などは指摘される必要があります。

朴泰鉒 「信じられるものはお金しかない社会」で長期間労働は不可避です。ですが長期間労働はこれ以上勤勉の象徴ではなく他人の雇用を奪う行為です。柔軟性もそうです。自動車会社にA工場とB工場があると仮定しましょう。A工場には物量が多く残業や特別勤務をしても物量が満たせませんが、B工場は8時間労働もまともにできないほど物量がないという場合があります。常識的に見ればB工場の労働者の一部が転換配置を通じてA工場に行かなければなりません。これが柔軟性です。これができなければ会社の選択はA工場で働く非正規職をもっと雇用するしかありません。もちろん使用者側が一方的に施行してはいけませんが、労組側がこれを無条件に拒否することも正しくないと思います。B工場の人は切り捨ててA工場の人を非正規職で満たすことを避けるためにも、数量的柔軟化を制御するための他の形態の内的柔軟性は必要です。

呉建昊 論理的にその必要性は否定できないでしょう。ですが韓国ではこれが成立しません。私はここに労使間の不信が大きく作用していると思います。両者がこれまでの労使関係で獲得した体験効果です。ですからこれに準じる時間がかかるとか、あるいは画期的な契機が必要ですが、労使のどちらでもきっかけができることを期待します。たとえば会社で労働者の参加を実質的に保障する革新措置を取るとか、あるいは正規職労働者が非正規職労働者のための社会連帯の戦略を大々的に進めるとかです。さきほど雇用の量よりは質の問題だといいましたが、実は失業問題も大きなイシューです。特に若者の失業が問題です。この主題の方に行ってみましょうか。


若者の失業が構造的に拡がる理由

朴泰鉒 若者の失業率も高いですが、「フリーター率」はもっと深刻です。統計庁の資料で20代の雇用地図をよく見ると、失業者が31万人、就職準備者が41万人といいます。そのうえ単に遊んでいる人や進学者、軍入隊待機者まで合計すると、おおよそ109万人が遊休人材です。20代の人口の16.4%にのぼるといいますが(『ハンギョレ新聞』2008年4月21日)、大学まで卒業してどうして失業者のままでいるのか?その理由はさまざまです。韓国が低成長体制に入り、高学歴労働者が過剰供給されているうえ、大部分の企業は経験者を好みます。
状況はこのような感じですが、韓国社会は彼らに目標を低く持てと言います。目が額の上に付いているくらい目が高いとも言うのですが(笑)、それは危険な発想です。失業者のままでよりよい職場を探すことが自分の一生の所得に足しになるのか、それとも現在の非正規職でも就職する方が足しになるのかを、経済学的にのみ計算しようというのです。自分が非正規職に就職してもそれが経歴になって正規職にキャリアアップできるならば、非正規職に就職しない理由はありません。ですが韓国社会で非正規職に就職するということは、経済的損失や悪い社会的評判を甘受するという意味にもなりますが、より重要なのは、それが一生非正規職として生きなければならないかもしれないという罠になるという点です。「88万ウォン世代」〔1か月の給与。約8万8千円〕というのがまさにそれです。一度、非正規職なったら永遠の非正規職だということならば、目標を低くして非正規職に就職する理由などありません。だから中小企業は求人もできずに困難な状況である一方で、若者は仕事がなくて困難な状況が現出しているのです。非正規職を増やしたり労働市場を柔軟化したりしても若者の失業は解消できません。彼らに対する差別を緩和し中小企業の勤労条件を改善して、はじめて大卒失業者を吸収することができます。雇用の質が解決されなければ雇用の量も解決できないという状態に来ているということです。

呉建昊 労働市場の非正規職化が新規労働市場進入者の参加をとどまらせ、若者の失業を拡大再生産しているので、結局問題はまた非正規職化に帰着します。李明博政権は一定の成長を実現すれば新たな雇用やいい雇用を創出できる空間が広がると言います。ですがこれは論理矛盾です。彼らのいう成長は財閥の成長を意味していますが、財閥企業が正規職を減らし、外注や下請を通じてその成長の動因を作り出しています。

朴泰鉒 社会的に巨大な搾取現象を助長してそれを活用しているのです。李明博大統領が選挙の時の公約で、5年の任期内に雇用を300万、つまり毎年60万の雇用を創出すると言っていました。ですが新政権になってその目標を年35万にしてしまいました。残念ながら今年の3月の統計を見ると年間20万に届きそうにもありません。李明博政権の論理はこうです。労働市場の柔軟化と企業に対する各種規制緩和を通じて成長を誘発し、経済が成長すれば雇用が創出され、雇用が創出されれば福祉も解決する――きわめて単純な一次方程式です。これは成長がだめになったらすべてががたついてしまうシステムです。政府は今年の経済成長率を6%としていますが、参考までに韓国経済の潜在成長率は4.6%ほどです。
目標成長率の達成も簡単ではありませんが、それが達成されても雇用がまともに創出できるかも疑問です。財閥中心、IT中心、輸出中心の成長は雇用には役に立ちません。雇用創出効果がさほど大きくないのです。韓国で雇用を担っているのは中小企業、特に内需企業ですが、これらの成長が確保されないために成長の雇用誘発効果を阻んでいるのです。それうえこの政権で社会福祉体制がよくなるだろうと展望する人はほとんどいません。雇用創出がさらに困難になれば雇用の質はさらに悪化するでしょうし、韓国社会の格差はさらに深化します。

朴泰鉒(左)  呉建昊(右)

イーランド事態、意図しなかった結果か?

呉建昊 とにかくこの数年間、韓国社会で非正規職が話題として浮上し、非正規職法案をめぐって国家、資本、労働が対決する場面もありました。2006年11月30日、多くの議論のなかで非正規職法案3法案、期間制、短時間労働者、派遣勤労者保護に関する法律が通過しました。これに対してはどうお考えですか?

朴泰鉒 非正規職法については全面再改正しようという側と、現行法を維持しながら行政措置で補完したり部分的に改正したりしようという側に分かれています。ですが法案の中で短時間労働者に比例保護の原則を適用して、彼らの超過労働時間を週あたり12時間に減らしたことには議論がさほどありません。派遣労働についても対象業務列挙方式(ポジティブ方式)を維持したという点で異議はさほどありません。派遣労働者や期間制労働者を2年間雇用できるようにしたことも同じです。
問題は何かというと、今回の法で不合理な差別を禁止していますが、はたして差別是正の効果があるのだろうかということです。差別是正の法的な要求主体は労組や第三者でなく本人です。韓国の非正規職の85%が100人未満、大部分労組もない企業で働いていますが、この人々がはたして差別是正を要請できるでしょうか。もちろん法には差別是正を提起した労働者に被害を与えてはいけないことになっていますが、現実はそれですむだろうかということです。そして差別是正の比較対象は同じ事業ないし事業場で働く同一または類似業種の正規職です。もし自分が掃除をしていても、職場のなかに掃除をする正規職がいなければ比較対象がないんです。比較対象がなければ差別もありません。差別の判断基準もまだしっかりとできていないのです。このようなことは先験的な判断によるよりは労働委員会の判定や裁判所の判決が蓄積されることで区分するしかありません。このようなことのために非正規職法が差別是正を名文化してはいるものの、現実的に差別是正は困難なのではないかと思います。そのうえこのような話は期間制に該当するのであって、間接雇用には保護装置さえありません。だとしても非正規職法を全面的に改正するよりは、法の主旨に合うように部分的に補完するべきだというのが私の考えです。ここには差別是正の申請主体を労組にまで拡げたり、比較の対象を企業の外部へ拡げたりすることが含まれるでしょう。また間接雇用、特に社内請負に対する保護と規制が付け加えられるべきでしょう。

呉建昊 私は当時の政権もその法によって非正規職が拡がりうることは分かっていたと思います。その代わりに非正規職になっても正規職に比べて差別されないようにする、つまり差別是正措置が含まれたので、この法案はいい法律だと自らを正当化していました。しかし実際は朴さんが指摘した通り差別是正効果は微々たるものです。最低限の正当性も見出しにくくなっています。

朴泰鉒 非正規職法を作る時に議論になったのは、社有制限と派遣制度の撤廃問題でした。現在法案の全面的な改正を主張する方々は、このような条項が入っていないから差別是正効果が制限的なのだといいます。ですが最近になって社有制限や派遣撤廃を主張する声はかなり弱まりました。私はそれが当然だと考えます。非正規職保護法には差別是正効果が当然あるべきですが、法を作る時に気を使うのは「意図しない結果」をもたらす可能性、すなわち意図しない結果をどのように防ぐかということです。期間制を2年にしろというのでイーランドは外注化したり契約を解約したりしました。これがもっとも典型的な「意図しない結果」です。期間制を2年使えばその後は無期契約とみなして期間制労働者を保護しようとしたのですが、使用者は契約を解約したり外注化したりしてしまったのです。

呉建昊 私はちょっと違う見方をしています。法が改正される当時、非正規職に対する効果をめぐってかなり議論がありました。しかし今から見ると法律のためにむしろ非正規職化が深刻になっています。これについては政府や企業も否定できないようです。ですからその次に出てくる論理が、今、朴さんのおっしゃったようなお話しです。はじめは非正規職法案に効果があると言っておいて、効果がないとそれは意図しなかった結果だというのです。それは正直でないと思います。意図された結果であり意図した結果でした。非正規職法案を議論した当時、経総(韓国経営者総協会)が会員企業を相手に調査した資料でも、法案が通過したら正規職を増やすよりは非正規職をもっと使うだろうという答えが多数出ていましたし、実際に事態はそのように進みました。

朴泰鉒 意図した結果と言うとかなり強い語調になるので、予想された結果と言った方がいいかもしれません(笑)。実は、非正規職法が去年の7月から従業員300人以上の企業と公企業に施行され、今年の7月からは従業員100~299人の企業に適用されます。したがって法律のために非正規職が増えているとか増えるだろうと展望するのは、やや性急ではないかと思います。統計的にもそのような事実がまだ確認されてはいません。非正規職が充分にいる状況で非正規職の拡大による社会的抵抗や企業競争力の弱化も考慮しなければなりません。ただ非正規職の構成が期間制から間接雇用へと転換されることはあると思います。間接雇用は事実上法的な規制のない部分だからです。

呉建昊 非正規職法案を議論する時に経総で会員企業を調査しました。期間制をやるというがどうするかという問いに、90%の企業が非正規職は正規職に切り替えないと回答しました。企業主が非正規職を使う理由は人件費を減らそうということですが、法が正規職化しろと言いながら、それを回避する方案をすべて教えてしまっています。政策立案者が穴だらけの法案を作っておいて、今になって意図しなかった結果などというのは少し問題があります。

朴泰鉒 私が意図しなかった結果といったのは、社有制限制度の導入や派遣労働撤廃に対するものです。イーランド事態でもわかるように間接雇用に対する規制制度を取り入れられなかったことは大きな問題だと思います。間接雇用のなかでも社内請負、元請連帯責任、無分別な外注のような部分を非正規職法の制定の時に見逃したのです。社内下請やサービス、派遣などの間接雇用に逃げられる穴を開けた状態で期間制保護法を作ったので、これは補完が必要だと思います。

呉建昊 私と朴さんはコップに半分入っている水を互いに違う方向から眺めているようです(笑)。とにかく非正規職問題を解決しようという部分では異議はないでしょう。新たな実践が必要な時です。私たちは労働界に属しているので政府や資本に対する要求に先立って労働運動に対する要求や提案を中心にお話ししてみましょう。ですが、今、労働運動は「正規職労働運動」に追われています。どこから問題を解決していくべきでしょうか?

朴泰鉒 少し前に非正規職法について意見をかわしましたが、実は法律がすべてを解決するには、非正規職の雇用形態や性格がきわめて多様になりました。労組の主体的・自主的な努力が重要だという点を示す部分です。韓国の労働者の共通の関心は雇用不安です。非正規職が雇用不安を感じるのは当然です。ですがもはや正規職も雇用不安を感じているんです。たとえば現代自動車の場合、組合員は自らが結んだ団体協約を「完全雇用保障協約書」と呼んでいます。団体協約として見ればとてもよくできています。ですが2006年1月に組合員にアンケート調査をしたところ、組合員の76%が雇用不安で暮らせないそうです。正規職が、経営状態がよく、また最強の労組を持っている現代自動車でもそうなのです。
現在、韓国の正規職の離職率はきわめて低いです。ですがこれは雇用安定の表現ではなく雇用不安の表現です。このように雇用が不安だと大企業の正規職でいるときに一銭でも多く儲けようという極端な経済的実利主義が出てきて、これを企業別労組体制が補完しているような形です。ここに非正規職を排除する正規職の運動論理が出てくるのです。後でお話ししますが、産別労組の位相と役割に対して検討すべき点がこのようなところに出ています。


産別労組の新たな可能性――保健医療労組

呉建昊 私も正規職の労組のそのようなメカニズムが理解できないわけではありません。にもかかわらず、正規職、経済主義の枠を越える新たな契機が準備できればと強く希望しています。これは私だけの思いではないでしょう。

朴泰鉒 そのような面で去年、保健医療労組が結んだ団体協約が重要な示唆を与えています。非正規職の問題をどのように正規職が犠牲を甘受しながら受け入れるべきかが労働界一般の論理だとすれば、保健医療労組は非正規職の問題を解決するために正規職労働者が少なくとも誘い水程度にはなるべきだと考えてこれを実践しました。先日、団体協約で賃金引上分の30%ほどを非正規職問題の解決のために別に積み立てました。その金額が320億ウォンほどになりました。この資金で67の病院で非正規職2400人ほどを正規職化し、彼らの処遇を改善しました。もちろん今は出発したばかりなので満足に値するものではありませんが、韓国の労働運動がこれからどのように進むべきかのモデルになると思います。

呉建昊 保健医療労組の団体協約について、雇用責任は使用者にあるのですが、どうして労働者の賃金引上分を使うのかについては批判もありました。私も保健医療労組協約を肯定的に見ています。去年、保健医療分野で大きな成果がありました。現在、保健医療分野には産別労組が二つあります。「保健医療労組」と「医療連帯労組」です。もともとは一つでしたが内部葛藤で二つに分裂しました。去年、保健医療労組が賃金引上分の3分の1を出して2000人あまりを正規職に切りかえる成果をおさめると、保健医療労組から分離して新たに誕生した医療連帯労組は、10ほどの大学病院が主軸になって2年以上の期間制労働者を正規職に切りかえる協約を成功させました。やり方は違いますが保健医療分野において意味ある実践でした。

朴泰鉒 ですがこのような経験が他の分野にまできちんと拡がっていません。現代自動車の場合ですが、2005年に非正規職労働者が解雇反対闘争に入った時に正規職労組は事実上これを放置し、そのために非正規職労組は短期間で回復困難な打撃を受けました。2006年6月に現代自動車動車労組は金属労組現代自動車支部に変わりました。金属労組規約によると同じ会社内の非正規職労働者を一つの組職形態に統合するようになっています。もちろんその単位の決定によるという但書がついています。ですが現代自動車支部の代議員大会では非正規職組合員との統合方式をめぐって議論し、結局、統合自体を否決させてしまいました。そして現在まで正規職と非正規職は組職統合ができていません。
2006年からKTX闘争〔高速鉄道KTXの女性乗務員(非正規職労働者)の大量解雇とそれに反対するストライキ〕が本格化しましたが、鉄道労組では現代自動車支部とは異なり、KTXの女性乗務員を組合員として加入させて労使交渉の主要争点にしました。もちろん一般的な鉄道労働者とKTXの女性乗務員は職群や職種が違うので、相互競争関係にはないという違いはありました。もう一つは歴史性です。社内下請労働者と私たちは違うという歴史的な違い、産業構造や労働市場の違い、また労組組職形態の違いなどが、正規職と非正規職の団結にとって大きな障害物となってきました。

呉建昊 ですから、金属、化学、製造業分野が少し非難されているのですが(笑)、これら製造業分野と保健医療分野に見られた実践の違いをよく分析するべきです。まず両者は労組活動において歴史的な経路が異なりました。保健医療分野では過去から社会的なイシューの闘争をかなりやって来ました。医療公共性の問題や病院民主化などで何度かストライキもしました。彼らはストライキをしながら社会的な名分がどれほど重要か、医療労働者の雇用権も重要ですが、医療産業や患者に肯定的な問題で闘争することがどれほど重要かを知っていました。問題の性格がそうなので、「参与連帯」のような一般市民団体や保健医療団体とも強いネットワークを形成しています。このような公共性をめぐる闘争の経験が非正規職問題、すなわち社会的な問題解決に組織的な重点を置くようにしたのです。
二番目に内部の競争が作用しました。一つだった団体が途中で二つに分裂しました。どうしてそうなったかというと、誰が少し脆弱な労働者、すなわち中小病院所属の労働者を代弁するべきかをめぐって意見がかわされました。そして分かれたのです。その構成員がどのように評価しているかは知りませんが、私が見たところ、それぞれが組織的正統性を獲得するためにかなり熾烈な競争をしています。公共性のための内部競争です。
三番目は産別効果です。保健医療労組は10年近く産別交渉の要求闘争をして来ました。挫折を繰り返すなかで産別交渉テーブルが用意されて何年にもなりません。そして今回、産別合意文を作り上げました。医療連帯労組も以前、保健医療労組に属して産別交渉をして来た人たちです。保健医療労組は産別交渉をしましたし、医療連帯労組はまだ産別交渉テーブルがありませんでしたが、中央の交渉基準に合わせて個別の国立大学病院で同一に獲得したのです。形式は違いますが産別交渉の効果をおさめました。つまり長年の産別交渉の活動経験が大きかったのです。

朴泰鉒 産別体制のお話しをされましたが、私は韓国の労働運動が自らの危機を乗り越えるために提示すべき戦略の中心に産別労組があると思います。労働運動の危機を乗り越える過程では非正規職が核心なので、それと関連して産別体制が重要な理由はいくつかあげることができます。第一に産別は非正規職を組職化できる唯一の物的・人的土台を備えています。第二に産別の賃金原理は同一価値労働・同一賃金です。これは使用者側が強要しているからでもなく政府が法で定めているからでもない、労働運動自身の発展過程において感じてきた賃金原理です。もちろん韓国のように職務給の賃金体系が備わっていない状況で一朝にしてできることではありませんが、少なくともこのような連帯賃金の原理を実現していける組職形態が産別労組です。第三に現在の韓国の労働運動のもっとも重要な課題は賃上げではなく雇用保障です。産別労組を作る重要な理由の一つが非正規職を包括する産別雇用体制です。産別職業訓練体制や産別雇用安定システム、雇用安定基金などが例になるでしょう。
労働レベルの代案として産別体制をあげるならば、社会的レベルでは労使政委員会に代表される社会協約政治をあげられそうです。結論から言って多くの限界を持っていても私はやるべきだと思います。呉さんはもちろん違うとおっしゃいそうですが(笑)。


李明博政権における労使政委員会をどう見るべきか

呉建昊 私は労使政委員会〔IMF体制化における合理的な苦痛分担を目的に1999年5月政府内に設置された労働界・財界・政界の代表からなる協議機構〕の賛成論者でも反対論者でもありません。入ってはじめて仕事になるという主張も、絶対に入ってはいけないという主張もともに観念的だと思います。私は労使政委は出たり入ったりすればいいと思います。行って社会的な問題を扱い、問題がこじれたらそこから出て大衆闘争をし、また全国的な交渉が必要ならばまた顔を突き合わせて議論すればいいのです。
問題は現時点がどうなのかということですが、中央と地方を分けて見るべきです。現在、民主労総が労使政委員会に対して保守的な立場を取っており、韓国労総が李明博政権に事実上投降している状況において、中央の労使政委員会は実質的に機能しにくい面があります。労働界の二つの労総が共同の交渉戦略を持てていないところで、どのようにしたら労使政委は機能するでしょうか。労働界が三者モデルにおいて代表性が持てていないのが現実です。地域では状況が違います。地域別に事情は異なりますが、地域の懸案をめぐって労働界が同様の意見を持つことができます。中央政治にあまり拘束されていないからです。そのうえ地域の労働事案は地域社会の核心的な懸案でもあります。地域社会が調整の仲裁者になったりします。

朴泰鉒 非正規職と関連して、地域レベルでは社会的な対話形態で問題が解決できる場合もよくあるんです。たとえば蔚山(ウルサン)の建設プラントが2006年にストライキに入った時、結局は蔚山の市民団体と蔚山市、労使が集まって議論して解決しました。もう一つの例が麗水(ヨス)のハイスコ(HYSCO)のケースです。ここで非正規職の労使葛藤が拡がった時もまったく同じ形で麗水市、麗水の市民団体、民主労総や元請業社が参加して、いわゆる社会的な対話形態で問題を解決したんです。浦項(ポハン)の建設プラント労組がポスコ(POSCO、浦項製鉄)を占拠した時も、浦項の市民団体が緊密に結合していました。このように非正規職の問題を労使双方の当事者に任せておくよりは、地域レベルの労使政、地域レベルの社会的対話として糸口を見つけることができます。ですが中央レベルの労使政委員会はおっしゃったように状況がかなり困難です。

呉建昊 朴さんも李明博政権のもとで中央レベルの労使政委員会は難しいとお考えなんですね。

朴泰鉒 だとしても、現在、社会的レベルにおいて労使と政府が集まって対話をかわせる空間は、残念ながら労使政委員会しかありません。だからこれを活用することが重要だというのが私の考えです。ですがどのような反駁が帰ってくるかというと、昔にも問題がありましたが、特に李明博政権に入ってから、社会的対話にどんな効果があるのかという人が多くなったんです。労働界と政府が共有できるような価値が一体どこにあるのかというんです。
このような点で私はアイルランドのケースが参考にできると思います。アイルランド政府が1987年に社会的協約のための対話を要請した時、労組側からは会わなくても分かる、隣国のサッチャー(M. Thatcher)の新自由主義を輸入するのに、見物人として私たちを利用しようとしているのではないかと憂慮していました。現在の民主労総の立場と似ていますね。ですが内部討論を経てどのように決めたかというと、私たちが参加しなくても政府は新自由主義政策を取り入れるわけだから、私たちはゼネストで対立するしかないというものでした。当時アイルランドには産別労組があり組職率が35%でした。ですが議論が先に進む過程で結論は変わりました。最終的な結論は、ゼネストだけで私たちは阻止することはできない、本当にだめな時はストライキをするとしても、政府の提案する全国社会経済委員会で一次的に防御幕をはろうというものでした。ですから労組が社会的対話に入り、これまで3年ごとに1回ずつ社会的協約を生産しています。初期は社会的協約において経済危機の克服や成長が重視されましたが、最近は分配と同時に社会統合が核心的に扱われているという点も参考に値します。

呉建昊 私もそのような実例を活用できればいいと思うのですが、柔軟化の問題でお話ししたように私たちの歴史と現実がアイルランドと違っています。まず民主労総は過去のツケがかなり大きいと思います。1998年の整理解雇問題が起こった時、ほとんどの組職のアイデンティティが動揺するほど、それが政治的争点になりました。そのうえ現在の両労総が労使政のテーブルで単一主体として声を出せない状況です。財界と政界は代表性とアイデンティティが明らかなのにです。このような状況で労使政委員会に参加することは労働側に不利になるでしょう。もちろん民主労総のことを念頭において言っています。これまでそうだったように韓国労総の歩調は違うこともあるでしょう。

朴泰鉒 私は労働運動と李明博政権が共有できる空間がきわめて狭く、韓国労総が政府と政治的連帯を結んでも失敗するしかないと思います。韓国労総の上層部が軍事独裁時代の御用に戻るにしても組合員の民主化がかなり進んでいると思うのです。このような点で私は社会的対話についてもある程度は希望を持っています。民主労総としても闘争だけで状況を突破するには無理があると思います。韓国でもこれから新自由主義政策がさらに積極的に導入されるだろうということは誰もが知っています。政権に対する労働者の期待水準が低いということです。さきほどアイルランド協約のことを申し上げましたが、オランダの1982年のバセナール(Wassenaar)協約やスペインの1997年協約のように、ヨーロッパでも保守党政権において社会的対話が成立した場合が多いのですが、ここには政権に対する労働者の期待が低いという事実も作用しました。

呉建昊 私たちは保健医療分野の産別労組の新たな活動については共感帯を確認し、地域レベルの労使政の実践も可能性を認めましたが、依然として中央の労使政委のモデルについては視角の違いがありますね。あまりにも重要な主題なので、多くの領域を扱っていたら、いつの間にかまとめの時間が来てしまいました。これから非正規職の問題をどのように扱うべきかを念頭におきながら最後に一言お願いします。

朴泰鉒 先日、教育政策を専攻する方にお会いしました。韓国はOECD加盟国の中で対GDP比の教育費支出の割合が一番高い国なのですが、なぜこのように親が子供の教育に翻弄されているのかというのが話題の一つでした。結論は親が子供を医者や弁護士のような専門職にしたり、大企業の正規職に就職させることをのぞんだりするからだということです。言い換えれば子供が非正規職に就職しないことをのぞむ心が教育ブームに現われるということです。ですが大企業の正規職の数字は早い速度で減少しているだけに、教育競争は無限競争に突入するしかありません。言い換えれば労働市場問題が解決されなければ教育問題の解決もはるかに遠いということです。もし予備校街を中心に家賃まで上がれば民生の核心問題である就職―教育―家賃の問題は一つにつながる循環問題となります。
非正規職の問題は格差社会の問題であると同時に貧困の問題です。これを政府や汝矣島(ヨイド)の議会政治に任せておけない状態にまで来てしまいました。これが韓国社会の地形を決める核心的な問題の一つならば、韓国社会全体が下からの組織化という観点から新たな展望を切り開いていくことが重要だろうと思います。これからは単純な労働問題ではなく、またそれだけに労組だけが解決の主体ではないということです。そのような面で一方では労組が主体になり他方では労組と社会団体が出会って社会的連帯をどのように組織するのかが、労働の危機、ひいては社会の危機を克服していく道になるだろうと信じています。

呉建昊 現在、非正規職の問題は一種の時代史的な意味を持つ課題です。1980年代に権威主義独裁に対立する民主化運動、労働基本権の獲得のようなものがそうだったとすれば、現在は社会的自由、生存権、生活権などが時代的なアジェンダになっており、その中心に非正規職の問題があります。これまでの資本主義の発達過程が労働者を作り出し労働者の基本権を獲得していく歴史だったとすれば、これからしばらくの間の資本主義は非正規職の労働者を作り出し彼らの基本権を形成していく時期でしょう。それだけに困難な課題ですが、回避することもできない時代的な課題です。もはや数では多数ですが、権力ではマイノリティーである新たな大衆、非正規職の労働者の歴史を迎えることになるでしょう。
長時間にわたっていろいろとお話し下さり本当にありがとうございました。(*)

訳=渡辺直紀

季刊 創作と批評 2008年 夏号(通卷140号)
2008年6月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea

2008/06/01 17:00 2008/06/01 17:00
論壇と現場
白樂晴(ペクナクチョン) paiknc@snu.ac.kr
ソウル大学名誉教授、文学評論家。最近の著書には『統一時代の韓国文学の価値』『韓半島式統一、現在進行形』『白樂晴会話録』(全5巻)などがある。



1. はじめに

「近代の二重課題」論、すなわち近代適応と近代克服を二重的な一つの課題として推進するという論議は抽象水準が非常に高くならざるを得ない。「近代」を世界歴史上資本主義時代と規定する場合、その具体的な期間に関して様々な学説があるが、短くは2~3百年、長くは5百年以上にわたっており、現在も持続中の時間帯である。空間的にも資本主義の定着した地域は、最初は地球の一角に過ぎなかったが、今は全世界を網羅する空間になっている。このように巨大な時・空間に全般的に適用される言説であれば、抽象性が高いのは当然なことである。

一方、近代概念の多様性や「二重課題」の実行の現実的困難さ等は別の問題である。人によって異なる概念を使うとしても、各自が近代の基準をどこに置くかを明確にしておけば十分であり、実践的な困難さは別途に考えればよいのである。ただ、二重課題論が抽象水準の高い言説であることを素直に認めつつ、他の次元の言説とどのようにつながることができるかを省察する課題が残される。これについて、最近私は趙孝濟教授との対談において、世界体制という次元にあわせられた二重課題論が韓半島に適用される時には分断体制克服論となり、抽象水準をより少し下げれば韓国社会内における変革的中道主義となるという概略的な説明を提示したことがある1

そのような点から考えれば、この対談が掲載された前号の特集「韓半島における近代と脱近代」において李南周、白永瑞、洪錫律等がそれぞれ二重課題の遂行のための試みを行ったのはとても喜ばしいことである。この中、洪錫律の「大韓民国、60年の内と外、そしてアイデンティティ」は二重課題論の本格的展開を図ったわけではないが、「国民国家、産業化、民主化などの近代の課題がそれぞれ分離されたまま、前後関係を形成し相互を排除しており、また近代の完全な達成と脱近代論とが互いを排除しあう思考が我々の社会の中に依然として根付いている」(『創作と批評』2008年春号、p.66)という問題意識は、二重課題論と基本的に一致している。一方、変革的中道主義を通した韓半島の分断体制の克服と全世界的資本主義に対応する問題をつなげた李南周の「グローバル資本主義と韓半島の変革」や、これまでの東アジア論を一歩進展させながら、分断された韓半島における南北連合のような複合国家の建設問題を東アジア地域の連帯における重要な議題として浮き彫りにさせた白永瑞の「東アジア論と近代適応・近代克服の二重課題」は、それぞれ自分の関心分野において二重課題論の具体化を試みた例である。その成果はより議論を深めながら検証すべきであるが、二重課題論が決して抽象的な言説として空回りしないということを証明したわけである。

 一方、『緑色評論』の発行人である金鍾哲の「民主主義、成長論理、農的循環社会」は、二重課題論を含む私の様々な主張に対して明確な反対意見を出している。これは、もちろん『創作と批評』の常任・非常任を合わせての編集委員陣と異なる立場からの声を聞こうとした企画意図に合致しており、このような企画に応じて誠実な批判をしてくれた金鍾哲氏には私と同僚だけではなく、多くの読者も感謝するだろう。私の方からも金鍾哲氏の批判を真摯に検討し、率直に答弁するのが道理ではあるが、論争というより共有する問題意識から出発した言説の進展を主な目標としたい。


2. 成長論理の批判と言説の次元の問題

まず、私が近代の基本的な性格をはじめとする多くの事案について、金鍾哲と同様の認識を持っていることを言っておきたい。例えば、資本主義市場経済について、

経済成長の過失が普遍的に分かち合える性質のものであると信じるのは、愚かな妄念である。今日資本主義市場経済が求める消費形態は、本質的に浪費を制度化しているものであるが、その浪費的な消費水準を享有することができる人口は、現在は言うまでもなく、未来のいかなる地点においても世界人口の小部分に限られざるを得ないのである。富の均霑は、資本主義の成長メカニズムにとって決して許されないものであり、もし実際に均霑が実現されると、それはもう資本主義システムではないだろう。(『創作と批評』2008年春号、pp.77~78)
という金鍾哲の意見は、私も自分なりに主張してきた内容である。生態系の危機に関してはもちろん、私の勉強と実行は十分ではないが、金鍾哲の次のような主張も私の論理と基本的に一致する。

エコロジー(ecology)の観点からみる際、資本主義近代文明の根本問題は、それが循環の法則によって動き回っている世界の中で、絶え間なく直線的な「進歩」を追求するように強いるメカニズムに従属されたシステムということである。この根本的な矛盾が解消されない限り、まもなく資本主義の終焉が訪れるのは必然的であるといえる。もしくは、もしこのまま持続されると、資本主義の終焉よりも先に世界の終末が到来する可能性がより高いといえよう。(同上、p.84)
金鍾哲のエコロジー言説においてもう一つ魅力的な点は、民主主義問題に対する彼の特別で強い関心である。これは、彼がエコロジー運動に参加する前から堅持してきた立場であり、もはや100号を迎える『緑色評論』の編集・発行を含む彼の実践活動においても生態系運動と民主主義的志向とを結合させようとする彼の熱情を確認することができる。今回の論文においても彼は「民主主義とは、簡単にいえば、民衆が自分の生活を自らコントロールするということを意味する」(p.71)という前提の下で、「いわゆる『民主化以後』時代という過去20年間我々が民主主義に対してあまりにも楽観的な態度で生きてきたのではないだろうか(…)。我々は、『民主化』はもう達成したので、次の課題は『先進化』であると思い込んでいたかもしれない」(p.68)という反省を提起しながら、盧武鉉政権の韓米FTA協定の強行は、「この国の民主主義の土台がいかに弱いものであるかが暴露されるのに大きく寄与した」(p.69)と批判している。すべてが納得できる命題である。

ところが、論述が進む中で、完全には同意しがたい部分もある。例えば、民主主義に関しても韓米FTA協定の締結に対する批判に引き続き、「過去20年間『民主化以後』時代の全体にわたって民主主義が一度でも実現されたことがあるかが疑わしい(…)。むしろ事態はますます悪化してきたとみるのが妥当な判断であろう」(p.69)という主張があるが、民衆自治としての民主主義が一度も実現されたことがないということについては同意でき、また資本主義の高度化によって民衆自治の条件が悪化した面は確かにあるといえるものの、過去20年間韓国の民主主義が後退し続けてきたと言い切ってもよいかは疑問である。民衆自治の条件についても「真の民主主義の成立に何よりも必要なのは、民衆が主体的な生活を営為することができる自立と自治の条件である。つまり、奴隷の生活を強制されないための根本的な条件を整えなければならない」(p.71)という主張は、経済成長の果実を民衆が多少でも獲得できる現実的必要性へとつながる可能性もあり得るはずだが、彼は、「このような角度からみるとき、人々が普段信じていることとは異なり、経済成長は民主主義の発展に少しも役に立たないといえる」(同上)と断言しているのである。そしてこのような極端な判定について何の事実点検や但書もないまま、「経済成長は資本主義的社会関係の深化・拡大を意味するものであり、それ故、それはますます民衆の自治・自立の力量を根源的に毀損し、不平等な社会的関係を絶えず拡大再生産する」(pp.71~72)という原論に訴えているだけである。

その他にも、例えば、韓国の従来の伝統的な村の「民主主義的生活方式」に関して、彼が引用する報告(p.73)がどれくらい充実したものであるか、またそこに提示された特徴が事実に合っているとしても、それは従来の農村共同体の非民主的・性差別的要素と連動されているものではないかなど、検討しなければならない問題が少なくない。ところが、実際重要なのは、一般的にいかなる言説であろうと、それが適合したある程度の次元を超えると、無理な話になりがちであるが、金鍾哲の論文においてもそのような「次元の混同」が多くみられるという点である。

例えば、「経済成長は現在の社会経済的格差を土台にしてのみ成立できるものであり、成長の結果は既存の不平等を解消し、あるいは緩和させるどころか、その不平等構造を温存・深化させるのに寄与するだけである。そして再びそのような不平等構造は、継続的な成長の土台になるのである」(p.77)という部分がそうである。これは、資本主義の世界経済の作動原理という高い抽象水準の言説としては妥当であるが--少なくとも私自身は妥当であると同意するが--資本主義体制下の特定の時期、特定の地域における不平等の解消または緩和の可能性という、より低い次元へと移っていく瞬間、独断的な主張にすぎなくなってしまう。さらにいえば、「成長の土台」という側面においても、いくら資本主義体制だからといっても必ずしも社会経済的格差が大きければ成長に有利であるとはいいきれず、不平等構造の一定の緩和が成長を助長することはいくらでもある。

私の「適当な経済成長」ないし「自己防護的成長戦略」に対する批判においても、このような次元の混同がみられる。

資本主義システムは、そもそも「貧困」をなくすことができるシステムではない。貧困を解消するという名目下で展開される経済発展は、むしろ新たな形態の貧困を作り出し、競争力の弱い立場にある人々を悲惨な苦境へと追い立てるだけである。経済発展または成長の論理は、生態的にも、また倫理的にも決して受け入れられるものではない。(p.81)
これは、もう一度資本主義システムの「元来の性格」についての高い抽象水準の言説をみせるものである。一方、私の「適当な成長」概念は、どうせ資本主義体制の下で生きていかざるを得ないが、現代韓国、すなわち資本主義の世界経済の特定の時期、特定の地域において、この現実を克服する方向に向けて生きていこうとする立場からの具体的な対応戦略として提案されたものである。これによる苦心を金鍾哲もまったくわからないわけではないようであり、それは次の文章にみられる。「続けると、環境も破壊し、人間性も破壊せざるを得ない経済成長であるが、だからといってしないわけにもいかない--このようなジレンマを乗り越えていくためには、まさに膨大な『知恵』が必要であるということは言うまでもない。その結果、おそらく苦心の末、白樂晴が出された対策案が『防御的な競争力路線』またはより簡単に『適当な経済成長』という概念であると思われる」(同上)。ところが、できればこの概念に立脚した様々な方案が実際どの程度の「知恵」を盛り込んでいるかを点検するところまでをしてもらえるとよいのだが、「現在としては『適当な経済成長』というのが一つの抽象的な言説としては成立できるかもしれないが、果たしてそれが具体的な現実において何をどのようにしようとする戦略なのかが定かでない」(pp.81~82)と簡単にまとめてしまう2。その後、再び「明確なのは、資本主義経済の枠にいったん『適応』することを前提とする限り、いかなる場合でも『適当な経済成長』というのはあり得ない」(p.82)という原則論へ戻る。

 「適応」という言葉の使い方は、人によって異なる。ところが、ここで問題とすべき「適応」はあくまでも同時に「克服」の努力でもある二重的単一課題の一部としての適応、言い換えれば、克服するためにも最小限必要な適応、克服の努力が伴われなければ、「投降」ではない主体的な「適応」には値することができない適応である3。もちろんこの際、重要なのは言葉の意味をめぐって言い争うことではなく、実践的な状況において「適当な成長または競争力の確保」が--金鍾哲の問い通りに--「果して現実的に成立可能な概念であるかということである」(p.81)。

しかし、実際生活の現場においては、数多くの人々が自分なりにこの概念にしたがって生きているのではなかろうか。もちろん個人であれ、国であれ、資本主義の無限の蓄積原理に基づいて、最大限の収入のために必死になって生きる場合が大半であるが、少なくとも個人や限定された集団レベルにおいてはそのような世態に対抗して、自分を守り、さらにこのような情けない世の中を変えていくためにも、必ず必要な経済活動を営み、競争から脱落しないという心構えで生きていく人々が決して少なくないと思われる(直ちに、私自身と金鍾哲氏をこのような個人の中に入れてもよいのではないか)。

いずれにせよ「適当」であるかどうかは何のための適当であるかによって判別されるものであり、すべてのものに広く該当される「適当」というものは存在しない。特定の状況において特定の主体が「克服のための生存ないし適応」のために図る「防御的な競争力路線」が、果たしてその目的に照らして適当であるか、または言葉だけが「防御」であって、攻勢的な追随主義と何ら変わらないものではないか、または「防御」を図るうちに防御さえできなくなり、むしろ落伍するようになる戦略であるかなど、これらの問題は具体的な事案をもって判断しなければならない。

金鍾哲も部分的に引用する拙著において、私は「適当な競争力」の基準を韓国及び汎韓半島的当面課題が求める適正な地点に置いた。「一度落伍すれば恒久的な弱者へと転落しがちであり、弱者が強者に人間として尊重してもらえない今日の世界体系の現実において、我々がようやく手に入れた民主的価値を保存し、韓半島の分断体制の克服過程に能動的に介入できるためにも近代克服の努力と賢明に一致する適応の努力が必要であるという立場である」(拙著『韓半島式統一、現在進行形』創批 2006、p.269、傍点は原文)。実際、このような立場が「適正な地点」によく合わせられたものなのかについては論議する余地がいくらでもある。しかし、金鍾哲が、「我々が生命の持続に必要な物質的条件を改善しようとする努力自体を拒否しなければならない何の理由もない」と認めながらも、「それが依然として物資とサービスの浪費を構造的に強制する近代的生活を維持・拡大するための量的成長を意味するものであれば、それはそれほど有意味なものといえない」(p.83)と結論付けたことに対しては、実際難しい問題は回避してしまっている気がする。このような姿勢で、金鍾哲が主張する通りに「成長論理とは無関係な質的に全く異なる生活、すなわち非近代的方式で方向転換しようとする急進的努力」(p.84)が果たしてどれほどの実行力を確保することができるかが疑問である。もちろん新政府の登場後、より強まっている成長主義と開発主義の狂風の中で根本主義的反対運動の効用は、それなりに重要である。しかし、立派な話であっても、論理があまりにもおろそかでは、長い争いにおいて勝利する道は見えてこないのである4


3. 分断体制の克服運動という媒介項

先述したように、私は「非近代的方式へ方向転換しようとする急進的努力 」を基本的に支持する。近代の克服とは、正にそのような急進的方向転換ともいえる。したがって、金鍾哲が結論で強調する「『資本主義近代の暴力的な』独走に立ち向かい、『非近代的な』生活様式を保存・確保しようとする世界全域にわたる草の根抵抗運動」は当然近代克服運動の貴重な資産である。ただ、これらの抵抗運動が現実の中で実行力と持久力を発揮しているのであれば、それはまた「適応」の事例でもあるということを指摘したい。このような条件を付ければ、「すべての努力を注ぎ、そのような抵抗運動に合流」しようという彼の主張に快く同調できる5

もちろん二重課題論を主張してきた知識人がそのような努力を実際どれくらいしたかというのは別の問題である。私自身は、エコロジー言説の開発やエコロジー運動の実行への寄与が非常に少なかったことを恥ずかしく思っている。一方、二重課題の韓半島的実践において核心的な役割を果たしている分断体制の克服問題に対して、金鍾哲のエコロジー言説がどれくらい慎重な考慮を見せたかも考える必要がある。彼の今回の論文において分断体制に関して一切言及しない点も少なくない問題点であろう。もちろん人によって主な関心分野が異なり、適切な役割分担というのもあるので、彼が分断体制論議に積極的に参加しないことを責めてはいけない。しかし、「『近代適応と近代克服の二重課題』という言葉は抽象的な言述としてはまともなものに聞こえる概念であるが、実際具体的に何をどうするということなのか、その実践的な状況を考えると、きわめて曖昧なものとなってしまう」点を論駁している際には、少し状況が違うと思われる。

金鍾哲が統一問題に比較的冷淡な理由は、既存の統一言説が資本主義の反対を標榜する場合にさえ資本主義的近代の基本論理から脱していないからであろう。つまり、「強盛大国」を志向する北朝鮮と「先進化」に没頭する韓国とが一緒になって、いかなる急進的方向転換が起こり得るかと問い返してもおかしくない。そのような考えであれば、それはとても正しいことである。ところが、とにかく統一だけしようというのではなく、今の南北いずれよりもさらに民主的で環境親和的な社会を韓半島に建設しようという分断体制の克服運動は全く異なる性格のものである。もちろんこのような韓半島社会が建設されるとしても、それが生態的転換を完全に成し遂げた社会にはなりがたいという点において、金鍾哲には非常に中途半端な--いや、ともすれば生態転換を遠い将来の目標として設定したまま近代主義に実質的に投降してしまう危険な--路線としてみられる可能性はある。しかし、近代克服という長期的課題と今すぐ韓国社会の各地において可能な水準の民主主義及び生態転換作業という短期的課題とをつなげる「分断体制の克服」という中期的課題は必須的な媒介項である。そのような意味において、私は、『緑色評論』70号(2003年5~6月号)に寄稿した「セマングム(新萬金干潟)の生態保存と海洋都市の論議」においても、短・中・長期目標の同時的追求について次のように整理している。

私は、資本蓄積の論理にとらわれない人間社会の真の発展が可能であるという意味で「開発」の代わりに「発展」という表現をわざと使ったが、これはあくまでも長期的な目標である。そこに行くためには合理的開発論者とも連帯し、セマングム干潟を最大限護りきる短期的作業も遂行しなければならず、もう少し長い「中期的」次元では、たとえ韓半島の分断体制の克服が直ちに資本主義世界市場からの離脱をもたらすことはできないとしても、この過程においてより環境にやさしい開発パラダイムを見つけ出さなければならないと信じている。そうすることによって、統一しても分断体制下の時よりさらに良い社会を作り上げる統一になり、世界体制の変革にも画期的な寄与になりうると思われる(『韓半島式統一、現在進行形』、pp.216~217)。
そして、このような中間媒介項が抜け落ちるときに、エコロジー言説の抽象化・観念化とエコロジー運動の破片化が不可避となると信じているのである。

例えば、金鍾哲の二重課題論批判では、資本主義システムと未来の「農的循環社会」に対する巨大言説から、突然、現在直面している韓国現実の問題へと話が移り、権力層及び知識人の農業軽視思想と李明博大統領引継ぎ委員会の絶対農地(他の用途への転用が不可能な農地)の廃止構想を言及しているが(p.88)、このような面を論じるなら、今日の韓国の様々な反生命的行為や狂的な開発主義が分断体制とどのようにつながっているかを当然検討しなければならないのではないか。このような問題意識は、すべてのことが分断のせいであり、統一さえすれば環境問題も自ずから解決できるという「分断還元論」でもなく、生態系が悪化されようとされまいと統一だけすればよいという統一至上主義でもない。しかし、韓国の産業化がきわめて野蛮に進められたのは、旧韓末と日本植民地時代の近代化が他律的に行われたこと以外にも、朴正熙政権の工業化戦略が分断体制の膠着化と南北対決を前提にして樹立されたからであることを否認することはできない。今は朴正熙政権時代の露骨的な国家介入がなくなった代わりに、新自由主義の世界的大勢に乗った「民主化以後の政府」の幇助の下でその勢いが全く衰えない開発狂風を制御するためにも、分断体制の克服過程が提供する新しい変数を正確に認知し、最大限活用し、新たな韓半島の経済とそれにふさわしい国家システム、社会制度、文化様式などを設計することを怠ってはならない。


4. 循環社会と農業文明

 金鍾哲が提案した「成長論理とは無関係な質的に全く異なる生活」こそが抽象的な言述としてのみまともなもののように聞こえる概念ではないかという疑問に対する答えとして彼が出したのが「農的循環社会」である。その際、その概念の実行設計までを出してもらうのは明らかに無理である。分断体制が克服された韓半島という「中期的」成果に対してさえ概略的な構想以上のものを提示することができない--前もって提示できないと信じている--私としてはさらにそのような無理な要求をする理由がない。

 一方、前提を構成する命題の妥当性や論理展開の責任性は当然要求しなければならない。

 「農的循環社会」概念と関連しては、近代以前の農村社会が維持していた循環構造が資本主義の発達によって破壊されたという点、人類文明の存続のためにも新たな循環構造が作られるべきであるという点、そのためには人間活動と自然環境との緊密な相互依存を求める農業に対する認識を改める必要があるという点などは論駁しがたい。ところが、金鍾哲はここで一歩進んで「小農とその共同体を基盤にした生態的循環社会」(p.90)を提唱する。ところが、これは農業だけの社会でもなく、またこれまでの工業及び科学技術発展の成果すべてをもとに戻そうという主張でもないが、実際金鍾哲自身は「高度資本主義社会」から「小農共同体基盤の社会」への移行過程について何の説明もしていない。「それが具体的な現実において何をどうしようという戦略なのか」が全く見えてこないのである。

 このようになったのは、金鍾哲が動員する論拠が不正確であり、または足りない部分があったからでもある。例えば、金鍾哲は「小農または小生産者連合体を離れては『合理的な農業』は不可能であるというマルクス(Marx)の洞察」を「何よりも貴重な指針」(p.87)として提示するが、マルクスが一部の誤解とは異なり、生態系問題に深い関心を持った思想家であったことを指摘したのは歓迎することである。しかし、引用されたマルクスの文章が--または足りないが、私がマルクスについて知っていることが--金鍾哲の小農共同体構想を裏付けているかどうかは疑問である。金鍾哲の論文86ページの最初の引用文は、『資本論』第1巻第4編第15章の中、大規模の工業が農業に及ぼす影響を論じた節の最後の部分であるが6、資本主義的農業における技術的・物量的進歩が「労働者を搾取するのみならず、土壌までも略奪する方式で進行」されることをシビアに批判するのは事実である。しかし、引用文の結論に到達する過程においてマルクスは、「ところが、そのような新陳代謝(すなわち、人間と土地との間の新陳代謝(Stoffwechsel,metabolism))の単に自然発生的に造成された環境を破壊することによって、資本主義的生産は、新陳代謝が社会的生産の規制的な法則で、そして人類の相応しい発展に適合した形態として体系的に再建されざるを得なくなるようにする」(Werke、23巻、p.528)とし、資本主義農業の破壊的な結果さえ人類のさらなる円満な発展に向けた弁証法的過程--だからといって、「必然的な歴史法則」ではない--の一部として認識するという点をもって、金鍾哲とは異なる考えを披瀝したのである7
 小農に関する直接的な言及が出るのは、第二の引用文であるが、この部分においては原文の歪曲された使用さえ目立つ。「合理的な農業のために必要なのは、自分自身のために働く小農や連合された生産者による管理である」と引用しながら、これを「小農または小規模生産者連合の重要性」(p.86、傍点は引用者)に対する主張として解釈しているのである8。私はここでマルクスの原典についての訓詁学的論議をしたいわけではない。ただ、「農的循環社会」の論拠としてマルクスが特別な魅力を持っているのであれば、それは何よりも彼が「自由な生産者の連合」の徹底した工業化を経た社会を運営する日を夢見たからであると思われるが、これを「小農または小規模生産者の連合」で理解するようになると、実際重要な問題が視野から消えてしまう。例えば、未来の循環社会において工業の合理的な運営(いわゆるIT産業を含めて)をいかに追求し、合理的農業といかに配合するかというなどの難題がマルクスの権威を負いながら、こっそりと消滅してしまうのである。

「我々は、一日も早く産業文明が農業文明に対する進歩を表すものであると考える近代主義的発展史観の罠から解放される必要がある」(p.89)という金鍾哲の主張には傾聴すべきである。しかし、我々自らが「産業文明対農業文明」という区分方法自体を乗り越えなければならない。近代、すなわち資本主義時代は産業革命以前に資本主義的農業の成立とともにすでに始まったという学説の説得力が強く、産業革命以後の近代だけをみてもイギリスが覇権を掌握した時期の「産業主義的近代(industrialmodernity)が、アメリカの覇権の下で「消費主義的近代(consumermodernity)へと移行したという主張が出たことがある9

 産業主義段階の反体制運動を代表した社会主義運動と社会主義圏国家が失敗したのも、アメリカが代表する新たな段階においてすでに過去のこととなった類型の近代を目指していたからである。一方、消費主義的近代の最大の脅威は地球環境自体の取り戻すことのできない破壊であるために、環境運動がこの段階の核心的抵抗運動になるというのがテイラーの主張である(「世界ヘゲモニーに対する反体制的対応」pp.141~142等を参照)。ところが、環境運動がこのような歴史的使命を果たすためには、自らも「近代」と「産業社会」とを同一視する習性から抜け出さなければならない。「日常言語や理論的言説において『近代的』と『産業的』はまるでシャム双生児(結合双生児)のようにくっついていた。『産業社会』と『近代社会』は同意語としてみなされてきたのである[…]それ故、多様な理論家の重要な相違にもかかわらず、一つの類似性が目立つようになった。すなわち、多様な理論がすべて『産業的=近代的なもの』と『農業的=伝統的なもの』との対立を基に成り立った」(Modernities、p.19)。そして社会主義者と環境主義者がすべてこのような枠から自由でないまま、「産業社会」を近代社会全体の性格として捉えてきたということである(同書、p.86)。

「体制内でますます深化される物質的不平等及びますます近くなっていく体制の物質的限界点、この二つに同時に立ち向かうこと」(テイラー、前掲論文、p.151)を具体的にどのように遂行するかは、金鍾哲と私両者にとって切実な関心事であるが、テイラーの見解をここで詳しく検討する余裕はない。ただ、テイラーの著書によれば、「環境論的社会主義」に対する展望が論文よりはいっそう慎重になっており、日常生活における環境にやさしい小さな変化の累積にいっそう大きな期待をするようになるといった点は(Modernities、pp.131~132及び p.134)、国単位の解決を信用しない金鍾哲の立場に近づいているといえる。ところが、私はこの問題においても、今日の韓国人は、既存の国家レベルの「政治」か、それともテイラーがウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck)を援用して提示する「下位政治(sub-politics)」かという二分法の罠から脱し、既存の国家の解体戦略であると同時に、いっそう解放的で住民親和的な国家システムの創案作業を含む分断体制の克服過程において、グローバルな生態転換に向けた重大な進展と有意義な学習体験を獲得することができると信じている。


5. 「生命持続的発展」に関して

分断体制の克服が中期的目標であるとすれば、長期目標は世界体制の変革、すなわち現存の資本主義体制と異なり、「生命持続的発展」を許す体制への移行である。これに対して、金鍾哲は、「生命持続」のための発展が実際現実においてどのように具体化されうるものなのかは依然として疑問」(p.83)であると批判したが、「生命持続的発展」という構想の具体化戦略のみならず、概念自体が十分明らかになっていない状態であるのは事実である。「生命持続的発展」という理念が主流の環境論者のいう「持続可能な発展」という論理と根本的にどう違うのか、曖昧なのは同様である」(p.83の直前の文章)と強く批判されたことがたとえ少し悔しくても、概念を提示だけしておいて持続的に発展させることを怠ったので、誰かを責めることはできない。

「生命持続的発展」を最初に掲げた趣旨は二つであるといえる。主流の環境論者の「持続可能な発展」が自然を「人間のための環境」に設定したまま、その持続に焦点を置き、さらには「成長の持続」を至上の目標としたのに対し、我々が維持し、培わなければならないのは「生命」それ自体という一種の生命思想を標榜したものであった。同時に多くの根本主義的生態論者が「発展」そのものを拒否することに対する異議申し立てでもあった。その趣旨を集約したのが、金鍾哲も引用した次の文章である。「生命の発展には一定の物質的条件が必須的であり、ある領域においては物質生活の持続的向上が求められ得ることもあり、このような必要に応じる積極的な開発もなくてはならないのである」(『韓半島式統一、現在進行形』、p.254)。

この命題に対して真正面から反発するエコロジー運動家らが多い存在するだろうと推測することは難しくない。急進的生態主義者にとってみれば、「開発」はもちろん「発展」や「進歩」だけにしても成長論理に埋没された発展主義、近代化論の「一直線的進歩」イデオロギーと異ならないと思われるからである10。金鍾哲自身は、私の考えが「正しいかもしれない」(p.83)といったん認めようとする姿勢を見せる。それにもかかわらず、結局は(先に引用したとおりに)主流の環境論者らの「持続可能な発展」概念と根本的にどのように異なるかを問い直しているところをみると、相互間の長い対話が必要であることを切実に感じるようになる。誤解を取り除くべきものも多く、最後まで意見が分かれる地点を正確に確認する必要もあるように思われる。

例えば、私が、彼の「新たな安貧論」を批判したことに対して、金鍾哲は彼自身と『緑色評論』が強調してきたのが「安貧」ではない「共貧」、すなわち「単純に個人的次元で物質的欠乏状態に快く耐える生活ではなく、あくまでも共生共楽の貧困であった」(p.80)と抗弁する。しかし、私が「新たな」安貧論といった際には、「共生共楽の貧困」も念頭に置いており、批判の趣旨もそれ自体が悪いといったわけではない。金鍾哲と同様に、私も未来の望ましい社会は(たとえ「ある領域においては物質生活の持続的向上が求められうる」かもしれないとしても)資本主義時代の過消費に比べれば、人々がいっそう「均等に貧しい」生活に自足する社会であると信じている。そのような意味において「安貧」「共貧」または「清貧」はすべて良いものであり、その定義をめぐる論争に没入しすぎる必要はないと思われる。

問題は、そのような意味の「共貧」を現実においてどのように実現させるかである。かつてソンビ(儒生また儒學者に対しての古風な敬称)の「安貧楽道」も単純に個人的な次元の問題ではなく、一定の社会的・経済的基盤と、このような貧困を共有し、ともに楽しめる有形・無形の共同体が存在するから可能であった。今日「共貧」の事例としては、「無所有」を標榜する僧侶集団や「貧困」を誓ったカソリック修道者らがそれだけに彷彿されるが、彼らもまた各自の修行のみならず、教団の経済基盤や社会制度の支援によって「共生共楽の貧困」を享有することができるのである。ある討論の場において「新たな安貧論」を取り上げながら、私が注目したのもそのような現実的基盤の確保の問題であった。

また(崔元植教授の)基調報告においては中世の安貧論を言及しましたが、中世よりもっとさかのぼって老子がいう小国寡民、すなわち国は小さくて、人口は少ない方がよいという思想と通じると思われるが、私はここに我々が窮極的に志向してみる価値あるものが確実にあると信じています。ただ、将来の「小さな国」はあくまでもグローバルな人類共同体の一部であり、従来の孤立した共同体とは異ならなければならず、「少ない数の百姓」も世界市民としての識見や抵抗力を備えた人々でなければならないと思います。したがって、これが可能になるためには、その前提条件として第一に科学技術が高度に発達しなければならず、第二に科学技術と人間関係が今とはまったく異なるものに変わらなければならないと思います。それは単に科学技術との関係だけではなく、社会体制の変化ないしは変革を意味するものであるでしょう。(拙著『統一時代の韓国文学の価値』創作と批評、2006年、p.446)
したがって、「共貧」を近代克服の目標とする場合にも、それが高度の科学技術の発達を前提とするものなのかどうか、科学技術と人間の関係を今とはまったく異なるものにしてくれるどのような社会体制を構想するのか、そしてそのような体制への変革を遂行するどのような中長期戦略を有しているかを問わざるを得ない。

 同時にたとえきれいで暖かい貧困であるとしても、それを排他的な目標として設定するのは、一つの偏向であることを指摘したい。次の部分は、直接的には大衆の開発欲求の中にも尊重できる何かがあることを弁護するために書いたものであるが、生命の欲求一般に対して私が『緑色評論』と意見を異にすることを明らかにした部分でもある。
きれいで品のある貧困が人間のある深い欲求に相応するように、荘厳と栄華に対する欲望もまた重要な本能である。生命の欲求は実に多様であり、これらを抱擁し、調和させるのが真の知恵であり、その中のいずれを絶対視するのは独断であり、自分の理想を他人に強要する抑圧行為になりかねない(『韓半島式統一、現在進行形』pp.253~254、脚注11)。
 未来の「循環社会」もいつも貧困を分かち合う社会というより、各自が余裕を持ちながら、倹約と節制を習得した社会、そして社会レベルにおいては人間の多様な欲求を充足させる物質的富を蓄積するが、その処分が民主的に行われる社会でなければならない。これは、現存の世界体制とは根本的に異なる制度の緻密な準備を意味すると同時に、これに伴いながら、それを可能とさせる個々人の学習も前提としている。民主主義=民衆自治の主体になる民衆の自己訓練が必要なのである。貧しくてやむを得ず節約するのも一種の知恵であるに違いないが、豊かさが可能となった社会においても最大限節約するが、使うべきところには惜しまず使うことこそ貴重な知恵であるからである。

 これに適切な名は「共貧」よりは「中庸」または「中道」という聞き慣れた単語であると思われる。このような「中庸」ないし「中道」が果たして「共貧」または「農的循環社会」に比べて根本的で変革的ではないだろうか。私はそうとは思わない。そしてこれはただ現実主義的考慮のためでもない。これに関連して、マルクスが「ユートピア主義者」らを批判したのは、彼の真の意味のユートピア的志向が彼らより足りないからというより、むしろ未来に対する固定された哲学的構想を実現しようとする試みが「現存体制の状態において見慣れた発想や思考から脱せず、新しい発生に対する予感を盛り込めないから」11

であったという指摘には注目する必要がある。今日の韓国において変革的中道主義を実践し、韓半島の分断体制を克服する過程において、そして資本主義近代に対する変革勢力としての実力を確保し、駆使する過程において、「産業化対農業化」または「資本主義的過消費対共生共楽の貧困」という枠組みにとらわれない新たな問題が発生する可能性を--いや、緑色がそれほど鮮明ではなかった言説と実行を含め、すでに発生している新たなこと--もう少し慎重に読み込んでほしい。(*)


訳=李正連

季刊 創作と批評 2008年 夏号(通卷140号)
2008年6月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea

  1. そして当然のことであるが、「具体的な課題を近代に適応することと、近代克服のビジョンを実現していくこととがどのように結合されるかは、我々が事案別に点検し、新たなあり方も開発」しなければならないと付け加えた(白樂晴-趙孝済の対談「87年体制の克服と変革的中道主義」『創作と批評』2008年春号、p.125。
  2. この次の文章においては、二重課題論自体が同一の判定を受ける。「これはまるで『近代適応と近代克服の二重課題』という言葉が抽象的な言説としてはまともなものとして聞こえる概念であるものの、実際具体的には何をどうするかということなのか、その実践的な状況を考えると、きわめて曖昧なものになってしまうといえよう」(p.82)。『緑色評論』97号の巻頭言においても彼は同一の態度を見せたことがある。「もちろん近年『近代適応と近代克服』の同時的遂行という命題を掲げて活動してきた知識人グループがなかったわけではないが、その命題が単純なスローガンの水準を超え、具体的に何を意味するものなのかというところまでを表わすものではなかったといえよう(2007年11~12月号、pp.9~10)。
  3. 李南周は、近代に対する「追随」でもなく、近代からの(現在は不可能な)「脱出」でもないことを「適応」と規定しながら、「実践戦略を説明する場合、適応と克服を区分するよりは『適応』という概念をこの両者の意味をすべて包括する意味として使うのが混乱を減らすことができる」(「グローバル資本主義と韓半島の変革」p.19、脚注9)と主張する。しかし、適応と克服が二重の単一課題であることをいくら説明しても、金鍾哲式の誤解が生じる状況の中で、「適応」という言葉だけを使った場合、それが「追随・脱出・適応」の3分構図に属する適応であることを推察できる人がどれくらいいるかが疑問である。面倒でも「適応と克服の二重課題」という表現を使い続けるしかないと思われる。
  4. 『緑色評論』83号の「はじめに」の次の発言は、よりひどい論理の飛躍を見せている。「いわゆるグローバル経済の外において生存できる可能性は、今の段階ではほとんどなく、したがって我々は良かれ悪かれ、もしそれが帝国主義的支配の論理といっても現在の世界化の支配体制の中で活路を模索せざるを得ないという主張は、おそらく論駁しがたい論理であろう。しかし、本当にそうであろうか?果たして今日我々が見ているような経済成長と社会的発展が本当に発展といえるだろうか。」(2005年7-8月号、pp.2~3)
  5. あえてそのような条件を付けるところから推察できるように、「我々はすべての努力を注ぎ、そのような抵抗運動に合流するところに希望の道を求めるしかない」という金鍾哲の最後の文章が全的に信用できるものとはいえない。「非近代」を鮮明に標榜した抵抗運動に対しては、その適応力に対する点検を疎かにし、また鮮明度の低い近代克服運動はあまりにも簡単に排除してしまう姿勢がみられ、さらに「希望の道を求めるしかない」という文章も希望を体得した自信溢れる姿とは距離があるようにみられる。
  6. Karl Marx/Friedrich Engels, Werke, Dietz Verlag Berlin 1987, 第23巻, pp.529~530。引用文の正確な出典を確認してもらった柳在建教授に感謝する。(Werkeでは、この部分を第4編第13章にまとめているが、国内の金秀行の訳書とPenguin版の英訳版では第15章にかけてまとめている。)
  7. マックス・ウェーバー(Max Weber)の場合は、金鍾哲とはより異質的な思想家であるが、「高度資本主義」の弊害に関するウェーバーの発言もまた便宜的に援用された(p.76)。H.H.Gerth and C.Wright Mills,eds., From Max Weber: Essays in Sociology (Oxford University Press 1946)の編者の解説において長く引用された(pp.71~72)手紙の内容だけをみても、ウェーバーは初期資本主義こそ「自由と民主主義」を正しく咲かせた動力として認識しており、資本主義が高度化しながら、これら近代的価値が脅威されることに対して深い憂慮を表明しているのである。
  8. 実際原文(Werke、第25巻、p.131)では「合理的農業は自作小農の手や連合された生産者による管理を要する」(die rationelleAgrikultur…entweder der Hand des selbst arbeitenden Kleinbauern oder der Kontrolle des assoziierten Produzenten bedarf)とし、未来社会の生産者連合と小農を分離させている。金秀行版の訳書では、この部分が「自己労働に依存する小農(small farmer)を必要とし、あるいは結合生産者(associated producers)による統制を必要とする」と翻訳している(『資本論』Ⅲ(上)、第1改訳版、ビボン出版社、2004年、第1編第6章、p.139)。やはり「生産者連合」と「小農」の分離を明確にしているのである。
  9. ピーター・テイラー(Peter J. Taylor) 「世界ヘゲモニーに対する反体制的対応」『創作と批評』1998年春号参照(原文は、“Modernities and Movements: Antisystemic Reactions to World Hegemony,” Review 1997年冬号)。その後、著者はこの論文の修正補完された内容を含む著書を出版した(Peter J. Taylor, Modernities: A Geohistorical Interpretation, Polity Press 1999)。テイラーの論文の要旨は拙著『揺れる分断体制』(創作と批評社、1998)第1章「分断体制克服運動の日常化のために」の中、「生態系問題と民族民主運動」という部分(pp.41~44)において紹介したことがある。
  10. さらに、保守陣営の「大韓民国の先進化」スローガンを受け、「韓半島の先進社会」までを提唱すれば(拙稿「南南葛藤から韓半島先進社会へ」『創作と批評』2006年冬号)、その可能性はより高くなるはずである。南と北とがともに先進化のみすればよいのかと問い返すことができる。しかし、個人であれ、社会であれ、国であれよい方向へ向上し続けようとする努力は生命自体の欲求ということができ、「国家」--それも分断国家--本位ではなく、人々が集まって暮らす「社会」本位と考えながら、分断体制の克服を通して韓半島にさらなる社会を建設しようとする企画は「生命持続的発展」を現実において具体化する過程の核心的な一部である。
  11. 柳在建「マルクスの科学的社会主義と現実的科学」『創作と批評』1994年秋号、p.264。「マルクスがユートピア主義と非難する際は、それが現存体制の観念にとらわれ、理想形態や体系を設定して実現しようとするということを目指したものであった」(同書、p.265)。
2008/06/01 15:00 2008/06/01 15:00
特集 1    ジャンル文学と韓国文学
柳熙錫 (ユ・ヒソク) jatw19@moiza.chonnam.ac.kr
文学評論家. 全南大學校 英語敎育科 敎授. 著書として『近代克復の里程標ら』(2007)があり、 譯書として 『批評の技能』(1991) 『近代化の蜃氣樓』(2001) 『知識の不確實性』(2007)があり、 主要な評論として 「リアリズム•モダニズム 論爭について」 「金少珍と1990年代」などがある。



1. はじめに

  ジャンル文学が我が文壇で話題となっている。特にゲームや映画に取り換えられやすいファンタジーとSF、ファクション(faction)の声価が高まっている。その声価は実際、文学出版市場の販売指数に反映されている。今やジャンル文学こそ、21世紀の文化コンテンツの根幹をなす、創意力と想像力の宝庫という主張も度々提起される。これは文化研究に偏った論者たちの、比較的、一致された立場のようである。もう一方、中間文学、または第4文学とも言われるジャンル文学に対する論壇の評価は、非常に紛々としている。1「本格文学」との関係設定においては、時に張り詰めた緊張が感じられたりもする。

  文学におけるジャンルは創作様式を規定する範疇を指す。創作の分岐を指すジャンルは、近代以前にまで遡る悠久な伝統があるが、技法や形式、語調、内容、分量などがジャンルの境界を画定する要素である。このジャンルの概念とは違って、ジャンル文学そのものは近代の文化的産物である。ジャンル文学は市場の需要・供給の原則に相対的に緊密に照応する特定の読者層を主に持っている。このようなジャンル文学を定義するとしたら、特定の叙事的コードを活用して叙事の主題と範囲を集中化・専門化することで出版市場でそれなりの占有率を確保した「企画商品」と言えよう。主なお客はジャンル文学の慣習的物語の内容を繰り返して消費する過程で形成されるが、彼らがつまり、マニア読者である。

  一方でジャンルの叙事と大衆文化の関係をまとめるやり方は相当、様々である。その中では後者を推理やホラー小説、SFなどを包括する概念として用いる論者もいる。すなわち、大衆文学を複数のジャンル文学「ら」を指し示す用語として位置づけるのである。もちろん概念設定はやり方次第であろうが、本格または純粋文学の場合、大衆文学との関係設定が言い争いの種になったりもする。ジャンル文学を脱近代の開放的叙事として規定しながら、その開放的意義を高く評価する論者なら、最初から本格文学と大衆文学の境界も問題視するであろうことは十分、予想できることである。ジャンル文学、大衆文学、本格文学を分別したり序列化すること自体を高踏的な文学主義として見なすであろうことは言うまでもない。

  一応、序列化が抱えている問題は、ジャンル文学の近代的伝統が豊かな西洋文学を通じても提起できる。例えば、貴族と平民を一箇所に集めて公演されたシェークスピアのドラマや、字がわからない大衆も聞き楽しめる朗誦の時代を開いた--シェークスピアの戯曲を小説で受け継いだと評価される--チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)の作品が大衆文学であるか本格文学であるか聞かれると、両方ともだと言わざるを得ない。もちろんこの際、それがどんな次元の大衆文学で本格文学なのかという分別の問題が完全に解消されるわけではない。ファンタジーやSF、推理文学、探偵小説のような新しい大衆ジャンルを開いた先駆者たちであるホフマン(E. T. A. Hoffmann)やポー(E. A. Poe)も、ジャンル文学と本格文学の関係を論じる際、決して容易くない争点を提起するだけでなく、実際と虚構を行き来しながらアメリカの歴史的現実を穿鑿したホーソン(N.Hawthorne)の「ロマンス小説」はジャンル変容の一つの鑑でもある2

   この作家たちに対する文学史的評価は各々であろうが、彼らの存在そのものは本格文学や大衆文学が独自的ではなく、その二分法的構図もまた、歴史的に作られたことを気付かせる。その歴史的構成に留意すると、ジャンル文学に対しても根本主義的な接近は禁物である。西洋でもディケンズを輩出した19世紀のイギリスの場合のように、多様な下位ジャンルの物語方式を創意的に総合・活用することで長編小説の全盛期を開いた歴史的な事例が厳然たるものである。ただ、根本主義的な文学主義を警戒することで、肝心な、「非主流ジャンル文学」との緊張を通じて成し遂げられた文学の創意的な成就から目を背くことがあってはならないが、そのためにもジャンル文学で視野をすっかり開くと共に「本格文学的な地平」に対するまじめな問いを堅持することが重要である。
 
 
 2. ゲットー(Ghetto)化されたジャンル文学を超えて
 
  実際、私たちの同時代の状況へと目を配っても、ジャンル文学の叙事的資産を活用して優れた作品を書き上げた作家は少なくない。その中でもアリエル・ドルフマン(Ariel Dorfman)はジャンルの境界問題を論じる上で手頃な示唆点を提供する。筆者は2007年に韓国を訪れたドルフマンの講演をオンライン紙面を通じて読者に紹介したことがある3。そこで次のような彼の問いを引用した。すなわち、「政治的であるが、政治パンフレットとは異なる言語を如何に探し出すか。大衆的でありながら曖昧な物語、多数の聴衆が理解するが、様式上の実験がなされており、また神秘めいているが、同時に皮膚で実感できる人間存在に関する物語を如何に成し遂げれるのか」(「死と少女」(Death and the Maiden) 作者後記) それに次いで筆者はこう書いた。
 
『我が家に火事が起こった』(My House Is on Fire)を始め、ドルフマンの多彩な小説もそのような問いに対するそれなりの熱情的な探求の結果である。要するに、「死と少女」を読んで見る読者・観客はそこからより多くの消費者たちの心を惹きつけようとする大衆文化の誘惑的な形式、すなわち、サスペンス、スリラーや探偵小説的な妙味を味わうが、その一方でそのような形式を全く異なる脈絡で借用し、転覆して常套的な図式に自足できぬ新しい方式の真実模索へと変える作家を見い出すのである。
 
  推理小説の妙味を叙述の変化を通して絶妙に生かしたドルフマンの『マスカラ』(Mascara,1998)でも、つまりそのような次元における真実の模索が確認できる。この軽長編でも確認されるところは、ジャンルの境界と範囲を創意的に拡張したり、変容しながら常套性に挑む文学にならない限り、ジャンル文学の可能性もその分、制限されるしかないということである。そのような脈絡で一つの作品が作品らしい境地に達するとき、ジャンル間の「交渉」がなされながら慣習的な叙事装置も解体されるはずだとしたら、次のような一つの命題が成り立つ。すなわち、ジャンル文学固有の成就はゲットー化されたジャンル文学そのものの克服にほかならない。だからといって、「ゲットー」にでも花が咲けるし、さらに文化的解放口としてのゲットーこそ、文学本然の創造性が発話される地点という主張そのものを否定しようとするわけではない。要は、互いに異なる叙事的構造と慣習を内蔵した個別ジャンルの統合的進化が「作品」として現れる現象に対する探求がジャンル文学論でも核心だということである。

  そのような探求が切実に求められるのは、排他的な叙事の形式と慣習を創出することによって、マニア読者を確保するジャンル文学が我が文壇で意味深長な進化の様相を呈しているからである。顧みると、推理、ロマンス、ホラー、武侠、SF、ファンタジーなど、特定の叙事的コードを専門的な方式で加工・特化するジャンル文学が「上位文学」の領域を食い込んでいるという風聞が流れ始めたのは、1990年代ではないかと思われる。それはあくまでも実体の不確かな、大げさな風聞ではあったが、ポストモダンの思潮が急に押し寄せた世紀末では体制および反体制文化全体に浸透した80年代の(硬直された)考え方を否定する傾向が際立ったということも事実である。その過程で伝統的なジャンルの序列と位階はもとより、その文化的区分も薄れてきたし、2000年代に入ってはマニアを確保したジャンル文学がこれまで本格文学として見なされた領域との接点を広めている。

  それはそうとしても、大衆文化の活力に負う古典的な作品を創出してきた西欧文学に比べ、韓国のジャンル文学の伝統は未だ日が浅いというべきであろう。これからが始まりだといっても過言ではなかろうが、大体2000年代初め頃まで続いたリアリズム・モダニズムの論争に自分なりに加わってきた筆者は、本格文学とジャンル文学の境界が薄れながら--それと同時に各々の文学に対する疑問が大きくなるにつれ--新しい形の形式実験が活発になっていることは非常に鼓舞的な現象だと思う。しかし、ジャンル文学の可能性に注目する立場であればあるほど、特定の年齢や性、階級に集中された読者層の成功的な確保が、かえってゲットー化に繋がって、ジャンル文学の地平を矮小化することには批判的な距離を置くべきだと思っている。顧みると、例えば1980年代当時の民族文学談論でもそのような隔たりは基本となっていた。もちろん様々な事情で基本が碌に守られなかった事例も少なくなかった。その点を認めるなら、素材主義に陥没した労働小説を否定的な意味でのジャンル化現象として判断し、それに対して公定の距離を維持しようとしたことも事実である。「作品」に重みを置いた民族文学がそのような現象をジャンル文学としての限界以前の、「よい文学」の基準に達していない例として判断したことは明らかである。

  だとしたら、ジャンル文学を特定の審美眼で固まった「文学主義」の物差しで裁断することは避けるべきであるが、だからといって、作品の作品らしさを厳密に捉える批評的な姿勢を諦めてもならないだろう。その点を喚起しながら強調したいことは、地球化時代に応じる創意的な形式実験を積極的に求めた、嘗ての民族文学の問題意識4が現在、活発に創作されるジャンル文学を通じて深化・拡張されうる--逆にジャンル文学の地平が現実参与的な民族文学の資産を活用することによって豊かになれる--可能性である。ただしこの場合、われわれの作家たちが敢行する多様なジャンル実験も2000年代後半の、変わった現実の脈絡で見てみる必要があろう。

  特定の形式と内容を内蔵した、書くこととしての文学ジャンルも、同時代の歴史的現実との拮抗関係の中で胎動し、発展してきたことを示す例は西欧文学でも無数にある。われわれの場合、民衆の生命力を創意的に受容したジャンル文学の伝統が貧弱だと先述したが、だからこそ励ましが求められる実情でもある。われわれの現実に介入する近来のジャンル叙事を考えてみると、一層そうである。例えば、近年、頓に活発に書かれる「ペクス(文無しののらくら)文学」は1997年のIMF事態以後、深化した両極化の現実とかけ離れない。もう一方、イ・ホン(李虹)の『ガールフレンド』(2007)、(それよりもっと溌剌とした)ジョン・イヒョン(鄭梨賢)の『浪漫的愛と社会』(2003)や『甘い私の都市』(2006)、(前作より意味深長なジャンル的な発展様相を示す)『今日の嘘』(2007)は言わば、韓国版のチックリット(chick lit)に当たるのではないかと思われる。専門職の未婚女性が急に増えた韓国の大衆社会の実体はここから確認できる。これとは対照的に、「シルバー文学」として分類できるバク・ワンソ(朴婉緖)の『余りにも寂しいあなた』(1998)や『優しいボクヒさん』(2007)は、急増する老人たちの日常に基づいて形成された作品である。それからキム・サグァの『ミナ』(2008)やイ・ミョンラン(李明娘)の『ナルラリ on the pink』(2008)は、青少年たちが当面した抑圧的な制度権教育と疲弊した現実を胎盤にして生まれた物語である。特定の年齢や階層、または性を中心に叙事が形成されるこのような作品らが一つの独自的なジャンルを形成していくかは--形成過程で他のジャンルとの重なる範囲を創意的に広め得るかは--見守ることだが、「ジャンルの政治学」と言えそうな兆しが我が文壇でも幅広く見られていることだけは確かである。

  このような脈絡で一定の様式で書くことが一つの文学的ジャンルとして成り立つ現象を、文学自体の自立性に因ることとしてにだけ解釈することも文学主義の痼疾である。ジャンル文学のジャンル的特性を、それが生産される現実の脈絡で捉えようとする努力が大事であるが、より積極的に歴史的状況に対する、ある実践的対応としての「ジャンル文学」を想定してみることもできよう。せっかくだから外国文学でSFジャンルを創造的に活用した事例でありながら、われわれの作家たちにも刺激になれそうな作品を紹介するのが適切であろう。


 3. ジャンル文学の境界解体と現実参与: 『第5屠殺場』

去年、死去して国内でも活発に紹介されているヴォネガット(Kurt Vonnegut)の代表作とされる『第5屠殺場』(Slaughterhouse-Five,1969)はジャンル文学の現実参与を考える際5、示唆に富んでいる。この作品は第2次世界大戦当時、ドイツの由緒深い都市、ドレスデンを「石器時代」に戻したアメリカの火炎大爆撃から生き残った一人の人間の生涯に関する物語である。ポストモダニズム文学でよく借用されるメタ的形式を帯びるこの小説は、最初の章で作家であり話者でもある「私」が『第5屠殺場』を書くようになった多難な経緯を記述する6。残りの章の主人公は、作家が戦争捕虜としての体験を反映した虚構の人物、ビリー・フィルグリム(Billy Pilgrim)である。従って架空の分身を前面に出した自伝的小説なのである。特異なのはビリーの生が反映される様相である。ヴォネガットが1章の終わりで宣言するように、ビリーの戦争体験は「聞いて:ビリー・フィルグリム が時間から解放された」という言葉で始まり、鳥の囀り「ちゅうちゅう?」で終わる。ビリーは文字通り、随時、時間跳躍をする主人公である。作品は写実主義小説の文法とは全く合わないプロットと事件で点綴している。その中で最もとんでもないのは、1967年にUFOがビリーをトラパルマドアという外界人惑星に連れて行った事件であろう。彼はトラパルマドアの動物園でポルノスターのモンタナ・ワイルドハックと同居しながら「外界の福音」(The Gospel from Outer Space)に接する。

  その福音の要点とはすなわち、「私がトラパルマドアで習ったことの中で最も重要なのは、人が死ぬとき彼はただ死ぬように見えるという」ことである。(23頁、強調は原文) 「彼は相変わらず、過去に住んでいるから葬式で人々が泣くのは甚だ愚かなこと」である。なので地球人たちは常に起こるように「構造化してある」(101頁)辛くて苦しいことは忘れて、現在の楽しい瞬間に生を集中すべきだということである。この福音を文字通りに解釈すると、決定論が加わった楽観主義となる。実際、作品は自由意志を否定する発言を所々で盛り込んでいる。一言でいうと、宇宙の惑星の中で自由意志を語るところは地球しかないということである。

  しかし、自由意志の否定を骨子とする外界の福音を言葉通りに決定論の信奉として規定するのは、あまりにも単純な解釈である。それよりは、ビリーが主唱する楽観的決定論は、自由意志を持った人間が20世紀に犯した極悪な野蛮に対して示す、一つのアイロニーカルな反応として解釈したほうが妥当だと思われる。実際、この解釈は本稿の脚注5で提示したヴォネガットの創作信念にも符合する。その意味でもSFジャンルの慣習的物語装置に当たるトラパルマドアという惑星と外界人の存在が作品の意味地平をどれ程豊かにしてくれるかは考えるべき争点である。ヴォネガットがプロットを運営するに当たり、そのような装置を活用したことは人間中心主義に対する疑問と無関係ではない。言い換えると、ドレスデンのような都市で行われた夥しい蛮行を、単に人間を再び中心に立てておいて叙事を進めていく方式では解明する方途がないという認識が働いたのである。作家は自分の戦争体験を通常的な叙事方法ではとうてい伝えられないということを繰り返して打ち明けたりもする。
この作品は余りにも短くてあべこべで騒がしいのよ、サム。何故ならば、大虐殺については理性的ないかなることも語り得ないからでね。すべての人が死んだことになっており、いかなることを語ったり、いかなることをも決して再び望むことはできないから。大虐殺の以後はすべてがとても静かになるのよ。いつもそうだよ、鳥たちだけを除いて。ところで鳥たちは何を語る?大虐殺について語りうる言葉とは「ちゅうちゅう?」のようなことしかないよ。(17頁)
  原始爆弾によって人類が絶滅した空想科学的な状況は、もう『綾取り遊び』(Cat’sCradle,1963)でも登場させているが、『第5屠殺場』の、昼夜を分かたず行われる--「意識の流れ」や絢爛たる時空間伝道技法で織り成された本格モダニズム文学とも実感が懸け離れている--時間跳躍をSF物の叙事的慣習と連関づけると、次のように言えよう。すなわち、「ちゅうちゅう?」という言葉を除いては到底伝えられなさそうな主題の圧倒的な重さが叙事の通常的な形式に過負荷をかけたのであり、その過負荷を引き受ける過程で作者がSFジャンルの慣習的な叙事を借用・変容したということである。トラパルマドアという素材は人間の世界を相対化する認識上の根本的な転換--人間中心主義を解体する、言わば、宇宙的観点--を試みようとする努力と無関係ではない。

  そのような脈絡で『第5屠殺場』をもう少し積極的に評価するとしたら、到底想像だにできぬ蛮行を想像し、その想像を実現した20世紀西欧の世界観に全面的に逆らう独特な「無垢」の軌跡と言える。だとしたら読者にしても『第5屠殺場』をヒューマニズム的「反戦小説」として賞賛することでさえ常套的な修辞になり得ることを警戒すべきではなかろうか。もちろん読者はこの作品を読みながら、ドレスデンという都市の歴史はもとより、第2次大戦当時のドレスデン大爆撃がどれ程残忍で非人間的であったか、またどれ程多くの人々が犠牲になり、アメリカの政治家たちがその爆撃をどのような視角から見ているか、などに関する事実次元の多くの情報に加減なく接することとなる。だからといって、作品が反戦平和を目だって掲げているのでもない。ビリーという、か弱い人間の壊れた人生と目まぐるしい夢想を通じて極悪であった過去を「忘れて」、現在の生に充実であるべきことを説破しているだけである。

  ここで『第5屠殺場』が出版された時代を「近代文学終焉論」が横行する2000年代中後半の韓国の文壇現実と重ねてみることも興味深いことであろう。1960年代は20世紀アメリカ文学史においても相当、特異な局面として記憶されるであろう。その時代はフレドリック・ジェイムソン(Fredric Jameson)が「後期資本主義の文化的論理」と規定したポストモダニズムが本格的に勃興していた時期である。当時、一方では文壇内外の批評家と小説家たちがテレビや映画のような大衆文化媒体の勢いによる「小説の死」を公言していた反面、もう一方ではそのような大勢に逆らって既存の小説様式の革新を試みた数多くの文学的才能たちが登場した。50年代を無名作家で過ごしたヴォネガットも、そのような才能たちの一人であったことは言うまでもない。彼の作家的位相は既成のSF物を創意的に活用することで確保できたのであり、ポストモダニズムの旗手として評価されるトマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)やジョン・バース(John Barth)などと区分される地点も、主にそこから見い出せるのではないかと思われる。

  しかし、彼がポストモダニストか、そうでないかは重要でない。特にジャンル文学の可能性を念頭に置く際、焦点はやはりヴォネガットの抱いた、伝統的な小説形式に対する疑問である。例えば、彼が西欧の古典文学に対してどのような立場を取ったかは、ローズウォーター(Eliot Rosewater)という作中人物の次のような発言からもうかがえる。すなわち、「人生に対して知るべきすべてがヒョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に」あるが、「もうそれだけでは十分でない」ということである。(87頁) その延長線上で彼は人類の生存のため「素敵な新しい嘘」を発明すべき必要に触れたりもする。(87~88頁、強調は原文) もちろん激動の60年代に真摯に向き合おうとしたアメリカの作家たちの大多数がそのような必要を感じたであろう。ドレスデンで「13万5千のヘンゼルとグレーテルたちが生姜菓子人形のように火に焼かれた」のを目撃したヴォネガットは「素敵な新しい嘘」を緻密に運算してより大衆的な方式で駆使した場合に当たる。

それは基本的に「考え」を求める大衆性である。最初の作品である『自動機械ピアノ』(Player Piano,1952)の時からSFジャンルに強い政治性を吹き入れ始めたヴォネガットの、一生に渡る話頭は、一方では技術と人間、もう一方では人間と人間が結び付けれる真っ当な関係であったといっても過言ではない。しかし、そのような関係を生かしだすのに、彼の科学小説がどれ程そのジャンル特有の想像力を発揮するかを、筆者は全体的に判断できるほど読んでいない。ただ『第5屠殺場』の「素敵な新しい嘘」が持っている倫理的真実がかえって「人生に対して知るべきすべて」を聞かせてくれる19世紀西欧のリアリズム文学の現在性を確認してくれるところがあることを喚起したいと思う。少なくともその点でヴォネガット文学の、新しさに対する過度な意味付与を警戒すべきであろう。

その反面、SF物がよく表すユートピア、またはディストピアに対する耽溺と魅惑を『第5屠殺場』で見い出すのは難しい。ヴォネガットがSF物のジャンル的素材を借用しながらその傾向性、特にユートピア的ファンタジーに耽らなかったことには、科学技術が人間と世界をどのように変化させ、人間という種はどのように生きるべきかという問題意識が働いたと見なすべきであろう。そのような脈絡でそれ程破局的で自滅的な大量虐殺の現場にいた一人の人間の真実を再現する物語に、人間嫌悪が全く載せられていないという点も興味深いことである。

1960年代の時点でケネディー、マーティン・ルーサー・キングなどの暗殺を喚起することで始まった終章は、ドレスデンが破壊されてから二日が過ぎたときに戻って、ビリーが死体の山を片付ける労役に動員される場面で淡々と終わる。ビリーの「宇宙的天路歴程」を仕上げる最終発言は「ちゅうちゅう?」である。しかし、鳥の隠喩的言語と共に、最後まで読者の脳裏から離れないものは、「外界の福音」が指し示す地上の知恵、すなわち、ラインホルド・ニーバー(ReinholdNiebuhr)の祈祷文である。それはポルノスターのモンタナ・ワイルドハックのおっぱいの間にかけられたネックレスに刻まれているが、ヴォネガットはそれを終章が始まる直前に絵で表現した。祈祷文の内容は次のようである。「私が変えられないことを、受け容れる平安を/私が変えられることを、変え得る勇気を/その二つを区別できる知恵を私に承諾してくださるように。」


  4. バク・ミンギュ(朴玟奎)のジャンル実験について
 
  この祈祷文をどう受け止めるであれ、その「二つを区別できる知恵」を得るためにも、大衆文化に積極的に介入しようとする努力が必要である。大衆文化はある一個人が総体的な「認識の地図」を描くのが不可能である位、膨大な一つの帝国である。今日、個別民族国家の固有の文化は事実上、アメリカが主導する大衆消費主義の前でどうしようもなく露出されているが、時にはそのような消費主義の尖兵の役割をする大衆文化に対しても作家たちのより意識的な介入を望むようになる。例えば、百貨店という消費空間で起こる人間群像の多様な欲望を解剖したソ・ユミ(徐柳美)の『ファンタスティック蟻地獄』(2007)もそのような介入の産物であると共に、ある面では21世紀の労働小説に当てはまったりもするが、「本格文学」の成就として分類されるテキストも正にその消費文化の磁場を通りながら時間に対する耐久性を獲得したことを歴史的に省察するに値するものであろう。

  そのような脈絡の中でもバク・ミンギュ(朴玟奎)は一つの「試しケース」である。今、われわれの文学で詩と小説分野を合わせて、バク・ミンギュほど大衆文化に徹底に「汚染」された作家も珍しいだろう。『三美スーパースターズの最後のファンクラブ』(2003)が発表された当時、いわゆる3S政策の一つとされていたプロ野球のような大衆スポーツのことを小説で書いて制度権の文学賞が受けれると思った人は、あまりいなかっただろう。スーパーマン、バットマン、アクアマン、ワンダーウーマンなどを全員集合して、漫画を彷彿する方式でアメリカの世界支配を風刺した『地球英雄伝説』(2003)はどうか。正にヴォネガットを凌ぐいけずうずうしい言語である。その素知らぬ振りの水位が危ういためなのか、当時にも「果たしてバク・ミンギュのこのような試みが小説史的に、そして世代論的に意味ある兆候なのか、それともただすぐ消える一時のエピソードなのか判断するにはまだ早い」という評価があった7。しかし、基本的には作品の美徳と可能性を正当に評価する批評であったが、それからもう4年が経った今は、バク・ミンギュの試みが単に一時的な現象ではないという判断を下してもいいと思われる。

  その一次的な証拠は小説集『カステラ』(2005)を始め、1997年のIMF事態以後、人間暮らしの内情を切なく描き出した、写実主義系列の近年の短編「昼寝」「アーチ」「黄ばんだ河、船一隻」などが挙げられよう。もう一方、新しい実験的発話も見逃せないが、SFの叙事的形式や発想を借用した『ピンポン』(2006)、「クロマン、ウン」(『文学と社会』2007年秋号)、「ギップ(深)」(『ムンハックドンネ(文学村)』2006年冬号)などと共に、武侠小説を加工した「ゾル」(『創作と批評』2008年春号)などが彼の形式実験に興味を増す作品である。

  まず、これまでバク・ミンギュが広めた宇宙的想像力を正統SF物として、実感の沸くように具体化したと思われる「ギップ」を読んでみよう。内容そのものは簡単である。世紀2487年の未来の地球で、人類が地震で作られた海丘に「意志と探求という両枝の輪の付いた自らの錨を」(286頁)下ろすが、物語は肉体が消滅して心のみが残った「ディーパー」たちの「対話」で終わる。作家は写実主義的なSFと言えるほど、精巧に仮想の状況を設定し、その状況で人類が「生の意味」を開拓する冒険を浮き彫りにする。金星で採取した鉱物と深海なまこの体液を研究して、科学者たちは画期的な成果を上げたところ、人間はティモ合金の減圧服と深海生物の体液へと体を変えることによって、多くの犠牲にも関わらず海丘の底にまで辿り着く。興味深いのはやはり結末である。海丘の果てに着地した「ディーパー」たちは、其処で地上と繋がった「臍の緒」を切って、心のみが残ったままその底に開けてあるもう一つの隙間の中の深淵に向かって挑戦する。

  この挑戦の「人間的余韻」こそ、ジャンル文学として「ギップ」が持つ微妙さであり独特さである。「ギップ」はSFジャンルの慣習的図式である人間対科学や、自然対人工などからすっきり脱することによって、ジャンル文学そのものでも本格文学の地平に進入できることを示す。有的存在としての人間そのものに対する問いを新たに気付かせ、そのような人間がどのような方式で自分の人間的限界を克服するかを豊かな想像力で再現することで、数百年後の未来の状況が正に今日の人間が直面した文明的危機に対する隠喩的な論評となるのである。

  「ゾル」はSFの正攻法を駆使した「ギップ」とは全く異なる。武侠ジャンルである。とぼけた風刺を掌風のように飛ばす物語である。このような「ゾル」を読む時間は、かつてキム・ヒョンが批判した、武侠誌を読む「冬眠の時間」とは両立できない。「ゾル」の龍字4個は、武林の絶対高段者、すなわち、大天拳王のキム・イルヘ、青龍剣帝のチェ・イル、雲霧天馬のソン・ウジン、氷海千手のジョ・インドクを指すところ、「絶対武林の四天王、中国中原を震わせた東方四龍」が繰り広げる超絶頂の武功は、20世紀韓国現代史の明暗を武侠形式で表す。もちろん彼らの行跡は一種の擬装に過ぎない。そのような擬装の隙間に入れる仄めかし、これが本物である。
 ははあ、不届きな。どなたの前だと思ってお前が… 今日、三人の武神様がお集まりになると私がこまごまと言ったのに! 今にも泣き出しそうな徒弟が結局、どっとばかり泣き崩れた。四龍様が集まると何がですか… 何を… 政府でも覆すんですか? 四名様が力を合わせると、何か… サムソンに勝てますか? (193頁)
  バク・ミンギュ(朴玟奎)の寸鉄が単なる面白話に留まらないのは、今日の民衆の実感と正確に一致しながらも、そのような実感を考え直させる滑稽な風刺の現実性のお陰である。武侠誌特有の語法と表現を通して、曲がりくねったわれわれの現代史と庶民たちの生における濃い悲哀をそれとなくそそり出すバク・ミンギュのジャンル実験がこれからどう進化していくか興味深い。

  『ピンポン』(2006)はそのような興味をある程度満たしながら、また一方でそそる作品でもある。ジャンル文学の観点から『ピンポン』を見る際、最も目立つ点はやはりジャンル的アイデンティティである。この軽長編は二人の中学生がひどく体験する「除け者」の悪夢を扱ったが、先述したキム・サグァの『ミナ』やイ・ミョンラン(李明娘)の『ナルラリ on the pink』のような、青少年の逸脱を掲げた社会(批判)小説にはうまく当てはまらない。卓球という身近な素材を実に奇想天外な方式で展開しながら読書の面白さを増してくれるが、『ハリー・ポッター』のようなファンタジーときっかり合うのでもない。SF的な想像力が発動しながら黙示録的雰囲気が作品を覆ってはいるが、特にSF物とも言い難い。系統が定かでない「雑種」である。

  しかし、ここでも雑種対純血という構図は避けたほうがいい。先に強調したように、バク・ミンギュは他の誰よりも大衆文化の多様な素材を非慣習的な方式で活用した作家である。『カステラ』でもその点はいくらでも確認できる。その中でSFの素材を導入した事例としては、「いやいや、マンボウとは」や「コリアンスタンダーズ」が挙げられよう。この二つの短編は両方ともまだ実験的な試みに留まった感じであるが、伝統的な写実主義の文法を何構わず破壊するこのような短編をまともに分別して読むためには、読者も特定の読み方に慣れていた自分の読書習性を問題視すべきときがあるはずだ。さらに、慣性的な読みを撹乱するバク・ミンギュの作品が、別にSF的な発想を借用した短編に限るのでもない。表題作の「カステラ」にしても、事実的因果関係を軽く無視する、冷蔵庫に関わる様々な情報と連想と想像を縦横無尽に繰り広げた物語である。この短編は「いやいや、マンボウとは」や「コリアンスタンダーズ」とも区別される奇抜な発想の集約である。話者自身の両親を含めた世界の物象を冷蔵庫にきちんきちんと畳み込む荒唐無稽な物語が進みながら、冷蔵庫の中に入れておいた「世界」がふいとカステラに変わり、「その暖かくて柔らかいカステラを噛みながら/私は涙を流した」(35頁)で終わる最後のくだりに辿り着くと、読者は「一軒の工場が噴出しそうな騒音を出す」冷蔵庫を友にして暮らす人の疲れた日常を実感したりもするのである。

  散文的な説明にうまく還元されない「カステラ」の、そのような実感に重みを置けば置くほど、この短編をどのジャンルの文学だと見なすべきかも結局、副次的な問題である。その点は『ピンポン』でも同じである。しかし、この時も焦点はやはり『ピンポン』の複合ジャンル的な特性が読者の読み方にも一定の影響を及ぼすであろうということである。『ピンポン』に関するこれまでの評価で興味深い逆説は、評者たちがかつての民族文学およびリアリズムで相対的に重視した写実主義の紀律に合わせて作品を読んでいるということである。『ピンポン』をもって「資本主義体制に投降した者の諦念と冷笑に留まっている」という断定もありふれているが、物語の結末における希望の不在を指摘するのもそうである。多くの論者たちが悲観と楽観の構図に『ピンポン』を無理に当てはめようとする印象が強い8

  結果的に彼らの慎重な、または中道的読みは『ピンポン』のような雑種的叙事のある一面にだけ集まる。すなわち、『ピンポン』を知らず知らずの間、写実主義小説の範疇に入れて考えながら、バク・ミンギュがあれこれの方式で「ドリブルした」現実、または文明批判に集中する(多少、生真面目な)読みなのである。先述したように、そのような批判は『ピンポン』の雑種性を構成する一つの要因に過ぎないし、その批判の意味や評価も残りの二つの要因、すなわち、ファンタジーおよびSF的な相貌と分離できぬ性質のものである。さらに楽観か悲観かを問い始めると、作品は世界がアンインストールされた後、「モッ」が目覚め、学校に登校するところで終わるのではないか。そのように学校に帰ってくるモッについて、バク・ミンギュ自身は希望を語りたかったといったが、とにかく『ピンポン』のような作品を論じる上で、評者たちが悲観と楽観の枠に拘ってはならないと思える。

  筆者は『ピンポン』が災難の「想像力に発動をかけながらも、それをわれわれが知っていると勘違いしているこの世界を尋問する方式で活用する」作品であることを強調したことがある。それから「ゾッとする核戦争に劣らない、除け者たちの受難のような「陳腐な日常」に、活気あふれる発想で献身する作家が我が文壇にもっと多くなることを」希望した9。その文章は短いオンライン紙面に発表されたものだから、この場を借りて希望の根拠をもう少し提示しても許されるだろう。
 
  ジャンルの固定された境界を創意的に解体・活用して新しい形態の「物件」を作るに際しても、機械的な原理に充実したエンジニアとしての作家よりは、原理を応用し、ひいては変えたりもする「ブリコルール」(bricoleur)としての作家がより有利であろうということは確かだと思う。しかし、その場合も既存のジャンルらの有機的分散と統合を「作品」として織り成す境地が要となるだろう。その意味でも『ピンポン』は注目に値する。例えば、モッとモアイおよびチスの連中を中心に繰り広げられる、ある面では成長小説としても範疇化できる「除け者」の耐えられない生が現実逃避の衝動が漂う空想科学的な幻想としてつながるのも尤もらしいだけでなく、「放射能蛸」や「シルバースプリングのピンポンマン」のエピソードも『ピンポン』の宇宙的想像力にそれなりの「地球的意味」を与えるのに役に立っている。その過程で高度の暗示的効果を出す場面も少なくない。「スキナーのボックスで養われたネズミと鳥」が「人類の集約」としてのラインホルト・メスナーおよびマルコムXと繰り広げる無限卓球競技が正にそうである。この場面は資本の利潤搾取が絶頂に達した新自由主義的地球時代に対する抵抗的寓話として読める余地さえある。もちろん『ピンポン』の面白さが必ずしも資本主義体制に対する作家の意識的な批判から生じるのではないだろうけど。

  要は、その批判も青少年の逸脱、空想科学、ファンタジー、社会批判など、多様な叙事的要素を集めたり散らかしたりする叙事実験の効果の中の一つであるという点である。ただ、その効果がそのような多様な分岐のジャンル的形式と内容を総体的に総合する--言わば、特定のジャンルに特化しにくい長編小説特有の効果に比肩するほどの--境地で発散されるものなのかはもう少し考えてみるべき余地を残す。バク・ミンギュの文学が「時間潰し」の既成の大衆小説の娯楽性とは明確に異なる発想と面白さを、挑発的に提起し感じさせるので疑問が高まると言えようが、これは『ピンポン』の「抽象性」の抱えている問題とも無関係ではなさそうである。『ピンポン』で臨機応変に駆使される卓球人や卓球界というアレゴリーよりは、われわれの生をより具体的に圧迫する精密な「写実的象徴」を読者は望んでいるのである。この願いは、大衆性と政治性をもっと精巧に結合することによって、ジャンル文学のゲットー的境界を越えなければならないという注文とも通じる。
 
 
 5. むすび
 
  実際、このような要求はバク・ミンギュ自身の発言に基づいたものでもある。彼の言葉のように、「去る数十年間、せめてわれわれが耕したのはリアリズムしかない」としたら10、取りも直さず、そうだからこそジャンル文学の実験においてもリアリズムの遺産を活用すべき必要が切実となる。もちろん彼が何をもって「リアリズム」というのかも気になるが、韓国文学史における「モダニズム」文学という存在がそれ程簡単に一蹴されるわけにはいかない。とにかくジャンル文学間の重なり合う範囲を広めるためにも、両文学の資産を動員すべきであろう。しかし、リアリズムであれモダニズムであれ、より重要な点は、韓国文学の遺産の、創意的相続の持つ真の意味をジャンル文学の叙事的実験という観点からも反芻してみることである。ジャンル文学固有の成就もゲットー化されたジャンル文学の克服にあるという命題をまともに受容しないでその相続の真たる意味を明らかにすることはむずかしいとするならば、もっとそうである。

  ホーソンやドルフマン、ヴォネガットなど、外国の優れたジャンル実験の事例に注目して積極的に受容すべきことは、別に2000年代に限る課題ではない。ただそのような受容もこれからは単なる追い付きを超えて、2008年韓国文学の地形でバク・ミンギュと多数の作家たちが模索するジャンル文学の創意的活用可能性を具体化するところに集められるべきだということは強調に値するだろう。韓国文壇における活発なジャンル実験も外国の優れた成就を集め入れながらわれわれの現実の新しい矛盾と「文学的な戦い」を堅持するときでこそ、始めてジャンル文学の破片化が克服でき得るだろうし、そのような戦いと克服ならば、4・19以後、韓国文学を牽引した民族文学の意味ある継承として、民族文学を超えて進むことも可能であろうと信じる。


訳=辛承模
 
季刊 創作と批評 2008年 夏号(通卷140号)
2008年6月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea
 
  1. 国内の議論は『文学と社会』2004年秋号の特集「ジャンル文学の現在と未来」; 『文芸中央』2007年冬号の特集「第4の文学のために」; 『作家世界』2008年春号の企画特集「ジャンル文学またはライトノベル」などを参照。
  2. 筆者はその中でホーソンのロマンス様式については、比較的、詳細に論じたことがある。「虫腹の想像力と歴史意識:ホーソンのロマンス論」、『近代克復の里程標ら』、創批2007、300~33頁。ホーソンをホフマンおよびポーと比較した件は322~23頁参照。
  3. 拙稿「ドルフマンの境界越えと韓国文学」、『創批週間論評』(weekly.changbi.com) 2007.7.24.
  4. ジャンル文学の観点から見ても考えるべきことが多い、そのような形式実験を求めた作品批評の事例を一つ挙げるとしたら、ベク・ナクチョン「『離れ部屋』が問うことと成したこと」、『創作と批評』1997年秋号参照。
  5. 作家がどのような姿勢で創作に臨んだかは『プレイボーイ』誌とのインタビューからも確認できる。「なぜ書くか」というインタビュアーの質問に彼はこう答えた。「私の動機は政治的です。私は作家たちが自分の社会に服務すべきだといったスターリン、ヒトラーそしてムッソリーニに同意します。(しかし--引用者) 私は作家たちがどのように服務すべきかについては独裁者たちと考えを異にしますね。主に私は彼らが変化の主体(agent)になるべきだ--生物学的にそのような主体になるべきだ--と考えます。希望するによりよい変化のことですね。」“Playboy Interview,” Kurt Vonnegut: Wampeters, Foma & Granfalloons (Delta Book 1999) 237頁, 強調は原文。
  6. 引用のテキストは、Kurt Vonnegut, Slaughterhouse-Five,or The Children’s Crusade (Delta Book 1969)である。以下、引用はこの本に基づいて筆者が翻訳したもので、最近、ハングル翻訳本としては『第5屠殺場』(アイフィールド2005)がある。
  7. ヨム・ムウン(廉武雄) 「生態的ユートピアの夢」、『創作と批評』2003年冬号、406頁。
  8. 「諦念と冷笑」に関する部分は、グォン・ユリア「地球村失郷民」、『今日の文芸批評』2007年春号参照。楽観と悲観の構図と連関しては、それぞれチャ・ミリョン(車美怜)「幻想はいかに現実を超えるのか」、『創作と批評』2006年夏号、268頁;ジン・ジョンソク(陳正石)「社会的想像力と想像力の社会学」、『創作と批評』2006年冬号、214~15頁。
  9. 拙稿「「災難の想像力」と『ピンポン』」、『創批週間論評』(weekly.changbi.com) 2006.10.17.
  10. イ・ギホ(李起昊) ジョン・イヒョン(鄭梨賢) バク・ミンギュ(朴玟奎) キム・エラン(金愛爛) シン・ヒョンチョル(申亨澈) 座談「韓国文学はもっと進化しなければならない」、『ムンハックドンネ(文学村)』2007年夏号、104頁。
2008/06/01 14:00 2008/06/01 14:00
韓基煜(ハン・キウッ)

先進化と実用主義をスローガンに出発した李明博(イ・ミョンバク)政府は常識と民意に反する政策を立て続けに打ち出し、発足から100日も経たない時点で深刻な国民的抵抗に直面している。不動産投機で儲けた人々で埋め尽くされた内閣と青瓦台(チョンワデ)の人事、幼い学生たちを明け方から晩まで受験地獄へと追い込む学校自立化措置、狂牛病感染の恐れがある月齢30か月以上の牛肉とその危険部位までも輸入しながら事実上検疫主権を放棄した屈辱的な韓米牛肉協商などにより民心は急速に離れつつある。

特に牛肉協商問題はその核心となっている。この協商は韓国外交史上最も屈辱的な事件の一つとして記録されるだろう。協商責任者の否認にも関わらず、4月18日の協商妥結は4月19日の韓米首脳会談のブッシュ大統領への贈り物としての妥結であったという見方が強い。韓米FTA(自由貿易協定)のためであったという言い訳も可能ではあろう。韓米FTAの米議会の批准を促すという名目で米側が牛肉輸入再開を要求したのは事実であるからだ。しかし首脳会談に合わせるためでなかったならば韓米FTAが米議会でまだ案件として上程もされていない状態で世界貿易機構(WTO)の保障する検疫主権までも諦めながら屈辱的な協商を急ぐ必要があっただろうか。協商内容と進行過程を考えれば考えるほど現政府の卑屈な態度は伝統性の欠如した後進国の親米独裁政権の態度と重なる。

このような高価な贈り物のお返しとして李明博大統領は多大な実益を得たわけでもない。キャンプデービット別荘でのブッシュのゴルフカートを運転する「見た目のいい」写真を何枚か撮っただけである。今後の韓米関係を「戦略的同盟関係」として発展させていくという両首脳の合意も成果とは言いがたいだろう。じきに退任するブッシュ大統領を相手にこのような合意が実際の計画として発展していくかどうかも疑わしい。もしブッシュ大統領の7月の訪韓に合わせて李明博政府が「戦略的同盟関係」推進を名目に大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)やミサイル防衛体制(MD)参加など、米側の要求を受け入れるようなことがあれば、韓米牛肉協商に続く外交的敗着の繰り返しとなるに違いない。もしその受け入れの代わりに米国との名実相伴う「戦略的同盟」を達成したとしてもそれもまた問題であろう。北朝鮮は元より中国、ロシアとの必要不可欠な協力関係が台無しになり、韓国は東アジアの「仲間はずれ」になりかねないからだ。

李明博政府のこのような外交的な問題点には大きく二つの要因が作用していると思われる。一つは李明博大統領に韓半島の分断体制と韓半島周辺の地政学的形勢及び外交的役割がしっかりと読める判断力と政治的手腕が備わっていないということである。例えば韓国の指導者が所謂「北朝鮮カード」を失った瞬間、外交的利点をほぼ喪失するということさえ忘れているようである。それゆえに北朝鮮の「通美封南」戦術に韓米同盟強化をもって対応しようとしているのだろう。しかしこのような対応が対北関係にも効果なく、米からも大したもてなしを受けることができないということを我々は金泳三(キム・ヨンサム)政府の時に既に経験している。そしてもう一つの要因は李明博大統領とその補佐陣の硬直した保守イデオロギー偏見である。この偏見のため実情を直視できず、「実用主義的」な外交政策を適切に行えずにいる。例えば、前任の二人の大統領の任期(所謂「失った10年」)中に韓米関係はかなり悪化し、北朝鮮にはただ「与えた」だけであったという観念にとらわれ、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の政策を覆すことを外交政策の骨組みとしているようである。

「韓米関係の復元」を訴える一方で南側が「与えた」ものを受け取るだけの北朝鮮の態度を変えてみせようという李明博大統領はブッシュ大統領にとって最も扱いやすい相手となってしまった。言い換えればいい「カモ」である。李明博大統領は米を堅く信じ、言いなりになっているが、米側はそうではないようだ。米国は李明博大統領の忠実な贈り物を受け取りながらも北朝鮮を相手に北核論議を進め、現在ブッシュ大統領の訪北内容を含んだ画期的な妥結策をめぐって最終的な協商を行っているということだ。4月8日のシンガポール暫定合意に引き続き、北米間の北核問題が最終的に妥結したら、それは嬉しい知らせであるが、このような画期的な成果が韓国が徹底的に除外された状態で進められているという事実は非常に残念である。

このような理由で李明博政府の発足後、韓国の外交力は東アジアの地域政治の中で急速に影響力を失いつつある。李明博大統領がブッシュ大統領に今まで以上にすがり付いたとしても事態が好転するとは思えない。むしろブッシュ大統領の政治的変化を学んだらどうだろうか。執権中、終始対北政策において反クリントンの立場を取り続けていたブッシュ大統領が最近クリントンの政策とさほど変わりのない実用主義路線へと方向を変えているが、そこから李明博大統領も何か気づくべきではないだろうか。これまで北朝鮮を圧迫し続けた李明博政府が最近かなり柔軟な態度を見せているのは注目すべきである。けれども未だに北朝鮮に対して傲慢な態度が見受けられる。深刻な食糧難を抱えている北朝鮮に対して要請があれば食糧支援を検討するという立場を固守しているが、まるで「ほしいならお願いしろ」といった感じである。韓国が強力な米国に媚びるように北朝鮮も韓国にそうすべきであるという考え方がベースに敷かれているようだ。このような発想を捨て、韓国が米国には堂々と、北朝鮮には成熟した態度で接するならば問題解決の道は開かれると思われる。

*

今回の特集は二つである。「特集1」は最近韓国小説の中であらゆる形で現れているジャンル文学の要素に注目し、その文学的可能性と問題点を多角度から指摘する。柳熙錫(ユ・ヒソク)は国内外のジャンル実験の事例を「作品の作品らしさ」を把握する批判的観点にて鋭く分析し、ジャンル文学の資源を創意的に活用しながらも「ジャンル文学のゲットー化(ghetto)された境界」は克服する必要があると指摘している。朴辰(パク・ジン)は「本格文学」/ジャンル文学の区分法自体を懐疑的に見つめ、ジャンル叙事を大衆叙事と同一視する現象を批判的に省察しながら、ジャンル叙事に接続する主流文学の多種多様な要素を一つ一つ分析している。主に卜鉅一(ボク・コイル)とデュナ(DJUNA)の作品を取り上げている卜道勳(ボク・ドフン)は両SF作家の対照的な方法とイデオロギー的傾向を批判的に分析しながらSFとユートピアの関係など理論的な問題を追及する。ジャンル文学と「本格文学」の境界を深く思惟する鄭英勳(ジョン・ヨンフン)はジャンル文学という鏡を通して韓国文学の小説叙事が直面した「危機」を批判的に読み取る。さらに金杭(キム・ハン)は日本小説の境界変化を「私」という私小説的主語の位置変化に焦点を合わせ考察しながら「キャラクター小説」と「携帯小説」など、最近の日本文学の動向を興味深く紹介している。

「特集2」は詩人の金洙暎(キム・スヨン)の40周忌に合わせ、本誌が誠意を込めて企画した ものである。故人の夫人によって長年保存されていた多くの未発表の遺稿(詩と日記)を金明仁(キム・ミョンイン)が発掘・整理し、各作品ごとにその文学史上の意義を綿密に分析する解題をつけた。今回紹介された原稿が金洙暎文学に対する新たな研究を促す契機となることを期待してみる。事物に対する如何なる装飾的・超越的意味をも拒絶する金洙暎特有の言語に注目する黄鉉産(ファン・ヒョンサン)の評はそのような新たな研究の一環と言えるだろう。

今夏の問題作6本を簡潔に評する「文学フォーカス」もやはり今号の注目すべき文学欄の一つである。特にキム・サクァの長編小説『ミナ』をそれぞれ違った視座で考察している「視線と視線」は注目に値する。文学特集と文学フォーカスに引き続き、今号の文学欄を多彩に飾っているのは創作欄である。新鋭から元老にいたる12名の詩人たちがそれぞれ個性的な感覚で練り上げた詩を紹介しており、さらにキム・シュム、金在瑩(キム・ジェヨン)、李承雨(イ・スンウ)、李章旭(イ・ジャンウク)の小説はお互いに違った文体と傾向を見せながらもいずれも慣習的な小説文法から脱皮しようと奮闘している様子が窺われる。叙情的な言語と詳細な情事により回が進むにつれ一層読者を魅了する申京淑(シン・キョンスク)の長編連載第3回分も読み応えがある。

朴泰鉒(パク・テジュ)と呉建昊(オ・クォンホ)の「対話」では李明博時代に新自由主義的グローバル化及び両極化の流れと相まって一層深刻化する恐れのある非正規職問題を集中的に取り上げている。「非正規職」という用語の定義からその克服方案に至るまで一つ一つ指摘しながら正規職中心の労働運動の限界、労働柔軟化の虚実、非正規職保護法の改定及び補完問題、社会的連帯の方法など、幅広い論点が取り上げられている。両氏は中央労使政委参加の問題など幾つかの争点においては異見を見せているが、保健医療労組の非正規職に対する連帯活動をはじめとする多くの争点において見解を共にしている。

今号の「論壇と現場」には重みのある主題の三つの文が掲載されている。成漢鏞(ソン・ハンヨン)は4・9総選挙以降の政治地形を李明博大統領の早期危機局面の進入、朴槿惠(パク・クンへO)前代表の代案勢力化、統合民主党の方向模索という三つの流れを中心に分析しながら、進歩改革勢力に対する手厳しい評価がなされているが、その裏には多大な努力による刷新を求める意が込められいる。前号の金鍾哲(キム・ジョンチョル)の批判に対する文として白樂晴(ベク・ナッチョン)は共有する支点と分かれる支点を識別し、問題の争点を綿密に考察した後、「産業化vs農業化」又は「<資本主義的過剰消費vs共生共楽の貧しさ>という枠にとらわれない新たなものが発生する可能性」をもう少し模索してみようと提示する。李必烈(イ・ピルリョル)は「気候変化」がもたらす全世界的生態的な災いに対応する方法と多様な危機言説を紹介し、経済的・社会的能力と地理上の位置によって気候変化の影響が異なるという「気候不平等」の状況を鋭く指摘している。これらの文と共に最近出版された重要な人文社会書に対する趙孝濟(ジョ・ヒョジェ)をはじめとする8名の個性的な筆者たちの寸評を共に読むことをお勧めしたい。寸評の筆者と「読者の声」欄に投稿してくださった方々にも心より感謝の意を伝えたい。


訳 : 申銀兒

季刊 創作と批評 2008年 夏号(通卷140号)
2008年6月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea
2008/06/01 13:00 2008/06/01 13:00
李必烈(イピルリョル) prlee@energyvision.org 
韓国放送通信大教授、科学史・化学。市民團體エネルギー轉換代表。著書に『エネルギー代案を探して』『石油時代、いつまで続くのか』『エネルギー転換の現場を訪ねて』 などがある。


1. 人類最大の関心事になった気候変動

気候変動は世界を語る上で最も重要なキーワードとなっている。今、世界のあちこちで気候変動をめぐって数多の言葉が生み出されており、幾多の論争が展開されている。国連の創設以来、世界各国で数千を超える人々が、十数年のあいだ、一年に最低一度は1ヶ所に集まり議論のネタにしたものは、気候変動を置いてほかにない1。核戦争の恐怖が全世界を覆いつくした時も、それほど多くの人が定期的に集まることはなかった。気候変動は核戦争よりはるかに大きなキーワードの地位をもっているのだ。

何故に気候変動がそんなに多くの人を動かすことができたかは明らかではない。気候変動の結果が他の何よりも深刻だということを、人々がはじめから知っていたわけではない。これまで、気候変動と同じく全地球を破局に追いこむであろうと思われた環境問題がなかったわけではない。オゾン層の穴、酸性雨、核廃棄物、環境ホルモンなどは、このかん、人類社会を幾度となく揺るがしてきた。しかしこれらは、持続的に人々の関心を引くことのないまま影を薄くしていった。

気候変動は、その原因や結果をみる時、酸性雨やオゾン層破壊より不明な点がはるかに多かったし、今なお多いままだ。20年前でさえ、それが人間の活動によるものだと言うには勇気が必要だった。1995年になってからようやく人間によって地球の気温が上昇したことを示す証拠があるという判定がなされ、2000年にもその可能性は66%程度(likely)と考えられた。ほとんど確実に(very likely、90%以上)人間によって起きたものだという判定は、わずか一年前に下ろされたにすぎない2。にもかかわらず、このかんの気候変動言説は持続的に自らの場を広げてきたし、その論議機構である「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)がノーベル賞まで受賞したことで、20年近い全世界的論争を経て、ついに確固たる人類の核心的関心事になった。

地球全体の問題、特に地球の生態系の未来にかかわるテーマに対しては非常に反応の遅い韓国でも、今や気候変動についての議論を聞くことは日常になったように思われる。気候変動を疑ったりその結果の深刻さに疑問を提起する言葉はほとんど消えた。メディア、政治家、知識人そして普通の人々までも、自ら気候変動を深刻に受けとめているという3。主流メディアでも2007年のIPCC報告書が出てからは、以前は異なり、少なくともあからさまにビョルン・ロンボルグ(Bjoern Lomborg)のような気候変動懐疑論者を称賛したり、南太平洋島諸国が海に沈むという環境論者たちの警告をコメディーだと揶揄することはない。利潤追求にのみ没頭して社会的廉恥には無関心な企業らさえ、気候変動の話にはうなずいて見せる雰囲気が広がっていっている。


2. 気候変動の抑制--不可能な企画
 
気候変動がかなり確実に人間の活動によるものだという合意がなされ、人類にとって最大のキーワードになった時点を前後して、逆説的にもこれから力を合わせて破局を防ごうという声より、すでに時遅しという声の方が大きくなっていった。遅いという主張の主な内容は、温室ガス排出量を今すぐ半分以下に減らせるならわからないが、それができないのなら破局を防ぐのは不可能だというものである。この種の主張の最も急進的な代弁者のうちの一人にジェイムズ・ラブロック(James Lovelock)がいる。彼は、気候変動はすでに取り返しのつかない地点(tipping point)を超えており、人類に与えられた今後の課題は、摂氏8度上昇した「気候の地獄(hell of a climate)」のなかでいかに生き残るかを思案する事だとする。でなければ今世紀が過ぎる前に、数十億人が死亡し、気候条件が最も良くなる今の極地で数百万人のみが生きながらえることになるだろうと憂慮している。しかしながら彼は未だ希望を捨ててはいないのか、全一的な(holistic)ガイア理論の創始者らしからず、時に還元論的な技術的処方を提示する4。その処方は、20年以内に数千個の核発電所を建設するとか、深海樹を海面に引き上げて大気中の二酸化炭素を吸収させ、その後また海底に返すことで二酸化炭素を減らすといったものだ。

ラブロックと同じくその名が知られている気候研究者のうち、最高の権威をもつと評価されるジェームス・ハンセン(James Hansen)も悲観論者に属する。彼はNASA所属ゴダード研究所の責任者だが、たびたび公の場で気候変動に対する警告を発し、米政府を批判する。ハンセンは、今のような速度で大気中の温室ガスが増加すれば、2015年頃に地球の気候は取り返しのつかない地点に至るであろうし5、海水面は5メートル以上上昇すると予測する。彼はラブロックと違って特別な処方を提示しない。しかし、地球の気温を、2000年を基準に摂氏1度以上上昇させてはならず、そのためには大気中の二酸化炭素濃度を300~350ppmに抑制しなければならないとする6。ところが2007年の時点ですでに二酸化炭素濃度は380ppmを超えた。彼の主張が当たっているならば、非常に画期的な対策がない限り、地球の気候はすぐさま取り返しのつかない地点に到逹するのである。

ハンセンは、大多数の気候研究者たちが明言しないだけで、自分の見解との間に大きな違いはないと考えている7。しかし彼の研究は、IPCC報告書のなかでも最も深刻な内容だとされる第4次報告書にもあまり反映されなかった。二酸化炭素排出量の約70%の削減を前提とするIPCCの最善のシナリオで提示された二酸化炭素濃度は、ハンセンの目標値の最大値である350ppmより50ppmも高い400ppmで、現在の状態が延長された場合の最悪のシナリオでは、その数値が440ppmか、それより高い790ppmだ。海面は最悪のシナリオでさえ最大59cmしか上昇しないとされている。報告書は依然として気候変動を抑制できるとの前提のもと、抑制のための各種処方を提示している8。しかし、いや、そのためか、2007年にバリで開かれた気候変動会議の主要議題のうちの一つは、気候変動に対する適応(adaptation)だった。

適応が突然主要議題として浮上した理由は、時すでに遅しという考えがますます大きな力を得ているところにあるのかもしれない。もちろん会議では、気候変動を緩和することが不可能だとは誰も言わなかった。時間があまり残されていないので2013年から適用される新しい気候変動減縮枠組みを作って、この枠組みによって温室ガス排出を減らしていこうという総論に反対する者は誰もいなかった。そして各論を作るために数多の会議が開かれ、言葉が交わされた。結論はまだ出ていない。しかし、2013年からなら、いくら立派な枠組みを適用するとしても、ハンセンの目標値350ppmはもちろんのこと、気温上昇摂氏2度という目標も達成することはできないだろう。

摂氏2度は気候変動抑制言説のなかで最も頻繁に登場する数字だ。それは、気候変動による破局を阻止することのできる上限線とみなされている。2100年頃に地球の平均気温上昇幅が産業化の前と比べて摂氏2度を超えると気候破綻が到来するという説に、気候研究者の多くが同意するからだ。そういうわけで、破綻を防ぐなら、地球の平均気温が摂氏2度以上上がらないようにしなければならないのである。もちろん、気温の上昇を摂氏2度以内に抑制したとして、被害が発生しないということではない。摂氏 0.7度ほど上昇した今も、気候変動による影響は全世界で肌身に感じるほど強い。にもかかわらず摂氏1度ではなく摂氏2度について語るのは、先進国、とりわけヨーロッパ連合が、その程度の被害と対処のための経済的負担なら、人類がどうにかして処理できると考えているためである。最初に気候変動抑制の経済的費用を分析したものとして知られる『スターン・レビュー』(The Stern Review)が算定するように、気温上昇を摂氏2度に抑制するために、毎年全世界のGDPの1%を投入することは負担に値するというのだ9。気候変動の抑制に最も積極的なヨーロッパ連合で、気温上昇摂氏2度抑制を政策目標としてはっきりと設定されたのもまた、そのためである。

今世紀末までに気温上昇を摂氏2度以下に抑制しようとするなら、2050年までに全世界の二酸化炭素排出量を半分以下に減らさねばならず、温室ガス濃度を450ppmで安定させねばならないということに、ほとんど異論はない10。だからこそヨーロッパ連合国家のイギリスやドイツは、低炭素経済白書やエネルギー転換シナリオを出して、2050年までに二酸化炭素排出量を60~80%ほど減らすとしている。これらの国では、このようにして、産業国家が2050年までに二酸化炭素排出量を半分以上削減し、低開発国では排出量を少しずつ増やしていけば、気温上昇を摂氏2度に抑制することができると考えられている。そのようになりさえすれば、破局はどうにか免れることができるだろう。

ヨーロッパ連合と同じく、世界の環境活動家の代表格であるグリーンピースも、破局を防ぐことのできる時間は残っていると考えているようだ。IPCC議長の序文がついた、グリーンピースの気候変動抑制のための『エネルギー革命』(Energy Revolution)という報告書には、再生可能なエネルギーと効率的なエネルギー技術を広く活用すれば、2050年までに二酸化炭素排出量を2000年頃の半分以下に落とすことができると書かれている。もちろんグリーンピースも、現状が続くなら2050年の二酸化炭素排出量は2000年頃の二倍に増加するとの見解を示している11。報告書には、世界各地域に対する詳細な分析とシナリオが記されているが、これによればすべての地域で二酸化炭素排出量が減り、全世界の人類一人当たりの二酸化炭素排出量は、2003年の3分の1 ほどに減る。化石燃料の使用と二酸化炭素排出量が最も早く増加する中国でさえ、エネルギーの総消費量は増えるが、二酸化炭素排出は少しも増加しない。一人当たりの排出量はむしろ若干減少する。インドのシナリオはさらに楽観的だ。現在のままでいくと、エネルギー消費が約2.5倍増えて二酸化炭素排出量は4倍に増加するが、効率的なエネルギー技術と再生可能エネルギーを積極的に活用すれば、エネルギー消費は50%しか増えず、一人当たりの二酸化炭素排出量は 60%も減る。

グリーンピースの報告書は非常に希望的な言説を並べているが、気候変動の抑制が不可能であることを分析的に総合したがゆえのものとも考えられる。中国とインドが2050年までにエネルギー消費の約40%を再生可能エネルギーに代替することは果たして可能だろうか? また、2030年までに石炭消費を3倍近く増やし、それによっておびただしい量の二酸化炭素を排出すると予想される中国で、その後二酸化炭素排出量を減らすために残る20年の間で数百カ所の石炭発電所を急に閉鎖するような冒険をするだろうか? イギリスやスウェーデンまたはドイツといった国家では、再生可能エネルギーの割合を大きく増やすことで、グリーンピースやEU諸国が希望するように、二酸化炭素排出量を1990年の20~30%に減らすことができる。 これらの国家は意志と技術と国民的呼応のすべてが揃っているからだ。スウェーデンでは2020年までに石油ゼロ達成が語られ、ドイツでは二酸化炭素排出量を2020年に40%、2050年に80%減らしていくと発表しているのは、このような土台があってこそである。しかし中国とインドでエネルギー消費増加率が大きく鈍化し、そして消費が減少しはじめて、石炭発電もほとんど増加しない状況で、再生可能エネルギーが他のどんなエネルギー源よりも多く利用されるだろうということは、希望的観測でおわるだろう。

グリーンピースの報告書は核発電の利用を完全に排除している。気候変動を防ぐために核発電所を早急に数千個も建設しようというラブロックとは正反対である。ラブロックの提案は危険に満ちており、持続可能なものでも決してない。しかし、グリーンピースの報告書と比べるならば、現存する「汚くて」危ない技術を良い目的のために使おうというその提案のほうが、より現実的で正直なものかもしれない。彼の提案はあまり真剣に受け入れられないが、地球に降り注ぐ太陽光を減らすために2000万トンの硫黄を成層圏に振りまくとか、数十億個の鏡を地球の周囲の宇宙空間に浮かべるとか、石炭発電所から出る二酸化炭素をためて地中に埋めようというような、多くの科学者や工学者たちの提案よりは現実的だともいえる。核発電は、その気になれば活用可能な、すでに大部分検証された技術だからだ。その危険性も、先の地質工学(geoengineering)技術よりも大きいとは言い切れない。成層圏を満たした硫黄はオゾン層を深刻に破壊するであろうし、地球の周囲の数十億個の鏡は、きちんと調節しなければ地球の気候をどこに連れて行くかわからない。石炭発電所から出る二酸化炭素を集めて地中に埋める技術も、現実性をもつにはまだ数十年がかかるだろう。しかも、それは非常に高度な技術だ。ところが、こんなに奇抜で立派な提案が出され、どれがいいだろうかと論争が起こっている間に、温室ガス濃度はずっと上がり続けている。2007年の時点ですでにその濃度は440ppm近くになり、人類が現在の状態のままでいるなら、今世紀末には1000ppmに上がる。だとすれば、温室ガス濃度を450ppmで安定させて気温上昇を2度に抑制することは不可能だとするほうが、はるかに現実的な判断だ。 500ppmを最大上限線にするとしても、2020年頃にはその線も超えてしまう12


3. 気候変動の不平等--誘発者と被害者
 
世界のエネルギー消費は、これまでそうだったように、今後数十年の間も急速な増加をみせるだろう。それとともに、二酸化炭素排出量も急速に増加するだろう。1バレル当たり150ドルを超えて200ドルにのぼろうとしている石油価格も、エネルギー消費そのものを減らす役には立たないだろう。むしろ人類のエネルギーの渇きを満たすために、安い石炭の使用量が大きく増加することによって、短期的には二酸化炭素排出量が以前よりも早く増加すると考えられる。アメリカと中国で、去る数年間の石炭消費は、他のエネルギー源よりはるかに大きく増加した。だとすると、結論は明らかだ。気温上昇を摂氏2度に縛りつけることで人類がそれにあわせて気候変動を抑制するのは不可能である。

今後もバリとバンコクの後続会議で、気候変動緩和のための話し合いは継続されるだろう。政府代表者たちは、京都議定書の次の枠組みをつくるために会議を重ねるであろうし、環境団体は各国政府に気候変動を抑制するための、より強力な行動を促すだろう。気候変動適応説も四方から出てくるだろう。しかし、これらすべてが言葉の饗宴以上にならないだろう。京都議定書は、事実上、失敗した協約だ。言葉のみが量産され、何の成果ももたらすことができなかったからである。京都議定書で削減義務を課された数十カ国のうち、2012年までに目標を果たすことができるのは10カ国しかない。そのうち、ロシアをはじめとする旧社会主義諸国を除けば、純粋に温室ガス削減に成功した国はイギリス、スウェーデン、ドイツ、フランス、フィンランドの5ヶ国である。残りの国では、二酸化炭素排出量が減らないどころかむしろ増加した。1990年に比べて2005年の増加率は、カナダとオーストラリアで25%以上、アメリカと日本もそれぞれ16%、6.5%になった。気候変動の抑制に最も積極的だったヨーロッパ連合15ヶ国でも、温室ガス排出量はほとんど減らなかった。削減義務のない国家も合わせた全世界の二酸化炭素排出量は、1990年以来20%も増加した13。京都議定書も結局のところ言葉の饗宴で終わったのである。

2013年から発効する新しい気候変動の枠組みも、京都議定書以上の成果はおさめることはできないだろう。言い換えれば、大部分の国が限界に達するまで現在のやり方を変えようとしないであろうし、この状況で新しい議定書が発効しても、温室ガス排出はむしろより増加するというのである。IPCCのシナリオによれば、現在の状態が続く場合、地球の気温は2100年に摂氏5度以上も上がる。結果は気候災害だ。このように、抑制が可能などころか災害が不可避であるならば、適応または準備について話し合うほうがずっと現実的だ。実際、地球の気温が上昇中であるということは、数十年前から否定できない現象だった。その影響によって、ここ20年間、以前よりも大きな気象災害が起きるようになったということも否定できない。史上初のハリケーン・カトリーナに続いて史上初のサイクロン・ナルギスが発生するというかたちで災害は続いた。このことは、気温上昇の原因が人間であるかないかにかかわらず、すでにその時から適応について話し合っていたほうが正しいアプローチだったことを示しているのかもしれない。15年以上もの間多くの論議がなされ、結論--気候変動の原因が人間である可能性は90%だ--に達したとはいえ、その間にも、結論にはお構いなしに気候は変化しつづけたからである。

昨年のバリ気候変動会議で扱われたもう一つの主要議題は、気候不平等(不公正)だった14。不平等(不公正)は、気候会議のたびに必ずあがる主題だった。バリ以前の会議では、低開発諸国の二酸化炭素排出権利も産業国家と同じく保障されるべきだということが、不平等論議の中心にあった。低開発諸国は、産業化過程で化石燃料を大量に用いて気候変動を誘発した先進国が、化石燃料の使用を控えるべきだと主張することに対して、不公正な抑圧行為だと攻撃した。ところがバリ会議以降、産業諸国の行為によって発生した被害が、地域別・国家別に非常に不平等に帰されることが不公正の主要な内容として浮上した。これまでもそうだったが、今後も気候変動による災害は、誘発者ではなく、そこからは程遠い国家や地域に甚大な被害をもたらすだろう。非常に不公正であまりに皮肉なことだが、誘発者たちは気候変動によって、被害ではなくむしろ利得を得ることもありうる。

産業化以来、最も多くの温室ガスを大気にまき散らした中欧と北欧は、少なくとも今後の10年あまりの間、気候変動によってむしろ利益を得るとの見通しだ。すでにこれら地域の人々は気候変動のために以前より増えた晴天の日と高い気温を楽しんでいる15。穀物の収獲も、北部で拡がった耕作地と日照量および降水量の増加によって、当分は増産が予想されている。北大西洋を北上する暖流が少しずつ弱まってはいるが、映画「デイ・アフター・トゥモロー」が警告したように、暖流が途切れることは100年以内には決して起きないであろうし、今後数十年の間は、気温の上昇が暖流の弱化による気温の下降を相殺するのに十分だろうとみられる16。強い暴風と海面上昇によって以前よりも大きな気象災害が時折近づきはするが、ヨーロッパ先進諸国はこれらの災害も事前に準備した対処システムを通じて、簡単に克服するだろう。この点でも、不平等は確実に現われる。まったく同じ大規模な災害にあったとしても、先進国ではきちんと整備された対処システムと十分な財源を利用して簡単に対処できるが、低開発国は復旧をほとんど放棄することになるだろう。例えば、ニジェール・デルタにある人口1700万人の都市ラゴスが海面上昇と津波によって水没した場合、それは長い間そのまま放置されるが、オランダのロッテルダムがそのような被害を受ければ早急に復旧されるだろうというのだ。ナルギスで10万人が命を失い150万人の被災民が発生したミャンマー南部も、復旧には長い時間がかかるだろう。これは、一国家内にもそのまま適用される。カートリナで廃墟と化したニューオーリンズでも、白人富裕者の大部分は壊れた自分の家を復旧して帰って来たが、貧しい黒人たちは、その大部分が生活の場を放棄し、完全に他の場所に移住してしまったのだ17

IPCC報告書の内容によれば、中部以北のヨーロッパ先進諸国が気候変動そのものによって受けるであろう自然的損失はあまり大きくない。もちろん、気候変動による世界市場の縮小と被害地域への援助額の増加、難民流入とそれによる社会的不安の増加などによって発生する社会経済的損害は非常に大きいかもしれない。だからこそヨーロッパ先進国は積極的に気候変動の抑制に乗り出しているのであろうが、他方では、これらが個人的にのみではなく国家的にも気候変動を喜んでいるのではないか、との疑問も起こっている。気候変動が扱われる会議で道徳の刀を握って振り回しているのは、ヨーロッパ先進諸国だ。同じ先進国の中でも最も多くの温室ガスを排出しているアメリカは、常に防御の側にいる18。2007年にドイツで開かれたG8会議でも、気候変動の抑制という当為を掲げてアメリカに圧力をかけた国はドイツとイギリスだった。ヨーロッパ先進諸国が気候変動の問題を盾に温室ガス削減を要求するのと同時に、自らかなりの量の温室ガス排出を減らして責任を負う姿勢を見せ道徳的優位を占めることで、国際舞台での主導権を握るという戦略を立てたのだ19

気候変動の論議でヨーロッパ先進諸国がより多くの温室ガス削減を自発的に約束することは、道徳的優位に立つことによって主導権を握るという意味もあるが、その背後には経済的な計算がある。これらが提示する気候変動抑制のための実践案の中心は、エネルギーを効率的に利用する技術と再生可能のネルギー使用を拡大することだ。ところが、この技術を最もよく活用し普及できる国がまさにヨーロッパ先進国である。これらの計画どおり気候変動抑制のためにこのような技術が普及すれば、彼らが経済的利益を得ることは明らかだ。気候変動はこれらの国家の天気だけを暖めるのではなく、ある意味、国際舞台での地位と経済も暖めてくれもする「喜ばしい」現象なのである。

ヨーロッパ先進国は、このように地球の生態系に対する憂慮だけではなく、国際政治的・経済的計算もしているがゆえに、まだ少しの時間は残されているから早く一緒に実践の道に進もうという。同じくそのような計算の上で、低開発国で増加する被害への対処や気候変動への適応に対しても、積極的に責任を負おうとする態度を示す。バリ会議などで、今後増えるであろう被害の復旧のための基金を作って事前対処しようという提案がなされたが、これもこのような背景から出されたものだ。気候変動によって発生する国際政治的問題に対する憂慮と対処方法を扱う文書も、アメリカを除けば大部分がこれらの国家から出されている。
 
 
4. 紛争と戦争の激化
 
気候変動がもたらす国際政治的問題は、国家間紛争と国際紛争へと飛び火する一国内の混乱に要約できる。気候変動は人類が必要とする資源を大幅に縮小する結果をもたらす。気候変動が進むほど、利用可能な水と食糧の量は大きく減るであろうし、エネルギーへの接近も難しくなる。そしてこれと同時に、砂漠の拡大と海面上昇によって生存可能な大地も減る20。すでに現時点で水と食糧は稀少資源となっている。世界の人口のうち、およそ10億が慢性的な飢餓に苦しんでおり、2025年にその数は12億に増えるとみられる。12億に達する人口が、圧倒的な水不足の地域で暮らしており、2025年にその数は18億まで増えると予測されている21。このように極度の状況悪化の原因が気候変動であることはいうまでもない。

ところが悲劇なのは、状況が大幅に悪くなるとしても、先進国はほとんど影響を受けないか、簡単に復旧の道に進むことができる一方、アフリカ、アジア、南米の低開発国はおびただしい被害を受けることになるというところだ。IPCCの第4次報告書は、気候変動によって発生する地域別の被害について詳しく報告しているが、これによればアフリカでは一般的に日照りがひどくなり、アジアは大型台風とモンスーン(monsoon)によって甚大な苦痛を受けるであろうし、中南米は強いハリケーンと日照りを経験するという。食糧と水不足が深刻になり、その結果は水を占有するための紛争と耕作地を手に入れるための競争、難民の増加としてあらわれるだろう。

気候変動による紛争はすでに始まっている。数十万の命を奪ったスーダンのダルフール内戦も、気候変動によって砂漠が南に大きく拡がり、それとともに遊牧民が南下して南部の定住農民たちと土地の占有をめぐる紛争が起こったことに触発されたものだ22。最近起きたエジプト、ハイチ、フィリピンの食糧暴動や、2007年のメキシコのデモは、食糧不足がもたらす国家的混乱の一端に過ぎない。気候変動が進めば進むほど紛争は世界のあちこちで起こるだろう。ヒマラヤ周辺は水紛争が最も深刻に起きるとされる地域に数えられる。ヒマラヤは地区全体の氷河の15%が覆いかぶさっている水の貯蔵庫だ。ここから流れ出る水はインダス川、ガンガ川、メコン川、揚子江といったアジアの大きな河川に水を供給する。この水を頼りに暮らしている人口は約5億にのぼる23。しかしIPCC報告書は、気候変動の進行にしたがってヒマラヤの氷が溶けて流れ出し、2050年には完全に消えると予想している。当然、周辺地域の水不足は深刻化するであろうし、それによって中国をはじめとした周辺国家内部の混乱が増加することが予想され、インダス川を共有する二つの敵対国、パキスタンとインドの間で、どのような形であれ紛争が起こるだろう。

気候変動はこのように人類の生の条件をますます悪い方向に追い込んでいるが、これにより発生する国際政治的問題に対する関心は、依然として非常に低い水準にとどまっている。低開発国では、これに関する論議も、気候変動の誘発者である先進国の攻勢として解釈しようとしている。結局のところ、このような論議の結論も、それが大規模技術移転になろうが、援助額の増加になろうが、気候変動そのものを変えることはできないため、低開発国の不満を解消することはできない。低開発国と中国、インドの国家エリートたちの願いは先進国が享受しているのと同じ水準に到逹することであり、大多数の国民の願いは生存が可能な生を暮らすことである。ところが、気候変動がこれを不可能にするかもしれないとすれば、反発は当然のことである。

気候変動による被害は低開発国国民の生存自体をますます難しいものにしている。これらが選択できる道は、生存可能な新しい生活の場を見つけて去ることである。アフリカ、アジア、中南米でヨーロッパとアメリカなど先進国へと発つ人の数が増え続けている。アフリカでは毎年数万人が命をかけてゴムボートを利用してヨーロッパに渡る。他の方途で渡ろうとする人々の数字はずっと多い。メキシコでは2006年に110万名がアメリカに移住し、逮捕された24。これら移住民や難民の数は、気候変動の進行速度が今より早まることによって、さらに増えつづけるであろうし、それは大きな紛争の原因として作用するであろう。これらに対して気候変動の前での平等とは、他の何物でもない。安定的な生存が可能な産業国家の一隅でも占めることができるようになることである25
 
 
5. 気候変動と韓国の選択
 
気候変動が自然災害のみを起こすのではなく、社会的・政治的にも大きな影響を及ぼすことが明らかだとすれば、それは一国家の計画と政策樹立において重要な考慮事項とされねばならない。文化的接近の主題としても、気候変動はそれ相応の扱いを受けるべきである。しかし韓国の場合、気候変変動はこれらのうちのどこにおいても、真摯な考慮対象になっていない。世論調査の結果、韓国国民の90%は気候変動が深刻であると心配しているが、これは一種の「リップサービス」に過ぎない。気候変動が深刻だという話題が四方でなされているために、これに便乗して猫も杓子も損にはならない言葉に一票を投じた結果である。韓国人たちにとって気候変動は、遠く離れた所で非常に徐々にやってくるものでしかない。去る数十年と同じく、今後とも気温が少しずつ暑くなり、雨粒がもう少し大きくなるだろうということは、現在の生や計画における主要変数になりえないのである。

しかし、気候変動によって誘発される国際政治的・社会的問題を少しでも目にすれば、韓国も大きく変化する可能性は高い。韓国人の相当数は依然として自らを発展途上国の国民だと考えているようであるが、低開発国から見れば韓国は先進国だ。多くの化石燃料を燃やし、大量の温室ガスを噴き出し、そうすることで高い生活レベルを享受する産業国のひとつなのである。それゆえこれらにとって韓国は、一方では被害誘発国であり、他方では移住対象国だ。他の先進国と同じく責任を問われるべき対象、模倣したい羨望の対象がまさに韓国である。羨望の結果はすでに現われている。東南アジアと中国などの地から来た移住労働者数は2007年に70万人に達し、結婚を目的に移住した女性も10万人を超えた26。北朝鮮出身の移住民も1万人を超えている。外国人の割合は全人口の2%だ。韓国社会は多民族社会に変わりつつある。急速に進行している気候変動は、この社会変化に大きく拍車をかけるだろう。

このような展望の前で私たちに与えられた課題は「準備」のほかの何ものでもない。ここでいう準備の核心は、物質的・技術的なことではない。私たちがいかなる社会を志向するのかを決めることこそ、準備の基礎であると同時に核心をなす。気候変動のために東南アジアや中国から多くの難民が南韓〔韓国〕に流入するようになりうるし、北韓〔北朝鮮〕を統制不能の状態にして休戦線を有名無実化することにもなりうる。北朝鮮以外の国々から幾多の人々が寄り集まれば、韓国社会は不安定な状態に陥るほかない。こういった状態が持続すれば、潜在的な不満がふとしたきっかけで大規模暴力の形で噴出することもありうる。この間、ソウルで数千人の中国人がデモを起こして韓国人たちに暴力を振るったことは、韓国もこのような紛争に対して脆弱であることを示している。精神的・文化的準備がきちんとしていない状態では、そのような小さな暴力が大きな紛争を触発することにもなるのだ。

現在、韓国人の志向する社会は「南韓人中心の民主的経済成長社会」だ。民主化以降これまで、どの政権もこれと異なる社会を志向することはなかった。国民の政府〔金大中政府〕や参与政府〔盧武鉉政府〕もこれに違わず、この指向性は世界化〔グローバル化〕と金融危機の影響で、むしろより強化された。李明博政権はまさにこの強化された志向の当然の結果でしかない。韓国人は現在が色濃く延長された社会を願っているのである。しかし、この社会の終着点は、結局、破局である。資源の枯渇と気候変動の加速がもたらす結果に、これ以外の何があろうか。

韓国は、今、ドーピングに依存する運動選手のようだ。ドーピング中には、非常に俊足で良い成績を残すことができる。しかしドーピングが終わった後、その破壊的結果は10~20年にわたって徐々に姿を現わす。同じく、エネルギー資源という薬物投入の経済的成果はすぐにも現われるが、気候変動という破局が近づくまでの時間はとても長い。悲劇はまさにここにある。気候変動の結果がいくら破壊的だといっても、それを人間の単純な時間感覚で認知するにはあまりに長いということだ。だから、気候変動に対する準備は至難の作業にならざるをえない。いかなる社会であるべきか、に対して時間をかけてじっくり議論し、精神的・文化的な準備を進めて、実践的な作業がずっとつながればこそ、イースター島の住民のような運命を避けることができる。イースター島は15世紀頃、鬱蒼とした森で覆われていた。しかしこの森は、数百年にして完全に消え去り、それとともにイースター島の文明も終末を迎えた。イースター島の住民たちは、島の最後の木を薙ぎ払いながらも格別の感を抱かなかったであろう27。ただその時までそうしていたように、木切り続けていたのである。

気候変動に対する準備を下支えすべき中心価値は、持続可能性である。韓国では、持続可能性が跡形もなくゆがめられ、持続可能な成長、持続可能な経済という言葉が広まったが、持続可能性という時に最も重要なものとみなされるのは、生態と公正性である28。このような二つの価値が最も良いかたちで実現する社会こそ、私たちが志向すべき社会だろう。生態的転換と同時代の人類および子孫に対して公正性を実現できる社会でなければならないのだ。そうしてこそ、気候変動の結果によって今後私たちに迫りくる気象災害だけではなく、北朝鮮と東南アジアから押し寄せる難民によって誘発される問題を、きちんと処理することができる。たとえば移住労働者や難民に対して、普遍的な人権の次元のみならず、私たちが気候変動に相当な責任を追っているがからこそ、彼らに私たちの中の一席を渡すこともできるという論議も、準備過程に入っていかねばならない。もしそういった準備がきちんとできていない状態で、このようなことが迫りくるなら、諦め、混乱、暴力に直面することになるだろう。

持続可能性という価値を中心に据えたうえでの気候変動に対する準備は「いかなる社会か」に関する難しい論争の道を経ねばならないが、他方で同時に「言葉」を超えた具体的実践が持続的に伴うことを要求する。準備に合わせた物質的な土台をひとつ一つ積みあげていかねばならないのであるが、これも決してたやすい事ではない。過去の成功例に対する緻密な評価をもとに新たな試みをはじめたとしても、必ず試行錯誤を経ることになるからだ。この間、バイオ燃料が石油から私たちを解放し、気候変動も緩和してくれるとして多大な期待を集めたが、すでにそれも熱帯雨林の破壊、穀物価格の急騰をもたらした厄介者だとみなされている。太陽光発電も、韓国ではいつのまにか山と野原を少しずつ削り取ることで、気候変動が進むほど減っていく食糧生産と競争的な関係になった29。この二つの例は、持続可能性に適合していると思われた技術でも、志向すべき価値に対する熾烈な論争なしに適用されるならば副作用を生む可能性があるということを示している。バイオ燃料や太陽光発電も「経済大国」という志向と合わさることで、そういう結果を生むのだ。

去る10年間、韓国社会でなされた物質的プロジェクトのうち、持続可能性の観点からみて最も評価に値するのは、ソウルの大衆交通システムの改革だった。生態と公正性という基準のもとで計算するなら、ソウルの新交通システムはかなり大きな意味をもっている。この時期の国家を運営した勢力は、いわゆる進歩陣営だった。しかし彼らからは、持続可能性に合った新しい策は何も出なかった30。国民の政府の時代、東江ダム建設計画を断念したことがあったが、望ましい方式ではなかった。逆説的だが、ソウルの新交通システムは、これらよりもっと強く「経済大国」を志向する反対陣営の念願だった。これは一方では、私たちが過去の成功例を評価する際に、政治的偏見を捨てる必要があるということを示している。しかし、ソウルの交通システムははじめからそれがどんな意味を持っているのかに対する論議なしに推進され、今はただ与えられたものとして存在するのみだ。これは他方で、持続可能性の基準に合うものを推進するにあたっても、それが価値に対する論争なしに進められるのであれば、意味を付与されることがないということを示している。それゆえ、気候変動に対する準備は、価値志向に対する論争と物質的企画をめぐる論争が熾烈に展開される中で、具体的な実践事例がひとつひとつ蓄積されるような形でなされねばならないだろう。これは、非常に難しいが避けることもできない課題である。(*)

訳=金友子

季刊 創作と批評 2008年 夏号(通卷140号)
2008年6月1日 発行
発行 株式会社 創批
ⓒ 創批 2008
Changbi Publishers, Inc.
513-11, Pajubookcity, Munbal-ri, Gyoha-eup, Paju-si, Gyeonggi-do 413-756, Korea

  1. 気候変動会議(The United Nations Climate Change Conference of Parties)は1995年ベルリンで第1次会議が開かれた後、毎年開催されている。バリ会議は13回目で、参加者数は政府代表と民間団体代表を合わせて1万人に達した。京都議定書の内容は1997年に日本の京都で開かれた第3次会議で通過したものである。
  2. IPCC『気候変動報告書』(2000、2007)。1990年の初の報告書では、自然による気候変動の原因についての論議の方が多くなされていた。2000年にアメリカのブッシュ大統領が京都議定書を批准しないと言った時に提示した根拠のうちの一つがまさに、気候変動を人間の活動によるものだとする証拠が確かではないというものだった。
  3. 2007年環境部〔部は省に該当〕の調査では、国民の90%以上が気候変動を深刻に受けとめているという結果が出た。
  4. 韓国にはラブロックがガイア理論を廃棄したといううわさが流れているが、筆者はどこをみてもそれを確認することができなかった。ラブロックは2006年に『ガイアの復讐』(Revenge of Gaia)という本を執筆しており、ここでもガイア理論に立脚して気候変動が取り返しのつかない地点を通過したと主張している。
  5. ビル・マッキベン(Bill McKibben)「地球温暖化の破局はどれほど近づいているか?」(How Close to Catastrophe?)、『創作と批評』2006年冬号、381ページ参照。
  6. 2000年現在の摂氏1度は産業化以前を基準にすれば摂氏約1.6度である。
  7. James Hansen,“Huge Sea Level Rises Are Coming―Unless We Act Now,” NewScientist.com News Service, 25 July, 2007.
  8. さらに深刻な内容はアメリカと中国の反対によって報告書に含まれなかったという。
  9. Nicholas Stern,“The Economics of Climate Change,” The Stern Review , London: HM Treasury 2006.
  10. M. Meinshausen, “What Does a 2℃ Target Mean for Greenhouse Gas Concentrations? A Brief Analysis Based on Multi-Gas Emission Pathways and Several Climate Sensitivity Uncertainty Estimates,” H. Schellnhuber et al., eds., Avoiding Dangerous Climate Change , Cambridge Univ. Press 2006, pp.265-280. ここで450ppmは二酸化炭素濃度だけではなく他の温室ガス濃度を二酸化炭素濃度に換算してすべて加えた数値だ。450ppmに対して異論が全くないわけではない。『スターン・レビュー』では550ppmも許容されるとみなしているが、この場合、地球の気温が摂氏2度以上上昇する確率は63~99%である。しかしながら2005年の二酸化炭素濃度は379ppm、温室ガス全体濃度は約430ppmだった。
  11. この報告書でグリーンピースは、2050年に世界の人口が90億に増加すると報告、現在の趨勢が続く場合、一人当たりの二酸化炭素排出量は2003年の3.7トンから5.1トンに増加すると予測する。一方、エネルギー革命のシナリオによれば、2050年の一人当たりの二酸化炭素排出量は1.3トンに減少する。地域別では、ヨーロッパが7.4トンから2.3トン、北米が15.6トンから3.0トン、韓・日・オーストラリアが9.4トンから3.8トン、中国が 2.5トンから2.3トン、南米が1.8トンから0.7トン、南アジアが0.8トンから0.5トン、アフリカが 0.9トンから0.6トン、中東が5.5トンから1.4トン、ロシアなどが7.8トンから2.5トンに減る。このように、中国まで含む全世界の二酸化炭素排出量が減ればこそ、二酸化炭素排出量が50年の間で半分に減少するのである。ここで注目すべき点は、全世界の人口の一人当たり排出量が3分の1に減るところだ。
  12. 現在、大気中の二酸化炭素の濃度は毎年2ppm近く増加している。
  13. 国連気候変動枠組条約(UNFCCC)ホームページ(www.unfccc.int)。
  14. climate injustice または climate inequityを翻訳したものである。
  15. 2003年夏、ヨーロッパを荒らした熱波に対する生態主義者ヴォルフガング・ザックス(Wolfgang Sachs)と「懐疑的環境主義者」ビョルン・ロンボルグ(Bjørn Lomborg)の反応は示唆的だ。当時、ザックスは照り付ける日ざしの下でサイクリングをしながら晴天を楽しんだと筆者に「告白」し、ロンボルグはあるインタビューで当時夏に多くの人が死んだと言うが、暖冬によって寒さで死ぬ人は大きく減ったはずだと回答した。寒さで死ぬということは、西ヨーロッパではあまり見られないが、東欧では充分に想像することができる。ロシアとウクライナの間でガス供給紛争が起こった時、実際に凍死者が大幅に増えるだろうと憂慮された。ところがこの時、冬の気温が上昇すれば凍死者の数は大きく減るであろう。
  16. IPCC Working Group 1, Summary for Policymakers, 2007.
  17. Harald Welzer, Klimakriege, Fischer. S., Verlag 2007.
  18. 2005年にアメリカが主導して韓国、日本、オーストラリア、カナダ、中国、インドなどが参加して作った「気候変動アジア太平洋パートナーシップ」(APP)も、ヨーロッパ連合に対する対抗的・防御的な性格をもつと思われる。
  19. WBGU, Politikpapier, 2007; ドイツ環境庁の「気候変動案内文」、2007。この文献は両方ともヨーロッパ連合の主導的役割を強調している。2007年2月にミュンヘンで開かれた世界安保会議でドイツ外相は「気候変動とエネルギー安保は、ドイツが政治的主導権と地球的責任を同時に示すことのできるイシューであると確信する」と強調した。 Die Zeit、2007年 19号。
  20. バングラデシュでは海面の上昇などで耕作可能な土地が毎年1%ずつ減っている。 Der Spiegel、2008年 20号。
  21. FAO,“Coping with Water Scarcity Challenge of the Twenty-first Century,” 2007, http://www.unwater.org/wwdo7/downloads/documents/escarcity.pdf
  22. Welzer, ibid.,pp.96-99.
  23. 23)“Die Klima-Kriege,” Die Zeit、2007年 19号。
  24. Welzer, ibid., pp. 20-21.
  25. 全世界の人口のうち27億が暮らす46ヶ国家が気候変動の結果に至極脆弱で、大規模難民が発生する国家に分類されている。International Alert, A Climate of Conflict, 2007.
  26. 国家統計ポータルホームページ http://www.kosis.kr/static/teen/teen02/1172950_1499.jsp
  27. Jared Diamond, Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed, Penguin 2005.
  28. 英語では sustainable development、sustainabilityという用語が使われるが、韓国では持続可能な発展という言葉が変形し、政治家と経済人たちの間では持続可能な(経済)成長という言葉がよく使われる。持続可能な成長という言葉は、2002年の初め盧武鉉大統領が就任辞で使ったものだ。この言葉は矛盾している。持続可能な発展という言葉は、発展をいかに定義するのかによって矛盾しないこともあるが、持続可能性と(経済)成長は両立できないからだ。限界が明らかな地球という系の中で、成長が永遠に持続することは不可能だ。よって、持続可能な成長は存在しえない。ところがこの言葉は、韓国人たちがどのような社会を志向しているのかを非常によく現わしている。持続可能を前に付けることで、一方では道徳性を示しているようだが、強調点は明らかに成長に置かれている。本稿で筆者が選択する用語は、持続可能性だ。持続可能性は経済(economy)を無視しないが、生態(ecology)と公正(equity)を大きく重視する。
  29. 現在、韓国で稼動中の商業用太陽光発電所は約30MW、計画中のものは300MWである。これらの発電所は、ほとんどすべて田畑や山に建設される。太陽光発電所1MWを建てるのに必要な土地の面積はおよそ15,000m²である。
  30. 国民の政府と参与政府では、セマングム〔干潟干拓〕事業、核発電の拡大、核廃棄場建設など持続可能性に反する企画がむしろ多かった。
2008/06/01 12:00 2008/06/01 12:00

特集 1  ジャンル文学と韓国文学
柳熙錫 / ジャンルの境界と今日の韓国文学
朴辰 / さまざまなジャンルと接続する文学のスペクトラム
卜道勳 / 韓国のSF、ジャンルの発生と政治的無意識
鄭英勳 / ジャンル文学と本格文学という論争
金杭 / 21世紀における日本小説の境界と脱境界

特集 2
 
詩人金洙暎の40周忌において
発掘   金洙暎の未発表遺稿詩と日記
解題   金明仁 / 本当の姿を探し出すべきの金洙暎の文学世界
評論   黃鉉産 / 金洙暎の現代性または現在性

論題と現場
成漢鏞 / 総選挙後の韓国政治はどこに向かうか ―第18代国会議員選挙と政治地形の変化
白樂晴 / 近代韓国の二重課題 : エコロジー言説 「二重課題論」に対する金鍾哲氏の批判を読んで
対話  非正規職、現代版身分制度か / 朴泰鉒吳建昊

キム・ユニ / 強迫2 ほか
金正煥 / 序詩 ほか
文泰俊 / 晩秋を生きても晩秋が ほか
閔暎 / 痕跡 ほか
朴解纜_ 尺牘挿入春書 ほか
梁愛卿_ お嬢さんたち ほか
尹載喆 / 牧畜の時間 ほか
李旻河 / 芝の律法 ほか
李眞喜 / ヤクルト ほか
任成容 / 四十肩 ほか
鄭鎮圭 / 空気は我が愛 ほか
崔正進 / 傾いた子3 ほか

小説
キム・シュム / 某日、夕方
金在瑩 / 桜草
李承雨 / 懐かしい日記
李章旭 / 告白の帝王
長編連載3) 申京淑 / 母を頼む

 
文学フォーカス
視線と視線 / 吳昶銀 チョン・ヨウル_ キン・サガの長編小説『ミナ』
梁允禕 / 朴範信の長編小説『チョラチェ(cholatse)』
朴昌範 / 鄭智我の小説集『春の色』
金壽伊 / 申庚林の詩集『ラクダ』
咸燉均 / シン・ドンオクの詩集『楽工、アナキストのギター』
柳信 / チョン・ガリの評論集『ネアンデルタール人の帰還』

寸評
趙孝濟 / Tom Engelhardt 『アメリカ、変化か没落か』 (Mission Unaccomplished )
全聖祐 / 金德榮 『 マックス ウェーバー、この人を見れ』
李昇柱 / Joseph E. Stiglitz 『人間の顔をしたグローバリゼーション』(Making Globalization Work)
文明基 / 韓少功 『熱烈な読書』
陳泰元 / Giorgio Agamben 『ホーモ サケル』 (Homo sacer: Il potere sovrano e la nuda vita)
朴相俊 / Michel Houellebecq 『ある島の可能性』 (La Possibilité d’une Ile)
金基潤 / イ・ハンオム 『ホーモ エクスメルツス(Homo expertus)』
李明錫 / 崔晧喆 『乙枝路循環線』
2008/06/01 12:00 2008/06/01 12:00

白楽晴 | 『朝鮮半島の平和と統一』(岩波書店 2008.6)

本紙の編集人である白楽晴教授の本が日本語で翻訳されて出版しました。出版社からのメッセジを紹介してあげます。

添付画像
「お隣の朝鮮半島は,南北が分断され,2つの国になってから60年が経ちます.戦争があり,対立し敵対したままの関係が長く続きましたが,2000年6月に韓国の金大中大統領が北を訪問,まったく新しい時代が始まりました。韓国の代表的な知識人である著者の白楽晴氏は,現在を「分断体制の解体期」と呼び,南北統一の過程が始まったと主張します。急激でなく,もたもたと,しかし確実に段階を踏み,市民的な形で統一するのが,「ウリ(我々)式」統一だ,と.そして,後7,8年もすれば,朝鮮半島には緩やかな国家連合が出来ていると著者は言います。東アジアと朝鮮半島の平和は,日本にとって他人事どころか決定的に重要なテーマです。韓国のもっとも体系的な統一論にぜひ耳を傾けてください」。

2008/05/15 12:00 2008/05/15 12:00
< 1 2 3 >